三日目、もちろん私は熟睡なんて出来ずに朝を迎えた。まだ、日も出ていない夜明け前だ。
果たして、今は朝と呼ぶのか。そんなどうでもいい疑問を浮かべながら、トキアさんの様子を見に行く。
もしかしたら、まだ寝ているのかもしれない。そう思ったが、野営地に彼の姿は無かった。荷物は置きっぱなしなので、出発してしまったというわけではなさそうだ。
「探しましょうか」
「ナァー……」
ナーはまだ眠そうですね。
いつもではあるけれど、今回は特にナーに迷惑をかけてしまっている。帰ったら甘いものをたくさん食べさせてあげよう。
建物が崩れてしまっているせいで、やたらと見晴らしは良い。トキアさんは存外すぐに見つかった。建物の隅で、何やら立ち止まっている。
もう少し近づくと、彼の口が動いているのが伺えた。
誰かと話しているのでしょうか。でも、こんなところに人がいるわけないですし……。
その疑問はそれまで陰に隠れていた部分が露わになって払しょくされる。
トキアさんの眼前には、私も見覚えのある少女がいた。小柄で、いつものように猛毒の果実をむしゃむしゃと食べる。勇者の前だというのに、ローブのフードを外して二本の角を堂々と見せていた。
パンダさん、どうしてここにいるのでしょうか。
しかし、冷静に考えてもこれまでの二回より、今回の場所の方が彼女には相応しい。なんせ、彼女は魔族。そして、ここは既に魔族領。
何ら不思議ではない……はずなのに、今までのせいで逆に違和感を感じざるおえない。
二人の会話はよく聞き取れない。しかし、トキアさんは敵対的な素振りを見せているわけでは無さそうだった。むしろ、過去に来てから一番表情が和らいでいるような。
しばらく話をしてから、やっぱりパンダさんが果物を食べ終えると同時にどこかへと去って行ってしまう。
本当、神出鬼没だし、去り際もよくわからない。おかしな魔族の少女だ。
その後、トキアさんは勇者の旅路を再開した。ひたすら、遥か先に見える魔王城らしき建物を目指して突き進む。しかし、この先まだ一年この旅が続くことを私は知っている。険しい道のりだ。
陽がてっぺんを少し越えた頃、トキアさんが急に足を止める。何かイレギュラーが起きたような気配はない。
ゆっくりと彼が振り向く。
「いつ奇襲してくるのかとずっと待っていたんだけど。もう三日だ。いい加減、僕の方から行かせてもらうよ」
その瞬間、肌が粟立つ。息苦しいほどの殺気が、恐らく私とナーに向けられている。
「早く、姿を見せなよ。でなければ、ここら一帯を吹き飛ばしたっていいんだよ?」
明確に敵認定されてしまっている。しかし、最初からバレバレだったとは。
私は観念して大岩から姿を晒す。すると、トキアさんは私を見た瞬間、その殺気を緩めた。
「おや、きみは……。いや、その姿は……」
あっけに取られるのも無理はない。魔族領に人間がいるのだから。しかも、ケット・シーに首を掴まれて。
「あの、怪しいものではないんです!」
と言ってみたものの、どう見ても怪しいものだ。
トキアさんは私を訝し気に眺め、何やら考え込んでいる。
さて、どう言い訳をしたものでしょうか……。
「えーと、私はとある魔族に捕まっていまして。命からがら逃げだしてきたといいますか……」
「あー、大丈夫だ。そういう設定は必要ないよ」
「……はい?」
トキアさんが一人で何かを悟ったかのように頷く。
「なるほど、大体理解したよ。面白い魔法を使うものだ」
あれ、もしかして時流しの魔法がバレているのでしょうか……。
私が困惑しているのを察したのか、トキアさんがやんわりと微笑む。
「それで、僕に何の用かな? 未来人の同郷さん」
ここまではっきりと言われてしまったのならば、もう誤魔化しようがありませんね。
それにトキアさんは時流しの魔法を知っている。ならば、ある程度話したところで過去も大きく変わったりはしないだろう。
「一応、ナーに――あ、このケット・シーに隠ぺい魔法をかけてもらっていたのですが、やはりアキトさんは欺けませんね」
「僕の真名まで知っているということは、僕は二度目ましてだけど、きみは違うんだね」
二度目……? 初めましての間違いなのでは?
