私が再就職の病院を求めてチラシや情報誌を持って帰ると、浜尾さんが鞄を持ってわたわたとしているのが目に入った。
「ただいま戻りました……出張ですか?」
着替え一式に寝間着、歯磨きセット、タオル。それらを見て私が首を捻っていたら、浜尾さんは「お帰りなさい!」と鞄に一生懸命に荷物を詰めながら顔を上げた。
「ちょっと入院しないといけなくなったんですよ!」
「入院……大変じゃないですか。どこか具合が悪いんですか?」
振り返っても、浜尾さんが体が悪そうにしていたのは見たことがなく、一緒に住んでいても全く気付かないものだと焦ったが、浜尾さんが「いやあ……」と何故か照れた笑みを浮かべた。何故。
「いえ、自分座り仕事なんで、腰が痛いなあと思って病院で見てもらったら、どうも持病のヘルニアが悪化していて、神経が出てたみたいで。今すぐ手術しろと説教されたんですよ」
「ひい……それ大変じゃないですか!」
私も座り仕事だから、それがどれだけ大変かは少しくらいはわかる。浜尾さんは「いやあ」とまた照れた顔をした。
「まあ手術して安静にしていれば治りますから。しばらくは休暇だと思ってゆっくりします」
「入院、どれくらいですか? 私なにか持っていったほうがいいですか?」
「大丈夫ですよ、本当に大したことないですから。一週間したら戻ってきますから」
本当に軽いノリでそう言うので、私はこれ以上言うこともなく「本当になにかあったら連絡してくださいね」とだけ約束し、見送った。
一週間もこの家にひとり暮らしか。思えば数ヶ月前は同じ広さの家にひとりで済んでいたんだから、一週間だけ元に戻るだけのはずなんだけれど。
仕事に出かけ、休み時間に就職活動の情報を集め、帰りに食材の買い出しに行く。いつも通りのはずなのに、どうにも落ち着かなかった。
私は人間嫌いだし、実際に家族以外の人間は大概嫌いだ。それでも実家にはほとんど顔を出さないし、たつきにもこの間久し振りに会ったくらいだから、パーソナルスペースに家族すら入れられるときと入れられないときがあるんだろう。
なのに。浜尾さんが入院しただけで、これだけ落ち着かなくなる。
私はひとり分しか用意しなくてよかったパスタを食べ終えてから、こっそりと浜尾さんの部屋に入った。普段であったら絶対に入らないし、なにかを持ってこようとは思わないけれど。
彼の部屋は私の借りている部屋よりも綺麗で清潔で、本棚も日焼けしないように扉付きの真っ白なものに収納しているせいで、部屋全体が殺風景に見えた。
パソコンは本人の趣味らしく、大きな自作のデスクトップで、モニターが三つも付いてあるのに、どうやって使うんだろうと漠然と思った。
私はなにげなく本棚の扉を開けたら、途端に殺風景だった部屋が色付いた。
カラフルな表紙の本は、ほとんどBL小説だった。そして私の本が一コーナー設けられていて、一冊はビニール付けっぱなしで、一冊は本に癖が付くまで読み込まれていた。読む用と保存用と買っている人は、初めて見たなとぼんやりと考えた。
部屋の匂いを嗅いでも、浜尾さんの匂いがするというロマンチックなことはなく、どこまでもモノクロな部屋のままだった。
これ以上はここにいたら駄目だろうと部屋を出ようとしたとき、デスクトップパソコンの傍に大学ノートが立て掛けられているのが目に留まった。読書ノートと書かれている。
今時、読書感想用のSNSやブログなんて普通にあるのに、わざわざアナログ方式だったんだなと思ってなにげなく読み、体がどんどん火照っていくのがわかった。
【自分はこの先、女性を抱くことはできないんだと思う。恋愛対象も性的対象も女性なのに、女性が怖くて怖くて仕方がない。見ているのは平気でも、触るのは怖い。】
最初のほうに書かれていたのは、自己分析用のノートだった。
