私たちは怪我をして傷ついた若者たち四名を、村の東にある集会所に運び込んだ。
ウォルターやジャッカル、比較的元気な村の若者たちが運び込んでくれた。
集会所の中は広いホールのようになっていたが、ただそれだけ。
中には何もない。
私たちは村でかき集めてきた古い毛布を敷き、怪我人たちを寝かせた。
「こ、これから何をするんだ?」
オールデン村長は眉をひそめて私を見て言った。
集会所にいるのは、私とパメラ、村長、怪我人四人と彼らの家族、友人の十名だ。
ウォルターやジャッカルたちは外に見回りに行った。
「傷が治りやすくするように、『外気』を天から授かり『気』を怪我人たちに放ちます」
私は頭の中に浮かんできた図形を、宙に指で描いた。
すると私の体の中に、空から外気が入ってきた。
若者たちの肩や足からはまだ出血があり、当然血は止まっていない。
「天使よ、この者たちの傷を早く治したまえ」
私は唱えた。
大きな治癒魔法を使用する場合なら、患者に「天使の許可の文言」を言ってもらう。
しかし、今回は傷を治すだけなのでその必要はなさそうだ。
私が床に寝かされた四人の若者に向かって両手を広げると、手から放たれた気が彼らを包んだ。
「あっ」
後ろで見ていた村人が言った。
「あいつの腕の傷を見ろ、少し小さくなったような気がするぞ」
「そんなバカなことがあるか」
オールデン村長は舌打ちしそう言い、若者の一人の傷を確かめた。
すると傷は小さくなっていて出血はほぼなくなっていた。
村人たちは他の怪我人の傷も確かめたが、出血が止まっている。
彼らは驚いて口々に言い始めた。
「そ、そんな……。さっきナイフで斬られてすぐだぞ。出血が本当に止まるなんて……」
「どの傷を調べても、傷口が小さくなっている!」
「それに皆、ぐっすり眠っているぞ。さっきまで痛がっていたのに……。不思議だ……」
「これがアンナの治癒魔法の効果だよ」
パメラが私の代わりに説明してくれた。
「アンナの守護天使や霊団が見えない力で、傷を癒したんだ。四人が眠っているのは、彼らが精神的に安定し安心したからだよ。良かったね」
しかし……!
「……信じられんな!」
オールデン村長はまたしてもジロリと私を見た。
「単に傷が浅かったからだ。時間経過とともに自然治癒して傷がふさがっただけだ! 治癒魔法などそんなものはない!」
「そう思われても構いません。重要なのは傷が治ったという結果──そうではありませんか?」
「む? ぐ、ぐむっ……」
オールデン村長は悔しそうに私を見た。
私はインチキ、まじない師と罵倒されたことが度々あるが、この治癒魔法は本当に人体を治癒できるものだと自負している。
「そんなことより、彼らがかなり痩せていたのが気になります。食事はどうなされていたのですか?」
「むっ……それは」
オールデン村長が何かを言おうとしたとき、パメラが私に静かに言った。
「怪我人たちの気の量は若いから多めだけど、少し不気味な深緑色の気が混じってる」
パメラが私に耳打ちした。
「アンナ、これ……ヘンデル少年と同じ毒素?」
確かに私の目にも、眠っている怪我人たちの気に、微量な深緑色の気が混じっているのが見える。
気の深緑色は体内に混在する毒を示すが、普通の人間でも毒素は微量に持っている。
したがって、毒が一概に悪いものとはいえないのだ。
「今、深く診るとまずいよね?」
パメラが考えるようにして聞いてきたので、私は答えた。
「うん。傷口がふさがりつつあるから、下手に動かすと良くないと思う」
体の中を深く診るのは彼らの体に負担をかける場合もあるし、無理に毒素を取り除こうとすると傷口がまた開いてしまう場合が多々あるのだ。
そのとき──若い女性が声をかけてきた。
「い、今、お取込み中ですか?」
「いえ、大丈夫ですよ。もう治癒は終わりました」
私が答えると、若い女性は涙ぐんで言った。
「私はレギーナ・オールデンという者です。村長の娘でございます。実はこの村の炭鉱の近くに、とある病気の男性が住んでおりまして……」
「やめろっ、レギーナ! 奇妙なまじない師に話しかけるな! こいつらはグレンデル城の役人だぞ!」
村長が声を上げると、パメラが口を開いた。
「ちょっと! 勘違いしてんじゃないの? 村長のおっさん!」
パメラが怒った。
「アンナやあたしたちはグレンデル城の役人じゃないよ。アンナは聖女だし、あたしは魔法使い。ウォルターは元騎士団長だけど辞めてるよ。グレンデル城とは関係ない」
「う、うぬっ。しょ、証拠は?」
オルデーン村長がそう反論したとき、レギーナという女性が泣き出した。
「お父さん、あのお方を何とかしてあげないと……。この村……いえ、この国の存亡にかかわります」
「ぐ、ぐぐ……」
オルデーン村長は額の汗を拭いた。
この村の……この国の存亡?
一体、どんな男性が病気だというのだろう?
私は気になって聞いた。
「そ、そのお方は一体誰ですか?」
「ここでは申せません。実際に会えば分かると思います。とても有名な方ですから……」
レギーナさんは真剣な表情だ。
ゆ、有名な方?
どういうことだろう?
「とにかく、私が診ましょう。その方の家に案内してください!」
私は立ち上がった。
「お、おい! 変な真似したら許さんぞ。俺も見させてもらおう!」
オルデーン村長も声を上げた。
とにかく、レギーナさん言う「男性」の病気を診なくては。
私はこのローバッツ工業地帯が抱いている謎に、まだ戸惑っていた。
その男性とは、一体何者──?
レギーナさんが言う、病気の「男性」に会いに炭鉱の近くまで行くことになった。
私とパメラ、レギーナさん、オールデン村長が歩いて男性に会いに行く。
レギーナさんが言うには、男性はとても有名な人物らしい。
一体、誰だろう?
