翌日、わたしはすっかり元気になった。
「……あの、茅都さん。昨日は本当に助かったわ、ありがとう」
「全然。これからは絶対に無理しちゃダメだよ?……無理して倒れたら、監禁しちゃうかもね~」
なんて笑いながら言う茅都さん。
「……全然冗談に聞こえないわ。絶対に無理はしないから大丈夫よ」
絶対に倒れたりするものかと心に誓った。
大学に行くと瀬凪くんと会った。
「ひい。昨日は休んでたけど体調不良?」
わたしは首を縦に振った。
「ええ。けど、もうすっかり元気よ」
そう言うと瀬凪くんはニコリと笑った。
「よかったな。……そういえば、ひいの縁談相手って雲龍茅都だろ?」
茅都さんの名前が出てきてビクッと肩が跳ねる。
「な、なんで知っているの?言っていないわよね?」
「噂で回ってきた。綾城と同じ家に雲龍が入って行くのを見たっていうヤツがいたらしいぜ。こういうのって本人に確認しないとだろ?ただのデマで変な噂だけ流れてたら嫌だろうし」
「そんなところを見られていたのね……その、前に瀬凪くんに同棲してるって言ったじゃない?その相手は茅都さんで合ってるわ」
わたしは恥ずかしさを堪えながら答える。
「ふーん。で、ひいは雲龍のこと好きなの?」
突然のことで脳がフリーズする。
「へ……?」
「だから、ひいは雲龍のこと好きなのって」
「す、好きなわけないわ!だって、突然お見合いがあって同棲しているのよ⁉」
わたしは荒くなった呼吸を整える。
「好きでもないヤツと一緒にいて辛くねぇの?普通、同棲とかって好き同士、付き合ったりしてるヤツがするもんじゃないのか?」
「特に辛いとは思わないわ。けれど、今思えば好きでもない人と暮らしてるなんてなんだか変ね」
わたしはふと思った。
わたしは茅都さんのことを好きでもない。
けれど、嫌いでもない。
自分の気持ちがよくわからない。
でも、ドキドキして仕方がないときもある。
茅都さんがかっこよくて仕方がないと思うときもある。
この感情に名前をつけるならなんだろうか。
「じゃあ、ひいのこと奪えるってことだよね?」
「奪うって?」
「はぁ……」
なぜか瀬凪くんはため息をつく。
「ここまで言っても気づかないって鈍感超えて馬鹿だと思うよ」
そう毒を吐いて瀬凪くんはいなくなった。
瀬凪くんに言われたことを考えながら家に帰る。
「ただい──」
そう言いかけると思わず目を見開く。
家の中に茅都さんと──知らない女の人がいたからだ。
「……妃翠?」
「──うちはここでさよならやな。お邪魔しました~」
そう言って女の人は家から出て行ったが、わたしにはショックしか残らなかった。
「妃翠、おかえり──」
「……あなたもわたしを──」
あなたもわたしを裏切るのかと聞こうとしてしまった。
わたしは急いで口をつぐんだ。
わたしは部屋に駆け込んだ。
「妃翠……!」
焦る茅都さんの声が聞こえた。
わたしはそれを無視して部屋の扉をバタンと閉めた。
「ふっ……うぅ……」
茅都さんならわたしを好きなってくれるかもしれないと思ってしまった。
わたしの瞳からは一生分の涙が出た。
先ほどまでいた女の人の顔を思い出す。
柔らかな雰囲気をまとい、とろんとした二重のややたれ目。
けれど、すごく美人だった。
茅都さんととてもお似合いだと心の底から思える人。
わたしは昨日、思い切り泣いたせいか朝起きたら目が腫れていた。
喉が渇いたのでキッチンに行くと茅都さんがいた。
「…………」
気まずい雰囲気がこの部屋を覆う。
「妃翠、昨日はごめん。あいつは会社の取り引き先の相手で──」
わたしはその言葉を無視してしまった。
「……それと、妃翠は昨日なにを言いかけたの?」
その言葉でやっと茅都さんの顔を見る。
「……あなたに関係あるのかしら?」
わたしが言うと茅都さんは悲しそうな顔をした。
「……ごめん、でもあんなに悲しそうな妃翠を放ってはおけない」
「昨日の方を連れてきたのは茅都さんではなくて?それなのに、わたしの心配だなんて意味がわからないわ」
可愛げのある言葉一つも言えず、ただ茅都さんに向かって嫌な言葉しか言えない。
なぜこんなにも茅都さんは優しいのだろうか。
茅都さんを無視して、ひどい言葉を浴びせているわたしとは真逆。
「あなたのその優しさは……わたしに向けるものじゃないでしょう?昨日の綺麗な方に向けるべきなのよ」
わたしはそう言い、キッチンを離れた。
「はぁ……」
何回目のため息か。
そう考えながら大学に向かう。
「ねぇ、冷泉さん!今度、お茶でも行きませんか?」
「冷泉さんに気安く話しかけちゃダメだよ……!」
今日は一段と騒がしい。
「別にええで~。……せやけど、忙しくてなぁ」
この声と関西弁には聞き覚えがあった。
「あれって……」
わたしは冷泉さんと呼ばれる人の方を向く。
そこには昨日家で見た綺麗な女の人が色々な人に囲まれていた。
「……!」
バチッと冷泉さんと目があった。
「うち、行かなあかんとこがあんねん」
そう言って人混みを掻き分けて冷泉さんはわたしの方に来た。
「あんた、ちょっと来てくれへん?」
わたしは冷泉さんと一緒にカフェテリアに来た。
「ごめんなぁ、こんなところで」
冷泉さんは胸の前で手を合わせる。
「あんた、茅都の縁談相手やろ?」
わたしは頷いた。
「昨日はほんまにごめん。誤解を招くような形になって。……うちは冷泉結璃。あんたは?」
「あ、綾城妃翠です……」
わたしはぎこちなく答えた。
「妃翠ちゃんって呼んでええ?」
わたしはまた頷いた。
「妃翠ちゃん。これはほんまに嘘なんかやない、うちと茅都は恋仲なんかやないで」
冷泉さんは真剣な瞳でわたしに言った。
「うちと茅都は小さい頃から親の会社同士が仲良くてな。うちの会社と茅都の家の会社が取り引きしててそれで仲良くなったってだけや」
わたしはただ黙って聞くことしかできなかった。
「昨日は会議が近々あるからその打ち合わせを二人でしてたってだけや。そんな変なことはないで」
わたしがなにも言えずにいると冷泉さんは突拍子もないことを言い出した。
「……妃翠ちゃんは茅都のこと好きなん?」
わたしはやっと声を発する。
「好き、ではないと思います……」
「ほんまに?うちが昨日いて、悲しいと思わなかったん?」
確かに悲しいとは思った。
けれど、それは裏切られたことに対してだった。
それを冷泉さんに伝えると。
「それは茅都のことを信用してたから言えることやんな。ほんまに好きやなかったらうちがいようがいなかろうが悲しいなんて思わへんと思うけどなぁ」
冷泉さんはニコリと微笑みながら言う。
「少し自分に素直になってみたらどうやって……まあ、こんな部外者に言われたくないなぁ。ごめん、これはあくまで一人の意見として思ってほしいわぁ」
そう言って冷泉さんは立ち上がった。
「ほなね、妃翠ちゃん。……あんたなら大丈夫やから」
(──妃翠ちゃんならきっと……)
冷泉さんの心の声が聞こえるが、わたしには理解できないことばかりだった。
冷泉さんは最後に意味がわからないことを言って去って行った。
その後、瀬凪くんに冷泉さんの話を聞いた。
「あー。冷泉はあの有名な冷泉リゾートの代表取締役だぞ?社会的地位が高いあやかしではなく人間なのに大金持ちだって有名だしな」
冷泉リゾートはとても有名なリゾート会社。
「え、社長?」
「そうだよ、冷泉は若き社長として大学と社長の二足の草鞋を履いてるんだ」
学生と社長など異例な状況らしい。
けれど、それは先代社長である冷泉さんのお父さんが病で倒れてしまったから若くして社長になったというものだ。
「冷泉は裏ではすごい努力家だって有名なヤツなんだぞ。まあ、本人はそれを言われたくないらしいが」