高校時代に友達から回ってきたAVの鑑賞会をした際、開始早々トイレに行って回りに誤解されたものの、ひとりで思い出して延々と吐いていた話、大学の飲み会に行ったときにうっかりと合コンに連れて行かれ、誰とも二次会に行きたくない一身で皆の世話役を一手に引き受けて参加者を見送った話、会社の人たちに捕まって風俗に放り込まれ、吐いた挙げ句に風俗嬢に介抱されてなにもせずに帰った話が、淡々と語られていた。
私に言わなかったのは、きっと私が女性でかつ浜尾さんの好きな作家だから、その手の話をするのは失礼だと思ったからだろう。
パラパラと捲っていたら、浜尾さんが言っていたBL小説に出会った話を、興奮気味に書かれていた。テンションが上がったのか、先程までの自己弁明とも自己憐憫とも取れる文章よりも、幾分か粗い。
【BL小説を初めて読んだ。気持ちと体が噛み合ってなくても肯定される世界があるんだと初めて知った。恋愛にならなくてもいい、執着だけでもいい、友達でもいい。普通じゃなくてもいい世界って居心地がいい。】
それ以降、ノートは見事にBL小説の感想ノートになり、自己分析の最初の内容からはかなり程遠いものに変わっていた。
そのテンションの高さに、私はなんとなく微笑ましいものを見ながら、ノートを捲っていたところで、【すごい作家に出会った】と書かれているのが目に入った。
【人と上手く合わせることができない、体を許しても基本的に人間嫌いのままの人が、いろんな事件に首を突っ込む話だったけれど……倫理観がここまで捻れているのに面白い話は初めて読んだ。乃々原かしこ先生か。この人は今後もチェックしておこう。これは本当にすごい。】
私の本がものすごく褒めちぎられ、それ以降私の書いた本全てを買ってきて、それの感想が付けられていることに、私は顔に熱を持たせていた。
【この人の本は面白い。この人の書く人間はどれだけ寝ても心に抱えている孤独や闇をパートナーに肩代わりさせたりしない。孤独も闇もひとりひとり個人のもので、パートナーは寄り添うことはできても、それを一緒に背負うことも抱えることも拒む。そんな関係がストイックで格好いい】
【かしこ先生の本、本当に面白いけれど、あとがきまでぎっちりしていて面白いなあ。次の新刊もチェックしておかないと。】
【本当に、この人の新刊のおかげで生かされているって現象はあるんだなあ。初めてそれを感じている。】
全てのノートを読み、私はバレないように立て掛けておいた。
「……私は、あなたのおかげで生かされています」
普通の人が羨ましいし、自分はきっとそういう普通は無理だろう。触れないし、怖いし、まともにしゃべれないし。
そんな私を完全肯定してくれる人なんて、浜尾さんが初めてだった。
この浮き足立っている気持ちは、多分世間一般の恋や愛とは程遠いけど、居心地のいい関係なんだろうと思う。今度浜尾さんの病院にお見舞いに行こう。そう思いながら、私は彼の部屋を出た。
****
甘い物が好きな浜尾さんに、地元でも評判のプリンを買っていって、持っていくことにした。病院は思っているよりも人が多く、受付に問い合わせて教えられた階に進んだら、六人部屋の窓際に、ちょうど浜尾さんが寝ていた。
ただでさえひどい癖毛が、入院生活の中なかなかお風呂に入れてないせいなのか、爆発してしまっていた。
「あのう、浜尾さん。今寝てらっしゃいますか?」
「あれ?」
浜尾さんは慌ててメガネを探して手をばたばたしはじめたので、カウンターに置いてあったメガネを差し出すと、それをかけはじめる。そして私の顔を見た途端に「ピャッ」と叫んだ。
「せせせせ、先生! 入院中お手を煩わせるつもりはなかったんですけど……!」
「いえ。単純にお変わりないかと様子を見に来ただけですけど。ヘルニアの手術、どうなりましたか?」
「一応は、なんとかなりました。二日間は絶対に安静なんですけどね」
「まあ……あのう、お菓子持ってきたんですけど、食べるのって大丈夫ですか? そこの貼り紙見ている限りだと、浜尾さんは食事制限とかはなさそうなんですけど」
手術後はどうなのかまで、私も知らない。浜尾さんはニコニコと「大丈夫ですよ」と教えてくれたので、私は丸椅子を持ってきて、浜尾さんのベッドで一緒にプリンを食べた。
