うららちゃんのライブが終わってから数日、うららちゃんから連絡が来た。
『妃翠ちゃん!ちょっと爽良くんが話したいことがあるみたいで今日、講義が終わったら門の前で待っててくれる?』
 わたしは了解とスタンプを送信してスマホをかばんの中にしまった。
 講義が終わり、わたしは門に向かう。
「……あ、妃翠ちゃん!」
 わたしに向かってぱたぱたと走って来るうららちゃん。
「うららちゃん。話したいことって……?」
「んー……それがうららもわからないの。爽良くんなにも言ってくれないの」
 うららちゃんは眉をへの字に曲げた。
「まあ、とりあえず爽良くんのところに行こう!」
 うららちゃんはわたしの腕をぐいぐいと引っ張って爽良くんがいるという車に連れてきた。
「爽良くん!妃翠ちゃん来たよ」
 うららちゃんは車に向かって言った。
「──……ありがとう。妃翠ちゃん、突然ごめんね。今日は少し付き合ってもらいたくて」
 爽良くんはうららちゃんからわたしに目線を移した。
「じゃあ、うららはこのへんでバイバイ!」
 そう言ってどこかに行ってしまったうららちゃん。
 わたしはどうすればいいのかわからずおろおろしている。
「妃翠ちゃん、車乗って」
「え、ええ……」
 わたしは爽良くんの車に乗った。
「あの、今日はどこへ?」
「……もう少しで僕たちの誕生日なんだ。でも、うららが好きなものってなにか聞くといつも可愛いものって答えるんだ」
 爽良くんは呆れたようにため息をついた。
「その可愛いの具体的なものを聞きたいんだけど、うららも忙しいしあまり聞く時間がなくて……それで妃翠ちゃんにお願いがあって、うららの誕生日プレゼントを一緒に選んでほしいんだ」
 爽良くんはわたしに向かって手を合わせてきた。
「ええ、それはもちろんいいのだけれど、爽良くんはファンの子にバレたりしないのかしら?」
 誕生日プレゼントを選ぶのは賛成だが、それだけが不安要素だった。
 人気アイドルグループ、スターライトの一番人気のメンバーと一般人であるわたしが一緒にいたら大変なことになりそうだ。
「……あー。大丈夫、変装するし、気をつけるよ」
 そう言って車を運転し始める爽良くん。
 ショッピングモールにつくと、わたしたちは雑貨屋に入った。
「これとか……どうかしら」
 わたしは一冊のノートを爽良くんに見せた。
「ノート?どうして?」
「……前にうららちゃん、書くことが好きだって言っていたのよ」
 うららちゃんと仕事の話をしていたときのことだった。
 うららちゃんはなにかを文字に起こすことが好きだと言っていた。
 ファンの子に可愛いと言われた行動やレッスンでの反省点などをノートにまとめているようだ。
「そうなんだ。じゃあ、それにしよっか」
 爽良くんは会計のレジに向かって行った。
「……妃翠ちゃん、ありがとう。僕も買いたいものがあって待っててくれるかな?」
「ええ、わたし少し喉が渇いたからお水買ってくるわね……ここで待ってるわね」
 わたしは爽良くんとは反対方向に歩いた。 
 水を買ってから爽良くんと別れた場所にまた戻る。
 爽良くんはベンチの近くにいるが身長が高いことや変装をしていても隠し切れない芸能人オーラがあってか周りの視線が爽良くんに向いていた。
「……ごめんなさい、待たせてしまったわね」
 わたしが慌てて爽良くんに駆け寄るとふっと目を細めた。
 マスクで口元は見えないがきっと笑っているのだろう。
「えっと、どうかなさったの?」
「いや?……ちょっと来て」
 ぐいっと腕を引かれ、駐車場まで来た。
 そして車に乗った。
「……妃翠ちゃん、今日は付き合ってくれてありがとね」
 爽良くんはそう言ってわたしに近づく。
(──喜んでくれるかな?)