瀬凪くんは色々教えてくれた。
冷泉さんに言われた言葉を一つ一つ思い返してみる。
わたしは茅都さんを好きではない。
けれど、わたしが困ったときはいつでも茅都さんが助けてくれる。
そのたびにドキドキして心臓がきゅっとなる。
わたしは……茅都さんが好きだ。
顔に身体中の熱が集まる。
「えぇ……?わ、わたし、茅都さんが好きなのっ?」
自分でも自分の感情に理解が追いつかない。
けれど、茅都さんはきっとわたしを好きではないだろう。
この気持ちは心の中にしまっておこう。
心を落ち着かせて、深呼吸をする。
冷泉さんの話を聞いて、まずは茅都さんに謝らなければと思った。
わたしは家に帰って茅都さんのいる部屋に向かった。
「あ、妃翠……」
茅都さんが丁度部屋から出てきたところだった。
「その、茅都さん……昨日はごめんなさい。勝手に早とちりして冷泉さんと付き合ってるかと思っていたわ」
わたしが冷泉さんの名前を出すと茅都さんは驚いていた。
「結璃のこと知ってるの?」
「今日、お話ししたのよ。茅都さんとは恋仲でもないって」
茅都さんは安心したような顔をしていた。
「僕の妃翠になにも説明しないで結璃のことを家に入れたし……無神経だったよね、ごめん」
茅都さんの言葉にわたしは首を横に振る。
「冷泉さんも茅都さんのこともちゃんとわかったから、全然平気よ」
わたしの心臓はドキドキして全然平気ではないけれど。
「……これからは隠し事とか少しずつ減らしてかない?」
(──僕もいつか……)
茅都さんも隠し事があるようだ。
それよりもわたしの頭の中はパニックになっていた。
いつか、心の声が聞こえる能力のこと、綾城家での扱いのこと全てを打ち明けなければならないのか。
そして、茅都さんのことを好きになってしまったということも。
「そうね……隠し事がない状態の方がいいわよね」
わたしは茅都さんに言うと同時にこの言葉を自分に言い聞かせようとした。
全てを打ち明けることができる日が来るだろうか。
そのときは家のことなんて考えずに生きていきたいなんて淡い希望を持っていた。
わたしたちは無事に仲直りをした。
まずは初対面なのに色々話をしてくれた冷泉さんにお礼を言わなくては。
わたしは後日、大学で冷泉さんと会った。
「あ、あの……!冷泉さん」
わたしが呼び止めると冷泉さんはわたしの方を見た。
「……妃翠ちゃん。なんか清々しい顔してんなぁ」
冷泉さんは微笑んだ。
「え、そうですか……?」
「……少なくともうちにはそう見えるって感じやな」
冷泉さんは続けて頭にはてなマークを浮かべているような顔をした。
「せや、妃翠ちゃんはうちのことなんで呼んだん?なんかあったん?」
冷泉さんは首を傾げる。
「えっと……この間のお礼を言いたくて」
わたしが言うと冷泉さんはまた首を傾げた。
「なんのお礼や?うち、なんもしてへんけどな」
「……この間、冷泉さんの言葉で、やっと自分の気持ちに気づけたんです」
わたしが言うと、冷泉さんはふわっと笑った。
「そう。よかったわ。……じゃあ、妃翠ちゃんに質問するで?妃翠ちゃんは茅都のこと好きなん?」
わたしは胸を張って言った。
「はい」
わたしの言葉に冷泉さんは女神のような笑みを浮かべた。
「……素直になれたんやな。よかったわ……妃翠ちゃんなら大丈夫やな」
そう言って冷泉さんはわたしの反対方向を向いた。
「……せや、冷泉さんって堅苦しいわ。結璃って呼んでや」
冷泉さんはわたしの方を振り返って無邪気な笑顔で言った。
「ゆ、結璃さん……?で、いいんですか?」
「さん付けも堅苦しい!せめてちゃん付けや!あと、敬語もやめや!」
冷泉さんは息を荒げながら言う。
「ひぃ~!わ、わかったわよ!ゆ、結璃ちゃん!」
わたしが言うと結璃ちゃんはキラキラした瞳をしていた。
「それでええ!……よろしゅう、妃翠ちゃん!」
このときの結璃ちゃんは『社長』や『冷泉家』などは忘れていそうな雰囲気で、一人の少女、『冷泉結璃』として初めて見た瞬間だった。
そう言って結璃ちゃんはどこかへ行ってしまった。
茅都さんとのすれ違いがあり、仲直りをしてからのこと茅都さんの言動が前よりも甘くなっている気がする。
わたしの気のせいだろうか。
そんなことを思いながら家に帰る。
「おかえり、妃翠」
今日は会社に行くと言っていた茅都さん。
「た、ただいま……茅都さんも今帰って来たのかしら?」
茅都さんはスーツを着ていて、少しネクタイをゆるめていた。
「そうだよ。なに、僕の着替えでも見たいの?」
「は⁉違うわよ……!」
茅都さんは意地悪く笑う。
「──ひゃっ。な、なによ……!」
茅都さんはわたしに抱きついた。
「んー……充電?」
「い、意味わからないわよ!こういうのは正式に結婚するか、付き合ってからにして!」
離してもらうのに必死で自分が言った言葉に疑問を抱く。
そういえば、わたしたち付き合ってもいない。
「えー……じゃあ、付き合う?それとも籍入れに行く?」
「話が飛びすぎなのよ!」
茅都さんはいきなりこういうことを言ってくるので毎回ドキドキして仕方がない。
茅都さんはわたしの気持ちを知らないくせに。
「まあ、さすがに今のは冗談で。妃翠の気持ちが追い付くまで待つよ」
そう言われハッとする。
いつか、わたしも茅都さんに気持ちを伝えなくてはならない。
茅都さんは、わたしのことをどう思っているのだろう。
気になるが、聞いてなんとも思っていないなんて答えられたら生きていけない気がする。
「そうだ。今度、雲龍家でパーティーがあるんだけど、妃翠も参加してくれない?」
パーティーというものは本当にあるのだと思った。
「え、ええ。もちろんよ」
わたしは了承したが、礼儀正しく振る舞うことができるか心配になってきた。
「よかった。一週間後だから……ドレスとかはこっちで用意しておくよ」
ドレスを着れるのか。
綾城家にいたときは特にパーティーなど大きな行事に参加したことがなかったのでパーティーはおとぎ話の中だけかと思っていた。
パーティーまでには礼儀や作法を学んでおかなくてはならない。
それからわたしは本を買って礼儀を学んだ。
学んだことが本番に活かせるといいのだけれど。
パーティー二日前。
茅都さんから連絡が来た。
『妃翠、少し見せたいものがあるから帰って来てほしい』
わたしは今、パーティー用の髪飾りを見ていたところだった。
髪飾りはシンプルだけれど大人可愛いパールのものを買った。
わたしは急いで家に帰った。
「ただいま」
わたしが家のドアを開けると、茅都さんとスーツを着た女性が立っていた。
「……初めまして、妃翠さま。わたくし、雲龍和夏と申します。雲龍家でファッションデザイナーをしております」
和夏さんはお辞儀をした。
「今日は二日後のパーティー用のドレスをご用意いたしました」
そう言って和夏さんは歩き出した。
「妃翠、こっちだよ」
「え、あ、あの……これはどういう状況かしら?」
わたしはいまいち状況が理解できていない。
「そのままだけど?今度のパーティー用のドレスを和夏に頼んでおいたんだ……あ、安心して?和夏は雲龍の分家の娘だから……」
茅都さんはなにを勘違いしたのかそう言ってくる。
「い、いえ。そこは気にしていないのよ……ただ、急にドレスを用意したなんて言われたらどう反応していいかわからないわよ」
わたしは言った。
けれど、わたしの反応は間違っていない気がする。
突然、パーティードレスを用意したなんて言われたら喜びたいものでも驚きの方が勝ってしまってまともに喜ぶことができないと思う。
「そう?まあ、妃翠はただドレスを選べばいいだけだから」
わたしと茅都さん、和夏さんは二階にある空き部屋に向かって歩いた。
