妹と歩く、異世界探訪記

「冬也、冬也。これ! これは、必要なやつなんだな?」
「あぁ、多分な。俺も見ただけじゃわかんねぇんだ」
「冬也は詳しくないんだな。もっと勉強するべきなんだな。山さんに教えて貰うといいんだな」
「そうだな。せっかくだから、お前も一緒に習おうぜ」
「嬉しいんだな。でも、おでは賢いから、冬也よりいっぱい覚えるんだな」
「ははっ、確かにな。お前は賢いよ、ブル」

 ブルは、道具も使わず手で鉱山を掘り進める。そして鉱石を発見した時は、とても嬉しそうに破顔して冬也に見せつける。それは子供が宝物を、親に見せつける様子に似ていた。
 ブルの巨体であれば、砂遊びと大差は無いのだろうか。ブルは疲れた様子を見せない。寧ろ、楽しそうな顔で遊んでいる。
 また、嬉々として冬也に話しかける仕草を見ると、構ってくれる事が嬉しくて仕方ない様子も伝わって来る。

「山さん。これは何だ?」
「あぁ、お前さんが必要だと言っていた、魔鉱石だ」
「これが魔鉱石? 俺が知ってるのとは、違うぞ!」
「お前さんが知ってるのは、製錬された後の物だろう? 使うなら、その作業もしなければならん」
「山さん。魔鉱石は、何に使うんだな?」
「ブルよ。この鉱石は、人間の世界ではラフィス石と呼ばれておる。マナが溜め込める性質を持つから、人間達はこの石に魔法を封じ込めて使っておる」
「便利なんだな」
「あぁ。だけど、このままで役に立たない。不純物が混ざっておるからな。それに、この石は高温で溶ける性質が有る。解けた鉱石は、空気に触れると霧状になるから、製錬する際には注意が必要なんじゃ」
「難しそうなんだな」
「製錬作業は、俺がやる。前に鉄やガラスでやったから慣れてる。任せとけブル」
「おぉ。冬也は、やっぱり凄いんだな」

 ブルは、楽しそうに鉱山を掘り進める。そして、次々と様々な鉱石が掘り出される。新しい鉱石を見つける度に、ブルは冬也と共に山の神の講義を受ける。

 そして冬也は鉱石を選別しつつ、魔法を使って融解し不純物を取り除く。また、冬也は木々から太い幹などを貰い、大人が数人は入れる程の大きな木桶を幾つか作る。
 その作業を見ていたブルは、少し興味を持った様で目を輝かせながら冬也に話しかけた。

「木が冬也の言う事を聞くのは、凄く不思議なんだな」
「それは、俺も不思議だ」
「でも、もっと凄いのは石を簡単にドロドロにしちゃう所なんだな。山さんは注意しろって言ってたんだな」
「あぁ、これか? 確かにコツが要るな」
「どうやってやってるんだな?」
「これは、マナってのを使うんだ」
「マナ? それって何なんだな?」
「わかんねぇか? お前も持ってるんだぞ?」
「おでも? おでも冬也みたいに、石をドロドロに出来るんだな?」
「マナの使い方に慣れればな」
「やってみたいんだな」
「そっか。試してみるか」

 以前、ペスカに聞いた事が有る。この世界の住人は、植物に至るまでマナを保有していると。そして、目を凝らしてブルの体を覗けば、そこには人間とは比較にならない程の大量のマナが有る。

 体が大きいから保有するマナが多いのか、それともサイクロプスという種族特有のものなのかは、冬也にはわからない。
 しかし、これならばマナを扱えるのも苦労はしまい。それにマナを扱える様になれば、ブルが怪我をする事も少なくなるだろう。

 そして、冬也はブルの体に触れて、体内のマナを流動させる。

「おぉ。何だか温かいんだな」
「そっか。これがマナだ。今度は自分で体の中を流してみろ」

 自分で言っておきながら、直ぐには勝手がわからないはずだ。翔一が簡単にマナを扱えたのは、天才的な感覚の持ち主だからと言えよう。そんな翔一と比べては、流石にブルが可哀想だ。
 
 ブルに『マナの扱い方』をもう少し丁寧に教えなおそうと、冬也は少し思い直す。そして、ブルに話しかけようとした瞬間だった。

 ブルの体に異変が起きた。
 
「おぉ? おおぉ? なんか、凄いんだな」
「いや、お前。すげぇな」
「冬也。これはどうやって止めたら良いんだな?」
「止める必要はないぞ。ずっと流してたらいい」
「何か、体がぐぁ~ってするんだな」
「力が漲ってるんだろ? 直ぐにその感覚には慣れる」
「そうなんだな? それなら暫くこのままでいるんだな」

 冬也以前に、ブル本人でさえ予想外だったのだろう。ブルはいとも簡単にマナを体内で流動させた。
 もしかすると、『冬也のやった事をそのまま真似た』だけなのかもしれない。だが、それは純粋故に出来た事だろう。
 ただそのまま模倣する事は存外難しい。大抵の場合は、何かしら固定観念の様な物が邪魔をして失敗する。ブルにはそれが無かったのだろう。

「ブル。暫くその感覚に慣れろ。俺の作業をやるのは、慣れてからだ」
「わかったんだな。おではいっぱい掘るんだな。今なら、もっといっぱい掘れるんだな」
「掘る時は、手にマナを集中させてみろ」
「やってみるんだな」

 そう言うとブルは、体内のマナを手に集中させる。それがどれだけ大変な事なのか、ブルにはわかるまい。冬也でさえ長年に渡り、ペスカの『謎修行』を受けて来たから出来た事なのだ。

「すげぇよ、ブル。頼りにしてるぞ」
「任せるんだな」

 そこからの採掘スピードは、段違いに上がった。

 まるで道具を持ったかの様に、いとも容易く山を崩していく。それが楽しくて、はしゃぎ声を上げる。そして、「これ以上崩すと、山が無くなる」と山の神に注意される。

 それでも『楽しい』は止められない。それは日が暮れる頃、『ぐぅ~』と言う音が辺りに響き渡るまで続いた。

「お腹が減ったんだな」
「あぁ、今日は終わりにして飯にしようブル。助かったぜ。明日もよろしくな」
「良いんだな。楽しかったんだな」
「必要な量が採れたら、他にも手伝って貰う事があるんだけど、良いか?」
「何でも言うと良いんだな」
「頼りにしてるぜ、ブル」

 流石の冬也も、豪快な腹の音を聞いては作業を中断するしかあるまい。そして、冬也は木々に果物を持ってくる様に伝える。その光景が面白いのか、目を輝かせながらブルは木々が持ってくる果物を集める。

 少し拾い場所に大量の果物が置かれていく。その周りに『ドン』っとブルが座る。ブルと比べれば、冬也と山の神は『ちょこん』と言った所だろう。

「美味いか?」
「美味しいんだな」
「そっか、いっぱい食えよ」
「嬉しいんだな」
「冬也よ。そんなに実を収穫したら、直ぐに無くなってしまうぞ」
「大丈夫だ、山さん。ミュールの力を目一杯籠めたからな」
「全く、罰当たりな」
「こまけぇ事を気にすんなって。なぁ、ブル?」
「おでは、美味しいから何でも良いんだな」

 果物を食べつつ、冬也とブルは談笑する。会話をする両者の表情は、とても柔らかい。
 純粋だからこそ、ブルは冬也の暖かい神気を感じ取り、直ぐに懐いたのだろう。ぶっきらぼうで横柄な態度を取るが、冬也は面倒見がいい。
 対格差は余りにも異なる。しかし山の神にはこの二名が、兄弟の様に見えていた。恐らく、この出会いは運命なのだろう。そんな予感を覚える程に。
 一方、ゴブリンの集落では、その日の訓練を終えてヘトヘトになったゴブリン達が、広場に揃って夕食を取っていた。
 数は少ないが、自らの手で獲った獲物が含まれる。ゴブリン達にとって、生きた獲物を獲った事は、今までに無い経験であり、小さな達成感を得ていた。

 同時に力不足もゴブリン達は感じていた。

 いつかは与えられるのではなく、自らの力で充分な食料を獲りたい。
 歯噛みをする思いを感じながら、ゴブリン達は食事をする。過酷な訓練を乗り越える中で、ゴブリン達は与えられた現状を享受せず、自ら掴み取る事を重要視する様に思考を変えていった。
 
 食事が終わると、ゴブリン達はズマを中心に反省会を始める。
 どうすれば、訓練を乗り越え強くなれる。何が足りない、なぜ獲物を逃した。次は、どう工夫すれば良い。
 
 直ぐに強くなるとは思っていない。だが、少しでも目標に近づいていたい。
 日々の反省会は、エレナに言われる事なく、ズマが言い出し始めた事であった。反省会には、いつもエレナが立ち会っている。だが、今日の反省会には、ペスカも立ち会っていた。
 
 中央の広間に集まるゴブリン達に向かって、ペスカは語り始める。

「はっきり言うよ。これ以上やっても、直ぐには強くなれない。私達人間が、ドラゴンと力比べをしても、腕力だけじゃ絶対に敵わないのと同じ。それは種族の差なんだよ。種族の限界を超えられないとは言わないよ。でも直ぐに出来る事じゃない。凄く長い時間をかけて修行して、やっと超えられるんだ。直ぐには、強くなれないよ」

 ペスカの言葉は、これ以上も無い位に辛らつであった。

 ゴブリンは所詮ゴブリン。エレナから受けた特訓が無駄とは言わない。でも、その壁を超えるには、長い時間が必要になる。そう、一朝一夕で成し遂げられる事ではない。それを理解しているから、心に響くのだろう。

 力不足は、いつも感じている。

 走れば、教官であるエレナに、ついていけない。戦闘では、掠る事すら許されない。体力面でも、いつも先にダウンするのは、ゴブリン達である。
 だが、今更なのだ。知っている、力不足を理解している、だから必要な事を模索しているのだ。

