パーティーがあってから数日。
 わたしは気になっていたことがあった。
 それは、雲龍家の敷地の近くにあった綺麗な川。
 昔、どこかで似たような川を見たことがある気がする。
 けれど、その川の名称、なぜその川を知っているのかを忘れてしまった。
 ただ、綺麗だったことしか覚えていない。
 まるで夢の中に迷い込んでしまったような不思議な感覚に陥ってしまったようだった。
 大学が終わり、雲龍家の周りを散歩することにした。
「……妃翠ちゃん?どこか行くん?」
 結璃ちゃんに呼び止められた。
 結璃ちゃんとは帰り道が同じ方面なのでいつも途中まで一緒に帰っている。
「ええ、ちょっと散歩に行こうかと思ったのよ」
 わたしが答えると結璃ちゃんは意地悪く笑った。
「茅都に連絡せんと監禁されるで?」
 そう言われるが、わたしは一人で行きたいと思ったので。
 きっと結璃ちゃんが言った言葉は半分冗談で半分本気なのだろう。
「別に平気よ。子供じゃないんだから、一人で行けるわ……それに少し散歩するくらいなら連絡しなくても平気だと思うわよ?」
 わたしは結璃ちゃんに背を向け、雲龍家の方へと向かった。
 雲龍家は龍神の家系というのもあってなのか、家の近くにたくさんの川や滝がある。
 龍神というのは水を司る神だと大学で習った。
「すごい……」
 いつの間にか、あたりを見まわすと川に囲まれた地についていた。
 雑音など一切聞こえず、聞こえるのは緑の葉が揺れる音、小動物たちが動く音、川のせせらぎだけ。
 雲龍家からも少しだけ離れているので人の足音や生活音はなにひとつ聞こえない。
 急にわたし一人だけの世界になったかのようだ。
 わたしは無我夢中で歩き続けた。
 気づけばあたりが暗くなっていた。
 スマホの時計アプリを開けばまだ昼過ぎくらいだ。
 どんどん黒い雲がわたしに近づいて来る。
『くくく……まさかうぬの方からここに来るとはのぉ』
 不気味な笑い声とともに、黒いもやのようなものがわたしに襲いかかる。
「えっ……?い、いやっ」
 わたしが思わず目をつむると、また黒いもやから声が聞こえた。
『うぬは川を探しに来たのであろう?』
 わたしは驚いた。
「なんで、あなたが知っているの?……あなたは誰?」
 わたしが聞くと、ザザッと風が強く吹いた。
『わしは涙菊(るいぎく)。わしは人の負の感情からできたのだ……千年ほど前からかのう、不運な事故で死んでしまった者や孤独な状態で死んだ者の気持ちが……わしに入っておるのだ』
 涙菊は続けて言った。
『ほれ、うぬの探す川は──ここであろう?』
 涙菊がわたしから少し離れるとそこには川があった。
 今まで見てきた川よりも流れが荒いが、水は透き通っていて綺麗だった。
「……!この間見つけた川!」
 その川はなぜか親近感があった。
 この間見たからだろうか。
 いいや、もっと昔から知っているような気がした。
『──……まだ思い出せぬか。なら、これで思い出せるかのう』
 涙菊はまたわたしの近くに来た。
 スッとなにかがわたしの身体に入ってくるような気がした。
『──……いやっ!』
『うるさい!』
 そんな声とともに現れたのは──幼い頃のわたしと継母さまの一族、露雪(つゆき)家のあやかしが何人かだった。
『お前は綾城の人間じゃないんだよ』
『いらない子は川に落としてやろう』
 嘲笑う声がどんどん遠のいていく。
 幼いわたしは川に落とされた。
「──思い、出した……」
 幼い頃のわたしの身体は水の中に落ちた。
『ごぼっ……たす、けて……』
 水の音でかき消されそうな小さなわたしの声。
 もう見てられないと目をつむったとき。
 あたりが急に明るくなった。
 ズバンと大きな音と水しぶきが聞こえ、また目を開ける。
