聖女と騎士団長様の楽しい濡れ衣逃避行生活~婚約破棄と指名手配から始まる愛の癒やし旅。病気の人を魔法で治癒します~

「もうお前とは一緒にいられない! お前との婚約(こんやく)破棄(はき)する!」

 グレンデル城の誕生日パーティー会場の大ホールに、デリック・ボルデール王子の声が(ひび)いた。

 にぎやかな王族や貴族たちのお(しゃべ)りが、初夏(しょか)夕立(ゆうだち)のようにピタリと止まった。

 今日はデリック王子の誕生日パーティーだった。

「な、なぜでございましょう。私は王子を愛しておりますのに」

 私──アンナ・リバールーンはデリック王子にそう(うった)えた。

 涙が止まらなかった。

 私は二十一歳の聖女だ。

 一方のデリック王子は今日、二十三歳になった。

 彼は背が高く顔立ちは整っており、女性なら誰もがあこがれるような男性だ。

 私の背中には──パーティー会場にいる王族や貴族たちからの、氷の(’やいば)のような冷たい視線を感じる。

 残念ながら、私は平凡(へいぼん)な平民だった。

「私との婚約(こんやく)破棄(はき)するなんて……。理由を教えてください。なぜ?」

 私はすがるように王子の手を取った。

(だま)れ、アンナ!」

 しかし彼は私の手を振り(はら)ったのだ。

 私はそのはずみで床に転んだ。

 まるで道端(みちばた)に捨てられた子犬のように情けない姿だ。

「別に理由なんてないさ。お前に()きただけだ」

 王子はそう冷たく言って、ワイングラスを手に取るとワインの(にお)いをかぎつつ私を見下げた。

 私は本当に今、婚約破棄(こんやくはき)を告げられたのだ。

 彼の言葉が、耳の中で(うず)となっている。

 ああ……何てこと。

 デリック王子をあれほど愛し、()くしてきたのに。

「いい加減、すがりつくような目で俺を見るのはやめろ!」

 デリック王子は舌打ちをした。

 私は普段、このグレンデル王国の病人や怪我人を、魔法の力で(いや)す仕事をしている。

 これが聖女の仕事だった。

 ──二年前、デリック王子が剣術の稽古(けいこ)重傷(じゅうしょう)を負った。

 私は王子の執事(しつじ)に依頼され城に出向き、デリック王子の怪我を治癒(ちゆ)魔法で治した。

 そのときから、私とデリック王子との仲は急速に深まっていったのだが──。

「ねえ! いい加減こんな女、ほうっておきましょうよ」

 私の後ろから剣で()()すような女性の声がした。

 女性は王子の前に出て、彼にしなだれかかった。

 ジェニファーだ!

 王子にしなだれかかったのは、大貴族の娘、ジェニファー・ベリバーク。

 金色の輝くドレスを着て、美しく長い栗色(くりいろ)の髪の毛をなびかせている。

 ドレスには物を燃やし()くしてしまうような真っ赤なブローチをつけていた。

 学生時代、私はジェニファーと一緒のクラスだった。

「何? まだいるの、アンナ」

 ジェニファーは(まゆ)をひそめ、私を虫でも見るように見て言った。

「私とデリック王子は、三ヶ月前から付き合っているの。明日、婚約《こんやく》するのよ」
「ええっ……三ヶ月前から?」

 私は驚いて声を上げた。

 デリック王子は私の顔をまともに見ない。

 だんだん理解してきた。

 なぜ私が婚約破棄(こんやくはき)されたのかを。

 私は思い切って言葉にした。

「デ、デリック王子、まさか、ジェニファーと浮気を……」
「え? 浮気? あ、ああ。そ、そうとも言うかな」

 デリック王子は咳払(せきば)らいをして言った。

 王子の「浮気」という言葉に、周囲の野次馬がざわめく。

 彼は私と婚約(こんやく)していながら、三ヶ月前からジェニファーと浮気をしていた……。

 私は平民だ。

 結局は、身分の高い美しい女性にはかなわぬ運命なのだ……。

「もう分かったろう? 俺はジェニファーと婚約(こんやく)するつもりなんだ」

 彼はそう言って、悪びれもせず再び口を開いた。

「まあ、浮気していたことは悪かったさ。まあ、その代わりと言っちゃなんだが、牢屋にいる囚人(しゅうじん)をお前にやろう。奴隷(どれい)()し使いとして連れていけ」

 は?
 
 わ、私に囚人(しゅうじん)を?

 聖女の私に囚人(しゅうじん)を押し付けるなんて……!

「さっさと囚人(しゅうじん)を連れて城から出ていきなさいよ! アンナ!」

 ジェニファーは私に向かって怒鳴った。

「あんたには牢屋(ろうや)の中の囚人(しゅうじん)がお似合いよ! この平民が!」

 私はジェニファーに靴先(くつさき)()られた。

 この囚人(しゅうじん)が、私の人生を一変させてしまうとはこのとき思いもしなかった。

 ここから私の冒険(ぼうけん)が始まる──!
 私はアンナ・リバールーン。

 婚約(こんやく)相手のデリック王子から、婚約(こんやく)破棄(はき)を言い渡された。

 そして彼はこう言った。

「まあ、浮気していたことは悪かったさ。まあ、その代わりと言っちゃなんだが、牢屋にいる囚人(しゅうじん)をお前にやろう。奴隷(どれい)()し使いとして、連れていけ」

 聖女の私に囚人(しゅうじん)を押し付けるなんて……!

「さっさと囚人(しゅうじん)を連れて城から出ていきなさいよ! アンナ!」

 私はジェニファーに靴先(くつさき)()られた。

 ◇ ◇ ◇

 私はジェニファーに()られたあばら骨に痛みを感じながら、牢屋(ろうや)番の若い男性兵士、ジム・ロークについて行った。

 私たちはグレンデル城の地下に降りた。

 廊下(ろうか)に取りつけられたランプの光が、燃えるように光っていた。

「王子がおっしゃる囚人(しゅうじん)はこちらです」

 ジムが歩きながら言うと、私は(しぶ)い表情で口を開いた。

「あの、私は囚人(しゅうじん)をもらい受けるなど……。ご遠慮(えんりょ)したいのですが」
「デリック王子の言いつけです。あなたに拒否(きょひ)されると私も困ります。とにかく囚人(しゅうじん)とお会いになってください」

 ジムはそう言ったが、私はすぐに聞いた。

「一体、その囚人(しゅうじん)は何者なのですか?」
「私が説明するより、会ったほうが早いでしょう。さあ、牢屋(ろうや)の中に『ウォルター・モートン』がいます」

 ジムと私は牢屋(ろうや)の前に立った。

 鉄格子(てつごうし)がはめられた、大きな牢屋(ろうや)が目の前にある。

 その鉄格子(てつごうし)の奥には、薄汚れたベッドと机があった。
 
 そしてそのベッドには、白いシャツを着た青年が座っていた。

 彼が囚人(しゅうじん)のウォルター・モートン……。

 おや? どこかで聞いた名前だな……。

「彼が牢屋(ろうや)から出られるのは、二日に一回の沐浴(もくよく)のときだけです。もちろん、城外(じょうがい)には出られません」

 私は牢屋(ろうや)の中の男を見た。

 うつむいて、ただ座っている。

 おや?