このところ、ひとりでずっと自分の好きなものを食べていたはずなのに。今は浜尾さん当てに選んだプリンがずいぶんとおいしく感じる。浜尾さんは「ここ並びませんでした?」と心配してくれたものの、今日はなんか人に用事でもあったのか、ほとんど並ばずに買えたと伝えたら「よかったです」と顔が綻んだ。
「最近はどうですか? 原稿とかは」
「原稿ですけど、原稿は順調ですね」
「あー……お仕事は順調じゃないんでしょうか?」
それに言葉が詰まる。浜尾さんには、私が再就職用に就活をはじめたことを伝えていなかった。私はプリンのスプーンを咥えながら、視線を彷徨わせる。
「うーん……ちょっといろいろ限界が来てまして、転職しようかなあと」
「人間関係……ですか?」
「それもなんですけど、私もいい加減無理し過ぎたのかなと思いまして。メンタルガタガタなんで、そろそろ今の仕事は限界だなあと……」
浜尾さんはしばらく黙り込んだ。
……私、なにか余計なことを言ったっけ。少し焦ったけれど、浜尾さんはプリンを全部綺麗に食べ終えた。カラメルすら残さず綺麗にって、どうやったらそう食べきれるのか。
「そうですよね……ただ、先生がは原稿があるじゃないですか。仕事のせいで原稿が書けなくなるのは、あんまり賢明じゃないと思います」
「そうですね、私もそれは困ります」
「あのう……これ言うとすごい失礼だと思うんですけど」
浜尾さんはプリンの器を「ご馳走様」と私の持っていた紙ケースに片付けてから言う。
「シェルターに入りませんか?」
「……私、虐待はされていませんけど」
「ああ、その意味もありますよね。ええっと、そうじゃなくって……防空壕とか、傘とか……ええっと……」
いきなりなにを言い出すんだろう。私は訝しがってポカンと浜尾さんの様子を観察しながらプリンを食べていたら、ようやく言葉が閃いたのか、浜尾さんは振り返った。
「自分と結婚しませんか?」
「はい?」
一瞬意味がわからなくなって、ポカンと口を開けた。
「ただいま戻りました……出張ですか?」
着替え一式に寝間着、歯磨きセット、タオル。それらを見て私が首を捻っていたら、浜尾さんは「お帰りなさい!」と鞄に一生懸命に荷物を詰めながら顔を上げた。
「ちょっと入院しないといけなくなったんですよ!」
「入院……大変じゃないですか。どこか具合が悪いんですか?」
振り返っても、浜尾さんが体が悪そうにしていたのは見たことがなく、一緒に住んでいても全く気付かないものだと焦ったが、浜尾さんが「いやあ……」と何故か照れた笑みを浮かべた。何故。
「いえ、自分座り仕事なんで、腰が痛いなあと思って病院で見てもらったら、どうも持病のヘルニアが悪化していて、神経が出てたみたいで。今すぐ手術しろと説教されたんですよ」
「ひい……それ大変じゃないですか!」
私も座り仕事だから、それがどれだけ大変かは少しくらいはわかる。浜尾さんは「いやあ」とまた照れた顔をした。
「まあ手術して安静にしていれば治りますから。しばらくは休暇だと思ってゆっくりします」
「入院、どれくらいですか? 私なにか持っていったほうがいいですか?」
「大丈夫ですよ、本当に大したことないですから。一週間したら戻ってきますから」
本当に軽いノリでそう言うので、私はこれ以上言うこともなく「本当になにかあったら連絡してくださいね」とだけ約束し、見送った。
一週間もこの家にひとり暮らしか。思えば数ヶ月前は同じ広さの家にひとりで済んでいたんだから、一週間だけ元に戻るだけのはずなんだけれど。
仕事に出かけ、休み時間に就職活動の情報を集め、帰りに食材の買い出しに行く。いつも通りのはずなのに、どうにも落ち着かなかった。
私は人間嫌いだし、実際に家族以外の人間は大概嫌いだ。それでも実家にはほとんど顔を出さないし、たつきにもこの間久し振りに会ったくらいだから、パーソナルスペースに家族すら入れられるときと入れられないときがあるんだろう。
