「今から君を抱くが、愛だなんだと俺に求めないで欲しい…」
シャツを雑に脱ぎながら、目も合わせず冷たく言い放つのは、昼に挙式を終えたばかりの夫、ライアン·アルヴェだ。彼はハイアート侯爵家の嫡男である
。
「…わっ、わたしはあなたと心も通じ合えたらいいと思っています…」
この女性はヴィアイン伯爵家の嫡女、ベラ·ザムール。本日このハイアート侯爵家に嫁ぎ正式に侯爵子息夫人となった。
「これは政略結婚だ…干渉されるのも、するのも好きじゃない…義務だけ果たして、後はお互い好きにやる事にしよう。」
仲の良い両親の元で育ったベラにとって、この提案は受け入れ難いものだった。
「わっ、わたしは好きです!!夫婦として愛を育んでいきたいんです!」
確かにライアンとは、家同士の利害が一致した政略結婚のようなものではあった。しかし、ベラはライアンのことが好きで結婚をしたのだ。
(義務を果たす…?後はお互い好きにやろう…?どういう意味なのかわかるようでわからない…)
ベラは夫の言葉に困惑していた。
「聞いたよ、俺に一目惚れしたんだって?くだらないな…見た目で好きだなんだって…がっかりしたか?こんな性格で。」
「まだ、わかりません…あなたのことまだなにも知らないので…」
「はぁ…今日は何にしても初夜だ、義務の一つを果たして貰わないとな。」
髪を掻き上げながら、鋭い目つきでベラを見た。髪はまだ濡れていて艶やかで、男の独特の匂いが漂ってくるようだった。
「…ちょっと待ってください…義務?ただ、子供を産むってことでしょうか?」
自分の想像していた結婚初夜のイメージとは大分違っている…ベラは動揺しながら尋ねた。
「夫の性欲を満たすことも妻の義務だろ?」
「なっ!なんて失礼な人なの!?」
性欲を満たすことも妻の義務…という言葉に、お前には女としての価値がそれしかない!と言われているようで、ベラの自尊心は酷く傷ついた。
ライアンはそんな事はお構いなしで、ベラを少し乱暴に押し倒すと、ネグリジェのヒモ手早く解いた。
「おっ、お待ちになってください!納得できません…もう少し話をしましょう!」
ベラはライアンの胸に爪を立て、抵抗をみせた。
「話は終わった。ベッドで騒がれると冷める。色っぽい声を出せ。」
「そんな酷い…やめてください!」
初夜のために磨き上げた体も、乳母とこの日のために選んだネグリジェも、この無礼な夫の前では意味のないように思えた。
「どいてください!!」
ベラは憤り、ライアンの胸をバシバシ叩き、払いのけようと抵抗を続けた。
「ハハ…無理矢理結婚にこぎつけたくせに、今更思っていた結婚と違ったからって夫を拒絶するのか?」
ライアンは、ベッド横に置いてあるワインを瓶ごと口に含み無理矢理ベラにキスをした。
生ぬるいワインが口の中に注がれてゆく…ベラは口を塞がれ、行き場を失ったワインをゴクリと音を立てて飲み込んだ。
激しいキスが続く…ライアンは慣れた手付きでスルスルと下着を剥ぎ取っていった。
(女性の扱いが慣れてる…わたしは初めてなのに…)
その事にベラは少し悲しくなった。
ベラは、キスや体を触られる男女間の営み、その全てが初めての事だった…頭がおかしくなりそうで呼吸の仕方もわからない…。
「はぁっ、はぁ…はぁ…息ができません…」
「呼吸なんてしたいときにすればいいんだ…」
吐息を漏らしながら優しく耳元で呟く…
ライアンの乾いた口先が耳に触れると、敏感にベラの体は反応した…思わず声が漏れる…
「あっ…」
「ん?貴族の令嬢なのに手に火傷の跡があるな…」
蝋燭の火に照らされて、左の手の平にある火傷の跡が、痛々しくライアンの目に写った。
「昔、遊んでいて…あっ…あ…はぁ…」
ライアンは火傷の跡に舐めるようなキスをした…。すると、キスをされた手の平が熱くなり、そして体全体に熱が広がっていった…。
失礼な物言いに腹を立てていたが、男の舌先や指が体をなぞり、ゾクゾクと体が感じる度に、もっと触れて欲しくなり、そして何も考えられなくなっていった…。
熱が増していく…吐息が肌に当たるたび、得体の知れない女としての悦びを求め…恥ずかしさと高揚感が同時に襲ってくるようだった…。
熱い視線を向けられ、ベラは熱く熟れた眼差しをライアンへ向けた…
「そろそろ挿れる……フッ…力を抜け……これだけ濡れてれば充分だ……」
「あっ……」
裂ける様な痛みが体の中を貫き、異物が振動と共にゆっくり、ゆっくりと前後していく…
「あっ、ん……い、痛い…」
ベラの瞳から涙が滲む…
「力を抜け、はぁ………はぁはぁ…手加減するのがキツいな…」
恍惚とした表情を浮かべるライアンを見て、ベラの気持ちは昂り、鼓動が高鳴った……
湿ったお互いの肌が擦り合い、
滴る雫のように汗が美しいと感じられる…
そんな余裕ないはずなのに、しっかりこの日のことを体で覚えていようと、そして記憶に残そうと目は閉じずに、夫の顔を見上げた…
思わず口から感情が溢れだす…
「わたしはあなたを愛しています…好きです」
錯覚する幸せな痛みに、心が通じ合ってる…ベラはそう思わずにはいられなかった…
絶頂に達したライアンは、直ぐに自らの体を拭きだした。
「体の相性はいいようだ…」
そう言うと、ベラを冷たく見つめた。
「もう一度言う、俺に愛だなんだと言うのはこれっきりにしてくれ…俺は君を愛することはない」
シャツを手早く羽織る音が空しく響く…。
「どうして愛さないと言いきれるんですか…?」
(先程まであんなに求められていたのに…勘違いだったの?)
