舞台は、サラザーナ王国。四季が存在し、巨大な城を中心に城下町がある。周りを取り囲むように、貴族街と一般街がある。そのさらに外側には貧困街。街ごとに掟が存在する。城下町は、繁栄こそすべて。貴族街は、家を誇れ。一般街は、生きていることに感謝。そして、貧困街は――。


 春になり始めたある日の夜、貧困街にある小さな酒場で、一人の男が酒を頼んだ。カウンターに座る男は、二十八歳くらいか。近くに武器を置いているからか、用心棒か、剣士に見える。
 無造作な黒髪は首のあたりで切られている。目の色は真紅で、瞳孔は黒で縦長。蛇のような吊り上がった目をしている。シャープで端正な顔立ち。高めの鼻梁に、薄い唇。肌が異様に白く、節くれ立った細長い指で木の杯を持っている。
 背は一八〇センチほどと、かなり高い。服装は、ワイシャツに細身のズボン。足首までの長いフードつきのマントを羽織っていて、革靴を履いている。それらはすべて黒だ。視線を落とすと、一振りの剣か刀がある。だが、(つば)がない。

 そこへ二人組のゴロツキがやってきた。
「一人で呑んでるのか」
 馴れ馴れしく声をかけられた。
「おお? どんな武器を使うんだ?」
 片方のゴロツキが、武器に手を伸ばした。
 男がその手を払うように、強く叩いた。
「なにすんだよ!」
「貴様のような者が、触れていいものではない」
 その声は低く、冷え切っていた。
「あんた、名は?」
「貴様らなんぞに、名乗りは不要だ」
「バカにしてるのか、てめぇ!」
「だったら、なんだ?」
 男が溜息(ためいき)()いた。
「ちょっと痛い目見せてやる!」
 ゴロツキ二人が、粗末な短剣を手に、襲い掛かかる。
 男は両腕を構えて、その刃を受け止める。あまりに質の悪い短剣だったためか、生地ですら斬れなかった。
「このっ!」
 いくら力を込めても、びくともしなかった。
「おわああっ!」
 左側にいる男の足を払って転ばせ、派手に体勢を崩した男の頬を、左手で殴りつけた。
「ごふっ!」
「な、なんだよ、こいつ……! 逃げるぞ!」
 ゴロツキ二人は、逃げ出した。


「騒がせて悪かったな」
「あの程度ですんで、よかったよ」
 酒場の(あるじ)が苦笑した。
「ああいうのは、追い払うのが一番だ」
 男は木の杯で、酒を呑む。
「お前さん、剣士なんだろ?」
「まあな」
 男は苦笑しつつ、木の杯をかたむけた。
「剣士の中には、通り名を持つ者がいる。とても強いんだと。無名のままで終わりたくはないだろう?」
「なぜ、俺にその話を?」
 男は酒場の主に目をやった。
「なんというか、こんなところで酒を呑むだけじゃ、終わらないというか、勿体(もったい)ないというか。あの二人組にも動じなかったし」
「くくっ。ここじゃ、ああいう連中に絡まれるのは、よくあることだと思うが?」
 男が喉の奥で(わら)った。
「まあな。たいていそれが原因で、金目のものなんかを、()られたりするんだがな。撃退するのは、初めて見た。……この国の中心に近づけば近づくほど、いい暮らしが本当にできるのかねぇ」
 手を動かしながら、酒場の主が呟いた。
「さてな。俺は今のままで構わんが」
「なんでだよ? 誰だって、とくにここにいる連中は、それに憧れるだろ?」
「俺は今のままがいいと思っている。叶えられない願いが増え、それに振り回されるのはごめんだ」
 男は低い声で吐き捨てた。
「変わり者だな、あんた」
 男は薄く笑った。
「そう言われても仕方ないか」
 男はただ苦笑を浮かべる。
 しかし、その間にも彼が纏う、殺伐とした雰囲気が消え失せることはない。
 その背を見た者は、誰もが思う。この男には近寄らない方がいい、と。