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 わたしたちは大金を手に入れたものの、それをすぐに使ったりはしなかった。
 それはコトラの流した涙そのものだったからだ。
 だがそれ以上に、わたしたちにはその有効な使い道が考え付かなかった。
 だからわたしたちは以前と同じように働き続けた。
 生活は相変わらずきつかったけれど、質屋に電子レンジを運ぶ必要はなくなった。それだけでも大きな前進だった。
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 そして二ヶ月が過ぎた頃、またもや三人でポーカーを楽しんでいたとき、ケンが突然妙な事を言い出した。
「あのさ、レンジ、あのお金でコトラを学校に行かせたらどうかな?」
 ケンは慣れた手つきで手早くカードを配った。
「学校か……それはいいアイデアかもしれないな」
 わたしはそう答え、そっと手札をみる。
 ツーペア! 悪くない。でもここはそのままのポーカーフェイス。
 コトラはもう七歳だった。この頃にはすでに義務教育が崩壊していたが、本来なら学校へ行くべき年頃だった。
「僕は行きたくないよ。一枚チェンジ」
 コトラはすばやく反論し、チェンジのカードをそろそろと引いて顔をしかめた。
 でも要注意! コトラのポーカーフェイスはかなり上達している。
「僕は将来コックになるから、勉強なんてしなくても平気。もう計算も出来るし、字も読める。それだけ出来ればじゅうぶんだよ」
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 コトラからコックになりたい、という夢を聞いたのはこれが初めてのことだった。
 かわいい弟が夢を持っていて、そのために頑張っていると聞くのは、わたしとケンにとってなんとも誇らしいことだった。
 あの小さかったムニャムニャが、いつの間にかこんなにも成長していたのだ。
「じゃあレンジ、お前はどうだ? なにか夢があるのか? 夢じゃなくても、なにかやりたいこととかあるか?」
 ケンはチェンジの札を三枚引き、そしてにやりと笑った。
 ここも要注意。ケンのポーカーフェイスは年季が違う。
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 それはさておき。そんなことを聞かれてわたしはハタと困ってしまった。
 なんにもなかったのだ。これまでは生きていくこと、この世の中で生き延びることだけを考えてきたから。
「そういうケンはどうなんだ? 僕は一枚チェンジ」
「オレは学校なんて嫌いだもん。勉強なんてたえられねぇよ。それによ、オレはおまえたちが幸せになるのを見ていたいんだよ。それが俺の夢なんだよ」
 その言葉を聞いてわたしの目から不意に涙が零れ落ちてしまった。
「ケン、急にそんなこと言わないでくれよ……」
「おいおいレンジ、泣くなよ。お前が泣いたって、カネにならないんだから」
 ケンはそう言ってウインクし、私にカードを一枚よこした。
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 ちなみにあれからコトラに金の涙は流れなかった。理由は簡単。コトラが泣くということがなかったからだ。
 だが別に困ることはなかった。最初のお金ですら、結局まだ一円も使っていなかったからだ。
「ケン兄ちゃんの言うとおりだよ。さ、自信はないけど、ここまで来たら勝負っ!」
 コトラが最後の掛け金を積んで、カードを披露した。フルハウス。私はツーペアのまま、ケンはストレートだった。コトラの一人勝ちだった。ムニャムニャめ!
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「レンジ兄ちゃんが学校に行ったらいいと思うよ。頭もいいし、計算も速いし」
 コトラは山のようなナットとワッシャーを両手で囲い込んで引き寄せた。
「そんな事言ったってなぁ」
 わたしが入るとすれば小学校の一年生からやり直しだ。しかも学校へ行くにはカネがかかるのだ。
「兄ちゃん、学校へ行きなよ。偉くなって、お金をいっぱい稼いで、今度は僕たちを助けてよ」
「そうだよ、レンジ。そうでもしないと、俺たちずっとこのまま同じになっちまうぜ」
「そうそう、お金のことなら任せてよ。僕、いっぱい泣くからさ!」
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 かくして唐突にわたしの受験勉強が始まった。
 ヒダカ老人に頼み、コウジが捨てた教科書や参考書をもらってきた。
 わたしは掃除をしながら、それらを片っ端から頭に叩き込んだ。家に帰ると、コウジのお古のドリルを片っ端から埋めていった(コウジのドリルはほとんど真っ白だった)。国語・算数・理科・社会・英語に歴史と、どんどん知識を溜め込んだ。
 わたしの頭はそれまで使っていなかったせいか、それらをぐんぐんと吸い込んだ。不思議なことに勉強は楽しい感じがした。
 知らないことが、疑問に思っていたことが、どんどん明らかになっていくのが楽しかったのだ。
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 学校へ行くにはお金がいる。今のわたしにはその理由がよく分かる。
 知識というのはタダでは手に入らないのだ。海で魚を釣るのとは訳が違う。
 ここを自覚するのは結構大事なこと。知識というのは誰かが発見し、現代まで受け継いできたものだ。それは人類の財産なのだ。それが財産である以上、誰かがタダで分けてくれるものではないのだ。
 教育にはお金がかかる。その知識が希少であればあるほど、高い値段がつく。それは金と同じ。珍しいから高いのだ。
 また脇道にそれつつあるようだ。悪い癖なのかもしれない。