あまりの温度差にベラは困惑した。
「愛することもいけませんか…?」
ベラは捻り出すように問いかけた。
「愛に見返りを求めないと誓えるか?どんなに愛されたとしても、俺が君を愛することはない!政略結婚なんだ、義務をお互い果たすだけ…それ以上でもそれ以下でもない」
ライアンは淡々とした口調で、それだけ言うと、すぐ横になってしまった。
不信と戸惑いがベラの心を覆い尽くし、ベラは寝息を立てて熟睡しているライアンを恨めしく思った。
「結婚に愛を求めてはいけないことなの?」
寝ている夫に向かって言い返すが、もちろん返事はない。
(言いたいことだけ言って、さっさと寝てしまうなんて…)
背を向けるライアンに、しばらく呆然となり腹を立てたが、ベラはその広い背中に、顔と寂しさを埋めるようにしてしがみついた。
「…明日また考えよう」
何はともあれ、好きになった人と結婚したのよ…ベラは無理矢理そう言い聞かせ目を閉じた…。
ドタドタドタドタッ!!
大きい足音が近づいてくる。
「何事なの!?」
ベラは、余りの騒がしさに跳ねるように飛び起きた!
「いけません!メアリー様」
式の準備を手伝ってくれた侍女長、ノラの焦ったような声が、扉の前から聞こえた。
(何事なの?)
ベラは、扉の外で聞こえる異変に耳を澄ましていた。
バンッ!!
勢いよく扉が開く!
「きゃぁー!!」
思わず首をすくめ、悲鳴を上げるベラ。
「ライアン!!起きて!!今帰ったわ!」
赤毛の女が勢いよくベッドに近づき、ライアンのシャツを掴んだ。
(なに!?怖い!)
ベラは突然の事に危険を感じ、身構えた。
「こんな結婚馬鹿げてるわ!!」
揺すられ問いただされたライアンは、目を擦りながらようやく目を覚ました。
「ん?メアリーどうしてここに?イスタンウッドはどうなった!?」
「寝惚けているの!?どうしてじゃないわよ!イスタンウッドはまだまだ紛争真っ只中!でも、あなたが結婚するって聞いて飛び出してきたの!止めたかったのに間に合わなかったわ!!」
赤毛の女はライアンの体にもたれるように話をしている。
(夫の知り合い?頭のおかしな人?愛人?)
ベラは情報量の多さについていけずにいる。
「わっ、わたし達はまだ寝間着ですよ!?
とっ、とにかく離れてください!どちら様でしょうか?ここは寝室ですよ」
ベラは衣服の乱れや、髪を手ぐしで手早く整えながら、なるべく毅然と話をした。
「どちら様ってわたしはライアンにとって特別な女よ!あなたが無理矢理結婚を迫った奥様ですか?」
メアリーがベラを睨み付けた。
そしてベラは、突然押し掛けてきた無礼な赤毛の女に心底腹が立ったと同時に、頭に血が登ってくるのがわかった。
「とにかく夫から離れて!!!」
苛立ちを抑えられなくなったベラは、赤毛の女をライアンから引き剥がそうと腕を引っ張ってみせた。しかしビクとも動かない…。
「剣も握ったことのないご令嬢なんかに力で負けないわよ、触らないで!!」
ベラの手はバシッと音を立て、勢いよくはね除けられた。
「剣ならいくらでも握ったことがあるわ!」
ベラはムッとして言い返した。
「嘘つきね、普通のご令嬢が剣なんて握るわけないでしょ?」
「あーっ!二人とも落ち着け!メアリーここには入ってくるな!」
頭を掻きむしりながら、怒鳴るようにライアンは言った。
「こいつはメアリー、マロイ伯爵家の娘だ!訳あって子供の頃からここに住んでいる…大切な友人であり兄妹でもある、そんな関係だ!仲良くやってくれ」
メアリーは髪を掻き上げながら得意気にベラを見ている。
「ゆっ、友人や兄妹は夫婦の寝室に押し入ったりしませんが…わたしの認識が間違っているのでしょうか?」
嫌味で返すベラに、メアリーは鼻で笑うように答えた。
「夫婦?得意気に…お金で旦那を手に入れた図々しいあなたなんかより、わたしとライアンは特別な関係ではあるわね…」
「特別な関係ってなんですか!?まさか愛人なの?」
「だったら!?」
メアリーの物言いに、カッとなったベラは、メアリーの襟を掴み、力ずくでまた二人を引き剥がそうとした。しかし、ライアンがベラの腕を掴みはね除けた。
「やめてくれ!言ったよな?友人であり兄妹だって!昔からメアリーは少し失礼な物言いをしてしまうし、こんな感じだ…はぁ…君が理解してくれ…そしてメアリーは寝室から出て行くんだ。」