◇ ◇ ◇
村の南はローバッツ山がそびえていて、そこには有名な炭鉱がある。
そのふもとにはぽつぽつ家々があるが、人気がない。
炭鉱の中で人が働いているとは思えない……。
「あっ、あの人」
パメラが声を上げた。
男性が外の砂利を籠ですくい上げ、よろよろと作業をしている。
ふらついてだいぶ辛そうだが……。
「ダメです! いけません!」
レギーナさんが男性に近づいて声を上げた。
「あなたは仕事をしてはいけません! 病人なのですよ」
「わ、分かっている。……だが、砂利を売って金を稼がないと、せ、生活できないではないか」
「私が野菜を売ってお金にしますから。あなたは寝ていてください」
「う、うむ……しばらく休もう」
男性は私たちのほうをちらりと見た。
彼はもの凄く汗をかいており、痩せ細っている。
しかも顔色が悪く、肌全体が黄色く見えた。
年齢は……五十代後半くらいか?
──なるほど、あの顔色と肌の色は内臓に問題がありそうね。
「さあ家に入って。横になって」
レギーナさんは男性にそう言って、一緒に家の中に入っていった。
もしかしてレギーナさんと男性は恋人以上の関係では……。
私とパメラはじっと二人を見ていたが、オールデン村長は私たち二人に「入ろう」と言った。
「彼……誰なんですか?」
「王族だ。それ以上は俺の口から言えん。恐れ多すぎてな……」
私が聞くと、オールデン村長はそう答えた。
お、王族?
恐れ多い?
◇ ◇ ◇
家に入ると、男性は奥の部屋のベッドで横になっていた。
レギーナさんがタオルで彼の顔を拭いている。
私は彼の顔色を見て言った。
「……『黄疸』ですね」
私は彼の顔や肌が、黄色く変色していることに気付いていた。
黄疸は血液中の物質の一部が増加し、顔色、肌が黄色く見える状態を指す。
この症状を持つ者は、繁華街の飲み屋に数多くいる。
大酒飲みに多いのだ。
「失礼します。ちょっと目を見せてください」
私はベッドに横になっている男性の目を観察した。
目も黄色くなっている。
黄疸の症状は一番目に出やすい。
レギーナさんは心配そうにして私に聞いた。
「彼、ど、どうなんでしょう?」
「黄疸が出ていることから考えられるのは、体の中……肝臓に炎症があると──」
「肝……臓……?」
レギーナさんは首を傾げた。
聖女たちが共有している医学知識では、臓器は透視魔法によって機能を調べ尽くされている。
しかし一般には臓器の知識は広まっていない。
「はい。──肝臓という、体内のとある部分が弱っていると思われます」
私は言った。
私は聖女として数多くの病人を見てきたが、最近、黄疸の症状を持つ者が増えてきているのに気付いていた。
世の中の景気が悪くなると、酒に溺れ、体を壊す者が多くなるからだ。
「レギーナさん、一体、この男性は誰なんだよ?」
パメラがレギーナさんに聞くと、彼女は答えにくそうにして言った。
「……グレンデル国王です」
え?
私とパメラは顔を見合せた。
私は男性をよく見た。
グレンデル国王はグレンデル城で何回かお見かけしたことはあるが……。
た、確かにこの男性は……。
痩せ細っているがグレンデル国王の面影がある!
つまりデリック王子の父?
いや……確かデリック王子とは血が繋がっていないはず?
「あ、あなたは本当にグレンデル国王なのですか?」
私はあわてて聞いた。
男性は少し考えているようだったが、やがてしっかりうなずいて「その通りだ」と言った。
なぜこの国の王がこんな貧しい炭鉱にいるのか?
そもそも王というのは城にいて、政治をしたりする者ではなかったか。
「ふ、複雑な理由がありそうですが、まずその前にあなたの症状を診ましょう」
私があわてて言うと、男性──グレンデル国王はうなずいた。
(考えられるのは肝炎かなあ? あれって大酒飲みに多いよね)
パメラが小声で私に耳打ちした。
「えーっと……グレンデル国王、あなたは飲酒しますか?」
私がグレンデル王に問診すると、彼は首を横に振った。
「薬草などで作られた薬物は摂取していますか?」
「香草茶は時々飲むが……薬はほとんど飲まんな……」
グレンデル国王はただそう言った。
肝臓は飲んだ薬草などの成分を分解する機能があり、薬草やその他薬物を飲みすぎると疲弊してしまう。
薬物を大量に摂取はしていない……と。
「生まれもって黄疸気味《ぎみ》の症状を持った人は、数多くいるからなあ」
パメラは深く考えながら言った。
うーん……確かに。
「血液を診たら?」
パメラの提案に私はうなずいた。
私は彼の腕に自分の手を当てがった。
私の頭の中に、彼の血液が体内を流れていく映像が飛び込んできた。
……流れは悪くない。
(ちょっと待って。グレンデル国王の気の中に、例の深緑色、混ざってるよね)
パメラが私に耳打ちした。
私にも確かに国王の体から立ち昇る気の中に、深緑色が見える。
深緑色は体内に毒素があることを示す。
しかもかなり大量だ!
「失礼します。体内にある臓器、肝臓という部分を調べます。よろしいですね?」
「……肝臓……。分かった」
グレンデル国王は言った。
私は彼の腹部より上の部分に手を当てた。
「あっ」
私は思わず声を上げた。
私の頭の中に彼の臓器──肝臓の映像が浮かんだ。
肝臓の色は普通、黒っぽい赤色だが──深緑色に変色している。
この色は……ヘンデル少年の肺にあった毒素を思い起こさせた!
