早朝、誰よりも早く起き、ベラは屋敷や庭園を見て回った。早くこの地に馴染みたかったし、何があるか探検気分で楽しかった。
「この石垣はどうやって造ったのかしら…こんな重いものを積み上げるなんて…頑丈な作りだわ…所々に彫刻が彫ってある…精巧で美しい…」
静かで朝陽が差し込む庭園は美しかったが、管理が行き届いていないのが目に入る。
「こんな広大な庭園や屋敷は管理しきれないわよね…庭師も一人しかいないようだったわ…最低限の人員で管理してるのね…。」
ベラは深い溜め息をついた。
「ここに来て本当に何もしていないわ…ルードッツァでは毎日あんな忙しかったのに…」
ベラが嫁いで三ヶ月経ったが、メアリーからは未だに避けられていた。部屋に行っても返事はないし、偶然居合わせても、無視をされ空気として扱われた。
「こんな状態で何を学べばいいの?」
メイドや侍女長は、食事や着替えや身の回りのことは世話してくれるが、屋敷に関する一切の事は聞こえないフリか、濁された返事ばかりだった。些細な会話をしたくても、どこか避けられてるような印象を受ける…。そんな中、侯爵子息夫人として何か出来ることがないのか、ベラは結婚を後押ししてくれた義父である侯爵に相談する事にした。
「お義父様…わたしに何かできることはありませんか?」
ベラは思い詰めた顔をしていた。
「嫁いできてくれたことが有り難いのだから、なにも気にしなくていい。」
「メアリーに任せていれば大丈夫だから。」
義父はここでの居場所を作ろうと悩んでるベラに、的外れな事を言うだけだった。そして、紛争地域や領地を行ったり来たりで忙しくしている義父に、ベラはこれ以上小さな揉め事を相談できるはずもなかった。
そして、ライアンは、
「メアリーが落ち着くまで待つように。」
「皆、まだ君に慣れていないだけだろ。」
と、そればかり言うのである。
ベラはメアリーが羨ましくて仕方がなかった。
ライアンとメアリーはいつもに一緒に過ごしていて、執務室で仕事をしながら、雑談を交えて楽しそうに軽食を摂ったり、剣術の稽古で仲良く汗を流し、街にはオシャレをして楽しそうに出掛けていく…とにかくライアンとメアリーは、長い時間を一緒に過ごしていた。
そしてメアリーは女性では珍しい女騎士で、腕も相当なものらしく、紛争地域で大きな手柄を立て、活躍をみせていたらしい。イスタンウッドの実情や細かな情報も知っていて、仕事をする上でも欠かせない、ライアンにとって心を許した相談者であった。とにかくメアリーはハイアート家にとって大切で大きな存在である事に間違いなかった。
「ノラ、二人は特別な仲なのね…兄妹…友人…恋人…二人からしたら、わたしは邪魔者でしかないわ…」
「昔は、イーサン様も一緒に遊んでいたんですが…いつの日にかライアン様と、メアリー様、お二人の距離が近くなりました。あっ…すみません!ベラ様にこんな話…聞きたくないですね…」
ノラは、ベラにとって侯爵家で気軽に話ができる唯一の人物だった。
「ここでは誰もわたしに教えてくれないから、かえって有難いわ…」
ベラはいつも遠くから二人を眺めていた。間に入ることさえできない。愛する夫に別の女性が寄り添い、支え合う姿を見るのは悲しく辛かった。
(義務を果たして後は好きなことをやる、ってこういうことだったの……?)