 そこには大きな龍がいた。
『これはうぬが助けられたときの記憶じゃ。わしの記憶の中に残っているとはな。今、わしはわし自身に乗り移ったうぬの負の感情をうぬの身体に流しておるのじゃ』
 涙菊はふんっと鼻で笑った。
「この龍……どこかで見たことあるわ」
 わたしは涙菊に向かって言った。
『わしは知らぬ。……このあとの記憶には登場するのかも知らぬわ、うぬ自身で見よ』
 涙菊はそのまま龍のほうを見た。 
 龍はわたしを救い出したと同時に小さくなっていった。
 龍は橋に降りると、わたしをそっと寝かせた。
 龍はいつの間にか人間の姿になっていた。
「え?これって……茅都さん?」
 誰かに似ていると思っていたが、それは当たっていた。
『……あなた、龍じゃなかったの……?ごほっ』
 わたしは咳き込みながら幼い頃の茅都さんに聞く。
『龍だよ。僕は龍神の家系なんだ』
『そう……助けてくれてありがとう……でも、こんな記憶消してしまいたいわ……』
 わたしはポロポロと涙を流しながら茅都さんに必死に訴える。
『……うん。忘れちゃいなよ、こんな記憶。……僕に助けられたことも全部忘れて』
 茅都さんはわたしの目に小さな手を当てた。
『……?なにをしているの?』
 わたしが聞くと、茅都さんは落ち着いた口調で話した。
『記憶を消す能力を使おうと思う。キミが本当に記憶を消していいのなら』
 わたしはこくこくと頷いた。
『もちろんよ……早く消して……もう、こんな人生嫌よ』 
 まだ数年しか生きていない人生なのに、こんなことを言う自分に対して胸が痛くなる。
『……うん。じゃあ、記憶消すね……』
 茅都さんは目をつむり、何かを唱え始めた。
 そこでまた黒いもやがわたしに襲いかかる。
『……思い出したかの。思い出したならそれでいいのじゃ、わしはこれで去る』
 涙菊はスッと高いところへ行こうとした。
「ま、待って!ありがとう、涙菊。わたしの記憶持っててくれて」
 わたしがそう言うと涙菊はふっと鼻で笑った。
『なにを言っておるのじゃ。馬鹿馬鹿しい、わしはうぬの負の感情の一部じゃ。……この感情はうぬ自身のものであるぞ?それを忘れてはならぬ』
 涙菊は少し間をおいて。
『人間共は数千年もの前から忘れておるのじゃ。悲しい、辛い、苦しい、その感情から逃げるために自らの命を形代にしてしまう者が現れる。ちょいと頭をひねれば解決するものも、考えるのを放棄して命を絶てばまだまだこれからの人生も楽しめんのじゃ』
 わたしは涙菊の言葉にハッとした。
『うぬはどれだけ辛い思いをしても、正の感情を捨てなかったのだな。うぬのように大切なことを思い出すことでわしの存在は小さくなっていく』
 わたしはその言葉を上手く理解できなかった。
「どういうこと?」
『理解のない小娘じゃのぉ。さっきも言ったろう。わしは千年前から存在し続けている負の感情(・・・・)。その負が正に変わればわしは小さくなるのじゃ』
 わたしは涙菊の言葉に首を横に振った。
「嫌よ……涙菊はずっといてほしいわ。だって、あなたのおかげでわたしは昔のことを思い出すことができたのよ?」
『……客観的に見たらわしはいなくてもいい存在なのじゃ。今回はうぬにとって良い方向にわしが役立ったのだが、逆の方向に働くこともあるのじゃ』
 涙菊はわたしの方に飛んできた。
『人間もあやかしも対等な関係なのにのぉ。あやかしが偉く、人間が偉くないなどおかしいとは思わんのか。……うぬにはこの意味がわかるかのぉ?』
 わたしはなにも答えられなかった。
『人間も感覚がおかしくなったかのぉ。うぬには間違えてほしくないのぉ。この言葉は忘れてはならぬぞ……さらばだ』
 涙菊は今度こそいなくなった。
 涙菊は人の負の感情からできているからこそなのか、色々なことをわたしに教えてくれた。
