病室へ戻ると、涼はベットの傍に椅子を置いて、真生の話に付き合ってくれた。しかし、陽が傾いても一向に帰る様子が見られないので、しだいに気を遣わせているのでないかと心配になってくる。
「涼先輩、授業はいいんですか?」
「いいのいいの、オレ頭悪くないから心配いらないよ? 五回や十回受けなかったところで大した問題にはならないからさ。それよりね、もう少し真生ちゃんと話したいよ」
「十回って、留年したいんですか? 多すぎですよ。話したいって思ってくれるのは嬉しいですけど、琴美先輩が怒りませんか?」
「あっ、怒るかな? いや、でも大丈夫だって。真生ちゃんのとこにいるからって言えば」
「素直に帰った方がいいですよ」
促すものの、暖簾に腕押しの状況である。祐二には学校を優先してほしいと頼んだ手前、彼だけにそれを許すのは真生の心情に反していた。
「今度は琴美先輩と一緒に来てください。そうすれば絶対に怒られませんよ?」
「そうだね、今度はそうするよ。……その前に琴美の怒りを鎮めてからじゃないと、無理かもしれないけどね」
歯切れの悪い口調だ。真生は二人の関係に影が射したのかと、困り顔になる。
「今度はどうしたんです?」
「あのね、琴美は真生ちゃんの病気を最後に知ることになったよね? まぁ、他意はなかったわけだけど。だけど、あいつからすれば可愛い妹分からも知らされず、彼氏からもダチからも知らされなかったわけだ。で、今かなり怒ってて、口訊いてくんないんだよ」
「それは……」
そうだった。すっかり教えた気になっていたが、よくよく考えてみればそんなわけがない。自分はあの時、誰にも言わずに消えるつもりだったのだ。
「ね? なんとも言えないでしょ?」
「……謝らないといけないですね」
「いやぁ、オレも土下座する勢いで謝ったんだけど、腹に一発拳を食らって、見向きもされませんでした」
「なんというか、相変わらずなようですね。不謹慎ですけど、ちょっと安心しちゃいました」
その光景が容易に目に浮かぶ。
「そんなとこで安心されても嬉しくないって。けど、琴美も真生ちゃんの気持ちはわかっているはずだからさ。ちゃんと話して今度は連れてくるよ」
「はい。琴美先輩に、「隠していてごめんなさい」って伝えてもらえますか?」
「わかった。ちゃんと伝えるよ」
涼の態度は、今までにない真摯なものだった。ふざけた姿ばかり見てきたが、本来の涼は繊細で優しい人なのだろう。その時、足音が聞こえてきた。真生は開けられたままのドアへと目を向ける。
「どうしてお前がここにいるんだよ?」
先客の涼に不機嫌な顔をして、祐二が病室に入ってきた。
「あらま、ずいぶんなご挨拶じゃないの。もしかして妬いてる? オレが真生ちゃんと仲良くしちゃってるから」
涼は真生の肩に腕を回すとわざとらしく鼻で笑ってみせる。挑発するような仕草に巻き込まれた真生は困った顔をするしかない。
「オレのに触るな」
祐二の常から目つきがよくない目が険悪に細められ、親友の頭を軽く叩いて、真生を解放させる。その強引な仕草に思わず彼の顔を見上げた。
「大丈夫か?」
「あ、はい。ちょっとびっくりしました」
「……まぁ、大丈夫ならいい」
何かを言いかけて、祐二はため息を吐きながら、ゆるく首を振る。どうしたのだろうかと、真生は不思議に思いながら瞬く。
「真生ちゃん、今のは祐二の嫉妬だって」
「黙れ害虫」
「い、一度ならず、二度までも!」
祐二の手が素早く動いた。今度は力が入っていたようで、涼は頭を抱えて痛そうに唸る。真生は身体を張った冗談に思わず笑い出す。
「あははっ、嫉妬なんて先輩がするはずないですよ」
「この反応って恋人としてどうなの? 祐二、お前もっと頑張れよな」
二人が顔を見合わせる。祐二の複雑そうな表情の意味が、真生にはいまいちよくわからなかった。