ベラは初夜で言われた事を思い出していた…。
(あの人は話しかけると鬱陶しそうにするし…メアリー嬢は本当に大事な女性なのね…)
頭の中は劣等感でいっぱいだった。そして日が経つにつれ、視線は下がり、俯く事が増えていった…嫉妬と孤独感、疎外感…希望に満ち溢れ自信があった頃のベラの姿はなくなっていた。
そんなある日、ベラが庭園を散歩していると、休憩中のメイドたちの楽しそうな声が聞こえてきた。
人の笑う声なんてしばらく聞いていなかったベラは嬉しくなり、目の前の低い石のオブジェにゆっくりと腰をおろし、ジッと耳を澄ませた。
「ベラ様も可哀相よねぇ、夜しかライアン様に相手にされないんだもの」
「あんな美男子に夜の相手してもらえんのよ?うちの旦那と変えてもらいたいわ!ギャハハハッ!」
下品に笑いながら話は続く。
「でも、ライアン様ってあれだけ夜も遊び歩いて女遊びも激しかったじゃない?落ち着いたってことは、ライアン様もベラ様を大切に想ってるって事じゃないかしら?」
「フフフ…バカね!メアリー様が帰ってきたでしょ?いつも二人は一緒なのよ?わかるでしょ?」
クチャクチャと何かを食べながら、得意気に話をしている。
「それにベラ様とはベッドを共にしても、朝まで一緒にいたことなんて初夜以来ないのよ?跡継ぎを作る!それだけの関係よぉ~、跡継ぎを産むのが妻の義務、心は恋人のメアリー様、役割があんのよ!」
「一目惚れして、高い結納金積んで結婚してもらったんでしょ?子供作るだけが役目なんて哀れな人ねぇ…」
「なに言ってるのよ!働かなくてもいいのよ?見た目だけ綺麗に着飾って、子供さえ産めばいいの!恵まれてるわよぉ!」
「でも、侯爵家も紛争でお金がないんでしょ?使用人もどんどん減らされちゃって…管理するこっちは大変よ!」
「そこで、あのお金持ちの子息夫人様の出番よ!お金を実家から巻き上げるのよ!!プッ、アハハハハッ」
「他にやる事あったわね、アハハハハ」
好き勝手に口にするメイド達…楽しそうな笑い声は、ベラを馬鹿にしているものだった。ベラは心臓のある場所がギュッ苦しくなるのを感じた。
「辛いと本当にここが苦しくなるのね…周りからは、そんな風に思われていたのね…」
ベラはすくっと立ち上がり深呼吸をした……。
「このままではいけないわ…今日は夕食を一緒に摂れないか聞いてみよう…」
ベラは、メイド達を避けるようにその場を後にした。早速ノラを通して、ライアンに夕食を一緒に摂れないか確認してもらった。
本当はベラ自身がライアンの元に行き、約束を取り付けたかったが、執務室で仕事している二人の姿を見ると、余計に自信がなくなりそうだったし、良い返事が聞けなかったら更に落ち込むだろう、と臆病に考えていた。それ程ベラは自信を失くしていた。
何もしていない、何もできない、何も力になれない…そんな無力感と劣等感がこの三ヶ月でベラには、すっかり染み付いてしまっていたのだ。
「わたしって女としてまったく魅力がなかったのね…。」
ベラは鏡に映る自分の姿を見て、残念そうに呟いた。
「ノラ、ちょっと待って!」
夕食の約束をライアンから取り付けたノラを、メアリーが呼び止めた。
「はい、メアリー様」
「ノラ、呼び止めて悪いわね、今日の夕食なんだけど、せっかくだから地味な子息夫人を目一杯着飾らせて連れてきてくれるかしら?キレイな黒髪はまとめないでね、わかったわね?」
メアリーは笑顔で言い付けた。
「………かしこまりました」
「18時ね!よかったわ!」
ベラはホッとした。驚くことに、ベラとライアンは一緒に食事をした事がなく、一緒に過ごすのはベッドで夜の営みの間だけだった。
ベラは気持ちが高ぶった…会えることはもちろん嬉しかったが、困ってること、思ってることをちゃんと伝えたかった。妻の義務と言い放ち、抱くだけ抱いていつも傍にいてくれない…そして、会話もろくにしてくれない夫には、言いたいことが山程あったのだ。
(時間はまだあるわね…少しでも印象を良くするために何ができるかしら…)
「よし、今夜はたくさんの花を食卓に飾ろうかしら?花を摘みに行こう」
ベラはここに来てから執務室に飾る花を、自ら摘んでメイドに飾らせるのが日課になっていた。
疲れた時、ライアンのふと見上げたその先に、綺麗な花があったら…少しは疲れが取れるかしら?そんな思いだった…。
ベラが花を摘んで戻ると、ノラとメイドが部屋の前で待っていた。
「今日はせっかくのライアン様との夕食でございます!お支度を手伝わせていただきますね」
ノラは優しく笑っている。
「いつも通りでいいわ…パーティーに行くわけじゃないのよ?」
ベラは断るが、メイドはさっさと手を動かし支度を始めた。
「いえ、このままで行くわ」
困惑するベラにノラが優しく言う。