 ペスカの言葉がどれだけ辛らつであろうと、ゴブリン達は俯かない。
 事実を正確に受け止め、次に進むための糧とする。成長を始めたゴブリン達は、あらゆる事を吸収している。
 だからこそ、ペスカは手を差し伸べるべきだと感じていた。一歩先に進みたい、彼らがそう思うなら尚更なのだ。

 エレナの行っているのは、基礎訓練に過ぎない。それで多少強くなったとしても、戦いの場では役に立たない。
 それならば、本当の戦いを見せてやればいい。か弱い人の子が、身体能力に優れたキャットピープルに勝つ所を。

「本気かニャ?」
「当たり前でしょ! それとも、エレナは出来ないの?」
「放出系と回復系は苦手ニャ。でも肉体の強化は得意ニャ。馬鹿にしちゃ駄目ニャ」
「それが出来れば充分よ」
「ペスカは、甘く見過ぎニャ。これでも私は、キャトロールで最強ニャ」
「本気でやらないと、怪我するよ」
「それは、こっちの台詞ニャ!」

 ペスカは半身を傾ける様に、右手と右足を前に出して構える。対してエレナは構えず、リラックスする様に、体を上下に揺らしている。

 開始の合図は無く、互いのタイミングで勝負が始まる。

 エレナが僅かにジャンプをし着地した瞬間に、突き出した拳はペスカの眼前にあった。ペスカは動揺する事無く左手で突きを捌くと、右の拳でエレナの鳩尾を打ち抜いた。

 一瞬の攻防は、ゴブリン達には見えていない。しかし、痛みで顔を歪めるエレナの姿だけは、しっかりと捉える事が出来た。
 
 エレナは直ぐに距離を取り、攻撃姿勢を取る。だが間髪入れずに、ペスカの回し蹴りがエレナの左側頭部に迫る。
 エレナは両手で蹴りをガードする。しかし、蹴りの勢いを殺す事は出来ずに、やや後方に飛ばされる。そして飛ばされた際に、エレナのガードが少し緩む。
 ペスカは更に回転して、エレナに蹴りを打ち込む。狙うのは、防御が緩んだ胴。ペスカの蹴りは、エレナの左わき腹を軋ませる。
 エレナは大きく飛ばされて、ゴロゴロと転がった。

 直ぐに立ち上がるエレナの眼前には、ペスカの拳が有る。ペスカの勝利である。しかし、ズマは一連の攻防が不思議でならなかった。
 なぜそんなに早く動けるのか。それは、人間とキャットピープルだけに許された技術なのか。ゴブリンには不可能なのか。
 考え込む様にし、ズマは眉間に皺を寄せる。その様子を見ていたペスカは、徐に口を開いた。

「ズマ、これは魔法なんだよ」
「魔法ですか?」
「私とエレナは、身体強化って魔法を使ったの。だから、あんなに早く動けたの。あんた達ゴブリンも、出来る様になるよ」
「本当ですか、ペスカ殿」
「嘘は言ってないよ。だってエレナは、常時マナで肉体の強化してるよ。多分、当たり前になって気が付いてないだろうけど」
「そう言われれば、確かにニャ」
「だから私達は、種族の限界を遥かに超えて、飛んだり跳ねたりしてるの」
「そんな絡繰りがあったとは。ぜひ、我らにもお教えください」
「まぁ、最初はマナのコントロールからだね。それから治療魔法を覚えて貰うよ。治療魔法はエレナも一緒に修行しなよ。後々役に立つと思うからさ」

 ペスカは本来、近接戦闘を得意としていない。ゴブリンを治療している所を見て、エレナは漠然とそう理解していた。それにも関わらず、圧倒された。理由はわかっている、マナの差だ。ペスカの場合は、既に神気と化しているのだが。
 エレナもまた、己の未熟を理解した。上には上がいるのだと。そしてこの一戦が、エレナにとって転機となる。
  
 そもそもペスカは、ゴブリン達を対トロール戦で使い捨てにする気は毛頭ない。この大陸でも通用する、立派な戦力に育てようと考えていた。
 それには自立する事は勿論、戦いの技術だけでも足りない。ゴブリンを始め多くの魔獣達は、傷付いても薬草を患部に貼り、自然治癒を待つ程度の医療技術しか無い。それでは幾ら鍛え上げても、戦いの中で朽ち天寿を全うする事は無い。

 彼らに必要な魔法は、治療魔法だとペスカは考えていた。

 治療魔法は、かつて空が体現した様に、身体構造を知っていれば効能が増す。ただ魔法自体が、あくまでもマナのコントロールが充分であって、始めて出来る技術である。
 ペスカは、手始めにマナのコントロールを、ゴブリン達に慣れさせようと考えた。

 それが、肉体強化の魔法。

 マナを使う際には、全身にマナを行き渡らせると、高い効果を発揮する。手足などの末端に、マナを漲らせる事は、マナがコントロール出来ている証でもある。
 そして肉体強化の魔法を使えば、個々の限界を遥かに超える能力を、使用することができる。これは戦いにおいて、大きなアドバンテージになり得る。

 ただしエレナの様に、マナのコントロールは出来るが、身体強化以外の魔法を苦手とする者は少なくない。マナのコントロール修行で、適性を見極め。治療魔法を教えるのが、ペスカの考えた第二ステップであった。
 
「関わったんだもん。絶対に無駄死にはさせないよ。勿論、エレナもね」

 だが、ペスカは忘れていた。エレナの耳は、猫と同程度に聴覚が鋭い。ペスカの想いを聞いたエレナは、笑みを深めた。

「さて、明日からは新たな訓練ニャ。私も参加する限り、貴様らが逃げ出す事は許さんニャ」
「勿論です教官。我々は、絶対に引かない! やり遂げて見せます!」

 やる気は充分。しかし、何から手を付けていいかわからない。それは当然だ。ズマは、魔法やマナなどの言葉自体を初めて聞いたのだ。対して、エレナは天才肌なのだろう。マナのコントロールは、誰かに教わった訳ではなく感覚的に行っている。
 流石のエレナも、ズマには教えてやる事は出来ない。両者は揃ってペスカを見る。
 
 ペスカは、少し溜息をつく。わかっていた事だ、自分が教えるしかない事は。そしてゴブリン達に、細い腕と同サイズの枝を持たせる。

「ズマ。これを折ってみて」

 ズマはありったけの力を込めるが、全く折れる気配は無い。それを確認すると、ペスカはズマの手に触れ、身体に流れるマナを外部から操作する。ズマの体内に流れるマナは、ペスカの操作で両手に集中していく。

「ズマ。何か力が流れる感覚わかる?」
「はい、ペスカ殿。何か不思議な力が、両手に集まっています」
「なら良し。その力を手に馴染ませる様にして」
「わかりました。こうですかな」

 ズマは、両手に集中したマナが、手と一体となる様に意識する。
 
「いいね。なら、もう一度枝を折ってみて」

 ズマは力を込める。次は驚くほどあっさりと、枝が折れた。ズマは驚愕の表情を露にし、他のゴブリン達もポカンと口を開けていた。

「な、なんですか。これは、なにが起こったんですか?」
「これが、肉体強化だよ。これが上手く出来る様になれば、直ぐに強くなれるよ」
「す、素晴らしい。こんな方法があるなんて!」
「力の流れる感覚を覚えておいてね。後は慣れだからね」
「わかりました」
 
 ズマは、ペスカにして貰った事を思い出し、体内でマナを流動させる事を意識し始める。その後ペスカは、他のゴブリン達にもマナが体内に流れる感覚を体験させた。

「これから毎日、朝と晩には、この訓練をするからね」

 ゴブリン達は、揃って掛け声を上げる。
 
 過酷な訓練による、ゴブリンの意識改革は終了を告げようとしている。今や戦士となったゴブリン達が肉体強化の魔法を使えば、直ぐに戦う技術も覚えるだろう。
 大陸最弱の種族は、生まれ変わろうとしている。やがてこの最弱の種族が、大陸を救う一助になる事は、今はまだ誰も知らない。
 ゴブリン達に、マナのコントロール方法を教えた翌朝の事である。日課の早朝ランニング前に、ペスカはゴブリン達に瞑想をさせていた。勿論、マナのコントロールとマナの総量を上げる為だ。

 ただの腕力ではどうにもならない事も、肉体強化魔法を駆使すれば可能になる事を目の当たりにしたゴブリン達は、目の色を変えて訓練に取り組んでいた。

 そしてペスカは、続くランニングや筋力トレーニングでも、マナを意識する様に伝えた。
 
 マナをコントロールするだけなら、そう時間はかかるまい。しかし、ゴブリン達は圧倒的にマナの総量が低い。人間の平均と比べてもだ。
 これが、魔獣の当たり前だとは思わない。頂点に存在しているのは、エンシェントドラゴンなのだ。マナを多く持つ種族だって、ゴロゴロ居るはずだ。

 マナの総量を上げるには、二つの方法が有る。一つは瞑想、二つ目はマナを使い続ける事。一つ目の方法は、冬也にやらせていた修行だ。
 冬也の場合、生まれ持ったマナが大きかった。しかし、長年に渡り瞑想を続けたから、冬也のマナ総量は『神に匹敵する程に増えた』と言っても過言では無かろう。

 今回に関しては、瞑想だけでは足りない。だから、訓練中にもマナを使わせる様に仕向けた。
 
 マナの扱いに慣れない段階で使い続ければ、疲労感は増すだろう。事実、一日終えた段階でゴブリン達は、ぐったりとしている様子だった。
 食事も改善された。筋肉も出来て来る頃だ。体力的にも訓練に耐えられる様になる頃だろう。
 そしてゴブリン達は、体全体から力が抜ける様な感覚を覚えていた。それは、マナを使用した為の疲労だ。