私の頭の中にグレンデル国王の臓器──肝臓の映像が浮かんだ。
肝臓の色は普通、黒っぽい赤色だが──深緑色の変色している。
この色は……ヘンデル少年の肺にあった毒素を思い起こさせた。
◇ ◇ ◇
「国王、お願いいたします。『天使よ、治癒をお願いします』と言ってください」
私はベッドに横になっているグレンデル国王に言った。
この文言を言うことは、治癒魔法を天から授かるために必要なことだ。
国王は驚いた様子ではあったが、すぐにうなずいてくれた。
「ふむ……。『天使よ、治癒をお願いします』──これでよかろうか?」
私は彼の文言を聞き取ると、治癒を開始することにした。
「天使よ、命じます。肝臓の邪悪な異物を取り除きたまえ」
この言葉を言ったとき、私の頭の中に深緑色の肝臓が明確に浮かんだ。
グレンデル国王の肝臓だ。
肝臓は左右に広がっており、中を通る管も左右に広がっている。
その管の中に毒々しい緑色の毒素がこびりついている。
脂肪を消化するための胆汁と色が多少似通っているが、その毒自体が闇の気を放っているので間違いはない。
「天使のささやき、天使の導き、天使のきらめき……」
私は古来から伝わる文言を唱えながら、頭の中に浮かんだ図形を指で宙に描いた。
すると、管にこびりついた毒素が蒸散した。
「毒素が出てきたよ!」
パメラが声を上げた。
私は透視をやめ、すぐにグレンデル国王の体の気を見た。
すると深緑色の気が空中に霧散し、かき消えていった。
「ん……? 何だ? 体が軽くなったような……」
グレンデル国王はつぶやいた。
まだ汗をかいていたが、少し顔色が良くなったように見える。
パメラはネストールからもらったパンを丸め、国王の頭、肩、腹部、足にその丸めたパンを当てがっていった。
丸めたパンで細かい毒や邪霊を取り除くのだ。
「はい、こっち見ないで~。見ると毒が返ってくるし、邪霊が取り憑くことがあるからね~」
パメラは家を出ていって、丸めたパンを近くの川に投げ捨て戻ってきた。
グレンデル国王は身を起こそうとしたが、パメラは「だめだめ」と言った。
「体が弱っているのにすぐ動くと浮遊霊が飛びつくよ。油断しないでね、国王のおっちゃん!」
皆も国王も笑った。
あの気難しいオールデン村長も苦笑いしている。
さすがパメラ、国王様も「おっちゃん」呼びか……。
「国王の肝臓という体内の部位に、毒素がこびりついていたのです」
私はグレンデル国王に説明した。
「思い当たることはありますか?」
「ある。あるが……。ふむ……このことはなかなか言いづらい。すべての話はオールデン村長から聞いてくれんか。私は少し眠りたいのだが」
治癒魔法を受けた者が眠る、というのは良い傾向だ。
体が睡眠による自然治癒を欲しているのだ。
私が村長のほうを振り返ると、オールデン村長はうなずきグレンデル国王に言った。
「国王、この者たちにすべてお話ししてもよろしいでしょうか?」
「オールデンよ……構わん。私の病気を治癒してくれたのだ。アンナと……そしてパメラか。君たちは私の命の恩人だ……」
国王の話では、オールデン村長はすべての事情を知っているようだが……。
◇ ◇ ◇
私とパメラは村の集会所に戻り、オールデン村長から話を聞くことにした。
今現在、グレンデル国王は炭鉱の前の家で眠っている。
レギーナさんは国王のそばについてくれているようだ。
恐らく二人は年の離れた恋人同士なのだろう……。
しかし、国王の妻であるイザベラ女王と、国王の関係が気になるが……。
「そもそも、あの男性は本当に国王なのですか?」
私がオールデン村長に聞くと、彼はため息をつきながら言った。
「その通り。グレンデル国王だ」
「なぜ、このローバッツ工業地帯におられる?」
「グレンデル国王は、グレンデル城から逃げてきたのだ」
「ええっ? 逃げてきた?」
私は驚いたが、オールデン村長は話を淡々と続けた。
「俺は三年前までグレンデル城に、この炭鉱の石炭を届けていた。兵士の武器や鎧の鍛冶に使うためのものだ」
「そんな接点があったわけですか」
「そこでグレンデル国王と色々話す機会があった。グレンデル国王は武器や鎧に興味があり、俺の副業である鍛冶について詳しく聞いてきた。そこで仲良くなったのだが……。その頃から国王は体の調子を崩された」
オールデン村長は話を続けた。
「一年前、グレンデル国王は私を訪ねてこの村に逃げ込んできた。すでに相当やつれていた。国王は言われた。『グレンデル城の誰かに毒を盛られた』と」
「毒を!」
私は声を上げた
肝臓の中から取り出した毒は、一年前から蓄積されたもの?
しかし……。
「国王は病院に行かれたのですか?」
「ああ。ここに逃げ込む前、このローバッツ工業地帯近くにあるロブトフェールという街の病院にな。だが、ヤブ医者が担当し、そこでは治らなかったそうだ。彼は病院で一ヶ月過ごしたのち、このローバッツ工業地帯に逃げてこられたというわけだ」
「『お城で毒を盛られた』──この話は確かなのですか?」
「憶測になってしまうが……。イザベラ女王が勧めたチョコレート菓子を食べたらしい。国王は甘いものが好きだからな……。それを一ヶ月毎日食べていたらしいが、どんどん体調が悪くなったそうだ」
チョコレート菓子に毒を盛った……。
イザベラ女王がやりそうなことだ!
