ネメリスさんの一件があってから随分と日付が経ち、相も変わらず私は過去を飛び回っています。しかし、ここ数日は珍しく暇な日々が続いていました。
時間がありすぎて、タリスさんが散らかしたカウンターもすっかり綺麗になってしまった。そのせいか、タリスさんはちょっと居心地が悪そうだ。汚したら、また私に怒られると思っているのだろう。
まあ、その通りですけど。
カウンターにぐにゃりと垂れる。ガラス窓から射し込む陽気な気配に、思わず二人のことを考えてしまう。
「気になりますか? ネメリスさんのこと」
不意にタリスさんが言う。
やっぱり、心の内を読む魔法は存在する。絶対に、今使われた。
「気にはなりますが、あまりお客さんに深入りするのもどうかと思いますし」
「そうですか、せっかくネメリスさんから手紙が届いたのですが」
タリスさんが既に手紙を広げて読んでいた。
「……読み終わったら、私にも見せてくださいね」
彼がちらっと私を見る。そして、手紙を二つに閉じた。
「いえ、マナさんは実際に見てくる方が良いと思います」
「見てくる……?」
「はい、時流しの魔法はだいぶ使い慣れましたね? 今なら、意識すれば正確な日付を指定して飛べるはずです」
そうだったのか。
てっきり、完全にランダムな年日に飛ばされると思っていました。
「でも、それって職権乱用というやつなのでは……?」
「おや、そんなことありませんよ。お客様のアフターケアもサービスの一環です」
物は言いようですね。しかし、タリスさんの厚意は素直に受け取っておくとしましょう。
私は逸る心を抑え、遥か西の国へと飛んだ。
真っ先に向かったのはもちろん酒場だ。昼間から飲んだくれている人を適当にひっ捕らえて話を聞く。
「ちょうど今日、この後王城で王妃様のお披露目があるらしい。婚約者はずっと秘匿にされていたから、皆こぞって見に行ってやがるよ」
なるほど、だから昼間とは言え、酒場はガラッとしているわけだ。
「ありがとうございます。私も行ってみますね」
酩酊した男性の視線が、私をつま先から頭までするっと流れる。
「嬢ちゃん。ダークエルフには気を付けな」
「……はい。ご忠告ありがとうございます」
やっぱり、この街の住人とダークエルフの禍根は思ったよりも根強いらしい。私は事情を詳しく知らないし、これ以上首を突っ込むつもりもない。というか、過去改変に繋がってしまうから、私は手出しが出来ないわけだ。
王城へと向かうと、そこには溢れんばかりの人だかりが出来ていた。人が多いと、猫に首を鷲掴みされている私はいつも以上に注目を集めるわけで、すごく居心地が悪い。
しかし、いくら人が多いと言っても何やら見られすぎな気が……。
「おい、例の侵入者だー!」
「捕らえろ!」
あー、なるほど。すっかり忘れてました。
「ナー……早く逃げてくださいぃいい!」
言い終わる前に、ナーがとんでもない速度で広間を駆け抜ける。
そう言えば私、この国ではお尋ね者でした。
ナーは広間の端にある大きな時計台の壁を垂直に昇る。そして、やがて宙に浮遊するように動きを止めた。
「――皆の者、よく聞いてくれ!」
魔法で拡声された男性の声が、広間中を響き渡った。皆の意識が私から、王城の方へと向く。
厳かに着飾ったリンデルさんがそこにいた。あの夜の、少しナヨナヨした彼と同じ人物だとは思えないほど、凛とした表情だ。広間を端からゆっくり眺望し、その威光を民に振りまく。
「これはギャップ萌えというやつでしょうか」
「ナー?」
そして、リンデルさんの横には見知らぬ女性が煌びやかな白いドレスを身に着け、寄り添っていた。
いや、知らないわけではない。間違いなく、あれは『擬態』を使ったネメリスさんだ。白磁の肌に、長くない耳。射るような鋭い目つきは、丸っとしたものに抑えられている。