 服は清潔(せいけつ)だし(ひげ)も伸びていない。

「身なりは清潔(せいけつ)なのですね」
「はい。囚人(しゅうじん)といえども清潔(せいけつ)にしていないと王のお(きさき)──女王に、牢屋《ろうや》番の私が怒られますからね。彼は二日に一回、シャツを取り()(ひげ)()ります」

 ジムは説明してくれた。

 だが、城の外には出られない……と。

 私は何となく彼がかわいそうに思った。

「あの……」

 牢屋(ろうや)の中の囚人(しゅうじん)、ウォルターは顔をあげ、私をジロリと(にら)みつけた。

 私は怒鳴りつけられるのを覚悟で、挨拶(あいさつ)をした。

「こ、こんにちは。ご機嫌いかが、ウォルター・モートンさん」
「何だ、君は」
「聖女のアンナ・リバールーンです」
「聖女だって?」

 囚人(しゅうじん)ウォルターは舌打ちし、(するど)い目で私を再び(にら)んで叫んだ。

「聖女が僕に何のようだ? 見世物(みせもの)小屋《ごや》じゃない! ここから離れてくれ!」
「彼は二年間もこの牢屋に入っています」

 ジムは小声で説明してくれた。

「二年間も!」

 私が叫ぶと、囚人(しゅうじん)ウォルターは静かに言った。

「聖女、さっさとここから去ってくれ。あなたのような女性が来る場所じゃない」

 おや?

 彼の言葉の端々(はしばし)は、よく聞くと丁寧(ていねい)だ。 

 ……囚人(しゅうじん)特有の荒々(あらあら)しさを感じない。

 育ちの良さを感じさせる。

 不思議な囚人(しゅうじん)だわ……。

「いいえ、聖女だからここに来たとも言えます」

 私は聖女らしく言ってみたが、彼は眉をひそめて聞き返してきた。

「何だって?」
「神の(おぼ)し召《め》しです」
「ハハハ!」

 ウォルターは声を上げて笑った。

「神か! 神という者がいるのなら、なぜ僕はこんな薄暗(うすぐら)牢屋(ろうや)に入っているのかな?」
「……ウォルターさん、あなたは一体、何をなさってこんな牢屋(ろうや)に入っているのです」
「王子を()った。そういうわけさ。それ以上は言う必要ないだろう」

 お、王子を()った?

 それは殺害しようとした、という意味だろうか。

 ん?

 そういえば私は二年前、王子を治療(ちりょう)していたときに──とある噂話(うわさばなし)を聞いたことがあった。

「二年前、デリック王子が負傷(ふしょう)したのは、騎士(きし)団長との稽古(けいこ)最中(さいちゅう)だと聞きました」

 ウォルターは黙っている。

 私は続けて聞いた。

「もしかしてあなたは、グレンデル城直属の騎士(きし)団長様?」

 彼は(だま)っている。

「アンナ様、その通りですよ」

 ジムがそう言ったので、私は彼が騎士(きし)団長のウォルター・モートン氏だと確認できた。
 
 彼は有名人だ。

 新聞で、二十歳の剣術と馬術の天才騎士(きし)団員、ウォルター・モートンが騎士(きし)団長に就任、という記事を見た覚えがある。

 しかし三ヶ月後に別の内容の新聞記事で、彼は一躍(いちやく)有名になった。

「ウォルターさん、あなたのことを知っています。有名な騎士(きし)団長ではないですか。しかし、騎士(きし)団長に就任した三ヶ月後、デリック王子を負傷させ牢屋に入れられた……!」
「確かに僕は、その元騎士(きし)団長のウォルター・モートンだ」

 彼は無表情で言った。

「僕は王子を()りつけて重傷(じゅうしょう)を負わせた。騎士(きし)団長として失格だ。牢屋(ろうや)に入る義務がある」
「違うでしょう、ウォルター先輩(せんぱい)!」

 いきなり大声を出したのは、牢屋(ろうや)番のジムだった。

「私は知っている! 本当はデリック王子がウォルター・モートン──あなたを殺そうとした!」
「えっ?」

 私は唖然《あぜん》とした。

 な、何を言っているの? ジム!
「私は知っている! 本当はデリック王子がウォルター・モートン──あなたを殺そうとした!」
「えっ?」

 私は牢屋(ろうや)番のジムの言葉を聞き、唖然(あぜん)とした。

「王子は、ウォルター・モートンの騎士(きし)としての才能を(ねた)んだ!」

 ジムは声を上げて、話を続けた。

嫉妬(しっと)していたのだ。ウォルター先輩(せんぱい)は剣術、馬術の天才だ。誰も敵わない。あのデリック王子でさえもね。だからデリック王子は稽古(けいこ)のとき、ウォルター先輩(せんぱい)、あなたを剣で()し殺そうとした!」
「ジム、それは──」

 ウォルターが何か言おうとしたときも、ジムは話を止めなかった。

「いいや、言わせていただきますよ、先輩(せんぱい)! 私は二年前まで騎士(きし)団員でした。私はあの光景を見ていたんです。剣術の稽古(けいこ)中、デリック王子がウォルター先輩(せんぱい)の前に立ち、先輩(せんぱい)を剣で突き殺そうとしたんですよ!」

 ジムがそう言うので、私はもっとその話を(くわ)しく聞きたかった。

「そ、それでウォルターはどうしたの?」
「ウォルター先輩(せんぱい)は、正当防衛で剣を突き出すしかなかった。その際、デリック王子の腕を()()ってしまったのです!」
「そ、それは──ほ、本当ですか?」

 私がジムに聞くとジムは大きくうなずいた。

「当たり前ですよ、本当です。私は見ていたんですから。他の騎士(きし)団員たちにも聞いてごらんなさい。皆、このことを知っていますよ。だけどデリック王子は権力を利用し、この不祥事(ふしょうじ)をもみ消そうとした!」
「ジム……」
「ウォルター先輩(せんぱい)……いや、ウォルター騎士(きし)団長殿(どの)! この女性がこの牢屋に来られたのは、まさしく神の(おぼ)()しです! この牢屋(ろうや)から出る、そのときがきたのです。あなたの無実を世間に知らしめるときが」

 ジムがそう言うと、私は大きくうなずいた。

「ウォルター、あなたが本当に無実ならば、この牢屋(ろうや)から一緒に出ましょう」
「僕が……牢屋(ろうや)から外に……!」
「ええ、そうよ。ウォルター」
「しかし、僕が外に出たら騎士(きし)団の皆は、王子たちに何をされるか分からない。恐ろしい手で殺されるかもしれないぞ。そもそも、僕はもう騎士(きし)団長ではない。騎士(きし)団長は別の人間だ」
「今の騎士(きし)団長は、ジャッカル・ベクスターでしょう!」

 ジムは怒ったように言った。

「デリック王子の選んだ騎士(きし)団長だ。卑怯(ひきょう)狡猾(こうかつ)な男です。真の騎士(きし)団長は、ウォルター先輩(せんぱい)ですよ!」
「しかし……今さら……」

 ウォルターは人間として、騎士(きし)として自信を失っているように見えた。

 無理もない。

 二年間もこの牢屋(ろうや)に閉じこめられていたのだから。

 しかし私は鉄格子(てつごうし)ごしに彼の手をとった。

「あなたは心配しすぎです!」

 私は彼の目をしっかり見て言った。

「さあ、ウォルター! きちんと身なりを整えましょう。髪の毛を整え、もう一度念入りに沐浴(もくよく)し、真のあなたを城の皆に見せてあげてください!」
「……ぼ、僕がか」
「ウォルター騎士(きし)団長! 私はあなたを()し使いとして任命します。あなたはこの牢屋(ろうや)から出てください!」

