連れてこられて何日が過ぎたのだろう。
きっと、二日は経っているだろう。
眠りから目を覚ますと外が騒がしかった。
「……お嬢さま!」
「お嬢さま、お待ちください!」
「……なにをなさっているのです、お嬢さま」
慌てたような使用人の声。
冷静な声はばあやのものだった。
この家でお嬢さまと呼ばれているのはたった一人。
ガチャガチャと鍵が開けられるような音がした。
茅都さんが来てくれたのかもしれないなんて淡い希望を抱くがそれは叶わなかった。
「え……?の、乃々羽お姉さま……」
わたしは顔が強張る。
お姉さまとなんてあまり話したことがないのに。
お姉さまが物置小屋に入って来たかと思えばわたしの手を掴んだ。
「早く来て……!」
お姉さまはなぜか楽しそうに言った。
お姉さまに連れられるがまま、家の中を全力で走った。
「お嬢さま!なにをなさっているのですか⁉」
「誰かお嬢さまを捕まえて!」
乃々羽お姉さまは玄関の扉を勢いよく開けた。
「ちょっと来て……!早くしないとばあやたちが来ちゃう」
そう言った途端に玄関から数人の使用人とばあやが出てきた。
「来ちゃった……!こっちよ」
お姉さまはまたわたしの手を掴み走りだした。
「お嬢さま、なにをしているのです。早く戻って来なさい。旦那さまや奥さまに怒られますよ」
ㅤばあやの怒りが混じった声が聞こえるが、乃々羽お姉さまはそれを無視した。
白い車を出してお姉さまは運転席に乗った。
「乗って。……なにもしないから、私は妃翠と話がしたいの。ばあやのことは気にしないでいいから」
お姉さまはの瞳は真剣そのものだった。
少しだけ信じてみようと思った。
わたしは車に乗り込んだ。
車が動き出した。
少し後ろを振り返って見てみると使用人たちが慌てたように走っている。
けれど、車の速さに敵うわけもなく。
「……ふふっ。あははっ」
お姉さまは突然おかしそうに笑った。
けれど、不気味さはなかった。
「……なぜ笑うのですか?」
「ああ。妃翠に向けての笑いじゃないわよ?いつも……ばあやには名家の娘らしくいなさいって言われるの」
お姉さまは呆れたようにため息をつく。
「名家の娘ってどんなのなのかな……難しいな。わたしはわからないままばあやに色々と言われるの」
お姉さまはわたしを見て言った。
「いつもチクチク言ってくるばあやが焦ってるの見たらなんだかおもしろくなっちゃった。……本当に性格悪いわね、私」
なんて意地悪く笑うお姉さま。
「……ここでお茶でもしましょう?」
お姉さまは車をとめた。
個室のあるレストランに行った。
「さあ、好きなの選んで……二日間ろくに食事をとれなかったでしょ……?」
お姉さまは辛そうな顔をした。
食事がきてからお姉さまは話出した。
「妃翠……今まで本当にごめんなさい」
急に謝られ戸惑ってしまう。
「な、なぜお姉さまが謝るのですか……?」
「だって……今まで妃翠がお母さまやお父さまになにをされても私は助けることができなかった……」
弱弱しい声のお姉さまにわたしは今までのことを思い出す。
継母さまに叩かれることがあっても、お姉さまは同情の瞳を向けるだけだったのだ。
「ごめんなさい、私……妃翠と仲良くしなきゃって思っていたけれど……お母さまに妃翠のところに行くなって口止めされていたの……それで中々妃翠の部屋に行けなかった」
お姉さまは頭を下げた。
継母さまはいつもお姉さまのことを監視していたようだ。
「こんな姉でごめんなさい……こんなダメダメな私だけどなにかあれば妃翠の力になりたい」
お姉さまは頭を上げ、わたしに向かって言った。
「そうだ、妃翠。『お姉さま』だなんて堅苦しいからせめて『お姉ちゃん』って呼んでよ!あと敬語も。今どき兄妹姉妹に対して敬語使うほうが珍しいんじゃない?」
お姉さまはウインクをする。
「えっと……乃々羽お姉ちゃん……?」
わたしが言うと乃々羽お姉ちゃんはキラキラした瞳をしていた。
「いいわ!それでいきましょ!」
わたしたちは食事を進めながら話をした。
「……お姉ちゃんに悩みを相談したいのだけれど……」
わたしが控えめに言うと。
「わたし……その……茅都さんのことが好き、なの……」
顔を真っ赤にしながら言う。
乃々羽お姉ちゃんの顔を見ると驚いたように目を見開いていた。
「え、本当⁉」
「うん……でも、まだ心の声が聞こえることも言えてない……言ったら嫌われちゃうわよ」
わたしが言うと乃々羽お姉ちゃんはわたしの手を握った。
「大丈夫……その好きだっていう気持ちを大切にすればいいの。好きを伝えて損はないと思うよ?雲龍さまだって妃翠のことを認めてくれる」
わたしは好きという感情を誰かに伝えることを今まであまりしてきていない。
お母さまが生きていた頃はわたしもまだ幼かった。
それからはお父さまと話すこともなくなって好きということすらも忘れていた。
「妃翠が幸せになれるなら私はなんでも協力する。……だって、私は妃翠のお姉ちゃんだもん」
乃々羽お姉ちゃんは嬉しそうに笑った。
わたしはこれまでにない幸福感に満たされた。
家族に愛されるということはこんなにも嬉しいのか。
レストランから出ると見覚えのある黒い車があった。
「……妃翠。あなたなら大丈夫、勇気を出して伝えてみるのもいいと思うよ」
そう言って乃々羽お姉ちゃんはいなくなった。
「妃翠!」
後ろを向くとすぐさま抱きしめられた。
この匂い、温もり、すごく落ち着く。
「茅都さん……」
「ごめん。来るのが遅くなった……本当にごめん」
茅都さんは泣きそうな顔でわたしを見た。
「平気よ。……わたし、家族の中でやっと信用できる人を見つけたから。それに一番は茅都さんなら来てくれるってわかってたから」
茅都さんならきっとわたしのことを探してくれるとなんの根拠もない自身があったのだ。
「そっか。……家に帰ろう」
茅都さんはわたしの手を引いて車に乗った。
家の近くまで来た。
懐かしい並木道。
たった二日間だけなのにすごく懐かしく感じる。
「ただいま」
わたしは大きな家に向かって言う。
「……おかえり」
茅都さんは優しく笑った。
茅都さんのこの優しい顔で笑うところも少し大げさなところも全部全部大好きなんだ。
今日、ちゃんと全て伝えなければ。
「……妃翠、おいで」
時間だけがすぎて行き、夜になってしまった。
お風呂も入り、夕食も食べた。
ソファーにいる茅都さんに呼ばれる。
茅都さんは腕を広げて待っている。
わたしは茅都さんの腕に包まれた。
「茅都さん……あの、大切な話があるの」
茅都さんはわたしを抱きしめる力をゆるめた。
「……どうしたの。そんな改まって」
茅都さんは少し不安気な顔をした。
「その……理解するのに時間がかかっても仕方がないとは思うのだけど……わたし、誰かの心の声が聞こえるの」
わたしは茅都さんの瞳を見た。
(──心の声?……じゃあ、この声も聞こえているのか?)