ベラは怒りを押し殺しながら、信じられないといった感じでライアンを見た。
「あたし、ここにしばらく居るわ!イスタンウッドにはしばらく戻らない!屋敷の管理もしないとだし…」
メアリーがとんでもないことを言い出した。
「屋敷の管理…?」
ベラは困惑した。
このオルタンジア王国では、主の妻が屋敷の管理を行うものだが、侯爵夫人は10年も前に病で亡くなっている。そのため、後継者の妻であるベラが行うのは必然であった。
「本当にイスタンウッドには戻らなくていいのか!?こっちは助かるが…。」
ライアンは少し嬉しそうだ。
「まっ、待ってください!妻として屋敷における全ての管理は、わたしにさせてください!メアリー嬢が行うことはおかしいではありませんか!」
ライアンの言葉に、ベラは堪らず反抗をみせた。
「ご夫人様、あなたは信用できないの。あたしがこれまでもやっていたし、これからもそのつもりよ!ねぇ、ライアンそうでしょ?来たばかりのご夫人様に大事なこと任せられないわよねぇ?」
片側の口角を少し上げながら話すメアリーを見て、心底憎らしいとベラは思った。
「メアリー、ご夫人様ではない!ベラはルードッツァ出身でヴィアイン伯爵家の娘だ。二人とも仲良くやってくれ。ベラ、メアリーの言う通り、屋敷の管理全般はこのまま彼女にやってもらう。君はまだここのことを何一つ知らないだろう…ヴィアインは武器は作っても、紛争など関係のない安全な場所だ…確かにそんな箱入りのご令嬢に、ここの事は難しいだろ?メアリーを見て学ぶんだ。メアリーはベラに色々教えてやってくれ。」
言い返す隙など与えない、そんな風にライアンは二人に言った。
確かにベラは屋敷の管理のことは素人だが、箱入りのご令嬢という言葉に反発を覚えた。しかし、屋敷の事を知らないのは事実で、メアリーに学ぶ事は多そうだ。無礼なメアリーは気に入らなかったが、ライアンがそう言うのなら、と渋々受け入れることにした。
「わかりました…メアリー嬢、よろしくお願いします…」
メアリーはツンとしていて返事をしなかった。ライアンの政略結婚に納得していないからだ。
政略結婚だと言われるのには訳があった。ヴィアイン伯爵家は武器の製造はもちろん、流通においてもオルタンジア王国一の家門であり、世界貿易も盛んであった。
国境近くであるイスタンウッドは、現在紛争が激化している。ハイアート侯爵家がライアンとベラの結婚を急がせたのはそのためだ。
紛争には大量の武器や物資が必要になり、莫大な軍事費が掛かっていたため、侯爵家の財政を圧迫していた。しかし、この結婚により多額の結納金が手に入る上、紛争に必要な新たな武器を、大量にヴィアイン伯爵家から安く買う事ができるのだ。
そして、ヴィアイン伯爵家にとっては武器を買い取ってもらえるし、多額の結納金が戻ってくるようなものだった。
双方に利があり、利害関係で結ばれたこの縁談は周りから見たら、まさに政略結婚であった。
しかし、ベラの気持ちはそれとは違う。三ヵ月前に執り行われた帝国記念のある日、貴族達は王城に集まり、王様に挨拶をした。ベラは退屈な時間を過ごし、暇を持て余していた。すると、人が行き交い混み合った庭園の隅に、一人異彩を放った美しい男が佇んでいた。ベラは一目見たその瞬間、周りの景色や人が霞むように見えなくなり、その男に心を奪われていた。運命的な出会いがあったわけではない、ただ一目で好きになってしまったのだ。ベラはその日から、他の事が何も手につかなくなる程、ライアンのことで頭の中が一杯になっていた。初めての恋だった…。猫のように柔らかそうな金色の髪、スーッと通る鼻筋にキリッとした眉、そして大き過ぎない青い瞳を、思い出すだけでどうしようもない程の胸の高鳴りを感じるのだ。
これまで数々の縁談を全て断っていたベラだったが、両親に好きな人がいると相談した。そして、これまで異性に対して無頓着だったベラの性格を考えると、結婚できなくても仕方ないと腹を括っていた両親は大喜びだった。
利はあるものの、ベラの父は紛争中のハイアート侯爵家にはベラを嫁がせたくなかったし、母は遠く離れたスラントリーへ娘を嫁がせることに猛反対した。しかし、初恋を体験したベラの意志は固かった…二人は不安に思いながらも、何かあったら戻って来なさい、そう言って送り出してくれたのだ。