 そんな心の声が聞こえ、不思議に思っていると首元にヒヤッとなにか冷たいものが触れた。
「え……っ?」
「今日、付き合ってくれたお礼」
 そう言って爽良くんは変装を全て外し、いつもの爽やか笑顔になっていた。
 首元を見るとアメジストのネックレスがつけられていた。
「す、すごいわ……こんないいもの、もらっていいのかしら」
 わたしが申し訳なく笑った。
「いいの。だって、妃翠ちゃんのおかげでうららのことを知れたし。妹なのに裏での努力もあんまり理解できてなかった」
 なんて力なく笑う爽良くん。
「……そんなことないと思うわよ。うららちゃんと話しているといつも、爽良くんは完璧で頼りになるお兄ちゃんだって言っているのよ。うららちゃんは忙しいからいつもお礼もまともに言えてないって言ってるわ……わたしはそうやって思いやりの心があるだけで素敵だと思うわ」
 わたしはお姉さまと全く仲良くできなかった。
 綾城家から少し離れて考えてみるともう少し仲良くできたのではないかなど考えてしまう。 
 だからなのか、恋水兄妹を見ていると羨ましく思う。
 わたしが話し終えると爽良くんは驚いたように目を見開いた。
「……妃翠ちゃんって本当にいい子だよね」
 わたしはその言葉がなぜか心に引っかかった。
「そ、そうかしら……」
 いい子でなければ殴られるのは当たり前。
 少しでも抵抗すれば命を奪われてもおかしくなかったような環境だった。
 わたしのいい子はつくりものではないのか。
 そんなつくった姿を茅都さんや結璃ちゃん、うららちゃんたちに見せているのか。
 今で言えば爽良くんに向かって笑って見せているのも全部全部つくりものなのではないか。
 自問自答するが答えは一向に出てこない。
 今までずっとなにがあっても心を殺して時間が過ぎるのを待っていただけのつまらない人生だった。
 それからはなにがあっても泣かずに、嬉しくなくても笑い、わたしはまるで操り人形のようだった。
(……妃翠ちゃん、なんか元気ない?僕のプレゼント嬉しくなかったかな)
 爽良くんの心配そうな心の声が聞こえハッとする。
「プレゼント、ありがとう。とても嬉しいわ」
 貼り付けたような笑顔で言った。
 爽良くんは笑うだけでなにも言ってくれなかった。
 やはり、わたしの笑顔はつくりものだったようだ。
 自分でも悲しくなってきてしまう。
 わたしが誰かを好きになったのも、誰かといてもいいんだと思ったのも全て嘘だったのではないかと不安になる。
 今までわたしが抱いてきた感情の山が一気に崩れてしまったようだった。
 どれがわたしの本心で、どれがわたしの嘘なのかわからない。
 考えるのも辛い。
 爽良くんに送ってもらい家の近くで降ろしてもらった。
 家の目の前に行くと、部屋の明かりがついていることに気が付いた。
 けれど、今の状態で茅都さんに会うのが怖い。
 茅都さんに会ってつくりものの笑顔を見せて、嘘を並べた言葉で茅都さんに会うのが怖かった。
 家の前でたたずんでいるとガチャッと家の大きな扉が開いた。
「……妃翠?」
 茅都さんの瞳が心配そうにわたしをとらえる。
「……っ。か、茅都さん……遅くなってごめんなさい。ご飯つくるわね」
 わたしは茅都さんの目を見れないでいる。
 それに違和感を覚えたのか茅都さんはわたしの腕をパシッと掴んだ。
「……なにかしら?」
 わたしは平常心を保つのに必死になる。
 今、茅都さんに心配されてしまってはなにを言ってしまうかわからない。
 家の事情は知っているとはいえ、わたしの気持ちを知っているわけではない。
「なんか様子おかしくない?全然僕の目見ないし。よそよそしいって言うか、なんかあったの?」
「なにもないわ。目を見ないのもたまたまよ。ほら、見れるじゃない──」
 わたしはそう言って茅都さんの顔を見る。
 茅都さんの瞳はどんな感情を宿しているのだろうか。
 いつもはわかりやすい茅都さんの瞳も心の声も今はわからないし、聞こえない。
 心の声が聞こえないことなんてないのに。
 耳鳴りが酷いわけでもない、耳がなにか変というわけでもない。
「……あっそ。ご飯はつくってあるから。早く家に入んないと風邪引くよ」
 どこか無愛想な声でわたしに言い放った。
「ええ……」
 わたしたちは言葉には言い表せない気まずい空気に呑み込まれた。
 茅都さんは先に夕食を済ませていたそうで、わたしが気まずい雰囲気の中黙々と茅都さんがつくってくれたオムライスを食べる。
「……ねぇ、それなに?」
 冷たい声で首元を指される。
「あ、えっと……今日貰ったものなの」
 わたしが説明すると不機嫌そうな顔で茅都さんはため息をついた。