 まずは茅都さんに昔のことを思い出したことを報告しよう。



 家に帰り、一番に茅都さんのところへ向かう。
「おかえり、どこ行ってたの?」
 茅都さんの声が聞こえ、ドキッと心臓が鳴る。
 早く、茅都さんに伝えたい。
「えっと、雲龍家の近くの川よ!あの、茅都さん……!」
 わたしは茅都さんに近づいた。
「茅都さん、昔、わたしのことを助けてくれてありがとう……!」
 わたしは嬉しさのあまり、茅都さんに抱きついてしまった。
「え、ちょ、妃翠……⁉」
 茅都さんはわたしの行動に目を大きく見開いていた。
「だって、嬉しすぎるんだもの。昔、会っていたなんて……しかも、再会できるなんて奇跡だと思うわ」
 わたしが涙目になって茅都さんの顔を見ると、茅都さんは未だに状況が理解できていないよう。
「……なんで、妃翠がそのことを覚えてるの?だって、あのとき僕は……」
「あのとき、茅都さんに記憶を消してもらったわ。だけど、とある方と会って、記憶を取り戻したの」
 涙菊のことを人と言っていいものかよくわからないが、ひとまず茅都さんに説明するためにそう言ったのだ。
「やっと……やっと僕のことを思い出してくれた……」
 茅都さんの声は震えていた。
 彼は今、どんな気持ちなんだろうか。
 彼の気持ちがごちゃごちゃしていて、うまく聞き取れない。
「茅都さん……」
 わたしが呟くと、茅都さんはわたしを抱きしめる力を強くした。
 わたしの心臓の音は茅都さんに伝わってしまうほど、大きくなっていた。
 わたしは気になっていたことが一つあった。
「そういえば、なんで茅都さんはあの川にいたの?雲龍家の近くとはいえど、少しは歩いていかなくちゃいけない場所なのよ?」
 わたしは昔、なぜ茅都さんがいたのかが気になっていた。
 ただの偶然なのか、それとも必然か。
「……あの川の名前って知ってる?」
 突然そう問われ、わたしは首を横に振る。
「あの川の名前は──……翡翠川(ひすいがわ)
 わたしは驚きを隠せない。
「わ、わたしと同じ名前なのね……」
「うん、漢字は少し違うけど、読み方は同じ。……ねぇ、これは偶然なんかじゃないと思うんだよね。僕たちは必然的に会う未来だったのかな」
 わたしの額に茅都さんの額がこつんと当たる。
「偶然なんかじゃないわね。わたしたち、運命の赤い糸で繋がっていたのかしら……」
「あの川は、僕が守ってる川なんだ。あの川に異常があったらすぐに気づけるんだ。龍神の力すごいでしょ?」
 笑って答える茅都さん。
 わたしも笑い返した。
「ええ。すごいわね、あなたのその力でわたしは助けられたのね……」
 わたしたちはそのあとも思い出に浸っていた。
「そうだ、妃翠が記憶を取り戻すのに協力してくれたのって誰?」
 茅都さんに聞かれ、なんと答えるのがいいのか迷っていた。
「人っていうか……涙菊っていうものなんだけれど……」
 わたしが涙菊の名前を出すと茅都さんは驚いた顔をしていた。
「涙菊……」
「知っているの?」
「うん、まあ……昔、妃翠を助けた日に会ったんだよ。あの黒いもやみたいな奴でしょ?千年前から存在してるっていう」
 茅都さんは涙菊についてよく知っていた。
「涙菊は僕が妃翠を助けたところも全部見てたんだね」
 茅都さんはわたしの方を見て微笑んだ。
「でも、本当によかった。ずっと、妃翠は僕のことを知らないまま生きていくのかなって思ってた。一緒にいても、言えないことだってあるじゃん?」
 わたしはその言葉に息を呑んだ。
 わたしはまだ、茅都さんに能力のことを言えていない。
 いつかは言わないとなんていつから思っているだろうか。
「そうね……」
 わたしの秘密の一つはもう茅都さんにバレてしまっている気がする。