 たった一日では、明確な手ごたえは掴めない。ただ、これを続ければ間違いなく、マナの総量は増えていく。それに伴って、身体強化の効果も高まる。

 それは、単純に戦闘能力が向上する事を意味している。ゴブリン達は実感するのは、より効率良く狩りを行う事が出来る様になる頃だろう。「もしかすると、自分達は強くなってるのかもしれない」と。

 ただし、エレナの場合は別だ。

 エレナの場合は、今迄が適当過ぎたのだ。感で何となく肉体の強化が出来る様になった。敢えて訓練と言うならば、常時肉体の強化が出来る様にしただけ。特にマナの総量を多くする訓練はしていない。

 それで、キャットピープル随一の実力者なのだとしたら、天才と呼ばずに何と呼ぶ。そんなエレナがちゃんと訓練をすれば、計り知れない効果を齎すだろう。

「ん? 何か言ったニャ?」
「言ったよ。エレナは天才かも知れないって」
「そうニャ。よく言ったニャ。私は天才なのニャ」
「それでどう? マナの扱う感覚を、ちゃんと頭で理解出来た?」
「当然ニャ。それに私は気が付いたニャ。目にマナを集めたら、遠くまで見える様になるニャ」
「へぇ~。良い所に気が付いたね」
「そうニャ。でも、不思議ニャ。足にマナを集めると、走るのが楽になるニャ。でも、足が速くなる訳じゃないニャ」

 恐らく、ゴブリン達がこの感覚を掴める様になるには、相当の訓練が必要になるだろう。それだけ、エレナが言ったのは高度な事なのだ。

「いい、エレナ? 神経にマナを流すと良いよ」
「神経? それは何ニャ?」
「体を動かす時って、脳から神経を通じて命令を送ってるの」
「凄いニャ……」
「その神経にマナを流せば、体を動かすのも楽になるの」
「よくわかんないニャ……。もう少し、簡単に説明するニャ……」

 せっかくとばかりに説明したが、兄と同じ様な反応をされ、ペスカはがっくりと肩を落とす。この二人は似ているのだ。感覚的に物事を捉える所とかが。

 少なくとも、目にマナを纏わせると『目が良くなる』のではない。視神経を含む中枢神経にマナを通すから感覚が鋭くなるのだ。しかし、これ以上は神経系統の説明をしても仕方あるまい。

 兄だって、感覚的にマナを捉えて強くなったのだ。エレナもきっとそうなる。例え、ゴブリン達に質問されて答えられなかったとしてもだ。「知らないニャ」で済ませればいい。

「エレナは、それでいいよ」
「わかったニャ!」

 エレナは明るい表情で手を上げる。それは、エレナの長所であろう。挫ける事も有ったろう、悔しさに涙する事も有ったろう。それでも、彼女は明るく笑って乗り越えて来たのだろう。

 実際にドラグスメリアへ説明も無く送られて、途方に暮れただろう。先日においては、ペスカにコテンパンにやられて悔しかったろう。それでも、直ぐに気持ちを切り替えて笑うのだ。
 
「だから、エレナは強いんだね」
「ん? 何か言ったニャ?」
「エレナは凄い子だって言ったんだよ」
「そうニャ。私は凄いニャ」
「それより、エレナ」
「それよりじゃなくて、もっと褒めるニャ」
「それはもう良いんだよ。それよりさ、ゴブリンの訓練に実戦訓練を加えてよ」
「それはちょっと急ニャ。どうしたニャ?」
「こっちにも事情が……。いや、それ以前に時間が有って無い様な気がしてるんだよ」
「ちょっとよくわからないニャ。でも、実戦訓練はわかったニャ」
「実戦訓練と言っても、狩りを通じてかな?」
「狩りニャ? それで実戦形式ニャ? う~ん、なんとか考えてみるニャ」

 この日以降、ゴブリン達は身体能力向上と共に、狩りが実戦訓練の様相を呈していく。

 エレナはゴブリン達を少数の班に分け、偵察や哨戒、遠距離狙撃、近距離攻撃、後方支援と役割を分担して行動させた。

 索敵班は、身を潜めて獲物を探し、位置を仲間に知らせるのが役割である。仲間に知らせる際のジェスチャー等、伝達手段等が整えられる。密林の中で小動物を相手に、索敵と伝達の訓練を続けた。

 遠距離狙撃班は、ペスカが数時間で拵えたクロスボウを用いる。素人でも扱いやすいクロスボウはゴブリン達にも有用で、短時間で武器の特性にも慣れていった。

 近距離攻撃班は、遠距離狙撃班が撃ち漏らした獲物に、駆け寄って止めを刺す。鉄製の武器が無い為、木を尖らせた槍や、石を鋭く削ったナイフを用いている。これは、既に戦闘訓練で慣れている為、比較的にゴブリンの習熟度は高かった。

 無論、これは只の狩りではない。訓練だ。ゴブリン達は全身にマナを巡らせたまま、全ての行動を行う事になる。それは、彼等にとって過酷な訓練の始まりだった。

 そして後方支援班は、更に過酷だった。マナの扱いに慣れない上に、体の構造も禄に理解していない。そんな中での集中スパルタコースが、ペスカ指導の下で行われた。

 そして、エレナの指示と仲間達の賛同により、ゴブリン軍団のリーダーがズマに決まり、各班のリーダーも決まる。
 ズマと各班のリーダー達は、実戦訓練以外にも、戦術指導をペスカから受ける事となった。
 益々、密林での実戦を想定した狩りが繰り返され、ゴブリン軍団の戦闘能力は日増しに向上していった。
 鉱山で採掘中の冬也は、順調に進む採掘に鼻を膨らませていた。ただ、目の前に詰まれた鉱石を見て、ほくそ笑んでもいられない。全く疑問が解決していないのだから。

 冬也は、山の神を鉱山から少し離れた場所に連れ出す。そして冬也は神気を張り、自分と山の神を包む様に結界を張る。予想外の行動に、山の神は目を見開いた。

「なんじゃ、こんな所まで連れてきおって」
「山さん。あんた何も知らないって事は無いよな」
「何の事じゃ?」
「惚けんなよ、ロメリアの事だ。この大陸の東側に、糞野郎の置土産が有るんだろ? スールって野郎がいねぇのは、そのせいだろ?」
「知っておったか。まぁ、その通りじゃ」
「なんで、大陸の南にまで飛び火してる? 何か知ってるなら教えろ! こっちは、状況が全くわかってねぇんだ」
「残念だが、儂にも詳しい事はわからんよ」
「隠し事か? 神様ってのは、なんで非協力的なのが多いんだよ」
「そうでもないだろ。儂はかなりお主に協力しておるよ。それに儂は気が付いたら、閉じ込められてたんじゃよ」

 山の神は少し申し訳無さそうな表情にし、冬也は頭を掻いた。
 
「あんたは、山の神なんだろ。ただの土地神じゃねぇよな。そんな神様が、閉じ込められるって、どういう事なんだよ。かなりヤバイ状況じゃねぇのか?」
「そうとも言えん。お主が言っておったろ? 儂の信者は、ブルしかおらん。神気が弱ってるんでな、閉じ込められるのも仕方なかろう」
「あんた、俺の事を天空の地で見たって言ったよな! あれから、何日も経ってねぇんだよ! その間に閉じ込められたのか? それは流石におかしくねぇか?」
「確かにの」
「確かにじゃねぇんだよ! そんな呑気な事でどうすんだよ!」
「呑気も何も、言った通りだしな。仕方ないだろ」
 
 冬也は深い溜息をつく。

 神様に聞いても、何も情報が得られないなんて、思いもしなかった。ただ、冬也とて無駄に神気を使い、結界を張った訳では無い。
 冬也は大地に手をつき、神気を流し込んでいく。そして、問いかける様に呟いた。

「ミュール、聞こえてるんだろ。出て来い! あんたの支配地が侵されてるんだ、真相を全て教えろ! 出て来なければ、無理やりにでも引き摺り出すぞ!」

 冬也の言葉に、山の神は慌てて止めようとする。その額には冷や汗が流れ、強張った表情をしていた。

「馬鹿者! そんな乱暴な方法で、ミュールを呼び出してはならん!」
「あぁ? 乱暴な方法で、この大陸に俺達を送り込んだのは、ミュールじゃねぇか!」
「お主とミュールでは、格が違う! わきまえんか!」
「うっせぇよ、山さん! ぐだぐだ言ってると、あんたを人質にすんぞ!」

 冬也は、山の神を威圧する様に、睨め付ける。そして山の神は、更に顔を青くする。

「なんて事を言い出すのだ! 神を盾にするとは!」
「馬鹿言ってんのは、あんただろ! 俺にだってわかるぞ。あんたは、他の神とは違う。原初の神ってやつだろ?」
「確かにそうだが」
「そんな神が閉じ込められるなんて、よっぽどの事だって言ってんだよ! しかも、たった一日や二日でだぞ!」
「それは儂も不思議でならん」
「ったく。あんたが何も話す気がねぇなら、親玉を呼び出すしかねぇだろ! それとも、呼び出されたら都合が悪いのか?」

 冬也は少し声を荒げる。そして大地に神気を流し続ける。山の神は、無理にでも止めようと手を出すが、冬也の神気に弾かれる。

「なんて強い神気だ」

 山の神は、自分が冬也の神気に弾かれるとは思っていなかった。
 冬也の言葉通り、山の神は原初の神である。神気が弱まっているのは、ただの方便に過ぎない。冬也達が採掘に励んでいる間、山の神は神気の回復に努めていたのだ。