「はい、マナと言います。トキアさんとは私も二度目ましてですね。もしかして、トキアさんも時流しの魔法をお持ちなのですか?」
「ん? 持っていないけれど、どうしてだい?」
「いえ、私が初めてトキアさんにお会いしたのは、言ってしまえば未来の話なので」
トキアさんがまたしても考え込んでしまう。何か難しいことでも言っただろうか。
ややあって、トキアさんははっとしたように顔をあげる。
「いや、すまない。僕の勘違いだった。女性を見間違えるなんて失礼な真似をしてしまったこと、どうか許してほしい」
「別に気にしてませんけど……」
人違いって、本当だろうか。どうにも引っ掛かる気がするけれど。
「それより、僕に何か用かい? ずっと後をつけていたけど」
少し、考える。本当のことを話してしまって大丈夫なのだろうか。良い誤魔化しがあるのなら、その方が安牌な気もする。
しかし、トキアさんは私の思案を読むかの如く付け加える。
「言っておくけれど、勇者の魔法には嘘の看破もあるからね」
……まっ、もうしょうがないですね。
勇者の魔法についても、追加でわかったので良かったと捉えましょう。
「私は魔法店『ノイアッシェ』の店員です」
「魔法店? 何だい、それは」
トキアさんはこの時点では、『ノイアッシェ』のことをまだ知らなかったようだ。
そもそも、一年前って『ノイアッシェ』はあったのだろうか。私もそれに関しては把握していない。
「魔法を買い取ったり、売ったりするお店ですよ」
「へー、そんなものがあるんだ。なるほど、何となく読めてきたよ。さては未来の僕、勇者の魔法を売りに出したんだね」
流石は本人と言うべきか。即座に答えにたどり着く。つまり、この頃から勇者の魔法を手放すことを考えていたというわけだ。
「はい、その通りです。――私はあなたの魔法を調査に参りました」
トキアさんは勇者の魔法について教えてくれた。
身体強化や各種属性の魔法、治癒の魔法など、要するに詰め合わせとなってたくさんの魔法を自在に扱えるらしい。
中には勇者の魔法を持っていなければ使うことのできない聖属性魔法とやらもあるみたいだ。おそらく、ヴァルジア戦で最後に使っていた白金色のあれが聖属性魔法とやらなのだろう。
そして、勇者の魔法における最大の魔法『魂狩り』というものがある。生物の魂を見て、嘘の看破や正体の偽り、対象の使える魔法を紐解く。応用すれば、魂の揺れで相手の動きを読むことも可能らしい。
何というチート魔法なのでしょうか。
もちろん、トキアさんが嘘をついていなければという前提の話だ。しかし、彼は自ら魔法を売りに出したことを見抜いたうえで教えてくれたのだ。嘘をつくメリットなど、どこにもない。
「なるほど、その『魂狩り』で私が時流しの魔法を使えることを見抜いたのですか」
「それもあるけどね、さっき出会った少女に言われたのさ。この先出会う人間は変わった魔法を使うと」
少女って、パンダさんのことですよね。どうして、彼女が私の魔法を知っているのでしょうか……。
いくら考えても、答えは出てこなかった。というか、急に色々と情報を詰め込んだせいか、やけに頭が回らない。
きっと、もう三日目の夕暮れということも相まっているのだろう。私の魔力が著しく減っているのだ。
しかし、当初の目的だった勇者の魔法については本人から訊くことが出来た。これ以上と無い収穫だ。
「あ、そう言えばデメリットについて話していなかったね」
「そんなものが存在するのですか?」