わたしはそこの部屋には入ったことがなかったのでソワソワしていた。
部屋は広くて、まるでホテルの一室のようだった。
「妃翠さま、こちらでございます」
和夏さんに案内されて、目の前に広がる光景に目が丸くなってしまった。
「わぁ……!す、すごいわ」
目の前にはたくさんの色や形のパーティードレス。
「妃翠さまには気になるものを試着してもらおうと思っております。……妃翠さま、どうぞ自由にご覧になってください」
和夏さんにそう言われ、ぎこちない動きでドレスを見る。
わたしはたくさんのドレスを見ながらふと思った。
「……あの、和夏さん」
わたしが呼ぶと和夏さんはすぐに反応した。
「どうかいたしましたか?」
「えっと、これに合うドレスを探してて……」
わたしは今日買ったパールの髪飾りを和夏さんに見せた。
「まあ、それは!……そうですね……こちらなんかはいかがでしょうか?」
和夏さんが見せてくれたのはラベンダーのパーティードレス。
シンプルなものだけれど、可愛さがあって一目惚れだった。
「これがいいです……!」
わたしは勢いよく答えたのだが。
「……露出多くない?」
不機嫌な声が聞こえた。
「茅都さまならそうおっしゃると思っておりましたよ。ご安心くださいませ、露出を少なくするために色々なものを着けることも可能ですよ」
和夏さんはクスクスと笑いながら言う。
そう言われると納得したように茅都さんは頷いた。
「そうしてほしい。ありがとう、和夏」
「いえいえ。妃翠さまになにかあってはいけませんからね」
和夏さんも茅都さんに賛同するように微笑んだ。
わたしだけがこの状況についていけていないようだ。
「では……妃翠さま。こちらを試着してみますか?」
わたしはラベンダーのパーティードレスを試着することにした。
家の中で試着するなんて今更ながらすごいなと思う。
こんなお姫さまのような生活をしていいものなのか。
「まあ、お似合いですよ!……髪飾りもつけてみますか?わたくし、ヘアメイクが得意でして」
「じゃ、じゃあ。お願いしてもいいですか?」
わたしが言うと和夏さんはニコリと笑った。
「もちろんです。では、こちらにおかけください」
わたしは大きなドレッサーの前に座った。
和夏さんのお任せで、髪を結ってもらい髪飾りをつけてもらった。
「さあ、できましたよ」
わたしは鏡を見る。
「わぁ!可愛い……」
こんなに可愛くしてもらうのは初めてだ。
ハーフアップにされていて、パールの髪飾りがつけられていた。
自分じゃ一切こんなことができないので和夏さんの腕には関心した。
「茅都さま。可愛い可愛い妃翠さまを見てくださりますか?」
和夏さんが言うとすぐに茅都さんが来た。
「妃翠?」
「そ、そうだけど……」
茅都さんはわたしを奇妙なものを見るかのような目をしていた。
「に、似合ってないかしら……?」
「いや、その逆。可愛すぎて見ていいのかも不安になってくる」
「よ、よくわからないけれど、似合っているのならよかったわ。ありがとうございます、和夏さん」
わたしはぺこりと和夏さんにお辞儀をした。
「いいえ。本番は二日後ですよ。そのときはもっと可愛く仕上げてみせます!」
和夏さんはガッツポーズをした。
わたしはドレスを脱いで、部屋着に着替えた。
着替え終わると和夏さんは一礼をした。
「それでは、失礼いたします」
和夏さんは家を出て行った。
ついにパーティー当日。
先日の宣言通り、和夏さんはとても可愛くわたしの髪を仕上げてくれた。
茅都さんの要望で取り入れられた露出を少なくするためのものも着けた。
「妃翠、準備できた?」
部屋の外から茅都さんの声が聞こえる。
「……行ってらっしゃいませ、妃翠さま」
「和夏さんは来ないのですか?」
わたしが聞くと、和夏さんは眉をへの字に曲げながら笑った。
「わたくし、残念ながら今日は大事な会議が入っていて行けないのです。ですから、妃翠さまがわたくしの分まで楽しんできてくださいませんか?」
和夏さんの言葉に大きく頷いた。
「もちろんです。でも、パーティーとかあまり経験がなくて……」
わたしが不安に陥っていると和夏さんがわたしの手を握った。
「大丈夫ですよ、妃翠さまなら。パーティーは楽しむものですよ?」
その言葉でどれだけ心が温まったものか。
家を出ると、すぐに目に入ったのは明らかに高級感漂う車だった。
「こ、この車に乗るのかしら?」
わたしが聞くと、茅都さんは当たり前かのように頷いた。
「うん、そうだけど?」
そう言われてしまえば言う言葉を失ってしまう。
「そう……」
わたしが啞然としていると車の中からスーツを着た若い男の人が出てきた。
びっくりして、バランスを崩しかけるとすかさず茅都さんがわたしの身体を支えてくれた。
ドキッとしてしまい、この心臓の音が聞こえてしまうのではないかと心配になってきた。
「茅都さま、妃翠さま。こちらへ」
車の扉が開けられ、茅都さんにエスコートされる。
わたしも一応良い家柄の人間ではあるけれども、こんなにお嬢さま扱いされたのは何年ぶりだろうか。
こんなに心が満たさせたのはいつぶりだろう。
この夢が一生覚めないでほしいと心の中で願った。
車で移動すること数十分。
人気のない道に出た。
自然が多くみられる雲龍家。
雲龍家自体は洋風でそこだけどこかの国に行ったかのようになるのだが、雲龍家までに行く道は自然を感じられる。
わたしは個人的に大好きな道だ。
雲龍家の近くで車が止まった。
「ここからは少し歩くけど、大丈夫?」
「ええ、平気よ。けれど、前に行った部屋がある方ではパーティーはしないのかしら?」
わたしが言いたいのは前に雲龍家当主である真弥さまと話した部屋がある大きな屋敷のことだ。
「ううん、そこじゃないよ。今日のパーティーが行われるのはコンペンションホールだよ。そこはパーティー専用の部屋なんだ」
さすが雲龍家。
この世にあるものは全て持っているのではないかと本気で思い始めた。
「さあ、ついたよ」
目の前に見えるのは本当に雲龍家の敷地内にあるのかと思うくらい大きい建物だった。
宮殿のような建物で、この建物に足を踏み入れていいのか心配になる。
不意に手に温もりを感じた。
「えっ……?」
その温もりの正体は茅都さんの手だった。
「エスコートします。お姫さま?」
バチッと目が合った。
顔にぶわっと熱が集まってくるのがわかった。
ぎゅっと手を握られる。
大きくて、温かい手のひら。
ドキドキしてぎゅっと目をつむる。
(──反応がいちいち可愛すぎる……)
茅都さんの心の声が聞こえる。
その言葉が聞こえた途端、声にならない叫び声をあげてしまった。
茅都さんは驚いていた。
「どうしたの?体調悪い?」
「ち、違うわ!な、なんでもないから……」
茅都さんはぐっとわたしの顔を覗いた。
「うわ、顔真っ赤」
茅都さんはふっと柔らかく笑った。
「……っ」
茅都さんにまで顔が赤いのがバレてしまった。
バレないように顔を背けていたのに。
コンペンションホールの中に入る。
中にはすでに人が大勢いた。
「まあ、茅都さまよ!」
「久しぶりに見たが大きくなっているなぁ」
一気にわたしたちに視線が集まる。
そして、一気に心の声が聞こえる。
(──あの娘は誰なのだろうか)
(──なんなのあの子。茅都さまの隣を歩いてるとか信じられない)
心の声はいい方向に働くときと悪い方向に働くときがある。
今は丁度悪い方向に働いているようだ。
心の声が聞こえるからこそ、普通の人より音に敏感なのだ。
少しの雑音でもうるさく感じてしまう。
「ぅ……」
小さく唸り声をあげてしまい、口元を抑える。
