食事当番は、ふたりとも大雑把だった。
 私は休みの日にずっと食べられるものをつくって、一週間ひたすらそれを消費する生活を送っていたのに対し、浜尾さんは暇なときにつくったものを冷凍させて、好きなものを解凍させて食べるという生活を送っていた。
 どうもこの人は、推し作家の本が出ない限りは、いきなり大量出費をする性分でもないみたいだ。世の中にはソーシャルゲームのガチャに家賃ほど使い込むという人種もいるらしいけれど、浜尾さんはそういう趣味もないらしい。

「意外と考えてらっしゃるんですね?」

 思わず失礼なことを言ってしまい、私が内心「しまった」と思っていると、浜尾さんは困ったように笑った。

「自分、一度検診で引っ掛かったんで、それ以来はどうにか節制しているんです……入院しても、病院だとBL小説なかなか読めないじゃないですか」
「まあ、たしかに」

 今時電子タブレットで読めないこともないけれど、そんなもん持ち込んで万が一看護師さんに挿絵を見られた日にゃ、恥ずかしさのあまりにのたうち回ることになるだろう。なかなか難しい。
 そんな訳で、今日は夜ふたりとも揃っていたので、適当に冷凍させていたミートソースを解凍し、パスタを茹でてそれをかけて、晩ご飯としていた。

「あのう……浜尾さん」
「はい? かしこ先生、もしかしてこのパスタ合いませんでしたか? すみません……かしこ先生の好きなメーカー知りませんので」
「いやいや。パスタもソースもおいしいです。このもちっとしたメーカー、イタリアのメーカーなんですね、覚えました……そうじゃなくって。ちょっと相談がありまして」
「相談ですか?」

 浜尾さんのつくったミートソース、お医者さんに叱られたせいか、野菜が無茶苦茶入っていて、食べ応えがある。にんじん、茄子、玉ねぎまではなんとかわかったけれど、多分それ以外も入っている。冷凍させてあるせいで、野菜の歯ごたえが変わってしまっていまいち全部の野菜はわかんないけど……。
 ミートソースをパスタに絡めていただきながら、私は意を決して口にした。

「……うちの妹、今就活中なんですけど、彼女の面接前後にホテルを抑えることができなかったらしいんですよ。それでうちに泊まりたいと言ってきたんですけど、私もさすがに浜尾さん家に居候していることまでは言えなくって……そのう……浜尾さんは大丈夫でしょうか……?」
「い、もうと……さん、ですか……?」

 途端に浜尾さんはカチコチに固まってしまった。
 ……この口調、最初に会ったときと同じだなあと、ついつい懐かしくなってしまった。最近こそ、浜尾さんは私のことを本名で呼ぶことなく「かしこ先生」と完全にファンムーブして呼んでくるけれど、知り合ったばかりの頃は、私と出会っただけでカチコチに凝り固まってしまっていた。
 女性が怖いんだろうか。女性が嫌い……だったら、そもそもどうして私に住むよう勧めてくれたのかがわからないし。でも女性が怖くても同じか。
 浜尾さんの反応に、私は「もし駄目そうなら、私がちゃんと妹に言っておきますから……」とたつきには悪いけど断ろうと考えていたところで。

「いや、女性がホテルに泊まれないのは、大変ですよね。ネットカフェだって、最近はなかなか泊まれないみたいですし。お、れが……会社に泊まり込むんで、面接期間中でも、どうぞおふたりで使ってください!」

 浜尾さんの言葉に、私は目をパチクリとさせた。そして慌てる。

「い、いやいやいや。ここ浜尾さん家じゃないですか。私だけでなく、妹まで泊めろなんていうのがどだい無理な相談だったんですから! 駄目ですよ、浜尾さんはちゃんと自宅で寝てください!」
「です、けど……それじゃますます妹さんに、悪いですし! お、れみたいなのがいたら……妹さんにも……悪い、ですし……その」

 なにかを言いたげに、浜尾さんは視線を彷徨わせた。さすがにこちらも、家主を追い出してまでたつきをここに泊めようとは言わないし、なんだったらあの子が泊まれそうなホテルを一緒に探すのに。
 やがて、浜尾さんは口を開いた。

「……腐男子は、妹さんにとって、気持ち悪くはないですか……?」

 それに私は目を瞬かせた。あー……そっちかあ。私は手を振った。

「多分、それはないと思います。あの子と私たちの世代、結構感覚が違うみたいで」
「感覚が……ですか?」
「はい。私がBL小説書いているのもそれでデビューしているのも、あの子くらいにしか教えてませんけど、あの子くらいの世代は、そういうのを『すごい』って言うみたいで。BL好きっていうのもひとつのジャンルくらいに思っていて、あんまりこちらが思っているような色眼鏡では見てないみたいです……私も上手く言えないんですけど」

 私がBL小説でデビューしたときなんて、BL小説イコール女性がされたいことを男同士でしているんだという偏見がとにかくきつかった。たしかにセックス描写を書きたくて書いている部分はあるけれど、そういうんじゃない。そもそも男女の恋愛で書けないことを書くのがBL小説だから、男女恋愛で書けることはBLでは書かない。だから男女恋愛の代替品だと思われると、ものすごく困る。
 浜尾さんはその説明を聞いて「はあ……」と間延びした声を上げた。

「なら……大丈夫なんですかねえ……」
「あんまりひどい場合は、私も言い聞かせておきますから。とりあえず、浜尾さんにご迷惑おかけしないようにします。それなら、大丈夫でしょうか?」
「あー、はい。布団。用意しますね」
「それだったら、私が自分で用意しておきますから、大丈夫ですよ」

