「帰りたい……」
無意識に呟いていた。
「今帰ってる最中ですよ。大丈夫、寄り道はしません」
「いや、そうじゃなくて……」
「これからマナさんには住み込みで働いてもらうことになります。とりあえず、一か月ほど体験入店という形でお願いしますね」
人の話を聞かない人ですね。
いや、ある意味で帰りたいに対するアンサーだったりするのだろうか。お前が帰る場所は今日から私の店だ、と。
街一番の大通りは久しぶりに通ったけれど、いつも通り活気に溢れていた。つまり、人がたくさんいるのだ。
大勢の中でも、タリスさんは頭一つ抜きんでている。背丈と容姿、そして、齢十五の少女をお姫様だっこしている変な人という意味で。
久々の外出だというのに、恥ずかしすぎてろくに目も開けられない。
「せめておんぶにしてはもらえないでしょうか……」
「いえいえ、それでは性的な嫌がらせと捉えられてしまう恐れがありますから。私は従業員とは良好な関係でありたいのです」
つまり、セクハラになり得るから、お姫様抱っこを選択したと言いたいのだろう。変なところで気が回る。その気遣いをせめて、往来の少ない道を通るとかに使ってはもらえないだろうか。
というか、この世界には車いすが存在しないことの方が謎だ。科学的に発展していなくとも、魔法とやらの力で何とでもなりそうなのに。
本当、上手いこと行かない世界ですね。
とんでもない羞恥プレイにしばらく耐えていると、ようやくタリスさんは脇道に足を運んだ。街の西区、比較的人通りの落ち着く辺り。近くには冒険者ギルドや武具店、専門的な雑貨屋が立ち並ぶ場所だ。ゆえに、大通りに比べると人通りは少ないものの、すれ違う人たちは皆どこか少し怖い。武器は当たり前に携えているし、目つきが大体鋭い。
そんな物々しい雰囲気が漂う一角に、タリスさんの魔法店は存在していた。
「着きましたよ。ようこそ、私の店へ。そして、今日からマナさんの職場でもあります」
煉瓦壁にまだ新しさを残した木扉が、古びた石畳の道沿いによく映えていた。小窓の向こうからは優しい光が漏れ出て、立ち寄り難い雰囲気を和らげる温かみをもたらしている。立てかけられた看板には魔法文字で『ノイアッシェ』の文字。
「素敵なお店ですね」
「中はもっとすごいですよ」
そう言いながら、タリスさんは木扉を開ける。その瞬間、形容しがたい魔法の匂いがした。
扉はタリスさんには少し小さいのか、軽く頭を下げる。その際、顔が近くに寄ってちょっぴりどきっとしてしまった。不覚だ。
「わぁ、本がたくさん……!」
店内は壁に沿って棚がずらっと立ち並び、そこには新旧様々な本が陳列していた。天井に浮かぶ光球が橙色の明かりを灯し、柔らかい空気を感じる。奥のカウンターは……だいぶ散らかっていた。本や紙が山積みになり、よくわからない小瓶やら、空の魔結晶が転がっていたりと、生活の気配が感じ取れる。
「これらは飾りですけどね。雰囲気は出るでしょう?」
「え、魔法書とかそういうのじゃないんですか? 読めば魔法が使えるようになるとか」
タリスさんは私を椅子に降ろしながら、くすっと笑う。
「そんなものはこの世界に存在しません。少し待っていてください」
カウンターの奥へと姿を隠したタリスさんが、透明なケースに入った一つの魔結晶を持って戻って来る。
「不思議な色の魔結晶ですね」
魔結晶は通常、青い輝きを放つ。それ以外の色は存在しないはずなのに、タリスさんが持ってきた魔結晶は新緑色に輝いていた。
「これは時流しの魔法を封じた結晶です」
「え、魔法……ですか。これが?」
不確かな魔法というものが可視化されているのは、ちょっと不思議なものだ。
「そうです。私は器から魔法を抽出し、別の器に差し替えることが出来ます。この時流しの魔法は数年前、貧民街の男性から買い取ったものですね」
「はぁ……」
いまいちピンとこないけれど、もしかして、私はとてつもない人を前にしているのではないだろうか。だって、今の話だと、他人の魔法を奪い取れるということだ。それは魔法を持つ人にとって畏怖すべき対象。その気になれば、かの勇者や魔王の魔法だって自分のものに出来てしまうのではないだろうか。
タリスさんを一瞥すると、彼は嫣然とした笑みを私に差し向ける。