「ライアン様は美しく着飾った女性がお好きなようです!今日はベラ様の魅力を最大限に引き出させていただきます!」
馴れた手付きでメイドが眉を整え、いつも軽い白粉程度の化粧しかしないベラに、薔薇のような綺麗なピンクの紅が塗られ、ほんのり頬には赤みが増すと、誰の目から見ても美しい女性になっていた。
「ねぇ、ノラ…、今わたし綺麗かしら…?」
完全に自信を無くしつつあったベラだったが、ノラ達に綺麗に整えてもらい、姿勢を正し、鏡に写る姿は、自分自身で見ても美しく思えた。
「もちろんでございます!ベラ様は白くてキメの細かい肌をしておりますし、目鼻立ちはハッキリしていて本当にお美しいですよ。綺麗な黒髪は結っていては勿体無いと思います…結わずに巻きますね」
炭で熱せられたコテで髪が巻かれていく。
「いつも結っていたわ、こんな風に髪を巻かれたのは初めてよ!有り難う…挙式の時もそうだけど、ノラがいてくれて本当に良かったわ」
ベラは目を細めノラに感謝を伝えた。
「………いえ、こちらこそお世話できて喜ばしく感じております…腕には薔薇の香油を塗りますね、薔薇の香りがベラ様の魅力をより引き立てます」
「香油は待って!食事の時には……」
ベラは断ろうとしたが、既に塗られてしまっていた。
夕食の時間より早めに行き、食卓に花を多めに飾った。
「今日は、夫とゆっくり食事ができたらいいわ、いつもお忙しくしているもの…今日は何がお好きなのか聞くつもりなのよ、食べ物の好き嫌いもまだ知らないし…」
ベラは、いつもより口数多く機嫌が良いようだった。ノラは、ただ黙ってベラの話を聞いている。
だが、時間になってもライアンは現れない。
「遅いわね…ちゃんと伝えたわよね?」
ベラは不安そうにした。しかも用意された食器は何故か三人分だ。
(お義父様は今イスタンウッドにいらっしゃるし…まさかメアリー嬢?)
ベラに不安がよぎった…。そして一時間ほど遅れてライアンとメアリーが現れた。
(二人で食事がしたかったのに…)
ベラはシュンとなってしまった。
「遅れてすまない!イスタンウッドで問題が起きたんだ…」
「と、とんでもございません!」
ベラは慌てて立ち上がった。
そして、ライアンはベラをジッと見つめ、不機嫌そうに顔をしかめた。
(何かわたし変かしら?)
ベラは不安に駆られた。
ライアンはごく自然に、メアリーの椅子を引きエスコートして座らせた。
「ベラ、いつもと雰囲気が違うな…ここの生活を楽しんでいるようだな、安心したよ」
ライアンは眉をしかめている。
「すみません…変でしょうか…?」
「いや、変ではない…まぁいい、今日は二人の仲が少しでも良くなれば、とメアリーも夕食に呼んだんだ!楽しい食事をして仲を深めよう」
ライアンは二人を交互に見た。
「ライアン、無理よ!こんな頭がお花畑な子と、どうやって仲良くしろっていうの?」
メアリーは、はっきりとした口調で淡々と言った。
食卓には次々と料理が運ばれてくる。
「この三ヶ月で夫人は何をしていたの!?ただ食べて散歩して終わり?あたし違が忙しそうにしてるのに、あなたは呑気に花を摘んでいたの?毎日執務室に飾る花を用意しているんですってねぇ?花が枯れる前に飾るから、机や棚は花で溢れて、あたしもライアンも迷惑しているの!こんな香りの強い花、食事が不味くなるわ、片付けて!!!」
メイドが花を手際よく片付けていく…それをベラは、黙って見ているしかなかった…。
「なら、わたしの事を避けないでもらえませんか?使用人さえメアリー嬢の顔色を伺って、わたしに何も教えてくれません!夫にも、わたしにこの屋敷の事を教えるように言われていたでしょう」
ベラは悔しさを口にした。
「ご夫人様は人に聞かないと何もできないの?使用人さえあなたを認めていないのなら、ここの管理なんて到底無理だわ」
メアリーは見下した様に言う。
悔しい悔しい悔しい…ベラは俯き、今にも泣き出しそうだった。
ライアンは黙って食事を続け、ワインのおかわりを頼んだ。
「それにあなたの格好は何?離れた所とはいえ、紛争が続いているのよ?暇な人はいいわね、常にライアンを誘惑することばかり考えているのね?そんなパーティーへ行くような格好して恥ずかしいとは思わないのかしら?」
蔑んだ顔とは、こういう顔をいうのだろう…メアリーの軽蔑した眼差しは、鋭くベラに突き刺さった。美しく着飾らせてくれたのはノラやメイド達だ。だが、ベラもそれに浮かれていたのは事実だ。
「長引く紛争で民が苦しみ、敵軍はイスタンウッド端に本陣を構えてしまった…ベラ、散歩するのも花摘みもいいが、そのように着飾るのはやめてくれ。君には緊張感というものがない、紛争で苦しむ民や、騎士達が君の姿を見たらどう思うだろうか?よく考えてみてくれ」
「……申し訳ありませんでした。」
(最近の情勢についてなんて誰も教えてくれないじゃない!)