なのに。浜尾さんが入院しただけで、これだけ落ち着かなくなる。
私はひとり分しか用意しなくてよかったパスタを食べ終えてから、こっそりと浜尾さんの部屋に入った。普段であったら絶対に入らないし、なにかを持ってこようとは思わないけれど。
彼の部屋は私の借りている部屋よりも綺麗で清潔で、本棚も日焼けしないように扉付きの真っ白なものに収納しているせいで、部屋全体が殺風景に見えた。
パソコンは本人の趣味らしく、大きな自作のデスクトップで、モニターが三つも付いてあるのに、どうやって使うんだろうと漠然と思った。
私はなにげなく本棚の扉を開けたら、途端に殺風景だった部屋が色付いた。
カラフルな表紙の本は、ほとんどBL小説だった。そして私の本が一コーナー設けられていて、一冊はビニール付けっぱなしで、一冊は本に癖が付くまで読み込まれていた。読む用と保存用と買っている人は、初めて見たなとぼんやりと考えた。
部屋の匂いを嗅いでも、浜尾さんの匂いがするというロマンチックなことはなく、どこまでもモノクロな部屋のままだった。
これ以上はここにいたら駄目だろうと部屋を出ようとしたとき、デスクトップパソコンの傍に大学ノートが立て掛けられているのが目に留まった。読書ノートと書かれている。
今時、読書感想用のSNSやブログなんて普通にあるのに、わざわざアナログ方式だったんだなと思ってなにげなく読み、体がどんどん火照っていくのがわかった。
【自分はこの先、女性を抱くことはできないんだと思う。恋愛対象も性的対象も女性なのに、女性が怖くて怖くて仕方がない。見ているのは平気でも、触るのは怖い。】
最初のほうに書かれていたのは、自己分析用のノートだった。
高校時代に友達から回ってきたAVの鑑賞会をした際、開始早々トイレに行って回りに誤解されたものの、ひとりで思い出して延々と吐いていた話、大学の飲み会に行ったときにうっかりと合コンに連れて行かれ、誰とも二次会に行きたくない一身で皆の世話役を一手に引き受けて参加者を見送った話、会社の人たちに捕まって風俗に放り込まれ、吐いた挙げ句に風俗嬢に介抱されてなにもせずに帰った話が、淡々と語られていた。
私に言わなかったのは、きっと私が女性でかつ浜尾さんの好きな作家だから、その手の話をするのは失礼だと思ったからだろう。
パラパラと捲っていたら、浜尾さんが言っていたBL小説に出会った話を、興奮気味に書かれていた。テンションが上がったのか、先程までの自己弁明とも自己憐憫とも取れる文章よりも、幾分か粗い。
【BL小説を初めて読んだ。気持ちと体が噛み合ってなくても肯定される世界があるんだと初めて知った。恋愛にならなくてもいい、執着だけでもいい、友達でもいい。普通じゃなくてもいい世界って居心地がいい。】
それ以降、ノートは見事にBL小説の感想ノートになり、自己分析の最初の内容からはかなり程遠いものに変わっていた。
そのテンションの高さに、私はなんとなく微笑ましいものを見ながら、ノートを捲っていたところで、【すごい作家に出会った】と書かれているのが目に入った。
【人と上手く合わせることができない、体を許しても基本的に人間嫌いのままの人が、いろんな事件に首を突っ込む話だったけれど……倫理観がここまで捻れているのに面白い話は初めて読んだ。乃々原かしこ先生か。この人は今後もチェックしておこう。これは本当にすごい。】
私の本がものすごく褒めちぎられ、それ以降私の書いた本全てを買ってきて、それの感想が付けられていることに、私は顔に熱を持たせていた。
【この人の本は面白い。この人の書く人間はどれだけ寝ても心に抱えている孤独や闇をパートナーに肩代わりさせたりしない。孤独も闇もひとりひとり個人のもので、パートナーは寄り添うことはできても、それを一緒に背負うことも抱えることも拒む。そんな関係がストイックで格好いい】
【かしこ先生の本、本当に面白いけれど、あとがきまでぎっちりしていて面白いなあ。次の新刊もチェックしておかないと。】
