君のため。君のため。君のため。君のため。
 何度も何度も心の中で繰り返す。

「婚約を破棄する。」

 指さした先で泣きそうに震える彼女は自分の震える指に気づくだろうか。
 好きでもない貴族(名前も身分も知らない)の令嬢の肩を持ち、不快感と戦いながら、彼女に婚約破棄を告げた。

***

「この娘は、スイメル伯爵家のディアナ嬢だ。」
 王宮の庭園で皇帝の父に紹介された娘は黒曜石かと思うくらい、真っ黒の髪に赤色の瞳の少女だった。年は10歳。皇帝を父に持つ、自分は第二皇子であり、年は13歳、名前はジクルド。父の銀髪、青色の瞳を持っている。
「若き月、はじめて拝謁することができ、光栄です。ディアナと申します。」
 ディアナ嬢は緊張しながらも、令嬢らしく挨拶をした。
 自分が月と呼ばれる理由は兄であるモノリスが若き太陽と呼ばれているからだ。兄は皇后、母の金髪、緑色の瞳を持っている。
 兄と自分は容姿も性格も正反対だった。兄は優しく、誰からも好かれ、次期皇帝として期待されている。反対に自分は冷たく、皆からはどこか怖がられている。
 実を言うと、令嬢を紹介されるのは今回が初めてではない。もう、何度も紹介されている。
「今度こそ、婚約者になってもらうんだぞ。」
 父の圧に自分はばれないようにため息をついた。
 自分が悪い、と言われるかもしれないが、ほんとだろうか。自分を見ただけで泣いて、帰ると叫ぶ令嬢たちに自分は一言も喋ったことはない。
 きっとディアナ嬢も泣いて、帰ると言い出すだろう。
 だから、自分はディアナ嬢の挨拶に何も言わなかった。
「ジーク。」
 父に愛称で呼ばれ、父を見れば眉間に皺がよっている。
「はい?」
 ジクルドは首を傾げる。
「ジークが声をかけなければ、ディアナ嬢はずっと頭を下げたままだが?」
 ジクルドがディアナ嬢を見ればディアナ嬢の体が震えていた。それはそうだ。令嬢が挨拶をする時は膝を曲げているのだから。
「ディ、ディアナ嬢っ。はじめまして。」
 公式な挨拶が頭から飛んでしまったジクルドは普通に挨拶をしてしまった。
「ジーク。」
 ディアナ嬢とスイメル伯爵がいなければ今頃ゲンコツが落ちていたに違いない。
「ディアナ嬢。少し散歩をしませんか。」
 ジクルドはディアナ嬢の前に手を出す。断られるだろうと思いながら。
「…はい。」
 ディアナ嬢はゆっくりとジクルドの手に自分の手を重ねた。

 ディアナ嬢の手は柔らかいんだな。
 自分を見て怖がらなかった令嬢は初めてで、緊張しながらジクルドはディアナ嬢を連れて花が一番綺麗に咲いている場所へ連れて行く。
 その様子に皇帝とスイメル伯爵はホッとしていた。

***

「ジクル…ジクルド様っ。」
「ん?ディアナ嬢。」
 ジクルドがゆっくり目を開ければ頰を染めたディアナ嬢がいる。
「起きて、ください。」
「ん〜、もう少しこのまま。」
 昔はいつもしてくれたじゃないか、と言えば。
「あの時はまだ子供でしたっ。」
 もう、7年も前ですっと言いながらもディアナ嬢は寝転がっているジクルドの胸の上にいてくれる。
 今日は二人で城の庭園の大きな木の下でお昼を食べて、今はくつろいでいた。
 婚約して7年が経った。
 今度の誕生日でディアナ嬢は17歳になり、成人をむかえ、結婚が出来る。
「もう1か月でディアナ嬢は私の妻になるのか。」
 ジクルドの言葉にディアナ嬢は嬉しそうに頷いた。
「ディアナ嬢だけだ。私を怖がらないのは。」
 ジクルドは相変わらず、周りから怖がられている。
 
 若き太陽は月の剣に守られている。

 父と兄は国民のために国を治め、ジクルドは父と兄が守る国を守る。その姿が容姿に加わって、さらに周りを怖がられせてしまった。
「陛下も皇太子様も皇后陛下もジクルド様を怖がっておりません。」
 ディアナ嬢の言葉に、そうだなとジクルドは笑った。