ベラも言い返したかった。だが、自覚がないのは事実であった。見聞が狭く、ライアンが好きだという気持ちだけでスラントリーにまで来てしまったのだ。嫉妬に駆られ、ライアンの側に居られないことを嘆くばかりで、妻としてできることを人任せにしていたのは事実だった。
「大事なことが見えていませんでした…」
ベラは自分自身に嫌気がさした…そして恥ずかしさが込み上げる。
「それにこの匂いはなんなの?食事をするのに香油を塗りたくってきたの?もう夜の準備かしら?」
馬鹿にしながらメアリーは、フォークをプラプラとベラに向けた。
「メアリー、もうよせやめろ!」
メアリーは声を出して笑っていた。
アハハハハッ
広い屋敷の食堂に、メアリーの笑い声だけが響き渡る…。
「そろそろ食事に戻ろう…」
そう言ってライアンは食事を再開させた。無言の中、食器の音だけが聞こえる静かな夕食となった…。
ベラは、三人で夕食を摂った後、自室に戻りすぐに実家に向かう支度を始めた。
この屋敷でできることがないなら、ルードッツァに帰って紛争に役立つことをしようと決めたのだ。
「メタリアル16はまだそのままかしら…?あの人を好きになってから一度も行ってないわ…」
嫁ぎ先であるハイアート侯爵家のために、何でもいいから役に立ちたかった。
(結婚しました!だからわたしを愛してください…なんて虫のいい傲慢な考えだったわ…わたしを知らないんだもの、愛せなくて当然だわ…まずはわたしを知ってもらうのよ)
冷遇されても、ライアンが好きな気持ちは変わらなかった…どんなにライアンが憎らしいことを言っても、理不尽な態度をとってきても、自分を好きでいてくれなくても心はブレなかった。
その日の夜は、なかなか寝付けずにいた。
(早朝に馬車を手配してもらうように頼もう…忘れ物はないかしら?夫にはなんて伝えよう…)
頭の中で色々な事を考えた。
(実家に帰るのはここの生活が嫌になったからじゃない!夫のために全てを懸けて、やるだけやってこようとしているだけ…でも、何も成し得ていないわたしがそんな大口を叩いたところで鼻で笑われてしまうかも…)
ベラは故郷に帰ることを、ライアンにどのように伝えようかずっと考えていた。
ライアンとまともに話をしたことがなかったベラにとって、これは難しい課題のようなものだった。
翌朝、支度を済ませライアンの執務室へ向かう。
ドアの前に立って一呼吸した…。
「ふー…」
トントンッ
「ベラです。旦那様、ちょっとよろしいですか?」
「どうぞ」
ライアンの代わりに、メアリーの返事が聞こえる。
それだけでベラの気持ちは少し沈んでしまった。
ライアンとメアリーが二人でベラを見た。
(用があるのは夫だけなのに…)
ベラは面白くなかった。
「旦那様、大事な話があります…二人で話がしたいのですが…メア」
「ライアンとあたしに隠し事はないわ!このまま要件を伝えてちょうだい!」
メアリーはベラの言葉を遮り、一蹴した。
「見ての通り忙しい…すまないが、このまま話を続けてくれ、この後すぐに、王都に行かなければならないんだ」
ライアンは書類を見ながらベラから視線を外した。
「わかりました…しばらくの間ヴィアインに行って参ります。自分に…」
トントンッ!
