俺はデリック・ボルデール。

 グレンデル王国の王子だ。

 窓から見える空はまるで古代の預言(よげん)書に書かれる魔界のような、恐ろしく暗い(くも)り空だった。

 時刻は夕方近く──十五時半。

 俺は昨日、母上──イザベラ女王に、「朝、城の敷地内(しきちない)にあるプラスティア墓地(ぼち)に来るように」と言われていた。

「ちっ、面倒(めんどう)くせえなあ」

 中年男の執事(しつじ)、ブルート・ドーソンに服を着替えるのを手伝ってもらいながら、俺は文句を言った。

 あの城の中庭の陥没(かんぼつ)事件があってから、母親の機嫌(きげん)が悪くて困るぜ。

 明日は昼から王族の友人と婚約(こんやく)者のジェニファーと一緒に、ウサギ()りに行く約束をしている。

 もしウサギ()りが中止になった──なんてことになれば、ジェニファーは怒り狂うだろう。

 下手をしたら(しり)をフォークで()される。

 今日はウサギ()りに行く。

 絶対だ──。

 ◇ ◇ ◇

 プラスティア墓地(ぼち)は城の北にあり、ほとんど誰も近寄らない場所だ。

 薄暗くて、無気味な(くず)れた墓ばかりがあり、嫌な場所である。

 その中央広場に俺の母親──イザベラ女王が一人で立っていた。

 城の執事(しつじ)たちはいない。

 嫌な予感がする。

「待っておったぞ、デリックよ。これより重要な儀式(ぎしき)を始める」

 母上は言った。

 ぎ、儀式? 何を言ってるんだ、この人は。

 黒雲から小雨(こさめ)が降り始めた。

「は、母上、明日は用があるんですよ。あまり疲れないようにしたいんです。俺の都合を考えてもらわないと困りますよ」

 俺はさっさと帰りたかったが、イザベラ女王は俺の質問に答えず言った。

「デリックよ、ここは悪魔召喚(しょうかん)にうってつけの場所じゃ」

 悪魔召喚(しょうかん)──。

 母上はわけのわからないことを言い、手に持った(つぼ)の中のものを広場に()いた。

 その(つぼ)の中のものは黒色の砂だった。

 不思議なことにその砂は勝手に土の地面の上に、円形の図を描いていく。

 こ、これは「魔法陣(まほうじん)」というやつか?

 するとすぐに、地面に砂で描かれた魔法陣(まほうじん)の上で爆発が起こった。

 俺は驚いて(しり)もちをついたが、すぐ頭上を見て驚いた。

「は、母上! あ、あれは……」

 空が赤黒く()まり、いつの間にか何かが(ちゅう)に浮かんでいる。

 人間……。

 いや、魔物か?

 獅子(しし)のような悪魔のような顔をした男が、腕を組んで(ちゅう)に浮かんでいた。

 体がバカでかく筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)、肌の色は真っ赤。

「う、うひいいいっ」

 俺は声を上げて震えあがった。

 男は、そこに存在しているだけで俺を威圧(いあつ)している。

 何なんだ、あの男は?

「私の名は魔王エレグロンド・バルジェガ三世」

 (ちゅう)に浮かぶ男はそう名乗った。

 ま、魔王……?

「お姿を拝見(はいけん)できて光栄です」

 あのいつも(えら)そうな母親が、その魔王とやらに対して(ひざまず)いてそう言った。

 な、何が起こっている?

 ──魔王バルジェガは言った。

「イザベラ女王よ。ローバッツ工業地帯に対しての実験はまだ続けておるな」
「はい、魔王様」

 ロ、ローバッツ工業地帯に対しての実験? 何のことだ?

「女王、お前は我ら魔族に忠誠(ちゅうせい)(ちか)った──そうだな?」
「その通りでございます。我が息子、デリックも(ふく)めて」

 は?

 忠誠(ちゅうせい)だと?

 は、母上が魔族に──こいつに忠誠(ちゅうせい)(ちか)った?

 しかも、お、お、俺も?

「お、おい、魔王とやら! お、お、俺は忠誠(ちゅせい)なんぞ知らんぞ。そ、そんなこと!」

 俺はあわてて魔王に向かって声を上げた。

(だま)れい、小僧(こぞう)っ!」

 魔王バルジェガなる男は左手を上げた。

 ──その瞬間、俺の横にある墓が爆発した。

 俺は三メートルはね飛ばされ、背中を強く打った……!

 空から雷撃(らいげき)が落ち、墓を破壊したのだ……!

 魔王の魔法だ!

「う、ぐ……。は、母上、こ、これはどういう……」

 俺は背中に痛みを感じながら母上に聞いたが、彼女の代わりに宙に浮かぶ魔王が言った。

「私とお前たちの契約(けいやく)は絶対だ。この契約(けいやく)を破ろうとすれば、一瞬で()()きになると思え。しかし、契約(けいやく)通り動けば、お前たちの希望はすべて(かな)えられるであろう」

 母上が頭を下げたとき、魔王の姿は消え、魔王の声だけが(ひび)いた。

「ではデリック王子──お前に、お前と同じ年代の私の息子を紹介しよう」

 何かが破壊される、耳をつんざく音がした。

 再び雷撃(らいげき)が落ち、今度は地面の石畳(いしだたみ)が破壊された。

 直径三メートル、深さ一メートルくらいの穴が空いている──。

 破壊された地面の中に、若い男が立っていた。

 長髪の背の高い男──いや、若い魔族だ!

「俺に(ひざまず)け、愚民(ぐみん)よ。俺はラードルフ・バルジェガ。魔界の王子だ」

 若い魔族は言った。

 ま、魔界の王子だと?
 
 そ、そんなヤツがいるのか?

「明日は、計画通りのことを()すことになっておろう」

 魔界の王子なるラードルフは母上に対して言うと、母上は返事をした。

「はい、息子のデリックに、ローバッツ工業地帯に例のパンを届けさせます」

 例のパン……?

 何だそりゃ?

「よかろう。ではデリック王子、明日、俺と一緒にローバッツ工業地帯に行こう。実験中の人間どもの様子を見てやる」
 
 ラードルフはそう言った。

 実験……。

 例のパン……。

 何のことだ……。

 ん? 明日のウサギ()りはどうなるんだ?

 ジェニファーに中止になったと伝えたら、あいつ、ブチ切れて物を投げてくるぞ!

 俺は別の意味でもゾッとした。