「はぁ……それさ、男から貰ったものじゃないよね?」
 わたしはなんと説明すればいいのかわからず黙り込む。
 こういうときはしっかり説明しなければいけないのに、なぜかそれをためらう悪いわたしがそれを阻んだ。
「なんとか言ったらどうなの」
 そんな冷たい声で聞かないでほしい。
 継母さまみたいで、お父さまみたいで怖い。
 言い訳にしかならないかもしれないが、昔のことがフラッシュバックする。
「……そう、って言ってら茅都さんは──……」
 わたしがそう呟いたとき、茅都さんはひどく傷ついたような顔をしていた。
「意味わかんない。僕たち付き合ってるんじゃないの?こんな言い方したくないし、こんな不毛な口論とか嫌いだけど……他の男と一緒に遅くまでいるの?僕がどれだけ心配したかわかっているの?」
 今までにない威圧感を放つ茅都さんにわたしは後ずさりしてしまう。
「遅くなったのは、わたしが連絡しておけばよかったわ。それは、ごめんなさい。でも、その人とはなにもなかったのよ、ただうららちゃんの誕生日プレゼントを──……」
「でも、男といたのには変わりがないでしょ?」
 わたしの話を最後まで聞かずに茅都さんはそう言った。
 わたしの中でなにかがぷつんと切れたような気がした。
 怒りや悲しみを覚えた。
 きっとこれは、本物の感情だ。
 つくりものなんかではない。
 けれど、こんな感情ではなくて前向きな感情が本物だと思いたかった。
「なんで……」
 わたしが声にならない声で言った。
「なんで……なんで茅都さんにそんなに縛られていなきゃいけないの?結婚って……付き合うってなによ。誰かのことを縛り付けて一生離さないことが恋なの?誰かと遊ぶことも許されないの……?」
 わたしの頬には熱いなにかが伝っていた。
「わからないわよ……」
 こんなことになるなら、誰かと一緒にいたいという感情も恋も全部全部なければよかったのに。
 最初からこんな感情知らなければよかったのに。  
 わたしは「ごちそうさまでした」と小さく言い、食器を洗った。
 食器洗いが終わり、わたしは階段を駆けあがった。
 部屋の扉をバタンと閉め、ずるずると床に座り込んだ。
 涙が溢れて止まらない。
 前に茅都さんと気まずくなったときはわたしが一方的に話を聞かなかったことが原因だった。
 けれど、今回は茅都さんもかなり怒っていた。
 わたしは自己嫌悪に陥る。
 カッとなってしまったとはいえ、さすがに言い過ぎた。
 いつも気まずくなるときはわたしの勘違いなどが多い。
 わたしはどうすれば変われるのだろうか。
 人を変えるのは難しいと誰かが言っていた変えられるのは自分自身だと。
 茅都さんはこんなわたしをいつも受け入れてくれる。
 わたしはどうだろうか。
 わたしは茅都さんがくれる大きな愛を返しているだろうか。
 落ち着いて考えてみるとわたしは茅都さんになにひとつ愛を返していない気がする。
 愛を返すのはとても難しい。
 けれど、返さなくてはいつ返せなくなるかわからない。
 お母さまのようにいつか突然いなくなってしまうかもしれない。
 お父さまのようにいつか一切話さなくなるかもしれない。
 そんなことを考えると震えが止まらない。
 爽良くんから貰ったネックレスを外し、机に置く。
 きっと、爽良くんは全く悪気などないのだろう。
 わたしも茅都さんと付き合っていることを言っていなかった。
 それが悪かったのだ。
 ちゃんと、爽良くんに言わなければ。
 そして、茅都さんにも謝らなければならない。



 翌日、起きると案の定目はすごく腫れていた。
 泣いたまま寝て、冷やしていなかった。
 目がすごく重い。
 憂鬱な気分で階段を下りる。
 リビングでは茅都さんがソファーに座り、テレビを見ていた。
 今日は土曜日なので大学には行かない。
 久しぶりにゆっくりしようと思う。
 けれど、茅都さんに謝らなければいけない。
 ここで謝らなかったらわたしはいつまでも変わらないままだ。
 いつまでも自分の本心を隠し続ける操り人形になってしまう。
「あの……茅都さん。昨日はごめんなさい」
 わたしが謝るとぴくっと茅都さんの手が動いた気がした。
 それでも茅都さんはわたしの方を向いてはくれなかった。
「……ネックレスはうららちゃんの双子のお兄さんである恋水爽良くんに貰ったものなの……」
 わたしは茅都さんの背中に向かって話し続ける。
「昨日は……うららちゃんの誕生日プレゼントを買いに行っていたの。それで昨日一緒にプレゼントを選んでくれたからってくれたものなのよ」