「茅都さんはあのとき、わたしを川に落とした人たちのことを知っているの……?」
 わたしが聞くと、茅都さんは静かに頷いた。
「うん。……露雪家のあやかしだよね。……妃翠の義理のお母さんの実家の」
 茅都さんはすでに知っていそうなので、綾城家のことを打ち明けることにした。
「ええ。わたしは継母さまとは血が繋がっていないの。お父さまが再婚した相手が露雪家の令嬢である継母さまだったのよ」
 わたしは一息ついて、話を続ける。
「……お父さまが再婚されてからは家が色々変わっていったのよ。継母さまはわたしのことを良く思っていなかったみたいで相手にされなかった」
 誰かにこうやって胸の内を話すのは初めてだったので、緊張する。
「継母さまの実家のあやかしもわたしのことを良い風には思っていないようで……いらない子は川に落としてやるって翡翠川に行ったのよ」
 わたしは全てを話した。
「ごめん。今まで辛かったのに助けに来るのが遅くなった……」
 茅都さんはわたしに謝りながらまたわたしを抱きしめる。
「茅都さんが謝る必要なんてないわ。助けに来てくれて嬉しいわよ?」
 わたしはくすっと笑った。
「だからなのか?パーティーとか慣れてそうなのに、初々しい反応してさ」
 茅都さんにはわたしがどれだけ嘘を重ねても全てお見通しのようだ。
「え、ええ……ああいう大きな行事とか参加したことなくて」
 わたしは眉をへの字に曲げて苦笑した。



 ある日、大学に行くと珍しく茅都さんを見かけた。
 同じ大学に通っている茅都さんだが、あまり会うことがない。
 茅都さんに話しかけに行こうとしたが、すでに先客がいたようだ。
「──……雲龍さま、うららと今度ご飯にでも行きませんっ?」
 可愛らしく上目遣いもして、小悪魔アイドルオーラを漂わせているうららちゃん。
 それに困っている茅都さんを発見した。
 周りの人も何人か見ていたようで。
(──なんなのあのぶりっ子女)
(──なにが小悪魔アイドルよ。ただの男目的の最低な女じゃない)
 『人気』の二文字とは裏腹に周りの声は辛辣なものだった。
 人気な人ほど批判も大きくなるとはこのことなのかとわたしは思った。
 わたしは思ったことがある。ぶりっ子のなにが悪いのか。
 誰かの大切な人を奪うは少しやりすぎだとは思うが、ただ可愛いと言われたいだけならいいじゃないかとわたしは持論を持っている。
 これはあくまで個人的な感想なので、色々な意見があって当たり前だと思う。
 うららちゃんは人気な分、きっと批判的な人たちとも戦っているのだろう。
 そう考えると、可愛いだけじゃないと思わされる。
 茅都さんとうららちゃんは話が終わったのかうららちゃんは一人で廊下を歩いていた。
 わたしのことを見つけたのかわたしの方向に一直線に走って来る。
「妃翠ちゃーん!」
 にこにこと可愛らしい笑顔を向けて、こっちへ向かってくるうららちゃんに悶絶中のわたし。
「う、うららちゃん」
 わたしがうららちゃんの名前を呼ぶと、うららちゃんはわたし上目遣いで聞いた。
「うららのこと覚えててくれてたっ?」
「も、もちろんよ……!わたし、うららちゃんのこと大好きだから!」
 わたしは誰がなんと言おうとわたしはうららちゃんが好きだ。
 それは、アイドルをしているうららちゃんもそうだけれど、一人の生き物としての恋水うららとしても誰になんと言われても可愛くあり続けるうららちゃんをかっこいいと思ったからだ。
「本当……⁉うららのこと推し?」 
 おし……とはなんだろうか。
 わたしは首を傾げる。
「えー……お嬢さまって以外と無知なの?」
 うららちゃんはぷくっと頬を膨らませた。
「おしって……なんだかわからなくて」
