今夜は風が強い。私の銀灰色の髪と共に、パンダさんの蒼黒色の髪が靡く。
いつものように突然目の前に現れ、ただ少し会話を交わしてどこかへ行ってしまう彼女。今日もその手にはウルの実があった。
「ナァー……」
ナーが呆れたように喉を鳴らす。
ウルの実の匂い、ナーは苦手ですもんね。
しかし、トキアさんといい、ナーといい、初対面の時から彼女への警戒心が無さすぎるのではないか。
彼女の頭部に嫌でも視線が吸い寄せられる。魔族のみに生える二本の白い角。それを見たら最後、生きてはいられないとまで言われるほど、魔族は人々に恐れられている。
トキアさんが圧倒的な力を持っていただけで、本来ならば魔族一匹で街が壊滅するような化け物なのだ。例外なく、残忍で、非道な生き物。
そのはずなんですが、ね……。
目の前の彼女はやっぱり私に危害を加えようとはしない。それどころか、トキアさんとも視線を交わしただけで、全くの素通り。
そんなイレギュラーは存在しないから、〝例外なく〟と言われているのに。
「こんばんわ、パンダさん」
ひとまず、挨拶から入る。
このタイミングで彼女が現れたことには、きっと何か意味がある。そう思わなければ、偶然で済ませられない。というか、いつもだ。彼女はまるで私がこの日、この時間に、この場所にいるとわかっているかの如く姿を見せる。
今回だって、あまりにもタイミングが良すぎた。
パンダさんは軽く頷く。そして、やっぱりウルの実にかぶりついた。これもいつものことだ。
「それ、やっぱり好きなんですか?」
「そんなわけない! 本当は二度と食べたくなんかない」
あまりの迫真の表情に引いてしまう。本当、どんな味なのだろうか。
「ナァー!」
ウルの実の果肉が露わになり、ナーが鼻をくしくしと掻く。
「……あなたは一体、何者なのですか?」
少し、緊張した。どんな返答が来るのか、微塵も予想がつかないからだ。あるとすれば、彼女も転生者ということ。そうじゃなきゃ、この世界に存在しない動物を名乗らないだろう。
「答えられない」
一言、彼女はそう呟いた。アーモンド状の瞳に、私の鏡像が覗く。
答えられないとは、すなわち何か隠しているか話せない事情があるということだ。
「どうして、私の前に何度も現れるのですか? 今日だって、私がここにいるとわかって来ましたよね?」
「それは私が視て、体験した実際のことだから。時間も場所も覚えている」
一体、パンダさんは何を言ってるのでしょうか。
話がかみ合っているのかすらわからない。
仮に彼女が転生者だとして、魔族は魔族だ。勇者の魔法の魔族を野放しに出来ないというデメリットが発動しないとは考えにくい。
トキアさんの言うことが全て真実なのだとしたら、どうしたって矛盾が生まれる。
もしかして、私は何か大きな勘違いをしているのでしょうか……。
「……落ち着いて、ゆっくりと彼との話を思いだして」
パンダさんは私を見据えて告げる。その見た目からは想像も出来ない、静かな物言いだった。
彼って、トキアさんのことだろうか……。
半年前――だけど、私にとってはつい昨日の出来事。まだ、鮮明に覚えている。
思えば、トキアさんの態度は少し変だった。敵だと思って迎え、私の姿――つまり魂を見て、すぐに彼は殺気を解いた。魂を見れるからと言って、その人が善人かどうかは判別できないはずだ。魔族領にいる人間など、警戒の対象なのではないか?