動機は分からないが、お菓子に毒を盛り、国王を殺そうとした可能性は高い。
しかし疑問が残る。
「一つ疑問があります。今から話すのはこのローバッツ工業地帯のことです。国王だけではなく、あなたも……そして若者でさえも、この村の者は痩せ細っているんです。私は若者の傷を見たとき、気に毒素が少量まぎれこんでいるのを見ました」
「な、なんだと?」
「私は明言します」
私は言った。
「あなたたちも──この村の村人たちも、毒を盛られている──! 何者かに!」
「な、なにっ?」
オールデン村長は目を丸くして私を見た。
「私は明言します」
私は言った。
「あなたたちも──この村の村人たちも、毒を盛られている──! 何者かに!」
「な、なにっ?」
オールデン村長は目を丸くして私を見た。
「ちょ、ちょっと待て。それは本当か?」
「ええ、間違いないと思われます」
「そ、そう言われると俺たちは何も食べられないじゃないか」
「あ、うーん……そうですね」
しかし村人の体内に毒があることは確かなのだ。
食物で摂取していると考えるのが最も妥当だろう。
この村の食料はすぐに調査したほうが良い──私はそう判断した。
「皆さん、食料はどうやって手に入れるのですか?」
「村の食料は──村人が畑で採れた野菜などを食料庫に置く。そして朝と夕、各自村人が食料庫から持っていく。それを各家庭で料理する。食料庫の使用料は村長の俺に払ってもらう」
私は「へえ」と驚いた。
「面白い制度ですね」
「飢饉がきたときに困らないように、常に食料は倉庫にあるように管理しておく。この村は貧しい。村人が協力し合わないと……」
「ちょっとその食料庫を見せていただけますか?」
私は申し出た。
パメラは集会所の隅で眠ってしまっている。
だいぶ疲れたんだろう。
私は使用していない毛布を、寝ている彼女の体にそっとかけた。
◇ ◇ ◇
今は夕方近くの十五時半──。
そろそろ日が落ちそうだ。
私とオールデン村長が集会所から外に出たとき、ウォルターが村の外の見回りから帰ってきた。
ジャッカルはまだ村の周囲を探索しているという。
私がウォルターに、グレンデル国王のことや彼の体内の毒のことを話すと、彼は非常に驚いていた。
「驚く話ばかりだが……。その食料の話も興味深い」
ウォルターは深く考えているようだった。
「結局、君は食料が怪しいと思っているのだな」
ウォルターの言葉に私はうなずいて答えた。
「ええ、村人は全員、ひどく痩せているのです。また、彼らの気からも毒が見えます」
「ふむ……。やはり毎日の食事に、何らかの原因で毒が混入していると考えるのが自然か。つまりその元──食料庫の食材に何かがある……」
ウォルターは何かを考えているようだった。
「実はな、僕は食事を非常に研究しているのだ」
「えっ? それは初耳ですね」
「騎士団員時代は体作りに気を使っていた。力を出すときに力が出ないといけない。そういうときに食事が最も重要なのだ。とにかく食料庫を見よう。──アンナ、君は食材に毒がないか見ることができるか?」
「えっ? しょ、食材に毒がないか……見る?」
私は戸惑った。
人間に毒があるか診ることはできるが、食料に毒があるか調べるなんてしたことがない。
そんなことができるのだろうか?
◇ ◇ ◇
──食料庫は、村外れの商店街の奥にあった。
私はウォルター、オールデン村長、そして炭鉱近くの国王の家から戻ってきたレギーナさんと一緒に食料庫に入った。
さて、食料庫の中だが──。
多くはないが、二週間分の食料、食材が置かれている。
「ええっと……。人参、ジャガイモ、米、キャベツ、砂糖、塩、バター、そして何らかの肉がありますね」
私は食材を一つずつ確認した。
とくにジャガイモとキャベツ、塩は袋に山盛りになっており、二週間であれば十分な量だろう。
「野菜や調味料は、足りなくなったら近くの街で買い足す。肉はイノシシ肉だな。旅人に分けてもらう」
オールデン村長は眉をひそめながら私に聞いた。
「ど、どうだ? 食材に毒はありそうか?」
「ええっと……」
私は目を凝らした。
塩、砂糖、野菜などの食材からそれぞれ気が噴出している。
ふむ……。
食材からは深緑色の気が出ていない。
つまりどの食材にも毒がないことが分かった。
それにしても──私が食材の毒を調べるのは一応可能であることが分かった。
これはなかなか興味深い発見だ。
「これらの食料の中には毒素はなさそうです」
私はそう結論を出した。
「ふう、そ、そうなのか」
オールデン村長は胸をなでおろした。
……そうなると村人は、毒をどこから摂取しているのか?
いや、そもそも村人は本当に毒を摂取しているのか。
私は余計な調査をして、村を混乱させているだけなのか?
「うーん……」
私はちょっと自信がなくなっていた。
「大丈夫だ」
察したウォルターがそう言ってくれた。
「自分を信じろ。アンナはたくさんの人を治癒してきたのだろう。今日もこの村に逃げてきたグレンデル国王を治癒したそうだな? それが君の力の証明だろう?」
「は、はいっ」
私はウォルターの言葉を聞き、背筋を伸ばした。
私は気を取り直してオールデン村長に聞いた。
「これらの食材はどこで手に入れたのでしたっけ?」
「もちろんこの村の畑だよ。別の街で買ったものもあるが」
「そういえば──最も重要な食料がありませんね?」
この世界の最も重要な食料といえば……パンだ。
パンはこの世界で最も食べられている食料、食材であり、パンが無ければ一日が始まらないという人もいるほどである。
私もネストールほどではないが、パンは一日一回食べなければ気が済まないほうだ。
「我々の主食であるパン……そしてその原料の小麦粉ですが……それが見当たらないですね」
「うむ、実はたまたま昨日、パンがカビていてな。廃棄したんだ。よくあることだが」
「ふうん? たまたま?」
私はオールデン村長をじっと見たが、娘のレギーナさんが言った。
「お父さんの言っていることは本当ですよ。この工業地帯は湿気が多いので、パンがカビることはよくあるのです」
「そうですか。レギーナさんが言うなら信用してもいいかな」
私が言うと、オールデン村長は怒りだした。
「おい! それってどういう意味だ、まったく」
「失礼しました。ところで、パンはどうやって手に入れるのですか? 手作りですか?」
「いや、それは……」
オールデン村長は言いにくそうだった。
おや?
私はパンに何か秘密がある、と感じていた。
「──パンはどうやって手に入れるのですか? 手作りですか?」
私はオールデン村長に聞いた。
「いや、それは……」
オールデン村長は言いにくそうだった。
おや?