 わたしの瞳に涙を溜めないようにすることに必死になる。
 泣いてはいけない。
 泣きたいのはきっと茅都さんの方だから。
 彼女なのに茅都さんの心配してくれた気持ちも全部無視して悲劇のヒロインぶっていた。
 そんなの誰だって怒って当たり前だ。
「……恋水爽良とはなにもないわけ?」
 やっと茅都さんの声が聞こえる。
「ええ……当たり前よ。彼とはなにもない……」
 わたしはハッキリとそう言った。
「そっか……昨日は僕もごめん。妃翠を縛り付けるような発言をして……」
 茅都さんは弱弱しくそう言った。 
 謝らなければいけないのはこちらだというのに。
 わたしたちは大学があったので身支度を整える。
 茅都さんは家から出るとスッとわたしの手に指を絡めた。
「……っ⁉」
「いいでしょ?……妃翠は僕のものなんだから」
 ふっと笑う茅都さん。
 大学までは手をつないで歩いた。
 街中を歩くので周りの視線が気になる。
 茅都さんは周りが二度見するような容姿をもっている。
 それに加えて雲龍家の次期当主という肩書もある。
 あやかしという生き物は今の日本には欠かせないものであり、国民はあやかしを知らないということがないのだ。
 大学に着くと茅都さんはわたしの手をスッと離した。
 少し名残惜しいものではあるが大学なので仕方がない。
 茅都さんはわたしに手を振り講義室に向かった。
(──妃翠と離れたくないな)
 寂しそうな心の声が聞こえ、ボッと顔が熱くなる。
 わたしだって離れたくない。
「……おはよう」
 わたしがボーッとしていると聞きなれた声が聞こえる。
「おはよう、結璃ちゃん」
 結璃ちゃんがノートを持ってわたしの隣に座った。
「あんた朝から大胆やなぁ~」
 結璃ちゃんはクスクスと笑った。
「え……?」
 わたしはなんのことかと首を傾げる。
「なんや、とぼけるんか?茅都と手つないでたやないの~!ラブラブやんなぁ」
 見られていたのかと恥ずかしくなる。
「……妃翠ちゃんも茅都も素直やないし、打ち解けるまで時間かかるんちゃうかなって思ってたんやけど心配不要って感じやな」
 女神のように優しく笑う結璃ちゃん。
「あ、あら……心配してくれていたのね……ありがとう」
 わたしははにかんだ。
 結璃ちゃんと一緒に講義を受け、カフェテリアでお茶をする。
「妃翠ちゃん~!あ、冷泉さん、だよね?」
 うららちゃんの元気な声が聞こえる。
「そうやけど……恋水うららちゃん、あんたと話すのは初めて?」
 うららちゃんは小さく頷いた。
「そうだよ!……改めて初めまして、恋水うららですっ」
「冷泉結璃、よろしゅう。……ワンマンライブの特別映像見たで?可愛かったわ~」
 結璃ちゃんが上品に笑うとうららちゃんは嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。 
「えへへっ。嬉しいなっ!……結璃ちゃんって呼んでいい?」
「当たり前や~」
 結璃ちゃんとうららちゃんは仲良くなったようだ。
「……妃翠ちゃん、なんか今日も爽良くんが妃翠ちゃんに用事があるんだって」
 爽良くんという名前を聞いて身体がびくっと跳ねる。
 爽良くんに罪はないが、また会ったら茅都さんに怒られないか。
 けれど、つい昨日、爽良くんとはなにもなかったと説明した。
 きちんと茅都さんには連絡をしておけば問題はないはず。
「……わかったわ。今日も門の前にいればいいかしら?」
 そう聞くとうららちゃんは頷いた。
 講義が全て終わり、わたしはスマホのメールアプリを開いた。
 爽良くんが用事があると言っているので少しだけ会うというメッセージを茅都さんに送信した。
 送信してすぐに既読がついた。
 了解というスタンプが送られてきて安堵した。
 門の前まで行くと誰か芸能人がいるのかというくらい混んでいた。
「きゃ~!こっち見た⁉」
「いや、あたしを見たでしょ!」
 なんて声が聞こえる。
(──妃翠ちゃん、どこかな。ファンの子たちも嬉しいけど今探してるのは妃翠ちゃんなんだよね)
 その心の声が聞こえ、囲まれているのは爽良くんだと気づいた。
 この光景を目にしてよくショッピングモールではバレなかったと思う。
 わたしはスマホを取り出し、爽良くんにメッセージを送る。
『門の前着いたんだけど、囲まれているのって爽良くん?』
(──妃翠ちゃん、僕からじゃ見えないな。どうしよう、このまま妃翠ちゃんに近づくと妃翠ちゃんの噂とか流れるかもしれないしな)
 爽良くんの焦ったような声が聞こえる。
 わたしは噂を気にしないが茅都さんがとばっちりを受けることになるのは申し訳ない。
『そうだよ』