「ディアナ嬢。」
 言葉に緊張を感じてディアナ嬢は首を傾げた。
「その、いや、出来ればでいいんだ。」

 ジークと呼んでくれないか。

 その言葉に泣き出したディアナ嬢にジクルドは慌てた。
「ジーク様。」
 嬉しそうに名を呼んでくれた彼女のほほ笑みは今でも忘れない。

***

 君のためだ。

 いつからか、自分が守りたい一番はディアナ嬢、君になっていた。
 あと1か月で君は自分の妻になるはずだった。
 なぜ、一番喜ぶはずの自分が彼女に婚約を破棄すると言わなければならないのだろう。
「ジーク様、どうして。」
 今日、成人をむかえた君にプロポーズをすると決めていた。
「他に心に決めた令嬢がいたんだ。」
 違う。私の心に決めた令嬢はディアナ、君だよ。
「嘘、ですよね。」
 ジクルドは首を振る。そこら辺にいた令嬢の肩を抱き、ジクルドはディアナ嬢に冷たく告げた。

「婚約を破棄する。」

***

 父と兄が呼んでいると侍従長から言われたのは突然だった。
 あの時、侍従長の様子がおかしい事に気づいていればもっと違う方法があったかもしれない。
 父と兄のいる執務室に入った瞬間、部屋の中が真っ暗になった。
 なぜか目の前に倒れている父と兄は見えた。
「陛下っ。兄さんっ。」
 二人に駆け寄れば意識を失っているだけだとわかり、ホッとした。しかし、この暗闇はなんだ?
『やっぱり君だ。』
 暗闇から声がする。
『あの子らは太陽だからダメだったけど。君は月だから。』
 あの子?誰のことだ?月だからなんだと言うのか。
『さあ、約束を果たしてもらおうか。』
 クスクス笑う暗闇は突然、ジクルドの前で真っ黒な剣へと姿を変えるとジクルドの胸へ突き刺さった。息が出来ず、ジクルドは膝をつく。
 失われていく意識の中、一瞬、ディアナ嬢のほほ笑む姿が浮かんだが、ジクルドはその場に倒れた。

***

 すまない。
 ジクルドが目を覚まして、父と兄に一番に言われた。
 父と兄が言うには。
 この国が建国された時の国は荒れるに荒れて、皇帝や国民だけでは再建出来なかったそうだ。その頃はまだ、魔法が健在だったこともあり、皇帝は最高の魔法を込めて打たれた剣を使い、国を豊かにした。国は豊かになると剣は必要とされなくなった。
 ある時、皇帝と国民の思いを背負い、最高の魔法を込められた剣は意思を持ってしまった。
『皇帝は太陽だ。皇太子は次期太陽だ。ならば、その他の皇子が生まれた時、その皇子は私がもらおう。』
 そう告げた剣は消えてしまった。

「それからこの国で生まれる皇子は一人だったが。」
 ジクルドが生まれたのは奇跡か、剣に仕組まれたのか。
「私はどうなるのですか?」
 ジクルドは震える声で聞いた。体が乗っ取られる?しかし、今、自分であると思う。乗っ取られた感じはないし、父や兄の態度も変わっていない。
「正直わからない。が、命を取る事はないと思う。」
 命を取るなら皇太子以外の皇子をもらうとは言わないだろう。
「私とディアナ嬢は…。」

 結婚は諦めてくれ。

***

「婚約を破棄する。」
 ディアナ嬢になんの落ち度もないことは皆が知っている。だからこの状況を、皆はジクルドに問題があるのだと思うだろう。それならディアナ嬢は皆から同情され、自分ではない誰かと。

 嫌だ。

 泣いているディアナ嬢のそばに行きたい。婚約破棄なんてしたくない。
「二人で逃げられたら…。」
 そう呟いた時だ。

「ふ、ふふ。」
 笑い声がする。どこから?
「ディアナ嬢?」
 手で顔を押さえて、泣いていると思っていたディアナ嬢から笑い声がした。
「ジーク様。」
 ディアナ嬢は満面の笑みをジクルドに向け、ゆっくりとジクルドと距離を詰めていく。ジクルドのそばにいた令嬢はディアナ嬢の様子を怖がり逃げてしまった。
 あっという間にディアナ嬢はジクルドのすぐ前に。
「ディアナ嬢。」
 無意識に後ろへ下がるジクルドの腕をディアナ嬢が掴んだ。
「逃げてはダメ。言ったでしょ?次期太陽の皇太子以外の皇子は私がもらうって。」
「まさか。剣?なぜ?。」
 困惑するジクルドにディアナ嬢はほほ笑んだまま。
「ジーク様。」
 ディアナ嬢はジクルドの胸に触れた。
「え、ぅあっ。」
 ジクルドは息が出来ず、膝をつく。ディアナ嬢の指が下を向くジクルドの顔に触れ、上を向かせた。
「君、はディアナ嬢なのか、剣、なのか。」
 苦しそうなジクルドを見て、ディアナはほほ笑みを深くした。
「ジーク様。私、今日、成人をむかえたの。ね、言って。」
 ずっと待ってたの。初めて会った時から。
「いえ、生まれた時から、の方が正しいかしら。」

 さあ、聞かせて。

 父や兄が何かを言っている気がする。

「私の妻に…。」

 だが、自分はディアナ嬢に囚われてしまった。