わたしは小さく頷いた。
「ええ……聞こえているわよ」
わたしが言うと茅都さんは目を見開いた。
驚くのも無理はないだろう。
さて、ここからが問題だ。
この能力を受け入れてもらえるのか。
「信じられないけど……言ってくれてありがとう」
茅都さんはまたわたしを抱きしめた。
受け入れてもらえたのだろうか。
きっと、そうだろう。
「そ、それと……まだ一番伝えたいことが残ってるのよ」
一番伝えたいこと、それは──。
「わたし、茅都さんのことが──好き」
わたしが言うと茅都さんは固まってしまった。
さすがにこれは受け入れてもらえないか。
「待って、本当にこれ現実……?」
茅都さんはわたしに頬を叩いてほしいなんてお願いしてきた。
「えっと……叩きはしないけれど。現実よ……?」
(──嬉しすぎる。もう今日命日でもいいよ)
そんな心の声が聞こえ、わたしは焦る。
「し、死んじゃダメよ……!」
わたしが言うと茅都さんは笑った。
「そうだ。妃翠には思ってることがバレバレなんだね」
わたしはこくこくと頷いた。
「じゃあ、遅くなったけど。……妃翠、昔から僕の好きな人は妃翠なんだよ。やっと、言えた」
わたしは茅都さんの言葉が理解できなかった。
「えっ……?ほ、本当に?わ、わたし……っ」
わたし、誰かに好きでいてもらえている。
そのことに嬉しさと同時に大量の涙が溢れた。
「妃翠……」
茅都さんは嬉しそうに微笑んだ。
「改めて……僕と付き合ってくれますか?」
わたしは涙でぐちゃぐちゃの顔ではにかんだ。
「ええ、もちろんよ……!」
茅都さんの顔が目の前にあった。
少し見つめ合ったあと、優しいキスが降ってきた。
茅都さんと付き合い始めてから数日後。
「あ、妃翠ちゃんやないの?……あんた、茅都と付き合ったって?」
結璃ちゃんに話しかけられた。
わたしは恥ずかしさをこらえながら頷いた。
「そう。おめでとう……せや、あんたら付き合ったから言ってもええのかな?」
結璃ちゃんは少し言いづらそうにしていた。
「なにか言いたいことがあるなら言ってほしいわ」
「……うちな茅都の元カノなんや」
いつもニコニコしている結璃ちゃんが真剣な表情で言った。
「え……?」
わたしはショックというより驚きが勝っていた。
「ごめんな、言うつもりはなかったんやけど。言ったほうがええなって思うことがあったからあんたには言うわ」
結璃ちゃんは一息おいて。
「うちと茅都が付き合ってたのは高校生のときや。高一のときから高二の最後らへんまで付き合ってた。別れを言ったのは茅都やった。忘れられへん子がいるって言ってな。ほんま一生分のごめんをもらった気がするわぁ」
結璃ちゃんは少し切なそうに笑った。
「うちらは確かに両想いやったと思うで?妃翠ちゃんの前で話すことやないとは思うんやけど。……でも、茅都はきっと頭のどこかで妃翠ちゃんのことを想ってたんやない?それくらい、あんたのことを忘れられへんかったんやろ?」
わたしは結璃ちゃんの話に違和感を覚えた。
わたしが茅都さんと会ったのは翡翠川に落ちて助けてもらったときの一回だけだ。
それなのにわたしのことを忘れられないなんてあり得るのだろうか。
わたしはそんなことを思いながら結璃ちゃんの話の続きを聞いた。
「うちは身代わりでもなんでもないわぁ……って別れたんやけど。あんまりピンと来てへんの?」
結璃ちゃんは笑って言った。
「……もぉ、ほんまに茅都最低やわぁ。でも、本気で茅都に愛されてるのは妃翠ちゃんなんやから、あんたは絶対に幸せになれるで。うちはええ人探してくるわ」
なんて最後は冗談めかして言った結璃ちゃんだった。
けれど、わたしがずっと探し求めてきたもの。
『幸せ』というものが手に入るのか。
結璃ちゃんはわたしに手を振っていなくなった。
家に帰ると茅都さんはすでに帰って来ていたようだ。
夕食を食べているときにわたしは茅都さんに今日あったことを話した。
「……今日、結璃ちゃんに会ったの。それで、茅都さんと結璃ちゃんが高校生のときに付き合ってたことを聞いたわ」
わたしがそう言うと茅都さんはぴくっと肩を揺らした。
「そのときに少し違和感があったの……わたしたち一回しか会ってないわよね?なのに、あたかも昔にずっと会ってたみたいな言い方をされたの……変な話よね──」
わたしが茅都さんの顔を見ると、茅都さんはすごく切なそうな顔をしていた。
「…………」
茅都さんはなにも言葉を発しない。
「ね、ねぇ……なにか言ってよ。なんで、なにも言わないの……っ?」
わたしの声は震えていた。
明確になにに不安があるかと問われると答えることができないがこの雰囲気がわたしの不安を煽った。
「……妃翠はなにも覚えてないの?」
急にそんなことを言われる。
「えっと……なにを?」
「僕と妃翠は……妃翠が──川に落ちる前からの知り合いだってこと」
わたしはただ呆然とするしかなかった。
「え、え?どういう……こと?」
「妃翠の記憶からはもう消えてるんだよ……翡翠川に落ちる前から一緒によく遊んでいたんだよ。本当に毎日のように僕は家から抜け出して、妃翠と誰にも見つからないようにこっそりと綾城家で遊んでたんだ」
茅都さんは懐かしそうに、そして辛そうに言った。
「でも、妃翠は川に落とされたショックで僕のことを忘れた……完全に忘れさせたのは僕だけどね」
わたしは茅都さんの能力によって記憶を消されたのだ。
記憶を消してほしいと願ったのはわたしのほうだった。
けれど、記憶を消す代償として茅都さんのことも忘れていたようだ。
「妃翠は僕のことを忘れちゃって……それが辛くて、距離をとったんだ……」
わたしは悲しそうに話す茅都さんを見ていると胸がズキズキと痛んだ。
「……じゃあ、どうしてこの縁談を受け入れたの……?とても辛いでしょう?昔会ってたのに完全に忘れられるって」
わたしが聞くと茅都さんは頷いた。
「ああ、もちろん悲しいし辛い。けど、もう一度妃翠の近くにいたかった。また妃翠が昔のように笑ってくれるのを見たかった。今度は僕が……妃翠のことを助けたかった」
茅都さんは弱弱しく、だけど芯のある声で言った。
わたしの記憶は戻らない。
だけど、茅都さんと会ったのは事実。
「……わたし、茅都さんに出会えて幸せ。わたしね、ずっと探していたの、幸せを。記憶があればもっとよかったのだけど……過去には戻れない。ただ、これだけは言わせて、わたしのことを受け入れてくれて……わたしはいてもいいって思わせてくれてありがとう」
わたしは能力のせいで受け入れてもらえなかった。
学校に行っても能力を知ればみんなわたしから離れていく。
能力を知っても離れないでいてくれたのは茅都さんだけだった。
そんな茅都さんにどうしても感謝を伝えたかった。
「僕も……妃翠に出会えてよかったと思ってるよ」
茅都さんはわたしの頬にキスをした。
「一回だけの出会いじゃなかったのね……この縁談も運命なのかしら」
わたしは微笑んだ。
「運命、なのかな。……僕には妃翠が必要だって神様が言ってるみたいだよ」
茅都さんは笑った。
わたしたちはそのあとも思い出に浸った。
大学に行くと久しぶりに会う気がする瀬凪くんがいた。
「よっ。なんか久しぶりだな、ひい」
ニカッと笑う瀬凪くん。
「……すごく久しぶりな気がするわね。実際はそんなことないのに」
わたしたちは笑い合った。
「そうだな……」
瀬凪くんはなにかを決心したようにわたしを見る。
「……なぁ、ひい。ひいにとって俺ってなに?」
急にそんなことを言われてもよくわからない。
「なにって……大切なお友達かしら」
わたしが言うと瀬凪くんは大きなため息をついた。
「はぁ……やっぱそうだよな。……なあ、ひい。俺がひいのこと──好きって言ったらどう?」
わたしは瀬凪くんの顔を見る。
瀬凪くんの顔は真剣そのものだった。
「えっと……それは、友達とか家族とかに向けられるものよね……?」
「いいや?恋愛的な意味に決まってんじゃん。俺と付き合ってほしい」
そう言われわたしは目を丸くする。