せっかくのパーティーなのに、茅都さんの邪魔をしてはいけない。
そう思って平常を装っていたのだが、茅都さんにはバレバレのようで。
「妃翠、ちょっとあっち行こ」
茅都さんに手を引かれ、テラスに来た。
「ほら、オレンジジュース持ってきたよ」
茅都さんからグラスを受け取る。
「ありがとう……」
「……そんなことより、妃翠は平気なの?」
「ええ、平気よ。気になさらないで」
なんて、可愛げのない言葉を言ってしまった。
「そう?無理はしないでね」
茅都さんに言われ、わたしはこくこくと頷いた。
わたしたちはみんながいる大広間へと戻った。
茅都さんはあっという間にたくさんの人に囲まれた。
さすがは次期当主というところだろうか。
「茅都さま、次の企画のことですが……」
「雲龍さま、こちらのお嬢さんはどちら様で?」
ついに答えなくてはいけないのかと思いながらわたしは笑顔を張り付けた。
引きつっていないかが心配なところだ。
「ああ。この子は僕の婚約者です」
さらっと笑顔で言ってしまう茅都さんはやはりすごい。
わたしだったら動揺しまくるのだろう。
「そうですか!いや~、おめでたいですね」
「……どちらのお嬢さまなんですか?」
全員の目線がわたしに向いた。
その目線の中には敵意なども含まれていた。
「あ、綾城です……」
わたしは少し控えめに言ってしまった。
「綾城か……」
「綾城は有名な家だもの。結婚も納得ができますわ」
わたしは嫌な空気にならなくてよかったと一息ついた。
茅都さんはまだ挨拶があるようでわたしは飲み物を取りに行こうとしたとき。
「あら、妃翠ちゃんやないの?」
知っている声が聞こえ、振り返る。
「結璃ちゃん……!」
わたしが言うと、結璃ちゃんは手を振ってくれた。
「来てたんやな……って、当たり前か。妃翠ちゃんは茅都の婚約者やしな」
結璃ちゃんはクスクスと笑った。
「……そういえば、茅都は?」
キョロキョロとあたりを探す結璃ちゃん。
「茅都さんは挨拶をしているのよ。わたしは少し喉が渇いちゃって……」
「そうなんや。茅都も大変やなぁ」
結璃ちゃんは笑った。
「結璃ちゃんは挨拶とか行かないの?」
「うちはもう行ったで。もう、大変やわぁ。社長となると大事な取り引き先の方とも話さなあかんし気疲れするわ~」
結璃ちゃんは大きなため息をついた。
「──……きゃあ~!うららちゃんよー!」
「うららちゃん、可愛すぎるわ!」
黄色い歓声が聞こえ、結璃ちゃんとわたしは声の方向を向く。
「あれって恋水うららやない?」
わたしは首を傾げる。
そんなわたしに気づいたのか結璃ちゃんは一から丁寧に説明してくれた。
「恋水うららはモデル兼アイドル。小さい頃からモデルとして活動していたんやけど、アイドルになって一段と人気になったんやで。『ファンを恋に落としてしまう小悪魔アイドル』って呼ばれているんやで」
結璃ちゃんに説明されて、改めて恋水うららちゃんを見る。
雪のように白い肌、透き通るような茶色の瞳と艶やかな髪。
誰が見ても可愛いと呟いてしまうような容姿をしている。
(──あの子が綾城妃翠ちゃん……)
恋水うららちゃんの心の声が聞こえて、ビクッと身体が反応する。
なぜにわたしの名前を知っているのか。
うららちゃんはわたしを見てはウインクをした。
その姿は『ファンを恋に落としてしまう小悪魔アイドル』そのものだった。
しばらくして茅都さんが戻ってきた。
「ごめん、妃翠。遅くなった」
そう言われ、わたしは首を横に振った。
「いえ。結璃ちゃんもいたから平気よ」
結璃ちゃんは少し前に有名レストランの社長に声を掛けられてどこかへ行ってしまった。
そう言うと茅都さんは安心したような表情に変わった。
「よかった。変な人に声掛けられてない?」
「だ、大丈夫よ……」
質問攻めをする茅都さんの勢いに負けてしまいそうだ。
茅都さんと少し喋り、茅都さんはわたしに聞いた。
「そうだ、妃翠。ちょっと外行ってみる?」
わたしは頷いた。
外に行くと、自然を近くで感じられた。
心の声を聞きすぎたので、丁度いいくらいだ。
「妃翠はどうだった?パーティーは」
「緊張したけれど、楽しかったわ」
わたしが答えると茅都さんは優しく笑った。
(──早く僕を……)
途中までは聞こえたが、今日は心の声をたくさん聞いたせいか耳鳴りがひどくて最後まで聞き取れなかった。
また大広間に戻った。
「──綾城妃翠ちゃん、だよね?」
可愛らしい声が聞こえた。
「……はい?」
後ろを振り返ると天使のように可愛い小柄の少女が立っていた。
「初めまして、恋水うららって言いますっ」
先ほど結璃ちゃんが教えてくれた恋水うららちゃんがわたしの目の前に立っていたのだ。
「は、初めまして……!綾城妃翠です!」
緊張しながら言うと、うららちゃんはふふっと笑った。
「そんなに緊張しないでよ~!うらら、妃翠ちゃんと仲良くなりたくて!」
純粋な瞳に心を打たれる。
わたしは大きく頷いた。
「も、もちろんよ……!うららちゃんとお友達になれるなんて嬉しいわ」
わたしが笑うとうららちゃんは愛嬌のある可愛い笑顔を見せた。
「やったぁ!うらら、とーっても嬉しいなっ」
うららちゃんとはもっと話したいと思ったが、うららちゃんはすぐに人に囲まれてしまい、別次元の人なんだと思った。
パーティーが終わり、茅都さんは少し本家に用事があると言った。
「……妃翠も一緒に来る?」
茅都さんにそう言われたけれど、わたしは雲龍家の近くの川や滝を見たいと思ったので断った。
茅都さんがいなくなってから、少し敷地から外れた場所を歩く。
やっぱりわたしは騒がしいところよりも静かなところが好きなんだと実感する。
耳を澄ませば鳥のさえずり、川の水が心地よく流れる音が聞こえる。
心の声を聞いたあとは自然の音を聞くとすごく癒される。
今日のことを振り返るとたった一日のことなのに、数日間パーティーをしていたかのような濃い内容だった。
大勢の人がいる中での挨拶、世の中ではたくさんの人たちが生きていること。
綾城家にいたころは外に遊びに行くことを許されていなかったので、友達とショッピングをしたりするなどずっと夢見ていたことだった。
それが今では自由にできる。
自由というものの素晴らしさを知ることができた。
それも全て茅都さんが教えてくれたことでもある。
今日、もっと茅都さんを好きになった。
もう少し歩こうと進んだとき、知らない世界に来たかのような美しい光景を目の当たりにした。
キラキラと輝く川。
音も澄んでいて、心地よい。
もっと、見てみたいと近づこうとしたときに人の気配を感じた。
「妃翠、遅くなってごめん。なにか見てたの?」
茅都さんの声が聞こえ、現実に引き戻される。
「……いえ。なんでもないわ。茅都さんは用事は済んだのかしら?」
わたしが聞くと茅都さんは頷いた。
「もう終わったし、帰ろっか」
茅都さんに手を引かれ、車に乗り込み。
また車で移動すること数十分。
安心できる家に帰って来た。
ドレスは和夏さんに脱ぎ方やたたみ方を教えてもらい自分でしまうことができた。
お風呂から出ると、すでにパジャマ姿の茅都さんがソファーでくつろいでいた。
「茅都さんはお風呂に入ったの?」
「うん、もう一個の風呂使った」
茅都さんはそう答えた。
わたしたちが住む家にはお風呂が二個ついている。
どちらも脱衣所から広くて、お風呂は大理石でできていて、高級感溢れるお風呂なのだ。
わたしたちはリビングでテレビを見る。
「ふわぁ~」
わたしがあくびをすると茅都さんはくすっと笑った。
(──可愛い……)
そんな言葉が聞こえ、あくびどころではなくなった。
「わ、わたしはそろそろ寝るわね……おやすみ」