「勇者の魔法は特別でね。一つは嘘をつけなくなる。これは僕からしたら別に大したデメリットじゃない」
というのが嘘でないのならば、今までのトキアさんの話は正真正銘本当のことと言うことになる。今さら疑うわけじゃないけど。
「そしてもう一つは、魔物や魔族に対してひどく好戦的になってしまうんだ。だから、魔物や魔族の群れなんかを見つけてしまった時は大変だよ。様子見なんて出来ず、勝手に身体が獲物に向かっていってしまうんだから」
トキアさんは笑って言うけれど、とんでもない話だ。自制が効かずに死地へと踏み込んでしまうのだから。強力な魔法を使えたとしても、物量相手にどうしようもないことだってあるはずなのに。
「まるでバーサーカーのようですね」
「実際、その通りだよ。抑えようとしても頭が真っ白になってしまうんだからね。ただのチートなんていう旨い話はないってことさ。そうでなくとも、僕は魔族を一匹たりとも許したりはしないけどね」
トキアさんは不意に表情を曇らせる。真っ黒な瞳が、どこか遠くを見つめているように思えた。
「何かあったんですか……?」
トキアさんは歩みを止め、近くの岩場に腰を降ろした。長い話になると言われている気がした。
私も倣って腰を降ろす。
「実は僕がこの世界に来た時、もう一人同時に転移してきていたんだよ。あまりにもテンプレ的な話だけど、幼馴染だったんだ」
小さく頷く。とりあえず、口を挟むべきではないと思った。
「本当に急なことだったんだ。一緒に歩いていたら、突然景色が変わってこの世界に飛ばされてしまってね。女神とかには会えないんだね。マナさんは転生者だけど、どうだった?」
「私も女神とか、神様みたいな存在には会っていません。おそらく向こうの世界で死んだ瞬間、こちらで赤ん坊として生まれ落ちたんだと思います」
「そうか、すまない……」
別に謝られることもないのだけれど。
私は自分でも驚くくらい向こうの世界に未練がない。だって、ずっと車いす生活だったし、最後だって居眠り運転のタクシーに轢かれてしまったのだから。
きっと、脚が自由に動けば避けられたはずなのだ。そういう意味では、未練というより後悔は残っているのかもしれない。
「気にしませんよ。どうぞ続けてください」
トキアさんは少し息をつき、続けた。
「右も左もわからなくてね。それでも、どうにか僕の魔法で生活の基盤は整っていたんだ」
「その、幼馴染さんは何か魔法とか授からなかったのですか?」
「彼女は一般的な攻撃魔法をいくつか使えていたよ」
トキアさんと幼馴染さんの魔法は随分と格差があったのですね。
「やがて、僕の魔法がお偉いさんにバレてしまってね。何でも、勇者の魔法を持つ者は魔王を倒す宿命があるとか、なんとか。そんなわけで、ほとんど強制的に魔族領に放り出されてしまったんだ」
「しかし、その気になれば逃げることだって出来たんじゃないですか? どこか遠くの地で幼馴染さんと慎ましやかに暮らすとか……」
「そうだね。最初はそれも考えたんだ。でも、魔族領に放り出された瞬間、運が悪いことに魔族とかち合ってしまった……。それも四天王の一角に、ね」
トキアさんの表情は苦しそうで、なのにとても怒っているように見えた。
「それで、どうなったのですか……?」
「……当時の僕はまだ戦うことに慣れていなかった。だから、その戦いで僕は幼馴染を失ったんだ……」
ギリっと奥歯の鳴る音が聞こえた。