 ふたりであわあわ言いながら、ひとまずはたつきを泊める方向で話は進むこととなった。
 ……ただ、まあ。
 あの子は基本的に優しい子ではあるけれど、ときどきびっくりするほど無神経だ。いや、違うか。私が繊細ヤクザが過ぎるんだ。たつきは私と違ってあまりにも健やかなんだ。だから病んでいる人間の気持ちが本気でわからない。
 豆腐はおいしい豆腐料理にはなれるし、なんだったら潰して豆乳替わりにすることはできる。でも。火を通して豆乳とおからに分けられてしまったら、もう元の大豆には戻らない。
 大豆は豆腐の気持ちなんて、わからない。

****

 約束の日、私はたつきを迎えに駅前に出ていた。
 パートさんに会ったら嫌だな、院長先生に会ったらもっと嫌だな。そうぼんやりと思っていたら「お姉ちゃん!」と元気に手を振るたつきの姿が見えた。
 就活中だからだろう。最後に会ったときはかなり明るい色に染まっていたと思う髪はすっかりと真っ黒に戻り、ゴムできっちりひとつにまとめていた。スーツは鞄に入れているんだろう、彼女自身はデニムにカットソーとシンプルな格好だった。

「久し振り。ここまでちゃんと来られた?」
「心配性だよー。スマホがあったらだいたいどこにでも行けるし」

 そう言ってヒラヒラとスマホを見せてくれた。さすが現代っ子。機械に強い。なんでもかんでも業者に頼まなかったらできない私とは大違いだ。
 私はたつきを連れてアパートに向かう中、この子の就活事情を聞く。

「とりあえず、東京で二十件は履歴書送って、その半分は一次面接まで行ったんだよ」
「ふうん……地元で就職するのは?」
「うーん。最悪はそうしてもいいかなあとは思うけど、地元だったらできないこといっぱいあるじゃん。お姉ちゃんだって小説家になれたの、地元出たからでしょう?」
「そりゃあね」

 地元じゃ娯楽に飢え過ぎているから、人の噂くらいしかまともな娯楽が存在しない。人の一挙一動を娯楽にしないで欲しいし、BL小説書いていることをとやかく言われたくないから、就職を機に地元を離れたくらいだ。
 たつきはにこにこ笑う。

「でもお姉ちゃんが居候かあ……なあんかいいなあ」
「……いいなあって、なにが? 居候がそんなに面白い?」
「ううん? 人間嫌いのお姉ちゃんが人と一緒に住んでいるのがすごいなあと思って。いったいその人どんな人なの? いい人? お姉ちゃんが気を許すくらいには」
「……どうだろうねえ。私にはいい人だと思う。たつきにとってはどうだか知らない」
「ふうん、よっぽどいい人なんだねえ。よかったよかった」

 そう言って勝手に納得しているたつきに、私はげんなりとした。
 いい子なんだよ、本当に。ただときどき無茶苦茶無神経なだけで。ただねえ。私はこの子に自分みたいな繊細ヤクザになって欲しくなかったし、この子が繊細ヤクザになりそうな原因は、あらかた潰して回っていた。それこそ、地元を離れるまで、たつきが健やかに育つよう祈って行動していたから、今の無邪気なたつきが爆誕した。
 私はそれでいいと思っているけれど、たつきはどう思っているかまでは知らない。
 やがてうちのアパートが見えてきた。浜尾さんは仕事に出ているから、夜まで帰ってこないはずだ。

「あんまりうろちょろしないでよ。あと、私の部屋以外は大家の管轄なんだからね。共同スペースは説明するから、そこを綺麗に使ってよ」
「さすがに小学生じゃないから! でもすごいねえ。ファミリータイプのアパートだから、広々ー」

 たつきはきゃっきゃと部屋を歩き回っていた。まあ、そりゃそうか。
 浜尾さんはごついカスタマイズしまくったパソコンがある以外は、軒並み自室に物を突っ込んでいるし、私の本は自室の本棚に入れているから見える場所にはない。
 さすがにたつきがいる中で仕事はできないから、急ぎの仕事は全部終わらせたから、急な予定変更がない限りはなんの問題もないはず。
 私はそうひとりで段取りを考えている中、たつきは「あれ?」と声を上げた。

「なあに、だからあんまりうろちょろ……」
「これ、電動カミソリ?」
「あ」

 洗面所を眺めていたたつきが、電動カミソリを指差した。
 しまった。浜尾さんのものだと認識していたし、私も特に触らないようにしていたから、そんなの女性が使わなかった。

「お姉ちゃん、もしかして大家って男の人?」
「ええっと……」
「ええ? すごいすごいすごい! お姉ちゃんいつの間に男の人と同棲してたの? 本当にお姉ちゃん人間嫌いなのに!」

 ものすごくきらきらした目で言わないで欲しい。こちらが人間嫌いな自覚はあるから、異性と同棲していたら、普通に結婚考えていると思われても仕方ないかもしれないけど。私は狼狽えて必死で言い訳を考える。

「いや、違う……本当に、なんにもないから……」
「えー? でもなんにもない人と同棲って、いくらなんでもお姉ちゃん危機管理できてなくない? 大丈夫?」

 さっきまできらきらした目をしていたたつきが一転、心配したように顔をひそめてきた。だから、本当に、なんにもない。

「……その人、私に全く興味ないから」
「いわゆるLGBTの人?」
「……あんまりセンシティブな話は止めてね。多分そういうのでもないと思う」

 あの人が私を異性判定してないのだけは間違いないけれど、それもさすがに偏見過ぎると思う。私はたつきに「そういうのは簡単に聞いちゃいけない」と口酸っぱく言ってから、夕食をつくることにした。
 さっさとお腹いっぱいにさせて、さっさと寝てもらおう。今はそれしか考えていなかった。