わたしは寝室に行き、深い眠りについた。
「……あの、茅都さん。昨日は本当に助かったわ、ありがとう」
「全然。これからは絶対に無理しちゃダメだよ?……無理して倒れたら、監禁しちゃうかもね~」
なんて笑いながら言う茅都さん。
「……全然冗談に聞こえないわ。絶対に無理はしないから大丈夫よ」
絶対に倒れたりするものかと心に誓った。
大学に行くと瀬凪くんと会った。
「ひい。昨日は休んでたけど体調不良?」
わたしは首を縦に振った。
「ええ。けど、もうすっかり元気よ」
そう言うと瀬凪くんはニコリと笑った。
「よかったな。……そういえば、ひいの縁談相手って雲龍茅都だろ?」
茅都さんの名前が出てきてビクッと肩が跳ねる。
「な、なんで知っているの?言っていないわよね?」
「噂で回ってきた。綾城と同じ家に雲龍が入って行くのを見たっていうヤツがいたらしいぜ。こういうのって本人に確認しないとだろ?ただのデマで変な噂だけ流れてたら嫌だろうし」
「そんなところを見られていたのね……その、前に瀬凪くんに同棲してるって言ったじゃない?その相手は茅都さんで合ってるわ」
わたしは恥ずかしさを堪えながら答える。
「ふーん。で、ひいは雲龍のこと好きなの?」
突然のことで脳がフリーズする。
「へ……?」
「だから、ひいは雲龍のこと好きなのって」
「す、好きなわけないわ!だって、突然お見合いがあって同棲しているのよ⁉」
わたしは荒くなった呼吸を整える。
「好きでもないヤツと一緒にいて辛くねぇの?普通、同棲とかって好き同士、付き合ったりしてるヤツがするもんじゃないのか?」
「特に辛いとは思わないわ。けれど、今思えば好きでもない人と暮らしてるなんてなんだか変ね」
わたしはふと思った。
わたしは茅都さんのことを好きでもない。
けれど、嫌いでもない。
自分の気持ちがよくわからない。
でも、ドキドキして仕方がないときもある。
茅都さんがかっこよくて仕方がないと思うときもある。
この感情に名前をつけるならなんだろうか。
「じゃあ、ひいのこと奪えるってことだよね?」
「奪うって?」
「はぁ……」
なぜか瀬凪くんはため息をつく。
「ここまで言っても気づかないって鈍感超えて馬鹿だと思うよ」
そう毒を吐いて瀬凪くんはいなくなった。
瀬凪くんに言われたことを考えながら家に帰る。
「ただい──」
そう言いかけると思わず目を見開く。
家の中に茅都さんと──知らない女の人がいたからだ。
「……妃翠?」
「──うちはここでさよならやな。お邪魔しました~」
そう言って女の人は家から出て行ったが、わたしにはショックしか残らなかった。
「妃翠、おかえり──」
「……あなたもわたしを──」
あなたもわたしを裏切るのかと聞こうとしてしまった。
わたしは急いで口をつぐんだ。
わたしは部屋に駆け込んだ。
「妃翠……!」
焦る茅都さんの声が聞こえた。
わたしはそれを無視して部屋の扉をバタンと閉めた。
「ふっ……うぅ……」
茅都さんならわたしを好きなってくれるかもしれないと思ってしまった。
わたしの瞳からは一生分の涙が出た。
先ほどまでいた女の人の顔を思い出す。
柔らかな雰囲気をまとい、とろんとした二重のややたれ目。
けれど、すごく美人だった。
茅都さんととてもお似合いだと心の底から思える人。
わたしは昨日、思い切り泣いたせいか朝起きたら目が腫れていた。
喉が渇いたのでキッチンに行くと茅都さんがいた。
「…………」
気まずい雰囲気がこの部屋を覆う。
「妃翠、昨日はごめん。あいつは会社の取り引き先の相手で──」
わたしはその言葉を無視してしまった。
「……それと、妃翠は昨日なにを言いかけたの?」
その言葉でやっと茅都さんの顔を見る。
「……あなたに関係あるのかしら?」
わたしが言うと茅都さんは悲しそうな顔をした。
「……ごめん、でもあんなに悲しそうな妃翠を放ってはおけない」
「昨日の方を連れてきたのは茅都さんではなくて?それなのに、わたしの心配だなんて意味がわからないわ」
可愛げのある言葉一つも言えず、ただ茅都さんに向かって嫌な言葉しか言えない。
なぜこんなにも茅都さんは優しいのだろうか。
茅都さんを無視して、ひどい言葉を浴びせているわたしとは真逆。
「あなたのその優しさは……わたしに向けるものじゃないでしょう?昨日の綺麗な方に向けるべきなのよ」
わたしはそう言い、キッチンを離れた。
「はぁ……」
何回目のため息か。
そう考えながら大学に向かう。
「ねぇ、冷泉さん!今度、お茶でも行きませんか?」
「冷泉さんに気安く話しかけちゃダメだよ……!」
今日は一段と騒がしい。
「別にええで~。……せやけど、忙しくてなぁ」
この声と関西弁には聞き覚えがあった。
「あれって……」
わたしは冷泉さんと呼ばれる人の方を向く。
そこには昨日家で見た綺麗な女の人が色々な人に囲まれていた。
「……!」
バチッと冷泉さんと目があった。
「うち、行かなあかんとこがあんねん」
そう言って人混みを掻き分けて冷泉さんはわたしの方に来た。
「あんた、ちょっと来てくれへん?」
わたしは冷泉さんと一緒にカフェテリアに来た。
「ごめんなぁ、こんなところで」
冷泉さんは胸の前で手を合わせる。
「あんた、茅都の縁談相手やろ?」
わたしは頷いた。
「昨日はほんまにごめん。誤解を招くような形になって。……うちは冷泉結璃。あんたは?」
「あ、綾城妃翠です……」
わたしはぎこちなく答えた。
「妃翠ちゃんって呼んでええ?」
わたしはまた頷いた。
「妃翠ちゃん。これはほんまに嘘なんかやない、うちと茅都は恋仲なんかやないで」
冷泉さんは真剣な瞳でわたしに言った。
「うちと茅都は小さい頃から親の会社同士が仲良くてな。うちの会社と茅都の家の会社が取り引きしててそれで仲良くなったってだけや」
わたしはただ黙って聞くことしかできなかった。
「昨日は会議が近々あるからその打ち合わせを二人でしてたってだけや。そんな変なことはないで」
わたしがなにも言えずにいると冷泉さんは突拍子もないことを言い出した。
「……妃翠ちゃんは茅都のこと好きなん?」
わたしはやっと声を発する。
「好き、ではないと思います……」
「ほんまに?うちが昨日いて、悲しいと思わなかったん?」
確かに悲しいとは思った。
けれど、それは裏切られたことに対してだった。
それを冷泉さんに伝えると。
「それは茅都のことを信用してたから言えることやんな。ほんまに好きやなかったらうちがいようがいなかろうが悲しいなんて思わへんと思うけどなぁ」
冷泉さんはニコリと微笑みながら言う。
「少し自分に素直になってみたらどうやって……まあ、こんな部外者に言われたくないなぁ。ごめん、これはあくまで一人の意見として思ってほしいわぁ」
そう言って冷泉さんは立ち上がった。
「ほなね、妃翠ちゃん。……あんたなら大丈夫やから」
(──妃翠ちゃんならきっと……)
冷泉さんの心の声が聞こえるが、わたしには理解できないことばかりだった。
冷泉さんは最後に意味がわからないことを言って去って行った。
その後、瀬凪くんに冷泉さんの話を聞いた。
「あー。冷泉はあの有名な冷泉リゾートの代表取締役だぞ?社会的地位が高いあやかしではなく人間なのに大金持ちだって有名だしな」
冷泉リゾートはとても有名なリゾート会社。
「え、社長?」
「そうだよ、冷泉は若き社長として大学と社長の二足の草鞋を履いてるんだ」
学生と社長など異例な状況らしい。
けれど、それは先代社長である冷泉さんのお父さんが病で倒れてしまったから若くして社長になったというものだ。
「冷泉は裏ではすごい努力家だって有名なヤツなんだぞ。まあ、本人はそれを言われたくないらしいが」