 そんな返信が来たかと思ったらどこからかまた歓声が聞こえる。
「うららちゃーん!」
「ワンマンライブすごかったよー!可愛い~!」
 なんとこの状況でうららちゃんまで来てしまったのだ。
(──うららナイス)
(──このタイミングで来たうららに感謝してほしいよ、爽良くん)
 なんて息ピッタリな心の声なのだろう。
 さすが双子というところか。
 皆がうららちゃんに夢中になっているところでわたしは急いで爽良くんの方へ向かった。
 誰もいないようなところまで歩いた。
 そこでようやく一息つくことができた。
「……妃翠ちゃん、昨日はごめん」
 爽良くんが頭を下げわたしは慌てるばかり。
「え、えっと。なんで爽良くんが謝っているの?」
「だって……妃翠ちゃん、雲龍茅都さんの婚約者なんでしょ?それなのに僕なにも知らずに妃翠ちゃんのこと買い物に誘って」
 わたしはそんなことで謝るのかと驚いた。
「知らなかったのなら仕方がないと思うわ。そんなことで謝らないで」
 わたしが言うと爽良くんは頭を上げた。
「けど、雲龍さんはきっと嫌な思いをしただろうに……昨日、帰ってきてからうららと話してたらうららが雲龍さんの甘い声も全部聞けるのは妃翠ちゃんだけだって言ってて……どういうことかわからなくて色々聞いてやっと知ったんだ」
 わたしは納得し頷いた。
「わたしこそ……言っていなくて申し訳ないわ、ごめんなさい」
 わたしが謝ると爽良くんはぶんぶんと首を横に振った。
「妃翠ちゃんが謝ることじゃないよ……!その、昨日のネックレスとかは妃翠ちゃんの判断で捨てたりしていいから。ただ、僕の買い物に付き合ってくれた妃翠ちゃんに感謝を伝えたくて選んだものだから。別に他の意味があるとかじゃないよって雲龍さんに伝えておいてほしいな」
 わたしは笑って頷いた。
「爽良くんはただうららちゃんを喜ばせたかっただけなんでしょう?」
 わたしが聞くと爽良くんはとても驚いたように目を見開いていた。
「……うん。ただ、うららが喜んでるところが見たくて……でも、自分だけじゃなに買えばいいのかわからなくて妃翠ちゃんを頼ったんだ」
 爽良くんの瞳は真剣なものだった。
「爽良くんはうららちゃんのこと大好きなのね」
 わたしが言うと爽良くんは恥ずかしそうに顔を背けた。
「ファンの子になら好きとか愛してるなんて簡単に言えるのに家族とか本当に身近な人には言えないんだよね。一番言わなきゃいけない人たちなのにね……」
 わたしは爽良くんの言葉に心を動かされた。
 一番言わなければならない人に意外と好きを伝えられない。
 茅都さんはわたしにたくさんの愛をくれる。
 けれど、わたしはどうだろうか。
 きちんと愛を返せているだろうか。 
 愛の返しかたなんてどうやったらいいのかわからない。
 そう思うがそんなの皆当たり前なのか。
 それとも誰もが親から教えてもらうのか。
 こういうときに他の人が羨ましく感じる。
「そうね……爽良くんの意見、とてもいいと思うわ。わたし、あなたの言葉で感動したの」
「本当?……妃翠ちゃんのことを感動させたのなら僕の目標は達成かな」
 わたしはその言葉に首を傾げる。
「目標……?」
「うん。僕の目標は世界中の人たちを歌でダンスで……言葉で誰かの心を動かすこと。アイドルやってる以上、今言ったことでファンの子が感動したとか言ってくれるんだけど」
 爽良くんはわたしを見て笑った。
「妃翠ちゃんみたいに僕のことを知らない人が僕の発言で感動してくれるっていうことがあまりないから。それを目標に活動してたんだよね……まあ、妃翠ちゃん一人じゃダメだから、もっとたくさんの人を虜にできるように頑張るよ」
 爽良くんはくるっとわたしに背を向けた。
「……見ててね。うららよりももっとすごいアイドルになるから」
 そう言って爽良くんは顔だけわたしの方に向けた。
「ええ。爽良くんならできるわ」
 たとえ、できるという証拠がなくても彼はきっとやってのけるだろう。
 たくさんの人を魅了するトップアイドルに。



 家に帰ると電気はついていなかった。
 茅都さんも会社に行っているのだろうか。
 次期当主なら学生であろうと勉強することは山ほどあるのだろう。
「ただいま」
 わたしは誰もいない大きな家に向かって呟く。
「え……っ?」
 わたしが驚きの声をあげたのは、真っ暗だった部屋の灯りがついたからだ。
 わたしは部屋の電気のスイッチを押していない。
 この部屋に誰がいるのだろう。
 不安に怯えながら部屋に入る。
「……妃翠、誕生日おめでとう!」
 クラッカーの音が鳴ったと同時に茅都さんの楽しそうな声が聞こえた。