私はパンに何か秘密がある、と感じていた。
◇ ◇ ◇
一通り、食材は見終わった。
私とウォルター、オールデン村長とレギーナさんは食料庫の外に出た。
村は夕日の橙色に染まっていた。
時刻はもう夕刻──十七時くらいだろう。
「そろそろ夕食の時間です。村人たちが食材を食料庫に取りに来る時間ですが、どうなさいますか?」
レギーナさんがそう話したとき、ウォルターが口を開いた。
「僕もさすがに腹が減ったよ。アンナ、──今のところ、食材に毒はないということが分かったのだろう?」
「ええ──。だけど、村人の体内には確実に毒が蓄積されているのです。どこで毒が混入しているのか、謎です。これから夕食時間ですが、一軒一軒夕食を見回って毒を見るのも大変ですね……」
「食事に毒があるかどうか、見るということか。だが、この問題は簡単に解決できる」
ウォルターが胸を張ってそう言ったので、私は驚いてしまった。
「僕が大量の料理を作り、アンナに毒がないかどうか確認してもらう。毒がないと確認されたその料理を村人の皆で食べればいい。そうすれば、村人が毒を摂取する可能性はほぼなくなる」
「ええっ? つ、つまり……」
「僕が『焚き出し』をする」
焚き出しという言葉は確か、軍隊の遠征で使う言葉だったような気がする。
「騎士団の遠征ではよくやるぞ。焚き出しとは、人数分の食事をいっぺんに作り、皆で一斉に食べることだよ。そうすると食材の使用に無駄が少ないからな」
ウォルターという人は男性なのに料理までできるのか。
グレンデル王国や周辺区域では、料理は女性がするものだと考えられている。
私は感心してしまった。
「焚き出しか。まったく大変なことになったな。だが、今の段階で食事に毒がどのように含まれるのか分かってないからな……。あんたたち任せるよ」
オールデン村長はそう言って頭をかいていた。
「私たちが普段食べる食事は、パンと様々な野菜を煮込んだスープ、たくさんの野菜を混ぜた肉野菜炒めなどですが……。それとは違うものですか?」
レギーナさんが興味深そうに、私とウォルターに聞いた。
「そのような料理とは違うものを作る。僕に任せてくれ」
ウォルターは張り切っている。
一体、どんな料理が出来上がるのだろう。
◇ ◇ ◇
ウォルターが作り出そうとする料理は驚くほど単純なものだった。
村の広場で焚火をし、その上に鉄板を置く。
そして鉄板の上で人参やジャガイモを厚く輪切りにして、バターで焼くだけだ。
キャベツも大ぶりに切って、ただ単に焼く。
ウォルターはこの料理を「騎士道焼き」と呼んでいる。
「何これ? 野菜の輪切りの……ステーキ? こ、こんなの初めて見た」
起きてきたパメラが眉をひそめて、鉄板の上のたくさんの野菜を見た。
私もこのような野菜料理を見るのは初めてだ。
また、米を塩と湯で煮て食べる──「米粥」という料理も完成させた。
小麦を牛乳とバターで煮る「麦粥」は知っているが、米が粥になるのか? と驚いた。
私は改めて食材の気を見て、毒がないことを確認した。
「ワハハ! 騎士道焼きと米粥じゃないか! 遠征のときに食べたなあ、おい。私にも手伝わせろ」
ジャッカルが見回りから帰ってきて、破顔して笑いながらウォルターの料理の手伝いをし始めた。
◇ ◇ ◇
夕刻、十八時半──。
夕食時間になった。
村人はこの村に六十五名いるが、全員皿と椀を持たせて広場に呼んだ。
グレンデル国王はまだ寝ているようだったが……。
騎士道焼きは鉄板で野菜を焼くだけなので、全然手間がかからない。
米粥も椀にすくうだけだ。
「なんだこりゃ」
「うまいのか、これ」
「こりゃ、野菜の輪切りのステーキか? 見たことのない料理だぞ」
鉄板を囲んだ村人たちは、珍しそうに騎士道焼きを見て──食べ始めた。
「おっ、これは……」
「う、美味い!」
「なんでこんなに美味しいんだ?」
絶賛の声が上がった。
ウォルターの料理は驚くほど美味しかった。
野菜のそれ本来の甘味とバターの味が、一緒に口の中に広がった。
人参もジャガイモもキャベツも、それぞれ個性的な味と歯ごたえがあることに改めて驚かされた。
「スープや野菜炒めは普通、野菜と野菜を混ぜて味を出すだろう。しかし、この料理は一つの食材を一つずつ丁寧に焼いて食べる。するとそれぞれの個性が、そのままの味と歯ごたえで味わえるのだ」
ウォルターは説明した。
「しかもこの地方は荒れ地で、野菜の生命力が強い。だから野菜の甘味が強く、とても美味いことに気付いた。だからこの料理を作ったのだ」
「どうだ、美味いだろ。騎士道焼きは。魔法使いの姉ちゃん、どうだ?」
料理を手伝ったジャッカルが、隣に座っているパメラに威張ったように言った。
するとパメラが言い返した。
「美味しいけど、何であんたが威張ってんの? ウォルターを手伝っただけじゃん。そもそもどうしてあんたは旅についてきたんだっけ~?」
「お、おい! それはお前らのことが気になってだな」
「誰のことが気になるの~?」
パメラはニヤついてジャッカルに聞いたが、ジャッカルは顔を真っ赤にして声を上げた。
「だ、誰でもいいだろ!」
米粥も、米の甘味が出ていて美味しかった。
村人たちは皆、これらの料理を「美味しい、美味しい」と言って食べてくれた。
しかし焚き出しをずっと続けるわけにもいかないだろう。
「そういえば、ネストールはどこに行ったの?」
私がパメラに聞くと、パメラは答えた。
「弟はもともと風来坊だし、どこかの街をほっつき歩いてると思う。心配いらないよ」
◇ ◇ ◇
ウォルターとパメラ、ジャッカルは鉄板を片付け、料理の後始末をし始めた。
村人たちが全員、家に帰ったとき私はオールデン村長に聞いた。
一番気になったのは、私たちの本来の主食であるパンのことだ。
「私が気になるのはパンのことです。米粥もいいけど、やはり我々の主食はパンです」
「うーむ……その通りだ」
「昨日までこの村では、パンを食べていたのでしょう? パンはどこで入手されていたのですか?」
「……明日になれば分かる」
オールデン村長は神妙な顔で言った。
「明日はパンが配給される日だ。……グレンデル城──イザベラ女王からな」
「イ、イザベラ女王?」
私は驚いて声を上げた。
私は嫌な予感がした──。
俺はデリック・ボルデール。
グレンデル王国の王子だ。
窓から見える空はまるで古代の預言書に書かれる魔界のような、恐ろしく暗い曇り空だった。
時刻は夕方近く──十五時半。
俺は昨日、母上──イザベラ女王に、「朝、城の敷地内にあるプラスティア墓地に来るように」と言われていた。
「ちっ、面倒くせえなあ」
中年男の執事、ブルート・ドーソンに服を着替えるのを手伝ってもらいながら、俺は文句を言った。
あの城の中庭の陥没事件があってから、母親の機嫌が悪くて困るぜ。
明日は昼から王族の友人と婚約者のジェニファーと一緒に、ウサギ狩りに行く約束をしている。
もしウサギ狩りが中止になった──なんてことになれば、ジェニファーは怒り狂うだろう。
下手をしたら尻をフォークで刺される。
今日はウサギ狩りに行く。
絶対だ──。
◇ ◇ ◇
プラスティア墓地は城の北にあり、ほとんど誰も近寄らない場所だ。
薄暗くて、無気味な崩れた墓ばかりがあり、嫌な場所である。
その中央広場に俺の母親──イザベラ女王が一人で立っていた。
城の執事たちはいない。
嫌な予感がする。
「待っておったぞ、デリックよ。これより重要な儀式を始める」
母上は言った。
ぎ、儀式? 何を言ってるんだ、この人は。
黒雲から小雨が降り始めた。
「は、母上、明日は用があるんですよ。あまり疲れないようにしたいんです。俺の都合を考えてもらわないと困りますよ」
俺はさっさと帰りたかったが、イザベラ女王は俺の質問に答えず言った。
「デリックよ、ここは悪魔召喚にうってつけの場所じゃ」
悪魔召喚──。
母上はわけのわからないことを言い、手に持った壺の中のものを広場に撒いた。
その壺の中のものは黒色の砂だった。
不思議なことにその砂は勝手に土の地面の上に、円形の図を描いていく。
こ、これは「魔法陣」というやつか?
