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 さて、その日の取引はいつもと違った。
「はい、これね」
 カゴ婆さんはいつものように机の向こうからお金を滑らせてよこした。そこまではいつもと同じ。それをポケットに詰めていると、突然妙なことを言い出した。
「坊や、ひとつ聞きたいことがあるんだがねぇ」キラリとめがねの金縁が光った。
「なんですか?」
 するとカゴ婆さんがイスを滑らせ、ジリッとカウンターに身を乗り出してきた。どうやら内緒話のようである。
「じつはね、ここのところ、あんたみたいに金の粒を持ち込む客が増えてるんだよ」
「そうなんですか?」
「ああ、そうさ。それもどいつもこいつも貧乏人ばかりでね」
「また騙して安く買い取ってるんでしょう?」
 たぶんそうしているに違いない。それにはかなり確信がもてた。カゴ婆さんは露骨に嫌な顔をしたが、話を続けたい様子だった。
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「まぁ、それはこのさい置いといてだね。職無しの連中がちょこちょこと持ち込んでくるんだよ。最初は一粒だったのが、あたしが高値で買い取るのを知ると、二粒三粒ってどんどんもって来るんだよ、最近じゃ毎日のように誰かしら来るんだよ」
 わたしは嫌な予感がした。じっさい背筋に震えが走った。
 これはとんでもないことが起きているのかもしれない。それも嫌なこと、悲しいことが起きているのかもしれない。
「それで?」わたしはそう聞いた。
「それであたしにはぴんと来た。どこかにまとまって落ちてる場所があるんじゃないかってね」
(キン)が落ちてるわけないでしょう?」
「そうトボケなくてもいいだろぅ? どぉ? あたしにこっそり教えてくれないかい? あたしも拾いに行きたいんだよぉ」
 拾いにいきたいんだよぉ、は甘えたような嫌な口調だった。
「だから落ちたりなんてしてませんよ」
「またまた、トボケるんじゃないよ。ねぇ、どこに落ちてるんだい? もちろんあんたにはちゃんと手数料を払うからさ。教えとくれよ、ね?」
 どうせ払うわけはない。だがどちらにしても交渉にならなかった。落ちているわけではないのだから。それにコトラの涙の秘密だって教えるつもりはなかった。そんな事を知ったら、この強欲な老婆が何をするか分かったものではないからだ。
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 その話はわたしに恐れを抱かせた。
 その恐れとは、子供たちがひどい目にあっている、という恐れだった。
 もしカゴ婆さんの話が本当なら、コトラのように金の涙を流す子供が増えてきているということだ。そしてそれが頻繁に持ちこまれるということは、それだけ子供が涙を流しているということだ。
 いったいどんな手段で子供を泣かすのか? 大人たちが考えそうなことは一つしかない。暴力だ。まして貧乏な大人たちは、お金を稼ぐためなら何でもやりかねない。
 その時、一人の客が現れた。
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「いらっしゃい」とカゴ婆さんは不機嫌そうな声で迎えた。
 振り返るとボロボロのスーツを着た四十代くらいの男の姿があった。髪はぼさぼさで目が少し血走っている。男は右手を握り締めていた。そのこぶしに血の跡が見えたような気がした。それは気のせいなのだろうか? わたしは心臓がどきどきした。
「ここで、(キン)を買い取ってくれると聞いたんだが?」
 男はあたりをきょろきょろと見回しながらそういった。そしてわたしに目をとめると、睨みつけるような視線を送った。
 その男が発散する空気にわたしは吐きそうになった。
「ええ、ええ、もちろん買い取りますよ」
 カゴ婆さんはわたしに耳打ちした。
(この話はまた後でするわ、考えておいてね)
 わたしは逃げるようにしてその場を立ち去った。
 その背後でカゴ婆さんの声が聞こえた。
「なんだい、これは。贋物じゃないか。でもまぁ、ビーズくらいにはなるからねぇ、まぁ一粒三千円なら買い取ってもいいよ。これでも結構高いと思うけどね……」
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 その晩、わたしはケンとコトラに質屋での出来事を話して聞かせた。
「じつは俺も最近妙だなと思っていたんだ」
 ケンは重々しくそう切り出した。
