ルードッツァにベラが帰って来てから一ヶ月が経った…。
 ベラは作業場に籠り設計図を描いている。

これはベラの得意分野だ!ベラはこれまでにも、芸術家のように定規やコンパスを巧みに操り、色々な作品を生み出してきた。そしてこの作業場は、16歳の誕生日に両親からプレゼントされた場所で、ベラにとって聖域のような場所だ。触ると危険な物や薬品がたくさんあるので、ベラ以外は入れない場所でもあった。
 ベラは帰郷してから何日も入浴をした様子もなく、食事も摂ったり摂らなかったりと不規則、いつ寝て、いつ起きているのかもわからない…屋敷の皆が心配していた。
こんな時のベラは、作業場を覗いたり話しかけることを嫌がるので、両親は何も言わず見守っていた。
だが、ハイアート家に嫁いだ娘が、わずか数ヶ月で実家に帰ってきてしまったのだ、やはり気が気ではなかった。

「あの子、もう一ヶ月よ、帰ってくるなり作業場に籠ってしまうなんて…ハイアート子息に惚れ込んでからは、鉄や鉱物をいじる淑女は嫌われてしまう!そう言って作業場に行くのも躊躇っていたのに…」

 母は心配でカーテンで閉められた作業場の窓を、覗いてきた様子だった。

「奥様、お嬢様は大丈夫ですよ!お嬢様は普通のご令嬢とは違いますから…何か思い付いたり閃いたりすると、いつもこんな調子だったじゃないですか」

 ヴィアイン家に長年従えてきた乳母が意気揚々と答えた。
この乳母は、ベラの父の乳母でもあった。そして、このヴィアイン家のことはなんでも知っていた。

「そうは言っても心配だわ…ハイアート家に手紙を送ってみようかしら…」

 母は侍女に、便箋を持ってくるように頼んだ。

「止めておきなさい!鉄をずっと触ってなかったんだ、きっと反動がきたんだろう…ただし、結納金をたんまりもらっておいて、ベラを傷つけたのならただじゃおかない!!」

 父も心中穏やかではない。

 ダンッッ!ガチャン!

 部屋の外から騒々しい音がする。

「お兄様が帰ってきたッ!!?」

 ベラだ、やっと作業場から出てきたのだ。
 目の下は黒くなり、クマが出来ていて、少しやつれたようにも見える。

「あなた…大丈夫なの…?」
 母が、恐る恐る尋ねると…
「えぇ、もちろん!絶好調でどうにかなりそうよ!!設計図が出来たの!夫を助けたくて!昔の知識を生かして、敵を退ける強い武器を考案したわ!お兄様に仕入れて欲しい薬品があるのよ…それが大量に必要よ!それにお父様にはちょっとお金の話があるの…!」

 ベラは一気に捲し立てるように話す。いつもの元気なベラの姿に、皆は安堵した。

「あいつは明日には帰るだろう!ベラ、わかったから、とりあえず体を洗ってきなさい!すごい臭いだぞ!!」

 父はニコリと安堵の笑みを浮かべた。そして、それにつられるように乳母や母も笑いだした。

 ベラの生まれたルードッツァは、生命の神バルノアの発祥の地である。ヴィアイン家は先祖の代から、神バルノアの母である創造の神ネウロの純然たる信徒であり、ネウロ教を信仰していた。ベラも7歳で洗礼を受けてからは、両親や兄に混じり神殿に礼拝に通うようになった。

両親の仲は大変良かった。
仕事のない時の父はいつも母を探していた。そして、広い屋敷にも関わらず、母と同じ空間で過ごそうとするのだ。母が刺繍をしていれば、その近くで父は書類に目を通す…そんな二人をベラは子供ながらに微笑ましく思っていた。