そしてハイアート侯爵家と、ヴィアイン伯爵家による縁談は早急に進めれていたが、ライアンがそれに強く反発していた。
「嫌です!!武器ならなにもヴィアインから買うことはないでしょう!どうして田舎の伯爵家の言いなりなんですか?圧力でも掛けられましたか!?まるでハイアート家が伯爵家に金で買われるようなものではありませんか!!」
ライアンの父である侯爵は、机に指をトントン跳ねさせ苛立ちを隠せない。
「他に言う事はないか?」
低い声でゆっくりと尋ね、凄味を見せる父に、ライアンは一瞬怯み、声が小さくなった。
わ
「…それにあの黒髪…いえ、とにかくあの令嬢は気に入りません」
バサッ!バサバサッ…
父は目の前に置いてあった分厚い資料を、勢いよくライアンへ投げつけた。
「お前にはこれが見えないのか!?すべて解決しないといけない問題だ!この紛争でどれだけ飢えている領民がいると思っているんだ!!お前の食べるもの、着るもの、全て領民のお陰だ!領民を守るためにお前に何ができる!?あちらのお嬢さんがお前を気に入ったんだ!喜ぶべきだろう?あちらが用意する結納金はかなりの額だが、紛争中だという事もあって式は質素でいいと仰ってくれているんだ!武器だって破格の値段で売ってくれる!」
激昂しライアンを叱責する父は、長年王国に忠誠を誓い、必死に国境を守ってきたハイアート家の侯爵である。息子の相手が気に入らないという理由で結婚を拒む、甘えた考えが許せなかった。
「お前が結婚しないと言うなら、後継者はイーサンにする!!」
弟のイーサンは、紛争の激化するイスタンウッドで父や兄に代わり、身を呈して戦っている。率先して先頭に立ち戦う姿や、人望も厚く騎士はもちろん兵士達からも人気があった。
頭の良いライアンは領地の財政管理を、弟のイーサンは紛争における軍事全般に従事していた。
「お前がイーサンに変わりイスタンウッドに行くか、結婚して後継者として身を固めるか、選びなさい」
「…わかりました。結婚します」
ライアンは望まない結婚に承諾するしかなかった…そしてその苛立ちは、ベラへ向けられたのであった。
「旦那様、今日はここで寝ていかないのですか…?」
さっさと立ち上がり部屋を出て行こうとするライアンのシャツの端を掴んで、ベラは引き留めた。
「今は考えることが特に多いんだ。ここにいたら考えもまとまらない…。それに、誰かと寝るのは好きじゃないんだ」
振り返りもせずにそれだけ言うライアン。
「あっ…、おやすみなさい…。」
ベラは、自分に興味のなさそうにするライアンにそれだけ言うのが精一杯だった。
(でも、私のところに度々来てくれるわ…)
ベラは寂しさを押し殺してそう自分に納得させた。
朝、部屋から出るとそこにはメアリーが立っていた。なんだか睨んでいるようにも見える。
「メアリー嬢、おはようございます。」
少したじろぎながらもベラは挨拶をした。
「ねぇ、自慰行為って知ってる?」
メアリーがニヤニヤしているのを見て、ベラは嫌悪感を覚えた。
「じいこうい?…知りません…」
ベラはそういったことに疎いため、それが何を意味しているのか見当もつかない。
「アハハハ…あなたはそれと同じよ。男には発散が必要だから!」
メアリーはバカにしたように大口を開けて笑いながら去っていった。
ベラは侯爵邸にある書庫で早速それについて調べてみることにした。
だが、何冊も本を手にとって調べるが、どの本にもそれらしい記述は載っていない。
「ノラ、自慰行為って知ってる?メアリー嬢に聞かれたんだけど、わたし知らなくて…」
「…いいえ、存じ上げません。」
「そうよね…。いくら本で調べても出てこないの。旦那様に聞いてみようかしら…」
その晩、再びライアンは寝ているベラの元へ訪れ、いつものように事が済んだ後、立ち去ろうとした。
ライアンにベラはそれを思い出したように話し掛けた。
「旦那様、自慰行為ってご存知ですか?」
ベラの不意を突いた質問に、ライアンは身支度の手を止めた。
「癪に触る言い方だな。それは嫌みか?俺が君にその扱いをしているって言いたいのか?」
ライアンは睨み付けるようにベラを見下ろした。
「いえ…あの、旦那様…?」
ライアンの憤った顔にベラは怯みながらも説明しようとしたが、
「確かに…君がそう思うならそうなんだろう?もう行くよ。」
「お待ち…」
バンッ!!