 万全とは言い難い。しかし、たかが神になったばかりの半神風情と、比べるまでもない。それなのに、冬也の神気に圧倒されたのだ。それを驚かずにはいられまい。

 そして冬也は大地に眠るミュールの神気と、自分の神気を繋ぎ呼びかけ続ける。その呼びかけに応える様に、冬也の目の前に光が集まった。
 
「うるさいわね。何なのよ!」

 冬也の結界内に、ぼんやりと透ける姿で、女神が顕現する。女神は、さも気だるそうな表情で冬也を見やった。

「神気を駄々洩れにして、あんた馬鹿じゃないの? あぁそう言えば、セリュシオネが言ってたわね。馬鹿だって」
「馬鹿を連呼すんじゃねぇよ、ミュール! 巻き込んでおいて、説明無しってどういう事だよ!」
「はぁ。ちゃんと説明はしたじゃない。どうせ、ちゃんと聞いてなかったんじゃないの?」

 そしてミュールは、溜息をついた後、山の神を睨め付ける。山の神は肩を落とし、ミュールから目線を逸らした。
 
「言っとくけど、私は暇じゃないの。用が有るなら、早く済ませて頂戴」

 ミュールは、酷く怠そうな態度で、冷たく言い放った。対して冬也は、声を荒げて言い返す。

「糞野郎の置土産は、大陸の東側じゃねぇのか? 何で大陸の南に影響が出ているだよ!」
「知らないわよ。それを調べるのが、あんた達の仕事でしょ?」
「知らない訳ねぇだろ! 大陸の南以外には、何処に影響が出てんだ!」
「だから、それを調べて教えなさいって言ってんの! わかんない子ね!」
「何を隠してやがる。吐きやがれ!」
「あんた、調子に乗るんじゃないわよ!」

 互いに譲らず、冬也とミュールはヒートアップする。段々口調は荒くなり、視線は鋭くなる。雰囲気を察した山の神が、仲裁に入ろうと一歩前に出るが、冬也とミュールの両方に睨まれる。

 冬也は、ミュールに喧嘩を売っている訳では無い。敢えて相手を熱くさせ、本音を引き出そうとしているのだ。
 もし、それで本音を引き出せなければ、自分の態度を改め、相手の心象を良くした上で再交渉する。人間相手では、そんな交渉術も通じただろうが、神相手に通じるはずが無い。

「あのよ、ミュール。この大陸の魔獣達が、色んな所で被害に遭ってるんだ。何とかしなきゃならねぇよ。頼む、知ってる事は教えてくれ」
「あんた達兄妹に、言える事は無いの。自分の力で調べなさい」

 冬也の柔らかい口調に合わせて、ミュールも優しく語る。結局、冬也の疑問を解決する答えは得られなかった。
 冬也は深い溜息をついて、ミュールから視線を逸らし、少し投げやりな態度で答える。

「わかったよ」

 これでは、冬也は納得しまい。それは、ミュールと山の神にも、わかっていた。しかし、全てを語れる時ではない。そもそも、感のいいペスカならともかく。冬也に全てを語っても、理解は出来まい。

 それでも山の神は、目の前にいる『口も態度も悪く乱暴な子供』を、憎からず思っていた。

 なにせ、冬也から貰った神気は、とても暖かく心地いいのだ。それに冬也がブルにさせている採掘作業は、自分の為ではあるまい。現状を打破する為に行っているのだろう。
 そして極め付けは、ブルと冬也の関係である。冬也を慕うブル、そんなブルの面倒を甲斐甲斐しく見る冬也。そんな姿を見れば、神とて心が温かくなる。

「お主、あのな」

 山の神の言葉は、最後まで続く事は無かった。
 ミュールに拳骨を落とされて、強制的に黙らされた山の神は頭を擦る。言葉を遮られた山の神に代わり、ミュールが口を開く。
 
「冬也。あんた二度とこんな方法で、私を呼び出すんじゃないわよ! 必要な連絡は私の部下に伝えなさい」
「部下って誰だよ!」
「鈍い子ね。あんたの目の前にいるでしょ! 他にも、この大陸には私の部下がいるから、頼るといいわ。じゃあね、頑張るのよ」

 ミュールは姿を消すのと同時に、冬也は結界を解いた。肩を落とす冬也の背中を、山の神がポンと叩く。

「儂もミュールも、お主の味方じゃよ。大丈夫じゃ。お主はお主らしく、大暴れすればよい」
「山さん……、意味がわかんねぇよ」

 多くは語れない。冬也でも、それだけは理解出来た。そして山の神の優しさに応える様に、冬也は作り笑いを浮かべる。
  
 五里霧中。

 そんな表現が適当ではないだろうか。
 問題が起きている事は事実である。しかし、どんな問題が起きているのかは、具体的ではない。そんな状況で対策を練ろうとも、効果的な案は出ない。
 
 冬也達は、ドラグスメリア大陸の降り立って、最初にゴブリンと出会った。だから、たまたま助けただけ。苦しんでいるから手を差し伸べる事は、間違っていないだろう。しかし、彼ら強くするのが正解なのかどうか、それは定かではないのだ。
 それでも、やはり苦しむ者がいる限り、迷わず前に進まねばならないのだろう。
 
「帰るか、山さん。ブルが待ってるかもしれねぇ」
「そうじゃな、冬也。儂も少しは手伝いをしてやるぞ」
「助かるぜ、山さん。ありがとな」
 それは密林が夜闇に包まれ、多くの生き物が寝床で休む頃。月夜さえ届かない暗闇を、真っすぐに歩く集団があった。
 巨大な棍棒を抱え、目をぎらつかせた集団は、三百は下らない数を持って一方向を目指す。明確な殺意を隠そうとせず、集団は進む。
 木々を薙ぎ払い、地を這う虫を踏みつぶす。密林が騒めくが、気にも留めない。言葉なく疎らに響く足音は、何もかもを押しつぶす意志が籠っていた。

 かつて、彼らは温厚な種族だった。他種族との争いを嫌い、収穫を分かち合う事が出来る種族だった。いつの日だったか、彼らの脳内に声が聞こえた。

 力を示せ。得る事が出来るのは、強者だけだ。
 強者であれ、弱者を踏みつぶせ、蹂躙しろ。いたぶる事は、最高の喜びだと知れ。踏みにじる事は、最大の甘美だと知れ。

 夜ごと聞こえるその声は、彼らを温厚的から嗜虐的に変えていった。そして悪意ある集団が出来上がった。
 彼らの近くには、大陸最弱と呼ばれる種族が暮らしていた。かつての隣人は、彼らにとって格好の的だった。隣人をいたぶる事は、とても気分が高揚した。彼らは、初めて快楽を覚えた。

 しかし、せっかく覚えた快楽を、邪魔する者が現れた。それは猿に似た、見た事の無い生き物。そして、ワーウルフに似た種族の雌である。

 数名が傷を負い、集落に戻った時は皆が驚愕した。
 特に、本能的な恐怖を感じた『猿に似た生き物』の話しは、多くの者が俄かに信じる事が出来なかった。
 そして仲間の傷を癒しつつ、屈辱を晴らすべく機会を伺った。

 再び、夜ごとに頭には声が響いた。
 復讐しろ。八つ裂きにしろ。薙ぎ払え。殺せ、殺せ、殺せ!

 日ごとに憎悪が高まる。憎悪と共に、力が強まる。
 丸太ほどに太い腕はより太く、皮膚はより頑丈に。元々大きな体は、より大きく強く変化していった。
 変化は大きさだけでは無い。彼らの身体は真っ黒に染まる。既に、元の種族と異なる容姿に変化していた。
 同族の回復を待つ日々は、彼らの苛立ちを募らせる。溜まりきった悪意が溢れそうな時に、声が聞こえた。

 さあ、蹂躙の時間だ!

 既に巨人ほどの大きさにまで成長した彼らは、軽々と木々を踏みつぶす。
 木々は伝える、彼との約束を守る為に。悪意ある者達の襲撃を。変わり果てた隣人の脅威を。

 ☆ ☆ ☆

 静まり返ったゴブリンの集落で、エレナが走る。そして一つの小屋の戸を開けて、大声で叫んだ。

「ペスカ、起きるニャ! 大変ニャ! なんかヤバそうなのが近づいてるニャ!」
「うっさい、エレナ。起きてるし、知ってるよ」
「あいつら何かヤバイニャ! あんなの見た事無い奴ニャ!」
「いや、あれはトロールだよ! あんた、この前やっつけたでしょ!」
「あれが、トロールニャ? 全く違う化け物ニャ! なんでニャ?」
「詳しい事は、後で教えてあげる。あんたは、早くゴブリン達を起こしなさい」

 密林の騒めきに、いち早く気が付いたエレナは、集落を出て周囲を探索した。
 夜目の利くエレナにとって、暗闇での行動は手慣れている。探索中にエレナが目にしたのは、巨人と見紛う体躯のトロールだった。

 慌てて集落に引き返したエレナは、すぐさまペスカの寝る小屋に向かう。勢い良く戸を開けると、既にペスカは起きて椅子に腰かけていた。
 そしてペスカは、密林の中で何が起きているのか、ほぼ状況を把握していた。
 
 冬也はゴブリンの集落を去る際に、二つの事を密林の木々に依頼している。
 一つ目は、ゴブリン達が自分の力で狩りが出来る様になるまで、獲物を集落に運ぶ事。もう一つは、ゴブリンの集落に危険が迫った時は、ペスカに知らせる事。

 ただし、知能の無い木々に、情報が伝達出来るのか? 『出来るが、漠然としたイメージしか伝わって来ない』、これが正解である。

 知能の無い木々に、情報を伝達をさせているのだ。正確な情報を得られると思う方が、間違いである。そして、漠然としたイメージだけ伝わっても、解読するのに時間がかかる。
 冬也の様に感覚的に捉える者ならば、それでも充分なのだろう。しかし、正確な情報となれば、話しは違う。
 そしてペスカは、これについて事前に対策を行っていた。それは、木々と意思疎通を図る上で、ペスカがかけた魔法である。