「推しっていうのは、アイドルとか俳優さんとか誰かにおすすめしたいほど好きな人たちのことだよ!」
 現代というのは難しい、なんてわたしはいつの時代の人間なのか。
「そうなのね……ありがとう、わかったわ。わたしの推しはうららちゃんね」
 わたしが言うとうららちゃんは嬉しそうにはにかんだ。
 それからのこと、うららちゃんと質問大会を開いた。
「じゃあ、次はうららからの質問ね!妃翠ちゃんと雲龍さまはどこで出会ったの?馴れ初めは?」
「ま、まだ付き合ってもないわよ。ただ、同棲するきっかけは縁談なの」
 うららちゃんはわたしの話を聞いて楽しんでいるようだ。
「次はわたしの質問。さっき、なぜ茅都さんと話していたの?」
 うららちゃんのことを疑っているとかではなく、単純になぜ茅都さんと話していたのかが気になったのだ。
 それと、ほんの少しの嫉妬があった。
 わたしが聞くとうららちゃんの顔がどんどん曇って行った。
「……これは、アイドルとしての恋水うららじゃなくて、完全に裏のうららの話になっちゃうけどいいかな……?」
 うららちゃんは不安そうにわたしの瞳を見た。
「ええ。もちろんよ」
 わたしが言うと、うららちゃんは一呼吸置いて話始めた。
「うららね、あんまり友達って呼べる人がいなくて。小さい頃から芸能活動してるから学校も毎日行ける感じじゃなかったの。あとは……うららがぶりっ子って言われてて、友達になれたって思ってた子にも悪口言われてそれから誰かと関わるのも怖くなちゃったの」
 うららちゃんはすごく切なそうな表情をしていた。
「ぶりっ子って言われるのもわかってる。だけど、可愛いって言われたいって思うのっておかしいのかな?……きっと、うららがやり過ぎな部分もあるんだと思う。それは気を付けていかなくちゃって思ってるけど……なにをしててもぶりっ子って言われるは少し辛い」
 このとき、いつもキラキラしているうららちゃんがすごく辛い思いをしていることを思い知らされた。
「でも、パーティーにお呼ばれして行ったら妃翠ちゃんがいて、お友達になれないかなって思ったの。いろんな人が綾城のお嬢さまだって言ってて……うらら、お姫さまとかずっと憧れてて。そう思ってたら妃翠ちゃんが雲龍さまの婚約者だって聞いて、雲龍さまと仲良くなれば妃翠ちゃんともっと仲良しになれるかもって……」
 わたしは納得した。
 うららちゃんはものすごく怖がりで、だけど、それ以上に強い少女だった。
「こんなうららでも……仲良くしてくれたら嬉しいなっ」
 最後にうららちゃんは満面の笑みをこちらに向けてきた。
「ええ。こちらこそ」
「ふふっ。……うららはそろそろお仕事の時間だから行くね!バイバイ、妃翠ちゃん」
 うららちゃんは大きく手を振った。
 そして、わたしも振り返した。


 
 うららちゃんの話を聞いてから数日、わたしたちの距離はぐっと縮まった。
 カフェテリアで話していると数人の女子から声を掛けられた。
「……ねぇ、綾城さん。その子と関わるのやめたほうがいいよ?」
 リーダーっぽい女子が前に出てきた。
 いかにも強そうな金髪の髪をなびかせていた。
「えっと……」
「…………」
 わたしが状況を理解できずあたふたしている隣でうららちゃんは黙り込んでいた。
「綾城さんって、雲龍さまの婚約者なんでしょう?」
「この子と一緒にいたら雲龍さまが奪われてしまうわよ?ねぇ?」
 リーダーっぽい子は周りにいる仲間たちに頷くように仕向ける。
(──恋水うららといてもなにも得にならないのに)
 わたしはその心の声に腹が立った。
 誰かと一緒にいるのは得があるからだろうか。
 ただ、その子と仲良くなりたいだけではいけないのだろうか。
「……うららちゃんは茅都さんを奪うような子ではないと思います」
