『やめなさい。わかっているのかい?この魔法を使えば君は無事ではいられないだろう。』
 悲しそうな師とは反対に弟子の顔は希望で前を向いていた。
『先生。わかっています。それでもやらなければいけない。』
 若い声が聞こえる。この二人は師弟の関係なのだろう。
『君じゃなくてもいいのではないか?』
 師は弟子を止めたいようだ。だが、弟子は止める気はないらしい。
『平和へ導く剣を作れるのは私だけです。』
 戦いに終わりが見えず、どこの国も荒れて、疲れ切っていた。戦いが終わる突破口が見つからない。弟子の作ろうとする剣はその戦いを終わらせることができる希望だった。だが、その剣を作るには師の魔力でも命をかけなければいけないと思うほど難しかった。師がそうなら弟子では…。何度も説得しようとしたが、弟子は師を残して行ってしまった。その結果、弟子を失った。
 弟子のすべてが剣を生み、その剣を得た初代ジクルドが戦いを終わらせた。国々を統一し、新しい国を作った初代ジクルドに皆は感謝した。弟子に感謝することはなく。
 皆が明るい未来を思っている中、止められなかった後悔と弟子を失った悲しみで師は精神を歪めてしまった。
 師は魔獣を捕まえ、魔力で魔獣を強くした。強くなった魔獣はジクルドの国に復讐するように村々を襲った。
 初代ジクルドが亡くなっても師は復讐を止めることができなかった。ついに、師は自身を山犬の魔獣と融合し、永遠に近い命を得て、今も魔獣に村々を襲わせている。

***

「ん…。ここは?」
 薄暗い所でここがどこだかわからない。ディアナは探るように手を地面に這わせた。手触りから寝かされている場所は石のようだ。まだ私は人間の世界にいるらしい。剣であった頃、隠れるために闇を利用していた私だからわかる。
『目が覚めたか。』
 後ろからの声にディアナは振り返ると低姿勢をとった。
『ああ、懐かしい。忘れたことはない。僕のかわいい弟子の魔力。』
 ゆっくりと足音が近づいてくる。
「誰なの?」
『僕にはもうこの魔力しかない。』
 体ももうはない。声ももう聞けない。僕に話しかけてくれることはもうない。
『この魔力しか。』
 ディアナには何を言っているのかわからなかった。
「あなたは誰?姿を見せて。」
 落ち着いて。まずは姿を確認してから。姿がわかればここを切り抜ける方法があるかもしれない。
『灯りをつけたいがこの姿を見たら弟子の魔力が怒るかもしれない。』
 魔力が怒るって何?弟子って誰?
『ああ、でも。』
 突然、火の音が円状に駆けていく。灯りがつくとディアナは建物の造りから自分が塔の中にいることがわかった。そして目の前には一口でディアナを丸呑みできそうなほど大きな口があった。そして、大きな黒毛に囲まれている。山犬だ。
『君の姿を見れないのは嫌だな。』
 口がゆっくりとディアナから逸らされると今度は目の前に大きな赤色の瞳が現れた。
『君は僕を知らないだろう。だがわかるはずだ。』
 山犬の見た目は怖い。だけど怖くない。
『僕は魔獣と融合したからもしかすると魔力が穢れてるかもしれないけど。』
 不安や悲しみが混じった声。
『君を止めることはできなかった。せめて君が残した魔力だけでも守りたい。』
「私をジクルドの元へ行かせてください。」
 その言葉で山犬のまとう空気が緊張した。
『ジクルドっ。あいつは僕のかわいい弟子の命を使い、君を作った。僕の弟子こそ英雄と讃えられていいはずなのに!あいつはすべてを独り占めにした!許さない!僕に唯一残された弟子の魔力も独り占めしようとしている。』
 許さない許さないと何度も繰り返す山犬にディアナは恐怖を感じた。説得してジクルドの元へ戻ることは無理かもしれない。

「もし先生に出会えたら伝えてください。」
 ディアナの口から漏れた言葉にぶつぶつ言っていた山犬が止まった。その声色は弟子のものだ。
「喜んでくれますか?先生に私から贈り物です。」
 ディアナの記憶が蘇る。剣が生まれた時おそらく弟子であろう魔法使いが剣を抱きしめてこの言葉を言ったのだ。
 また違う記憶が蘇る。先生と弟子が話している。
『このまま戦いが続けば、魔法使いたちがいなくなるだろう。』
 寂しそうに話す先生。
『どうしてですか?』
 尋ねると弟子に先生は一枚の紙を渡した。
『召集命令?』
『力のある魔法使いのほとんどは若い魔法使いたちを育てる先生たちだ。そこまで強くはない私を召集するということは力のある魔法使いは皆、やられたということさ。』
 魔法使いが相手にするのは魔法使いより、武器を持った騎士が多い。武器には魔法への対策をしているだろう。騎士相手に鍛えていない魔法使いが勝てるわけがなかった。
『僕は君という優秀な弟子を最後に育てられたことは幸せだ。まあ、もっと成長していく君を見られないのは残念だが。』
 弟子から紙を取り、先生は部屋を出て行った。一人部屋に残された弟子はその場に座り込む。
『先生、あなたも力のある魔法使いなんですよ。』
 それから弟子は寝る間も惜しんで剣を作る魔法を編み出した。先生を戦いに行かせないため、先生を仲間を失う悲しみから救うため、先生が幸せになるために。私のすべてをかけた贈り物。