 私は力強く言った。

 ウォルターは静かに黙っていた。
 
 しかしその目は希望に燃えているようだった。

「さあ、開けますよ!」

 ジムは牢屋(ろうや)(かぎ)を開けた。

 ◇ ◇ ◇

 牢屋(ろうや)を出たウォルターは侍女(じじょ)や美容師と一緒に、身なりを整えるために城の風呂場に行った。

 ジムがいろいろ手配をしてくれたのだ。

 私はジムと一緒に城の城外(じょうがい)の庭園に出て、話を聞くことにした。

「ウォルター先輩(せんぱい)騎士(きし)団長時代、本当に私に色々教えてくださったんですよ」

 ジムは(なつ)かしそうに──それでいて(くや)しそうに言った。

「ある日、例の正当防衛の事件が起きて──。先輩(せんぱい)騎士(きし)団長をやめさせられ、牢屋(ろうや)にまで入ることになってしまうとは。しかも二年間もですよ!」
「しかし、どうしてデリック王子は、急にウォルターを牢屋から出そうと思ったのかしら」
「今まで何回かデリック王子のもとに、『ウォルター騎士(きし)団長は無実だ』という密告(みっこく)があったそうです」
密告(みっこく)!」
「ええ。『ウォルターを牢屋(ろうや)から出さないと、当時の事件の真相を皆にばらす』という手紙もきたようですね。つい一昨日(おととい)も同様の密告(みっこく)があったらしいですよ。ウォルター先輩(せんぱい)は人望が厚い人でしたからね。人気者でした」
「そうか、それで……。デリック王子はさすがに『ずっとウォルターを牢屋(ろうや)には入れておけない』と思ったわけね」

 そのとき──。

「ねえ! アンナ! 例の囚人(しゅうじん)が外に出たそうじゃないの! どんなヤツか知らないけどさ」

 ジェニファーがクスクス笑いながら、私に近づいてきた。

「まったく、アンナと囚人(しゅうじん)というのは、お似合いのカップルになりそうね! 囚人(しゅうじん)のウォルターって男は、どんなにみすぼらしい貧相(ひんそう)な男なのかしら。早く見せてよ、どこにいるの?」
「今、彼は城内(じょうない)で身なりを整えているはずです」
「あら、そうなの? 囚人(しゅうじん)が身なりを? アッハッハ。何やっても囚人(しゅうじん)囚人(しゅうじん)よ。どうあがこうが、泥水(どろみず)が金に生まれ変わることはないわ! バカにできるのが楽しみ~!」

 そのときだ。

 ザワッ

 そんな人々が(さわ)ぐような声が、城の入り口のほうで起こった。

「あっ! ウォルター先輩(せんぱい)です! 真の騎士(きし)団長が庭園にやってきますよ!」

 ジムが声を上げた。

 城の庭園にやってきたのは──。

 それはそれは立派な素敵な男性だった。

 その男性こそ、元騎士(きし)団長、ウォルター・モートンだったのだ。
 人々が(さわ)ぐような声が、城の入り口のほうで起こった。

 城の庭園にやってきたのは──。

 それはそれは素敵な男性だった。

「ど、どなた? あの立派な男性は?」
「素敵! スーツがよくお似合い!」

 侍女(じじょ)たちが城の入り口前──庭園の中で(さわ)いでいる。

 その注目の男性は、金色の刺繍(ししゅう)がなされた白地のスーツを着ている。

 このスーツが、すらりとした彼にとても似合っていた。

 眉、髪の毛もしっかり整えられている。

 囚人(しゅうじん)──元騎士(きし)団長のウォルター・モートンだ。

 私も彼のあまりの変わりように、腰を抜かしそうになった。

「ど、どこの王子様かしら! こんな星のような男性、お見かけしたことがありませんわ!」
「は、話しかけちゃおうかしら」

 侍女(じじょ)たちが歓声を上げている。

「お、おいっ! 元騎士(きし)団長のウォルター先輩(せんぱい)だぞ!」
「団長だ!」
「見ろ、ウォルターさんだ! に、二年間の牢屋(ろうや)生活から出てこられたのか? 俺たちは、夢でも見ているのか?」

 城の庭園で剣術稽古(けいこ)をしていた騎士(きし)団員たちも、大(さわ)ぎをしている。

 おそらく騎士(きし)団員たちは、ウォルターの無実を知っているのだ……。
 
「ね、ねえ! アンナ! あの素敵なお方は誰?」
 
 ジェニファーがあわてて私のところに駆けつけてきた。

「ご存知でしょう? 私の()し使いである、元囚人(しゅうじん)の、ウォルター・モートン氏ですよ」

 私が胸を張ってそう言うと、ジェニファーは目を丸くして声を上げた。

「えーっ? あの男性って、あんたがもらい受けた囚人(しゅうじん)? ウ、ウソおっしゃい!」
「ウソなんてとんでもない。正真正銘(しょうしんしょうめい)の元囚人(しゅうじん)ですよ。彼に身なりを整えて出てきなさい』と伝えたのです」
「な、な、何で、あんな素敵な方を、アンナのような平民がもらい受けるのよ~っ!」

 アンナは(くや)しそうに、石畳(いしだたみ)の上で地団駄(じたんだ)()んでいる。

「あ、い、いや……。これは参ったな」

 ウォルターは女性や騎士(きし)団員たちに取り囲まれて、(あん)(じょう)困惑(こんわく)している。

「ちょっと通してくれ。会いたい人がいるんだ」

 ウォルターを助けなきゃ!
 
 私は彼に向かって手を振った。

「ウォルター! こっちですよ!」
「アンナ! そこにいたのか」

 ウォルターは私の前に歩いてきた。

 本当に戸惑(とまど)った顔をしている。

 ちょっとかわいそうね。

「何とかしてくれ。大(さわ)ぎだ」
「皆に歓迎(かんげい)されているじゃないですか。良かったわ」

 私はそう言って声をかけた。

 しかし、そのとき──。

「何を(さわ)いでいる!」

 男性の声がした。

 デリック王子が庭園に入ってきたのだ。

 デリック王子は私とウォルターに気付くと、ツカツカと近づいてきた。

「誰かと思えば、お前か? ウォルター。この反逆(はんぎゃく)者め……。牢屋(ろうや)から出ることができて、本当に良かったな!」
「デリック王子、お久しぶりでございます。この(たび)は、牢屋(ろうや)から出していただくという恩赦(おんしゃ)を受けまして、感謝しております」

 ウォルターはギラリと目をデリック王子のほうに向けた。

「お、おお」

 デリック王子はウォルターの眼光(がんこう)気圧(けお)され一歩後ずさったが、すぐに体勢(たいせい)を立て直した。

 王子は私をジロリと(にら)みつけたが、ウォルターが私の前に立って私を守ろうとしてくれた。

「お前を牢屋(ろうや)から出してやったのには理由がある」

 デリック王子は口を開いた。

「俺は明日、ジェニファーとの婚約(こんやく)発表をする。めでたい日だ。だからその記念にお前の罪を軽減(けいげん)させ、お前を二年ぶりに牢屋(ろうや)から出してやることを取り決めた」
「感謝します、王子」