「わたし変なこと言いましたかね?」
「気にするな。それよりも、涼はいつからここにいやがったんだ。お前が学校にいなかったせいで、琴美の怒りがこっちに飛んできたじゃねぇかよ」
「オレ達、親友でしょ? 祐二くんとオレは一蓮托生なんだから、琴美の怒りも一緒に受けて当然だろ」
「胸を張るな。そんな親友なら捨てちまうぞ。お前の彼女なんだからしっかり宥めろ。……お前が何も言わないで消えたから、琴美も心配してたみたいだぜ」
「上々だね。琴美ちゃんにはもう少し素直になって欲しいのよ、オレとしても」
「もしかして、わざとですか?」
「怒ってばかりでこっちの話を少しも聞かないからね、苦肉の策だよ。このままぶつかることだけが増えていけば、一緒にはいられなくなるでしょ? 今のオレ達には必要なことだよ」
物憂げな笑みを浮かべる涼はきっと本当に琴美のことが好きなのだろう。
「……呆れた奴だな」
「なんとでも言ってよ。それじゃあ、そろそろオレは帰るとするかな。馬に蹴られて死にたくないしね」
「さっさと帰れ」
「はいはい帰りますよ。またね真生ちゃん」
ひらひらと手を振る涼に、祐二は手の甲を見せ邪険に払った。その後ろで真生は小さく手を振り返していたのだが、祐二が振り向く前に、素知らぬ顔で手を下ろして隠す。
「やっと煩い奴がいなくなったな。無駄に疲れたぜ」
溜息を吐いて頭をがしがしと掻く祐二に、真生は微笑む。
「涼先輩はいい人ですよね」
「うるせぇけどな」
素直じゃない言葉が祐二らしくて、小さな笑い声が漏れる。軽く睨まれるものの、ちっとも怖くない。
「怒らないで下さいよ」
「怒ってねぇよ」
「じゃあ、拗ねないで下さい」
「拗ねてねぇ」
そっぽを向いてぶっきらぼうに祐二は答えるが、その声とは裏腹に彼の耳はうっすらと赤かった。真生は祐二が拗ねないように今度は声を立てないで笑った。しかし、その笑い声はすぐに途絶えてしまう。
「あ……っ」
まるで何かの衝撃を受けたように視界が一瞬大きくぶれた。頭が痛み出す。最初は小さく、やがて耐えられないほど痛みは大きくなっていく。
「真生?」
振り返った祐二に応える余裕もないまま、真生は震える指先で米神に触れると、きつく目を閉ざす。苦痛の時間が始まったのだ。
「先輩……外に、出ててください……」
こんな姿を祐二に見られたくなくて、真生は激痛を堪えて声を絞り出す。じわりと広がるような痛みが、頭の中で大きくなったり小さくなったりを繰り返す。まるで不整脈を起こした心臓のようだ。
「痛むのか!? ナースコール押すぞ!」
「お願いです……外へ……」
「こんなの見て放っておけるか! どうすればいい? どうすればお前を少しでも楽にしてやれる?」
痛みに苦しんでいるのは真生なのに、祐二の方が死にそうな顔をしている。真生は冷や汗を額に感じながら頼む。
「……一番上の引き出しに、薬が入ってます……っ」
「水もいるよな? ちょっと待ってろよ」
祐二は引き出しから出した薬を真生に持たせると、反対側の壁に備え付けられた洗面所でコップに水を汲んで持ってきてくれる。
「……すみません」
「謝らなくていいから早く飲め」
真生はあまりの痛みに朦朧としてきた意識の中で、なんとか薬を飲み込む。祐二の優しい手が何度も頭を撫でてくれる。繰り返し撫でられているとほんの少し、痛みが小さくなった気がした。
すぐに担当医である郁也の父が駆けつけてくれた。彼は祐二の姿に驚いたようだが、それも最初の一瞬だけで、何も言わずに祐二を外に出して、苦しむ真生の処置を始める。腕に針を刺され、点滴が行われた。
「おじさん、先輩に、今日はごめんなさいって……」
「わかったよ、真生ちゃん。ちゃんと伝えておくからね、さぁ、ゆっくりと眠りなさい」