 山犬の目から何度も涙が落ちる。
『贈り物って…。君を失って、幸せになれるわけがないだろう?』
 泣いている山犬にディアナはソッと手を添える。
「私の剣の頃の名前を知っていますか?」
 山犬な知らないと首を振る。
「フィオナです。私を作った魔法使いの名前をジクルドがつけました。」
 山犬は驚いた。
 弟子の名前をつけてくれていたのか。誰が作ったか、忘れないためだろうか。ジクルドと共にフィオナも英雄として名を挙げられていたらあの時、感謝はされただろうがジクルドの名は残り、剣を作っただけの弟子の名はいずれは消えていたかもしれない。剣の名前にしていた方がずっと残っているだろう。
『早く知りたかった。』
 山犬の中にいた復讐心は消えてしまった。残るのは復讐のために襲ってきた人々に対する申し訳ない気持ちだけだ。
「ジクルドはあなたを倒しに来る。」
『もうそれでもいい気がする。』
 本当の思いを知ったことで復讐の目的を失った。ジクルドに討たれた方が皆のためにもなる。
『君は今、なんと呼ばれているのかな?』
「人間の方はディアナです。」
「そうか。どうかフィオナという名前を覚えていてくれ。」
 山犬はディアナを背中に乗せると塔を出た。

***

「お願いですぅ!落ち着いてください!」
 ジクルドの補佐官の叫び声が響く。
 今にも走り出しそうなジクルドを補佐官が必死に止めていた。
「うるさい!こうしている間にディアナは泣いているかもしれない。」
 守れるという過信が俺の判断を鈍らせた。
「とにかく離せ!」
 まとわりつく補佐官も払えないとは。
「いいえ!この国の皇子を失うわけにはいきません。」
 補佐官の言葉にジクルドの動きが止まる。
「今、なんと言った?」
「この国の皇子より大切なものはありません!」
 グッと拳を握り補佐官は叫ぶ。
 もう剣の力がなくとも平和であるこの国にとって民が守らねばならないものはこの国をまとめている皇帝であり、その子供である皇子たちもだ。ディアナは貴族ではあるが替えのある存在だ。たとえ剣であっても今は貴族。替えがあることに変わりはない。
「ディアナは剣だ。俺の妃だ。」
「そうです!だが、皇子の代わりにはなれません。」
 ジクルドは剣を抜くと補佐官に向かって振り上げた。補佐官は間違いはないと逃げなかった。
 
「ジクルド?」
 聞きたくてたまらなかった声にジクルドは早く反応する。
「ディアナ!」
 山犬の背中から手を引かれ落ちると思った時にはディアナはジクルドの腕の中にいた。
「怪我はないか?」
 ジクルドがディアナの体に傷がないか探す。
「大丈夫です。」
 心配してくれるジクルドにディアナは嬉しくなった。
「感動の再会はそこまでに。ところでそこの魔獣の説明をお願いします。」
 ジクルドは補佐官の言葉に答えない。何かあったのかしら。
「この子は私を助けてくれました。」
『フィオナ?』
「この魔獣は話せるのか?なぜその名前を知っている?」
 剣に手をあててジクルドは山犬を睨んだ。
「こ、この子を飼ってもいいですか!」
「飼う?」
 ディアナの言葉を理解できないジクルドが固まる。
『飼う?』
 姿は山犬、精神は人間なため理解が追いつかない師が固まる。
「飼う?」
 どこにこのでかい山犬が入る小屋があるのか、いや、城に住むのか?と混乱する補佐官が固まる。そして、蚊帳の外の騎士たちはまったくわからず固まっている。
「却下だ。」
 ジクルドが我に返った。
「この山犬が城に来たらずっとディアナから離れないだろう!許さん!」
 あー、城で飼う気だ。補佐官の疑問が一つ消えた。
「それにこの大きさは城に入らないだろう!」
『大きさか?問題ない。』
 山犬は少しずつ体を小さくしていく。柴犬サイズまで小さくなった。
 あー、小屋に入る大きさだな。補佐官のもう一つの疑問が消えた。頭で大臣たちをどう説得するかを考え始めた補佐官はハッとして首を振る。
「お待ちください!その犬、いや、その魔獣はたくさんの犠牲者を出したのです。魔獣を飼うとなると民が黙っていないでしょう!」
 補佐官の言葉はもっともだ。直接ではないとはいえ、私の作った魔獣は人を襲っている。
「やはり…。」
 私は消えた方が。
「この子は魔物を退治できるんです!襲われてた私を助けてくれました!」
 ディアナの言葉に皆が驚いた。魔物を退治できる山犬だと??出来ないことはない?
「ね!!」
 ディアナの目が私に頷けと強く圧をかけてきた。
「魔獣の居場所もわかる!な!」
 ディアナを引き寄せて、肩を抱くジクルドの目が私にとにかく頷いとけ!と強く圧をかけてくる。居場所は魔獣の鼻がきくだろう。
『…で、できます。』
 く、ちょっと声が裏返った。確かに私が城へ行けば、魔獣は強化されることがないため、人でも倒せるほど魔獣は弱体化出来るだろう。ソフィアとジクルドが言ったことも出来なくはない。だが、二人がなんと言おうと補佐官や騎士が納得するわけがない。チラッと見れば。
「オイ、イイジャナイカ。」
「オレタチシゴトガヘル?」
「オレモウカエリタイ。」
 コソコソと騎士たちが話し出す。聞いた限り、良い方に考えてくれているようだ。
「待ってください。」
 1番の難関の壁である補佐官がコホンと一咳すると私の方へ一歩進み出た。騎士より上の立場の補佐官がNOと言えば騎士たちが了承してもダメだ。
「餌は何を食べますか?」
 補佐官の質問で、この山犬は城へ飼われることが決まった。

***

 青空の下。城の手入れされた芝生の上で私は日向ぼっこをしている。フッと目を開ければ花のそばをディアナのジクルドが楽しそうに話しつつ歩いている。ディアナの中のソフィアの魔力を心地よく感じつつ、私はまた目を閉じる。

 先生、幸せですか?