「え、えぇ⁉せ、瀬凪くんがわたしを好き……?」
わたしが驚いて声をあげると瀬凪くんはいたって冷静に。
「俺結構わかりやすかったと思うけどな」
さらっと言うけれどわたしは全く気付かなかった。
「まあ、返事は考えておいて」
そう言ってわたしとは反対方向に歩き始める瀬凪くん。
「あっ……」
行ってしまった。
なにも返事を言えずに。
わたしには茅都さん以外考えられない。
これは世間一般でいうと瀬凪くんが可哀想になってしまうのか。
それともきちんと気持ちを伝えるべきなのかよくわからない。
これだからもっと恋愛を経験しておけばよかったと後悔するのだ。
わたしは家に帰って一人で瀬凪くんの告白の返事を考える。
茅都さんはまだ帰ってきていないので一人でじっくりと考える。
「……なんて言うのが正解なのかしら……まずはごめんなさいかしら?」
なんて独り言をぶつぶつと言いながら考える。
「──……それはなにに対しての謝り?」
「告白の返事よ……って、え?」
わたしは今、誰に返事をしたのだろう。
この家にはわたし一人しかいないのだ。
なんだかすごく聞いたことがあるような声だった。
「──か、茅都さん……」
予想通り声の主は茅都さんだった。
茅都さんの顔は恐ろしかった。
「か、茅都さん……笑ってるのに目が全くもって光を宿していないのだけれど……」
わたしは視線をおろおろと移動させる。
この状況で茅都さんの顔を見れるわけがないのだ。
「うん、当たり前だよね?この状況で笑っていられるほうが僕はすごいと思うな……で、なにがあったか説明してくれるかな妃翠ちゃん?」
今までちゃん付けなんてされたことがない。
不覚にもドキッとしてしまった。
この状況でときめいてはいけない。
ちゃんと瀬凪くんのことを話さなければ。
「え、えっと……小さいときに遊んでた瀬凪くんから……その、告白をされまして……」
わたしはごにょごにょと茅都さんに話す。
「……で?なに、告白にオーケーでもしたの?僕がいるのに?」
茅都さんに問われわたしは首をぶんぶんと横に振った。
「そんなわけないでしょう。わたしは茅都さんしか見ていないから……でも、返事ができてなくてなんて返事をするべきなのかわからなくて考えていたのよ」
わたしが言うと茅都さんはニヤッと口角をあげた。
「今の言葉そのままそいつに言えばいいのに。『わたしは茅都さんしか見ていないから、ごめんなさい』って」
茅都さんはそう言うけれどわたしは恥ずかしくてたまらない。
会話に必死で自分で言ったことなのに後悔している。
本人の前でわたしはなにを言っているのか。
「あ、明日……告白はお断りするわ……」
わたしがそう言うと茅都さんは満足げに笑った。
翌日、昨日の言葉通り瀬凪くんの告白に返事することにした。
「……昨日のこと考えてくれた?」
「ええ……瀬凪くん、告白には応えられないわ。でも、嬉しかったわ。気持ちを伝えてくれてありがとう」
誰かに気持ちを伝えることはとても勇気がいることなのに瀬凪くんはさらっとやりとげてしまうのだからわたしは関心していた。
「ははっ。やっぱり……雲龍には敵わないか。まあ、お似合いカップルだもんな、ひいと雲龍。めっちゃ悔しいけどな」
カップルと言われて顔が熱くなる。
「な、なんで……っ。付き合ってることを知っているのよ……⁉」
わたしが聞くと瀬凪くんは当たり前だというふうに言った。
「なにを言ってんだひいは。あやかしの中でもトップの雲龍家の次期当主の話となれば伝達の速さも異次元だぞ?同棲してるんだし、恋の一つや二つあってもおかしくはないだろ」
ということは色々な人にわたしと茅都さんが付き合っていることが知れ渡っているのか。
わたしはなんとも言えない気持ちになる。
色々な人に伝わっていればきっと祝福してくれる人とそうでない人に分かれるのだろう。
茅都さんのファンの人にいつか刺されないかが心配だ。
「まあ、ひいの気持ちが聞けてよかった。雲龍とは仲良くやれよ」
そう言ってわたしに背を向ける瀬凪くん。
わたしは人生で初めて告白を断るという特別な体験をした。
世の中からしたらこんなこと当たり前なのかもしれない。
けれど、わたしからすれば誰かを好きになることも好きになってもらうことすら特別だったのだ。
こんなわたしを好きになってくれた瀬凪くんに感謝を伝えなければ。
「あ、あの!瀬凪くん……!」
歩き始めた瀬凪くんの背中に向かって叫ぶ。
「ん?」
瀬凪くんはわたしのほうを振り返った。
「えっと、わたしを好きになってくれてありがとう!好きになってもらえてわたし幸せ者よ」
わたしが必死になって言うと瀬凪くんは爽やかな笑顔で言った。
「そりゃどうも。……ひいのその言葉は雲龍にたくさん言ってやってやれよ。きっと喜ぶぜ?」
瀬凪くんはそれだけを言ってまた歩き出し、もう背中すら見えなくなっていた。
わたしは清々しい気分だ。
言いたいことをきちんと言えたのだ。
わたしは講義室に向かう途中で茅都さんに会った。
「……真神、だっけ?そいつには言いたいこと言えた?」
わたしはいつ瀬凪くんの名字を言っただろうか。
今はそんなことはどうでもいいのだ。
「ええ。とってもスッキリしているわ」
わたしが言うと茅都さんの手がわたしの頭の上にポンッと乗った。
わたしがびっくりして茅都さんの顔を見ると優しくふわっと笑っていた。
周りにいた女子がクラッときてしまったのか慌てている人が数名いるようだ。
こんなにかっこいい人、茅都さん以外いないと思ってしまう。
「講義始まるからまたあとでね」
そう言って茅都さんは行ってしまった。
(──あの子、綾城家の令嬢……)
(──雲龍さまに愛されているなんて羨ましい)
大学は色々な人がいるのでたくさんの心の声が聞こえる。
心の声を聞きすぎると耳に負担がかかるので基本的には人があまりにいないところにいる。
けれど、大学となればそういうわけにもいかない。
講義が終わり、即行で家に帰る。
心の声を聞きすぎて耳鳴りがひどいのだ。
これは薬でどうにかできることでもないようだ。
家に帰ってスマホを見ているとネットニュースでうららちゃんのことが書いてあった。
「えっと……恋水うらら初のワンマンライブ……え?」
わたしは驚きで言葉を失う。
同い年の少女だというのにうららちゃんは日本中を相手にしているのだ。
これは絶対に見に行かなくては。
わたしはうららちゃんにライブを見に行くとメールを送った。
すぐに既読がついて電話がかかってきた。
「も、もしもし……?」
『あ、もしもし⁉妃翠ちゃん、ライブ見に来てくれるの⁉』
とても嬉しそうな口調で話すうららちゃん。
「ええ。もちろん見に行くわよ。初のワンマンライブ……というものをやるのでしょう?」
ワンマンライブというものをちゃんと見たことがないのでよくわからないがすごいということだけはわかる。
『やったー!あ、そうだ!妃翠ちゃんのために特別席用意しておくよ!』
特別席というものに驚いて言葉を失うわたし。
『妃翠ちゃんはうららの大切なお友達だから、せっかく初めてのワンマンライブだし!』
わたしは嬉しくて心が熱くなる。
「ありがとう……楽しみにしているわ」
そう言って電話を切る。
「ただいまー……」
茅都さんが帰って来た。
「あの、茅都さん……!わたし、人生で初めてライブに行ってくるの!」
この喜びを誰かに話したかった。
「誰の?男?」
わたしはぶんぶんと首を振った。
「ち、違うわよ……!恋水うららちゃんのライブよ!」
わたしが言うと少しは納得したような顔の茅都さん。
「恋水うららってあの小悪魔アイドルの?」
「ええ、そうよ」
「妃翠ってアイドルとかわかるの?あんまり知らないのかと思ってた」
茅都さんは着替えようとネクタイをゆるめた。
今日、茅都さんは次期当主として大事な会議があったらしい。
「……!ちょ、ちょっと……わたしが目の前にいるのに恥ずかしくないの⁉」
わたしの顔はきっとりんごのように赤いだろう。
「ふっ。そんなに恥ずかしいの?ちょっと肌見えてるだけじゃん。それにカップルだし?」