するとすぐに、地面に砂で描かれた魔法陣の上で爆発が起こった。
俺は驚いて尻もちをついたが、すぐ頭上を見て驚いた。
「は、母上! あ、あれは……」
空が赤黒く染まり、いつの間にか何かが宙に浮かんでいる。
人間……。
いや、魔物か?
獅子のような悪魔のような顔をした男が、腕を組んで宙に浮かんでいた。
体がバカでかく筋骨隆々、肌の色は真っ赤。
「う、うひいいいっ」
俺は声を上げて震えあがった。
男は、そこに存在しているだけで俺を威圧している。
何なんだ、あの男は?
「私の名は魔王エレグロンド・バルジェガ三世」
宙に浮かぶ男はそう名乗った。
ま、魔王……?
「お姿を拝見できて光栄です」
あのいつも偉そうな母親が、その魔王とやらに対して跪いてそう言った。
な、何が起こっている?
──魔王バルジェガは言った。
「イザベラ女王よ。ローバッツ工業地帯に対しての実験はまだ続けておるな」
「はい、魔王様」
ロ、ローバッツ工業地帯に対しての実験? 何のことだ?
「女王、お前は我ら魔族に忠誠を誓った──そうだな?」
「その通りでございます。我が息子、デリックも含めて」
は?
忠誠だと?
は、母上が魔族に──こいつに忠誠を誓った?
しかも、お、お、俺も?
「お、おい、魔王とやら! お、お、俺は忠誠なんぞ知らんぞ。そ、そんなこと!」
俺はあわてて魔王に向かって声を上げた。
「黙れい、小僧っ!」
魔王バルジェガなる男は左手を上げた。
──その瞬間、俺の横にある墓が爆発した。
俺は三メートルはね飛ばされ、背中を強く打った……!
空から雷撃が落ち、墓を破壊したのだ……!
魔王の魔法だ!
「う、ぐ……。は、母上、こ、これはどういう……」
俺は背中に痛みを感じながら母上に聞いたが、彼女の代わりに宙に浮かぶ魔王が言った。
「私とお前たちの契約は絶対だ。この契約を破ろうとすれば、一瞬で八つ裂きになると思え。しかし、契約通り動けば、お前たちの希望はすべて叶えられるであろう」
母上が頭を下げたとき、魔王の姿は消え、魔王の声だけが響いた。
「ではデリック王子──お前に、お前と同じ年代の私の息子を紹介しよう」
何かが破壊される、耳をつんざく音がした。
再び雷撃が落ち、今度は地面の石畳が破壊された。
直径三メートル、深さ一メートルくらいの穴が空いている──。
破壊された地面の中に、若い男が立っていた。
長髪の背の高い男──いや、若い魔族だ!
「俺に跪け、愚民よ。俺はラードルフ・バルジェガ。魔界の王子だ」
若い魔族は言った。
ま、魔界の王子だと?
そ、そんなヤツがいるのか?
「明日は、計画通りのことを成すことになっておろう」
魔界の王子なるラードルフは母上に対して言うと、母上は返事をした。
「はい、息子のデリックに、ローバッツ工業地帯に例のパンを届けさせます」
例のパン……?
何だそりゃ?
「よかろう。ではデリック王子、明日、俺と一緒にローバッツ工業地帯に行こう。実験中の人間どもの様子を見てやる」
ラードルフはそう言った。
実験……。
例のパン……。
何のことだ……。
ん? 明日のウサギ狩りはどうなるんだ?
ジェニファーに中止になったと伝えたら、あいつ、ブチ切れて物を投げてくるぞ!
俺は別の意味でもゾッとした。
「よかろう。ではデリック王子、今から俺と一緒に、ローバッツ工業地帯に行こう。実験中の人間どもの様子を見てやる」
ラードルフはそう言った。
実験……。
例のパン……。
何のことだ……。
◇ ◇ ◇
俺はデリック・デルボール。
グレンデル城の王子だ。
俺、そして魔界の王子なるラードルフ・バルジェガは、一緒にグレンデル城の馬車の停車場に行くことになった。
「ローバッツ工業地帯にパンを配送せよ──」
それがプラスティア墓地で女王から俺に与えらえた使命だ。
「何で王子の俺が!」
俺は思わず叫んだ。
意味分からん。
そんな仕事は侍従とかにやらせとけば良いんじゃないのか?
それに一体何なんだよ、この魔界の王子とやらは。
ニヤニヤ笑っているし……。
馬車の停車場は庭園の横にあり、すでに馬車が二台用意されている。
「ん? ……あれは何だ?」
俺はふと空を見上げた。
「うっ……!」
馬車の停車場の空に、無気味な黒雲が浮かび俺たちを見下ろしている。
あ、あの黒雲、ときおり電流のような雷を帯びているぞ。
「デリック王子、あの黒雲には魔王バルジェガの魂の片割れが入っている。お前を監視しているのだ!」
はあ?
