「もしかしてお酒に近い、それ以上に気持ちの興奮(こうふん)鎮静(ちんせい)幻覚(げんかく)作用のある物質を体内に取り込んでいるのでは」

 私が言うと、パメラとラーバスは顔を見合わせた。

 しかし私はこの問題──死霊(しりょう)病に対して、かなり人の悪意が(およ)んでいることを感じていた。

 何者かが意図(いと)的に、巧妙(こうみょう)に人を苦しめている……?

 ◇ ◇ ◇

 リースマン氏はよろよろと芝生(しばふ)広場を立って、公園を出ていってしまった。

「知らない人に会って(つか)れてしまったのでしょう。彼は家に帰ると思います」

 ラーバスは言ったが、パメラは「あたしを(おそ)っておいて(つか)れたはないもんだ」と怒っていた。

 グール()──いや、死霊(しりょう)病になった人間は記憶があるのだろうか?

 それも疑問だが……。

「彼らの食事を知りたいのです。それがこの事件の鍵になります」

 私がラーバスに言うと、彼は深くうなずいた。

「口で話すよりも実際に患者(かんじゃ)の家に行ってみましょうか。近くにデアーチェ・ロゼタンという六十歳の婦人(ふじん)がいます。彼女はグール()したことはあるが、回数は少ないはず。昼間は危険性が比較(ひかく)的少ないと思われるが……。彼女の家に行ってみましょう」
「ラーバス先生、私はゴランボス先生の様子を見てきます」

 ポレッタが言うと、ラーバスはため息をついて「頼みます。ゴランボス先生を怒らせるとお金が入ってこないですからね」と言った。

 やはりゴランボスという人は、この街にとって重要な人物なのだ……。

 ◇ ◇ ◇

 私たちはジャッカルと合流し、デアーチェ・ロゼタンさんの家に向かった。

 ジャッカルがブツブツ言った。

「おいおい、俺、グールになりそうな女の家に行くなんて嫌だぜ」
「いいからさっさと来な。危険な目にあったら(たて)になるヤツが必要なんだから」

 パメラはジャッカルに言った。

 ──比較(ひかく)的きれいな白いモルタルと石作りの家が川の前にあった。

 これがデアーチェ・ロゼタンさんの家か。

 中に彼女はいるのだろうか?

「デアーチェさん」
 
 私たちはそう呼びかけつつ、玄関のベルを鳴らした。

 しかし反応がなかったので、「お邪魔します」と言ってそっと彼女の家に入った。

 (とびら)(かぎ)はかかっていなかった。

 ──年配の女性が椅子(いす)に座って猫をなでている。

 目の焦点(しょうてん)が合っていないが、ほのぼのとした光景だ。

 しかし!

 彼女は突然立ち上がり──いきなりパメラ目がけて飛びかかってきた。

「う、うわああああ! まただ!」

 パメラが背中から抱きつかれた!

 デアーチェさんは衣服を着ていたが、(はだ)が紫色で爪が長く伸びていた。

 口には(きば)が生えている。

 グール()だ!

「くそ、昼間のグール()現象か!」

 ジャッカルがデアーチェさんを後ろから(かか)え、床に投げ飛ばした。

 しかしデアーチェさんは立ち上がろうとしている。

「近づかないで! デアーチェの爪で引っかかれたら『病原体(ビボス)』が入るぞ!」

 ラーバスはそう叫んで呪文を唱えた。

 するとデアーチェさんは途端(とたん)に床に倒れ込んで寝てしまった。

 ──強制睡眠(すいみん)魔法だ。

「もう、最低!」

 パメラはわめいている。

 ふう……だけど誰にも怪我(けが)がなくて良かった。

「彼女の食事はこの水分ですか?」

 水が入った(びん)、牛乳の(びん)が床に転がっている。

 机に置いてあったようだが、さっきの(さわ)ぎで倒れてしまったようだ。

 デアーチェさんは床にごろんと寝てしまっているままだ。

「グール化《か》した人たちは固形物を一切食べないですね。食事は水分だけです。栄養が不十分なので心配ですが、固形物の食事を受け付けないので仕方ないですね。あ、それと……」

 ラーバスは注意するように言った。

(びん)には一切(さわ)らないように」
「おっ! 赤ワインだ!」

 ジャッカルが(うれ)しそうに声を上げた。

 見ると机の横に赤ワインの(びん)が置かれている。

 (びん)に貼られているラベルを見ると「赤ワイン」と書いてあるが、(びん)は銀色で非常に珍しい。

 口は開いているが中身はたっぷり入っているようだ。

 コルクは無いようだが……。

 ということはかなり酸化(さんか)して()っぱくなっているはず。

「よさそうな葡萄(ぶどう)酒じゃないか」
「き、君! (びん)(さわ)るなと言っているでしょう!」

 ラーバスはジャッカルに注意したが、彼は少し赤ワインを手に出してなめてしまった。

「ちょっと味をみるだけだって。……おや? ものすごく甘いぞ。『エード』みたいだ」
「えっ? ものすごく甘い?」

 私は首を(かし)げた。

 それはおかしい。

 赤ワインは酸化(さんか)すると()っぱくなるはずだ。

 私もこの赤ワインを少しなめてみた。

 ちなみにエードとは柑橘(かんきつ)類などの果汁に、砂糖や香料で味をつけた飲料だ。

「アンナ! 君まで……」

 ラーバスは声を上げたが味をみてみないと始まらない。

 少量だ、問題はない……と思う。

「この味は……!」

 甘い……赤ワインにしては驚くほど甘いといえる。

 何か嫌な予感がする。

「甘すぎる葡萄(ぶどう)酒に注意せよ」

 聖女医学の教えにそうあったことを思い出した。

 ……そ、そうか!

「私はさっき『お酒に近い、気持ちの興奮(こうふん)鎮静(ちんせい)幻覚(げんかく)作用のある物質を体内に取り込んでいるのでは』と言いました」

 私は皆に言った。

「しかしそれは完璧(かんぺき)推理(すいり)ではありませんでした。──分かりました。死霊(しりょう)病の正体が」
「ほ、本当ですか?」

 ラーバスは目を丸くした。

 私はそれにうなずいた。

「それをお話するために、いったんこの家を出ましょう。新品のこの赤ワインと同じものを手に入れてからご説明します」

 私は死霊(しりょう)病の発生は、ある者が意図(いと)的に行った非人道(ひじんどう)行為(こうい)だと確信した。