「よ、よくわからないわよ……!」
茅都さんはそういうけれど、少し肌が見えているだけでも茅都さんは色っぽく見えてしまうのだ。
カップルというものはこういうことが当たり前なのか。
「……ライブは一人で行くの?」
着替え終わり、部屋着姿の茅都さんが聞いてくる。
「ええ。一人よ」
茅都さんは心配そうに眉をへの字に曲げた。
「一人でいいの?僕と一緒に行く?変な男につかまらない?」
すごい質問攻めをしてくる。
「えっと、あの……せっかくのお友達のライブだから一人で平気よ?変な人にもついて行かないわ」
小さな子供に言い聞かせるのならまだしも大学生にするような質問ではない気がする。
「本当に?……マジで心配。でも、妃翠が行きたいって言うのなら妃翠の意見が優先だから」
茅都さんはわたしのことをぎゅっと抱きしめた。
わたしはライブに行ける権利を獲得した。
ライブ当日。
うららちゃんから集合場所を教えてもらった。
『──……そう!そこで待ってて!』
うららちゃんに電話をして特別席まで向かうことにした。
会場はうららちゃんにぴったりな薄いピンクと白が基調になっている。
うららちゃんの指示通り関係者以外立ち入り禁止という看板がある扉の前で待つ。
「──きゃっ」
わたしがきょろきょろと周りを見ていたせいか誰かにぶつかってしまったようだ。
「──……すみません、大丈夫ですか?」
その声は優しそうな甘い声だった。
「……だ、大丈夫です」
その人を見ると帽子にサングラス、マスクといういかにも不審者極まりない恰好だった。
そこでふと茅都さんの言葉を思い出す。
『──……一人でいいの?僕と一緒に行く?変な男につかまらない?』
もしかしたらこの人は優しそうな仮面を被った不審者なのではないか。
「あー……安心して?不審者じゃないから。こんな格好してるのは訳があって──」
その人が話している途中でバタバタと走る音が聞こえた。
「妃翠ちゃーん!遅くなってごめんね~!」
フリフリとした可愛いフリル付きの衣装をまとったうららちゃん。
「うららちゃん……!」
わたしがうららちゃんに近づこうとするとうららちゃんは急に止まった。
「……爽良くん、ライブ来るって言ってたっけ?」
うららちゃんは不審者のような恰好の人に向かって言った。
「……言ったし。別に妹のライブくらい見に来てもいいでしょ?うららだって僕のライブ勝手に見に来て騒がれてるんだし」
その人は帽子とサングラス、マスクを外した。
とてもかっこよかった。
顔立ちは整っていて茶色の瞳と髪。
透き通るような白い肌、高い身長。
どこかうららちゃんに似ている気がする。
この世のいいところを全てこの人に取られているようだ。
「むぅ……騒がれちゃったのは予想外だったけど」
うららちゃんは頬をぷくっと膨らます。
「トップアイドルならそれくらいわかってよ。てか、この子は?なんかこの子と会うことは昨日夢に出てきたからわかってたけどさ」
わたしはその発言に首を傾げる。
なぜ夢でわたしを見たのだろう。
ㅤ夢というのは会ったことがある人しか出てこないという話を聞いたことがある。
ㅤけれど、わたしはこの人と会ったことがない。
「えー、嘘。うらら昨日夢でライブ成功しか見なかった!妃翠ちゃんと爽良くんが会うなんて……」
わたし一人がこの会話についていけない。
「そうだ。自己紹介遅くなってごめんね。僕、恋水爽良」
わたしは恋水という名字を聞いてハッとした。
「さっき、うららちゃんのこと妹って……」
「ん?うん、うららと僕は双子の兄妹」
わたしは驚きで目を見開いた。
「え、えぇ!双子⁉」
「そうだよ~!爽良くんのこと知らなかった?……まあ、うららのことも冷泉家のお嬢さまに教えてもらうまでわからなかったって言ってたっけ?」
わたしは頷いた。
「……僕はアイドルグループ、スターライトのメンバーなんだよ」
わたしは初めて聞くアイドルグループだった。
「そ、そうなんですね……あ、わたしも自己紹介してなかったですね。わたし、綾城妃翠と言います」
わたしはペコリとお辞儀をした。
「妃翠ちゃん?よろしくね、僕のことは爽良って呼んで。あとは敬語じゃなくてもいいよ、同い年だから」
「うん……!そういえば、わたしと会うことがわかっていたというのはどういうことかしら?」
わたしが聞くと爽良くんはうららちゃんのことを見た。
「うらら、友達に言ってないの?」
「いやー……言うタイミング逃しちゃった」
なんてうららちゃんは可愛く舌をペロッと出した。
「僕たちはあやかしの鬼なんだ」
そう言ってうららちゃんと爽良くんはグッと角を出した。
「つ、角……⁉」
わたし一人が驚いているのでうららちゃんと爽良くんはクスクスと笑っていた。
「そうだよ!……あ、うららそろそろ行かないと!二人の席はこっちだよ!」
わたしと爽良くんの席はうららちゃんを間近で見れる席であり、爽良くんも観客にバレることがなさそうな席だ。
しばらくしてからライブは始まった。
さすがは小悪魔アイドルというところか。
「うららちゃーん!」
「可愛い~!」
中には涙を流している人もいた。
大学ではあまりいい風に思われていなかったうららちゃんはこんなにも誰かの心を動かす原動力になっていたのか。
うららちゃんは可愛いだけの逸材ではない。
とてもかっこいい少女だ。
わたしの人生初のライブはとてもいい思い出になった。
「……妃翠ちゃん。今日はうららのライブに来てくれてありがとう」
爽良くんにお礼を言われる。
「い、いえ……!とても楽しかったわ」
「そっか。……僕はうららとは違う大学だから大学のことはあまり知らないんだけど、あまりいい噂は聞かないんだよね。だから友達とかいるのか心配で」
爽良くんは眉をへの字に曲げた。
「……でも、妃翠ちゃんがいるなら大丈夫そうかな。妃翠ちゃん、これからもうららと仲良くしてくれたら嬉しいな」
爽良くんはニコっと笑った。
今ここに爽良くんのファンがいなくてよかったと思ったのだ。
この笑顔みたら倒れる人がでるだろう。
「ただいまー」
家に帰ると鼻孔をくすぐるような香りがしていた。
「おかえり、妃翠。ライブはどうだった?」
「楽しかったわ!」
わたしが笑顔で答えると茅都さんも優しく笑った。
「今日の夕食は肉じゃがだよ」
わたしは肉じゃがが大好きだ。
なんだか食べると心が温まる気がするのだ。
夕食を食べ終え、ベッドに入る。
「そうだわ……」
ライブに行ったときに爽良くんのことを調べたいと思ったのだ。
ネットで爽良くんが所属しているアイドルグループ、スターライトについて調べた。
スターライトは五人組のアイドルグループで、爽良くんが一番人気らしい。
人気なのも納得だ。
爽良くんは歌もダンスもできる完璧な人物。
うららちゃんと双子だと公表したのはテレビ番組で共演したときだった。
他の出演者に二人は兄妹かと聞かれ、公表したらしい。
そこから二人は『最強の双子』と言われるようになったとのことだ。
わたしが色々と調べていると茅都さんの足音がした。
(妃翠はなにをそんなに熱心に調べているのだろう……)
茅都さんには爽良くんと会ったことは言っていない。
「妃翠?」
いつの間にかベッドの中に茅都さんがいた。
「へっ……?」
そんな間抜けな声が出てしまい恥ずかしさに陥る。
「……ずっと声かけてたのに上の空じゃん。なにかあったの?」
「いえ。特になにもないわ。ただ、今日のライブに圧倒されちゃってまだ酔いがさめないみたい」
わたしが笑うと茅都さんもクスッと笑った。
「ライブが楽しかったんならよかった」
そう言ってわたしに抱きつく茅都さん。
かなり密着していて、心臓の音が聞こえているのではないかというくらい近い。
ベッドの中というのもあり逃げ場がない。
「顔真っ赤になってるじゃん」
「うぅ……」
小さく唸るわたしに対して茅都さんは余裕そうな表情。
茅都さんばかり余裕があってわたしにはなにひとつ余裕がない。
そんな茅都さんに少しいたずらをしたくなった。