ノックと同時に、話の途中であったがノアが要件を述べた。
「ライアン様、馬車の準備が出来ました!お急ぎください。」
「…すまない、ベラ!もう出ないといけない。そうだな……君は実家に帰って羽を伸ばしてくるといい…」
そう言って書類をまとめると、早足で部屋を出て行ってしまった。
「まっ、待って!!」
ベラも一緒に部屋を出ようとしたが、メアリーが立ち塞がった。
「もう要件は済んだでしょ?あなたは居ても居なくても変わらないって言われているようなものなの!二度と帰って来なくていいんだからね!結納金ありがとう。御馳走様!」
メアリーはニコニコしながら、ベラの肩を掴み、有無を言わさず勢いよく部屋から追い出した。
「なんて馬鹿力なの!?こんな無礼な態度、誰にもされたことなかったわ…」
メアリーが押した肩が痛んだ……。
でも、もっと痛んでいるのはベラの心だった。
だがそれと同時に、闘志のようなものが燃えてくるのがわかった。
「言いたいことは何も伝えられなかったわ…あなたは居ても居なくても変わらない…か…確かにそうね…確かにそうよ、今のわたしには…でも、わたしはわたしのやり方で夫に尽くすのよ!わたしは神に愛された子なのよ!?夫にも愛されてみせるわ!」
ベラは故郷であるルードッツァへ向かった。
「この石垣はどうやって造ったのかしら…こんな重いものを積み上げるなんて…頑丈な作りだわ…所々に彫刻が彫ってある…精巧で美しい…」
静かで朝陽が差し込む庭園は美しかったが、管理が行き届いていないのが目に入る。
「こんな広大な庭園や屋敷は管理しきれないわよね…庭師も一人しかいないようだったわ…最低限の人員で管理してるのね…。」
ベラは深い溜め息をついた。
「ここに来て本当に何もしていないわ…ルードッツァでは毎日あんな忙しかったのに…」
ベラが嫁いで三ヶ月経ったが、メアリーからは未だに避けられていた。部屋に行っても返事はないし、偶然居合わせても、無視をされ空気として扱われた。
「こんな状態で何を学べばいいの?」
メイドや侍女長は、食事や着替えや身の回りのことは世話してくれるが、屋敷に関する一切の事は聞こえないフリか、濁された返事ばかりだった。些細な会話をしたくても、どこか避けられてるような印象を受ける…。そんな中、侯爵子息夫人として何か出来ることがないのか、ベラは結婚を後押ししてくれた義父である侯爵に相談する事にした。
「お義父様…わたしに何かできることはありませんか?」
ベラは思い詰めた顔をしていた。
「嫁いできてくれたことが有り難いのだから、なにも気にしなくていい。」
「メアリーに任せていれば大丈夫だから。」
義父はここでの居場所を作ろうと悩んでるベラに、的外れな事を言うだけだった。そして、紛争地域や領地を行ったり来たりで忙しくしている義父に、ベラはこれ以上小さな揉め事を相談できるはずもなかった。
そして、ライアンは、
「メアリーが落ち着くまで待つように。」
「皆、まだ君に慣れていないだけだろ。」
と、そればかり言うのである。
ベラはメアリーが羨ましくて仕方がなかった。
ライアンとメアリーはいつもに一緒に過ごしていて、執務室で仕事をしながら、雑談を交えて楽しそうに軽食を摂ったり、剣術の稽古で仲良く汗を流し、街にはオシャレをして楽しそうに出掛けていく…とにかくライアンとメアリーは、長い時間を一緒に過ごしていた。
そしてメアリーは女性では珍しい女騎士で、腕も相当なものらしく、紛争地域で大きな手柄を立て、活躍をみせていたらしい。イスタンウッドの実情や細かな情報も知っていて、仕事をする上でも欠かせない、ライアンにとって心を許した相談者であった。とにかくメアリーはハイアート家にとって大切で大きな存在である事に間違いなかった。
「ノラ、二人は特別な仲なのね…兄妹…友人…恋人…二人からしたら、わたしは邪魔者でしかないわ…」
「昔は、イーサン様も一緒に遊んでいたんですが…いつの日にかライアン様と、メアリー様、お二人の距離が近くなりました。あっ…すみません!ベラ様にこんな話…聞きたくないですね…」
ノラは、ベラにとって侯爵家で気軽に話ができる唯一の人物だった。
「ここでは誰もわたしに教えてくれないから、かえって有難いわ…」
ベラはいつも遠くから二人を眺めていた。間に入ることさえできない。愛する夫に別の女性が寄り添い、支え合う姿を見るのは悲しく辛かった。
(義務を果たして後は好きなことをやる、ってこういうことだったの……?)
