朝練に出ていたはずだが装いはすでに運動着からは着替えられており制服姿だ。仄かに柑橘系の良い香りがした。
 彼女は一瞬驚き、しかしすぐにその表情を不機嫌そうなものに変えた。こちらをジッと見返してくる。
「おはよう。久世さん」
「……おはよう」
 そんな彼女の様子に構わず雄馬は彼女にこやかに微笑みかけると挨拶をする。彼女は少しの間はあったもののそれに挨拶で返した。やはりどこか不機嫌そうだ。それでも雄馬は構わず話しかけ続ける。
「そうだ! 今日の昼、ご飯一緒に食べない? 俺たち学食で———」
「そんなことよりも、加藤君さ」
「食べ……え……?」
「今日も朝練サボってたでしょ?」
 雄馬の言葉をぶった切り、綾奈は低い声で言葉を続ける。
「朝練は強制じゃないけどさ……。後輩だって真面目に出てきてるんだよ? それに、リレーメンバーの人たち、バトン練習できなくて困ってた」
「いや、それはそうなんだけどさ……ははは」
 正論を言われ苦笑いを浮かべる雄馬。そのまま困ったようにチラッとこちらに視線を寄越したため、僕は目をフイッと逸らした。視界の外から彼の悲壮な視線を感じる。
 その間も綾奈の猛追は止まらない。
「三年生の先輩たちが引退したら私たちが主導で部を引っ張って行かなくちゃいけないんだよ? もっと先輩としての自覚をもって!」
「はい……」
 雄馬は何も言い返せずただただ大人しく頷いた。
 先程のように時間の使い方の話をしたところで聞いてはもらえないだろうし、そもそもそういう問題でもない。そのことは雄馬も理解しているようで反論はしない。そしてそれは賢明と言えた。
宮内君(・・・)
「はい?」
 唐突に名を呼ばれたため、少し驚きながらもそれに応える。
「あなた加藤君の友達なんでしょ? あなたからも言っておいてよ。しっかりしろって」
「はい……承知いたしました」
 お叱りを受けてしまった。とんだとばっちりだ。
「あとさっき何か言いかけていたみたいだけど何? 用がないなら私行くけど?」
 ぐったりとうなだれている雄馬を横目に見ながら、彼の代わりに僕は
「何でもないよ。引きとめて悪かったね。久世さん(・・・・)
 そう言って道を開けた。
 彼女は一瞬表情をピクリとさせ、こちらをジッと見つめてきた。けれどそれも僅かなこと。
「そ……」
 と短く淡白な声で言って僕たちの進行方向とは逆にある彼女の教室へと歩き出した。
 僕も未だうなだれている雄馬の身体を押しやりながら自分たちの教室に向かおうと歩き出し、彼女とすれ違った。
 その時


「おはよ……」


 注意しなければ聞き逃してしまいそうな、そんな小さい声を耳にした。
 振り返ると、綾奈は足早に自らの教室の中へと消えていった。
 その光景を眺めながら僕は彼女と同様に小さい声で


「おはよう……」


 もうすでにそこにはいない彼女に向けて呟いた。