瀬凪くんは色々教えてくれた。
冷泉さんに言われた言葉を一つ一つ思い返してみる。
わたしは茅都さんを好きではない。
けれど、わたしが困ったときはいつでも茅都さんが助けてくれる。
そのたびにドキドキして心臓がきゅっとなる。
わたしは……茅都さんが好きだ。
顔に身体中の熱が集まる。
「えぇ……?わ、わたし、茅都さんが好きなのっ?」
自分でも自分の感情に理解が追いつかない。
けれど、茅都さんはきっとわたしを好きではないだろう。
この気持ちは心の中にしまっておこう。
心を落ち着かせて、深呼吸をする。
冷泉さんの話を聞いて、まずは茅都さんに謝らなければと思った。
わたしは家に帰って茅都さんのいる部屋に向かった。
「あ、妃翠……」
茅都さんが丁度部屋から出てきたところだった。
「その、茅都さん……昨日はごめんなさい。勝手に早とちりして冷泉さんと付き合ってるかと思っていたわ」
わたしが冷泉さんの名前を出すと茅都さんは驚いていた。
「結璃のこと知ってるの?」
「今日、お話ししたのよ。茅都さんとは恋仲でもないって」
茅都さんは安心したような顔をしていた。
「僕の妃翠になにも説明しないで結璃のことを家に入れたし……無神経だったよね、ごめん」
茅都さんの言葉にわたしは首を横に振る。
「冷泉さんも茅都さんのこともちゃんとわかったから、全然平気よ」
わたしの心臓はドキドキして全然平気ではないけれど。
「……これからは隠し事とか少しずつ減らしてかない?」
(──僕もいつか……)
茅都さんも隠し事があるようだ。
それよりもわたしの頭の中はパニックになっていた。
いつか、心の声が聞こえる能力のこと、綾城家での扱いのこと全てを打ち明けなければならないのか。
そして、茅都さんのことを好きになってしまったということも。
「そうね……隠し事がない状態の方がいいわよね」
わたしは茅都さんに言うと同時にこの言葉を自分に言い聞かせようとした。
全てを打ち明けることができる日が来るだろうか。
そのときは家のことなんて考えずに生きていきたいなんて淡い希望を持っていた。
わたしたちは無事に仲直りをした。
まずは初対面なのに色々話をしてくれた冷泉さんにお礼を言わなくては。
わたしは後日、大学で冷泉さんと会った。
「あ、あの……!冷泉さん」
わたしが呼び止めると冷泉さんはわたしの方を見た。
「……妃翠ちゃん。なんか清々しい顔してんなぁ」
冷泉さんは微笑んだ。
「え、そうですか……?」
「……少なくともうちにはそう見えるって感じやな」
冷泉さんは続けて頭にはてなマークを浮かべているような顔をした。
「せや、妃翠ちゃんはうちのことなんで呼んだん?なんかあったん?」
冷泉さんは首を傾げる。
「えっと……この間のお礼を言いたくて」
わたしが言うと冷泉さんはまた首を傾げた。
「なんのお礼や?うち、なんもしてへんけどな」
「……この間、冷泉さんの言葉で、やっと自分の気持ちに気づけたんです」
わたしが言うと、冷泉さんはふわっと笑った。
「そう。よかったわ。……じゃあ、妃翠ちゃんに質問するで?妃翠ちゃんは茅都のこと好きなん?」
わたしは胸を張って言った。
「はい」
わたしの言葉に冷泉さんは女神のような笑みを浮かべた。
「……素直になれたんやな。よかったわ……妃翠ちゃんなら大丈夫やな」
そう言って冷泉さんはわたしの反対方向を向いた。
「……せや、冷泉さんって堅苦しいわ。結璃って呼んでや」
冷泉さんはわたしの方を振り返って無邪気な笑顔で言った。
「ゆ、結璃さん……?で、いいんですか?」
「さん付けも堅苦しい!せめてちゃん付けや!あと、敬語もやめや!」
冷泉さんは息を荒げながら言う。
「ひぃ~!わ、わかったわよ!ゆ、結璃ちゃん!」
わたしが言うと結璃ちゃんはキラキラした瞳をしていた。
「それでええ!……よろしゅう、妃翠ちゃん!」
このときの結璃ちゃんは『社長』や『冷泉家』などは忘れていそうな雰囲気で、一人の少女、『冷泉結璃』として初めて見た瞬間だった。
そう言って結璃ちゃんはどこかへ行ってしまった。
茅都さんとのすれ違いがあり、仲直りをしてからのこと茅都さんの言動が前よりも甘くなっている気がする。
わたしの気のせいだろうか。
そんなことを思いながら家に帰る。
「おかえり、妃翠」
今日は会社に行くと言っていた茅都さん。
「た、ただいま……茅都さんも今帰って来たのかしら?」
茅都さんはスーツを着ていて、少しネクタイをゆるめていた。
「そうだよ。なに、僕の着替えでも見たいの?」
「は⁉違うわよ……!」
茅都さんは意地悪く笑う。
「──ひゃっ。な、なによ……!」
茅都さんはわたしに抱きついた。
「んー……充電?」
「い、意味わからないわよ!こういうのは正式に結婚するか、付き合ってからにして!」
離してもらうのに必死で自分が言った言葉に疑問を抱く。
そういえば、わたしたち付き合ってもいない。
「えー……じゃあ、付き合う?それとも籍入れに行く?」
「話が飛びすぎなのよ!」
茅都さんはいきなりこういうことを言ってくるので毎回ドキドキして仕方がない。
茅都さんはわたしの気持ちを知らないくせに。
「まあ、さすがに今のは冗談で。妃翠の気持ちが追い付くまで待つよ」
そう言われハッとする。
いつか、わたしも茅都さんに気持ちを伝えなくてはならない。
茅都さんは、わたしのことをどう思っているのだろう。
気になるが、聞いてなんとも思っていないなんて答えられたら生きていけない気がする。
「そうだ。今度、雲龍家でパーティーがあるんだけど、妃翠も参加してくれない?」
パーティーというものは本当にあるのだと思った。
「え、ええ。もちろんよ」
わたしは了承したが、礼儀正しく振る舞うことができるか心配になってきた。
「よかった。一週間後だから……ドレスとかはこっちで用意しておくよ」
ドレスを着れるのか。
綾城家にいたときは特にパーティーなど大きな行事に参加したことがなかったのでパーティーはおとぎ話の中だけかと思っていた。
パーティーまでには礼儀や作法を学んでおかなくてはならない。
それからわたしは本を買って礼儀を学んだ。
学んだことが本番に活かせるといいのだけれど。
パーティー二日前。
茅都さんから連絡が来た。
『妃翠、少し見せたいものがあるから帰って来てほしい』
わたしは今、パーティー用の髪飾りを見ていたところだった。
髪飾りはシンプルだけれど大人可愛いパールのものを買った。
わたしは急いで家に帰った。
「ただいま」
わたしが家のドアを開けると、茅都さんとスーツを着た女性が立っていた。
「……初めまして、妃翠さま。わたくし、雲龍和夏と申します。雲龍家でファッションデザイナーをしております」
和夏さんはお辞儀をした。
「今日は二日後のパーティー用のドレスをご用意いたしました」
そう言って和夏さんは歩き出した。
「妃翠、こっちだよ」
「え、あ、あの……これはどういう状況かしら?」
わたしはいまいち状況が理解できていない。
「そのままだけど?今度のパーティー用のドレスを和夏に頼んでおいたんだ……あ、安心して?和夏は雲龍の分家の娘だから……」
茅都さんはなにを勘違いしたのかそう言ってくる。
「い、いえ。そこは気にしていないのよ……ただ、急にドレスを用意したなんて言われたらどう反応していいかわからないわよ」
わたしは言った。
けれど、わたしの反応は間違っていない気がする。
突然、パーティードレスを用意したなんて言われたら喜びたいものでも驚きの方が勝ってしまってまともに喜ぶことができないと思う。
「そう?まあ、妃翠はただドレスを選べばいいだけだから」
わたしと茅都さん、和夏さんは二階にある空き部屋に向かって歩いた。