カチッと、歯車がかみ合う音がした。
違和感が、違和感でなくなっていく。まるで穴あきのパズルに大事なピースがはまったように、一つ埋まると、もう一つ埋まり、どんどんと頭の中で連なっていく。
「ま、まさか……」
私の仮説が正しければ、矛盾が解消される。いや、もうそうとしか考えられない。
『その姿は……』
タリスさんの言葉、あれはナーに掴まれて宙を浮いていることを指していたんじゃない。
『面白い魔法を使うものだ』
これは時流しの魔法を指してではない。
視線を上げる。まだ、私の中で解消されない疑問は残っていた。
眼前の少女を視察する。ボロボロの薄っぺらい布生地のみずぼらしい服装。地面を歩くその足は何も履かれていない。
先ほどまで気になっていた白い角には目がいかず、私の目線は彼女の下半身に釘付けになる。
その時、彼女が独り言のように呟く。
「砂漠の王様は、あの日の密会以降に生まれつき不自由だった左手の痺れが嘘のようになくなったらしい」
それ、今いる話だったのでしょうか。
そう思い、彼女の発言の真意に遅れて気が付く。
「ウルの実は猛毒。ダークエルフの秘魔法で浄化しても、くっっっそ不味いから、誰も食べない」
「もしかして、その実にはどんな――」
「それ以上は駄目」
私の発言を、彼女は止める。
ドクンッと心臓が強く鼓動を打つ。
彼女は続ける。
「過去を大きく変えちゃいけない。それが時流しの魔法のルール。だから、私が帰ってからなら、過去改変にならない」
やっぱり、そうだ。
彼女が何度も私の前に現れた理由。それは、過去改変にならないよう、私自身に気づかせるため。そのために、ずっとヒントをちりばめ続けてくれていたのだ。
「まだ、必要?」
「……いえ、もう十分です」
全部、わかりましたから。
彼女はゆるやかに相貌を崩す。
「そう。わかった」
ふっと彼女の姿が目の前から消え去る。まるで、今までそこに誰もいなかったみたいに、夜風が通り抜けた。
一人残された私は、空を見上げた。煌々と輝く満月は全部知っていたのだろうか。
やっぱり、あまり好きじゃないかもしれませんね。
流れ星が一つ零れ落ち、次々と空を駆ける。きっと、お願いをしても叶えてくれないのだろう。だって、神様ですら叶えてくれないのだから。
私の願いは、結局私が叶えるしかない。
流星群を眺め、私は呟く。
「ありがとうございます。――未来の私」
いつものように突然目の前に現れ、ただ少し会話を交わしてどこかへ行ってしまう彼女。今日もその手にはウルの実があった。
「ナァー……」
ナーが呆れたように喉を鳴らす。
ウルの実の匂い、ナーは苦手ですもんね。
しかし、トキアさんといい、ナーといい、初対面の時から彼女への警戒心が無さすぎるのではないか。
彼女の頭部に嫌でも視線が吸い寄せられる。魔族のみに生える二本の白い角。それを見たら最後、生きてはいられないとまで言われるほど、魔族は人々に恐れられている。
トキアさんが圧倒的な力を持っていただけで、本来ならば魔族一匹で街が壊滅するような化け物なのだ。例外なく、残忍で、非道な生き物。
そのはずなんですが、ね……。
目の前の彼女はやっぱり私に危害を加えようとはしない。それどころか、トキアさんとも視線を交わしただけで、全くの素通り。
そんなイレギュラーは存在しないから、〝例外なく〟と言われているのに。
「こんばんわ、パンダさん」
ひとまず、挨拶から入る。
このタイミングで彼女が現れたことには、きっと何か意味がある。そう思わなければ、偶然で済ませられない。というか、いつもだ。彼女はまるで私がこの日、この時間に、この場所にいるとわかっているかの如く姿を見せる。
今回だって、あまりにもタイミングが良すぎた。
パンダさんは軽く頷く。そして、やっぱりウルの実にかぶりついた。これもいつものことだ。
「それ、やっぱり好きなんですか?」
「そんなわけない! 本当は二度と食べたくなんかない」
あまりの迫真の表情に引いてしまう。本当、どんな味なのだろうか。
「ナァー!」
