ディアナの思い出の一つ。
「ジクルド様。寝てしまったの?」
 呼んでも返事がない。自分を乗せたジクルドの胸は規則正しく上下に動いている。ジクルドが寝たことがわかるとディアナ嬢はジクルドの胸の上から太陽を睨んだ。
「太陽は、嫌い。」
 自分を捨てたから。
 ディアナ嬢は目を瞑ると大好きなジクルドの呼吸に集中した。

***

 初代皇帝につくられた剣の自分はもともと意思はなかった。ただ、初代の腰に在ったことは記憶している。いろいろな者と戦ったことも。
 ゆっくりとではあったが、荒れた土地は生き返り、人々は次第に元気を取り戻した。戦いも減っていき、自分が働くことはなくなっていった。

『もう剣を置いてはいかがですか?』
 初代に進言したのは、初代スイメル伯爵だった。平和になったのだから剣を腰にしたままでは、まだ平和になっていないというようなものだ、と。
 それだけ、民たちは辛い思いをしてきたのだ。初代は伯爵の言葉を受け入れた。

『壁に飾ってはどうでしょうか。』
 その言葉の時だ。剣の自分に意志が芽生えたのは。必要だからと自分を作っておいて、いらなくなったら壁に飾る?ずっと?

 酷い、酷い!

『皇帝は太陽だ。皇太子は次期太陽だ。ならば、その他の皇子が生まれた時、その皇子は私がもらおう。』
 そう言って、剣は初代と伯爵に告げて消えた。

 剣は姿を消したのではない。ずっと隠れていたのだ。見つかればどうされるかわかっていたからだ。初代は皇太子以外、皇子を育てなかった。

 永い時を怯えながら待った。
 そして、やっと待っていた時がきた。第二皇子が生まれたのだ。
 初めは生まれたばかりの皇子の体を乗っ取ってやろうと皆が目を離した隙に第二皇子の元へ向かった。

 似ている、初代に。

 そう思ってしまった。酷い奴だ。だが、共に在った思い出もある。それでも!
 剣は剣先を第二皇子に向けた。

『あー。うー。』
 剣を見た、第二皇子は笑ったのだ。皇子の手は止まってしまった剣に触れた。
 剣は第二皇子を手に入れることは出来なかった。

 どうしたら、第二皇子を手に入れられる?
 剣が悩んでいた時、廊下から声が聞こえた。
『スイメル伯爵も結婚したのだったな。』
 スイメル伯爵が結婚?
『はい。私も早く皇子のような男の子が欲しいものです。』
『女の子なら皇太子との結婚を考えてもいいな。』
 その会話に剣は考えた。

 スイメル伯爵の子として生まれれば第二皇子のそばにいられる?
 男でも女でもいい。第二皇子のそばにいられれば。

***

 スイメル伯爵の娘として生まれ、ディアナと名付けられた剣は10歳の時、初めて第二皇子、ジクルドと出会う。
「ディアナ嬢。少し散歩をしませんか。」
 差し出された手にディアナは手を重ねた。
 ジクルド、もう離さない。

***

「私の妻に。」
 苦しそうに歪めた顔のジクルドの口から出た言葉。
「はい。」
 ディアナ嬢はジクルドに抱きついた。ジクルドはディアナ嬢の腕の中で気を失った。
「もう、離さない。」
 ディアナ嬢はぐったりしたジクルドを抱きしめた。
「ジークはやらない。」
 ディアナ嬢は皇帝と皇太子の言葉を聞いていないかのようだ。
「ジークを返してもらおう。」
 皇帝が手を上げると兵士たちがディアナ嬢とジクルドを囲んだ。
「ディアナ!」
 スイメル伯爵夫妻は信じられないという顔で二人と二人を囲む兵士たちを見ていた。
「あら、いいのかしら。私たちを引き離せば。」
 ディアナ嬢はニッコリ笑う。それと同時に気を失っていたジクルドが胸を押さえてうめきだした。
「わかるでしょ?」

 私とジクルド様を引き離せばジクルド様が苦しむの。

 皇帝と皇太子にはどうにもできなかった。

***

「ここは…。」
 ジクルドはゆっくり目を開けた。たしか、気を失ったのではなかったか。
「夢、だったか?」
「残念ですわ。」
 すぐ隣から声が聞こえる。自分が一番好きな声だった。ディアナ嬢が視界に入ってきた。
「君は令嬢か?それとも剣か?」
 ジクルドは令嬢は剣に乗っ取られたと思っているのだろう。
「さあ、どちらかしら。」
 どちらがいい?と聞きながら、ディアナ嬢はいつものようにジクルドの胸に体を乗せる。

 突き放されるかしら?