「大丈夫、危ないことはしてませんよ。私はしがない経営者なので」
……実は人の心を読む魔法とかもあるのだろうか。
「つまり、ここは魔法を買い取ったり、売ったりするお店ということでいいのでしょうか」
「その通りです」
魔法のリサイクルショップみたいなものでしょうか。
「でも、魔法を売ってくれる人なんているのでしょうか」
単純な疑問だった。魔法は天から授けられし特別な贈り物。渇望する人は多けれど、わざわざ手放す人なんているとは考えにくい。
私の質問を、タリスさんは「結構いますよ」と平然と返した。
「魔法は幸せと同時に、時には不幸も呼び込みます。もしくは、魔法を手放してまで得たいものがある。この時流しの魔法を売ってくれた人は、魔法なんかよりもとにかく飢えをしのぐためにお金が必要だった。そういうことです」
なるほど、と心の中で独り言ちる。
「それで、私はここで何をすればいいのでしょうか。特に出来ることは無いように思えるのですが……」
そうだ、問題は私が連れてこられた理由だ。タリスさんの話を聞くに、ただの魔力過多な私が出る幕など全く見えてこない。
この脚では掃除だって出来ないし、私は魔法の一つだって使えやしない。せいぜい、書類の整理や勘定が出来るくらいだ。
タリスさんは待ってましたと言わんばかりにニッコリと微笑んだ。
「マナさんには、今からこの時流しの魔法を授けます。あっ、もちろん必要経費ですよ。仕事道具ですので、タダです」
「はぁ……それで、その時流しの魔法というのはどういう魔法なのでしょうか」
ケースから取り出された魔結晶が一際強く輝く。この男性、私の質問に答える前に何やら始めていないだろうか……。
新緑色の輝きが、魔結晶から私へと流れ込んでくる。胸の奥底がほのかに熱い。
「時流しの魔法とは、時間を遡ることのできる魔法です」
「時間を……遡る……?」
新緑色の最後の一筋が私の中に入った瞬間、どくんっと強く何かが脈を打った。心臓じゃない、新しい何かが私の中で弾んだ。
タリスさんは私の目をしっかりと見て、告げる。
「マナさんには、この店の利用者の過去を調査してきてもらいます」
無意識に呟いていた。
「今帰ってる最中ですよ。大丈夫、寄り道はしません」
「いや、そうじゃなくて……」
「これからマナさんには住み込みで働いてもらうことになります。とりあえず、一か月ほど体験入店という形でお願いしますね」
人の話を聞かない人ですね。
いや、ある意味で帰りたいに対するアンサーだったりするのだろうか。お前が帰る場所は今日から私の店だ、と。
街一番の大通りは久しぶりに通ったけれど、いつも通り活気に溢れていた。つまり、人がたくさんいるのだ。
大勢の中でも、タリスさんは頭一つ抜きんでている。背丈と容姿、そして、齢十五の少女をお姫様だっこしている変な人という意味で。
久々の外出だというのに、恥ずかしすぎてろくに目も開けられない。
「せめておんぶにしてはもらえないでしょうか……」
「いえいえ、それでは性的な嫌がらせと捉えられてしまう恐れがありますから。私は従業員とは良好な関係でありたいのです」
つまり、セクハラになり得るから、お姫様抱っこを選択したと言いたいのだろう。変なところで気が回る。その気遣いをせめて、往来の少ない道を通るとかに使ってはもらえないだろうか。
というか、この世界には車いすが存在しないことの方が謎だ。科学的に発展していなくとも、魔法とやらの力で何とでもなりそうなのに。
本当、上手いこと行かない世界ですね。
とんでもない羞恥プレイにしばらく耐えていると、ようやくタリスさんは脇道に足を運んだ。街の西区、比較的人通りの落ち着く辺り。近くには冒険者ギルドや武具店、専門的な雑貨屋が立ち並ぶ場所だ。ゆえに、大通りに比べると人通りは少ないものの、すれ違う人たちは皆どこか少し怖い。武器は当たり前に携えているし、目つきが大体鋭い。
そんな物々しい雰囲気が漂う一角に、タリスさんの魔法店は存在していた。
「着きましたよ。ようこそ、私の店へ。そして、今日からマナさんの職場でもあります」
煉瓦壁にまだ新しさを残した木扉が、古びた石畳の道沿いによく映えていた。小窓の向こうからは優しい光が漏れ出て、立ち寄り難い雰囲気を和らげる温かみをもたらしている。立てかけられた看板には魔法文字で『ノイアッシェ』の文字。