いたずらといってもただの八つ当たりだ。
茅都さんばかり余裕があるのはずるいからだ。
なんて馬鹿げた考えだと思うが恥ずかしすぎてそれどころではないのだ。
「……っ。不意打ちはずるくないっ?」
いつもより余裕のない、どこか焦りさえ感じられる声。
「どうしたの?急にぎゅって抱きついて、抱きついたと思ったら手までつないじゃって」
自分でも大胆過ぎる行動だとはわかっている。
作戦成功というところか。
「茅都さんにいたずらしたくなっちゃって」
わたしはそう言って笑ってみせるが内心、恥ずかしさと戦っているのだ。
こうやって手をつないだりしていると本当にわたしたち一緒に住んでいるのだと実感が湧く。
「いたずらって……こっちがどんな気持ちだかわかってる?」
星明りに照らされる茅都さんはすごく色っぽくて。
「えっと……ごめんなさい、なにか癪に障ることを言ってしまったかしら……?」
不安になって控えめに茅都さんを見る。
「はぁ……本当に無自覚が一番ダメだと思う」
そう言って大きなため息をついた茅都さん。
「……今日は疲れたでしょ?早く寝たほうがいいよ、おやすみ」
最後におでこにキスを落として部屋を出て行った茅都さんだった。
きっと、二日は経っているだろう。
眠りから目を覚ますと外が騒がしかった。
「……お嬢さま!」
「お嬢さま、お待ちください!」
「……なにをなさっているのです、お嬢さま」
慌てたような使用人の声。
冷静な声はばあやのものだった。
この家でお嬢さまと呼ばれているのはたった一人。
ガチャガチャと鍵が開けられるような音がした。
茅都さんが来てくれたのかもしれないなんて淡い希望を抱くがそれは叶わなかった。
「え……?の、乃々羽お姉さま……」
わたしは顔が強張る。
お姉さまとなんてあまり話したことがないのに。
お姉さまが物置小屋に入って来たかと思えばわたしの手を掴んだ。
「早く来て……!」
お姉さまはなぜか楽しそうに言った。
お姉さまに連れられるがまま、家の中を全力で走った。
「お嬢さま!なにをなさっているのですか⁉」
「誰かお嬢さまを捕まえて!」
乃々羽お姉さまは玄関の扉を勢いよく開けた。
「ちょっと来て……!早くしないとばあやたちが来ちゃう」
そう言った途端に玄関から数人の使用人とばあやが出てきた。
「来ちゃった……!こっちよ」
お姉さまはまたわたしの手を掴み走りだした。
「お嬢さま、なにをしているのです。早く戻って来なさい。旦那さまや奥さまに怒られますよ」
ㅤばあやの怒りが混じった声が聞こえるが、乃々羽お姉さまはそれを無視した。
白い車を出してお姉さまは運転席に乗った。
「乗って。……なにもしないから、私は妃翠と話がしたいの。ばあやのことは気にしないでいいから」
お姉さまはの瞳は真剣そのものだった。
少しだけ信じてみようと思った。
わたしは車に乗り込んだ。
車が動き出した。
少し後ろを振り返って見てみると使用人たちが慌てたように走っている。
けれど、車の速さに敵うわけもなく。
「……ふふっ。あははっ」
お姉さまは突然おかしそうに笑った。
けれど、不気味さはなかった。
「……なぜ笑うのですか?」
「ああ。妃翠に向けての笑いじゃないわよ?いつも……ばあやには名家の娘らしくいなさいって言われるの」
お姉さまは呆れたようにため息をつく。
「名家の娘ってどんなのなのかな……難しいな。わたしはわからないままばあやに色々と言われるの」
お姉さまはわたしを見て言った。
「いつもチクチク言ってくるばあやが焦ってるの見たらなんだかおもしろくなっちゃった。……本当に性格悪いわね、私」
なんて意地悪く笑うお姉さま。
「……ここでお茶でもしましょう?」
お姉さまは車をとめた。
個室のあるレストランに行った。
「さあ、好きなの選んで……二日間ろくに食事をとれなかったでしょ……?」
お姉さまは辛そうな顔をした。
食事がきてからお姉さまは話出した。
「妃翠……今まで本当にごめんなさい」
急に謝られ戸惑ってしまう。
「な、なぜお姉さまが謝るのですか……?」
「だって……今まで妃翠がお母さまやお父さまになにをされても私は助けることができなかった……」
弱弱しい声のお姉さまにわたしは今までのことを思い出す。
継母さまに叩かれることがあっても、お姉さまは同情の瞳を向けるだけだったのだ。
「ごめんなさい、私……妃翠と仲良くしなきゃって思っていたけれど……お母さまに妃翠のところに行くなって口止めされていたの……それで中々妃翠の部屋に行けなかった」
お姉さまは頭を下げた。
継母さまはいつもお姉さまのことを監視していたようだ。
「こんな姉でごめんなさい……こんなダメダメな私だけどなにかあれば妃翠の力になりたい」
お姉さまは頭を上げ、わたしに向かって言った。
「そうだ、妃翠。『お姉さま』だなんて堅苦しいからせめて『お姉ちゃん』って呼んでよ!あと敬語も。今どき兄妹姉妹に対して敬語使うほうが珍しいんじゃない?」
お姉さまはウインクをする。
「えっと……乃々羽お姉ちゃん……?」
わたしが言うと乃々羽お姉ちゃんはキラキラした瞳をしていた。
「いいわ!それでいきましょ!」
わたしたちは食事を進めながら話をした。
「……お姉ちゃんに悩みを相談したいのだけれど……」
わたしが控えめに言うと。
「わたし……その……茅都さんのことが好き、なの……」
顔を真っ赤にしながら言う。
乃々羽お姉ちゃんの顔を見ると驚いたように目を見開いていた。
「え、本当⁉」
「うん……でも、まだ心の声が聞こえることも言えてない……言ったら嫌われちゃうわよ」
わたしが言うと乃々羽お姉ちゃんはわたしの手を握った。
「大丈夫……その好きだっていう気持ちを大切にすればいいの。好きを伝えて損はないと思うよ?雲龍さまだって妃翠のことを認めてくれる」
わたしは好きという感情を誰かに伝えることを今まであまりしてきていない。
お母さまが生きていた頃はわたしもまだ幼かった。
それからはお父さまと話すこともなくなって好きということすらも忘れていた。
「妃翠が幸せになれるなら私はなんでも協力する。……だって、私は妃翠のお姉ちゃんだもん」
乃々羽お姉ちゃんは嬉しそうに笑った。
わたしはこれまでにない幸福感に満たされた。
家族に愛されるということはこんなにも嬉しいのか。
レストランから出ると見覚えのある黒い車があった。
「……妃翠。あなたなら大丈夫、勇気を出して伝えてみるのもいいと思うよ」
そう言って乃々羽お姉ちゃんはいなくなった。
「妃翠!」
後ろを向くとすぐさま抱きしめられた。
この匂い、温もり、すごく落ち着く。
「茅都さん……」
「ごめん。来るのが遅くなった……本当にごめん」
茅都さんは泣きそうな顔でわたしを見た。
「平気よ。……わたし、家族の中でやっと信用できる人を見つけたから。それに一番は茅都さんなら来てくれるってわかってたから」
茅都さんならきっとわたしのことを探してくれるとなんの根拠もない自身があったのだ。
「そっか。……家に帰ろう」
茅都さんはわたしの手を引いて車に乗った。
家の近くまで来た。
懐かしい並木道。
たった二日間だけなのにすごく懐かしく感じる。
「ただいま」
わたしは大きな家に向かって言う。
「……おかえり」
茅都さんは優しく笑った。
茅都さんのこの優しい顔で笑うところも少し大げさなところも全部全部大好きなんだ。
今日、ちゃんと全て伝えなければ。
「……妃翠、おいで」
時間だけがすぎて行き、夜になってしまった。
お風呂も入り、夕食も食べた。
ソファーにいる茅都さんに呼ばれる。
茅都さんは腕を広げて待っている。
わたしは茅都さんの腕に包まれた。
「茅都さん……あの、大切な話があるの」
茅都さんはわたしを抱きしめる力をゆるめた。
「……どうしたの。そんな改まって」
茅都さんは少し不安気な顔をした。
「その……理解するのに時間がかかっても仕方がないとは思うのだけど……わたし、誰かの心の声が聞こえるの」
わたしは茅都さんの瞳を見た。
(──心の声?……じゃあ、この声も聞こえているのか?)