俺はラードルフの言葉を鼻で笑った。
「ワハハハ! そんなバカな。あの雲の中にお前の親父が入ってる? バカも休み休み言えよ」
俺が笑いながら言ったとき──。
耳をつんざくようなすさまじい音がして、地面に大穴が空いた。
黒雲から雷撃が降ってきて、俺の横を直撃したのだ。
墓地で見た雷撃と一緒だ!
停車場の馬たちが飛び上がっていなないた。
「デ、デリック王子! 大丈夫ですか! あの黒雲に逆らってはいけません」
俺の執事、ブルート・ドーソンが馬車の停車場に駆け込んできた。
ブルートは尻もちをついている俺を助け起こして言った。
「王子、あなた様は早くパンを配送しなければなりません」
ブルートが二台の馬車を指差した。
赤い馬車の荷台には角パンが山ほど積まれている。
ベルトで固定され縛りつけられ、崩れないようになっているのだ。
もう一方の青い馬車には俺とラードルフが乗るらしい。
ラードルフはクスクス笑っているが、俺はブルートに聞いた。
「お、おい、パンの配送って……。女王は王子の俺に本気でそんな命令を出しているのか?」
「私はローバッツ工業地帯に、週一回、パンを配送しておりました。今回は王子、あなた様がその役目をするのです」
「お、お前がいつもどこかにパンを配送している話は、ちょっと聞いたことがあるが……」
「私はいつもあの黒雲に監視され、パンを配送しておりました」
ラードルフはまた笑っている。
こいつ、本当に魔界の王子か?
本当は、どこかの旅芸人かなんかだろう?
「女王──母上はどこにいった?」
俺がブルートに聞くと、彼は言った。
「親族会議に出かけられました」
「それにしても──何であのさびれたローバッツ工業地帯に、パンを配送する必要があるのだ?」
「そ、それは……私の口からはとても言えません。重要な実験なのです」
また実験の話か。
なんなんだ、それは。
「そして王子、絶対にあのパンを口にしてはいけません。分かりましたね?」
は?
意味が分からん。
食べられないパンを配送するってことか?
何だそりゃ。
そもそも本当に王子の俺が、パン配送などという仕事をしなければならんのか?
こんな魔界の王子と名乗る、いかがわしい旅芸人と一緒に何で──と思っていたそのとき──。
「何だ、さっき大きな音がしたぞ」
「雷のような音が鳴ったな」
「馬車の停車場のほうで鳴ったわ」
城の兵士や侍従、侍女たちが馬車の停車場に駆け込んできた。
すると──!
「見世物ではないっ! 消え失せろ、愚民!」
ラードルフが声を上げて手を前に突き出した。
すると馬車の停車場の入り口で爆発が起き、兵士たちが吹っ飛んだ。
う、うわあああ……!
「『爆発魔法』だ……。お前たちをいつでも殺せる。騒ぐんじゃない」
ラードルフは淡々と言った。
停車場の入り口の塀が吹っ飛んでいた。
兵士も数人倒れている。
「お、おい! し、死んだのか?」
俺はラードルフに聞いた。
「お、お前、何やつ! デリック王子をお守りしろ!」
「王子、今、お助けしますぞ!」
爆発に巻き込まれていない兵士たちが、ラードルフを見て突撃しようとした。
ラードルフは笑って言った。
「爆発魔法を受けた兵士どもは気絶しているだけだ。こんな場所で本気の魔法など放つまい。だが、今度は本気でやるぞ」
「ま、待て! 兵士ども!」
俺はあわてて兵士を止めた。
城の兵士が何人死のうが俺は知ったこっちゃない。
だが、下手に騒ぐとこの魔界の王子が逆上し、今の爆発魔法を俺に放ってくるかもしれない。
「た、頼むから近づくな! 騒ぐな!」
俺は叫んだ。
兵士たちは顔を見合せている。
ラードルフは高笑いしていた。
こ、こいつ、旅芸人なんかじゃない。
ほ、本物の魔界の王子──!
黒雲はまだ俺を監視するように、空から見下ろしている。
「い、行けばいいんだろ! パンを配送しに! くそ!」
俺は食べられないパンを、なぜかさびれた土地であるローバッツ工業地帯に配送することになってしまった。
王子の俺がだ!
意味が分からんが、どうにでもなれだ──!
俺──デリック・デルボールは「食べられないパン」を、なぜかさびれた土地であるローバッツ工業地帯に配送することになってしまった。
王子の俺がだ!
◇ ◇ ◇
その日の朝、九時半。
なぜか今日、俺は行く予定だったウサギ狩りに行かず──魔界の王子なるラードルフと一緒に馬車に乗っている。
行き先はローバッツ工業地帯だ。
俺とラードルフの乗っている馬車は青い馬車。
俺たちの馬車の三メートル前を走っているのが赤い馬車だ。
赤い馬車の荷台には例の食べられないパンが山ほど積み上げられて、ベルトで固定され輸送されている。
そして魔王の魂が入った不気味な黒雲が、俺たちの馬車を監視するように一緒に移動してきている。
「そんなことより……どういうことなんだ、これは」
俺はイライラしながら言った。
なぜか馬車の客車に乗ったラードルフの隣には、俺の婚約者のジェニファーが笑顔で座っていた。
普通、婚約者というものは、俺の隣にいるもんだろ!
俺はラードルフの正面に座っている。
そして俺の右隣にはジェニファーの新しい若い侍女、ルチア・マグナスが座っていた。
「ねえデリック! このかっこいい人、誰なんだっけ? まあ、いい男なら誰でもいいけど」
ジェニファーはラードルフの腕に寄り添っている。
ジェニファー……俺の前で堂々と浮気っぽいことをするなよ!
しかも魔界の王子と!
ジェニファーはウサギ狩りが中止になったため、宝石商がたくさんいるライドマスにルチアと買い物に行く予定らしい。
「それにしてもあんたの親父は恐ろしいよな。油断してると雷撃が落ちそうだぜ」
俺は正面に座っているラードルフに、顔をひきつらせながら言った。
──その瞬間!