真生はぼんやりした頭でかろうじてそれだけを言い残すと、激しい痛みの中で気絶するように眠りについた。
「涼先輩、授業はいいんですか?」
「いいのいいの、オレ頭悪くないから心配いらないよ? 五回や十回受けなかったところで大した問題にはならないからさ。それよりね、もう少し真生ちゃんと話したいよ」
「十回って、留年したいんですか? 多すぎですよ。話したいって思ってくれるのは嬉しいですけど、琴美先輩が怒りませんか?」
「あっ、怒るかな? いや、でも大丈夫だって。真生ちゃんのとこにいるからって言えば」
「素直に帰った方がいいですよ」
促すものの、暖簾に腕押しの状況である。祐二には学校を優先してほしいと頼んだ手前、彼だけにそれを許すのは真生の心情に反していた。
「今度は琴美先輩と一緒に来てください。そうすれば絶対に怒られませんよ?」
「そうだね、今度はそうするよ。……その前に琴美の怒りを鎮めてからじゃないと、無理かもしれないけどね」
歯切れの悪い口調だ。真生は二人の関係に影が射したのかと、困り顔になる。
「今度はどうしたんです?」
「あのね、琴美は真生ちゃんの病気を最後に知ることになったよね? まぁ、他意はなかったわけだけど。だけど、あいつからすれば可愛い妹分からも知らされず、彼氏からもダチからも知らされなかったわけだ。で、今かなり怒ってて、口訊いてくんないんだよ」
「それは……」
そうだった。すっかり教えた気になっていたが、よくよく考えてみればそんなわけがない。自分はあの時、誰にも言わずに消えるつもりだったのだ。
「ね? なんとも言えないでしょ?」
「……謝らないといけないですね」
「いやぁ、オレも土下座する勢いで謝ったんだけど、腹に一発拳を食らって、見向きもされませんでした」
「なんというか、相変わらずなようですね。不謹慎ですけど、ちょっと安心しちゃいました」
その光景が容易に目に浮かぶ。
「そんなとこで安心されても嬉しくないって。けど、琴美も真生ちゃんの気持ちはわかっているはずだからさ。ちゃんと話して今度は連れてくるよ」
「はい。琴美先輩に、「隠していてごめんなさい」って伝えてもらえますか?」
「わかった。ちゃんと伝えるよ」
涼の態度は、今までにない真摯なものだった。ふざけた姿ばかり見てきたが、本来の涼は繊細で優しい人なのだろう。その時、足音が聞こえてきた。真生は開けられたままのドアへと目を向ける。
「どうしてお前がここにいるんだよ?」
先客の涼に不機嫌な顔をして、祐二が病室に入ってきた。
「あらま、ずいぶんなご挨拶じゃないの。もしかして妬いてる? オレが真生ちゃんと仲良くしちゃってるから」
涼は真生の肩に腕を回すとわざとらしく鼻で笑ってみせる。挑発するような仕草に巻き込まれた真生は困った顔をするしかない。
「オレのに触るな」
祐二の常から目つきがよくない目が険悪に細められ、親友の頭を軽く叩いて、真生を解放させる。その強引な仕草に思わず彼の顔を見上げた。
「大丈夫か?」
「あ、はい。ちょっとびっくりしました」
「……まぁ、大丈夫ならいい」
何かを言いかけて、祐二はため息を吐きながら、ゆるく首を振る。どうしたのだろうかと、真生は不思議に思いながら瞬く。
「真生ちゃん、今のは祐二の嫉妬だって」
「黙れ害虫」
「い、一度ならず、二度までも!」
祐二の手が素早く動いた。今度は力が入っていたようで、涼は頭を抱えて痛そうに唸る。真生は身体を張った冗談に思わず笑い出す。
「あははっ、嫉妬なんて先輩がするはずないですよ」
「この反応って恋人としてどうなの? 祐二、お前もっと頑張れよな」
二人が顔を見合わせる。祐二の複雑そうな表情の意味が、真生にはいまいちよくわからなかった。
「わたし変なこと言いましたかね?」