 九つ年上の兄のエイダンは、ベラにはいつも優しかった。
 ベラは父や兄の真似事をして、いつも設計図を描いていた。子供の自由な発想で描かれた設計図は、父から見ても良く描けていた。
 剣が飛び出る仕掛けや、手動で回して扱うからくりの卵割り機なんかは、大人の度肝を抜いた。
 そんなベラはある日、七歳の誕生日プレゼントに鉄鉱石の種類や配合、長さ、作り方を変えた剣を大量に欲しがった。まだ子供なのに、変わったものを欲しがる娘に困惑した両親だったが、鍛冶職人ロナウドに異なる材質や長さを変えた剣を25本作らせた。そして誕生日には、リボンで可愛く結んでベラにプレゼントしたのだ。
 しかし、ベラは大喜びしながら、皆が見てるその場で、大きなハンマーで叩き出したのだ。娘の奇行に驚いた両親が訳を問いただすと、子供心にどこを叩けば割れやすいのか、どのように剣を作れば最強なのか、ただそれを知りたかったようだったのだ。
今でも鍛冶職人のロナウドからもらった、一本一本の剣の作り方を記した『ストロングソード25』はベラの宝物だ。

 貴族の令嬢は、淑女として学ばないといけないことがたくさんあるのだが、父は、武器や盾の製造や仕組みを知ることはヴィアイン家とって英才教育のようなものだ!そう言って、ベラのやりたいことを尊重した。
 そうは言っても、貴族のマナーや教養、宗教と歴史、ダンス、刺繍など全てにおいて、ベラは手を抜かなかった。厳しい母が製造作業場に行かせてくれなくなるからだ。父が良いと言っても、母がダメだと言ったらダメになってしまう、そんな家だった。
 兄はベラといつも遊んでくれた。
 遊びといっても、もちろんお人形遊びとか、かくれんぼではない。
 コンパスや定規を使うコツや、作図の描き方など、武器を作成させるために必要なことは何でも教えてくれた。
 兄と鉄工所や、作業場を見て回るデートは、ベラの楽しみの一つでもあった。火の粉が飛び散る光景…滴る汗を拭いながら、職人が絶妙な加減で鉄を叩く。そんな姿に、ベラは美しいとさえ感じていた。熱い鉄が流れる高炉は特に危険だったが、この世界の誕生の原点を見ているような、命の原点のような不思議な感覚を覚え、身震いしながら目に焼き付けた。

 兄が結婚し、父に代わって本格的に貿易業を担うまで、兄とのデートは続いた。
 兄が結婚した時、最初は少し寂しかったが、優しく美人な兄嫁と仲良くなるまでに時間はかからなかった。

 ベラが14歳になると、設計したものは自分の力だけで作ってみたくなり、職人達の邪魔にならない場所を探して、棚や机を設置して自分専用の秘密の空間を作っていた。その名も『メタリアル14』だ。ここはベラ専用の作業場になっている。棚には、形や大きさの違う容器や、測る道具、薬剤薬品などがギッシリ並べられていた。中には怪しげなドクロマークのものもあったので、職人達はそこに立ち寄らなかった。
 それでも、職人達は嫌な顔をしなかった。貴族なのに飾らないベラを可愛く思っていたし、ベラも職人達の働く姿が格好よく勇ましくもあり尊敬していた。とくにロナウドさんは、わからないことは何でも教えてくれ、甘いキャンディーをくれるし大好きだった。
 ベラは淑女教育が済むと、いつも作業場に向かった。得意気に皆に挨拶していると自分も職人になったような気分だった。
 キャンディーを舐めながら、ベラはいろいろなことをした。鉱物を砕いたり、違う物質同士を混ぜたり、火をつけたり、液体を混ぜたり溶かしたり、とにかくそういう危険で変わったことだった。
 臭いに変化があったり、煙が出たり、激しく燃えたり、硬くなったりする。性質の違う物質同士の変化はとにかく面白かった。
 危険な遊びであったが、好奇心旺盛なベラはメタリアル14に籠り、夢中になった。
 ある物は何でも混ぜて、反応させて遊んだが、時には父や兄にお願いして、異国の物も取り寄せた。

「これは面白いわっ!衝撃を加えると固くなる性質があるのね!強ければ強い程固くなる…放すと、元の柔らかさになるの?なんて不思議なの?気に入ったわ!!あなたの名前はハーデン14よ!!!今からわたしはハーデン14、あなたをぶちのめすから覚悟してね!」