ベラは初夜で言われた事を思い出していた…。
(あの人は話しかけると鬱陶しそうにするし…メアリー嬢は本当に大事な女性なのね…)
頭の中は劣等感でいっぱいだった。そして日が経つにつれ、視線は下がり、俯く事が増えていった…嫉妬と孤独感、疎外感…希望に満ち溢れ自信があった頃のベラの姿はなくなっていた。
そんなある日、ベラが庭園を散歩していると、休憩中のメイドたちの楽しそうな声が聞こえてきた。
人の笑う声なんてしばらく聞いていなかったベラは嬉しくなり、目の前の低い石のオブジェにゆっくりと腰をおろし、ジッと耳を澄ませた。
「ベラ様も可哀相よねぇ、夜しかライアン様に相手にされないんだもの」
「あんな美男子に夜の相手してもらえんのよ?うちの旦那と変えてもらいたいわ!ギャハハハッ!」
下品に笑いながら話は続く。
「でも、ライアン様ってあれだけ夜も遊び歩いて女遊びも激しかったじゃない?落ち着いたってことは、ライアン様もベラ様を大切に想ってるって事じゃないかしら?」
「フフフ…バカね!メアリー様が帰ってきたでしょ?いつも二人は一緒なのよ?わかるでしょ?」
クチャクチャと何かを食べながら、得意気に話をしている。
「それにベラ様とはベッドを共にしても、朝まで一緒にいたことなんて初夜以来ないのよ?跡継ぎを作る!それだけの関係よぉ~、跡継ぎを産むのが妻の義務、心は恋人のメアリー様、役割があんのよ!」
「一目惚れして、高い結納金積んで結婚してもらったんでしょ?子供作るだけが役目なんて哀れな人ねぇ…」
「なに言ってるのよ!働かなくてもいいのよ?見た目だけ綺麗に着飾って、子供さえ産めばいいの!恵まれてるわよぉ!」
「でも、侯爵家も紛争でお金がないんでしょ?使用人もどんどん減らされちゃって…管理するこっちは大変よ!」
「そこで、あのお金持ちの子息夫人様の出番よ!お金を実家から巻き上げるのよ!!プッ、アハハハハッ」
「他にやる事あったわね、アハハハハ」
好き勝手に口にするメイド達…楽しそうな笑い声は、ベラを馬鹿にしているものだった。ベラは心臓のある場所がギュッ苦しくなるのを感じた。
「辛いと本当にここが苦しくなるのね…周りからは、そんな風に思われていたのね…」
ベラはすくっと立ち上がり深呼吸をした……。
「このままではいけないわ…今日は夕食を一緒に摂れないか聞いてみよう…」
ベラは、メイド達を避けるようにその場を後にした。早速ノラを通して、ライアンに夕食を一緒に摂れないか確認してもらった。
本当はベラ自身がライアンの元に行き、約束を取り付けたかったが、執務室で仕事している二人の姿を見ると、余計に自信がなくなりそうだったし、良い返事が聞けなかったら更に落ち込むだろう、と臆病に考えていた。それ程ベラは自信を失くしていた。
何もしていない、何もできない、何も力になれない…そんな無力感と劣等感がこの三ヶ月でベラには、すっかり染み付いてしまっていたのだ。
「わたしって女としてまったく魅力がなかったのね…。」
ベラは鏡に映る自分の姿を見て、残念そうに呟いた。
「ノラ、ちょっと待って!」
夕食の約束をライアンから取り付けたノラを、メアリーが呼び止めた。
「はい、メアリー様」
「ノラ、呼び止めて悪いわね、今日の夕食なんだけど、せっかくだから地味な子息夫人を目一杯着飾らせて連れてきてくれるかしら?キレイな黒髪はまとめないでね、わかったわね?」
メアリーは笑顔で言い付けた。
「………かしこまりました」
「18時ね!よかったわ!」
ベラはホッとした。驚くことに、ベラとライアンは一緒に食事をした事がなく、一緒に過ごすのはベッドで夜の営みの間だけだった。
ベラは気持ちが高ぶった…会えることはもちろん嬉しかったが、困ってること、思ってることをちゃんと伝えたかった。妻の義務と言い放ち、抱くだけ抱いていつも傍にいてくれない…そして、会話もろくにしてくれない夫には、言いたいことが山程あったのだ。
(時間はまだあるわね…少しでも印象を良くするために何ができるかしら…)
「よし、今夜はたくさんの花を食卓に飾ろうかしら?花を摘みに行こう」
ベラはここに来てから執務室に飾る花を、自ら摘んでメイドに飾らせるのが日課になっていた。
疲れた時、ライアンのふと見上げたその先に、綺麗な花があったら…少しは疲れが取れるかしら?そんな思いだった…。
ベラが花を摘んで戻ると、ノラとメイドが部屋の前で待っていた。
「今日はせっかくのライアン様との夕食でございます!お支度を手伝わせていただきますね」
ノラは優しく笑っている。
「いつも通りでいいわ…パーティーに行くわけじゃないのよ?」
ベラは断るが、メイドはさっさと手を動かし支度を始めた。
「いえ、このままで行くわ」
困惑するベラにノラが優しく言う。
「ライアン様は美しく着飾った女性がお好きなようです!今日はベラ様の魅力を最大限に引き出させていただきます!」
馴れた手付きでメイドが眉を整え、いつも軽い白粉程度の化粧しかしないベラに、薔薇のような綺麗なピンクの紅が塗られ、ほんのり頬には赤みが増すと、誰の目から見ても美しい女性になっていた。
「ねぇ、ノラ…、今わたし綺麗かしら…?」
完全に自信を無くしつつあったベラだったが、ノラ達に綺麗に整えてもらい、姿勢を正し、鏡に写る姿は、自分自身で見ても美しく思えた。
「もちろんでございます!ベラ様は白くてキメの細かい肌をしておりますし、目鼻立ちはハッキリしていて本当にお美しいですよ。綺麗な黒髪は結っていては勿体無いと思います…結わずに巻きますね」
炭で熱せられたコテで髪が巻かれていく。
「いつも結っていたわ、こんな風に髪を巻かれたのは初めてよ!有り難う…挙式の時もそうだけど、ノラがいてくれて本当に良かったわ」
ベラは目を細めノラに感謝を伝えた。
「………いえ、こちらこそお世話できて喜ばしく感じております…腕には薔薇の香油を塗りますね、薔薇の香りがベラ様の魅力をより引き立てます」
「香油は待って!食事の時には……」
ベラは断ろうとしたが、既に塗られてしまっていた。
夕食の時間より早めに行き、食卓に花を多めに飾った。
「今日は、夫とゆっくり食事ができたらいいわ、いつもお忙しくしているもの…今日は何がお好きなのか聞くつもりなのよ、食べ物の好き嫌いもまだ知らないし…」
ベラは、いつもより口数多く機嫌が良いようだった。ノラは、ただ黙ってベラの話を聞いている。
だが、時間になってもライアンは現れない。
「遅いわね…ちゃんと伝えたわよね?」
ベラは不安そうにした。しかも用意された食器は何故か三人分だ。
(お義父様は今イスタンウッドにいらっしゃるし…まさかメアリー嬢?)