わたしはそこの部屋には入ったことがなかったのでソワソワしていた。
部屋は広くて、まるでホテルの一室のようだった。
「妃翠さま、こちらでございます」
和夏さんに案内されて、目の前に広がる光景に目が丸くなってしまった。
「わぁ……!す、すごいわ」
目の前にはたくさんの色や形のパーティードレス。
「妃翠さまには気になるものを試着してもらおうと思っております。……妃翠さま、どうぞ自由にご覧になってください」
和夏さんにそう言われ、ぎこちない動きでドレスを見る。
わたしはたくさんのドレスを見ながらふと思った。
「……あの、和夏さん」
わたしが呼ぶと和夏さんはすぐに反応した。
「どうかいたしましたか?」
「えっと、これに合うドレスを探してて……」
わたしは今日買ったパールの髪飾りを和夏さんに見せた。
「まあ、それは!……そうですね……こちらなんかはいかがでしょうか?」
和夏さんが見せてくれたのはラベンダーのパーティードレス。
シンプルなものだけれど、可愛さがあって一目惚れだった。
「これがいいです……!」
わたしは勢いよく答えたのだが。
「……露出多くない?」
不機嫌な声が聞こえた。
「茅都さまならそうおっしゃると思っておりましたよ。ご安心くださいませ、露出を少なくするために色々なものを着けることも可能ですよ」
和夏さんはクスクスと笑いながら言う。
そう言われると納得したように茅都さんは頷いた。
「そうしてほしい。ありがとう、和夏」
「いえいえ。妃翠さまになにかあってはいけませんからね」
和夏さんも茅都さんに賛同するように微笑んだ。
わたしだけがこの状況についていけていないようだ。
「では……妃翠さま。こちらを試着してみますか?」
わたしはラベンダーのパーティードレスを試着することにした。
家の中で試着するなんて今更ながらすごいなと思う。
こんなお姫さまのような生活をしていいものなのか。
「まあ、お似合いですよ!……髪飾りもつけてみますか?わたくし、ヘアメイクが得意でして」
「じゃ、じゃあ。お願いしてもいいですか?」
わたしが言うと和夏さんはニコリと笑った。
「もちろんです。では、こちらにおかけください」
わたしは大きなドレッサーの前に座った。
和夏さんのお任せで、髪を結ってもらい髪飾りをつけてもらった。
「さあ、できましたよ」
わたしは鏡を見る。
「わぁ!可愛い……」
こんなに可愛くしてもらうのは初めてだ。
ハーフアップにされていて、パールの髪飾りがつけられていた。
自分じゃ一切こんなことができないので和夏さんの腕には関心した。
「茅都さま。可愛い可愛い妃翠さまを見てくださりますか?」
和夏さんが言うとすぐに茅都さんが来た。
「妃翠?」
「そ、そうだけど……」
茅都さんはわたしを奇妙なものを見るかのような目をしていた。
「に、似合ってないかしら……?」
「いや、その逆。可愛すぎて見ていいのかも不安になってくる」
「よ、よくわからないけれど、似合っているのならよかったわ。ありがとうございます、和夏さん」
わたしはぺこりと和夏さんにお辞儀をした。
「いいえ。本番は二日後ですよ。そのときはもっと可愛く仕上げてみせます!」
和夏さんはガッツポーズをした。
わたしはドレスを脱いで、部屋着に着替えた。
着替え終わると和夏さんは一礼をした。
「それでは、失礼いたします」
和夏さんは家を出て行った。
ついにパーティー当日。
先日の宣言通り、和夏さんはとても可愛くわたしの髪を仕上げてくれた。
茅都さんの要望で取り入れられた露出を少なくするためのものも着けた。
「妃翠、準備できた?」
部屋の外から茅都さんの声が聞こえる。
「……行ってらっしゃいませ、妃翠さま」
「和夏さんは来ないのですか?」
わたしが聞くと、和夏さんは眉をへの字に曲げながら笑った。
「わたくし、残念ながら今日は大事な会議が入っていて行けないのです。ですから、妃翠さまがわたくしの分まで楽しんできてくださいませんか?」
和夏さんの言葉に大きく頷いた。
「もちろんです。でも、パーティーとかあまり経験がなくて……」
わたしが不安に陥っていると和夏さんがわたしの手を握った。
「大丈夫ですよ、妃翠さまなら。パーティーは楽しむものですよ?」
その言葉でどれだけ心が温まったものか。
家を出ると、すぐに目に入ったのは明らかに高級感漂う車だった。
「こ、この車に乗るのかしら?」
わたしが聞くと、茅都さんは当たり前かのように頷いた。
「うん、そうだけど?」
そう言われてしまえば言う言葉を失ってしまう。
「そう……」
わたしが啞然としていると車の中からスーツを着た若い男の人が出てきた。
びっくりして、バランスを崩しかけるとすかさず茅都さんがわたしの身体を支えてくれた。
ドキッとしてしまい、この心臓の音が聞こえてしまうのではないかと心配になってきた。
「茅都さま、妃翠さま。こちらへ」
車の扉が開けられ、茅都さんにエスコートされる。
わたしも一応良い家柄の人間ではあるけれども、こんなにお嬢さま扱いされたのは何年ぶりだろうか。
こんなに心が満たさせたのはいつぶりだろう。
この夢が一生覚めないでほしいと心の中で願った。
車で移動すること数十分。
人気のない道に出た。
自然が多くみられる雲龍家。
雲龍家自体は洋風でそこだけどこかの国に行ったかのようになるのだが、雲龍家までに行く道は自然を感じられる。
わたしは個人的に大好きな道だ。
雲龍家の近くで車が止まった。
「ここからは少し歩くけど、大丈夫?」
「ええ、平気よ。けれど、前に行った部屋がある方ではパーティーはしないのかしら?」
わたしが言いたいのは前に雲龍家当主である真弥さまと話した部屋がある大きな屋敷のことだ。
「ううん、そこじゃないよ。今日のパーティーが行われるのはコンペンションホールだよ。そこはパーティー専用の部屋なんだ」
さすが雲龍家。
この世にあるものは全て持っているのではないかと本気で思い始めた。
「さあ、ついたよ」
目の前に見えるのは本当に雲龍家の敷地内にあるのかと思うくらい大きい建物だった。
宮殿のような建物で、この建物に足を踏み入れていいのか心配になる。
不意に手に温もりを感じた。
「えっ……?」
その温もりの正体は茅都さんの手だった。
「エスコートします。お姫さま?」
バチッと目が合った。
顔にぶわっと熱が集まってくるのがわかった。
ぎゅっと手を握られる。
大きくて、温かい手のひら。
ドキドキしてぎゅっと目をつむる。
(──反応がいちいち可愛すぎる……)
茅都さんの心の声が聞こえる。
その言葉が聞こえた途端、声にならない叫び声をあげてしまった。
茅都さんは驚いていた。
「どうしたの?体調悪い?」
「ち、違うわ!な、なんでもないから……」
茅都さんはぐっとわたしの顔を覗いた。
「うわ、顔真っ赤」
茅都さんはふっと柔らかく笑った。
「……っ」
茅都さんにまで顔が赤いのがバレてしまった。
バレないように顔を背けていたのに。
コンペンションホールの中に入る。
中にはすでに人が大勢いた。
「まあ、茅都さまよ!」
「久しぶりに見たが大きくなっているなぁ」
一気にわたしたちに視線が集まる。
そして、一気に心の声が聞こえる。
(──あの娘は誰なのだろうか)
(──なんなのあの子。茅都さまの隣を歩いてるとか信じられない)
心の声はいい方向に働くときと悪い方向に働くときがある。
今は丁度悪い方向に働いているようだ。
心の声が聞こえるからこそ、普通の人より音に敏感なのだ。
少しの雑音でもうるさく感じてしまう。
「ぅ……」
小さく唸り声をあげてしまい、口元を抑える。
せっかくのパーティーなのに、茅都さんの邪魔をしてはいけない。
