今の高校を選んだ理由

・そこそこ進学校だった
・家から近かった

 以上

 そんな志が高いわけではなく、かといって別にいい加減に生きようとも思ってはいない。
 折角の人生だし、大事に有意義に送りたいと思うけれど、かといって過ぎた高望みはしたくない。
 過去を振り返れば希望に燃えていた時期もあるにはあったが、今はもうその熱もすっかりと冷め切ってしまった。
 この心に再び火を灯すつもりは……ない。
 そこそこ悪くない学校で勉強をして大学に進み、いずれは就職。それで人並みに無難に現実的に生きていければそれでいい、そう思っている。
 そのため必死に受験勉強して無理なく入れるそこそこの高校を近場で探したら今の高校だった、というただそれだけのことだ。
 特別な大層な理由なんてない。
 世間の一般的かつ健全な少年少女はより良い大学へ進学するためだとか、興味のある学部があるだとか、部活動が盛んだとか、気になる子が進学するだとかそんな理由で学校を選ぶのかもしれない。もしくは他の何か。いずれにせよ何かしらの熱をもっているのだろう。
 けれど僕は違う。
 周りの人間がもつようなそんなある種の熱をもって生きる気概なんて今の僕にはほとんどないのだ。
 誤解されないように言っておくが僕は何も自分のことを他の人間とは違う『特別な人間』などと思っているわけではない。決してない。
 むしろ凡人も凡人。何の変哲もない平人間だ。
 そんな凡人が更に熱を失ったもの。それが僕という存在だ。
 自分の日々の学校生活の充実、もしくは自分の将来について、さらには自分の人生を真剣に考えている人間からしてみれば僕の生き方は愚かで不純で不誠実なのかもしれない。
 だが正直そんな名も、その存在すらも知らないやつらの言うことなんて知ったことではない。
 周りが何かしらの熱をもって生きようというのであれば結構だ。好きにすればいい。そのことまで否定する権利なんて僕にはないのだから。
 ただ、同時に僕の生き方にケチをつけることは許さない。
 僕の人生は僕のものだ。周りの人間のものではない。
 だから僕が周りに合わせる必要はないし、そのことをとやかく言わせる筋合いもない。放っておいてほしい。
 それでいいだろう?
 誰にも迷惑をかけず、自分の人生を自分の好きなように勝手にそしてあくまで現実的に生きようというのだから、それのなにが悪いことがあろうか?
 だからいいだろう?
 そんな凡人であるところの僕は今日もいつも通りの時間にベッドの上で目を覚ますと、けたたましく鳴り響く目覚まし時計を止め、大きく伸びをする。部屋を出ると階段で下の階へ。洗面所に入ると冷たい水で顔を洗い、歯を磨き、寝癖を直す。制服に着替え身支度を整えると、テーブルに着く。テレビが流すニュースをぼんやりと眺めながら母親が作ってくれた朝ご飯を食べ、コーヒーを飲む。食事が終わり時間になると傍らに置いてあった鞄を取り「行ってきます」と母親に声をかけ「行ってらっしゃい」の声を背中に聞きながらリビングを出て、玄関で靴を履く。鍵を開けて扉を開き、外へ出ると駐車場へ。いつもの場所に停めてある自転車の鍵を外し、道路まで転がして出る。そしてサドルに跨ると地面を蹴りペダルを踏み込もうとし

 ベココッ

 そこでようやくタイヤが不自然につぶれていることに気づいた。


 ……………は?