 こんな風にベラは、作った物資や物に話しかけながら、ありとあらゆる実験を重ねたのであった。
 ベラには名前をつける才能がないように思えたが、これにも理由があった。意味のある単語と数字を組み合わせる事によって、記憶が鮮明になり、名前を口にしたり聞いただけでノートに記録してある内容が頭にパッと浮かぶのだ。複雑な名前をつけるより簡単でわかりやすいため、ベラは決まってこういう名前をつける。
 ルードッツァには、ここにしかない鉱物があった。これはベラが、新たな物質探検で偶然見つけたものだった。ベラは父や兄の仕入れる物に飽き足らず、植物や鉱物を自分で探すこともやっていた。ベラの直感はよく働いていて、名前こそわからないが、何故だが植物の特性がわかったり、鉱物の性質を知っていたり、不思議な事はよくあったので、ベラは採集や採掘を楽しんでやっていた。

「ここの前の道は気になっていたのよね…行ってはいけないと言われているけど、気になってしょうがないわ…」

 その場所には草木は生えず、動物どころか、虫さえ寄り付かない…何故だか若干鉄のような臭いがあり、好奇心旺盛なベラは、そこには何か特別なものがあると踏んでいた。立ち入ってはいけない場所だと本能的にわかってはいたが、好奇心が勝り、ベラはその場所で探検を続けた。

「鉄臭い!動物でも死んでいるのかしら…?でも、腐った臭いではないのよね…」

 そして、その辺りでも、一番臭いが強まる場所があり、何故だか引き寄せられるように、ベラはスコップを持ってその場所を掘り出した。しばらく頑張ってみるが何も出てこないし、手も痛い。掘るのを止めようかと思った。その時……

『勿体無い事をするな、そのまま掘ってみろ』

「きゃっ!!!」

 低い声が聞こえた気がした。不気味で恐ろしくて、ベラはその場を急いで立ち去った。
 しかし、どうしてもその場所が気になって夜も眠れない…。

「ちょっと見てくるだけよ…」

 ベラは、勉強が終わると、大きなスコップを持って昨日の場所へ向かった。

「ここは薄暗く不気味ね…」

 怖がりながらも、ドレスを泥だらけにして、掘りに掘った。すると、緑に輝く鉱物のような物がゴロゴロと出てくる。手袋越しにも熱があるように感じられた。強い鉄の臭いがあり、滑らかな質感をしている…とにかく変わった鉱物だ。ベラはそれを掘り起こし、たくさん持ち帰った。
 そしていつものように、粉にして他のものと混ぜた。なんとなくこれを混ぜたらいいとわかるのだ。慣れた手付きでコネコネ回し、ボール状にして何個か作ると、おもむろに火を着けた。すると…

  バーンッッ!!!!!

 大きな音を立てて破裂したのだ。煙の量も尋常ではない。少量を混ぜて作っていたからこれで済んだが、量を間違えれば大変な事になっていたかもしれない…。
 ベラの手は酷く火傷していた。でもそんなこと関係なかった。痛みが気にならないほどの探求心で首筋がゾクゾクしていた…。
 ここまで刺激的な反応をみせたのは初めてだった。ベラは、割合や量を少しずつ変えて、もっとやってみたくなった。
 先程の様子から、危険であることは間違いない…。
 ベラは身を守るために、保護服を作ってもらうよう父にお願いをした。デビュタントを少し先に控えた娘が、手に火傷を負い、ドレスではなく保護服が欲しいと言う…。呆れてものも言えなかった。
 そして父は大反対した。のびのび育てるのが心情ではあるが、保護服が必要な程の危険な遊びを、流石に許すわけにはいかなかった。
 ベラは泣いて泣いて頼みこんだ。
 しかし、父も譲らなかった。
 そこでベラは、鍛冶職人ロナウドに、破裂実験を手伝ってもらうことにした。父もベラがやるわけではないのならと、渋々了承した。
 父は鉄の大きな分厚い盾を用意した。穴が三ヶ所空いており、二つの穴から手を出せる仕組みになっている。手袋は2重に重ねた牛の皮で保護する予定だ。そしてもう一つの穴は、細かい鉄の網目状になっていて、そこから作業を覗けるようにした。