「気にするな。それよりも、涼はいつからここにいやがったんだ。お前が学校にいなかったせいで、琴美の怒りがこっちに飛んできたじゃねぇかよ」
「オレ達、親友でしょ? 祐二くんとオレは一蓮托生なんだから、琴美の怒りも一緒に受けて当然だろ」
「胸を張るな。そんな親友なら捨てちまうぞ。お前の彼女なんだからしっかり宥めろ。……お前が何も言わないで消えたから、琴美も心配してたみたいだぜ」
「上々だね。琴美ちゃんにはもう少し素直になって欲しいのよ、オレとしても」
「もしかして、わざとですか?」
「怒ってばかりでこっちの話を少しも聞かないからね、苦肉の策だよ。このままぶつかることだけが増えていけば、一緒にはいられなくなるでしょ? 今のオレ達には必要なことだよ」
物憂げな笑みを浮かべる涼はきっと本当に琴美のことが好きなのだろう。
「……呆れた奴だな」
「なんとでも言ってよ。それじゃあ、そろそろオレは帰るとするかな。馬に蹴られて死にたくないしね」
「さっさと帰れ」
「はいはい帰りますよ。またね真生ちゃん」
ひらひらと手を振る涼に、祐二は手の甲を見せ邪険に払った。その後ろで真生は小さく手を振り返していたのだが、祐二が振り向く前に、素知らぬ顔で手を下ろして隠す。
「やっと煩い奴がいなくなったな。無駄に疲れたぜ」
溜息を吐いて頭をがしがしと掻く祐二に、真生は微笑む。
「涼先輩はいい人ですよね」
「うるせぇけどな」
素直じゃない言葉が祐二らしくて、小さな笑い声が漏れる。軽く睨まれるものの、ちっとも怖くない。
「怒らないで下さいよ」
「怒ってねぇよ」
「じゃあ、拗ねないで下さい」
「拗ねてねぇ」
そっぽを向いてぶっきらぼうに祐二は答えるが、その声とは裏腹に彼の耳はうっすらと赤かった。真生は祐二が拗ねないように今度は声を立てないで笑った。しかし、その笑い声はすぐに途絶えてしまう。
「あ……っ」
まるで何かの衝撃を受けたように視界が一瞬大きくぶれた。頭が痛み出す。最初は小さく、やがて耐えられないほど痛みは大きくなっていく。
「真生?」
振り返った祐二に応える余裕もないまま、真生は震える指先で米神に触れると、きつく目を閉ざす。苦痛の時間が始まったのだ。
「先輩……外に、出ててください……」
こんな姿を祐二に見られたくなくて、真生は激痛を堪えて声を絞り出す。じわりと広がるような痛みが、頭の中で大きくなったり小さくなったりを繰り返す。まるで不整脈を起こした心臓のようだ。
「痛むのか!? ナースコール押すぞ!」
「お願いです……外へ……」
「こんなの見て放っておけるか! どうすればいい? どうすればお前を少しでも楽にしてやれる?」
痛みに苦しんでいるのは真生なのに、祐二の方が死にそうな顔をしている。真生は冷や汗を額に感じながら頼む。
「……一番上の引き出しに、薬が入ってます……っ」
「水もいるよな? ちょっと待ってろよ」
祐二は引き出しから出した薬を真生に持たせると、反対側の壁に備え付けられた洗面所でコップに水を汲んで持ってきてくれる。
「……すみません」
「謝らなくていいから早く飲め」
真生はあまりの痛みに朦朧としてきた意識の中で、なんとか薬を飲み込む。祐二の優しい手が何度も頭を撫でてくれる。繰り返し撫でられているとほんの少し、痛みが小さくなった気がした。
すぐに担当医である郁也の父が駆けつけてくれた。彼は祐二の姿に驚いたようだが、それも最初の一瞬だけで、何も言わずに祐二を外に出して、苦しむ真生の処置を始める。腕に針を刺され、点滴が行われた。
「おじさん、先輩に、今日はごめんなさいって……」
「わかったよ、真生ちゃん。ちゃんと伝えておくからね、さぁ、ゆっくりと眠りなさい」
真生はぼんやりした頭でかろうじてそれだけを言い残すと、激しい痛みの中で気絶するように眠りについた。