ヴィアザが苦笑した。
「うーん、上半身から先に処置するから、大人しくしていてね?」
「分かった」
「あーあ、キリがないけれど、仕方ない。念のため傷を洗うから」
 ニトは濡らした布を手にして、背中の傷を撫でていく。
 布はすぐ赤くなったが、ニトは構わず手を動かし続けた。
 固まってこびりついていたものを、綺麗に取り除いた。
 背中が終わると、右肩に移った。
 少し顔をしかめながら、傷を拭っていく。
 洗面器に入った水で布を何度も洗い、胸の斬り傷を撫でていく。それが終わると、心臓付近へ。
「心臓を刺されてるのに、急所じゃないことが驚きだよ」
「そうだな」
 その言葉に苦笑したヴィアザが、ぼそっと言った。
 刺し傷を拭い終えると、腹へ移動し、丁寧に傷を拭っていった。
「拭うだけでも、一苦労だよ」
 ニトはぼそっと言い、傷すべてを縫った。次に、右肩と胸と心臓の傷に布をあてた。同じように固定すると、腹を覆った。
 それが終わると、包帯を手に、上半身を覆った。すぐに布が赤くなっても構わず、巻いていった。
「右腕も酷いね」
 ニトは呟くと、別の布を取り出して、真っ赤になった水を入れ替え、右腕の傷を拭い始めた。ニトは無言で手を動かし、右腕と掌の傷を拭い終え、傷を縫い、薄手の布をはりつけて、固定した。手早く包帯を巻き、端をぎゅっと縛った。
「終わり。全治二月(ふたつき)くらいかな。大人しく休むんだよ? 依頼は受けちゃダメ!」
「分かった、分かった。……ほら」
 ヴィアザはマントとワイシャツを着ると、ニトに金のコイン一枚を渡した。

 セリーナが待つ部屋へ足を向けた。
「痛いよね」
 セリーナが駆け寄ってきて言った。
「大したことはない」
「なに言ってるの! 大したことあるよ!」
 ニトが頬を膨らませた。
「ちゃんと、休ませますから」
「よろしくね。誰かがいないと、勝手なことしそうだから」
「俺は子どもか」
「違うけれどね。放っておけないのよ。多分ニトさんも」
 ヴィアザは左手で頭をガリガリと掻いた。
「じゃあ、あたし達はこれで」
「気をつけてね」
 ニトの言葉にうなずいたヴィアザは、セリーナとともに医務院を出ていった。


 外に出るともう夜が明けていた。
 ヴィアザはフードを目深に被り、隠れ家の近くに、人影を見つけた。
 近づいていくと、老女が家の前で待っていた。
「ちゃんと、殺してくれたようだねぇ。ほら、金だよ」
 ヴィアザは無言で老女から金のコイン十五枚を受け取った。
 歩き去っていく老女の背中を一瞥した。

 ひとつ息を吐くと、隠れ家の中に入った。
「……着替える」
 ヴィアザは金のコインを金庫に放り込むと、椅子に座っているセリーナに向かって言った。
「うん」
 セリーナは、自分の膝に視線を落とした。
 衣擦れと軋む音を聞きながら、ヴィアザは手早く着替えた。
 黒のワイシャツに袖を通してボタンを適当に留めると、黒の手袋を両手に嵌めた。日の光が入ってこないことを確認して、刀はテーブルに立てかけ、ベッドに座った。
「終わったぞ」
「少しでも休まないと」
「分かったよ」
 ヴィアザは溜息を吐きながら、左腕を下にしてベッドに寝転んだ。
 セリーナが立ち上がり、二(ちょう)のリヴォルバーをホルスターごと外して、テーブルに置くと、ベッドに腰かけた。
「どうした?」
 ヴィアザが顔を少し上げて、セリーナを見つめる。
「痛かったね。お疲れ様」
 セリーナは泣きそうになりながら、ぽつりと言った。
「大丈夫だ。これくらいの……」
「大丈夫なわけがないでしょ! あんなに怪我して、ボロボロなのに! 痛いはずなのに、全然顔に出ないし!」
 セリーナは泣きながら怒った。
「すまない。なかなか変えられないんだ」
 ヴィアザは静かな声で言った。
「まったく! 肝が冷えたわよ!」
「悪い」
 ヴィアザが謝った。
「痛いでしょう?」
「……今まで散々怪我をしてきたが、多分一番、痛い」
 ヴィアザは言葉を絞り出した。
「あれだけの怪我をしたんだもの」
 セリーナの言葉に、ヴィアザは無言でうなずいた。
「痛みが引かない限り、眠れもしないだろう」
「話すのは、辛くない?」
「それだけなら、大丈夫だ」
「よかった。ねぇ、ヴィアザ」
「どうした」
 ヴィアザがセリーナに視線を向けた。
「本音を教えて。独りで痛みを引き受け続けること、どう思っているの?」
「俺にできることはそれしかない。痛みに対しては、大分鈍くなった。俺はもう、痛みを引き受けると、覚悟を決めてしまった。それがどんなに酷いものでも、な」
 ヴィアザは低い声で言った。
「本当に、哀しい覚悟だわ。ボロボロなのに、そこは変わらないのね」
「そうだ」
 泣いているセリーナを見て、胸が締めつけられるような気持ちになった。
「なんで、そんな顔をしてるのよ」
 泣きながらセリーナが言った。
「泣いているセリーナを、見ていたくない。……と言っても、無理な話だよな」
 ヴィアザは言いながら、溜息を吐いた。
「ヴィアザ」
「なんだ……っ!?」
 ヴィアザは目を(みは)った。
 セリーナが身体を横にして、ヴィアザの胸に飛び込み、額を押し当ててきたからだ。
「バカ……! 痛くて苦しくて、辛くて。そんななのに、無表情でさ! 誰も、隠せ、抑え込め、なんて言っていないのに……!」
 セリーナは泣きながら、ワイシャツをぎゅっとつかんだ。
「その通りだよ。すべてを抑え込んで、平気なフリをし続けている。そんなの、俺が望んだことじゃあない。だがな、心に巣食い続けている闇に抗うには、それしか、それしかなかったんだ」