私は聖女、アンナ・リバールーン。

 ここはローバッツ工業地帯の村。

 今日は()き出しの翌日、今の時刻は昼近くの十一時。

 私、パメラ、ウォルター、ジャッカルは集会所を寝床(ねどこ)にして宿泊した。

 村人たちは畑仕事や炭鉱(たんこう)の仕事、砂利(じゃり)集めなど仕事にいそしんでいるようだ。

 ローバッツ工業地帯の村人は朝食をとらないらしい。

「うーむ、俺たちの体の中に毒物があるのは分かった」

 集会所にやってきたオールデン村長は、残念そうに言った。

「大丈夫です。私が村人全員の毒を取り(のぞ)きますから」

 私が言うと、村長は「そ、そうか。頼む」と頭を下げた。

「実は村人たちも、自分の体が()せ細っているので毒を摂取(せっしゅ)してしまっているのではないかと、薄々(うすうす)は気付いているんだ。だが、我々の村には病院もないし、そもそも病院にかかる金の余裕もないからな……」
「毒のもとを断ち切りましょう。そうすれば村人たちの肉体も健康的になります」
「その毒がどこから出ているのか分かったか?」
「予想はついているのですが、憶測(おくそく)だけで判断するのは危険です」

 そういえば、炭鉱(たんこう)近くにいる国王様はどうなさったのだろう。

 私の治癒(ちゆ)魔法を受けてからの健康状態を知りたいが……。

 しかし今日は村に大事なものが配送、配給(はいきゅう)される日らしい。

「今日はパンが配給(はいきゅう)されるのでしたね」
「そうなんだ。この村は小麦類が栽培(さいばい)できない土地でな……。だが村人はやはりパンが欲しいということで一週間に一度、配給(はいきゅう)を受け入れているんだ」

 この近隣諸国(きんりんしょこく)ではパンは人々の生活に欠かせない、大事な聖なる食べ物だ。

 私もパンを食べないと力がでないと感じるほうだ。

「そろそろパンの配送者が来る時間だが……」

 村長がそう言ったとき、「パンが来たぞ!」と外で声がした。

 私はあわてて外に出た。

 一週間に一度、この村に配給(はいきゅう)されるパンが(あや)しいのは分かっている。

 だが、そのパンを実際に見てみないと何ともいえない。

 村の入り口付近に馬車が二台停車しており、パンの配送人と思われる人物が村人を集めている。

「さあ美味いパンだ! これから配るぞ!」

 ん?

 聞き覚えのある声だが……。

「ええ?」

 私は目を丸くした。

 デ、デリック王子!

 私の元婚約(こんやく)者がパンの配送人?

「ん?」

 デリック王子は御者(ぎょしゃ)たちとともに、赤い馬車に()まれた山のようなパンのベルトを()こうとしていた。

 その手を止めて、私の方を見た。

「な、な、なんでお前がこんなところにいるんだ?」
「あ、あなたこそ、どうして? デリック王子!」
「どういうことなんだ、アンナ。お前がいるとは……」

 このパンはグレンデル城から配送されたパン!

 私は馬車に()まれているパンの山を(にら)みつけた。

 パンの山から緑色の毒素の(アーダ)が、もうもうと立ち(のぼ)っている。

「あれが村人の毒の原因か……!」

 私はつぶやくように言った。

 そして素早くオールデン村長に聞いた。

「いつもデリック王子がパンを配送している……わけではありませんよね?」

 私と付き合っていたころのデリック王子からは、パン配送の話など聞いたことがない。

 村長は言った。

「いや、今まで週に一度来ていたのはブルートというグレンデル城の執事(しつじ)だ。……あ、あの男は王子なのか? 驚いたな」
「さ、さあ、パンをこれから配るぞ! 美味しいパンだ!」

 デリック王子は作り笑いをして、村の子どもたちに言った。

「──おやめなさい! その毒入りパンを受け取ってはなりません!」

 私は声を張り上げた。

「何だと?」

 デリック王子は私をジロリと見やった。

「アンナ、お前、今何と言った? とんでもないことを言ったな」
「ええ、言いましたよ。『毒入りパンを受け取ってはならない』と!」
証拠(しょうこ)はあるのか? パンを切って断面を見てみろ。中は真っ白いはずだぞ。しっかりした美味しいパンだ」
「いえ、私には見えますよ、パンから立ち(のぼ)る緑色の毒素が! 毒素は恐ろしく微細(びさい)な粉末で、注意深く生地(きじ)に練り込まれているはずです。パンの断面を見ても、毒素の緑色が分からない状態になっていると思われます。そうでしょう?」
「あ、相変わらず口だけは達者(たっしゃ)な女だ。お、おい、何とかしてくれ」

 デリック王子はちらりと横に立っている男を見た。

 ん?

 誰だろう? あの男性は……。

 長身の美男子だ。

 ニヤニヤ笑ってこっちを見ている。

「俺はラードルフという者だがね」

 男は私に言った。
 
 な、何?

 人間……?

 い、いや、一見、人間に見えるが……。

 なんという禍々(まがまが)しい(アーダ)をまとった男なのだろう?

「おお……。お前が聖女という人間の女なのか?」

 ラードルフという男は、私をまじまじと見た。

「な、なんと高潔(こうけつ)な……分かる、分かるぞ。お前は神に(つか)える人間なのだな」
「そ、それがどうしたのですか? わ、私を……そんなに見ないでください」
「欲しい。お前が──」

 ラードルフが右手を私に向かって()ばしたとき──。

 そのラードルフの右手首を誰かが横から(つか)んだ。

「聖女にさわるんじゃない!」

 ウォルターだ!

 ラードルフはウォルターを(にら)んだ。

「……何だ? お前は」
「グレンデル城の元騎士(きし)団長、ウォルター・モートンだ」
「ほほう? この聖女とどんな関係だ」
「僕は彼女を全身全霊(ぜんしんぜんれい)で守る立場だ。ここから立ち去れ、ラードルフとやら」
「フフフッ……。何と、人間の騎士(きし)団長とは。ということは剣術の使い手なのだな。そうだろう?」

 ラードルフはウォルターの手を振り(はら)い、馬車の荷台(にだい)から何かを取り出した。

 木剣(ぼっけん)だ!

 いつの間にか外に出てきていたジャッカルが、ウォルターに言った。

「おい、あいつ……。魔物だぜ」
「ああ、雰囲気(ふんいき)で分かる。相当手強い」

 ウォルターがそう言ったとき、ラードルフは木剣(ぼっけん)(かま)えた。

「俺も剣術を心得ていてね。いつも木剣(ぼっけん)を持ち歩いている。人間族の剣術を見て見たいのだよ。お手合わせ願えるかね?」

 ジャッカルが、「ウォルター!」と叫び、木剣(ぼっけん)をウォルターに投げて(わた)した。

「ラードルフとやら。僕がこの勝負に勝ったら、お前たちはこの不浄(ふじょう)なるパンを持って帰り去れ!」

 ウォルターが声を上げたとき、ラードルフはまた笑った。

「ふふん、面白い。では俺が勝ったら、その聖女アンナをいただくとしよう。そして君は、俺の目の前であのパンを食べてもらおうか」
「何だと!」

 ウォルターは木剣(ぼっけん)(かま)えた。

 も、もしウォルターが負けてしまったら、彼は毒入りのパンを食べなくてはならないというの?

 私の目の前で、剣術の勝負が始まろうとしている。

 一方のデリック王子はあわてたような表情で、その光景を見ているだけだった。