 危険迫る、巨大な化物、怖い、黒い。

 漠然としたイメージを言語に置き換えた結果が、単語の数々だ。これでも、ペスカが理解出来る様に改良を重ねたのだ。最初の内は、何を伝えたいのか全くわからなかったのだから。
 しかし、断片的でも危機が迫っている事さえわかれば、冬也が行った様に『神気を広げて辺りを探知』すれば良い。それで、事態の全容を把握する事が出来る。

 エレナの言葉通り、少々危険な相手だ。既に悪意に取り込まれている。それはかつてメルドマリューネで見た、怪物への変容に似ている。

「ったく、糞ロメ。こっちでも同じ事をすんの? 懲りないね」
「ブツブツ言ってる場合なのニャ?」
「わかってる。エレナは急ぎなさい! 私も準備をするから」
「わかったニャ!」

 ペスカの言葉を受けて、エレナが足早に小屋を出る。

 ズマを始めとした各班のリーダーを起こし、ゴブリン達を集める様に命令する。訓練を受けたゴブリン達は、迅速な動きで広場に集合した。
 月明りしか射さない集落の広場に、突然集められたゴブリン達は、揃って首を傾げる。だが、エレナの強張った表情を見れば、何か異常事態が起きている事は感じられた。

 ゴブリン達は、各班に分かれて整列する。ゴブリンが揃った後に、ペスカが広場に現れる。ペスカが到着した事を確認すると、エレナはゴブリン達を見渡す。

 そして静かに口を開いた。

「今、ここにはトロールの軍勢が迫っているニャ。お前達を襲った奴等は力を増し、更に強大になっているニャ」

 ゴブリン達に動揺が走る。かつての自分達が、手も足も出なかった相手が、更に強くなっていると知らされたのだ。動揺するのも、仕方がない事だろう。それだけゴブリン達にとって、トロールから暴虐はトラウマに近い。
 しかし動揺したのも一瞬の事、ゴブリン達は直ぐに静まりエレナの言葉を待つ。

「憶する者は、この場から去るニャ。責めはしないニャ」

 エレナの言葉に対し、ゴブリン達は微動だにせず直立する。戦う覚悟は、既に出来ているかの様に。
 過酷な訓練を乗り越えて来た、それは少なからずゴブリン達の自信となっていたのだろう。そして、今のゴブリン達には、逃げる選択肢などは無い。

 エレナは、再びゴブリン達を見渡す。

 逃げる者がいても、止めるつもりは無かった。むしろ命の脅威から逃げる事の方が、自然な感覚だろう。生命としては、その選択の方が正しい。
 だがゴブリン達の、立ち向かう強い意志を感じ、エレナ自身も熱くなっていた。

「良い覚悟ニャ。私がお前達を必ず勝たせてやるニャ!」
  
 そしてゴブリン達から、一斉に雄叫びが上がる。ゴブリンにとって因縁の戦いが、始まろうとしていた。
 集落の広場に集まるゴブリン達は、雄叫びを上げる。それは迫り来る脅威に対し、震える心を奮い立たせている様にも見えた。
 その中で、ズマが発言の許可を求める様に手を挙げると、集団より一歩前に出る。エレナは、周囲の興奮を鎮める様に手を叩き、ズマの発言を促した。
 
「我々は、夜目が利きません。密林の中では、まともにうごく事もままなりません」

 ズマの問いに、エレナは目を輝かせた。それは、最近見つけた宝物を拾うする子供の様でもあった。

「ズマは、マナのコントロールが出来る様になったニャ」
「はい。教官」
「マナを目に集めて見るニャ」

 ズマはエレナの言う通りに、マナを目に集中させる。エレナはズマの様子を見ながら、言葉を続ける。

「ズマ。そのまま、見える事を意識してみるニャ。強く意識する事が大事ニャ」

 俺の目は、何でも見通せる。暗闇でも昼間と同じく見える。そうだ、見える。見えるんだ。

 ズマは、暗闇でも見通せる事を強く意識する。少しの時間、目にマナを集めていた。やがて、何か違和感を覚えて目を開ける。
 不思議な事に、月明りしか射さない広場が、昼間の様に明るく見える。ズマは驚きの声を上げ、すぐさま他のゴブリン達に同じ事をさせた。

「ズマ。これは身体強化の一種ニャ。同じ様に、嗅覚と聴覚も強化する事が可能ニャ。極めれば、大きな武器になるニャ。覚えておくと良いニャ」
「承知しました、教官。しかし、トロール共も同じ事をしたのでしょうか? 奴らも夜目は利かないはず」

 エレナは、ズマの言葉に違和感を覚えた。確かに、闇夜でトロールが密林を進めるのはなぜか。

 以前エレナは、訓練中にズマに尋ねた事が有る。トロールとはどんな種族かと。元々温厚な種族が、なぜ嗜虐性を有する事になったのか。そして、自分が見た巨大な化物は何なのか。何もかもが、繋がらない。

 混乱し始めたエレナは、助けを求める様にペスカに視線を送る。

 エレナの視線を感じたペスカは、広場の外を見やる。離れた場所で話そうとしているのだろう。
 ペスカの意図を汲んだエレナは、ゴブリン達に待機する様に声をかけて、広場の外に歩き出した。そしてエレナの後に続き、ペスカも歩き出す。
 広場から離れると、極力抑えた声でエレナが問いただした。
 
「ペスカ。どういう事ニャ? 色々詳しく教えるニャ!」

 ペスカは木々達からの情報と冬也との通信で、ほぼ何が起きているか想定していた。
 何も知らされず、ドラグスメリアに連れて来られたエレナに、どこから話せば良いかペスカが少し逡巡していると、エレナから催促の声がかかる。

「やっぱり変ニャ。トロールの巨大化は、なんでニャ」
「エレナ。あれは、邪神の悪意にやられたんだよ」
「さっぱり意味がわからないニャ」
「キャトロールで見た様な、邪悪な神だよ」
「まだ意味がわからないニャ。邪悪な神様が何かやらかしたのかニャ?」
「奴らを変えたのは、悪意ってやつだよ。今のトロール達は、以前の数十倍の力が有るだろうね」

 エレナの顔が一瞬で青ざめる。

「そういうのは、早く言って欲しいニャ。あいつらを逃がすニャ!」

 ペスカの説明を聞いたエレナは、慌てて広場に戻ろうとする。それはそうだ。ようやく実戦訓練を始めたばかりのゴブリン達が、まともに戦えるとは思っていない。
 相手がペスカが語った通りの化け物ならば、ゴブリン達は全滅する。しかし、ペスカはエレナの手を掴んで引き留める。

「待ちなさいエレナ。ここで、ゴブリン達が逃げてどうするの!」
「まだ訓練途中のあいつらが、神の力を借りたトロールに、勝てる訳ないニャ!」
「勝てないなら、それで良いの。最悪、私が全部トロールを潰してあげる。でも良いの? ゴブリン達が抗う機会なんて、もう二度と来ないかも知れないよ」
「駄目ニャ。無駄死にはさせたく無いニャ」

 エレナの言う通り、ゴブリン達に勝てる要素は何も無い。
 変貌前のトロールが相手なら、戦略次第で充分な戦いになっただろう。しかし、今回の相手は力が違い過ぎる。
 マナを使った身体強化も、覚えたてだ。大した効力を発揮しないだろう。
 
「エレナ。不自然だと思わない? トロール達は、なんで急激な変化をしたと思う? ここだけじゃないの、お兄ちゃんが向かった鉱山地帯でも異変が起きてたみたい」
「何が変ニャ?」
「作為的なもの感じないかって言ってるの! もし、これが仕組まれたものだとしたら、相手の想定を超えないと、尻尾を見せないよ」
「陰で何か企む奴がいるから、そいつを引き摺り出したいって事かニャ?」
「そう! 大陸最弱のゴブリンが、巨大な敵を一蹴する事実を見せつけてやるんだよ! せっかく向こうから盤面を動かしてくれたんだもん。それに乗っかって、相手の意図を超えなきゃ。もしかしたら、何かの片鱗が見えるかもね」
「そんな事を言っても、どう戦うニャ?」
「密林の中では、ゲリラ戦法が一番だよ」

 ペスカは、エレナに具体的な作戦の詳細を説明する。所々でエレナは質問を交え、理解を深めていく。
 
「どう、エレナ? やれそうかな?」
「やるニャ! 任せるニャ! あいつらは死なせない! そして必ず勝つニャ」
「うん。重要なのは戦力を分散させて、各個撃破だよ」
「でも、結局は秘密兵器次第ニャ。あいつが作るのニャ。心配だニャ」
「まぁ、秘密兵器はもう届いてるんだけどね……」
「ん? 何か言ったニャ?」
「何も。エレナは作戦に集中!」

 ☆ ☆ ☆

 一方、数時間前の事。
 女神ミュールとの会談を終えた冬也は、ブルの待つ鉱山に戻っていた。隣には、山の神が添うように歩く。逡巡しながら歩みを進める冬也は、決断したのか徐に山の神へ話しかけた。

「山さん。あんたの厚意に、甘えさせてもらっていいか?」
「なんじゃ冬也。出来る範囲で、手伝うぞ。とは言え儂が出来る事は、余り無いがな」
「大丈夫だ、山さん。寧ろあんたとブルに頼るしかねぇ」
「いつに無く回りくどいのぅ。言うてみぃ冬也」
「上手く伝えられるかわからねぇから、直接イメージで伝えるよ」

 冬也は、立ち止まり山の神の手を握る。そして、神気を通じ自分のイメージを伝えた。
 冬也が伝えようとしていたもの、それはラフィスフィア大陸で、邪神の思惑を尽く潰してきた異界の兵器である。