「彼女が付いて来ようとするのを僕が止めていれば、こんなことにはならなかった……。僕が……一瞬でも思ってしまったのがいけないんだ。独りは怖い。傍にいて欲しいと……」
勇者だって、ただの一人の人間だ。しかも、この世界を救う義理もない。そんな状況で、ずっと一緒にいてくれた人を突き放せたりするものか。
きっと、私だってトキアさんと同じ選択をする。大事な人だからこそ、異世界で一人になど出来ない。自分に力があるのだから、傍で守ってあげたいと思うのは不思議じゃない。
それでも、現実は残酷だ。トキアさんの隣には、もう誰もいない。彼はずっと独りだ。これまでも、これから魔王を倒すまでも。
「彼女を殺したのは魔族じゃない。僕だ……。今の僕はただ魔族に八つ当たりをしているに過ぎない。この世界のためだとか、そんな殊勝な理由なんて無いよ。ははっ、勇者失格だね」
無理矢理笑おうとするトキアさんを見るのは、とても苦しい。お門違いにも涙が出そうになった。
彼を目の当たりにして、自分なんて全然悲劇の主人公なんかじゃないと実感できた。彼の苦しみに比べたら、私の苦しみなど足下にも及ばない。
「……なぜ、未来のトキアさんが勇者の魔法を手放そうと思ったのか、少しわかった気がします」
「そうだね。四天王と魔王を倒せば、魔族だって徐々に駆逐されていくだろう。そうなれば、この力は無用の長物だ。どうせ、政治闘争か戦争に利用されるのがおちだよ」
役目を終えた勇者の魔法が、人の卑しい欲に利用されるのは容易に想像が付く。やっぱり、この時には既にトキアさんは勇者の魔法を手放すことを考えていたのかもしれない。
トキアさんが静かに立ち上がって、遠くを見遣る。
「ナァー!」
ナーも何故かトキアさんと同じ方角を睨みながら、威嚇するように鳴いた。その様子にトキアさんが少し驚いていた。
「優秀な子だね」
「急にどうしたんですか? ナーまで……」
トキアさんが剣を引き抜く。
「どうしたも何も、僕のやることは一つだけさ」
東の空を魔族の大群が埋め尽くしていた。
「す、すごい数……」
「大丈夫、問題ないよ。危なくなったら、未来に戻るといい。もう僕の傍で誰かが死ぬのは見たくないからね」
そう言い残し、トキアさんは地面を蹴りだす。
魔族が次々と蹴散らされていくのを見据えながら、私は無意識に唇を噛みしめていた。
視界がぱっと切り替わった。
いつも、この魔法の匂いが私を落ち着かせる。
「おかえりなさい」
そして、タリスさんの言葉に迎えられるのだ。
まあ、また肩をお借りしてしまっていたわけなのだが、最近の私は自重を知らない。これくらいの役得は貰っておいても損は無いはずだ。
店内を何気なしに見渡す。トキアさんの姿はそこにない。大方、長くなりそうなので、席を外しているのだろう。
「どうでしたか、勇者の旅路は」
「そうですね……。思っていたのとは少し違いました」
トキアさんの功績は御伽噺のように輝かしいものだけど、その実、あまり素直に受け止めることのできないものだった。
彼の苦しみを、痛みを、人々は知らない。
ずっと、彼は独りで戦ってきた。勝手に異世界に連れてこられ、理不尽に世界を託され、残酷にも大切な人を失った。
それでも、華々しい英雄で祭り上げられることを容認した彼は、結局紛れもなく勇者たりうる人間だと言っていい。
私ならきっとこの世界が恨めしくて、いっそのことその力で破壊してしまうかもしれない。
すっと頭を撫でられた。男性にしては細い指先が、まるで割れ物を扱うように優しく髪を梳く。
心臓の音、聴こえていないですよね……?