 デリック王子は静かに、それでいて力強く言った。

「それはあなたに対する、私の正当防衛(ぼうえい)が認められた──。そのようにとらえてよろしいのですね?」
「……な、何のことかな?」

 デリック王子は額の汗を()きながらも、ニヤリと笑った。

「に、二年間の牢屋(ろうや)生活は長かったろう。……あっ、そ、そうだ。お前は騎士(きし)団長としてよくやっていた時期もあった。多少は小遣(こづか)いをくれてやってもいいぞ? それとも土地が欲しいか? 荒れ野で良ければな、ワハハ!」

 私は「なるほど」と思った。

 お金や土地を与えて、ウォルターの無実の口(ふう)じをすると……。

 しかし、ウォルターは言った。

「金も土地もいりません。できれば──私は元の職務(しょくむ)復帰(ふっき)したいのですが」
「……職務(しょくむ)復帰(ふっき)? どういうことだ?」
騎士(きし)団長に復帰(ふっき)したいのです」

 おお……。

 周囲にいた騎士(きし)団員たちがため息をついた。

 まさか、二年ぶりに天才騎士(きし)、ウォルター・モートンが騎士(きし)団長に復帰(ふっき)する?

 これは素晴らしいことだ──。

 そのような意味を含むため息だ。

「残念だが、ウォルター」
 
 デリック王子は首を横に振った。

「ジムに聞いたかも知れぬが、現在、騎士(きし)団員は百名おり定員に達している。また、騎士(きし)団長は俺の信頼する男が就任(しゅうにん)中だ。おい、ジャッカル! 来い!」

 デリック王子が声を上げると、庭園にある詰所(つめしょ)の二階のベランダから、誰かが飛び降りてきた。

「お呼びですか、デリック王子」

 地面に降り立ったのは、ひょろりとした背の高い男だった。

「久しぶりだねえ、元騎士(きし)団長のウォルター・モートン君」

 男はウォルターをニヤニヤ笑って見て言った。

「彼は現在の騎士(きし)団長、ジャッカル・ベクスターですよ」

 ジムが小声で私に説明してくれた。

 ジャッカルは細面(ほそおもて)の青年だ。

「おや?」

 ジャッカルはウォルターの後ろに立っている私を見た。

「ほほう、君は……(うわさ)の聖女様、アンナさんだね? 君の治癒(ちゆ)魔法は評判だ。一度、私の古傷(ふるきず)治療(ちりょう)してくれないかな」

 ジャッカルは私に向かって、右手を差し出してきた。

 握手をしてくれ、ということなのだろうか?

 私が握手に応じようか迷っていると、

「ううっ!」

 ──ジャッカルがうめいた。

 ウォルターがジャッカルの右腕を(つか)んでいる!

「……僕の聖女に手を出すな!」

 ウォルターがジャッカルに向かって、低い声で(うな)るように言った。

 ──私は恐ろしい予感がしていた。

(あらそ)い」が起こる──!
「……僕の聖女に手を出すな!」

 ウォルターがジャッカルに向かって、低い声で(うな)るように言った。

 ──私は恐ろしい予感がしていた。

(あらそ)い」が起こる──!

「ジャッカルよ。ウォルターは君に対して対抗(たいこう)心を抱いているようだ。どうだろう、ウォルター。ジャッカルと剣術勝負をしてみたら」

 デリック王子が(いど)むように笑いながら言った。

「それは良いですな、王子」

 ジャッカルは自信ありげに私を見やった。

「私が勝ったら──そうですね。その聖女アンナ・リバールーンをいただきましょうか」
「なに?」

 ウォルターは眉をひそめている。

 私は(困ったな……)と戸惑(とまど)った。
 
 ジャッカルはふふん、と鼻で笑った。

「ウォルター君、この(さい)はっきりさせようじゃないか。元騎士(きし)団長と、今の騎士(きし)団長──つまり私とどっちが強いか」
「……望むところだ」
「では、木剣(ぼっけん)を持ってきてくれ」

 ジャッカルが侍従(じじゅう)に言うと、侍従(じじゅう)は急いで詰所(つめしょ)に入り木剣(ぼっけん)を二つ取ってきた。

「だめ! やめて、ウォルター」

 私はあわててウォルターを止めようとした。

 彼は牢屋(ろうや)生活でお(かゆ)だけの食事をしていた。

 そして日の光を浴びない生活をしてきた。

 一見、彼は元気そうに見えるが、彼の体を(おお)う「(アーダ)」が少ない。

 (アーダ)とは体内から放出する「気」のことである。

「あなたは二年間も牢屋(ろうや)に入っていたのよ! 一ヶ月はしっかり休んで──」
「大丈夫だ。何も心配するな」

 ウォルターは木剣(ぼっけん)を持ち、静かに言った。

「二年間も牢屋(ろうや)に入っていたわりには、元気そうじゃないか? ウォルター君」

 ジャッカルは木剣(ぼっけん)を手に取り、それをながめつつ言った。

「ふむ、良い木剣(ぼっけん)だ。これならば良い勝負になろう──」

 (するど)い音がした。

 ジャッカルがウォルターに向かって、木剣(ぼっけん)(なな)め左から振ってきたのだ。

 (かわ)いた音が(ひび)き、ウォルターが自分の木剣(ぼっけん)で攻撃を受け止めた。

卑怯(ひきょう)な! ジャッカル!」

 私は声を上げた。

 ウォルターはまだ試合を正式に了承(りょうしょう)していないのに──!

「試合の形式やルールすら、まだ決まっていないわ!」
「ルールだって? 戦場にそんなものがあるのかねえ? ここだっ!」

 ジャッカルは素早く前に出てきて、木剣(ぼっけん)を突いた。

 しかしウォルターはそれを見切って、横に()けた。

「え? うあっ……」

 ジャッカルは勢い余って、よろけて転んだ。

 素早くウォルターが、木剣(ぼっけん)をジャッカルに向かって振り下ろす。

「ひ……いっ!」

 ジャッカルはそううめき、横っ飛びをしてそれをかわして立ち上がった。

 ジャッカルが立ち上がった瞬間、彼の首筋(くびすじ)にウォルターの木剣(ぼっけん)が当てがわれていた。

 す、すごい! 速い!

 私はウォルターのあまりの強さ、よどみのない動きに呆然(ぼうぜん)としてしまった。

「これは勝負あった! ウォルターさんの勝ちだ」
「まるで動物をおびき出すようなウォルター殿(どの)の攻撃!」
「さすがウォルターさん! 真剣ならばジャッカル騎士(きし)団長は首筋(くびすじ)から血が()き出していたぞ!」

 その場で見ていた人々が歓声を上げた。

「いやぁ~、参った参った」

 ジャッカルはそう言いつつ、笑顔をつくった。

「ウォルター君、君がここまで強いとはねえ。……私の負けだよ」

 彼はそう言いつつ……!

 木剣(ぼっけん)をまたしても振り上げ、ウォルターの頭目がけて振り下ろした。

 まさか? しょ、勝負は決まったのに!

 だが、ウォルターはそれをも紙一重(かみひとえ)で後ろに()け──!