【本当に、この人の新刊のおかげで生かされているって現象はあるんだなあ。初めてそれを感じている。】
全てのノートを読み、私はバレないように立て掛けておいた。
「……私は、あなたのおかげで生かされています」
普通の人が羨ましいし、自分はきっとそういう普通は無理だろう。触れないし、怖いし、まともにしゃべれないし。
そんな私を完全肯定してくれる人なんて、浜尾さんが初めてだった。
この浮き足立っている気持ちは、多分世間一般の恋や愛とは程遠いけど、居心地のいい関係なんだろうと思う。今度浜尾さんの病院にお見舞いに行こう。そう思いながら、私は彼の部屋を出た。
****
甘い物が好きな浜尾さんに、地元でも評判のプリンを買っていって、持っていくことにした。病院は思っているよりも人が多く、受付に問い合わせて教えられた階に進んだら、六人部屋の窓際に、ちょうど浜尾さんが寝ていた。
ただでさえひどい癖毛が、入院生活の中なかなかお風呂に入れてないせいなのか、爆発してしまっていた。
「あのう、浜尾さん。今寝てらっしゃいますか?」
「あれ?」
浜尾さんは慌ててメガネを探して手をばたばたしはじめたので、カウンターに置いてあったメガネを差し出すと、それをかけはじめる。そして私の顔を見た途端に「ピャッ」と叫んだ。
「せせせせ、先生! 入院中お手を煩わせるつもりはなかったんですけど……!」
「いえ。単純にお変わりないかと様子を見に来ただけですけど。ヘルニアの手術、どうなりましたか?」
「一応は、なんとかなりました。二日間は絶対に安静なんですけどね」
「まあ……あのう、お菓子持ってきたんですけど、食べるのって大丈夫ですか? そこの貼り紙見ている限りだと、浜尾さんは食事制限とかはなさそうなんですけど」
手術後はどうなのかまで、私も知らない。浜尾さんはニコニコと「大丈夫ですよ」と教えてくれたので、私は丸椅子を持ってきて、浜尾さんのベッドで一緒にプリンを食べた。
このところ、ひとりでずっと自分の好きなものを食べていたはずなのに。今は浜尾さん当てに選んだプリンがずいぶんとおいしく感じる。浜尾さんは「ここ並びませんでした?」と心配してくれたものの、今日はなんか人に用事でもあったのか、ほとんど並ばずに買えたと伝えたら「よかったです」と顔が綻んだ。
「最近はどうですか? 原稿とかは」
「原稿ですけど、原稿は順調ですね」
「あー……お仕事は順調じゃないんでしょうか?」
それに言葉が詰まる。浜尾さんには、私が再就職用に就活をはじめたことを伝えていなかった。私はプリンのスプーンを咥えながら、視線を彷徨わせる。
「うーん……ちょっといろいろ限界が来てまして、転職しようかなあと」
「人間関係……ですか?」
「それもなんですけど、私もいい加減無理し過ぎたのかなと思いまして。メンタルガタガタなんで、そろそろ今の仕事は限界だなあと……」
浜尾さんはしばらく黙り込んだ。
……私、なにか余計なことを言ったっけ。少し焦ったけれど、浜尾さんはプリンを全部綺麗に食べ終えた。カラメルすら残さず綺麗にって、どうやったらそう食べきれるのか。
「そうですよね……ただ、先生がは原稿があるじゃないですか。仕事のせいで原稿が書けなくなるのは、あんまり賢明じゃないと思います」
「そうですね、私もそれは困ります」
「あのう……これ言うとすごい失礼だと思うんですけど」
浜尾さんはプリンの器を「ご馳走様」と私の持っていた紙ケースに片付けてから言う。
「シェルターに入りませんか?」
「……私、虐待はされていませんけど」
「ああ、その意味もありますよね。ええっと、そうじゃなくって……防空壕とか、傘とか……ええっと……」
いきなりなにを言い出すんだろう。私は訝しがってポカンと浜尾さんの様子を観察しながらプリンを食べていたら、ようやく言葉が閃いたのか、浜尾さんは振り返った。
「自分と結婚しませんか?」
「はい?」
一瞬意味がわからなくなって、ポカンと口を開けた。