アリサは苦しみの中で目が覚めました。

 ――精霊(せいれい)にとり()かれていたのです。

 だから外に出られず、肩が重く、心がだるく、友達と遊べなかったのです。

 アリサは十一歳になる女の子でした。

 髪は黒色で美しかったので、アリサの唯一の自慢でした。

 アリサは一日中ベッドで寝ていました。

 精霊(せいれい)がとり()いているからです。

 その精霊(せいれい)は他の人には見えず、「あの子は病気でしょう」と医者が言うのでした。

 しかし、アリサは分かっていました。

 これは病気ではなく、本当に精霊(せいれい)が自分にとり()いているということに。

 なぜなら、彼女が眠くなった時、精霊(せいれい)が自分に呼びかけるからです。

 夢の中の精霊(せいれい)は、恐ろしい姿をしていました。

 黒くて雲のようで、(みにく)くて、それは包まれるように巨大なものでした。

 精霊(せいれい)の名はジャバーゾといいました。

「お前は、何て弱い子だ。何もかも恐れている。(にく)い。(にく)いんだろ? この精霊(せいれい)様が」

 精霊(せいれい)ジャバーゾはニヤニヤ笑って、夢の中でアリサにこう語り掛けました。

「あなたのことは(にく)いけど、私は良い子よ」

 アリサは顔を(そむ)けて言い返しました。

「――いいや」

 精霊(せいれい)ジャバーゾは(みにく)い顔をヘラヘラさせて気味が悪いくらい優しく言いました。

「良い子は(にく)まない。ただ、ハイ、と返事をするだけだ。何も言い返さない。文句もない。ベッドから出て学校へ行く。成長して働く。それが良い子さ」

「違うわ」とアリサは泣きそうになりながら反論しました。

「良い人だって、怒りをもっているわ」
「良い人が怒る? そうかねえ。良い人は怒らないよ。仮に俺が悪人だとしても、(にく)まないよ。私のような君を助けたいと思っている精霊(せいれい)(にく)まないよ」
「助けたいって?」
「そうともさ、助けたいんだよ。フフフ……いや失礼。一緒に行かないか?」
「どこへ?」
「それは明日言うさ。もう夜が明ける」

 アリサは目を覚ましました。

 恐ろしくて、鳥肌が立っていました。

 涙があふれていました。

 私はあの悪い精霊(せいれい)を憎んでいるんだ。

 (にく)しみで心が一杯だ! だからひどい人間なのだ……。
 
 アリサは声を上げたかったのですけど、もうすぐお医者がくるのでやめました。

 心の苦痛は、お医者では見れません。

 いえ、他のどんな人だって見ることができません。

 ――アリサ自身じゃないと見れないのです。

 ◇ ◇ ◇

 そしてその夜、夢の中では、精霊(せいれい)ではなく、すごく人のよさそうな男性が花畑にあらわれました。

「さあ、私についてきてごらん」
「えっ、あなた誰ですか? 精霊(せいれい)ですか?」
「いいえ、違いますよ。私はあなたを助けたいのです。あなたと同じ境遇(きょうぐう)の方々と会ってください。私はあなたを助けたいのです」

 男性は笑って、少しも悪意がなく言いました。

 ところがアリサは、この「助けたい」という言葉に、不気味さを感じ、嫌な気持ちになりました。

 心の奥深くに、黒い黒い恐怖が見張っている感じがしました。

 二人は花畑を歩き始めました。

 ◇ ◇ ◇

「さあ、着きました。どうぞ」

 男性は指差しました。

 男性が指差した先には、アリサと同じように、ベッドに寝ている子ども達がいました。

 男性は一瞬怖い顔になって、それからまた、もとの善人そうな顔になりました。

「俺は子どもを助けたいだけなのだ」
「いやよ、恐ろしい。私はここから出て行くわ」
「待て、どこに行くんだ。この子ども達はお前自身の姿だ。ベッドから出ることができない、お前自身の姿なんだぞ」