「これなら大丈夫!安全ね!早く実験を開始したいわ!」

ベラは気持ちが高ぶった。
しかし、父にはまだ準備が不十分だから待つように言われた。父はベラの話を聞くうちに、この破裂実験に可能性を感じていた。安全に実験を進めるためには時間が必要だったのだ。でもベラは、早く実験をしたくて堪らなかった…。
 そんなある日、ベラの焦る気持ちから大きな事故を起こしてしまう…。
 どうしても破裂実験をやりたくなったベラは、父に内緒でロナウドさんを呼び出した。必要な用具や物質を机に手際よく並べていく…。

 「いい?もう一度言うからよく聞いてね。この丸めたものに紐がついてるから、これに点火するのよ?もう計量して配合してあるから、言われた順番通りに火を点けてみて。わたしは、危ないからあっちの方でノートに記録していくわ。要は破裂の大きさを知りたいの!結構大きく破裂すると思うわ!でも、ここは何もない広場だから、何か壊れたりそういうことはないと思うの。だけどロナウドさんは本当に気をつけてね!」

 ベラは、ロナウドに何度も扱い方とやり方を説明した。

「お嬢様…ご当主様は本当にお許しになったのですか?かなり危険そうではないですか?」

 髭面で強面の顔がしょぼくれている。

「大丈夫、大丈夫!ちゃんと許可は取ったわ!わたしがやりたい事はなんでもさせてくれるんだから!それに、この鉄の防具が守ってくれるわ!火を点けたらすぐに手を離して屈むのよ?そうすれば安全よ!」

 ベラは実験のことしか頭になくなっていた。

『さぁ!火を点けて!』

 遠くから意気揚々と手を振るベラ。赤い旗を振り、点火の合図をするロナウド。

 パンッ…

 小さめの破裂だ。

「ちっちゃな破裂だったわ…この小さな破裂を利用すれば新たな物が作れそうね…配合は…」

カキカキ…

 メモを細かく取っていく。気づいたこと、感じたことなど、なるべく細かく書くので時間は掛かる。
 そんな調子で37回目の点火が完了した。

「次が最後ね…!」

 37回の実験では、比較的大きく破裂してくれたものもあったが、ベラの見たいものはこんなものではなかった。
 38回目の配合にはかなりの自信があった。

「これが大本命よ!計算的にはこれが一番のはずよ…大きく破裂しますように!!」

 そう声に出して、お願いしながら手を振った。
 そして、赤い旗が振られるのが見えた次の瞬間……

  ダーーーーーンッッ!!!!!!!!

 大きな音と風圧が、辺りにあった道具や椅子など、ありとあらゆるものを同時に吹っ飛ばした…地面は掘り起こされるようにえぐれており、埋め込まれていた鉄の分厚い盾もそれと一緒に吹っ飛んでいった。
 ベラは遠くに居たが、耳に直接打撃を受けたような強烈な音のせいで、思わず後ろに倒れこんだ。 
 目眩のするような耳鳴りのせいで耳に蓋がされたようになり、音がよく聞こえない…。

「ロッ、ロナウドさん…」

 焦って辺りを見回すと、ロナウドが倒れている…。もたつきながらも走り駆け寄っていく…。

「ロナウドさぁ…ん?うぅ…うぁぁん…。…うぅ…」

 腕が変な方向に曲がっている……意識がない…。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ…ロ、ロナウドさん…死んじゃったの…?はぁはぁ……ロナウドさん…はぁ、はっ、はっ…神様…バルノア様…ネウロ様、お願い…はぁロナウ…死なせない…くだ…」

 呼吸が荒くなり苦しくなっていく。

「はぁっ、はぁっ…胸がくる…しぃ…」

「た、助けを呼ばな…はぁっ、はぁっ、だっ、誰か…はぁっ、はぁっ……………………。」

 ベラはそのまま意識を失っていった。