どこから見ても、人間の彼女がそこにいた。
彼女はリンデルさん同様、広間を一望し、そして最後に上空を浮かぶ私にその視線を向ける。
「お綺麗ですよ、ネメリスさん……」
聞こえるはずもないのに、彼女は柔らかく微笑んだ。
「今日は、私の妻となるものを紹介したい!」
リンデルさんの声をかき消すように、広間から歓声が広がる。
良き王様なのですね。
やっぱり、これで良かった。そう思わされるほどに、人々の表情は明るかった。
「先代が崩御し、私が王の座を継いだとき、皆は不安に思っただろう。実際、私が成したことは多くない。しかし、それでもここにいる人々は、私に付いてきてくれた! 深く、感謝する」
リンデルさんの口上に広間からの歓声はより大きいものとなる。やはり、彼には王としての才覚がある。そう感じざるおえない。
「――だからこそ!」
ひときわ大きなリンデルさんの声が、歓声を貫くように放たれる。その圧に場の空気が締まった。まるで何か起きる前のような静けさが広間に広がる。
全員がリンデルさんの言葉を待っていた。
「……だからこそ、私は皆に嘘をつくことは辞めにしようと思う」
ざわっと少し緊張感が増す。
「私はこの国と、民草と、ここにいるネメリスと共に歩んでいく。そして、潜んで見ているであろう隣人の民にも、よく聞いてほしい」
魔力が満ちる。
ネメリスさんを眩い光が取り囲んだ。その光が消え落ちると同時に、広間がどよめきの声で埋まる。
「おい、あれはダークエルフじゃないか!」
「どういうことだ!?」
そんな声が、至る所から聞こえてくる。どんどんと増幅する疑念の声に心が痛んだ。
――でも、ネメリスさんはすごく、すっごく綺麗だった。
リンデルさんの、ネメリスさんの毅然な沈黙が、人々の言葉を奪う。まるで、ここにいる全員が二人に見惚れているみたいだった。
「過去のことを忘れろとは言わない。納得できない者がいることも承知だ。……長い間、いがみ合ってきた相手と、いきなり手を取り合えなどと言うつもりもない」
静かな、落ち着いた声だった。
「しかし、私は隣人とも良好な関係を築きたい。私とリンデルがわかり合えたように、いつか、人々とダークエルフが互いに認め合って共存出来る、そんな国にしたい。そのための努力は惜しまないとここに誓う。――どうか、私のわがままに付き合ってはくれないだろうか」
広間を沈黙が満たす。
その張り詰めた空気を切り裂いたのは、幼い少女だった。
「王女様、綺麗!」
あどけない、純朴な言葉だった。
瞬間、驚くくらい空気が軽くなったのが肌でわかる。
「いいぞー、王様!」
「昔のことなんて水に流せー!」
「王女様ー! お美しいですよー!」
「俺もダークエルフと結婚したいー!」
まるで何かが弾けたように、今日一番の歓声が巻き起こる。その様子を見て、私は自然と肩を竦めていた。
結局、一部の人の声が大きく聞こえてしまうのはこの世界でも同じこと。大勢はリンデルさんと同じ思いだったのだろう。ただ、それを口に出来ない雰囲気があっただけだ。
「やれやれ、してやられましたね」
まさか、『擬態』の魔法すらダシに使われるなんて。
最初からダークエルフと結婚すると言えば、ここまで認められていたのかは定かじゃない。彼らが皆に嘘をつかないという、真摯な姿勢を見せることが重要だったのだ。
ダークエルフの民がどう感じるかは、私にはわからない。過去のことは見に行けても、未来のことは知りようがない。けれど、きっと大丈夫だろう。
この国はダークエルフと手を取り合って、ますます発展する。砂の地に囲まれようと、豊かで、笑顔の絶えない素敵な国になるのだろう。