「素敵なお店ですね」
「中はもっとすごいですよ」
そう言いながら、タリスさんは木扉を開ける。その瞬間、形容しがたい魔法の匂いがした。
扉はタリスさんには少し小さいのか、軽く頭を下げる。その際、顔が近くに寄ってちょっぴりどきっとしてしまった。不覚だ。
「わぁ、本がたくさん……!」
店内は壁に沿って棚がずらっと立ち並び、そこには新旧様々な本が陳列していた。天井に浮かぶ光球が橙色の明かりを灯し、柔らかい空気を感じる。奥のカウンターは……だいぶ散らかっていた。本や紙が山積みになり、よくわからない小瓶やら、空の魔結晶が転がっていたりと、生活の気配が感じ取れる。
「これらは飾りですけどね。雰囲気は出るでしょう?」
「え、魔法書とかそういうのじゃないんですか? 読めば魔法が使えるようになるとか」
タリスさんは私を椅子に降ろしながら、くすっと笑う。
「そんなものはこの世界に存在しません。少し待っていてください」
カウンターの奥へと姿を隠したタリスさんが、透明なケースに入った一つの魔結晶を持って戻って来る。
「不思議な色の魔結晶ですね」
魔結晶は通常、青い輝きを放つ。それ以外の色は存在しないはずなのに、タリスさんが持ってきた魔結晶は新緑色に輝いていた。
「これは時流しの魔法を封じた結晶です」
「え、魔法……ですか。これが?」
不確かな魔法というものが可視化されているのは、ちょっと不思議なものだ。
「そうです。私は器から魔法を抽出し、別の器に差し替えることが出来ます。この時流しの魔法は数年前、貧民街の男性から買い取ったものですね」
「はぁ……」
いまいちピンとこないけれど、もしかして、私はとてつもない人を前にしているのではないだろうか。だって、今の話だと、他人の魔法を奪い取れるということだ。それは魔法を持つ人にとって畏怖すべき対象。その気になれば、かの勇者や魔王の魔法だって自分のものに出来てしまうのではないだろうか。
タリスさんを一瞥すると、彼は嫣然とした笑みを私に差し向ける。
「大丈夫、危ないことはしてませんよ。私はしがない経営者なので」
……実は人の心を読む魔法とかもあるのだろうか。
「つまり、ここは魔法を買い取ったり、売ったりするお店ということでいいのでしょうか」
「その通りです」
魔法のリサイクルショップみたいなものでしょうか。
「でも、魔法を売ってくれる人なんているのでしょうか」
単純な疑問だった。魔法は天から授けられし特別な贈り物。渇望する人は多けれど、わざわざ手放す人なんているとは考えにくい。
私の質問を、タリスさんは「結構いますよ」と平然と返した。
「魔法は幸せと同時に、時には不幸も呼び込みます。もしくは、魔法を手放してまで得たいものがある。この時流しの魔法を売ってくれた人は、魔法なんかよりもとにかく飢えをしのぐためにお金が必要だった。そういうことです」
なるほど、と心の中で独り言ちる。
「それで、私はここで何をすればいいのでしょうか。特に出来ることは無いように思えるのですが……」
そうだ、問題は私が連れてこられた理由だ。タリスさんの話を聞くに、ただの魔力過多な私が出る幕など全く見えてこない。
この脚では掃除だって出来ないし、私は魔法の一つだって使えやしない。せいぜい、書類の整理や勘定が出来るくらいだ。
タリスさんは待ってましたと言わんばかりにニッコリと微笑んだ。
「マナさんには、今からこの時流しの魔法を授けます。あっ、もちろん必要経費ですよ。仕事道具ですので、タダです」
「はぁ……それで、その時流しの魔法というのはどういう魔法なのでしょうか」
ケースから取り出された魔結晶が一際強く輝く。この男性、私の質問に答える前に何やら始めていないだろうか……。
新緑色の輝きが、魔結晶から私へと流れ込んでくる。胸の奥底がほのかに熱い。
「時流しの魔法とは、時間を遡ることのできる魔法です」
「時間を……遡る……?」
新緑色の最後の一筋が私の中に入った瞬間、どくんっと強く何かが脈を打った。心臓じゃない、新しい何かが私の中で弾んだ。
タリスさんは私の目をしっかりと見て、告げる。
「マナさんには、この店の利用者の過去を調査してきてもらいます」