ウルの実の果肉が露わになり、ナーが鼻をくしくしと掻く。
「……あなたは一体、何者なのですか?」
少し、緊張した。どんな返答が来るのか、微塵も予想がつかないからだ。あるとすれば、彼女も転生者ということ。そうじゃなきゃ、この世界に存在しない動物を名乗らないだろう。
「答えられない」
一言、彼女はそう呟いた。アーモンド状の瞳に、私の鏡像が覗く。
答えられないとは、すなわち何か隠しているか話せない事情があるということだ。
「どうして、私の前に何度も現れるのですか? 今日だって、私がここにいるとわかって来ましたよね?」
「それは私が視て、体験した実際のことだから。時間も場所も覚えている」
一体、パンダさんは何を言ってるのでしょうか。
話がかみ合っているのかすらわからない。
仮に彼女が転生者だとして、魔族は魔族だ。勇者の魔法の魔族を野放しに出来ないというデメリットが発動しないとは考えにくい。
トキアさんの言うことが全て真実なのだとしたら、どうしたって矛盾が生まれる。
もしかして、私は何か大きな勘違いをしているのでしょうか……。
「……落ち着いて、ゆっくりと彼との話を思いだして」
パンダさんは私を見据えて告げる。その見た目からは想像も出来ない、静かな物言いだった。
彼って、トキアさんのことだろうか……。
半年前――だけど、私にとってはつい昨日の出来事。まだ、鮮明に覚えている。
思えば、トキアさんの態度は少し変だった。敵だと思って迎え、私の姿――つまり魂を見て、すぐに彼は殺気を解いた。魂を見れるからと言って、その人が善人かどうかは判別できないはずだ。魔族領にいる人間など、警戒の対象なのではないか?
カチッと、歯車がかみ合う音がした。
違和感が、違和感でなくなっていく。まるで穴あきのパズルに大事なピースがはまったように、一つ埋まると、もう一つ埋まり、どんどんと頭の中で連なっていく。
「ま、まさか……」
私の仮説が正しければ、矛盾が解消される。いや、もうそうとしか考えられない。
『その姿は……』
タリスさんの言葉、あれはナーに掴まれて宙を浮いていることを指していたんじゃない。
『面白い魔法を使うものだ』
これは時流しの魔法を指してではない。
視線を上げる。まだ、私の中で解消されない疑問は残っていた。
眼前の少女を視察する。ボロボロの薄っぺらい布生地のみずぼらしい服装。地面を歩くその足は何も履かれていない。
先ほどまで気になっていた白い角には目がいかず、私の目線は彼女の下半身に釘付けになる。
その時、彼女が独り言のように呟く。
「砂漠の王様は、あの日の密会以降に生まれつき不自由だった左手の痺れが嘘のようになくなったらしい」
それ、今いる話だったのでしょうか。
そう思い、彼女の発言の真意に遅れて気が付く。
「ウルの実は猛毒。ダークエルフの秘魔法で浄化しても、くっっっそ不味いから、誰も食べない」
「もしかして、その実にはどんな――」
「それ以上は駄目」
私の発言を、彼女は止める。
ドクンッと心臓が強く鼓動を打つ。
彼女は続ける。
「過去を大きく変えちゃいけない。それが時流しの魔法のルール。だから、私が帰ってからなら、過去改変にならない」
やっぱり、そうだ。
彼女が何度も私の前に現れた理由。それは、過去改変にならないよう、私自身に気づかせるため。そのために、ずっとヒントをちりばめ続けてくれていたのだ。
「まだ、必要?」
「……いえ、もう十分です」
全部、わかりましたから。
彼女はゆるやかに相貌を崩す。
「そう。わかった」
ふっと彼女の姿が目の前から消え去る。まるで、今までそこに誰もいなかったみたいに、夜風が通り抜けた。
一人残された私は、空を見上げた。煌々と輝く満月は全部知っていたのだろうか。
やっぱり、あまり好きじゃないかもしれませんね。
流れ星が一つ零れ落ち、次々と空を駆ける。きっと、お願いをしても叶えてくれないのだろう。だって、神様ですら叶えてくれないのだから。
私の願いは、結局私が叶えるしかない。
流星群を眺め、私は呟く。
「ありがとうございます。――未来の私」