 逆にウォルターはジャッカルの右脇腹(わきばら)を、横に(はら)った木剣(ぼっけん)でとらえていた。

 木剣(ぼっけん)は、右脇腹(わきばら)に当たる直前で止めたが──。

「あ、うう!」

 ジャッカルはバランスを(くず)して、地面に倒れ込んだ。

 右脇腹(わきばら)をかばい地面に倒れ込んだので、(にぶ)く情けない音がした。

「な、何なんだお前は……! ウォルター、貴様は一体……」

 ジャッカルは地面に尻もちをついて、ウォルターを見上げた。

「僕は元騎士(きし)団長だ」

 ウォルターはジャッカルに言った。

「う……く……くそおっ!」

 ジャッカルは地面に座って、(くや)しそうにしてわめいた。

 そしてため息をついて、木剣(ぼっけん)をウォルターに向けて地面に置いた。

 これは騎士道(きしどう)の「負け」の合図である。

 ウォルターの勝利だ……!

「おお!」

 周囲の人々は歓声を上げウォルターを祝福した。

「ウォルター様、素敵!」
「見事な太刀筋(たちすじ)でしたぞ、ウォルター殿(どの)!」

 私は胸を()でおろしたが──。

「お、おのれっ、ウォルターめ!」

 そう声を上げたのはデリック王子だった。

「ジャッカルのバカタレがっ! こんな囚人(しゅうじん)に負けちまうとは!」

 王子がジャッカルを(しか)り飛ばしている、そのとき──。

「まったく、何をくだらないことをしているの!」

 (するど)い女性の声が周囲に(ひび)いた。

 こ、この声は!

 そこにいる全員があわてて──私も(ふく)めて──背筋を伸ばした。

 高貴(こうき)な真っ白いドレスを着た、「あの女性」が庭園に入ってきたからだ。

「これは一体、どういうことか! なぜ囚人(しゅうじん)のウォルター・モートンが外に出ている!」

 デリックの母、女王イザベラ・ボルデールがそこに立っていた。

「お前のしわざか? 聖女の小娘(こむすめ)……!」

 イザベラ女王は私を(にら)みつけた。

 彼女の年齢は五十代後半──。

 背が高く()せた美しい女性である。

 しかしその(いか)めしい顔に、強烈(きょうれつ)な意志と頑固(がんこ)な性格があらわれていた。

 私はデリック王子と婚約(こんやく)していたときから、イザベラ女王に嫌われていた……!
「お前のしわざか? 聖女の小娘(こむすめ)……!」

 イザベラ女王は私を(にら)みつけた。

 私はデリック王子と婚約(こんやく)していたときから、イザベラ女王に嫌われていた。

「いえ、私は……。デリック王子がウォルターを牢屋(ろうや)から出してやると申し上げました」

 私は背筋(せすじ)に、冷たい汗が流れているのを感じながら言った。

「ほーう……? 私は聞いていないが……デリック」

 イザベラ女王は、右手に持った扇子(せんす)孔雀(くじゃく)の羽のようにバサリと広げて言った。

 な、何という威圧(いあつ)感──。

 女王──恐ろしい女性だ!

「た、確かに俺……いや、私はそう申し上げました、母上! ウォルターを牢屋(ろうや)から出して良いと!」

 デリック王子はまるで兵隊みたい姿勢を正して言った。

「し、し、しかし、最終的にはウォルターの判断に(まか)せました。アンナは、彼を外に出るように()きつけたのです!」

 えっ? ()きつけた?

「話は分かった。聖女の小娘(こむすめ)よ! お前は自分の『女』を利用して、囚人(しゅうじん)の心を動かしたと」

 イザベラ女王はまるで私の心をのぞきこむような表情で言った。

「と、とんでもない! 私は『女』など利用してはいません!」

 私は(うった)えた。

「そもそも、私はお前が気に()わなかったのじゃ! アンナ」

 イザベラ女王は背が高かったので、私を上から見下げた。

「聖女だと? 治癒(ちゆ)魔法で人を(いや)すだと? ふん、きれいごとを。うちの息子までたぶらかしおって! 息子が婚約(こんやく)相手をジェニファーに変更(へんこう)して、やっと安心したわ」
「お、王子をたぶらかしてなんておりません!」

 私は抗弁(こうべん)した。

 ジェニファーは大貴族の娘で、彼の父のロンダベル公爵(こうしゃく)は武器商人だった。

 彼はイザベラ女王と共謀(きょうぼう)し、他国に対して武器の商売をして大(もう)けをしていた。

 だからイザベラ女王はジェニファーをかわいがっていたのだ。

 ──イザベラ女王は右手を上げて叫んだ。

「来たれ! 強者(つわもの)よ!」

 すぐに真っ赤な兵士が十名、ウォルターの周囲を取り囲んだ。

 あの真っ赤な(よろい)(かぶと)の兵士は普通の兵士ではない!

 女王親衛(しんえい)隊だ!

 グレンデル城の騎士(きし)団とは別に、女王のために(きた)え上げられたグレンデル王国最強の兵士たちである。

「ウォルターを牢屋(ろうや)に入れよ!」

 イザベラ女王は叫んだ。

 ウォルターは四方八方から剣を突き付けられ、身動きができない。

「な、何をするんです! ウォルターは休ませなければなりません!」

 私が叫ぶと、女王親衛(しんえい)隊は私も取り囲んだ。

「ウォルター! 私はここよ!」

 私はウォルターに向かって手を伸ばす。

 ウォルターもそれに(こた)えるように、手を伸ばした。

 しかし、私とウォルターの距離(きょり)はかなり離れている!
 
「アンナも()らえよ! 牢屋(ろうや)に閉じこめてしまえ!」

 女王は叫んだが、驚いたことに周囲の騎士(きし)団が女王親衛(しんえい)隊とぶつかりあった。

「アンナ様をお守りせよ! ウォルター先輩(せんぱい)をお守りせよ!」

 ジムが率先(そっせん)して叫んでいる。

 ジム……あなた──ありがとう!

 騎士(きし)団員と女王親衛(しんえい)隊がぶつかりあっているので、私の包囲は一時的に解かれた。

「アンナ! こっちだ!」
 
 庭園の門の外に、馬車が停車した。

 御者(ぎょしゃ)は親友のパメラ・モナステリオ!

「あんたが城の王の間に呼ばれたと聞いたんで、嫌な予感がして来てやったぞ!」

 彼女は二十一歳の女魔法使いだ。

「ウォルター!」

 私がウォルターに向かって叫ぶと、ウォルターは女王親衛(しんえい)隊に()らえられ連れていかれるところだった。

「何やってんだよ! 自分の命を守るのが先だろっ、アンナ!」

 パメラの声でハッとして、私は泣きそうになりながらパメラのほうに向かって走った。

 何で……何で……こんなことに。
 
 ウォルター!

「乗れえっ」
 
 パメラが叫んだ。

 私は馬車の客車に飛び乗ると、すぐに馬車は発進した。

 女王はその光景を見ながら私を(にら)みつけ、自分の扇子(せんす)を地面に(たた)きつけた。

「アンナを追え!」

 女王親衛(しんえい)隊たちが叫ぶが、騎士(きし)団員たちも押し返す。

 騎士(きし)団員の皆さん……!

 ああ、私のせいでイザベラ女王や女王親衛(しんえい)隊に歯向かうようなことをさせてしまった!