「な、なんじゃこれは? そう言えばロメリアとの決戦で、お主等が変な武器を使っておったな」
「ライフルって言うんだ。急いでこれを十丁作りたい」

 冬也のイメージを受けた山の神は、慌てて冬也の手を離す。そして、叱りつける様に声を荒げた。

「お主、こんな武器を量産したら、この大陸の支配構造は、完全に破壊されるぞ」
「そうはならねぇよ。それにこんな武器を作れる奴は、俺達以外にいやしねぇ」
「そうは言ってもの、冬也」
「俺達は、この大陸に起こる異変を解決する為に、呼ばれたのかも知れねぇ。だけどよ、本当に戦わなきゃいけねぇのは、俺達でも神々でもねぇ。この大陸に住む奴らだ」

 冬也は山の神を見据える。そして力強い声で言い放つ。

「自然淘汰される種族は、どの世界にだっているさ。それが、世界の摂理なら仕方ねぇよ。でも、今回は違うだろ。糞野郎の犠牲者を、これ以上増やしたくねぇ。自分の身すら、碌に守れねぇ奴だっているんだ」

 冬也はラフィスフィア大陸で、理不尽な死を目の当たりにしてきた。だからこそ思う。『生物の生きる意味を、神が勝手に取り上げるな』と。
 全ての生物に、生まれた意味が有る。例え捕食される為だけに生まれたとしても、それにすら意味が有る。決して、神が好き勝手にして良いものでは無い。

 冬也は、そう告げたかった。

 そして、山の神は逡巡していた。

 冬也が情報の少ない手探りの中で、懸命に足掻こうとしているのを理解している。それ故、冬也を応援してやりたいと思っていた。
 だが、過度の干渉をすれば、それこそ世界の摂理を揺るがしかねない。それは、冬也の本意では無いだろう。
 この大陸の構造を揺るがしかねない事に、容易く頷く事は出来なかった。

「山さん。俺を信じてくれるなら、応えてくれ!」

 この馬鹿で真っすぐな半神は、決して間違いを侵すまい。だが、その善意を利用する者は、必ず現れる。だからこそ危うい、だからこそ野放しには出来ない。
 そもそも、この兄妹を利用する事に決めたのは、三柱の大地母神なのだ。この兄妹を見守るだけではない、背中を押してやる事が、自分の使命なのだろう。
 山の神は逡巡した後、ゆっくりと口を開いた。
 
「わかった。ただし制限は、付けさせてもらうぞ」
「どんなだ?」
「複数の者が使用する事は認めん。その武器を使用できるのは、本人限りとさせてもらおう」
「山さん。簡単に言うけど、どうするんだよ」
「儂が直々に、設定してやろう」
「ありがとう、山さん」

 冬也は山の神に、軽く頭を下げた。そして再び、歩みを進める。鉱山に到着した頃には、日が沈もうとしていた。
 冬也と山の神の帰りを、ブルが笑顔で迎える。
 
 到着早々に冬也は、ブルに夕食代わりの果物を勧められる。しかし、冬也を迎えたのは、ブルだけでは無かった。

「お兄ちゃん、聞こえる? こっちは不味い事が起こりそう。大至急、魔鉱石にマナキャンセラー込めて、五百個送って」
 ペスカの念話を受けた冬也は、思わず大声を上げた。

「どう言う事だペスカ!」
「トロールがモンスター化したっぽい」
「マジかよ。それで、森は瘴気化してるのか?」
「今の所、瘴気は振りまいてないよ。でも、このまま成長したら、時間の問題かも」
「それで? どの位の大きさのが必要なんだ?」
「手榴弾っぽく加工して欲しいの、それを五百個」

 流石に多い。今はブルが掘り出した鉱石を、魔鉱石に加工している段階だ。それも、五百個なんて数は無い。
 それに、聞く限り時間は余り無さそうだ。運ぶ時間も考えれば、今直ぐに送らないと間に合わない可能性だってある。

「手榴弾っぽくって事は、投げやすければ形はどうでも良いって事か?」
「それと、対象にぶつかったら爆発するように加工して欲しいの」
「それで、手榴弾なのか。ただ、加工には少し時間がかかるぞ。時間がねぇんだろ?」 
「どの位かかりそう?」
「そうだなぁ、一時間は欲しいな」
「ん~。まぁ、その程度なら問題ないかな? それで数は?」
「取り合えず、二百個が限度だな。その代わり俺の神気を込めてやる。残りの三百個は、後から送る」
「おぉ、ならそれで良いや」
「マナキャンセラーで良いんだな」
「うん。一応、切り札なんだから。頑張ってね」
「やってみるから、待ってろ!」

 冬也は急いで、鉱石が積まれた場所へ駆け寄る。そして、ブルに向かい大声を上げた。
 
「ボブ! わりぃけど手伝ってくれ!」
「名前を間違えるのは失礼なんだな。冬也、慌てても良い事無いんだな」
「わりぃブル。ともかく、お前が今日掘った中に、魔鉱石が入ってるはずだ。魔鉱石だけ分けてくれ」
「もう分けてあるんだな。おでも覚えたんだな」
「じゃあ、それを持って来てくれ」
「わかったんだな」

 冬也の表情は、いつに無く硬く強張っている。尋常じゃない様子と、断片的に聞こえた話し声から、山の神は異常事態を察した。

「冬也、何が起きた?」
「トロールの連中が、糞野郎の悪意に呑まれたみたいだ。モンスター化が始まってやがる」
「何じゃと! それでどうするのじゃ!」
「ありったけの魔鉱石に細工をする。上手く行けば、奴らを元に戻せるかもしれねぇ」
「モンスター化すれば、止める事は出来んじゃろ!」
「わかってる。代わった体は元に戻らねぇ。だけど、魂は清浄化できんだ。見てろ山さん、ペスカの技術を」

 冬也は険しい表情のまま、山の神に視線を送る。やがて既に製錬したものとは別に、ブルが仕分けた分を運んで来る。

 冬也は魔鉱石の原石を全て足元に集めた。その一つを手に取り、しっかりとイメージを固める。

 サイズは手のひら大で有る事。マナキャンセラーの魔法を封じ込める事。魔鉱石が対象に当たると、爆発し魔法が発動する事。

 そして、冬也は神気を高める。神気の高まりと共に、手のひらに有る魔鉱石の原石は光に包まれる。加工されていない魔鉱石の原石から、次々と不純物が取り除かれていく。
 やがて精錬された魔鉱石は、光を吸収しながら丸みを帯び、楕円の形が整っていく。

 ブルは、その神秘的な光景に歓声を上げる。山の神さえ、驚きの声を漏らした。

「綺麗なんだな。冬也は凄いんだな」
「お主、存外器用じゃの。どんな効力なんじゃ?」
「マナと精神の異常を、同時に鎮めるんだ。そうだ、ブル。試しに一個投げてみてくれ」

 冬也は何も無い平地に、大きなバツ印を描く。ブルに指示し、完成した手榴弾型の魔鉱石を、バツ印を目掛けて投げさせる。
 放り投げられた魔鉱石は、バツ印に当たると爆発して光を放った。

「一先ずは成功だな。魔法の効果は確認出来ねぇけどな」
「光る以外に、何か起こる予定だったんだな?」
「ブルよ。恐らくあれは、悪意による異常を打ち消す魔法だろうな」
「よくわからないんだな」
「それよりブル。これから作るやつを、あの大きな木桶に全部入れてくれ」
「わかったんだな」

 そこから先は、数を用意するだけの単純作業だ。しかし、数は多い。それに時間もない。だからこそ冬也は、先に成功した手順をルーティン化した。

 焦ったり、窮地に追い込まれた時こそ基本に戻れ。それは、格闘技を習う中で学んだ事だ。
 焦りは失敗に繋がる。それは、更に自分を窮地に追い込んでしまう。そうならない為の基本なのだ。

 だから、一つ一つ丁寧に。

 そうやって、冬也は手榴弾型の魔鉱石を作り上げていく。そしてブルは、完成した魔鉱石をまとめて木桶に放り込む。
 一先ず目的の量を作り上げると、冬也は「大急ぎで集落に木桶を運ぶ様に」木々に向かって念じた。そして木々は蔦を伸ばし、物凄いスピードで木桶を運んでいった。

「冬也。お主の言っていた武器は、作らんで良いのか?」
「あれが必要になるのは、今後だ。どんだけ馬鹿でかくなっても、所詮トロールだろ。あんなのも倒せねぇなら、これ以上あいつ等を鍛えるのは無駄だ」
「辛辣じゃのう。まぁ、ゴブリンに並みの強さを要求するのは、酷ってもんじゃ」

 確かに辛辣かも知れない。
 ゴブリンが生きる為の充分な力を得たなら、彼らの訓練はお終いで良いと冬也は考えていた。戦力になるか否かは、この戦い次第。トロールとの一戦は、ゴブリン達の見極めでもあった。
 
 ☆ ☆ ☆
 
 時は戻り、夜闇がゴブリンの集落を包む。広場に戻ったエレナは、ズマに命じ対トロール用の班別けを行わせた。

 先ずは、索敵班、遠距離狙撃班、近距離攻撃班、後方支援班の各班から、一名づつ選別しパーティーを組ませる。
 その内、十のパーティーは直ぐに出発、残り十のパーティーは、集落で待機させる。

 エレナがゴブリン達に伝えた作戦は、非常に単純である。

 先発したパーティーが、それぞれ密林の中に潜み、『神経毒を含ませた弓』を使い遠距離から狙撃する。そして戦力を分断する様に、トロールを引き付けながら、繰り返し遠距離攻撃を続ける。
 トロールが徐々に弱ってきた所で、一体を複数で近距離攻撃し意識を奪う。

 トロール三百に対しゴブリンは四十、数の差は歴然。
 巨人の様な体に変化したトロールと、やっと身体強化を覚えたばかりのゴブリン、戦力の差も歴然。もし、唯一のアドバンテージが有るとすれば、密林が味方になる事であろう。
 