扉を強く閉め、ライアンは苛立ちを隠さずに去っていった。
「きっと、いけない言葉だったのね…」
ベラは溜め息をつきながら枕に顔を埋めた。
シャツを雑に脱ぎながら、目も合わせず冷たく言い放つのは、昼に挙式を終えたばかりの夫、ライアン·アルヴェだ。彼はハイアート侯爵家の嫡男である
。
「…わっ、わたしはあなたと心も通じ合えたらいいと思っています…」
この女性はヴィアイン伯爵家の嫡女、ベラ·ザムール。本日このハイアート侯爵家に嫁ぎ正式に侯爵子息夫人となった。
「これは政略結婚だ…干渉されるのも、するのも好きじゃない…義務だけ果たして、後はお互い好きにやる事にしよう。」
仲の良い両親の元で育ったベラにとって、この提案は受け入れ難いものだった。
「わっ、わたしは好きです!!夫婦として愛を育んでいきたいんです!」
確かにライアンとは、家同士の利害が一致した政略結婚のようなものではあった。しかし、ベラはライアンのことが好きで結婚をしたのだ。
(義務を果たす…?後はお互い好きにやろう…?どういう意味なのかわかるようでわからない…)
ベラは夫の言葉に困惑していた。
「聞いたよ、俺に一目惚れしたんだって?くだらないな…見た目で好きだなんだって…がっかりしたか?こんな性格で。」
「まだ、わかりません…あなたのことまだなにも知らないので…」
「はぁ…今日は何にしても初夜だ、義務の一つを果たして貰わないとな。」
髪を掻き上げながら、鋭い目つきでベラを見た。髪はまだ濡れていて艶やかで、男の独特の匂いが漂ってくるようだった。
「…ちょっと待ってください…義務?ただ、子供を産むってことでしょうか?」
自分の想像していた結婚初夜のイメージとは大分違っている…ベラは動揺しながら尋ねた。
「夫の性欲を満たすことも妻の義務だろ?」
「なっ!なんて失礼な人なの!?」
性欲を満たすことも妻の義務…という言葉に、お前には女としての価値がそれしかない!と言われているようで、ベラの自尊心は酷く傷ついた。
ライアンはそんな事はお構いなしで、ベラを少し乱暴に押し倒すと、ネグリジェのヒモ手早く解いた。
「おっ、お待ちになってください!納得できません…もう少し話をしましょう!」
ベラはライアンの胸に爪を立て、抵抗をみせた。
「話は終わった。ベッドで騒がれると冷める。色っぽい声を出せ。」
「そんな酷い…やめてください!」
初夜のために磨き上げた体も、乳母とこの日のために選んだネグリジェも、この無礼な夫の前では意味のないように思えた。
「どいてください!!」
ベラは憤り、ライアンの胸をバシバシ叩き、払いのけようと抵抗を続けた。
「ハハ…無理矢理結婚にこぎつけたくせに、今更思っていた結婚と違ったからって夫を拒絶するのか?」
ライアンは、ベッド横に置いてあるワインを瓶ごと口に含み無理矢理ベラにキスをした。
生ぬるいワインが口の中に注がれてゆく…ベラは口を塞がれ、行き場を失ったワインをゴクリと音を立てて飲み込んだ。
激しいキスが続く…ライアンは慣れた手付きでスルスルと下着を剥ぎ取っていった。
(女性の扱いが慣れてる…わたしは初めてなのに…)
その事にベラは少し悲しくなった。
ベラは、キスや体を触られる男女間の営み、その全てが初めての事だった…頭がおかしくなりそうで呼吸の仕方もわからない…。
「はぁっ、はぁ…はぁ…息ができません…」
「呼吸なんてしたいときにすればいいんだ…」
吐息を漏らしながら優しく耳元で呟く…
ライアンの乾いた口先が耳に触れると、敏感にベラの体は反応した…思わず声が漏れる…
「あっ…」
「ん?貴族の令嬢なのに手に火傷の跡があるな…」
蝋燭の火に照らされて、左の手の平にある火傷の跡が、痛々しくライアンの目に写った。
「昔、遊んでいて…あっ…あ…はぁ…」
ライアンは火傷の跡に舐めるようなキスをした…。すると、キスをされた手の平が熱くなり、そして体全体に熱が広がっていった…。
失礼な物言いに腹を立てていたが、男の舌先や指が体をなぞり、ゾクゾクと体が感じる度に、もっと触れて欲しくなり、そして何も考えられなくなっていった…。
熱が増していく…吐息が肌に当たるたび、得体の知れない女としての悦びを求め…恥ずかしさと高揚感が同時に襲ってくるようだった…。
熱い視線を向けられ、ベラは熱く熟れた眼差しをライアンへ向けた…
「そろそろ挿れる……フッ…力を抜け……これだけ濡れてれば充分だ……」
「あっ……」
裂ける様な痛みが体の中を貫き、異物が振動と共にゆっくり、ゆっくりと前後していく…
「あっ、ん……い、痛い…」
ベラの瞳から涙が滲む…
「力を抜け、はぁ………はぁはぁ…手加減するのがキツいな…」
恍惚とした表情を浮かべるライアンを見て、ベラの気持ちは昂り、鼓動が高鳴った……
湿ったお互いの肌が擦り合い、
滴る雫のように汗が美しいと感じられる…
そんな余裕ないはずなのに、しっかりこの日のことを体で覚えていようと、そして記憶に残そうと目は閉じずに、夫の顔を見上げた…
思わず口から感情が溢れだす…
「わたしはあなたを愛しています…好きです」
錯覚する幸せな痛みに、心が通じ合ってる…ベラはそう思わずにはいられなかった…
絶頂に達したライアンは、直ぐに自らの体を拭きだした。
「体の相性はいいようだ…」
そう言うと、ベラを冷たく見つめた。
「もう一度言う、俺に愛だなんだと言うのはこれっきりにしてくれ…俺は君を愛することはない」
シャツを手早く羽織る音が空しく響く…。
「どうして愛さないと言いきれるんですか…?」
(先程まであんなに求められていたのに…勘違いだったの?)