「アンナ様を追手(おって)からお守りしろ! 女王親衛(しんえい)隊め、ウォルター先輩(せんぱい)を返せ!」

 ジムが叫んでいる声が聞こえた。

 グレンデル城の庭園はもう大(さわ)ぎだ。

 ◇ ◇ ◇

 馬車は全速力で町の大通りを()っていく。

 今日は平日なので、大通りは馬車の通りがほとんどない。

 私の座っている客車には(ほろ)がなく身を(かく)せないので、私は体勢(たいせい)を低くしていた。

「どうしてウォルターを助けられなかったのだろう……」

 私はそうつぶやいた。

 (くや)しくて仕方なかった。

 ──客車には私の他に一人、銀髪(ぎんぱつ)小柄(こがら)な少年が乗っている。

 美しい少年だ。

 年齢は十七歳から十九歳くらいか?

「あなた……誰?」

 しかし銀髪(ぎんぱつ)少年は呑気(のんき)に砂糖がかかった()げパンを食べている。

 御者(ぎょしゃ)のパメラは叫んだ。

「追手《おって》が来る!」

 今度は女王直属(ちょくぞく)騎馬(きば)隊たちが、私を追ってくるのが見えた。

 何てしつこい!

国境(こっきょう)を突っ切るぞっ」

 パメラは叫んだ。

 この大通り──グレンデル大通りを()()ぐ進むと、隣国(りんごく)ロッドフォール王国の国境(こっきょう)にぶち当たる。

「ネストール・モナステリオ! あんたの出番だよ! 何、呑気(のんき)()げパンに食らいついてんだぁっ!」
 
 パメラはわめく。

「姉ちゃん、俺、戦うの嫌いなんだけど」

 銀髪(ぎんぱつ)の少年──ネストールは文句を言った。

「あ、パメラの弟なんだ?」

 私がネストールに聞くと彼は「そうだよ」とぼんやり言った。

 ──パメラは叫ぶ。

「いいからネストール! 何とかしろ! このままじゃ牢屋(ろうや)行きだぞ!」
「何で俺が……。わかったよ、終わったらリンゴパイおごってね」

 (すさ)まじい音とともに、騎馬(きば)隊が追ってくる。

 騎馬(きば)隊は十名ほど──。

 これは追いつかれるか?

「よっ」

 ネストールはそう声を上げた。

 私は目を丸くした。

 彼はおもむろに馬車の客車から、後ろへ飛び出したのだ。

 向かってくるのは、十名の騎馬(きば)隊──!
 パメラの弟、ネストールはおもむろに馬車の客車から、後ろへ飛び出した。

 向かってくるのは、十名の騎馬(きば)隊──!

 一名の騎馬兵(きばへい)が、もう馬車に追いつきそうだ。

「はあああっ」

 ネストールの掛け声とともに、(にぶ)い音がした。

 ネストールは飛び上がると同時に、騎馬兵(きばへい)の一人の顔を飛び蹴りしたのだ!

 ドオオオッ

 そんな音がして馬の上の兵士は吹っ飛び、馬は横倒しになった。

 ネストールは道路に着地している。

「よし、やった」

 御者(ぎょしゃ)のパメラが叫ぶ。

 私たちの乗った馬車は速度を落とした。

 ズドドド

「うあああああ」
「ひえええ」

 すさまじい音と声とともに、()けてくる騎馬(きば)隊がその横倒しの馬にひっかかったのだ。

 十名の騎馬(きば)隊は全員、道路に転げ回っている。

「思ったより、大袈裟(おおげさ)なことになっちゃったなあ」

 ネストールは走って、ゆっくり走っている馬車に追いつくとまた客車に乗り込んだ。

「ようし! 全速力で逃げるぞ!」

 パメラは叫ぶと、馬車の速度を上げた。

「あ、あなた、すごいのね」

 私が呆然としてネストールに言うと、彼は真顔で二つ目の()げパンを食べだした。

「まだ終わってないよ。あれ……弓矢? 当たったら死ぬんじゃない?」

 そのとき、後ろに見える騎馬(きば)隊の一人が背負ったものを構えたのが見えた。

 弓矢を構えている!

「弓矢だって? 何とかしろ!」

 パメラが御者(ぎょしゃ)席でわめく。

「く、来るわよ! 私が防ぐ!」

 私はすぐに「外気(ルアーダ)」を体に取り込んだ。

 最近、治癒(ちゆ)魔法以外で魔法を使っていないから、防御魔法がうまくいくかどうか……?

 外気(ルアーダ)とは空気中に浮かぶ「(アーダ)」のことである。

 (アーダ)硬化(こうか)できる性質を持っている。

「このままだと当たるね」

 ネストールは()げパンをかじりながら、モニャモニャ言った。

 騎馬兵(きばへい)の弓矢は、(するど)い音を立てて(はな)たれた!

(はな)たれよ、『(アーダ)』! そして『(エスクード)』!」

 私が素早く唱えると、馬車に私が放った外気(ルアーダ)で包まれ──外気(ルアーダ)硬化(こうか)した。

 そして──。

 (かわ)いた音とともに、外気(ルアーダ)(エスクード)により弓矢は(はじ)かれた。

「ふうっ……!」

 私とパメラは息をついた。
 
 馬車はそのまま進んだ。

 聖女が無理に防御魔法を使ったから、つ、(つか)れた……。

 でもまだ難題(なんだい)が残っている。

 国境(こっきょう)警備員をどう切り抜けるか……?

 ◇ ◇ ◇

 一時間半程度、大通りを突っ切ると、やがて大草原に入った。

 目の前には国境(こっきょう)の鉄の門がある。

 詰所(つめしょ)があり、大柄(おおがら)な警備員が二人立っている。

「待て! 全員降りろ! ──三名か」

 中年の警備員が声を上げた。

 警備員は中年男と若い男だった。

 私たちが馬車を降りると、中年の警備員は私とパメラ、ネストールをじろじろ見やりだした。

「何だ? お前ら(あや)しいな。通行許可証を出せ!」

 私は彼が持ったひのきの棒で、右肩を少しコツコツ(たた)かれた。
 
 ここはグレンデル王国とロッドフォール王国の国境(こっきょう)

 通行するには、役所に依頼し作成した通行許可証が必要だ。

 門の左右には赤レンガで造られた高さ約二メートルの壁が、長く長く続いている。

「通行許可証は持っています!」

 パメラは文書(ぶんしょ)を手渡した。

 中年警備員は手渡された文書(ぶんしょ)を見てから、眉をひそめてパメラに返した。

「これはグレンデル王国の役所が発行した通行許可証だな。しかしダメだ。これでは通れない!」
「えっ? な、なぜ? 普段ならこれで──」
「確かに普段ならこの通行証で通せる!」

 中年警備員は言った。

「しかし、ついさっき伝書鳩(でんしょばと)通達(つうたつ)があった。グレンデル城から逃亡者(とうぼうしゃ)が出たと」

 私たち三人はドキッとしたが、表情は変えなかった。

 中年警備員は私たちを見やり、大声で言った。

「現在、この国境(こっきょう)を通行するには、イザベラ女王とグレンデル城が発行した通行許可証が必要だ。礼拝堂や役所、ギルドの通行許可証では通せない!」

 そ、そんなものは持っていない。

 そもそも私たちは、そのイザベラ女王に追われる身だ……!

 警備員二人はあきらかに私たちを(あや)しんでいる。

「これからお前らは、取り調べを受けてもらう!」

 中年警備員は私たちを(にら)みつけて言った。

 こ、困った……。

 このままでは騎馬(きば)隊に追いつかれる!

 ──そのとき!