ベラに不安がよぎった…。そして一時間ほど遅れてライアンとメアリーが現れた。
(二人で食事がしたかったのに…)
ベラはシュンとなってしまった。
「遅れてすまない!イスタンウッドで問題が起きたんだ…」
「と、とんでもございません!」
ベラは慌てて立ち上がった。
そして、ライアンはベラをジッと見つめ、不機嫌そうに顔をしかめた。
(何かわたし変かしら?)
ベラは不安に駆られた。
ライアンはごく自然に、メアリーの椅子を引きエスコートして座らせた。
「ベラ、いつもと雰囲気が違うな…ここの生活を楽しんでいるようだな、安心したよ」
ライアンは眉をしかめている。
「すみません…変でしょうか…?」
「いや、変ではない…まぁいい、今日は二人の仲が少しでも良くなれば、とメアリーも夕食に呼んだんだ!楽しい食事をして仲を深めよう」
ライアンは二人を交互に見た。
「ライアン、無理よ!こんな頭がお花畑な子と、どうやって仲良くしろっていうの?」
メアリーは、はっきりとした口調で淡々と言った。
食卓には次々と料理が運ばれてくる。
「この三ヶ月で夫人は何をしていたの!?ただ食べて散歩して終わり?あたし違が忙しそうにしてるのに、あなたは呑気に花を摘んでいたの?毎日執務室に飾る花を用意しているんですってねぇ?花が枯れる前に飾るから、机や棚は花で溢れて、あたしもライアンも迷惑しているの!こんな香りの強い花、食事が不味くなるわ、片付けて!!!」
メイドが花を手際よく片付けていく…それをベラは、黙って見ているしかなかった…。
「なら、わたしの事を避けないでもらえませんか?使用人さえメアリー嬢の顔色を伺って、わたしに何も教えてくれません!夫にも、わたしにこの屋敷の事を教えるように言われていたでしょう」
ベラは悔しさを口にした。
「ご夫人様は人に聞かないと何もできないの?使用人さえあなたを認めていないのなら、ここの管理なんて到底無理だわ」
メアリーは見下した様に言う。
悔しい悔しい悔しい…ベラは俯き、今にも泣き出しそうだった。
ライアンは黙って食事を続け、ワインのおかわりを頼んだ。
「それにあなたの格好は何?離れた所とはいえ、紛争が続いているのよ?暇な人はいいわね、常にライアンを誘惑することばかり考えているのね?そんなパーティーへ行くような格好して恥ずかしいとは思わないのかしら?」
蔑んだ顔とは、こういう顔をいうのだろう…メアリーの軽蔑した眼差しは、鋭くベラに突き刺さった。美しく着飾らせてくれたのはノラやメイド達だ。だが、ベラもそれに浮かれていたのは事実だ。
「長引く紛争で民が苦しみ、敵軍はイスタンウッド端に本陣を構えてしまった…ベラ、散歩するのも花摘みもいいが、そのように着飾るのはやめてくれ。君には緊張感というものがない、紛争で苦しむ民や、騎士達が君の姿を見たらどう思うだろうか?よく考えてみてくれ」
「……申し訳ありませんでした。」
(最近の情勢についてなんて誰も教えてくれないじゃない!)
