ヴィアザの怪我が完治したのは、それからさらに二月後だった。
 ――捨てずに取っておくか。
 ヴィアザは夜空を一瞥し、看板を受付中にひっくり返して中に戻る。
 それからしばらく、煙管を片手に煙草を喫いながら、依頼はくるのだろうかと思っていた。

 一時間が経過したころ、ドアを叩く音が聞こえてきた。
「開いている」
 ドアを開けて入ってきたのは、一人の少女。
 継ぎ()ぎだらけの服を着ていたので、貧困街の者だろうと思った。
 少女は無言で、空いていた椅子に座ると、テーブルに銅のコイン五枚を置いた。
 歳は八歳くらいか。歳に似合わぬとても暗い目をしていた。
「〝闇斬人(やみきりびと)〟ってあなたのこと?」
「そうだ。依頼内容は?」
「若い人達を暗殺者にするために、指導している〝フィータ〟という組織を潰して」
「どこでその情報を手に入れた?」
「組織から逃げてきた。人を殺すことが強者だなんておかしい。普通に暮らしたいだけ。これが全財産。安すぎるのは分かってる。でも、こうしないとあいつらを潰せないから」
「その組織ならアジトも知っている。決行は明日の夜。明後日の朝に、またこい」
 少女はうなずくと、家を出ていった。

 ヴィアザはその後、煙管を置いて火の始末をすると、刀を帯びて外に出た。
 貧困街を歩いていると、見慣れた背中を見つけた。
「セリーナ」
「どうしたの?」
 セリーナが振り返った。
「今夜はそれくらいにしておけ。話がある」
「分かったけれど、ちょっと待って」
 セリーナは前方に視線を戻し、一人の男を殺した。
「ん」
 血を()き散らしながら死んだ男を見つつ、ヴィアザはうなずいた。
「お終い。それでなに?」
「ひとまず家にきてくれ」
「分かったわ。本当はもうちょっと見回りたかったけれど」
「無理してやることはない」
「そうかもしれないけれど。やらなきゃって、思ってるの」
「俺じゃあないんだから、無理をするな。ちゃんと身体を休めた方がいい」
「分かったわよ。自己満足で続けていたのは確かだし、終わりがないのも分かってたからね」
 話している間に隠れ家に着いた。


「……依頼が入った」
 家に入って向かい合わせで座ると、ヴィアザが口を開いた。
「そうなのね」
「依頼人は貧困街に住む八歳くらいの少女。依頼料は銅のコイン五枚」
「その子にとっては、大金よね」
 ヴィアザはその言葉にうなずきながら、言葉を続けた。
「ある組織を潰してほしいと言われた。聞いたことないか? 〝フィータ〟という名を」
「ある」
「少女はその組織から逃げてきたようだ。人を殺すことが強者なんておかしい、普通に暮らしたいだけだとも」
 ヴィアザは低い声で言った。
「一般街ならまだしも、貧困街で普通に暮らしたい……難しいわね」
「無理だろうが。貧困街は命が無慈悲に奪われる場所。セリーナのように強くなければ、生きることすら赦さない」
 ヴィアザは突き放すように吐き捨てた。
「そうね。依頼人は、まだ知らないのね」
「そうだ。貧困街がどれだけ、闇に染まっているか。……決行は明日の夜だ」
「分かったわ」
「今夜は誰も殺さず、まっすぐ帰れよ」
 その言葉にセリーナは苦笑した。


 決行日当日の夜。
 ヴィアザは黒のスラックスを穿きと同色の革靴を履いた。黒のワイシャツを新しいものに換え、袖を通した。両手に黒の手袋を嵌めて、右腰に刀を帯び、その上からマントを羽織った。フードは目深に被った。
 準備を整えると、ヴィアザは隠れ家を出た。


 そのままセリーナがいるテントに顔を出し、二人で肩を並べて、ターゲットである〝フィータ〟のアジトに向かった。
 アジトは貴族街の、廃墟。朽ちた木を退かすと、地下へと続く階段を見つけた。
「いくぞ」
 セリーナがうなずいたのを見ながら、ヴィアザは階段を降りた。
 長い階段を抜けると、広い場所に出た。
 そこには様々な武器を片手に練習をしている男女が大勢いた。歳は大体十代から二十代くらいか。
「見ない顔だな。なにをしにきた?」
 近くまできた男が胡乱(うろん)げな目で、睨みつけてきた。
「ここを潰しにきた。誰も生かすつもりはないからな?」
 ヴィアザは抜刀した。
 濃藍の刀身がぎらりと光った。
「なんて刀だ……」
「見惚れている場合じゃないだろうに」
 ヴィアザは男の心臓を刺し貫いた。
 どさりと骸が倒れた。
「ちょうどいい! 潰せるもんなら、やってみろっ!」
 奥から出てきた一人の男が言い放った。
「貴様は誰だ」
「ここの元締めみたいなもんだ。全員倒せたら、相手してやる。ほら、お前達! そこの二人を殺せ!」
 その声で、数多くの殺気が二人に向けられた。
 それを感じ取ったヴィアザとセリーナは、一切動じることなく、それぞれの武器を構えた。
「おらああっ!」
 一人の男がヴィアザに突っ込んでいった。
 男の剣を受け止めて、ヴィアザは冷たく(わら)った。
「軽いな。それに、足りないんだよ」
 ヴィアザは言いながら、男の剣を弾き返した。
「なにがだ!」
 男が腹を立てながら、剣を振り下ろしてきた。
「他人の命を奪ってもなお生きる、覚悟。軽い気持ちで人を殺すのなら、そんな真似しない方がいい。命を奪うことは簡単だ。その先にある絶望に耐えられないのであれば、やめておけ。人間は自分のことが可愛いんだろ?」
「その言い方……誰だ、お前はっ!」