そう思って平常を装っていたのだが、茅都さんにはバレバレのようで。
「妃翠、ちょっとあっち行こ」
茅都さんに手を引かれ、テラスに来た。
「ほら、オレンジジュース持ってきたよ」
茅都さんからグラスを受け取る。
「ありがとう……」
「……そんなことより、妃翠は平気なの?」
「ええ、平気よ。気になさらないで」
なんて、可愛げのない言葉を言ってしまった。
「そう?無理はしないでね」
茅都さんに言われ、わたしはこくこくと頷いた。
わたしたちはみんながいる大広間へと戻った。
茅都さんはあっという間にたくさんの人に囲まれた。
さすがは次期当主というところだろうか。
「茅都さま、次の企画のことですが……」
「雲龍さま、こちらのお嬢さんはどちら様で?」
ついに答えなくてはいけないのかと思いながらわたしは笑顔を張り付けた。
引きつっていないかが心配なところだ。
「ああ。この子は僕の婚約者です」
さらっと笑顔で言ってしまう茅都さんはやはりすごい。
わたしだったら動揺しまくるのだろう。
「そうですか!いや~、おめでたいですね」
「……どちらのお嬢さまなんですか?」
全員の目線がわたしに向いた。
その目線の中には敵意なども含まれていた。
「あ、綾城です……」
わたしは少し控えめに言ってしまった。
「綾城か……」
「綾城は有名な家だもの。結婚も納得ができますわ」
わたしは嫌な空気にならなくてよかったと一息ついた。
茅都さんはまだ挨拶があるようでわたしは飲み物を取りに行こうとしたとき。
「あら、妃翠ちゃんやないの?」
知っている声が聞こえ、振り返る。
「結璃ちゃん……!」
わたしが言うと、結璃ちゃんは手を振ってくれた。
「来てたんやな……って、当たり前か。妃翠ちゃんは茅都の婚約者やしな」
結璃ちゃんはクスクスと笑った。
「……そういえば、茅都は?」
キョロキョロとあたりを探す結璃ちゃん。
「茅都さんは挨拶をしているのよ。わたしは少し喉が渇いちゃって……」
「そうなんや。茅都も大変やなぁ」
結璃ちゃんは笑った。
「結璃ちゃんは挨拶とか行かないの?」
「うちはもう行ったで。もう、大変やわぁ。社長となると大事な取り引き先の方とも話さなあかんし気疲れするわ~」
結璃ちゃんは大きなため息をついた。
「──……きゃあ~!うららちゃんよー!」
「うららちゃん、可愛すぎるわ!」
黄色い歓声が聞こえ、結璃ちゃんとわたしは声の方向を向く。
「あれって恋水うららやない?」
わたしは首を傾げる。
そんなわたしに気づいたのか結璃ちゃんは一から丁寧に説明してくれた。
「恋水うららはモデル兼アイドル。小さい頃からモデルとして活動していたんやけど、アイドルになって一段と人気になったんやで。『ファンを恋に落としてしまう小悪魔アイドル』って呼ばれているんやで」
結璃ちゃんに説明されて、改めて恋水うららちゃんを見る。
雪のように白い肌、透き通るような茶色の瞳と艶やかな髪。
誰が見ても可愛いと呟いてしまうような容姿をしている。
(──あの子が綾城妃翠ちゃん……)
恋水うららちゃんの心の声が聞こえて、ビクッと身体が反応する。
なぜにわたしの名前を知っているのか。
うららちゃんはわたしを見てはウインクをした。
その姿は『ファンを恋に落としてしまう小悪魔アイドル』そのものだった。
しばらくして茅都さんが戻ってきた。
「ごめん、妃翠。遅くなった」
そう言われ、わたしは首を横に振った。
「いえ。結璃ちゃんもいたから平気よ」
結璃ちゃんは少し前に有名レストランの社長に声を掛けられてどこかへ行ってしまった。
そう言うと茅都さんは安心したような表情に変わった。
「よかった。変な人に声掛けられてない?」
「だ、大丈夫よ……」
質問攻めをする茅都さんの勢いに負けてしまいそうだ。
茅都さんと少し喋り、茅都さんはわたしに聞いた。
「そうだ、妃翠。ちょっと外行ってみる?」
わたしは頷いた。
外に行くと、自然を近くで感じられた。
心の声を聞きすぎたので、丁度いいくらいだ。
「妃翠はどうだった?パーティーは」
「緊張したけれど、楽しかったわ」
わたしが答えると茅都さんは優しく笑った。
(──早く僕を……)
途中までは聞こえたが、今日は心の声をたくさん聞いたせいか耳鳴りがひどくて最後まで聞き取れなかった。
また大広間に戻った。
「──綾城妃翠ちゃん、だよね?」
可愛らしい声が聞こえた。
「……はい?」
後ろを振り返ると天使のように可愛い小柄の少女が立っていた。
「初めまして、恋水うららって言いますっ」
先ほど結璃ちゃんが教えてくれた恋水うららちゃんがわたしの目の前に立っていたのだ。
「は、初めまして……!綾城妃翠です!」
緊張しながら言うと、うららちゃんはふふっと笑った。
「そんなに緊張しないでよ~!うらら、妃翠ちゃんと仲良くなりたくて!」
純粋な瞳に心を打たれる。
わたしは大きく頷いた。
「も、もちろんよ……!うららちゃんとお友達になれるなんて嬉しいわ」
わたしが笑うとうららちゃんは愛嬌のある可愛い笑顔を見せた。
「やったぁ!うらら、とーっても嬉しいなっ」
うららちゃんとはもっと話したいと思ったが、うららちゃんはすぐに人に囲まれてしまい、別次元の人なんだと思った。
パーティーが終わり、茅都さんは少し本家に用事があると言った。
「……妃翠も一緒に来る?」
茅都さんにそう言われたけれど、わたしは雲龍家の近くの川や滝を見たいと思ったので断った。
茅都さんがいなくなってから、少し敷地から外れた場所を歩く。
やっぱりわたしは騒がしいところよりも静かなところが好きなんだと実感する。
耳を澄ませば鳥のさえずり、川の水が心地よく流れる音が聞こえる。
心の声を聞いたあとは自然の音を聞くとすごく癒される。
今日のことを振り返るとたった一日のことなのに、数日間パーティーをしていたかのような濃い内容だった。
大勢の人がいる中での挨拶、世の中ではたくさんの人たちが生きていること。
綾城家にいたころは外に遊びに行くことを許されていなかったので、友達とショッピングをしたりするなどずっと夢見ていたことだった。
それが今では自由にできる。
自由というものの素晴らしさを知ることができた。
それも全て茅都さんが教えてくれたことでもある。
今日、もっと茅都さんを好きになった。
もう少し歩こうと進んだとき、知らない世界に来たかのような美しい光景を目の当たりにした。
キラキラと輝く川。
音も澄んでいて、心地よい。
もっと、見てみたいと近づこうとしたときに人の気配を感じた。
「妃翠、遅くなってごめん。なにか見てたの?」
茅都さんの声が聞こえ、現実に引き戻される。
「……いえ。なんでもないわ。茅都さんは用事は済んだのかしら?」
わたしが聞くと茅都さんは頷いた。
「もう終わったし、帰ろっか」
茅都さんに手を引かれ、車に乗り込み。
また車で移動すること数十分。
安心できる家に帰って来た。
ドレスは和夏さんに脱ぎ方やたたみ方を教えてもらい自分でしまうことができた。
お風呂から出ると、すでにパジャマ姿の茅都さんがソファーでくつろいでいた。
「茅都さんはお風呂に入ったの?」
「うん、もう一個の風呂使った」
茅都さんはそう答えた。
わたしたちが住む家にはお風呂が二個ついている。
どちらも脱衣所から広くて、お風呂は大理石でできていて、高級感溢れるお風呂なのだ。
わたしたちはリビングでテレビを見る。
「ふわぁ~」
わたしがあくびをすると茅都さんはくすっと笑った。
(──可愛い……)
そんな言葉が聞こえ、あくびどころではなくなった。
「わ、わたしはそろそろ寝るわね……おやすみ」
わたしは寝室に行き、深い眠りについた。