「父ちゃん」

 国境(こっきょう)の門のほうでかわいい子供の声がした。

「ん? お、おいっ、ヘンデル! ここに来ちゃいかんと言っただろうが」

 中年警備員はそう叫び、あわてて門のほうに()()った。

 門の向こうに、六歳から七歳くらいの男の子が立っている。

 おや? 珍しい。

 口に布製のマスクをしている。

 聖女の仕事で病院に行ったことがあるが、肺に(わずら)いがある人がマスクをつけているのを見たことがある。

「ずっと家にいなきゃいけないから嫌なんだ……。僕だって外で遊びたいよ……ゴホッ、ゴホッ……」

 少年は()き込みながら言った。

「学校も休まなきゃいけないし。皆と勉強したい」
「だめだ、ヘンデル。家に戻ってろ。すぐに息切れするだろう。母さんに怒られるぞ」

 中年警備員は門越(もんご)しに少年を(しか)った。

 私はヘンデル少年の(アーダ)を見た。

 (のど)と肺の(アーダ)がかなり減少している。

 となると、肺疾患(はいしっかん)……。

「彼は何らかのガス、もしくは工場の煙などをかなり吸い、肺を(わずら)っていますね」

 私が中年警備員に言うと、彼は目を丸くして言った。

「な、なんだと?」
「そうなると(のど)の内部が(せま)くなり肺の機能も弱くなって、呼吸ができにくく息切れや(せき)が出るのです」
「き、貴様……!」

 中年警備員は私を(にら)みつけたが、私は言った。

「私に彼を()せてもらえませんか。私は聖女です。病人を治癒(ちゆ)するのが仕事ですよ」

 私がそう言うと、中年警備員は若い警備員と顔を見合わせた。
 私──アンナ・リバールーン、パメラとネストール姉弟(きょうだい)国境(こっきょう)にいた。

 国境(こっきょう)の門の左右は、赤レンガの壁が長く長く続いている。

「私に彼を()せてもらえませんか。私は聖女です。病人を治癒(ちゆ)するのが仕事ですよ」

 私がそう言うと、中年警備員は若い警備員と顔を見合わせた。

 口にマスクをしているヘンデル少年は、中年警備員の息子だ。

 彼は(せき)こみながら国境(こっきょう)の門の後ろに立っている。
 
「マードックさん」

 すると若い警備員が中年警備員に言った。

「私の母は昔、聖女に腰痛(ようつう)を治してもらったそうです。一度ヘンデル君を、この女性に()てもらったらどうです?」

 中年警備員のマードック氏はそれを聞いて何か考えていたが──、舌打ちしておもむろに門を開けたのだ。

「お前たちは門を()えてはいかん。聖女を(かた)っているのならば承知(しょうち)しないぞ。即刻(そっこく)通報する!」
「分かりました」

 私はうなずいた。

 ネストールといえば草原の岩場に座って、昼寝を始めた。

「ヘンデル、こっちに来てベンチに座れ。この女性がお前のことを()てくれるそうだ」

 マードック氏は静かに腕組みをしながら言った。

 ヘンデル少年はグレンデル王国側に歩いてきて、詰所(つめしょ)の前のベンチに座った。

「やはり(のど)や肺から出る(アーダ)の量が少ない……」

 私はヘンデル少年を()てつぶやいた。

 私の目には彼の(のど)や肺から()れ出す(アーダ)が、とても(うす)く消え入るように見えている。

 正常な人間の(アーダ)ならば、光って胸全体を包んでいるはずだ。

「これは(のど)と肺に何らかの疾患(しっかん)があるということです」

 私はヘンデル少年の(アーダ)を見ながら、父親のマードック氏に聞いた。

「ヘンデル君はどのような生活環境で()らしていたのですか?」
「うーむ……実は三年前にグレンデル王国のローバッツ工業地帯で()らしていて、だいぶ煙を吸ってしまったようなのだ。一年くらい住んでいたか……」
「今は引っ越しをなされた?」
「そう、今はこの国境(こっきょう)付近で生活している。ここの空気はきれいなほうだと思う」

 ローバッツ工業地帯で一年だけ生活……。
 
 しかし吸い込んだ煙の量としては、そんなに多くはないと推察(すいさつ)する。

「ローバッツ工業地帯には炭鉱(たんこう)があるな。石炭の鉱山(こうざん)だ。周辺には大きな鍛冶(かじ)屋の村がある」

 知識が豊富なパメラが説明してくれた。

鍛冶(かじ)屋は石炭を使うので煙は出る。だが、ローバッツ工業地帯で(やまい)流行(はや)った話は、聞いたことがない」

 私は考え込んでから、ベンチに座っているヘンデル少年に聞いた。

「ヘンデル君、どこが(もっと)(つら)いですか?」
「ときどき、すごく胸が苦しくなるんだ。そうするともう歩けなくて……ゴホッ、ゴホッ……」

 彼はまた()き込んだ。

 私は彼の胸の(アーダ)をもっと深掘(ふかぼ)りして(なが)めた。

 おや? よく見ると薄い(アーダ)の中に深緑色の(アーダ)が少量、混ざっている。

 私が(アーダ)()る場合、深緑色は毒をもった物質を示す。

「その濃い緑色の……何それ?」

 パメラが首を(かし)げた。

 パメラは治癒(ちゆ)はできないが、私と同様に(アーダ)が見える。

 私はヘンデル少年の胸を透視(とうし)して、肺の中を(のぞ)いた。

 私の目は、人体の中を()かして見ることができる。

「あっ、これだ!」

 私は声を上げた。

 肺の奥に緑色の付着物が見えたのだ。

 まるで植物の胞子(ほうし)がこびりついているように見える。

 あきらかに(よこしま)毒素(どくそ)だ。

「ヘンデル君、これから治癒(ちゆ)を開始します」

 私はヘンデル少年に言った。

「しっかりと、『天使よ、治癒(ちゆ)をお願いします』と言ってください」
「は、はい。『天使よ、治癒(ちゆ)をお願いします』」

 この言葉が天から治癒(ちゆ)魔法を(さず)かるときの言葉の(かぎ)となる。

 この言葉を患者(かんじゃ)に言ってもらわないと、その人に治癒(ちゆ)魔法はかからない。

「天使よ、命じます。肺の邪悪な異物を取り(のぞ)きたまえ」

 私は頭の中に浮かんだ図形の通りに指を動かした。

 すると、私が透視(とうし)しているヘンデル少年の肺の中に変化があった。

 深緑色の付着物が浮き上がり、粉々になった。

 私が肺の中を(ヴォロンテ)操作(そうさ)し、付着物に変化を与えたのだ。

 そして深緑色の粉は肺から出て、毛穴から体外に蒸散《じょうさん》した。

「毒が出たね」
 
 パメラはそう言ってニヤリと笑った。

「えっ? な、何だ? ど、どうなったんだ?」

 父親のマードック氏は心配そうに息子のヘンデルを見た。

「あれ?」

 ヘンデル少年は胸をさすってけろりとして言った。

「胸が……胸が苦しくないよ。(のど)も痛くない」
「ヘ、ヘンデル!」

 マードック氏がヘンデル少年を抱きしめようとしたが、私はすぐに止めた。

「だめです。まだ終わっていません。パンを用意してください」
「は? パ、パン? あの食べるパンか?」

 マードック氏は目を丸くした。
 
 パンの使用。

 これが聖女の治癒(ちゆ)魔法の仕上げである──。
「ヘ、ヘンデル!」

 マードック氏が息子のヘンデル少年を抱きしめようとしたが、私はすぐに()めた。

「だめです。まだ終わっていません。パンを用意してください」

 私が言うと、マードック氏は驚いたようだ。

「パンだって? な、何に使うんだ? パンは持ってきていたが、昼飯に食べてしまったぞ」
「ぼ、僕もです」

 マードック氏と若い警備員は私に言った。

 パンは「聖なる食物(しょくもつ)」であり、治癒(ちゆ)魔法の仕上げに重要なものだ。

 私が(さて、どうしようか……)と考えていると……。

「パンあるよ。()げパンだけじゃお(なか)すいちゃうからね」

 するといつの間に起きていたのか、ネストールが私の後ろから声をかけてきた。

 ネストールは私に袋に入った角切りパンを手渡してきた。

 このパンなら、私の理想通りに治癒(ちゆ)魔法は完了する!