ベラも言い返したかった。だが、自覚がないのは事実であった。見聞が狭く、ライアンが好きだという気持ちだけでスラントリーにまで来てしまったのだ。嫉妬に駆られ、ライアンの側に居られないことを嘆くばかりで、妻としてできることを人任せにしていたのは事実だった。
「大事なことが見えていませんでした…」
ベラは自分自身に嫌気がさした…そして恥ずかしさが込み上げる。
「それにこの匂いはなんなの?食事をするのに香油を塗りたくってきたの?もう夜の準備かしら?」
馬鹿にしながらメアリーは、フォークをプラプラとベラに向けた。
「メアリー、もうよせやめろ!」
メアリーは声を出して笑っていた。
アハハハハッ
広い屋敷の食堂に、メアリーの笑い声だけが響き渡る…。
「そろそろ食事に戻ろう…」
そう言ってライアンは食事を再開させた。無言の中、食器の音だけが聞こえる静かな夕食となった…。
ベラは、三人で夕食を摂った後、自室に戻りすぐに実家に向かう支度を始めた。
この屋敷でできることがないなら、ルードッツァに帰って紛争に役立つことをしようと決めたのだ。
「メタリアル16はまだそのままかしら…?あの人を好きになってから一度も行ってないわ…」
嫁ぎ先であるハイアート侯爵家のために、何でもいいから役に立ちたかった。
(結婚しました!だからわたしを愛してください…なんて虫のいい傲慢な考えだったわ…わたしを知らないんだもの、愛せなくて当然だわ…まずはわたしを知ってもらうのよ)
冷遇されても、ライアンが好きな気持ちは変わらなかった…どんなにライアンが憎らしいことを言っても、理不尽な態度をとってきても、自分を好きでいてくれなくても心はブレなかった。
その日の夜は、なかなか寝付けずにいた。
(早朝に馬車を手配してもらうように頼もう…忘れ物はないかしら?夫にはなんて伝えよう…)
頭の中で色々な事を考えた。
(実家に帰るのはここの生活が嫌になったからじゃない!夫のために全てを懸けて、やるだけやってこようとしているだけ…でも、何も成し得ていないわたしがそんな大口を叩いたところで鼻で笑われてしまうかも…)
ベラは故郷に帰ることを、ライアンにどのように伝えようかずっと考えていた。
ライアンとまともに話をしたことがなかったベラにとって、これは難しい課題のようなものだった。
翌朝、支度を済ませライアンの執務室へ向かう。
ドアの前に立って一呼吸した…。
「ふー…」
トントンッ
「ベラです。旦那様、ちょっとよろしいですか?」
「どうぞ」
ライアンの代わりに、メアリーの返事が聞こえる。
それだけでベラの気持ちは少し沈んでしまった。
ライアンとメアリーが二人でベラを見た。
(用があるのは夫だけなのに…)
ベラは面白くなかった。
「旦那様、大事な話があります…二人で話がしたいのですが…メア」
「ライアンとあたしに隠し事はないわ!このまま要件を伝えてちょうだい!」
メアリーはベラの言葉を遮り、一蹴した。
「見ての通り忙しい…すまないが、このまま話を続けてくれ、この後すぐに、王都に行かなければならないんだ」
ライアンは書類を見ながらベラから視線を外した。
「わかりました…しばらくの間ヴィアインに行って参ります。自分に…」
トントンッ!
ノックと同時に、話の途中であったがノアが要件を述べた。
「ライアン様、馬車の準備が出来ました!お急ぎください。」
「…すまない、ベラ!もう出ないといけない。そうだな……君は実家に帰って羽を伸ばしてくるといい…」
そう言って書類をまとめると、早足で部屋を出て行ってしまった。
「まっ、待って!!」
ベラも一緒に部屋を出ようとしたが、メアリーが立ち塞がった。
「もう要件は済んだでしょ?あなたは居ても居なくても変わらないって言われているようなものなの!二度と帰って来なくていいんだからね!結納金ありがとう。御馳走様!」
メアリーはニコニコしながら、ベラの肩を掴み、有無を言わさず勢いよく部屋から追い出した。
「なんて馬鹿力なの!?こんな無礼な態度、誰にもされたことなかったわ…」
メアリーが押した肩が痛んだ……。
でも、もっと痛んでいるのはベラの心だった。
だがそれと同時に、闘志のようなものが燃えてくるのがわかった。
「言いたいことは何も伝えられなかったわ…あなたは居ても居なくても変わらない…か…確かにそうね…確かにそうよ、今のわたしには…でも、わたしはわたしのやり方で夫に尽くすのよ!わたしは神に愛された子なのよ!?夫にも愛されてみせるわ!」
ベラは故郷であるルードッツァへ向かった。