ネメリスさんの幸せそうな表情を見て、私はそう結論付けた。
時間がありすぎて、タリスさんが散らかしたカウンターもすっかり綺麗になってしまった。そのせいか、タリスさんはちょっと居心地が悪そうだ。汚したら、また私に怒られると思っているのだろう。
まあ、その通りですけど。
カウンターにぐにゃりと垂れる。ガラス窓から射し込む陽気な気配に、思わず二人のことを考えてしまう。
「気になりますか? ネメリスさんのこと」
不意にタリスさんが言う。
やっぱり、心の内を読む魔法は存在する。絶対に、今使われた。
「気にはなりますが、あまりお客さんに深入りするのもどうかと思いますし」
「そうですか、せっかくネメリスさんから手紙が届いたのですが」
タリスさんが既に手紙を広げて読んでいた。
「……読み終わったら、私にも見せてくださいね」
彼がちらっと私を見る。そして、手紙を二つに閉じた。
「いえ、マナさんは実際に見てくる方が良いと思います」
「見てくる……?」
「はい、時流しの魔法はだいぶ使い慣れましたね? 今なら、意識すれば正確な日付を指定して飛べるはずです」
そうだったのか。
てっきり、完全にランダムな年日に飛ばされると思っていました。
「でも、それって職権乱用というやつなのでは……?」
「おや、そんなことありませんよ。お客様のアフターケアもサービスの一環です」
物は言いようですね。しかし、タリスさんの厚意は素直に受け取っておくとしましょう。
私は逸る心を抑え、遥か西の国へと飛んだ。
真っ先に向かったのはもちろん酒場だ。昼間から飲んだくれている人を適当にひっ捕らえて話を聞く。
「ちょうど今日、この後王城で王妃様のお披露目があるらしい。婚約者はずっと秘匿にされていたから、皆こぞって見に行ってやがるよ」
なるほど、だから昼間とは言え、酒場はガラッとしているわけだ。
「ありがとうございます。私も行ってみますね」
酩酊した男性の視線が、私をつま先から頭までするっと流れる。
「嬢ちゃん。ダークエルフには気を付けな」
「……はい。ご忠告ありがとうございます」
やっぱり、この街の住人とダークエルフの禍根は思ったよりも根強いらしい。私は事情を詳しく知らないし、これ以上首を突っ込むつもりもない。というか、過去改変に繋がってしまうから、私は手出しが出来ないわけだ。
王城へと向かうと、そこには溢れんばかりの人だかりが出来ていた。人が多いと、猫に首を鷲掴みされている私はいつも以上に注目を集めるわけで、すごく居心地が悪い。
しかし、いくら人が多いと言っても何やら見られすぎな気が……。
「おい、例の侵入者だー!」
「捕らえろ!」
あー、なるほど。すっかり忘れてました。
「ナー……早く逃げてくださいぃいい!」
言い終わる前に、ナーがとんでもない速度で広間を駆け抜ける。
そう言えば私、この国ではお尋ね者でした。
ナーは広間の端にある大きな時計台の壁を垂直に昇る。そして、やがて宙に浮遊するように動きを止めた。
「――皆の者、よく聞いてくれ!」
魔法で拡声された男性の声が、広間中を響き渡った。皆の意識が私から、王城の方へと向く。
厳かに着飾ったリンデルさんがそこにいた。あの夜の、少しナヨナヨした彼と同じ人物だとは思えないほど、凛とした表情だ。広間を端からゆっくり眺望し、その威光を民に振りまく。
「これはギャップ萌えというやつでしょうか」
「ナー?」
そして、リンデルさんの横には見知らぬ女性が煌びやかな白いドレスを身に着け、寄り添っていた。
いや、知らないわけではない。間違いなく、あれは『擬態』を使ったネメリスさんだ。白磁の肌に、長くない耳。射るような鋭い目つきは、丸っとしたものに抑えられている。
