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 真生が深い眠りに入るのと同時に、彼女は手術室へと運ばれて行った。
 目の前で彼女が扉の向こうに消えていく。祐二はそれを、拳を握り締めて見送った。手術中を知らせる明かりが灯る頃、ばたばたと足音が近づいてくる。

「祐二!」

 呼ばれて振り返ると、制服姿の涼が琴美の腕を引いて駆けてきたところだった。祐二の前で足を止めた二人は、肩で激しく息をついている。琴美がまだそれも整わない内から口を開く。

「真生、ちゃんは……っ?」

「手術に入ったところだ」

「そんな……あたし、間に合わなかったの?」

 琴美が泣きそうに顔を歪める。

「琴美……」

「真生ちゃんっ! あたし、ずっと会いに行かなくちゃって思ってたの。 だけど、どうしても真生ちゃんに会いに行く勇気がなくて。だって、あたし病気のことも知らないでっ、一緒の大学に行こうとか、無神経なこと言っちゃってたから!!」

「琴美、もういい」

「涼からも伝言を聞いたよっ? 真生ちゃんを怒ってたわけじゃないの。ただ気まずくて、会いに来れなかっただけなの!」

「もういい。真生ちゃんもわかってくれてるから……」

 琴美が泣きながら扉に向かって叫ぶのを、涼が後ろから抱いて押さえる。

「ごめんねぇ……真生ちゃん……」

 言葉にならない声で琴美が謝り続ける。そんな彼女の様子に心を痛めながら、祐二は静かに声を落とす。

「後悔してるなら、真生の目が覚めた時にもう一度来い。今度は逃げずに、あいつに会いに来い」

「だけどあたしは……っ」

「それでまた、やり直せばいいじゃねぇか」
 
 祐二の言葉に琴美が目を見張る。

「あいつは怒ってねぇよ、絶対に。お前が泣いてる方がよっぽど心配する」

「琴美、間に合わなかったことはもうどうしようもない。だったら、オレ達は手術を受けた後に、記憶がない彼女の役に立とう?」

「うん……っ」

 泣きながら何度も頷く琴美を、涼は優しく促して連れていく。

 ──真生……オレだけじゃなくて、あいつ等もお前を待ってる。だから早く帰って来いよ。

 祐二はもう一度だけ手術室を見つめると、涼達とは反対方向へと歩き出した。彼女の願いを叶えるために。




 祐二の足は真生の病室を前に自然と止まった。いつもはこのドアを開けば真生が笑顔で出迎えてくれていた。それがないのはわかっていても、まだ彼女がこの部屋にいる気がしてならない。感傷的な気持ちを振り切るようにドアを開く。

 真生がいない病室はがらんとしていて、部屋の広さばかりが浮き立って見えた。白い室内が寒々しく思えてくる。祐二はスケッチブックを探して周囲を見回す。しかしどこにも見当たらなくて何気なく視線を上げて、思わず目を奪われた。

 金色の額縁に収められた一枚の絵。一緒に描いた桜の絵は、すでに壁に飾られていたのだ。呆気にとられた祐二は、真生がなぜあんな頼みごとをしたのだろうかと頭に疑問を浮かべる。

 その時、ベッドの上で何かが光る。太陽を反射して光ったもの、それは祐二が真生にあげた貝殻のブレスレットだった。そして、その下には真っ白な封筒が一枚置いてある。

 表には『祐二先輩へ』と、真生らしい丸い文字。それは彼女が残した自分宛の手紙であった。祐二は強張った手でそっと手紙を開く。

    祐二先輩へ

祐二先輩に出会えたことに、ずっと感謝してました。
好きになれたこと。同じ時間を過ごせたこと。想いを伝えられたこと。
先輩と一緒にいられて、私は本当に幸せでした。
祐二先輩はどうですか? 私と過ごして幸せを感じましたか?
先輩も一緒に幸せを感じてくれてたなら、それ以上に嬉しいことはありません。
だけど、海で先輩と約束をした時は、正直、もっと時間があったらよかったのにと思わずにはいられませんでした。
貴方ともっと一緒にいたかった。もっと同じものを見たかった。二人で一つの道を歩きたかった。欲張ればきりがないほど、貴方のことが大好きです。
これは、そんな私からの、最後のお願いです。
これから先、何があっても私のことを「好きじゃなきゃいけない」とだけは思わないでください。
こんなことを言ったら先輩は怒るかもしないけど、もし他の誰かを好きになったら、素直にそんな自分を認めてくださいね。
先輩は優しいから、たとえ他の誰かを好きになったとしても、そんな自分を戒めて「真生を好きでいないと」って思ってしまう気がします。
もし、いつかこの想いが貴方の枷になる日が来たなら、その時は私との恋はちゃんと思い出にしてください。
最後まで我侭でごめんなさい。だけど、やっぱり私は貴方に笑っていて欲しいんです。
祐二先輩が笑っていてくれたら、私はそれだけで幸せですから。
貴方の幸せをずっと願っています。
                                                     
                                 真生より

 ぽたりと、零れ落ちたもので便箋が滲んでいく。

「なんでだよ……なんで最後の最後までオレのことばっかり……っ」

 祐二は堪え切れずに手で顔を覆った。涙が溢れる。手紙に書いてあったのは、祐二を思いやる気持ちばかりだった。

「もっと、オレをお前の気持ちで縛れよ! 忘れるなって、書けよっ!! なんで……こんな……っ、こんなこと書かれて、お前を思い出になんてできるわけねぇだろぉっ!!」

 祐二の声は主の消えた室内に響くだけで、彼女から声が返ることは二度とない。きっと自分は優しすぎた真生のことを、一生想い続けるのだ。
 どうしようもなくお人好しだった彼女のことを、生涯忘れることなく。

 一緒にいたかった。
 同じものを見たかった。
 一つの道を歩きたかった。
 その想いは祐二も同じだった。
 
 後悔なんかするものかと思っていたのに、彼女がいなくなって浮かんだ想いは、どうしようもない切なさと、悔いる言葉ばかりで。 

 もっと一緒にいればよかった。
 もっと話をすればよかった。
 もっと好きだと伝えればよかった。
 もっと、もっと、もっと──────……。
 
 想いは溢れるのに、一緒に過ごした彼女に届くことはもうなくて。

『大好きですよ、祐二先輩』

 そう言って笑う真生の声が聞こえた気がして、祐二は手紙を胸に抱えて、涙が零れるままに、ただ泣いた。
 出来ることなら、今すぐ彼女を抱きしめたかった。