 わたしはリビングのカレンダーを見る。
 薫風が吹き始める今、五月中旬。
 わたしの誕生日を茅都さんは覚えてくれていたのだ。
 自分自身でも忘れていたのに。
 こうやって誰かに祝ってもらったのは何年ぶりだろうか。
「……あ、ありがとうっ」
 わたしは涙がポロポロと流れるのを拭うのに精一杯になる。
「……妃翠、おいで」
 茅都さんはわたしの腰を引き寄せた。
 今は恥ずかしさなどない。
 ただ嬉しさともっと一緒にいたいという感情のみ。
「……これ、誕生日プレゼント」
 茅都さんは小さな四角い箱を取り出した。
「……これから次期当主として雲龍家を背負っていく。なにかある度に妃翠に迷惑をかけるかもしれない。妃翠を傷つけるかもしれない……それでも僕と一緒にこれからの人生を歩いてくれますか?」
 わたしの薬指につけられた指輪は小さな翡翠がついていた。
「ええ……っ。もちろんよ」
 わたしは先ほどよりも涙を流しながら笑顔で答えた。
「妃翠……っ」
 茅都さんはわたしを力強く抱きしめた。
 もう離さないという意志を感じられる。
 感動の余韻に浸っている中、茅都さんは一つ提案をした。
「ずっと思ってたんだけど……なんでずっと茅都さん呼びなの?恋水うららの双子の兄貴のことは爽良くんって呼んでるのに?」
 不服そうに訴える茅都さん。
「僕のこともせめてくん付けしてよ」
 わたしの顔は爆発しそうなくらい熱くなっている。
 今までわたしが茅都さんと呼んでいたのは男子に免疫がないという理由だった。 
 けれど、瀬凪くんも爽良くんも男子だけれどもくん付けができる。
 茅都さんはというとどうしても意識してしまってくん付けができない。
「ほら、呼んでみてよ。茅都くんって」
 意地悪く笑う茅都さん。
「え、えっと……か、茅都さん」
「今までと変わってないんだけど?妃翠ちゃん?」
 妃翠ちゃんと呼ぶのはやめてほしい。
 恥ずかしくて心臓飛び出してしまうのではないかと思うからだ。
「だ、だって!恥ずかしいもの!ずっと恥ずかしくてたまらないのよ!どうして茅都さんはわたしの名前を呼ぶことが恥ずかしくないの⁉」
 わたしは心の中に秘めていたものを茅都さんに向かって言う。
「…………」
 茅都さんはわたしが普段あまり大きな声を出さないからなのか目を見開いた。
「……恥ずかしさもあるよ。だって、ずっと好きだった子を目の前にしたら当然緊張とかある。でも、それよりも目の前にいる妃翠に好きを伝えたい、少しでも名前を呼んでここにいるってことを証明したい」
 茅都さんはわたしを抱きしめる力を少しゆるめ、わたしの頬に優しくキスをした。
「……わたしだって──か、茅都くんのことが好きよ……?」
 緊張と恥ずかしさが相まってうるっと涙が瞳にたまる。
 先ほど大泣きしたおかげで涙は枯れたと思っていた。
(──もう本当に可愛すぎる。すること全部僕の心臓壊しにかかってる。これ推しとかの次元じゃない、好きな人がすることってこんなにも目が離せないのか)
 心の声がありえないくらい饒舌になっている気がする。
 茅都くんというのにものすごく違和感を感じるが会ったときから茅都さんと呼んでいるとそれが定着してしまっているからだろう。
 これから先、茅都くんと呼んでいたら慣れてくるものなのだろうか。
「可愛い。大好き、妃翠」
「ふふっ。好きっていう気持ちを伝えるってこんなにも嬉しいことなのね」
 わたしは茅都くんの背中に腕を回す。
「……そうだ、夕食食べてないでしょ?お風呂入ってきてから食べようよ……一緒に入る?」
「なっ……⁉入らないわよ!」
 わたしは急いで脱衣所に駆け込んだ。
 ドライヤーで髪を乾かす。 
 わたしの髪は胸よりも少し下ほどまであるので乾かすのに少し時間がかかる。
 わたしは自分の髪色を気に入っている。
 わたしの髪は黒曜石のような色、この髪色はお母さまからの宝物だと思っている。
 形としてはないお母さまだけれど、自分の髪を見るとお母さまのことを思い出せるので気に入っている。
 この髪がわたしがお母さまの子供である証拠のひとつでもある。
 綾城家では継母さまが当主であるお父さまの奥方として今は知られている。
 継母さまは雪女なので、髪も雪のように美しい白色なのだ。
 乃々羽お姉ちゃんも継母さまと同じ白髪。
 わたしと乃々羽お姉ちゃんを見比べ、姉妹ではないと思う人がいるがそれはほんの少しの綾城家の関係者だけだ。
 基本的にはわたしは表には出ていなかった。
 なにかしら表舞台に立つことがあれば乃々羽お姉ちゃんがその役を担っていた。
 わたしが立つべき舞台ではなかったのだ。