「勇者の魔法、買い取っても大丈夫でしょうか」
多分、問題はない。抽出した魔法はタリスさんにしか判別できない。だから、きっとお偉いさんが目ざとく探しに来ても、店の奥底で眠らせておけばいい話だ。
魔王はもういない。生き残った魔族も、やがては数を減らしていく。
もう、勇者の魔法は今の世界には必要ないのだから。
しかし、私にはまだ確認しなければいけないことが残っていた。
「私は『ノイアッシェ』の従業員です。公私は分けて考えなければいけません」
「といいますと?」
火照った頬を叩く。じーんっと鋭い痛みにやるべきことが明確に決まった。
「今のままでは、勇者の魔法を買い取ることはできません」
私にはまだ、トキアさんに訊かなければいけないことが残っている。
夜の空気はどこかもったりしている気がする。逆に、早朝の空気が軽く感じるのはどうしてなのだろうか。
帳を降ろしたこの世界は、星が良く見える。向こうの世界と何ら変わらない月が、まん丸と私とナーを見下ろす。太陽は傲慢に見えるけど、月は何だか寄り添ってくれているように思えて、私は好きだ。
トキアさんは街の外れにある丘で独り、賑やかな空を見上げていた。
「探しましたよ」
そう言うと、彼は私に目をくれるでもなく、酒瓶をくいっとなれない手つきで煽る。
「遅かったね。酔ってしまうところだったよ」
酒瓶の中身は半分と減っていない。だから、私は少し不思議に思った。
「お酒得意じゃないのに、飲んでいるんですか?」
ようやく、トキアさんが私に目を向ける。そして、恥ずかしそうに頬を掻く。
「最近、二十歳になったからね。どんなものか気になって初めて飲んだよ。こっちの世界基準では十五から飲めるらしいけど、やっぱり僕はまだ向こうの世界を引きずっているみたいだ」
酒瓶を向けられたけれど、私はゆっくり首を振る。トキアさんは「だよね」と軽く笑い、蓋をして地面に放った。
「向こうの世界に帰る方法は無いのでしょうか……」
「さあね、でもきっと戻れないと思うよ。だって、魔王を倒したからと言って、これはゲームじゃないから終わらないんだ。まだこの先、僕もマナさんも長い人生を生きることになるんだよ」
星が、空を瞬いた。弧を描いて一筋の軌跡を残す。
「マナさんには伝えておこうかと思うんだけど、」
トキアさんは大の字に寝転がる。その顔は、過去の彼よりも随分と晴れやかだった。
「魔王を倒した後に、神様に会ったよ」
「――えっ……?」
本当にそんな存在、いたんですね。
「女神様じゃなくて、男神様だったのは残念だけどね。しかも、めっちゃイケメンホストみたいな感じだった」
想像してみて、自然と笑いが零れた。それにつられてトキアさんも声を立てる。
「それで、どうだったんですか?」
「いやね、魔王倒してくれてありがとうって言われただけで、それ以外何もなかったよ。神様ってのはケチだよ。覚えておくといい」
「わかりきっていたことじゃないですか。何の説明も無しに転移させるし、転生させても前の世界の障害を引き継ぐし、ロクな神様じゃありません」
こんな世界で、私とトキアさんがちょっとくらい愚痴ったって、罰は当たらないだろう。
「でもね、一つだけ教えてもらったんだ」
「何をですか?」
「幼馴染のことだよ。どうしても気になってね。そしたら、本当は駄目なんだけどとか言って、渋々教えてくれたよ」
じわっとトキアさんの瞳が晴れやかに潤んだ。月明りがその虹彩を光らせる。
「この世界でも、地球でもない、どこか別の世界に転生して幸せに暮らしているってさ」
瞬いた拍子に、彼の頬を一つの流れ星が軌跡を残して零れ落ちた。
「良かったですね……でいいんでしょうか」
トキアさんは大きく息を吸い込み、長く吐いた。
「あぁ、本当に良かった……。これでもう未練もない。だから、僕は『ノイアッシェ』に来たんだよ」
ちょっと困った。公私混同しないと決めたのに、これでは随分と切り出しにくい。
「そのことなんですけど……」
それでも、私は私の職務を全うするほかない。
「今のままでは勇者の魔法は買い取れません」
「どうしてだい? 内容も、使い方も全部教えたつもりだったけれど」
「……勇者は嘘を付けないし、魔族は見つけたら絶対に始末する。そうでしたね?」
「そうだよ。ちゃんと合ってる」
トキアさんの瞳に嘘は見えない。それでも、まだ確認しなければいけないことが残っていた。