 わたしがそう言うと数人の女子たちはクスクスと笑いだした。
(──本当に可哀想な子)
「恋水うららは何人ものあやかしの男を狙ったって有名なのに」
「いつか雲龍さまを奪われてもなにも言えないわよ?だから、今のうちに関わるのはやめたほうがいいのよ」 
 女子たちはこくこくと頷いた。
 うららちゃんは俯いていた。
 顔は少ししか見えなかったが、すごく悲しそうな顔をしていた。
「……あなたたちになにを言われてもうららちゃんと関わることはやめません。友好関係を第三者に指摘される筋合いはありませんので」
 わたしはうららちゃんの手を取って、カフェテリアから出た。
 人があまりいないようなところについた。
「……妃翠ちゃん、ごめんね」
 うららちゃんの声は震えていた。
「なんでうららちゃんが謝るの……?」
 わたしが聞くと、うららちゃんは顔を上げた。
「だって……うららのせいで妃翠ちゃんに迷惑がかかったのに」
 うららちゃんの顔は涙でぐしゃぐしゃだった。
「うららは雲龍さまを奪う気は全くないよ……!これは本当、神に誓うよ……」
 うららちゃんはポロポロと流れる涙を拭きながらわたしの瞳を見た。
「大丈夫よ。うららちゃんはそんな子じゃないってわかっているわ」
 わたしはうららちゃんを抱きしめる。
「……っ。ありがとう、妃翠ちゃん」   
 涙を流すうららちゃんを見て、きっとこの子は裏でたくさん傷ついている子なのだろうと思った。
 うららちゃんはしばらくして涙が止まったようだ。
「ごめんね、それとありがとう……うららは仕事があるから行くね」
 うららちゃんは赤くなった目を少し抑えながら立ち去った。



 家に帰って、ベッドに横になる。
 今日、うららちゃんと茅都さんが話しているのを見て羨ましいと思ったと同時にわたしも話したいと欲望がわたしの心の中を覆った。
 こんなことを思っているだなんて、茅都さんには知られたくない。
 誰かに思いを伝えられないなんて考えただけでも胸がズキズキと痛む。
「ただいまー」
 茅都さんの声が聞こえる。
 大学から帰って来たようだ。
「おかえりなさい……」
 わたしが玄関まで行くと、茅都さんはわたしの顔を覗いた。
「どうしたの?暗い顔して」
「えっ……?」
 わたしはどんな顔をしていたのだろう。
「暗い顔なんてしてないわよ?」
 茅都さんはいぶかしげな顔をした。
「なに、僕に隠し事?」
 隠し事と言ったらそうなのかもしれない。
 けれど、好きということもほんの少しだけ嫉妬したこともまだ言うつもりはない。
 わたしだって、正解がわからないから。
 この世界には答えというものが存在しない。
 この計算式の答えはこれだと決まっているものもあるが、わたしが言いたいのはそういう答えではない。
 人生の答えだ。
 そんなものなくて当たり前だと誰もが思うだろう。
 けれど、迷ったときは答えがあればいいのにと思ってしまうものなのだ。
「違うわよ……」
 わたしは茅都さんから目を背ける。
「そう?なんかあったら言ってね」
 そう言って茅都さんはわたしの頭にぽんと手を置いた。
「え、ええ……ありがとう」
 わたしは俯いたまま返事をした。
 その日は早くに寝つけたが、夜が更けたころに目が覚めてしまった。
 せっかくだから外の景色を見ようと思い、窓を開ける。
 ふわっと夜風がわたしを覆った。
「お母さま……」
 お母さまが亡くなった日の夜も、満月が綺麗な夜だった。
 不意にお母さまを懐かしく思い、目頭にじわっと熱いなにかが集まる。
「ねぇ、お母さま。わたしはいつになったら素直になれるのかしら……いつになったら家のことを忘れられるのかしら……それとも家のことは忘れてはいけないの……?」
 返事など返ってこないお母さまに問う。