「お前、パン好きだな! 太るぞ!」

 姉のパメラが(あき)れたように声を上げた。

 さっそく私はパンをもらい、丸めてヘンデル少年の頭、顔、肩、胸、足に当てがった。

「あ、あれは何をしているんだ?」
 
 マードック氏がパメラに聞いてきたので、パメラは答えた。

(よこしま)な毒素や邪霊(じゃれい)を、丸めたパンで吸い取っているのさ。掃除(そうじ)のとき、仕上げに細かいゴミを取ることがあるだろ? あれと同じ」

 パメラがすべて説明してくれた。

 そして私は使用したパンを、パメラたちの方を向いたまま後ろの草むらに放り投げた。

「パンのほうを見ないで。パンにくっついた毒素や邪霊が再び飛びついてくることがあります」

 私はそう皆に説明し、治癒(ちゆ)魔法を完了させた。

「ん~」

 ネストールがパンを食べつつ、モニャモニャと何か言いたげだ。

「さっきから言いたかったんだけどさ」
「え? 何だ弟よ」

 パメラは眉をひそめて聞くと、ネストールが答えた。

「馬の音がグレンデル大通りのほうから聞こえてくるんだけど」
「な、なにいいっ? それはイザベラ女王直属の、さっきの騎馬(きば)隊か? 奴ら、追ってきたんだ!」

 パメラは叫んだ。

「マードックのおっちゃん! 国境(こっきょう)を通してくれ! 早く!」
「え?」

 中年警備員のマードック氏はヘンデル少年を見た。

 ヘンデル少年の顔色は良くなっている。

 (せき)も出ていない。

 治癒(ちゆ)魔法が効いているようだ。

「よ、よしわかった! さっさと行け!」

 マードック氏の許可をもらうと、私たちは馬車をロッドフォール王国側に移動させた。

 私たち三人はようやくロッドフォール王国に逃げることができた。

 マードック氏たち警備員二人は、国境(こっきょう)の門を閉めて前方を警戒(けいかい)している。

「それにしても……あのヘンデル少年の肺に入った毒素……。ちょっと気になるな」

 パメラは門の様子を見ながら言った。

「ローバッツ工業地帯は、イザベラ女王が買い取った工業地帯のはずだ。確か夫の……つまりデリック王子の父親、グレンデル国王が原因不明の(やまい)(ふせ)っていたな」

 ……確かに怪しい。

 まさか……?

憶測(おくそく)では何ともいえないわ。──でも、今はそれどころじゃない」
「例の元騎士(きし)団長様のことか?」
「ええ……ウォルターを助けなきゃ」
「アンナ! お前、本気で助けるつもりか? 彼、再び牢屋(ろうや)の中にいるぞ。どうやって……」
「やらなければ、彼は殺されてしまうわ」

 私がそう言ったとき、「ねえ、もう来たよ」とネストールが言った。

 馬の(ひづめ)の音とともに、一人の馬の乗り手がやってきた。

 ん? 一人?

「お、お前たちっ! こんなところにいたのか! 貴様(きさま)ら~!」

 馬から降り立ち、私たちから見て門の後ろに立ったのは現グレンデル城の騎士団長。

 ジャッカル・ベクスターだ!

「なーんだ。ジャッカルってやつか。今の騎士(きし)団長だろ、お前」

 パメラはジャッカルに対して、門越(もんご)しに言った。

 門は閉じられているから、若干(じゃっかん)、私たちには余裕がある。

 パメラは続けてジャッカルに聞いた。

騎馬(きば)隊はどうした? 何であんただけ?」
「き、騎馬(きば)隊は全員、馬どもが骨折したから使えん! 治療(ちりょう)中だ!」

 ……結構大変なことになっているようね。

 攻撃をしたネストール本人は、()びをして口笛を吹いている。

「おい警備員、門を開けろ! あいつらは逃亡(とうぼう)者だぞ! 俺はグレンデル城の騎士(きし)団長、ジャッカル・ベクスターだ。早く!」
「え~……まずは通行許可証を見せてください」

 マードック氏はのんびりと言った。

 私たちが逃げる時間を(かせ)ごうとしている。

「じゃあ」

 私たちはジャッカルにそう言って、とにかく宿屋に向かうことにした。

「おい、戻ってこい! 貴様(きさま)たち~っ!」

 ジャッカルは叫んでいた。

 ◇ ◇ ◇

 ここロッドフォール王国の中央地区、リンドフロムはかなり(さか)えた街である。

 私たちはリンドフロムの小さく目立たない宿屋、「光馬亭(こうばてい)」に部屋を取ることにした。

 グレンデル王国とロッドフォール王国は昔、戦争をしていたので仲が悪い。

 二国は国交(こっこう)を結んでいないのだ。

 グレンデル王国の追手(おって)から(のが)れるには、ロッドフォール王国の小さい宿屋に(かく)れるのが得策(とくさく)だ。
 
「お前……本気でウォルターを助ける気か?」

 パメラは宿屋の部屋で心配そうに私を見た。

 ──私は答えた。

「ええ。彼は何も悪いことをしていないもの。再び牢屋(ろうや)に入れられる理由はないわ」
「アンナ……お前に関係あることなのかよ?」
「関係あるわ。私が彼を牢屋(ろうや)から連れ出し、問題が起こったのよ。責任を取らなきゃいけない」
「お前なぁ……。真面目だねえ。男だったら他にいっぱいいるじゃん? あたしは恋愛とか結婚とかに興味ないから、よく分からないけどさ」

 パメラは私のウォルターに対する(あわ)い気持ちを見抜いているようだ。
 
 さすが魔法使い。
 
 彼女の弟、ネストールは後ろのベッドに寝転がって、リンゴパイを食べていたが──。

「待って……。誰か来たよ」
 
 ネストールはリンゴパイを素早く食べきり、すぐに身を起こした。

 彼は無所属(むしょぞく)の剣士であり、素手の技も(あつか)える強者(きょうしゃ)だ。

 そしてまるで猫のように、危機を察知(さっち)できる特殊能力(スキル)を持っているらしい。

「ほ、本当? 追手(おって)かしら」

 私は(こんな小さな宿屋にいるのに見つかった?)と驚いた。

 コツコツ……。

 扉がノックされた!

「……私が開ける」

 パメラはそっと扉を開けた。
 
 扉を開けると……!

「俺だ! 見つけたぞ!」

 そこにはジャッカル・ベクスターが立っていた!