わたしは小さく頷いた。
「ええ……聞こえているわよ」
わたしが言うと茅都さんは目を見開いた。
驚くのも無理はないだろう。
さて、ここからが問題だ。
この能力を受け入れてもらえるのか。
「信じられないけど……言ってくれてありがとう」
茅都さんはまたわたしを抱きしめた。
受け入れてもらえたのだろうか。
きっと、そうだろう。
「そ、それと……まだ一番伝えたいことが残ってるのよ」
一番伝えたいこと、それは──。
「わたし、茅都さんのことが──好き」
わたしが言うと茅都さんは固まってしまった。
さすがにこれは受け入れてもらえないか。
「待って、本当にこれ現実……?」
茅都さんはわたしに頬を叩いてほしいなんてお願いしてきた。
「えっと……叩きはしないけれど。現実よ……?」
(──嬉しすぎる。もう今日命日でもいいよ)
そんな心の声が聞こえ、わたしは焦る。
「し、死んじゃダメよ……!」
わたしが言うと茅都さんは笑った。
「そうだ。妃翠には思ってることがバレバレなんだね」
わたしはこくこくと頷いた。
「じゃあ、遅くなったけど。……妃翠、昔から僕の好きな人は妃翠なんだよ。やっと、言えた」
わたしは茅都さんの言葉が理解できなかった。
「えっ……?ほ、本当に?わ、わたし……っ」
わたし、誰かに好きでいてもらえている。
そのことに嬉しさと同時に大量の涙が溢れた。
「妃翠……」
茅都さんは嬉しそうに微笑んだ。
「改めて……僕と付き合ってくれますか?」
わたしは涙でぐちゃぐちゃの顔ではにかんだ。
「ええ、もちろんよ……!」
茅都さんの顔が目の前にあった。
少し見つめ合ったあと、優しいキスが降ってきた。
茅都さんと付き合い始めてから数日後。
「あ、妃翠ちゃんやないの?……あんた、茅都と付き合ったって?」
結璃ちゃんに話しかけられた。
わたしは恥ずかしさをこらえながら頷いた。
「そう。おめでとう……せや、あんたら付き合ったから言ってもええのかな?」
結璃ちゃんは少し言いづらそうにしていた。
「なにか言いたいことがあるなら言ってほしいわ」
「……うちな茅都の元カノなんや」
いつもニコニコしている結璃ちゃんが真剣な表情で言った。
「え……?」
わたしはショックというより驚きが勝っていた。
「ごめんな、言うつもりはなかったんやけど。言ったほうがええなって思うことがあったからあんたには言うわ」
結璃ちゃんは一息おいて。
「うちと茅都が付き合ってたのは高校生のときや。高一のときから高二の最後らへんまで付き合ってた。別れを言ったのは茅都やった。忘れられへん子がいるって言ってな。ほんま一生分のごめんをもらった気がするわぁ」
結璃ちゃんは少し切なそうに笑った。
「うちらは確かに両想いやったと思うで?妃翠ちゃんの前で話すことやないとは思うんやけど。……でも、茅都はきっと頭のどこかで妃翠ちゃんのことを想ってたんやない?それくらい、あんたのことを忘れられへんかったんやろ?」
わたしは結璃ちゃんの話に違和感を覚えた。
わたしが茅都さんと会ったのは翡翠川に落ちて助けてもらったときの一回だけだ。
それなのにわたしのことを忘れられないなんてあり得るのだろうか。
わたしはそんなことを思いながら結璃ちゃんの話の続きを聞いた。
「うちは身代わりでもなんでもないわぁ……って別れたんやけど。あんまりピンと来てへんの?」
結璃ちゃんは笑って言った。
「……もぉ、ほんまに茅都最低やわぁ。でも、本気で茅都に愛されてるのは妃翠ちゃんなんやから、あんたは絶対に幸せになれるで。うちはええ人探してくるわ」
なんて最後は冗談めかして言った結璃ちゃんだった。
けれど、わたしがずっと探し求めてきたもの。
『幸せ』というものが手に入るのか。
結璃ちゃんはわたしに手を振っていなくなった。
家に帰ると茅都さんはすでに帰って来ていたようだ。
夕食を食べているときにわたしは茅都さんに今日あったことを話した。
「……今日、結璃ちゃんに会ったの。それで、茅都さんと結璃ちゃんが高校生のときに付き合ってたことを聞いたわ」
わたしがそう言うと茅都さんはぴくっと肩を揺らした。
「そのときに少し違和感があったの……わたしたち一回しか会ってないわよね?なのに、あたかも昔にずっと会ってたみたいな言い方をされたの……変な話よね──」
わたしが茅都さんの顔を見ると、茅都さんはすごく切なそうな顔をしていた。
「…………」
茅都さんはなにも言葉を発しない。
「ね、ねぇ……なにか言ってよ。なんで、なにも言わないの……っ?」
わたしの声は震えていた。
明確になにに不安があるかと問われると答えることができないがこの雰囲気がわたしの不安を煽った。
「……妃翠はなにも覚えてないの?」
急にそんなことを言われる。
「えっと……なにを?」
「僕と妃翠は……妃翠が──川に落ちる前からの知り合いだってこと」
わたしはただ呆然とするしかなかった。
「え、え?どういう……こと?」
「妃翠の記憶からはもう消えてるんだよ……翡翠川に落ちる前から一緒によく遊んでいたんだよ。本当に毎日のように僕は家から抜け出して、妃翠と誰にも見つからないようにこっそりと綾城家で遊んでたんだ」
茅都さんは懐かしそうに、そして辛そうに言った。
「でも、妃翠は川に落とされたショックで僕のことを忘れた……完全に忘れさせたのは僕だけどね」
わたしは茅都さんの能力によって記憶を消されたのだ。
記憶を消してほしいと願ったのはわたしのほうだった。
けれど、記憶を消す代償として茅都さんのことも忘れていたようだ。
「妃翠は僕のことを忘れちゃって……それが辛くて、距離をとったんだ……」
わたしは悲しそうに話す茅都さんを見ていると胸がズキズキと痛んだ。
「……じゃあ、どうしてこの縁談を受け入れたの……?とても辛いでしょう?昔会ってたのに完全に忘れられるって」
わたしが聞くと茅都さんは頷いた。
「ああ、もちろん悲しいし辛い。けど、もう一度妃翠の近くにいたかった。また妃翠が昔のように笑ってくれるのを見たかった。今度は僕が……妃翠のことを助けたかった」
茅都さんは弱弱しく、だけど芯のある声で言った。
わたしの記憶は戻らない。
だけど、茅都さんと会ったのは事実。
「……わたし、茅都さんに出会えて幸せ。わたしね、ずっと探していたの、幸せを。記憶があればもっとよかったのだけど……過去には戻れない。ただ、これだけは言わせて、わたしのことを受け入れてくれて……わたしはいてもいいって思わせてくれてありがとう」
わたしは能力のせいで受け入れてもらえなかった。
学校に行っても能力を知ればみんなわたしから離れていく。
能力を知っても離れないでいてくれたのは茅都さんだけだった。
そんな茅都さんにどうしても感謝を伝えたかった。
「僕も……妃翠に出会えてよかったと思ってるよ」
茅都さんはわたしの頬にキスをした。
「一回だけの出会いじゃなかったのね……この縁談も運命なのかしら」
わたしは微笑んだ。
「運命、なのかな。……僕には妃翠が必要だって神様が言ってるみたいだよ」
茅都さんは笑った。
わたしたちはそのあとも思い出に浸った。
大学に行くと久しぶりに会う気がする瀬凪くんがいた。
「よっ。なんか久しぶりだな、ひい」
ニカッと笑う瀬凪くん。
「……すごく久しぶりな気がするわね。実際はそんなことないのに」
わたしたちは笑い合った。
「そうだな……」
瀬凪くんはなにかを決心したようにわたしを見る。
「……なぁ、ひい。ひいにとって俺ってなに?」
急にそんなことを言われてもよくわからない。
「なにって……大切なお友達かしら」
わたしが言うと瀬凪くんは大きなため息をついた。
「はぁ……やっぱそうだよな。……なあ、ひい。俺がひいのこと──好きって言ったらどう?」
わたしは瀬凪くんの顔を見る。
瀬凪くんの顔は真剣そのものだった。
「えっと……それは、友達とか家族とかに向けられるものよね……?」
「いいや?恋愛的な意味に決まってんじゃん。俺と付き合ってほしい」
そう言われわたしは目を丸くする。
「え、えぇ⁉せ、瀬凪くんがわたしを好き……?」
わたしが驚いて声をあげると瀬凪くんはいたって冷静に。
「俺結構わかりやすかったと思うけどな」
さらっと言うけれどわたしは全く気付かなかった。
「まあ、返事は考えておいて」
そう言ってわたしとは反対方向に歩き始める瀬凪くん。
「あっ……」
行ってしまった。
なにも返事を言えずに。
わたしには茅都さん以外考えられない。