「では、どうしてパンダさんを見逃したんですか?」
あの時、私はしっかりと見ていた。彼がパンダさんと会話を交わし、そのまま別れたことを。
眼前のトキアさんは私を見つめて黙ったままだ。
「どれが、嘘なんですか? 勇者が嘘を付けないことなのか、魔族に対して衝動が抑えられないことなのか。どちらにせよ、今のままでは私は店長に許可を降ろせません」
ややあって、トキアさんはそっと立ち上がった。
「マナさんは今までたくさんの魔法を見て、触れてきたんだよね? そして、勇者の魔法についても、僕は何一つとして嘘はついていないと誓おう」
「じゃあ、どうして……」
彼はチラッと横を見た。そこに、いつの間にか少女が立っていた。
「パンダさん……」
トキアさんは私をじっと見つめ、緩やかに笑みを漏らす。
「大丈夫、マナさんなら答えにたどり着けるよ」
そう言い残し、彼はパンダさんの横を通り過ぎて去って行った。
今夜は風が強い。私の銀灰色の髪と共に、パンダさんの蒼黒色の髪が靡く。
いつものように突然目の前に現れ、ただ少し会話を交わしてどこかへ行ってしまう彼女。今日もその手にはウルの実があった。
「ナァー……」
ナーが呆れたように喉を鳴らす。
ウルの実の匂い、ナーは苦手ですもんね。
しかし、トキアさんといい、ナーといい、初対面の時から彼女への警戒心が無さすぎるのではないか。
彼女の頭部に嫌でも視線が吸い寄せられる。魔族のみに生える二本の白い角。それを見たら最後、生きてはいられないとまで言われるほど、魔族は人々に恐れられている。
トキアさんが圧倒的な力を持っていただけで、本来ならば魔族一匹で街が壊滅するような化け物なのだ。例外なく、残忍で、非道な生き物。
そのはずなんですが、ね……。
目の前の彼女はやっぱり私に危害を加えようとはしない。それどころか、トキアさんとも視線を交わしただけで、全くの素通り。
そんなイレギュラーは存在しないから、〝例外なく〟と言われているのに。
「こんばんわ、パンダさん」
ひとまず、挨拶から入る。
このタイミングで彼女が現れたことには、きっと何か意味がある。そう思わなければ、偶然で済ませられない。というか、いつもだ。彼女はまるで私がこの日、この時間に、この場所にいるとわかっているかの如く姿を見せる。
今回だって、あまりにもタイミングが良すぎた。
パンダさんは軽く頷く。そして、やっぱりウルの実にかぶりついた。これもいつものことだ。
「それ、やっぱり好きなんですか?」
「そんなわけない! 本当は二度と食べたくなんかない」
あまりの迫真の表情に引いてしまう。本当、どんな味なのだろうか。
「ナァー!」
ウルの実の果肉が露わになり、ナーが鼻をくしくしと掻く。
「……あなたは一体、何者なのですか?」
少し、緊張した。どんな返答が来るのか、微塵も予想がつかないからだ。あるとすれば、彼女も転生者ということ。そうじゃなきゃ、この世界に存在しない動物を名乗らないだろう。
「答えられない」
一言、彼女はそう呟いた。アーモンド状の瞳に、私の鏡像が覗く。
答えられないとは、すなわち何か隠しているか話せない事情があるということだ。
「どうして、私の前に何度も現れるのですか? 今日だって、私がここにいるとわかって来ましたよね?」
「それは私が視て、体験した実際のことだから。時間も場所も覚えている」
一体、パンダさんは何を言ってるのでしょうか。
話がかみ合っているのかすらわからない。
仮に彼女が転生者だとして、魔族は魔族だ。勇者の魔法の魔族を野放しに出来ないというデメリットが発動しないとは考えにくい。
トキアさんの言うことが全て真実なのだとしたら、どうしたって矛盾が生まれる。
もしかして、私は何か大きな勘違いをしているのでしょうか……。
「……落ち着いて、ゆっくりと彼との話を思いだして」
パンダさんは私を見据えて告げる。その見た目からは想像も出来ない、静かな物言いだった。
彼って、トキアさんのことだろうか……。
半年前――だけど、私にとってはつい昨日の出来事。まだ、鮮明に覚えている。
思えば、トキアさんの態度は少し変だった。敵だと思って迎え、私の姿――つまり魂を見て、すぐに彼は殺気を解いた。魂を見れるからと言って、その人が善人かどうかは判別できないはずだ。魔族領にいる人間など、警戒の対象なのではないか?