どこから見ても、人間の彼女がそこにいた。
彼女はリンデルさん同様、広間を一望し、そして最後に上空を浮かぶ私にその視線を向ける。
「お綺麗ですよ、ネメリスさん……」
聞こえるはずもないのに、彼女は柔らかく微笑んだ。
「今日は、私の妻となるものを紹介したい!」
リンデルさんの声をかき消すように、広間から歓声が広がる。
良き王様なのですね。
やっぱり、これで良かった。そう思わされるほどに、人々の表情は明るかった。
「先代が崩御し、私が王の座を継いだとき、皆は不安に思っただろう。実際、私が成したことは多くない。しかし、それでもここにいる人々は、私に付いてきてくれた! 深く、感謝する」
リンデルさんの口上に広間からの歓声はより大きいものとなる。やはり、彼には王としての才覚がある。そう感じざるおえない。
「――だからこそ!」
ひときわ大きなリンデルさんの声が、歓声を貫くように放たれる。その圧に場の空気が締まった。まるで何か起きる前のような静けさが広間に広がる。
全員がリンデルさんの言葉を待っていた。
「……だからこそ、私は皆に嘘をつくことは辞めにしようと思う」
ざわっと少し緊張感が増す。
「私はこの国と、民草と、ここにいるネメリスと共に歩んでいく。そして、潜んで見ているであろう隣人の民にも、よく聞いてほしい」
魔力が満ちる。
ネメリスさんを眩い光が取り囲んだ。その光が消え落ちると同時に、広間がどよめきの声で埋まる。
「おい、あれはダークエルフじゃないか!」
「どういうことだ!?」
そんな声が、至る所から聞こえてくる。どんどんと増幅する疑念の声に心が痛んだ。
――でも、ネメリスさんはすごく、すっごく綺麗だった。
リンデルさんの、ネメリスさんの毅然な沈黙が、人々の言葉を奪う。まるで、ここにいる全員が二人に見惚れているみたいだった。
「過去のことを忘れろとは言わない。納得できない者がいることも承知だ。……長い間、いがみ合ってきた相手と、いきなり手を取り合えなどと言うつもりもない」
静かな、落ち着いた声だった。
「しかし、私は隣人とも良好な関係を築きたい。私とリンデルがわかり合えたように、いつか、人々とダークエルフが互いに認め合って共存出来る、そんな国にしたい。そのための努力は惜しまないとここに誓う。――どうか、私のわがままに付き合ってはくれないだろうか」
広間を沈黙が満たす。
その張り詰めた空気を切り裂いたのは、幼い少女だった。
「王女様、綺麗!」
あどけない、純朴な言葉だった。
瞬間、驚くくらい空気が軽くなったのが肌でわかる。
「いいぞー、王様!」
「昔のことなんて水に流せー!」
「王女様ー! お美しいですよー!」
「俺もダークエルフと結婚したいー!」
まるで何かが弾けたように、今日一番の歓声が巻き起こる。その様子を見て、私は自然と肩を竦めていた。
結局、一部の人の声が大きく聞こえてしまうのはこの世界でも同じこと。大勢はリンデルさんと同じ思いだったのだろう。ただ、それを口に出来ない雰囲気があっただけだ。
「やれやれ、してやられましたね」
まさか、『擬態』の魔法すらダシに使われるなんて。
最初からダークエルフと結婚すると言えば、ここまで認められていたのかは定かじゃない。彼らが皆に嘘をつかないという、真摯な姿勢を見せることが重要だったのだ。
ダークエルフの民がどう感じるかは、私にはわからない。過去のことは見に行けても、未来のことは知りようがない。けれど、きっと大丈夫だろう。
この国はダークエルフと手を取り合って、ますます発展する。砂の地に囲まれようと、豊かで、笑顔の絶えない素敵な国になるのだろう。
ネメリスさんの幸せそうな表情を見て、私はそう結論付けた。