 木々を踏みつぶし、薙ぎ払いながら進むトロールを、密林は決して許さない。
 冬也やペスカと信頼関係を築いた密林は、必然的にゴブリンに対して友好であろうとしている。地の利はゴブリン達に有る。

 素早い行動と、的確な狙撃。それは集団での狩りで、日々鍛えられた。後は、如何に実戦をこなせるか。圧倒的な力の前に、怯まず戦えるか。
 ゴブリン達が血反吐を吐きながら耐えた、訓練の成果を見せる時が訪れた。

 そして、先発のパーティーが密林に潜る。戦況はペスカが遠目の魔法で監視する。ペスカは戦況をエレナに伝える。そして直接的な指揮をズマにさせた。
 
 木々を薙ぎ倒しながら真っすぐ進むトロール達は、自分達の居場所を教えている様なものだ。
 先発隊は、直ぐにトロールを見つけ、狙撃の位置取りをする。ただ遠目でも、その巨大さはわかる。頭は密林の木々よりも、高い位置にある。
 巨人と同様のサイズに変わったトロールを見て、ゴブリン達は息を呑んだ。

 だが、怯む訳にはいかない。

 何の為に訓練に耐えて来たのか。今、この時の為に乗り越えて来たのだ。ゴブリン達は己を鼓舞する様に、それぞれの胸を軽く叩いた。

 パーティーに一体ずつ配置された遠距離狙撃組が、一斉にクロスボウを構える。そして息を殺し、トロールが射程範囲に近づくのを待つ。

 狙うのは、赤黒く光るトロールの瞳。

 汗がゆっくりと、ゴブリン達の頬を流れる。最初の一撃を成功させる為に、激しい緊張がゴブリン達を包む。一秒がとても遅く感じられる。じりじりとトロールは迫る。
 否応なしに手が震え、照準がぶれ始める。そんな時、ゴブリン達はふとエレナの言葉を思い出した。

「必ず当たると信じるニャ。その想いをマナに込めて、矢を放つニャ! 肝心なのは信じる事ニャ。落ち着いたら必ず出来るニャ! お前の矢は必ず当たるニャ!」

 そして、数本の矢が放たれる。木々を潜り抜け、真っ直ぐに矢は進む。放たれた矢は、トロールの瞳を深く抉った。
 
 トロールの大きな呻き声が上がる。それは、戦いの合図となった。種族の命運をかけた、激しい戦いの幕が上がる。
 トロール軍団の前方を歩いていた、数体の目に矢が深く突き刺さる。激しい呻き声が、密林に響き渡る。
 そしてトロール達は、周囲を見渡した。敵が潜んでいる、だがその姿は見えない。立ち止まり、周囲を警戒するトロール達に、再び矢が降り注いだ。矢は、的確にトロール達の目を捉える。

 突き刺さった矢は、トロール達の目を深く抉る。巨大になり過ぎたトロールの手では、ゴブリン達が放った矢は小さすぎた。指先で摘まみ取る事も出来ずに、悲鳴を上げた。

 痛みのあまり、トロール達は片膝を突く。
 
 そして、更なるゴブリン達の一斉射撃。弓は真っすぐにトロール達に向かう。この時、密林はゴブリンの見方であった。矢を遮る事なく、木々は枝を寄せる。

 更に数体のトロールが、視界を閉ざされた。

 トロール達は、怒りの咆哮を上げる。密林の中から、弓が放たれたのが薄っすらと見えていた。何者かに狙われているが、依然として姿が見えない。
 トロール達は、怒りに任せて棍棒を振るう。大きく振り回し、密林を無尽蔵に破壊していく。

 トロールの一振りで、木々が粉々に破壊されて行く様は、ゴブリン達には脅威だった。当たれば間違いなく、体は粉々に砕かれる。棍棒の風圧でさえ、ゴブリン達は吹き飛ばされるだろう。
 
 これが、本物の戦場だ。

 ゴブリン達の肌は一斉に粟立つ。しかし、怯んでいては死が待ち受けるだけ。ゴブリン達は移動を繰り返し、狙撃地点を変えて弓を放ち続けた。

 巨大化したトロール達は、密林から頭だけが出ている様な状態である。そして、それが災いとなった。
 ゴブリン達からは狙いやすい。トロール達は木々の間から、目の前に突如として現れた矢を避けられない。

 次々とトロール達は、膝を突いた。

 地の利が遺憾なく発揮され、序盤の攻防はゴブリン達の優勢に見えた。しかし、数に勝るトロール達の、勢いは止まらない。
 膝を突いた群れの一割を見捨て、再び前進を開始する。ひたすらに全てを蹴散らさんと、棍棒を振るう。

 作戦では、ここでトロールを怒りで暴走させ、分散させる予定だった。しかし、トロール達は仲間が傷つく事を、気にも留めていない様子である。
 巨体の大軍が真っすぐに集落へ向かう。トロール達の予定外の行動に、ゴブリン達に焦りが生じた。

 焦りは油断を生む。

 一定の距離を保ち、攻撃をしていたパーティーの一つに、トロールの棍棒が飛ぶ。大地に棍棒が、深く突き刺さる。
 ゴブリン達は風圧で吹き飛ばされ、土砂で深いダメージを受けた。

 ズマは指笛で、近くのパーティーに合図し、傷付いたパーティーの回収を急がせる。だが、飛んでくる矢が減った事で、トロールが対抗策に気付いた。

 トロール達は、周囲に向かい一斉に棍棒を投げつけた。雨の様に、巨大な棍棒が降り注ぐ。間一髪で避けるものの、ゴブリン達は撤退を余儀なくされた。
 
 クロスボウの射程範囲を優に超える距離から、棍棒が降り注ぐ。近づく事すら出来ない状況に、ズマは焦れた。
 当初エレナから授けられた作戦と、今は状況が異なっている。自分達の持つ武器は、クロスボウと尖らせた石だけ。
 よっぽど急所を突かない限り、トロールの頑丈な皮膚には、傷ひとつ付けられないだろう。

 作戦指揮を執るズマは、ペスカとエレナの指示を仰ぐ為に、急いで集落へ戻った。しかしペスカは、ズマを激しく叱り飛ばした。

「指揮官が何しに戻って来たの? 仲間を見捨てる気?」
「いえ。滅相もありません。私はただ」
「ただ、何よ! 指揮官はあんたなのよ、ズマ! 自分で考えて、行動しなさい!」
「しかし我等の弓が、奴らに届きません。打つ手がありません」

 ペスカはズマを殴りつけ、声を荒げた。

「馬鹿な事を言うな! 罠でも何でも使って、足止めしろ! あんたは、何をエレナから学んだの? 逃げ帰って弱音を吐く暇が有るなら、味方を動かせ!」

 ズマは口から流れる血を拭わずに、すぐさま立ち上がる。そして、ペスカ達に敬礼をして集落を後にした。

「ペスカ。助けてあげないニャ?」
「助けないよ、今はね。この程度で音を上げたら、限界なんて越えられないよ」
「どう言う事ニャ?」
「エレナ。あんたは、切羽詰まった時どうする?」
「それは、マナを全開にして、命がけで突っ込むニャ」

 エレナは言いながら、はたと気付く。

 まだ、ゴブリン達は自ら考え行動していない。それどころか、命の危険が無い場所で、ただ攻撃を繰り返しているだけ。死に物狂いで勝ち得た能力は、未だ見ていない。

「とは言え、そろそろ後続部隊を出そっか」
「冬也の荷物はどうするニャ? 秘密兵器って言ってたニャ。使わないニャ?」
「まだだよ。ズマ達が頑張って頑張って、それでも駄目だったら使うんだよ」
「なんか、私よりペスカの方が厳しいニャ」
「そうじゃなきゃ、現状は変えられないからね。それより、エレナは後続部隊に命令してきなよ」
「わかったニャ」

 里を出たズマは、走りながら懸命に頭を動かした。

 矢とて無限では無い。一体一では到底敵わない、巨大な相手。ペスカ達から授けられた知恵は、最初の作戦だけ。作戦と異なり、トロール達は分断せずに、真っ直ぐ里へ進んでいる。
 
 どうすれば良い。どうすれば里を守れる。どうすれば仲間を守れる。
 
 まとまらない考えのまま、ズマは木々をすり抜け走る。「誰でも良い、助けてくれ!」と叫びたい。いや、駄目だ。それでは、今までと変わらない。俺は、変わると誓ったのだ。俺が、仲間を守らなければ。
 そうだ。その為の方法を、教官から教わったのだ。
 
 ズマの意思を受け、体内のマナが自然と流動する。ズマは立ち止まり目を閉じ、恩人達の姿を思い浮かべた。

 しなやかでも強靭な、エレナの脚力と腕力。冬也の強い意志の力。ペスカの大きなマナ。恩人達は、あの大軍は脅威にも感じないのだろう。
 どれも自分には、遥かに遠い存在である。せめて、一歩でも近くあったなら。
 
「大地の女神ミュール様。我が一族に力をお貸しください。大いなる脅威に抗える力を。脆いこの体に災いを跳ね除ける力を」

 その時だった。ズマの体内でマナが膨れ上がる。力が漲っていくのがわかる。身体に纏う力が、自分を高みに押し上げている様だった。

 試しに跳躍したズマは、その変化に驚く。

 エレナの様に、身長の何倍もの高さへ飛び上がっている。今まで訓練で使っていた身体強化とは一線を画す、圧倒的な能力の上昇であった。
 今までは単にマナを使い、身体の要所を少し強化していただけだった。確実なイメージと呪文を唱えた事で、ズマは意図せずに身体強化を完全な魔法として発動させた。