カチッと、歯車がかみ合う音がした。
違和感が、違和感でなくなっていく。まるで穴あきのパズルに大事なピースがはまったように、一つ埋まると、もう一つ埋まり、どんどんと頭の中で連なっていく。
「ま、まさか……」
私の仮説が正しければ、矛盾が解消される。いや、もうそうとしか考えられない。
『その姿は……』
タリスさんの言葉、あれはナーに掴まれて宙を浮いていることを指していたんじゃない。
『面白い魔法を使うものだ』
これは時流しの魔法を指してではない。
視線を上げる。まだ、私の中で解消されない疑問は残っていた。
眼前の少女を視察する。ボロボロの薄っぺらい布生地のみずぼらしい服装。地面を歩くその足は何も履かれていない。
先ほどまで気になっていた白い角には目がいかず、私の目線は彼女の下半身に釘付けになる。
その時、彼女が独り言のように呟く。
「砂漠の王様は、あの日の密会以降に生まれつき不自由だった左手の痺れが嘘のようになくなったらしい」
それ、今いる話だったのでしょうか。
そう思い、彼女の発言の真意に遅れて気が付く。
「ウルの実は猛毒。ダークエルフの秘魔法で浄化しても、くっっっそ不味いから、誰も食べない」
「もしかして、その実にはどんな――」
「それ以上は駄目」
私の発言を、彼女は止める。
ドクンッと心臓が強く鼓動を打つ。
彼女は続ける。
「過去を大きく変えちゃいけない。それが時流しの魔法のルール。だから、私が帰ってからなら、過去改変にならない」
やっぱり、そうだ。
彼女が何度も私の前に現れた理由。それは、過去改変にならないよう、私自身に気づかせるため。そのために、ずっとヒントをちりばめ続けてくれていたのだ。
「まだ、必要?」
「……いえ、もう十分です」
全部、わかりましたから。
彼女はゆるやかに相貌を崩す。
「そう。わかった」
ふっと彼女の姿が目の前から消え去る。まるで、今までそこに誰もいなかったみたいに、夜風が通り抜けた。
一人残された私は、空を見上げた。煌々と輝く満月は全部知っていたのだろうか。
やっぱり、あまり好きじゃないかもしれませんね。
流れ星が一つ零れ落ち、次々と空を駆ける。きっと、お願いをしても叶えてくれないのだろう。だって、神様ですら叶えてくれないのだから。
私の願いは、結局私が叶えるしかない。
流星群を眺め、私は呟く。
「ありがとうございます。――未来の私」
新緑色の輝きが、トキアさんから空の魔結晶へと流れ込む。
眩いばかりの輝きを放ち、やがて最後の一筋が吸い込まれる。
「はい、それでは勇者の魔法を買い取らせていただきます」
どさっとカウンターに置かれた金貨の山は、今まで見た買い取り額で一番多い。
それも、そうですね。なんせ、勇者の魔法ですし。
「ありがとう。憑き物が落ちた気分だよ」
勇者の魔法を憑き物って……。
「ホスト風の人からの罰が当たりますよ」
私とトキアさんは同時に笑いを零す。
タリスさんは首を傾げていたけれど、わからなくて当然。これはいわゆる異世界人ジョークなのだから。
「それで、トキアさんはこれからどのようなご予定で?」
「田舎で畑でも耕して暮らすことにするよ。魔王を倒した勇者がひっそりスローライフするのも鉄板でしょ?」
「ふふっ、ですね」
すると、私たちの会話を眺めていたトキアさんが、一つの魔結晶を取り出す。
「では、この魔法をお売りしましょう」
「これは?」
「『擬態』の魔法です。トキアさんは顔が知れていますし、見隠しには最適でしょう」
「あれ、でもこれって……」
私の戸惑いにタリスさんが頷く。
「昨夜、マナさんがトキアさんを探しに行った後、ネメリスさんが遠路はるばるお越しになって、買い取ってくれと。多忙のようですぐにお帰りになられましたけど」
そうですね。ネメリスさんにはもう必要が無いのでしょう。
しかし、偶然にしてはタイミングが良すぎる。まるで、誰かが裏で糸を引いているような……。