これは世間一般でいうと瀬凪くんが可哀想になってしまうのか。
それともきちんと気持ちを伝えるべきなのかよくわからない。
これだからもっと恋愛を経験しておけばよかったと後悔するのだ。
わたしは家に帰って一人で瀬凪くんの告白の返事を考える。
茅都さんはまだ帰ってきていないので一人でじっくりと考える。
「……なんて言うのが正解なのかしら……まずはごめんなさいかしら?」
なんて独り言をぶつぶつと言いながら考える。
「──……それはなにに対しての謝り?」
「告白の返事よ……って、え?」
わたしは今、誰に返事をしたのだろう。
この家にはわたし一人しかいないのだ。
なんだかすごく聞いたことがあるような声だった。
「──か、茅都さん……」
予想通り声の主は茅都さんだった。
茅都さんの顔は恐ろしかった。
「か、茅都さん……笑ってるのに目が全くもって光を宿していないのだけれど……」
わたしは視線をおろおろと移動させる。
この状況で茅都さんの顔を見れるわけがないのだ。
「うん、当たり前だよね?この状況で笑っていられるほうが僕はすごいと思うな……で、なにがあったか説明してくれるかな妃翠ちゃん?」
今までちゃん付けなんてされたことがない。
不覚にもドキッとしてしまった。
この状況でときめいてはいけない。
ちゃんと瀬凪くんのことを話さなければ。
「え、えっと……小さいときに遊んでた瀬凪くんから……その、告白をされまして……」
わたしはごにょごにょと茅都さんに話す。
「……で?なに、告白にオーケーでもしたの?僕がいるのに?」
茅都さんに問われわたしは首をぶんぶんと横に振った。
「そんなわけないでしょう。わたしは茅都さんしか見ていないから……でも、返事ができてなくてなんて返事をするべきなのかわからなくて考えていたのよ」
わたしが言うと茅都さんはニヤッと口角をあげた。
「今の言葉そのままそいつに言えばいいのに。『わたしは茅都さんしか見ていないから、ごめんなさい』って」
茅都さんはそう言うけれどわたしは恥ずかしくてたまらない。
会話に必死で自分で言ったことなのに後悔している。
本人の前でわたしはなにを言っているのか。
「あ、明日……告白はお断りするわ……」
わたしがそう言うと茅都さんは満足げに笑った。
翌日、昨日の言葉通り瀬凪くんの告白に返事することにした。
「……昨日のこと考えてくれた?」
「ええ……瀬凪くん、告白には応えられないわ。でも、嬉しかったわ。気持ちを伝えてくれてありがとう」
誰かに気持ちを伝えることはとても勇気がいることなのに瀬凪くんはさらっとやりとげてしまうのだからわたしは関心していた。
「ははっ。やっぱり……雲龍には敵わないか。まあ、お似合いカップルだもんな、ひいと雲龍。めっちゃ悔しいけどな」
カップルと言われて顔が熱くなる。
「な、なんで……っ。付き合ってることを知っているのよ……⁉」
わたしが聞くと瀬凪くんは当たり前だというふうに言った。
「なにを言ってんだひいは。あやかしの中でもトップの雲龍家の次期当主の話となれば伝達の速さも異次元だぞ?同棲してるんだし、恋の一つや二つあってもおかしくはないだろ」
ということは色々な人にわたしと茅都さんが付き合っていることが知れ渡っているのか。
わたしはなんとも言えない気持ちになる。
色々な人に伝わっていればきっと祝福してくれる人とそうでない人に分かれるのだろう。
茅都さんのファンの人にいつか刺されないかが心配だ。
「まあ、ひいの気持ちが聞けてよかった。雲龍とは仲良くやれよ」
そう言ってわたしに背を向ける瀬凪くん。
わたしは人生で初めて告白を断るという特別な体験をした。
世の中からしたらこんなこと当たり前なのかもしれない。
けれど、わたしからすれば誰かを好きになることも好きになってもらうことすら特別だったのだ。
こんなわたしを好きになってくれた瀬凪くんに感謝を伝えなければ。
「あ、あの!瀬凪くん……!」
歩き始めた瀬凪くんの背中に向かって叫ぶ。
「ん?」
瀬凪くんはわたしのほうを振り返った。
「えっと、わたしを好きになってくれてありがとう!好きになってもらえてわたし幸せ者よ」
わたしが必死になって言うと瀬凪くんは爽やかな笑顔で言った。
「そりゃどうも。……ひいのその言葉は雲龍にたくさん言ってやってやれよ。きっと喜ぶぜ?」
瀬凪くんはそれだけを言ってまた歩き出し、もう背中すら見えなくなっていた。
わたしは清々しい気分だ。
言いたいことをきちんと言えたのだ。
わたしは講義室に向かう途中で茅都さんに会った。
「……真神、だっけ?そいつには言いたいこと言えた?」
わたしはいつ瀬凪くんの名字を言っただろうか。
今はそんなことはどうでもいいのだ。
「ええ。とってもスッキリしているわ」
わたしが言うと茅都さんの手がわたしの頭の上にポンッと乗った。
わたしがびっくりして茅都さんの顔を見ると優しくふわっと笑っていた。
周りにいた女子がクラッときてしまったのか慌てている人が数名いるようだ。
こんなにかっこいい人、茅都さん以外いないと思ってしまう。
「講義始まるからまたあとでね」
そう言って茅都さんは行ってしまった。
(──あの子、綾城家の令嬢……)
(──雲龍さまに愛されているなんて羨ましい)
大学は色々な人がいるのでたくさんの心の声が聞こえる。
心の声を聞きすぎると耳に負担がかかるので基本的には人があまりにいないところにいる。
けれど、大学となればそういうわけにもいかない。
講義が終わり、即行で家に帰る。
心の声を聞きすぎて耳鳴りがひどいのだ。
これは薬でどうにかできることでもないようだ。
家に帰ってスマホを見ているとネットニュースでうららちゃんのことが書いてあった。
「えっと……恋水うらら初のワンマンライブ……え?」
わたしは驚きで言葉を失う。
同い年の少女だというのにうららちゃんは日本中を相手にしているのだ。
これは絶対に見に行かなくては。
わたしはうららちゃんにライブを見に行くとメールを送った。
すぐに既読がついて電話がかかってきた。
「も、もしもし……?」
『あ、もしもし⁉妃翠ちゃん、ライブ見に来てくれるの⁉』
とても嬉しそうな口調で話すうららちゃん。
「ええ。もちろん見に行くわよ。初のワンマンライブ……というものをやるのでしょう?」
ワンマンライブというものをちゃんと見たことがないのでよくわからないがすごいということだけはわかる。
『やったー!あ、そうだ!妃翠ちゃんのために特別席用意しておくよ!』
特別席というものに驚いて言葉を失うわたし。
『妃翠ちゃんはうららの大切なお友達だから、せっかく初めてのワンマンライブだし!』
わたしは嬉しくて心が熱くなる。
「ありがとう……楽しみにしているわ」
そう言って電話を切る。
「ただいまー……」
茅都さんが帰って来た。
「あの、茅都さん……!わたし、人生で初めてライブに行ってくるの!」
この喜びを誰かに話したかった。
「誰の?男?」
わたしはぶんぶんと首を振った。
「ち、違うわよ……!恋水うららちゃんのライブよ!」
わたしが言うと少しは納得したような顔の茅都さん。
「恋水うららってあの小悪魔アイドルの?」
「ええ、そうよ」
「妃翠ってアイドルとかわかるの?あんまり知らないのかと思ってた」
茅都さんは着替えようとネクタイをゆるめた。
今日、茅都さんは次期当主として大事な会議があったらしい。
「……!ちょ、ちょっと……わたしが目の前にいるのに恥ずかしくないの⁉」
わたしの顔はきっとりんごのように赤いだろう。
「ふっ。そんなに恥ずかしいの?ちょっと肌見えてるだけじゃん。それにカップルだし?」
「よ、よくわからないわよ……!」
茅都さんはそういうけれど、少し肌が見えているだけでも茅都さんは色っぽく見えてしまうのだ。
カップルというものはこういうことが当たり前なのか。
「……ライブは一人で行くの?」
着替え終わり、部屋着姿の茅都さんが聞いてくる。
「ええ。一人よ」
茅都さんは心配そうに眉をへの字に曲げた。
「一人でいいの?僕と一緒に行く?変な男につかまらない?」
すごい質問攻めをしてくる。
「えっと、あの……せっかくのお友達のライブだから一人で平気よ?変な人にもついて行かないわ」
小さな子供に言い聞かせるのならまだしも大学生にするような質問ではない気がする。
「本当に?……マジで心配。でも、妃翠が行きたいって言うのなら妃翠の意見が優先だから」