あまりの温度差にベラは困惑した。
「愛することもいけませんか…?」
ベラは捻り出すように問いかけた。
「愛に見返りを求めないと誓えるか?どんなに愛されたとしても、俺が君を愛することはない!政略結婚なんだ、義務をお互い果たすだけ…それ以上でもそれ以下でもない」
ライアンは淡々とした口調で、それだけ言うと、すぐ横になってしまった。
不信と戸惑いがベラの心を覆い尽くし、ベラは寝息を立てて熟睡しているライアンを恨めしく思った。
「結婚に愛を求めてはいけないことなの?」
寝ている夫に向かって言い返すが、もちろん返事はない。
(言いたいことだけ言って、さっさと寝てしまうなんて…)
背を向けるライアンに、しばらく呆然となり腹を立てたが、ベラはその広い背中に、顔と寂しさを埋めるようにしてしがみついた。
「…明日また考えよう」
何はともあれ、好きになった人と結婚したのよ…ベラは無理矢理そう言い聞かせ目を閉じた…。
ドタドタドタドタッ!!
大きい足音が近づいてくる。
「何事なの!?」
ベラは、余りの騒がしさに跳ねるように飛び起きた!
「いけません!メアリー様」
式の準備を手伝ってくれた侍女長、ノラの焦ったような声が、扉の前から聞こえた。
(何事なの?)
ベラは、扉の外で聞こえる異変に耳を澄ましていた。
バンッ!!
勢いよく扉が開く!
「きゃぁー!!」
思わず首をすくめ、悲鳴を上げるベラ。
「ライアン!!起きて!!今帰ったわ!」
赤毛の女が勢いよくベッドに近づき、ライアンのシャツを掴んだ。
(なに!?怖い!)
ベラは突然の事に危険を感じ、身構えた。
「こんな結婚馬鹿げてるわ!!」
揺すられ問いただされたライアンは、目を擦りながらようやく目を覚ました。
「ん?メアリーどうしてここに?イスタンウッドはどうなった!?」
「寝惚けているの!?どうしてじゃないわよ!イスタンウッドはまだまだ紛争真っ只中!でも、あなたが結婚するって聞いて飛び出してきたの!止めたかったのに間に合わなかったわ!!」
赤毛の女はライアンの体にもたれるように話をしている。
(夫の知り合い?頭のおかしな人?愛人?)
ベラは情報量の多さについていけずにいる。
「わっ、わたし達はまだ寝間着ですよ!?
とっ、とにかく離れてください!どちら様でしょうか?ここは寝室ですよ」
ベラは衣服の乱れや、髪を手ぐしで手早く整えながら、なるべく毅然と話をした。
「どちら様ってわたしはライアンにとって特別な女よ!あなたが無理矢理結婚を迫った奥様ですか?」
メアリーがベラを睨み付けた。
そしてベラは、突然押し掛けてきた無礼な赤毛の女に心底腹が立ったと同時に、頭に血が登ってくるのがわかった。
「とにかく夫から離れて!!!」
苛立ちを抑えられなくなったベラは、赤毛の女をライアンから引き剥がそうと腕を引っ張ってみせた。しかしビクとも動かない…。
「剣も握ったことのないご令嬢なんかに力で負けないわよ、触らないで!!」
ベラの手はバシッと音を立て、勢いよくはね除けられた。
「剣ならいくらでも握ったことがあるわ!」
ベラはムッとして言い返した。
「嘘つきね、普通のご令嬢が剣なんて握るわけないでしょ?」
「あーっ!二人とも落ち着け!メアリーここには入ってくるな!」
頭を掻きむしりながら、怒鳴るようにライアンは言った。
「こいつはメアリー、マロイ伯爵家の娘だ!訳あって子供の頃からここに住んでいる…大切な友人であり兄妹でもある、そんな関係だ!仲良くやってくれ」
メアリーは髪を掻き上げながら得意気にベラを見ている。
「ゆっ、友人や兄妹は夫婦の寝室に押し入ったりしませんが…わたしの認識が間違っているのでしょうか?」
嫌味で返すベラに、メアリーは鼻で笑うように答えた。
「夫婦?得意気に…お金で旦那を手に入れた図々しいあなたなんかより、わたしとライアンは特別な関係ではあるわね…」
「特別な関係ってなんですか!?まさか愛人なの?」
「だったら!?」
メアリーの物言いに、カッとなったベラは、メアリーの襟を掴み、力ずくでまた二人を引き剥がそうとした。しかし、ライアンがベラの腕を掴みはね除けた。
「やめてくれ!言ったよな?友人であり兄妹だって!昔からメアリーは少し失礼な物言いをしてしまうし、こんな感じだ…はぁ…君が理解してくれ…そしてメアリーは寝室から出て行くんだ。」
ベラは怒りを押し殺しながら、信じられないといった感じでライアンを見た。