 今度は強めの風が吹く。
「言葉では返してくださらないのね、お母さまは」
 わたしはくすっと笑った。
 言葉では返してくれなくてもお母さまはわたしを見守ってくれるだろう。
 わたしはなんの根拠もなくそう思った。
「わたし、頑張ります。見ていてくださいね、お母さま」
 わたしは窓を閉め、また眠りについた。



 朝起きると良い匂いがした。
 今日は日曜で、茅都さんも丸一日なにもないようだ。
 匂いの正体を探りにリビングへと向かう。
 まだ寝ぼけているのか目がぼやっとするので目をこする。
「あ、おはよう。たまごサンドつくったよ」
 茅都さんは意外と料理が得意なのだ。
 この前もわたしが昼寝をしてしまって夕食をつくっていないときがあった。
 そのときはすぐに冷蔵庫にあるものを見て色々なものをつくってくれた。
 茅都さんが料理上手ということにギャップがあると思ってしまったわたし。
「おはよう……ありがとう、いただくわ」
 わたしが答えるとニコっと笑う茅都さん。
 この笑顔の破壊力は芸能人にも負けないくらいのものだと思う。
「おいしいわ……!」
「よかった。……ねぇ、今日デート行かない?」
 わたしはその言葉に身体をビクッとさせる。
「い、いいけれど……どこへ行くの?」
 茅都さんは少し考えて。
「じゃあ、水族館でも行く?」
 わたしは水族館に行ったことがなかったので目を輝かせた。
「ええ!もちろんよ……行きたいわ!」
 わたしたちは急遽、水族館に行くことにした。
 朝食を食べ終わり、身支度を整える。
 少しだけおしゃれしてみようかと思う。
 鏡を見て、色々な服を自分の身体に当ててみる。
「決めた……!」
 わたしは夏にぴったりな白いノースリーブのワンピース。
 レースがついているのがポイントだ。
「……茅都さん。準備できたわよ」
 わたしが部屋から出て、茅都さんのところへ向かう。
「……もう他の奴に妃翠のこと見せたくない」
 大きなため息をついた茅都さん。
「だ、誰もわたしのことなんて見ていないわよ……?」
 特別美人でもないわたしはモデルでもなんでもないので誰かに注目されることはないだろう。
 茅都さんは色々と大げさなのだ。
「こんな可愛い子誰が狙わないっていうの?」
 色々と面倒だったがなんとか水族館までついた。
「わぁ……!」
 わたしは目の前に広がる大きな建物に心惹かれる。
 わたしが圧倒されていると茅都さんはわたしの手を握った。
「はぐれちゃダメだからね」
 茅都さんはわたしの手をぎゅっと握りしめ、歩き始めた。
 初めて見るような魚がたくさんいてとても楽しかった。
「お土産でも見る?」
 お土産ショップが近くにあり、茅都さんに問われる。
「……ええ。せっかくだからなにか欲しいわ。いいかしら?」
 わたしが首を傾げると茅都さんは大きく首を縦に振った。
「当たり前じゃん。お揃いのものでも買う?」
「そうね」
 わたしたちはしばらくお土産ショップにいた。
 わたしたちが購入したのはイルカのキーホルダーだった。
「お揃いだね」
 茅都さんはニコッと笑った。
「ええ。……今日は連れて来てくれてありがとう」
 好きな人とのデートはこんなにも楽しいのか。
 好きな人といるとこんなにも心が満たされるのか。
「あ、ごめん。買いたいものがあったの忘れてた。ちょっと待ってて」
 茅都さんはまたお土産ショップに戻ってしまった。
「ええ」
 わたしはお土産ショップの近くをウロウロしていた。
「…………」
 後ろに誰かの気配があるが心の声が聞こえない。
 なんでだろうか。
 わたしは心の声が聞こえないことに不安を覚えていた。 
 恐怖心があり、後ろを向けない。
「……っ!」
 ぐっと腕を掴まれた。
