雲龍さまと初めて会う日。
 いつもなら着物など買ってくれないお父さまが高価な淡い桃色の着物を用意してくれた。
 全ては家のため。
「──……初めまして、雲龍さま。わたくし、綾城鳳二(ほうじ)と申します。そして……娘の妃翠です」
 お父さまが雲龍さまに頭を下げる。
 わたしも同時に頭を下げる。
「……初めまして、雲龍真弥(しんや)です。……息子の茅都です」
 雲龍家の二人も頭を下げる。
 改めて茅都さまの顔を見る。
 濡羽色の艶やかな髪に瑠璃色の瞳。
 まるで絵本の世界の王子さまみたいだ。
 人間離れのその容姿に見惚れていた。
 本当にわたし結婚するのか。
 今更ながらそう思った。
「妃翠、あちらで茅都さんと話して来たらどうだ」
「え……?」
 わたしが戸惑っていると茅都さまが話しかけてくれた。
「妃翠さん、あちらに行きませんか?」
 わたしは頷き、流れのゆるやかな川の近くに行く。
「……突然結婚だなんて言われても理解に苦しみますよね」
 雲龍さまは苦笑いする。
「そうですね……茅都さまは前からこの縁談を知っていらしたのですか?」
 わたしが聞くと茅都さまは静かに頷いた。
「まあ、なんとなくですけどね。……というか、敬語やめません?同い年なんだから」
 同い年。
 その言葉に頭がフリーズする。
 わたしの年齢は、十八歳。
「え、えぇ⁉お、同い年……?」
 わたしが驚いていると茅都さまが不思議そうな顔をした。
「あれ、知らなかった?僕と妃翠さん同い年だよ」
 同い年にしては大人びている。
「……敬語じゃないのにさん付けって変な感じ。妃翠って呼んでいいから……」
 わたしがそう言うと茅都さまはふわりと笑った。
 不覚にもドキッとしてしまった自分がいた。
「そっか。じゃあ、妃翠で。僕のことも茅都でいいよ」
 わたしは言葉に詰まる。
「え、えっと……それは……」
 少しずつ顔に熱が集まる。
「なんで?男に免疫ないの?」
「じょ、女子校出身な者なので、男の子と関わることがなかったのよっ!」
 恥ずかしさをこらえながら必死に訴える。
「……ふーん。じゃあ、妃翠の初めては全部僕のものってわけか」
 さらりととんでもないことを言い放つ茅都さま。
「なっ……!」
「まあ、それはいいんだけど。……ねぇ、茅都って呼んでよ」
 急に耳元でささやかれた。
「ち、近い、です……っ!」
 ふと冷静になった。
 わたしは『愛』というものがよくわからない。
 それに心の声が聞こえてしまう。
 そんな中で茅都さまと結婚したとしても愛せるかもわからない。
 突然不安に襲われた。
「……どうしたの、そんな不安そうな顔して」
 茅都さまの手がわたしの頬に触れる。
 心の声が聞こえることも『愛』というものがわからないことも全て黙っていなければならない。
 顔を上げ、無理やり笑顔を張り付けた。
「いいえ、なんでもないわ。……茅都さんじゃダメかしら?」
 茅都さまはニコリと笑って。
「いいよ。いつか絶対茅都って呼ばせるから」
 そう言われたけれど、多分そんな日は来ないのだろう。
(──やっと会えた……僕のお姫さま)
 川を見つめている茅都さんからそんな心の声が聞こえた。
 本当に茅都さんはよくわからない。 
 そういえば、雲龍家は冷酷な一族と聞いていたけれど、全くそんなことなさそうだ。



 家に帰ると継母さまと会ってしまう。
 同じ家にいるのだから当たり前か。
「……雲龍さまとは会えたのかしら?」
 急に話しかけられた。
「……はい」
 継母さまと話すことが久しぶりで声が震える。
「そう。……愛のない結婚だもの。どうせあなたは住む場所もなく凍え死ぬのよ」
 継母さまの瞳は冷たい。
 急に継母さまの手がわたしの頭に伸びてきた。
 不思議に思っていたがすぐに痛みに変わった。
「い、痛……っ!」
「ふふっ。……ねぇ、雲龍さまと結ばれたからといって助かるなんて愚かな考えは今すぐ捨ててちょうだいね?」
 継母さまはわたしの髪を鷲掴み、引っ張った。
 わたしはいつまでも助からないようだ。
 わたしは静かに頷いた。
 そうすると継母さまは手を離した。
 わたしが床に座り込むと最後に邪魔な物のように蹴られた。
 また痣が増えてしまった。
 風呂場の鏡を見てため息をつく。
 茅都さんと出会ったからといってわたしの人生が変わるわけでもない。
 少し期待したわたしが馬鹿だった。
「本当に……馬鹿みたいね」
 わたしの顔を少し涙で濡れていた。
 今まで継母さまにどれだけ叩かれ暴言を吐かれようと泣いたことはなかったのに。
 わたしはただ静かに生きたいのに。
 それでも家には逆らえない。
 そう思うと悲しみが心を覆った。