「あたし、ここにしばらく居るわ!イスタンウッドにはしばらく戻らない!屋敷の管理もしないとだし…」
メアリーがとんでもないことを言い出した。
「屋敷の管理…?」
ベラは困惑した。
このオルタンジア王国では、主の妻が屋敷の管理を行うものだが、侯爵夫人は10年も前に病で亡くなっている。そのため、後継者の妻であるベラが行うのは必然であった。
「本当にイスタンウッドには戻らなくていいのか!?こっちは助かるが…。」
ライアンは少し嬉しそうだ。
「まっ、待ってください!妻として屋敷における全ての管理は、わたしにさせてください!メアリー嬢が行うことはおかしいではありませんか!」
ライアンの言葉に、ベラは堪らず反抗をみせた。
「ご夫人様、あなたは信用できないの。あたしがこれまでもやっていたし、これからもそのつもりよ!ねぇ、ライアンそうでしょ?来たばかりのご夫人様に大事なこと任せられないわよねぇ?」
片側の口角を少し上げながら話すメアリーを見て、心底憎らしいとベラは思った。
「メアリー、ご夫人様ではない!ベラはルードッツァ出身でヴィアイン伯爵家の娘だ。二人とも仲良くやってくれ。ベラ、メアリーの言う通り、屋敷の管理全般はこのまま彼女にやってもらう。君はまだここのことを何一つ知らないだろう…ヴィアインは武器は作っても、紛争など関係のない安全な場所だ…確かにそんな箱入りのご令嬢に、ここの事は難しいだろ?メアリーを見て学ぶんだ。メアリーはベラに色々教えてやってくれ。」
言い返す隙など与えない、そんな風にライアンは二人に言った。
確かにベラは屋敷の管理のことは素人だが、箱入りのご令嬢という言葉に反発を覚えた。しかし、屋敷の事を知らないのは事実で、メアリーに学ぶ事は多そうだ。無礼なメアリーは気に入らなかったが、ライアンがそう言うのなら、と渋々受け入れることにした。
「わかりました…メアリー嬢、よろしくお願いします…」
メアリーはツンとしていて返事をしなかった。ライアンの政略結婚に納得していないからだ。
政略結婚だと言われるのには訳があった。ヴィアイン伯爵家は武器の製造はもちろん、流通においてもオルタンジア王国一の家門であり、世界貿易も盛んであった。
国境近くであるイスタンウッドは、現在紛争が激化している。ハイアート侯爵家がライアンとベラの結婚を急がせたのはそのためだ。
紛争には大量の武器や物資が必要になり、莫大な軍事費が掛かっていたため、侯爵家の財政を圧迫していた。しかし、この結婚により多額の結納金が手に入る上、紛争に必要な新たな武器を、大量にヴィアイン伯爵家から安く買う事ができるのだ。
そして、ヴィアイン伯爵家にとっては武器を買い取ってもらえるし、多額の結納金が戻ってくるようなものだった。
双方に利があり、利害関係で結ばれたこの縁談は周りから見たら、まさに政略結婚であった。
しかし、ベラの気持ちはそれとは違う。三ヵ月前に執り行われた帝国記念のある日、貴族達は王城に集まり、王様に挨拶をした。ベラは退屈な時間を過ごし、暇を持て余していた。すると、人が行き交い混み合った庭園の隅に、一人異彩を放った美しい男が佇んでいた。ベラは一目見たその瞬間、周りの景色や人が霞むように見えなくなり、その男に心を奪われていた。運命的な出会いがあったわけではない、ただ一目で好きになってしまったのだ。ベラはその日から、他の事が何も手につかなくなる程、ライアンのことで頭の中が一杯になっていた。初めての恋だった…。猫のように柔らかそうな金色の髪、スーッと通る鼻筋にキリッとした眉、そして大き過ぎない青い瞳を、思い出すだけでどうしようもない程の胸の高鳴りを感じるのだ。
これまで数々の縁談を全て断っていたベラだったが、両親に好きな人がいると相談した。そして、これまで異性に対して無頓着だったベラの性格を考えると、結婚できなくても仕方ないと腹を括っていた両親は大喜びだった。
利はあるものの、ベラの父は紛争中のハイアート侯爵家にはベラを嫁がせたくなかったし、母は遠く離れたスラントリーへ娘を嫁がせることに猛反対した。しかし、初恋を体験したベラの意志は固かった…二人は不安に思いながらも、何かあったら戻って来なさい、そう言って送り出してくれたのだ。
そしてハイアート侯爵家と、ヴィアイン伯爵家による縁談は早急に進めれていたが、ライアンがそれに強く反発していた。
