結論から言おう。
 詰んではいなかった。

 そもそも、私が不自由なことはタリスさんも重々承知なのだ。そりゃ、無策で放り出すようなことはしない。……そうですよね?
 あの人、どうにもミステリアスというか、ちょっと変わってる人だから、断言は出来そうもない。

 さて、それでは過去に降り立ち数刻。私はどうしているのかと言うと――

「ナァー!」

「ナー、もう少し優しく持ってもらえるかな。首が絞まります……グぇ……」

 空飛ぶ相棒に首根っこを掴まれて浮きながら街を歩いてます。いや、運ばれています。
 本当、周りの目が痛い……。
 確か、現代に戻ったタイミングで私が過去に行ったことの辻褄合わせで、人々の記憶とかが再構築されるんだったっけ。
 バタフライエフェクトとか、タイムパラドックスとか、色々考えたけど、すぐに頭の片隅に追いやった。だって、異世界ですし。そもそも、私が前世の記憶を持ち合わせていることが、SFの枠を超えているって話だ。

 私の人生にそんな壮大な事件は必要ないのだ。

「ナー、とりあえず街の鍛冶屋さんを片っ端から覗いてみましょうか」

「ナァー!」

 私の仕事内容は二つ。
 一つは魔法の売り手の過去を覗き、魔法の使い方や、その人から魔法を買い取ることで店への不利益を起こさないかどうかを調べること。
 もう一つは買い手の過去を覗き、その魔法がその人に相応しいかどうかを見定めること。犯罪等に利用される恐れが無いかの調査。

 今回に関して言えば、前者だ。
 ロムガさんの魔法は『擬態』というものらしい。使用者もしくは他者の姿かたち、さらには声などを別のものへと変身させられるという、使い勝手のよくわからない魔法だ。
 ぱっと思いつくのはスパイとか、詐欺師に向いていそう。この世界にそんな存在がいるのかは知らないけれど。
 どのみち、一般人にとっては使い道の乏しい魔法だ。ロムガさん曰く、「商売人がそんな魔法持ってちゃ、信用に欠けちまう」らしい。確かに信頼第一の職人にとっては無用の長物だ。

 魔法って、案外面倒なものなのですね。
 ロマンはあるけれど、実際に与えられる魔法が選べないというのは、割とギャンブルな話だ。

 街の鍛冶屋を数軒回ってみるも、ロムガさんは見つからなかった。ドワーフ族の鍛冶師に尋ねてみても、ロムガというドワーフは知らないらしい。

「本当にこの街にいるのでしょうか……」

 ロムガさんが指定した街が間違っていたとか?
 しかし、ここは私の住むリムガシアの街の、北東に位置するストゥニラの街で間違いないはずだ。ちゃんと衛兵さんに訊いたわけですし。
 何より、時流しの魔法は対象となる人物の半径ニ十キロメートル以内に飛ばされるはず。つまり、絶対にこの街にいるはずなのだ。

 いつの間にか、てっぺんでふんぞり返っていた太陽が西の地平線へと沈みかけていた。斜陽に照らされた街並みを高台から眺め、思う。
 同じ異世界の街といえど、こうも景観が違うものなのですね。
 まるでイルミネーションのように輝く姿に、思わず言葉を失う。まさか、こんな経験が出来るなんて、先日までは思ってもいなかった。

「まあ、ここは先日よりもさらに二か月過去なんですけどね」

 時流しの魔法は過去五年以内をランダムに到着地点とするっぽい。今回は比較的浅めの地点が選ばれた。初めての過去旅行なので、それだけでちょっと安心したりする。

「ナァー?」

 ナーが不思議そうに首を傾げる。

「ごめんなさい、ずっと私を持っていて疲れたでしょう? 今日はもう宿を取りましょうか」

 こうして、私の中古魔法店員としての一日は終わったわけです。

 次の日、街の鍛冶屋も全て回りつくしてしまった私は、路頭に暮れていた。街の中央広場を行き交う人々をベンチで眺めて、思わずぼんやりとしてしまう。
 膝に座ったナーもどこか退屈そうだ。

「こんなはずではなかったのですけど」

「ナァー……」

 過去に行くということにばかりリソースを割いていたけれど、まさか本題の調査で躓くとは思っていなかった。
 そもそも、まだロムガさんを見つけてすらいない。仕事が始まってもいないのだ。

「とにかく、こうしていても始まりません。ナー、休憩は終わりです。行きましょう」

「ナァー」

 すると、ナーは私をその小さな手で持ち上げ、ゆるっと飛ぶ。不思議なもので、一日もすると周囲の訝し気な視線は気にならなくなっていた。
 広場を抜ける寸前、ナーが突然進路を変える。

「ナー、そっちではありませんよ」

 言葉は通じているはずなのに、どうしてかナーは言うことを聞かず、反対方向へと飛び続ける。

「どうしたのでしょうか……」

 不意に甘い匂いが鼻を衝く。
 あぁ、なるほど。

 ナーはまっすぐに前方の露店を目指していた。甘い香りもそこから漂っている。

「仕方ないですね。おやつにしましょう」

「ナァー!」

 その露店は円形の厚みがあるお菓子の店だった。パンケーキ……いや、どちらかと言うとどら焼きや大判焼きに近いように思える。

「店員さん、こちら二ついただけますか?」

 若い女性の店員さんは、猫に首を掴まれている私を見て少し驚いていた。
 そうですよね。当たり前です。
 しかし、流石は接客のプロだ。すぐににっこりとスマイルを浮かべ、お菓子を包んでくれた。

「可愛い従魔ですね」

「ええ、食いしん坊なのが困りものですけれど」

「ふふっ、では私はこの子に感謝しないといけませんね」

 淡い風が吹いて、店員さんの肩まで伸ばした白金髪がふわっと揺れる。同時に甘い匂いが鼻腔をくすぐる。まるで、彼女から香っているみたいだった。
 整った容姿に、タリスさんほどのすらりと背の高いプロポーション。こんな人に接客をされてしまえば、誰だって常連になってしまうに決まっている。
 店員さん、可愛いな。明日もロムガさんを見つけられなかったら、また買いに来るとしましょう。

 お菓子の名前はわからなかったけれど、味は大判焼きそのものだった。表面がさっくりとしたもちもちの生地。一口噛むと、その瞬間ミルクと卵をふんだんに使った生地の甘美な匂いに包まれた。中からはとろりと甘いカスタードの餡が溢れんばかりにとろけ出して、口中を満たす。
 前の世界を思いだして、すごく懐かしい。少し切なくもなった。まさか、異世界でこんなお菓子と出会えるとは思ってもいなかったのだから。

 ナーもとても美味しそうに一心不乱となって食べていた。今さらだけど、猫にカスタードとかって大丈夫なのだろうか……。

 結局、二日目もロムガさんに関する収穫は無かった。鍛冶屋を営んでいないドワーフ族もしらみつぶし訊いて回ったが、やっぱりロムガさんには会えなかった。

 宿のベッドに身体を投げ出す。一日中、外にいたせいか眠気がすっと訪れる。ナーも隣で丸まって小さな口を大きく開けて欠伸をしていた。

「今日もお疲れ様。私より、ナーの方が疲れていますよね」

「ナァー? ナァー!」

 余裕だと言っているみたいだった。段々、ナーの言葉も何となくわかるようになってきた。

「明日こそ、お勤めを果たしましょう。後、三日しかないのですから」

 こうしている間にも、私の魔力は消費され続けている。昨日よりも僅かに気怠さを感じるのは、きっとそのせいだろう。
 これは五日と言わず、なるべく早くロムガさんのことを調べる必要がありますね。