 アリサはそれは分かっていました。

 しかし、怒りがわいてきました。

 男性を突き飛ばして、男性の善人そうな顔をしたお面を(うば)いました。

 そこには、やっぱり精霊(せいれい)ジャバーゾの顔があったのです。

「俺は良い精霊(せいれい)なのだ。俺は良い精霊(せいれい)なのだ」

 精霊(せいれい)ジャバーゾは(うす)く笑い、自分に言い聞かせるように言いました。

「……私には、あなたの助けなんていらないわ」

 アリサがそう言うと、ジャバーゾはアリサを睨み付けました。

「助けはいる。ずっと、ベッドの中で過ごす気か?」
「関係ないわ。あなたについていくのが、嫌なだけ!」
「俺は良い精霊(せいれい)だ。ここの子ども達には信頼されている。信頼は全てに勝る。全てだ。信頼は全てだ」
「信頼なんか、知らないわ。私は、あなたが、大嫌い!」

 アリサの顔は泣いていました。

 恐ろしい顔になったり、泣いたり、色んな悲しい時の顔になりました。

 良いとか、悪いとか、全く関係なかったのです。

 精霊(せいれい)ジャバーゾが善人の面を踏みつけ、無造作に割りました。

 するとベッドの子ども達が起き上がり、精霊(せいれい)ジャバーゾの方に走り出したのです。

 そして、彼を踏みつけて走っていきました。

 アリサも一緒に走っていきました。

 アリサも一緒に走りました。

 怒りながら走ったのです。

 心が(こご)えそうになりました。

 燃え尽きてしまいそうでした。
 
 子ども達の叫びはまるでこだまするような、大きな音になったのです。

 精霊(せいれい)ジャバーゾは、頭を抱え、「ウォー!」と叫びました。

 やがて子ども達は、運命の谷という、赤い恐ろしい谷にやってきました。

 みんなぴょんぴょん飛び超えました。

 しかしアリサだけは、飛び越えられなかったのです。

 足がすくみ、震えました。

 向こう側の子ども達は、アリサに声援を送りました。

 後ろからは精霊(せいれい)ジャバーゾがフラフラと、恐ろしい爪を手からむき出して、やってきました。

 はやく飛び越えないと!

 えい! アリサは思い切って谷を飛びました。

 その時、ジャバーゾがアリサの体を捕まえてしまったのです。

 ああ……。向こうの子ども達は嘆息(たんそく)しました。

 ジャバーゾとアリサは谷に落ちていきました。

 それはそれは、ゆっくり落ちていったのです。

「俺は、お前の(かげ)さ。でもな」

 ジャバーゾは落ちながら言いました。

「俺は、この世界では有名なんだ。この世界では、アリサ、お前が俺の(かげ)なんだ。わかるか? お前が(かげ)だ。お前が弱者だ」
「だからなんなの?」とアリサは歯を食いしばりながら叫びました。

「どういうことか、すぐにわかるさ。見てみろ!」

 二人は、スローモーションのようにゆっくり谷を落ちています。

 精霊(せいれい)は谷の下を指差しました。

 谷の下には、たくさんの精霊(せいれい)がうごめいていました。

 精霊(せいれい)の街です。

 精霊(せいれい)達は、「ジャバーゾ! ジャバーゾ」と叫んでいました。
 
 ジャバーゾは善人の面をまた自分で再生して、さっきの善人そうな男性に戻りました。

「どうだね、素晴らしいこの信頼! 俺は精霊(せいれい)の街の王なのだ! 信頼は全て! 信頼は力!」
「何よ、うそつき! 私を苦しめているくせに!」
「苦しめている? お前の方がうそを言っている。いや、世間の常識からすれば、お前は悪だ。弱者だ。信頼されている者を(にく)むお前は、悪で弱者なのだ!」
「嫌、もうたくさん!」

 ジャバーゾとアリサはゆっくり谷に降り立ちました。

 そして精霊(せいれい)の街の精霊(せいれい)達は、アリサとジャバーゾを取り囲みました。

「ジャバーゾ! ジャバーゾ!」

 ものすごい轟音(ごうおん)です。

 アリサはおかしくなるかと思いました。

 アリサは叫びながら、そこから逃げ出したのです。

 ジャバーゾと精霊(せいれい)軍勢(ぐんぜい)が、アリサを追ってきました。

 アリサは洞窟(どうくつ)を越え、山を越え、花畑を越えました。

 その花畑には、見慣れた自分のベッドがありました。

 ジャバーゾは、善人の顔をしながら、追ってきます。

 アリサはもう夢中で、ベッドの中に逃げ込みました。

 そしてアリサは、そこで目が覚めました。