「嫌です!!武器ならなにもヴィアインから買うことはないでしょう!どうして田舎の伯爵家の言いなりなんですか?圧力でも掛けられましたか!?まるでハイアート家が伯爵家に金で買われるようなものではありませんか!!」
ライアンの父である侯爵は、机に指をトントン跳ねさせ苛立ちを隠せない。
「他に言う事はないか?」
低い声でゆっくりと尋ね、凄味を見せる父に、ライアンは一瞬怯み、声が小さくなった。
わ
「…それにあの黒髪…いえ、とにかくあの令嬢は気に入りません」
バサッ!バサバサッ…
父は目の前に置いてあった分厚い資料を、勢いよくライアンへ投げつけた。
「お前にはこれが見えないのか!?すべて解決しないといけない問題だ!この紛争でどれだけ飢えている領民がいると思っているんだ!!お前の食べるもの、着るもの、全て領民のお陰だ!領民を守るためにお前に何ができる!?あちらのお嬢さんがお前を気に入ったんだ!喜ぶべきだろう?あちらが用意する結納金はかなりの額だが、紛争中だという事もあって式は質素でいいと仰ってくれているんだ!武器だって破格の値段で売ってくれる!」
激昂しライアンを叱責する父は、長年王国に忠誠を誓い、必死に国境を守ってきたハイアート家の侯爵である。息子の相手が気に入らないという理由で結婚を拒む、甘えた考えが許せなかった。
「お前が結婚しないと言うなら、後継者はイーサンにする!!」
弟のイーサンは、紛争の激化するイスタンウッドで父や兄に代わり、身を呈して戦っている。率先して先頭に立ち戦う姿や、人望も厚く騎士はもちろん兵士達からも人気があった。
頭の良いライアンは領地の財政管理を、弟のイーサンは紛争における軍事全般に従事していた。
「お前がイーサンに変わりイスタンウッドに行くか、結婚して後継者として身を固めるか、選びなさい」
「…わかりました。結婚します」
ライアンは望まない結婚に承諾するしかなかった…そしてその苛立ちは、ベラへ向けられたのであった。
「旦那様、今日はここで寝ていかないのですか…?」
さっさと立ち上がり部屋を出て行こうとするライアンのシャツの端を掴んで、ベラは引き留めた。
「今は考えることが特に多いんだ。ここにいたら考えもまとまらない…。それに、誰かと寝るのは好きじゃないんだ」
振り返りもせずにそれだけ言うライアン。
「あっ…、おやすみなさい…。」
ベラは、自分に興味のなさそうにするライアンにそれだけ言うのが精一杯だった。
(でも、私のところに度々来てくれるわ…)
ベラは寂しさを押し殺してそう自分に納得させた。
朝、部屋から出るとそこにはメアリーが立っていた。なんだか睨んでいるようにも見える。
「メアリー嬢、おはようございます。」
少したじろぎながらもベラは挨拶をした。
「ねぇ、自慰行為って知ってる?」
メアリーがニヤニヤしているのを見て、ベラは嫌悪感を覚えた。
「じいこうい?…知りません…」
ベラはそういったことに疎いため、それが何を意味しているのか見当もつかない。
「アハハハ…あなたはそれと同じよ。男には発散が必要だから!」
メアリーはバカにしたように大口を開けて笑いながら去っていった。
ベラは侯爵邸にある書庫で早速それについて調べてみることにした。
だが、何冊も本を手にとって調べるが、どの本にもそれらしい記述は載っていない。
「ノラ、自慰行為って知ってる?メアリー嬢に聞かれたんだけど、わたし知らなくて…」
「…いいえ、存じ上げません。」
「そうよね…。いくら本で調べても出てこないの。旦那様に聞いてみようかしら…」
その晩、再びライアンは寝ているベラの元へ訪れ、いつものように事が済んだ後、立ち去ろうとした。
ライアンにベラはそれを思い出したように話し掛けた。
「旦那様、自慰行為ってご存知ですか?」
ベラの不意を突いた質問に、ライアンは身支度の手を止めた。
「癪に触る言い方だな。それは嫌みか?俺が君にその扱いをしているって言いたいのか?」
ライアンは睨み付けるようにベラを見下ろした。
「いえ…あの、旦那様…?」
ライアンの憤った顔にベラは怯みながらも説明しようとしたが、
「確かに…君がそう思うならそうなんだろう?もう行くよ。」
「お待ち…」
バンッ!!
扉を強く閉め、ライアンは苛立ちを隠さずに去っていった。
「きっと、いけない言葉だったのね…」
ベラは溜め息をつきながら枕に顔を埋めた。