 けれど、今はそんなことは関係ない。
 だって、茅都くんがいるのだから。
 綾城家という重荷を少し忘れて新たなスタートラインに立ったのだから。
 リビングに戻ると匂いだけで頬が落ちそうだった。
「いい匂いね……!」
 わたしがキッチンにひょこっと顔を出すと。
「そうでしょ?ごめんね、レストランとかじゃなくて」
 わたしはぶんぶんと首を横に振る。
「……レストランとかそんな場所は気にしていないわ。ただ、茅都くんと一緒にいられるだけで幸せよ」
 わたしは満面の笑みで答える。
 こんな漫画のようなセリフが現実世界で言う日がくるとは数ヶ月前のわたしでは考えられなかっただろう。
 夕食はサニーレタスを存分に使ったグリーンサラダとパスタ、コーンスープだった。
「全然豪華な食事じゃないけど許してほしいな」
 と茅都くんは苦笑いする。
「ふふっ。美味しそうだわ。わたし、サニーレタス大好きなのよ……!」
 サニーレタスのあの触感、あの味全てが最高なのだ。
 ぜひとも全人類におすすめしたい。
 そういう話を乃々羽お姉ちゃんにしたら「妃翠って野菜好きだったの?意外!」と言われてしまった。
 人は見かけによらないものだ。
「そうだったんだ。妃翠の好きなものでよかった……いただけます」
 わたしも手を合わせて「いただきます」と言い、食べ始めた。
 食事は最高なものだった。
「……そういえば、なんで茅都くんはわたしの誕生日を知っているのかしら?わたし言った覚えがないのだけれど……」
 わたしは食事を終え、ソファーでくつろいでいた途中で聞いた。
「結璃に聞いた。さすがにサプライズしたいなって思ったし」
 茅都くんはそう言い、わたしの手を握る。
 その手はわたしの指を触り、いつしか恋人つなぎをしていた。
「……こうやって触ってると妃翠が隣にいるって実感できるんだよね」
「く、くすぐったいわ……」
 わたしはくすぐったい感覚から逃れたくて触ってくる茅都くんの手をぎゅっと握った。
「……これは予想外。結構大胆なんだね?」
 わたしがぎゅっと手を握ったことに対して茅都くんは満足そうだった。
「なにを言っているのよ……くすぐったいって言ったでしょう?」
「素直じゃないね。まあ、そんな妃翠も可愛いけど」
 素直じゃないと言われ、少しむっとしてしまい、頬をぷくっと膨らます。
 そうした途端、茅都くんの顔が近づいてきた。
 わたしは驚きで固まってしまったが、その刹那、唇に温かく柔らかな感触が触れた。
「へ……っ?」
 思わず間抜けな声を出し、ソファーからずり落ちるところだった。
 すかさず茅都くんの長い腕がわたしの腰に回り、茅都くんの胸にダイブした。
(──初キス、だったかな)
 心の声が聞こえる。
 心配そうな、それとは裏腹に嬉しそうな声だった。
「な、なな……⁉い、今……」
「ちゃんと日本語喋ってくれるー?……キス、唇にしたの初めてだよね」
 ニヤッと口角を上げる茅都くん。
 わたしの心臓は今にも飛び出してしまうのではと心配になるくらい鼓動が速くなっていた。
「……~っ!」
 わたしは声にならない叫び声を上げる。
(──そんな可愛い顔して睨みつけたって逆効果なのに)
 わたしは今どんな顔しているのかと不安になり、顔を手で覆う。
「顔、隠さないでよ」
「だ、だって……また……その、キ、キスされたら困るものっ」
 なんて可愛くない嘘をつく。
 本当はもっとしてほしかった。
 もっと茅都くんを感じたかった。
(──顔真っ赤にしてそんなこと言われてもなぁ……もっともっと妃翠を暴いてみたい)
 そんな心の声が聞こえわたしは顔を覆っていた手を外す。
「あ、暴くって……?」
 わたしが聞くと茅都くんはふっと笑って。
「妃翠には教えない」
 なんて意地悪な回答だ。
「……教えてくれないの?まあ、それほど知ってもわたしに得がないのかしら?」
 わたしはそう言うが人間、知らなくてもいいことというものは必ずしもあるのだ。
 きっと茅都くんが今考えていることはわたしは知らなくてもいいこと。
 ならば、わたしが取るべき行動はただひとつ。
 心の声を聞かないように意識を他のことに集中させることだ。
 わたしは心の声を聞かないようにする方法を中学生でやっと覚えた。
 誰かと話したりしているとどうしても相手の行動を先読みして、いつでも最善を尽くすことに必死だったのだ。
 誰かと一緒にいるのも疲れてしまったとき、読書など誰にも関わらずにできることをすればいいとわかった。
「人生、損得だけで生きていくのは難しいと思うのは僕だけなのかな?」
 茅都くんは首を傾げた。