 ディアナ嬢の思いとは違い、ジクルドはディアナ嬢のさせたいようにさせた。
「約束を守れば、国や、皇帝陛下たちに手は出さないのか?」
 体を通じて伝わる言葉。言葉に今までのディアナ嬢への愛は感じられない。
「ええ。貴方が私のものである限り、手は出さないわ。」
 そうか、とジクルドはまた、目を瞑る。ディアナ嬢の背にジクルドの手が回されることはなかった。

***

 結婚は書類上の手続きで終わった。結婚式を挙げることに皇帝が許さなかったからだ。
 ディアナは王宮の部屋を与えられた。隣はジクルドの部屋だ。ディアナの部屋とジクルドの部屋は中のドアで繋がっている。結婚してから一度もドアは使われていない。
 ディアナは部屋に付いている衣装部屋に入る。部屋の真ん中にかけられたウェディングドレスの前に立つ。
「ごめんなさいね。袖を通すことはなくなってしまったわ。」
 ディアナはドレスに触れた。
 ジクルドが婚約破棄を言わなければ隠し通せたかもしれない。
「令嬢の体を剣が奪った、と思われているからまだマシね。」
 ディアナ自身が剣なのだとバレたら。
 あれからジクルドを見ていない。隣の部屋から音が聞こえるからいることはわかるけれど。
「独りよりはマシよね。」
 音はいつも深夜を超えてから聞こえていた。
「体を壊していなければいいけど。」

 剣だったと言えど、ディアナは伯爵家の家族に大事に育てられ、ジクルドに大事にされてきたのだ。ディアナは家族を愛し、ジクルドに恋をした。ジクルドは初代皇帝ではないし、家族はスイメル伯爵家だが、初代伯爵ではないのだ。自分を捨てた者たちではない。それがわかっているから、愛された時間はとても、とても幸せだった。
「壊れるのっていつも一瞬ね。」
 暗くなる気持ちを衣装部屋へ置いて、ディアナは外へ出て行った。

 いつもジクルドと一緒にいた庭園。いつも座っていた場所に腰を下ろす。
 目を瞑れば、頰を風が撫でる。草木の揺れる音。庭園に遊びに来た鳥たちの声。ジクルドと共に感じていた。
「寂しい。」
 二人で感じていた時はとてもキラキラしていたのに。目が潤んでいくのがわかる。

 欲しかったのは、なんだった?

 壁に飾られない自由?
 必要としてくれる皇帝?
 捨てられない約束?
 壊される不安のない日々?

 違う。

「ジーク様。」
 ジクルドと出会ったあの日、私は思った。貴方さえ、いてくれたら。貴方が幸せそうに笑ってくれたら。

 ディアナは一度目を瞑り、また目を開けた時、まっすぐに太陽を見た。
***

 皆が寝静まった時間。ノックの音がする。
「誰だ?こんな時間に。」
 ジクルドは待っても入ってこない様子にため息をつくとドアへ向かう。
「なんだ?急用か?」
 ドアを開けて目の前の人物に固まった。
「ディアナ嬢。」
「お久しぶりです。」
 ほほ笑みを向けるディアナにジクルドは不快そうな顔をした。
「忙しそうですね。」
 目にクマが、と触れようとするディアナの指をジクルドは払った。傷ついたようなディアナの顔に罪悪感を感じる。
「少し、いいですか?」
 断ったら何をするかわからない、とジクルドはディアナを部屋へ入れた。

「話はなんだ?」
 低い声がジクルドは怒っている事を伝えている。
「ちゃんと伝えようと思って。」
 ジクルドが首を傾げる。
「第二皇子はディアナ嬢の体を私が奪ったと思っているでしょう?」

 違うの。剣だった私は伯爵の娘として生まれた。約束は勝手にこっちが言っただけでこの国を呪ったりはしない。ディアナの家族、ジクルドを愛していること。
「それで、俺にどうしろと?」
 話したから全てが元通りになるとは思っていなかったけど、ディアナは悲しい気持ちをほほ笑みで隠した。
「ただ知ってくれたら嬉しい。」
 ディアナはジクルドの胸にソッと手を置いた。ゆっくりとジクルドから黒いモノが出てきた。そして、ディアナへ戻っていく。
「これはどういうことだ?」
 驚いているジクルドからディアナは離れた。
「これでもう大丈夫です。」
「大丈夫?」
 ジクルドの手がディアナを掴もうとするのを避ける。
「ジーク様。私は、ただ貴方のそばにいたかった。ただそれだけです。でも、私は貴方を苦しめるだけだってわかった。」

 ジクルドはディアナ嬢を愛してくれたけど、剣であったディアナ嬢は愛してくれない。
 ジクルドの目が大きく開く。
 ディアナの目から我慢出来なかった涙が流れた。
「だから、自由にし、て…え?」