 人がいないようなところに連れてこられたので誰も気づくことがなかった。
 階段から降りて、すぐに大きな車に入れられた。
「ちょっと、なにをするのよ……!早く帰して」
 わたしが言うと先ほどまでわたしの腕を掴んでいた男性がわたしの方を見た。
「うるせぇ!黙ってろ」
 そう言われ、目に布が当てられた。
 目隠しをされたのだ。
 わたしはどうにか車から出ようと手足を必死に動かす。
「やめて!離して!」
 男性の手がわたしの手足に触れる。
 なにかで手足を縛られてしまった。
 これでは動けそうにない。
 茅都さんに連絡をしなくてはいけないと思ったがスマホがどこにあるかもわからない。 
「……ああ。スマホならこっちにあるぜ?まあ、誰も助けてくれねぇんだろうけどさ」
 男性は鼻で笑った。
 その瞬間、車が動いた。
 わたしはどこへ連れて行かれるのだろうか。
 もう、茅都さんに会えなくなるのだろうか。
 まだ好きということも伝えられていない。
 どれくらいの時間が経ったのだろうか。
 そう思ったときに車が止まった。
 どこへ着いたのだろうか。
「……ご苦労。またお前がここに来るとはな」
 この冷たい声は聞き覚えがとてもある。
 わたしの目隠しが外された。
「……お父、さま……?」
 目の前にいたのはお父さまだった。
「なぜ……」
 わたしはそれだけを口にした。
「なぜってわかるだろう?雲龍さまに不必要に近づいているだろう……それとお前は昔のことを思い出したようだな」
 なぜお父さまがそのことを知っているのか。
 わたしはお父さまに問うた。
「お前は覚えておらぬのか。冬香(ふゆか)の能力を」
 冬香というのは継母さまの名前だ。
「継母さまの能力は……遠くの情報を得ることができる……」
 わたしが言うとお父さまは頷いた。
「ああ。お前が翡翠川に行ったことを冬香が知ったのだ。……これ以上お前を雲龍さまのところにいさせるわけにもいかない」
 お父さまはなにを言っているのだろう。
 わたし、茅都さんと会えなくなってしまうのか。
「な、なぜですか……わたしは、茅都さんと……」
 わたしは茅都さんと一緒にいたい。
 そう言いかけたとき。
「あんたのせいで……!」
 バシンッと大きな音が家中に響いた。
「…………」
 打たれたと理解するまでにそう時間はかからなかった。
 目の前には顔を真っ赤にさせている継母さまがいた。
(──こんなやつ、いなきゃよかったのに)
 継母さまの心の声が聞こえる。
 わたしはやっぱりいらない子だった。
 昔、継母さまの実家である露雪家のあやかしにもいらない子と言われたのだ。
「あんたのせいで露雪(うち)がどれだけ辛い思いをしたかわかっているの⁉」
 継母さまはまたわたしの頬を打った。
「あんたが昔、翡翠川に落ちたせいで露雪家が重い罰を受けたのよ⁉」
 なんて理不尽な世界なのだろう。
 わたしを落としたのは露雪のあやかしだというのに。
 わたしはこのときハッとした。
「雲龍家は権力がある家系なの。そんな家系に目をつけられたのはあんたのせいよ!」
 雲龍家が冷酷な一族と言われているのはもしやこのことなのではないのか。
 わたしは露雪家がどのような罰を受けたのか知らない。
 けれど、知らなくてもいいかもしれない。
「あんたはここにいればいいのよ」
 強い力で腕を掴まれた。
「え……っ?いや、出して!」
 わたしはほこりだらけの物置小屋に入れられた。
 ガチャッと音がしたかと思えば扉を開けられなくなっていた。
「ど、どうしましょう……か、茅都さん……っ」
 わたしの瞳には涙が溜まっていた。
「誰か助けてよ……」
 茅都さんに連絡したいのにスマホも取られてしまった。
 この物置小屋は日差しが入りにくいので今が何時なのかもわからない。