「……それは難しい質問ね。わたしはいつも得をするほうを選んで生きてきたつもりなのだけれど……ほとんど損に終わることもあったのだけれど」
 わたしは肩をすくめた。
「それは人それぞれ考え方が変わるね。妃翠のいう損が実は別の視点から見れば得だったりするかもね。……その逆も然りって感じだけど」
 わたしは茅都くんの意見に大きく同意した。
 それからしばらくテレビを見ていた。
「ふわぁ~」
 わたしが大きなあくびをすると茅都くんはくすっと笑った。
「そろそろ寝る?今日はたくさん泣いたから疲れちゃったでしょ?」
 人というのは泣くという行為に意外と体力を使うものなのだ。
「そうね……今日はたくさんうれし泣きをしたわ……ありがとう、茅都くん」
 わたしは茅都くんに抱きついた。
(──不意打ちはずるいな。本当に妃翠って小悪魔なんだよな)
 小悪魔と聞こえ、わたしはうららちゃんの顔が脳裏によぎる。
 わたしはうららちゃんに一歩近づけたと解釈し、推しに近づけたことにこの上ない喜びを覚えていたのは茅都くんには内緒。 
 ソファーから茅都くんが立ち上がった。
 わたしも自分のベッドへ向かおうと立ち上がるとひゅっと宙に浮いた。
「え、えぇ⁉ちょ、ちょっとなにをしているのよ!降ろして⁉」
 わたしは茅都くんにお姫さま抱っこをされていた。
 こんなことするのはわたしが熱を出したとき以来だろうか。
 あのときは意識もふわふわしていたのであまり覚えていないがいざ意識がちゃんとある中でされるのは恥ずかしい。
「降ろしたら意味ないでしょ。ほら、行くよ」
 茅都くんはわたしを持ち上げたまま、階段を上った。
「かなり筋肉あるのね……わたしを持ち上げたまま移動できるなんて」
「……僕をなんだと思ってるの?」
 なんて言われ、わたしと茅都くんはくすくすと笑い合う。
 二階につき、わたしはやっと降ろしてもらえると思っていたがそれは間違っていたようだ。
「えっ?あの、わたしの部屋通り過ぎたのだけれど……?」
 わたしが問うと茅都くんは当たり前かのようにわたしを茅都くんの部屋へと連れ込んだ。
「うん。今日は一緒に寝ようよ」
 今、確かに爆弾が落とされた気がする。
 わたしは勢いよく首を横に振った。
「む、無理よ……!心の準備ができてないわよ⁉」
 一緒に寝るなんて誰ともしたことがないのに。
「平気平気。ほら、こっちおいで?」
 茅都くんの甘い声に誘惑され、わたしは布団の中にもぐる。
「こーら。出て来て?妃翠の顔が見えない」
 わたしは恥ずかしさに耐え切れず布団にくるまったまま。
(──こんな日が来るなんて夢にも思わなかったな。耐えきれるかな、こんな可愛い妃翠を前にして)
 とてつもなく心の声が甘すぎてわたしの心臓が爆発してしまいそうだ。
「……ぅ」
 わたしは小さく唸り声をあげて、ひょこっと布団から顔を出す。
「こうやってくっついて寝よう?」
 茅都くんはわたしの腕をぐいっと引っ張り、わたしたちの距離はほぼゼロに近いだろう。
 茅都くんの心音が聞こえる。
 トクッ……トクッ……とその音が聞こえるたびにわたしはここから逃げ出したくなる。
 それは嫌な気持ちではなく、緊張と恥ずかしさなど様々な感情が混ざり合っているからだ。
「……妃翠?どうしたの、そんなに僕のパジャマ掴んで」
 わたしは自分の手の位置を確認する。
 片手は自分の胸の前、そしてもう片方の手は茅都くんの胸元をクシャッと掴んでいた。
 きっと無意識のうちにしてしまったのだろう。
「え、あっ……ご、ごめんなさい」
 わたしは慌てて手を離そうとするが茅都くんの手がそれを阻止した。
「いいじゃん。なんか妃翠が積極的だね」
「そんなことないわよ!」
 茅都くんはわたしの手を離し、わたしの腰に腕を回した。
 なんだろうか、すごく安心する。
 誰かの温もりを感じられることに感動を覚えていた。
 わたしはいつの間にか意識を手放していた。
 翌朝、ぎゅっと誰かに抱きしめられている感覚で目が覚めた。
「……⁉」
 昨夜は茅都くんの一緒に寝たのだった。
 昨日の出来事を振り返り、顔に熱が集まっていくのがわかる。
「おはよう、妃翠。昨日はちゃんと眠れた?」
「ええ……超熟睡だったわ。なんでかしら、茅都くんの全部が温かくて……安心したのよ」
 わたしははにかんだ。
「そう?僕が妃翠の居場所になるから。妃翠が……安心していられる場所に僕がなるよ」
 そう言って茅都くんはわたしの唇に熱いキスを落とした。
「……すでにわたしの居場所になっているわよ?」
 わたしは茅都くんに自分からキスをした。
 予想通り茅都くんが満足そうだったのは言わなくてもわかるだろう。