「最近、街の子供で青痣を作ってる子供が多いと思っていたんだ。やけに怪我をする子供が増えたなって、それぐらいにしか考えてなかったけど」
「そうだったのか、僕の学校ではそういう変化は何もなかったから」
「レンジ兄ちゃんの学校は金持ちの子供ばかりだからね。たぶん貧乏なうちの子供しか金の涙が出ないんだよ」
「そりゃまた、どうしてだ?」とケン
「僕はあの時さ、はじめてあの涙を流した時にさ、本当にお金が欲しいと思ったんだ。だからそういう涙が出るようになったんだと思うんだよ」
「そういう強い思いみたいなものが金の涙を流させたってわけか?」とわたし
「そう! だから金持ちの子供には出ないんだよ」
 コトラは全く鋭い子供だった。
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「そういえばカゴ婆さんも、貧乏人ばかりが来るって言い方してたな。やっぱりコトラの言うことが正しいのかもしれない」
 そしてコトラもこのことについて話してくれた。
「そういえば、僕の手下の子供にもさ、最近家にこもって出てこなくなった子がいるんだ。誘っても親に追い返されちゃうんだよね。今考えてみると、あいつらも金の涙を流すようになったのかもしれないな。それで親に閉じ込められちゃってるんだよ」
「そう考えるとつじつまが合ってくるな」とわたし。
「ってことは、この街のあちこちでコトラみたいに金の涙を流す子が現れたって事か?」ケンも同じ結論にたどり着いた。
「たぶんそうだと思う」
 わたしは二人にうなづいた。
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 今思えば、それは十分に考えられることだったのだろう。予想できたことだったのだろう。だがわたしたちはそれに気づけなかった。もちろん自分たちが生きていくことで精一杯だったからだ。しかし気づいたからにはなんとかしなければならない。
「……まだ間に合うと思う」
 わたしはそう続けた。
 二人はきょとんとした顔をしていた。
「僕たちもコトラから金の涙を取った」
「ああ、あれは楽しかったな。どれも駄目だったけど」とケン
「だめに決まってるよ。あんなんじゃ泣けないよ」とコトラ
「でも、世間の大人たちは僕たちみたいにはやらないだろう」
 その言葉で二人にも、わたしが何を言おうとしているのか伝わった。
「今も金の涙がカゴ婆さんのところに持ち込まれている。それだけ多くの子供が涙を流しているんだ。それは叩かれたり、殴られたりして流されたものかもしれない」
「でも、親が子供をぶったりするかな?」とコトラ。
 コトラには両親と暮らした記憶がない。彼が一緒に暮らしてきたのは兄のわたしと、親友のケンだけだ。そしてわたしたちはいつでも仲よしの家族だった。コトラが想像できないのも無理はない。
「ああ、本当の親だから、ぶつよ。ぶつし、殴る」
 とケンがつぶやくように言った。
 それはわたしもはじめて聞く話だった。
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「俺にもむかし親父がいたんだ。五歳くらいまでかな。ひどい酒飲みで、母さんは俺を置いて、とうに逃げ出していた。いつもカネがなくて、盗みをさせたり、物乞いさせたり、ゴミを拾いに行かせたり、本当にひでえ奴だった。それでたまに酒が手に入ると、酔って暴れて、理由もなしに俺を殴ってさ。俺の知ってる親ってのはそういうもんだった。だから俺は逃げ出した。それから親父がどうなったかは知らないし、知りたくもない。俺は町を出て、マンションを見つけて、レンジに会って、コトラにも会って、それで家族になってさ。俺はさ、家族がこんなにもいいもんだとは知らなかったんだ……」
 ケンはぼそぼそとつぶやくようにそう語った。
「……だからさ、そういう子供たちがいるなら、俺は救ってやりたい」
「ボクも同じだよ。知らないふりはできない」
 コトラもそういった。
 そして二人はわたしを見た。
 もちろんわたしも同じ気持ちだった。
「見過ごせないよね、やっぱり。僕たちで子供を助けよう」
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 こうして後の『子供十字軍』は誕生した。
 わたしたちの十字軍は子供により編成され、子供たちを助けるための軍団だった。
 子供たちを、カネに目がくらんだ悪い大人たちから救いだすための軍団だった。
 そしてそれからの一年間、わたしたちは大人相手に戦いを続けることになる!
 なんという子供たち!
 そしてこの四冊目は終わる!

 ~ 涙の貯金箱 終わり ~