「そうか、手段はもう教わっていたのか」

 ズマの中で全てが結実する。

 ひたすら過酷な筋力強化、マナのコントロール、狩り、そして今までの人生。全てがズマの中で、昇華されていった。

 ズマは指笛で、前線部隊を全て集める。エレナの命令で里を出た後続部隊も含めて、ゴブリン軍団が集合した。
 トロールの軍団がもう少しで里に迫る。一刻を争う事態の中、ズマは声を上げた。
 
「皆。これから命令を与える。俺達だけの力で、この逆境を覆す」
 ズマは、ゴブリン軍団全員に、肉体強化の魔法の真実を伝えた。
 
「イメージをしっかり持て。俺は恩人達の三人をイメージした。その後は、マナを意識して女神ミュールに祈れ」

 冬也と関わりを持ったゴブリンは少ない。しかし、自分達を治療してくれたペスカ、訓練教官となったエレナの姿は、ほとんどのゴブリンが容易に想像が出来た。

 全てのゴブリン達が一様に、能力が高まる訳では無い。不揃いな点は否めないが、呪文を唱えた後のゴブリン達からは、今までとは明らかに違う力の高まりを感じる。

 直ぐにズマは、思い付いた作戦を皆に伝えた。

「今から班を元に戻す。遠距離狙撃班は、左右に分かれて牽制を行え! 索敵班は、麻痺毒の実を搔き集めろ。後方支援班は、傷付いた仲間達の治療だ。近距離攻撃班は、俺に着いて来い」
「族長。毒の実を集めた後は、どうするのですか?」
「すりつぶして、使用可能にしろ。近距離攻撃班が奴らの足元を撹乱する。その隙に、麻痺毒を密林の上に散布しろ。奴らを体内から破壊する」
「族長。回復させた仲間は、どうするのですか?」
「里の護衛に回せ。戦況次第では前線に復帰して貰う。だが、俺の指示を待て。それと後方支援班は、治療の他に矢の作成を行え」

 ズマは、全員を見渡す。そして、力強く仲間達を鼓舞する。

「俺達は、今この瞬間に大陸最弱の汚名を返上する。この脆弱な体でも、巨人を倒せる事を示す! 皆、自分を信じろ!」

 ゴブリン達から、一斉に掛け声が上がる。

「戦え! 勇敢なるゴブリンの一族よ! 奴らを倒すぞ!」

 ゴブリン達から津波の様な雄叫びが上がり、興奮は最高潮に高まる。
 
「行くぞ!」

 ズマの掛け声と共に、後方支援班と傷付いた仲間を除く、全てのゴブリン達が密林内を駆けだした。

 ズマが最初の作戦を遂行した際に、頭から抜けていた事が有った。

 肉を獲る事が出来ないゴブリン達は、木の実や植物等を主食としてきた。その為、植物が有する毒についての知識は、他の種族よりも深い。
 そしてゴブリン達は知っている。密林とその上空では、空気の流れが異なる事を。密林の上に毒を撒くだけで、顔を出すトロール達は必然的に、大気中に散布された毒を吸い込む。

 天の時は地の利に如かず。

 密林はゴブリン達の味方として、ならず者のトロール達を排除する意思を持っている。地の利はこちらに有るのだ。それでも、劣勢には変わりない。
 圧倒的な力と数のトロールに対して、ゴブリン達がどの様に抗うのか。それは、ズマが身を持って、仲間たちに示した。
 
 先頭を走るズマは、その手に有る石のナイフを軽々と粉砕する。武器は必要ない、本当の武器は己の体なのだから。
 そしてズマは、両手と両足にマナを集中させて、トロールに正面から突っ込んだ。
  
「この拳は、全てを砕く。この足は、全てを薙ぎ払う。我が体、爪の先まで全身が武器なり!」

 ズマのマナは、再び爆発的に高まる。思い切り跳躍したズマは、スピードを乗せてトロールの鳩尾を目掛けて、拳を振り抜く。ズマの拳は、黒く硬いトロールの皮膚を突き破る。トロールは、全身を巡る痛烈な痛みにより昏倒した。

 元より、一対一では敵わないはずの相手だった。相手は更に大きく強くなった。そんな相手を、ただの一撃で倒したのだ。
 ゴブリン達の歓声は、密林の中に響き渡り、木々を大きく震わせた。

「皆、俺に続け!」

 ズマの怒声が、密林に響く。そして、近距離攻撃班が一斉にトロールの大軍に迫る。そしてズマを真似て、口々に呪文を唱える。
 身体の強化を得てゴブリン達は、トロールの厚い皮膚を突き破る。それは、鋼鉄の弾丸の様だった。

 ある者は足を砕き、ある者は睾丸を潰す。トロール達の前線から、次々に負傷者が増えていく。また、負傷して倒れるトロールを、迂回しようと左右に分かれた所に、矢が降り注いだ。
 目を貫かれて、膝を突くトロールが量産される。

 地の利は人の和に如かず。

 ゴブリン達の連携が、トロールの大軍を足止めし始めた。そして、ゴブリンの奮闘は続く。中でもズマは獅子奮迅の活躍を見せる。全身を鉄の様に硬くし、トロール達を屠り続ける。
 返り血で真っ赤に染まったズマの姿は、誰もが最弱とは呼ばないだろう。

 近距離攻撃班は、ズマを中心にトロール達を倒し続ける。後方支援班は矢を大量に作成し、遠距離狙撃班に手渡す。ズマの作戦が効果を上げ、ゴブリンの軍団が機能していく。   
 
 巨体と剛腕が取り柄のトロールは、素早く動くゴブリンを捉えられない。視界の悪い密林の中では、尚更だろう。 
 無造作に棍棒を振ろうとも、ゴブリン達は容易く躱し、トロールに深いダメージを与える。足元に意識を向ければ、矢が瞳を貫く。矢の出現元を探ろうとすれば、足元からゴブリンが迫る。

 小一時間の戦闘が続く中、トロール軍団の後方からも倒れる者が現れた。索敵班が散布した麻痺毒が、効果を出し始めたのだ。

 トロール達は次々と倒れ、半数以上のトロールが先頭不能となっていた。戦力の大半を失って、初めてトロール達に動揺が生まれた。
 
 命令に従い、盲目的に行動するトロールと、強い意志を持って抗おうとするゴブリン。その違いは、明確な結果として現れた。
 ただ周囲を破壊しながら、ゴブリンの集落を向かっていたトロール達は、困惑する様に動きを止める。
 
「どうやら、上手くやってるようだね」
「ペスカは、この結果を予想してたニャ?」
「半分位しか期待してなかったよ。頑張ったね。充分な成果だよ」
「あいつ等が上手くやれなければ、どうしてたニャ?」
「その時は、エレナの出番だよ。まさか、嫌とは言わないよね。作戦を伝えた時に、任せるニャって言ってたのに」
「当たり前ニャ。あいつ等は私が守るニャ。でも、あいつ等マナを使い過ぎニャ。これ以上は、不味いニャ」
「そうだね。お兄ちゃんからの荷物が全部届いたし、一気に止めと行こうか」

 ペスカが視線を向けた先には、大きな木桶が蔦によって運ばれてくる様子があった。ペスカは神気を通じ、木桶を後方支援班の所まで運ぶ様に、木々に指示をする。
 
「さぁ、行くよエレナ」
「わかったニャ」

 木桶に続くように、ペスカとエレナが集落から飛び出した。ペスカとエレナの動きは早く、直ぐに後方支援班が待機する場所に辿り着く。

「直ぐに伝えて! 全軍撤退だよ!」

 ペスカの言葉を受けて、ゴブリンの一体が指笛を鳴らす。指笛が密林に響き渡る。ゴブリン達は攻撃を止め、ズマを中心に撤退を開始した。

「じゃあ、お願いね」
 
 ペスカは、語り掛ける様に、大地に神気を流す。

 木々から、大量の蔦が伸び、木桶の中にある手榴弾型の魔鉱石を掴む。スリングの様に遠心力を利用し、魔鉱石をトロールに投げつけていく。
 魔鉱石は、放物戦を描きトロールの頭に当り爆発する。爆発と共に光が周囲に広がり、トロール数体を包む。光に包まれたトロールは、意識を失い倒れ伏した。

「おぉ! 流石お兄ちゃん。神気マシマシだね。続けて、投げちゃって」

 ペスカの言葉に応える様に、蔦は魔鉱石を掴み次々に投げていく。
 トロールの頭上から、雨の様に魔鉱石が降り注ぎ爆発する。爆発は連鎖的に広がり、周囲数キロが光りに包まれる。
 
 既にゴブリン達の手によって、視界を潰されたトロールを含め、次々とトロール達の意識が刈り取られていく。
 あっと言う間に、侵攻してきた全てのトロールが浄化される。副次的な効果か、トロールに破壊された密林の木々に、緑が戻り始めていた。

 神秘的な光景に、ズマを始め退却中のゴブリン達の足が止まる。エレナは言葉を忘れ、ただ茫然と眺めていた。

「じゃあ、エレナ。後はよろしくね」

 ペスカから声をかけられ、エレナは我に返る。ペスカはゴブリン達から離れ、トロール達の下へ走る。

「な、何がよろしくニャ。待つニャペスカ」
「ちょっと、着いて来てもいい事ないよ。集落に戻って、ズマ達と待機してなよ」
「ペスカは変ニャ。隠しても無駄ニャ」

 走るペスカをエレナは執拗に追いかける。そしてペスカは少し溜息をついた。 
 
「はぁ。仕方ないな。さて、鬼が出るか蛇が出るか。どっちにしても、動きが有ると良いね」
「ペスカ、どう言う意味ニャ?」
「これからが、本番って事だよ」

 エレナは首を傾げる。そしてペスカの言葉通りに、局面は動きを見せる。それはエレナの常識を塗り替える、生物の英知を越えた異常な事態であった。