「それと、これも預かっておきました。先日、マナさんに入手するように頼まれたと。ダークエルフの秘魔法で浄化済みらしいですが、何のことやら」
トキアさんは小包から鮮やかな紫色の林檎のような果実を取り出した。なるほど、やっぱり、糸を引いている人物がいたらしい。
未来の私、手回しが良すぎますね。
トキアさんは喜んで『擬態』の魔法を買った。
これから彼は勇者ではなく、新しい人生をスタートする。そう思うと、今日が晴れ晴れしい門出だ。
「それじゃあ、またいつか。落ち着いたら、ぜひ一度遊びに来てくれると嬉しい」
トキアさんが私を見る。
「もちろん、その脚でね」
彼には勇者の魔法で私とパンダさんが同一人物だと見抜いていた。つまり、私の障害とその先のことについても知っているのだ。
「はい、是非!」
こうして、紛れもない英雄は勇者を引退した。しばらくは、勇者の突然の失踪で世間は持ちっきりになるだろう。
しかし、『ノイアッシェ』を出る彼の背中は、新しい未来に希望を携えているように見えた。
これでいいのです。
心地よい達成感と充足感に満たされ、また一つ、私の旅が終わった。
数日後。
私はまだ慣れない足取りで、孤児院へと向かった。地面を叩く重みに違和感はしばらく抜けそうもない。
少し、駆けてみた。身体を撫でる風が心地よい。
足を緩めると、心臓がバクバクと音を立てていた。それに、脚がじーんっと疲労を伝える。そのことが、たまらなく嬉しい。
騒ぎにしたくなかったので、ローズとルルナーゼさんにだけ挨拶をした。二人ともすごく驚いていたし、泣くほど喜んでくれた。だから、私もつられて少し泣いてしまった。
「この街をしばらく離れることになったので、お伝えしておこうかと」
「よがっだぁー! よがっだねぇ……!」
私に抱き着いて泣きじゃくるローズは会話にならなそうだ。私の脚が治ったことをこんなにも喜んでくれる親友がいると思うと、また涙が出そうになった。
「マナ、」
ルルナーゼさんが私の手を握る。温かい、私のこの世界での育ての人の手だ。
「タリスさんにご迷惑をおかけしないよう、楽しんでいらっしゃい」
「はい。いってきますね、ルルナーゼさん――ううん、お母さん……」
お母さんは瞳に涙を浮かべ、ゆっくりと微笑んだ。
「いってらっしゃい、私の可愛い娘」
お母さんのこの笑顔を、私は一生忘れないだろう。
二人に別れを告げ、孤児院を後にする。
街の入口へ向かう途中、『ノイアッシェ』の前を通った。窓の奥は暗く、店先の看板には張り紙がしてある。
『お店は臨時休業とさせていただきます。 店主:タリスより』
すっと建物を見上げる。こじんまりとした、小さなお店だ。ここで、私は人生を変える出会いにいくつも立ち会った。しばらく、ここに戻ってくることもない。
ふと、どうでもいいことを思いだした。
『擬態』の魔法は、魔法を行使される側が知っている人物にしかなれない。つまり、未来の私はトキアさんに『擬態』をかけてもらう前に、本物のパンダさんと出会っているということだ。
一体、魔族とどこでそんな出会いをしたのやら。でも、私がわざわざその姿を選んだのだ。
きっと、悪い出会いではなかったのでしょうね。
正門に向かうと、タリスさんとナーが既に荷物をまとめて私を待っていた。
「ナァー!」
遅い、と言っているらしい。
「さて、それでは溜まりに溜まっていた出張販売に向かいましょう。長い道のりになりますよ」
タリスさんが手を差し出す。私は強く頷き、しっかりとその手を取った。
私の肩にナーが乗る。
「ナー、まだ私に付いてきてくれますか?」
「ナァー!」
「ふふっ、ありがとうございます。頼りにしていますよ、相棒」
門が重厚な音を立てて開く。
ちょっぴり、怖い。でも、それ以上にワクワクが止まらない。
「では、行きましょう」
タリスさんの言葉に、一歩を踏み出した。
「はい! 異世界中古魔法店『ノイアッシェ』、出張販売旅の始まりです!」
私の脚は力強く地面を叩いた。
(了)