茅都さんはわたしのことをぎゅっと抱きしめた。
わたしはライブに行ける権利を獲得した。
ライブ当日。
うららちゃんから集合場所を教えてもらった。
『──……そう!そこで待ってて!』
うららちゃんに電話をして特別席まで向かうことにした。
会場はうららちゃんにぴったりな薄いピンクと白が基調になっている。
うららちゃんの指示通り関係者以外立ち入り禁止という看板がある扉の前で待つ。
「──きゃっ」
わたしがきょろきょろと周りを見ていたせいか誰かにぶつかってしまったようだ。
「──……すみません、大丈夫ですか?」
その声は優しそうな甘い声だった。
「……だ、大丈夫です」
その人を見ると帽子にサングラス、マスクといういかにも不審者極まりない恰好だった。
そこでふと茅都さんの言葉を思い出す。
『──……一人でいいの?僕と一緒に行く?変な男につかまらない?』
もしかしたらこの人は優しそうな仮面を被った不審者なのではないか。
「あー……安心して?不審者じゃないから。こんな格好してるのは訳があって──」
その人が話している途中でバタバタと走る音が聞こえた。
「妃翠ちゃーん!遅くなってごめんね~!」
フリフリとした可愛いフリル付きの衣装をまとったうららちゃん。
「うららちゃん……!」
わたしがうららちゃんに近づこうとするとうららちゃんは急に止まった。
「……爽良くん、ライブ来るって言ってたっけ?」
うららちゃんは不審者のような恰好の人に向かって言った。
「……言ったし。別に妹のライブくらい見に来てもいいでしょ?うららだって僕のライブ勝手に見に来て騒がれてるんだし」
その人は帽子とサングラス、マスクを外した。
とてもかっこよかった。
顔立ちは整っていて茶色の瞳と髪。
透き通るような白い肌、高い身長。
どこかうららちゃんに似ている気がする。
この世のいいところを全てこの人に取られているようだ。
「むぅ……騒がれちゃったのは予想外だったけど」
うららちゃんは頬をぷくっと膨らます。
「トップアイドルならそれくらいわかってよ。てか、この子は?なんかこの子と会うことは昨日夢に出てきたからわかってたけどさ」
わたしはその発言に首を傾げる。
なぜ夢でわたしを見たのだろう。
ㅤ夢というのは会ったことがある人しか出てこないという話を聞いたことがある。
ㅤけれど、わたしはこの人と会ったことがない。
「えー、嘘。うらら昨日夢でライブ成功しか見なかった!妃翠ちゃんと爽良くんが会うなんて……」
わたし一人がこの会話についていけない。
「そうだ。自己紹介遅くなってごめんね。僕、恋水爽良」
わたしは恋水という名字を聞いてハッとした。
「さっき、うららちゃんのこと妹って……」
「ん?うん、うららと僕は双子の兄妹」
わたしは驚きで目を見開いた。
「え、えぇ!双子⁉」
「そうだよ~!爽良くんのこと知らなかった?……まあ、うららのことも冷泉家のお嬢さまに教えてもらうまでわからなかったって言ってたっけ?」
わたしは頷いた。
「……僕はアイドルグループ、スターライトのメンバーなんだよ」
わたしは初めて聞くアイドルグループだった。
「そ、そうなんですね……あ、わたしも自己紹介してなかったですね。わたし、綾城妃翠と言います」
わたしはペコリとお辞儀をした。
「妃翠ちゃん?よろしくね、僕のことは爽良って呼んで。あとは敬語じゃなくてもいいよ、同い年だから」
「うん……!そういえば、わたしと会うことがわかっていたというのはどういうことかしら?」
わたしが聞くと爽良くんはうららちゃんのことを見た。
「うらら、友達に言ってないの?」
「いやー……言うタイミング逃しちゃった」
なんてうららちゃんは可愛く舌をペロッと出した。
「僕たちはあやかしの鬼なんだ」
そう言ってうららちゃんと爽良くんはグッと角を出した。
「つ、角……⁉」
わたし一人が驚いているのでうららちゃんと爽良くんはクスクスと笑っていた。
「そうだよ!……あ、うららそろそろ行かないと!二人の席はこっちだよ!」
わたしと爽良くんの席はうららちゃんを間近で見れる席であり、爽良くんも観客にバレることがなさそうな席だ。
しばらくしてからライブは始まった。
さすがは小悪魔アイドルというところか。
「うららちゃーん!」
「可愛い~!」
中には涙を流している人もいた。
大学ではあまりいい風に思われていなかったうららちゃんはこんなにも誰かの心を動かす原動力になっていたのか。
うららちゃんは可愛いだけの逸材ではない。
とてもかっこいい少女だ。
わたしの人生初のライブはとてもいい思い出になった。
「……妃翠ちゃん。今日はうららのライブに来てくれてありがとう」
爽良くんにお礼を言われる。
「い、いえ……!とても楽しかったわ」
「そっか。……僕はうららとは違う大学だから大学のことはあまり知らないんだけど、あまりいい噂は聞かないんだよね。だから友達とかいるのか心配で」
爽良くんは眉をへの字に曲げた。
「……でも、妃翠ちゃんがいるなら大丈夫そうかな。妃翠ちゃん、これからもうららと仲良くしてくれたら嬉しいな」
爽良くんはニコっと笑った。
今ここに爽良くんのファンがいなくてよかったと思ったのだ。
この笑顔みたら倒れる人がでるだろう。
「ただいまー」
家に帰ると鼻孔をくすぐるような香りがしていた。
「おかえり、妃翠。ライブはどうだった?」
「楽しかったわ!」
わたしが笑顔で答えると茅都さんも優しく笑った。
「今日の夕食は肉じゃがだよ」
わたしは肉じゃがが大好きだ。
なんだか食べると心が温まる気がするのだ。
夕食を食べ終え、ベッドに入る。
「そうだわ……」
ライブに行ったときに爽良くんのことを調べたいと思ったのだ。
ネットで爽良くんが所属しているアイドルグループ、スターライトについて調べた。
スターライトは五人組のアイドルグループで、爽良くんが一番人気らしい。
人気なのも納得だ。
爽良くんは歌もダンスもできる完璧な人物。
うららちゃんと双子だと公表したのはテレビ番組で共演したときだった。
他の出演者に二人は兄妹かと聞かれ、公表したらしい。
そこから二人は『最強の双子』と言われるようになったとのことだ。
わたしが色々と調べていると茅都さんの足音がした。
(妃翠はなにをそんなに熱心に調べているのだろう……)
茅都さんには爽良くんと会ったことは言っていない。
「妃翠?」
いつの間にかベッドの中に茅都さんがいた。
「へっ……?」
そんな間抜けな声が出てしまい恥ずかしさに陥る。
「……ずっと声かけてたのに上の空じゃん。なにかあったの?」
「いえ。特になにもないわ。ただ、今日のライブに圧倒されちゃってまだ酔いがさめないみたい」
わたしが笑うと茅都さんもクスッと笑った。
「ライブが楽しかったんならよかった」
そう言ってわたしに抱きつく茅都さん。
かなり密着していて、心臓の音が聞こえているのではないかというくらい近い。
ベッドの中というのもあり逃げ場がない。
「顔真っ赤になってるじゃん」
「うぅ……」
小さく唸るわたしに対して茅都さんは余裕そうな表情。
茅都さんばかり余裕があってわたしにはなにひとつ余裕がない。
そんな茅都さんに少しいたずらをしたくなった。
いたずらといってもただの八つ当たりだ。
茅都さんばかり余裕があるのはずるいからだ。
なんて馬鹿げた考えだと思うが恥ずかしすぎてそれどころではないのだ。
「……っ。不意打ちはずるくないっ?」
いつもより余裕のない、どこか焦りさえ感じられる声。
「どうしたの?急にぎゅって抱きついて、抱きついたと思ったら手までつないじゃって」
自分でも大胆過ぎる行動だとはわかっている。
作戦成功というところか。
「茅都さんにいたずらしたくなっちゃって」
わたしはそう言って笑ってみせるが内心、恥ずかしさと戦っているのだ。
こうやって手をつないだりしていると本当にわたしたち一緒に住んでいるのだと実感が湧く。
「いたずらって……こっちがどんな気持ちだかわかってる?」
星明りに照らされる茅都さんはすごく色っぽくて。
「えっと……ごめんなさい、なにか癪に障ることを言ってしまったかしら……?」
不安になって控えめに茅都さんを見る。
「はぁ……本当に無自覚が一番ダメだと思う」
そう言って大きなため息をついた茅都さん。
「……今日は疲れたでしょ?早く寝たほうがいいよ、おやすみ」
最後におでこにキスを落として部屋を出て行った茅都さんだった。