男は近くに落ちていた剣を握って、自分の腹に突き刺した。
「がああああっ! こんなに痛いのに、なんで、死ねないんだよっ!」
 男は震えた。
「お前はここで死ぬことにしたんだな」
 その声は、男には聞こえていなかった。
「うううううっ!」
 がたがたと震える手に力を込めて、少しずつ剣を深く突き刺していく。
 しばらくして背中まで貫通したのが分かると、男は口から大量の鮮血を吐き出した。
 ゆっくりと、剣を引き抜きにかかった。
 腹では痛いだけで、すぐに死ねないと思ったのかもしれない。
 荒い息を吐きながら、少しずつ確実に、剣を引き抜こうとする。
 それから十分後、剣を抜き切った男は、心臓に剣を突き刺した。
 激しい痛みとともに、意識が持っていかれそうになる。
 ――ちゃんと死ななければ。
 男は心臓をやっとの思いで貫通させ、その瞬間、骸となった。
「……終わったか」
 ヴィアザは言いながら骸に近づき、ぞんざいに蹴り飛ばした。
「死んでいる。あれだけの苦痛の中で、よくできたものだ」
 ヴィアザは鼻で(わら)うと、惨劇と化した部屋を出ていった。


「絶対怒られるわよ」
「依頼があったんだ。仕方ない」
 帰り道、セリーナの言葉にヴィアザは苦笑した。
「それにしても酷い傷ね。数も多いし」
 医務院の前に着いたヴィアザは、中に入っていった。


「なんで毎回血だらけなのさ!」
 入るなり、ニトが頬を膨らませた。
「頼む」
「しょうがないな。ちょっと待っていてね」
 セリーナはうなずいた。

()せてって……なんでこんなに怪我してくるの!?」
 ヴィアザはマントとワイシャツを脱いた。
 上半身には三十か所ほどの刺し傷があり、腹と右胸は刺し貫かれている。
 右手こそ傷を負っていないものの、腕からの鮮血で真っ赤に染まっていた。
「子ども十五人に一斉に、攻撃を二度受けたからな」
「冷静でいる君が、逆に怖いからね?」
 ニトの言葉にヴィアザは苦笑するしかない。
「頼む」
 ヴィアザの声を聞いたニトは、血を落として、傷がどこなのかをはっきりさせ、ひとつずつ傷を縫い始めた。すべての傷を縫うのに、かなりの時間がかかった。縫った傷の上に薄手の布を大きく切って、胸から腹にかけてあてる。背中も同じようにすると、包帯をきっちり巻きつけた。両腕の傷すべてを縫って、薄手の布で覆い、包帯を巻いた。右手を見たニトは、傷が塞がっていることに気づいて、安堵した。
「今度依頼を受けたら、傷が開くからね?」
 慣れた手つきで包帯を巻きつけると、ニトが告げた。
「分かったよ。ほら」
 ヴィアザは苦笑しながら、金のコイン一枚を支払った。
 ニトが受け取ったのを見て、ヴィアザはワイシャツとマントを着て、黒の革手袋を嵌めた。丸椅子から立ち上がり、金のコインを渡し、セリーナが待つ部屋へ歩き出した。
「まったくもう!」
 ニトがぷんぷんと怒りながら、後に続いて部屋に入ってきた。
「あ、どれくらいで治る?」
「十五日くらいじゃないかな」
「……長いな」
 ヴィアザがぼそっと言った。
「一回の依頼で、三十か所も怪我をしてくる君が悪いんだよ?」
 ニトはキッとヴィアザを睨んだ。
「悪かったな。じゃ」
 ヴィアザはスタスタと歩き出した。


「今度こそ、ちゃんと休むのよ?」
 帰り道、セリーナが言った。
「ああ。すっかり言いそびれていたが、持ちかけられた話、受けるよ」
「これから、あらためて、よろしくね?」
 セリーナは笑みを浮かべた。

「着替える」
 セリーナは椅子に座り、自分の手に視線を落とした。
 衣擦れの音を聞きながら、セリーナは思う。
 ――生きるために、人を殺すしかなかった。逃げることは赦されなかった。普通に生きたいと思っても、それ自体が叶えられない願いだと、幼いころに悟った。命がバカみたいに軽く扱われる貧困街。命を奪われる、また命を奪う。そんなことこの街じゃ、当たり前。望んじゃいない。けれど、生きたいから渋々、手を汚してきた。

「どうした?」
 ヴィアザの声で、現実に引き戻された。
 顔を上げると、ワイシャツを羽織ったヴィアザと視線がぶつかった。
 ワイシャツの隙間から覗く包帯が、痛々しく見える。
 しかし、本人はそれを気にしていないようだ。
「ちょっと昔のこと、思い出していたの」
 セリーナは苦笑して言った。
「なあ、俺の通り名はどこで知った?」
「だいぶ前に、騒いでいた連中を見ていた人から、聞いたの。あなたの通り名を。きっと、そいつの仕業だって」
「そうか」
「こんなにいい男だとは思っていなかったけれど」
 セリーナが笑いながら言った。
「それからもうひとつ。お前のことが知りたい。……ようは、昔のことさ」
「いいけれど、横にならなくて大丈夫?」
「辛くなったら壁に寄りかかる」
「いや、そういうことじゃなくて」
 セリーナは思わず突っ込みを入れた。
 ヴィアザはベッドに座った。
「これなら、いいだろ?」
「……まあね」
 セリーナは苦笑した。
「それで、どこから話してくれるんだ?」
「あなたに出会う直前の話」
 セリーナは遠い目をした。


 セリーナは貧困街を歩いていた。
 散歩という名の見回りだ。
 ここは無法地帯。誰かが襲われていても、死んでいても不思議ではない。
 セリーナは弱者を救うために、見回りをしている。