扉が開いた瞬間まず感じたのは甘い香りだった。
 ふわっと漂い鼻腔をくすぐる。
 それを感じながら一歩入った部屋の中央に彼女はいた。
 肩までの綺麗なセミロングの黒髪。
 白いTシャツと黒のスカートの装いで、胸に抱え込んだ大きめのぬいぐるみに顔をうずめ床にペタッと座っている。
「こんばんは」
 僕がそう挨拶すると、ぬいぐるみにうずめていた顔をゆっくりと上げる。セミロングの黒髪が何の抵抗もなくさらりと流れ顔が露わになった。
 幼さを残しつつ端正に整った顔立ち。
 少し気の強さを感じさせる眉と目つき。
 左目の下、アクセントのようにある小さなホクロ。
 美少女と言って間違いない顔が今日もそこにあった。
 ただ、その表情は明らかに不満気なものだ。
 頬を僅かにぷくっと膨らませ、こちらにまっすぐに向ける大きな瞳にはジトっとした色が浮かんでいる。
「遅い……」
 そう言った彼女は頬をより膨らませて、ジトっとした目を向けてきた。
「ごめんごめん、遅くなったね。綾奈」
 僕はそう謝罪しながら彼女———綾奈に微笑みかけた。

 久世綾奈
 僕と同じ高校に通う同級生だ。
 真面目な性格で、学業の成績は良く、陸上部として部活動も精力的に行っている。
 美少女と言って差し支えない顔とスタイルの良さから男子に人気があるが、少々愛想がなく、人付き合いも上手くなく、加えて男嫌いなこともあり彼氏はおらず、友達もあまりいないようだ。
 その一方で、本当に親しい者にはちゃんと笑顔を見せてくれる。
 そんな無愛想な美少女優等生、それが彼女だ。
 そして僕の幼馴染でもある。

「遅くなるかもって言っておいたはずだけど?」そう言いながら僕は部屋に入り扉を閉めた。
「何で遅くなったの?」
 床に座り込み僕を見上げる彼女はそんなこと関係ないとばかりに相変わらずの不機嫌顔だ。
「だから夕飯食べていたんだよ」
「だからウチで食べればよかったのに」
「だからそれはおばさんに悪いって」
「だからママそんなこと気にしないよ」
「だから…………いや……もういい」
 だから僕は気にするのだ。
 迷惑になるからという気持ちももちろんあるのだが、僕自身の気持ちが大きい。
 幼馴染とはいえ同級生の女の子の家で頻繁に夕飯をご馳走になるのはどうなのかと思うのだ。そこら辺の線引きはしたい。
 彼女は当然納得してはいないようであったが、胸に抱えていたぬいぐるみを床に置くと、身体を伸ばしベッドの上に置いてあるふわふわのクッションを一つ取った。それを自分の座っている隣に置くと、僕のことを見上げながらポンポンと叩く。
 座れということらしい。
 僕は素直に頷くと彼女が置いてくれたそのクッションの上に腰を下ろす。見た目通りふわふわのそれは座った途端僕の身体を沈み込ませた。なかなかに気持ち良い。
 素直に腰を下ろした僕に満足したようで、ずっと不機嫌顔だった彼女はようやくその顔に笑みを浮かべた。