轟音が響き渡った。
地面に雷撃が落ちたのだ!
「キャアーッ」
ジェニファーとルチアが声を上げた。
馬車の馬は急停止し、俺たちは馬車から放り出されそうになった。
赤い馬車はかなり前を走っているからパンは大丈夫だが、青い馬車に乗った俺たちは大怪我をするところだった。
「ハハハ! 言葉に気を付けろ、グレンデル城の王子よ!」
ラードルフは高笑いして空を指差した。
例の魔王の魂が入った黒雲が、またしても雷撃を放ったのだ。
まだ俺たちの馬車の上空を漂って、ついてきている。
本当に俺たちを監視しているらしい。
このくだらんパンの配送を完遂しなければならないということなのか。
俺は目の前を走る、赤い馬車のパンの山をにらみつけた。
一体、あのパンは何なんだ?
どんな秘密があるっていうんだ?
◇ ◇ ◇
「じゃあ……また会いましょう。素敵な方……」
ジェニファーは頬を染めながらラードルフと握手し、馬車を降り立った。
そして侍女のルチアとライドマスの街に消えていった。
また俺たちの馬車とパンを積んだ馬車は、ローバッツ工業地帯に向けて走り出した。
「お前……。俺の婚約者を盗るんじゃねえぞ」
俺はラードルフに言ったが彼はひょうひょうと笑った。
「そんなつもりはないぞ。だが、人間の女も良いもんだな」
「おい、そんなことより、このパンの配送の秘密を説明しろ。あのパンは何なんだ?」
俺は目の前の赤い馬車に積まれたパンを見つつ言った。
するとラードルフはとんでもないことを言いだした。
「あのパンには毒が入っている」
「は?」
「お前の母親──つまり女王がグレンデル国王を毒殺しようとしたのと同じ毒が、あのパンに入っている」
「はああああ?」
俺は目を丸くしてクスクス笑っているラードルフを見やった。
俺たちの馬車は荒れ地に入った。
「ど、どういうことだ、ラードルフ! そんなこと知らんぞ!」
「イザベラ女王はお前の義理の父親、グレンデル国王を毒殺しようとした。毒をチョコレート菓子に入れてね」
グ、グレンデル国王は甘いもの好きで有名だった……。
俺は額の汗を拭きつつ、ラードルフの話を聞いた。
「バルフェーサの草のエキスを抽出すると、毒ができる。これは我々、魔族の知識だよ」
「や、やべえぞこれ。──いや待て、ちょっと整理しよう。そもそも何でお前がそんなことを知っている?」
俺の質問に、ラードルフが答えた。
「この計画は俺の親父──魔王バルジェガが計画したことだからだ。そして女王は魔王の言うままに動いている──。が、あの女王は欲の強い人間だ。国王を毒殺しようとしたのは、あの女の意志だがな」
「な、何で母上はグレンデル国王を殺そうとした?」
「簡単な動機だ。グレンデル王国が手に入るからな」
「な、何?」
「国王が存命したままでは、グレンデル王国の法律によりグレンデル王国は国王のものらしいからな。そしてグレンデル王国全土は、魔王バルジェガに捧げられることになる」
「な、何だとおおっ? ほ、本当か」
毒に関しては身に覚えがあった。
二年前だったか……俺は母上が持ってきたチョコレート菓子をつまみ食いしようとした。
すると母上はあわてて俺からチョコレート菓子を奪って、窓からポイと捨てたっけ……。
あ、あれに毒が入っていたのか!
──グレンデル国王は身に危険を感じて失踪した!
「じゃ、じゃあ、何でローバッツ工業地帯に毒入りパンを配送するんだ?」
「実験だ。超大国と渡り合っていくときに、敵国の街に忍び込みパンを配る。すると勝手に人が死んだり病気になっていくというわけだ。その実験をローバッツ工業地帯でしている、というわけだ」
俺はゾッとした。
冷や汗が止まらなかった。
お、恐ろしい計画だ!
「なぜ魔王はそんな計画をする? 力で征服しないのか?」
「この世界の各地にはまだまだ人間の強者がいる。魔王をおびやかすような……。だから人間の世界を手に入れるためには、必要な実験なのだ」
「こ、今日までその毒入りパンを食べているローバッツ工業地帯の連中は……今現在……どうなっているんだ?」
「毒の蓄積はあるが生きている」
「な、なぜだ」
「毒を入れないパンを配るときがあるからだ。また、毒が入っているパンと入ってないパンを同時に配るときもある。だから毒が入っていると気付かれにくいし、三年以上も実験を行なえているというわけだ」
な、なるほど! と、感心している場合じゃない!
こ、この悪魔め!
「ゆくゆくはデリック王子、お前もグレンデル国王となる。この毒入りパンの使用方法は学んでいたほうが良いと思うぞ」
「ど、どうしてだ」
「敵国を壊滅させるのに、すごく効果的だからだ。だからお前はローバッツ工業地帯を視察をする必要があった。お前も国王になれば分かる」
ラードルフは笑って言った。
た、確かに毒入りパンを配ることに成功すれば、街一つの壊滅は簡単かもしれん。
だが、ローバッツ工業地帯に行くのは、とても嫌な予感がする。
誰か、俺の驚くような人物が、ローバッツ工業地帯にいるような気がする……!
私は聖女、アンナ・リバールーン。
ここはローバッツ工業地帯の村。
今日は焚き出しの翌日、今の時刻は昼近くの十一時。
私、パメラ、ウォルター、ジャッカルは集会所を寝床にして宿泊した。
村人たちは畑仕事や炭鉱の仕事、砂利集めなど仕事にいそしんでいるようだ。
ローバッツ工業地帯の村人は朝食をとらないらしい。
「うーむ、俺たちの体の中に毒物があるのは分かった」
集会所にやってきたオールデン村長は、残念そうに言った。
「大丈夫です。私が村人全員の毒を取り除きますから」
私が言うと、村長は「そ、そうか。頼む」と頭を下げた。
「実は村人たちも、自分の体が痩せ細っているので毒を摂取してしまっているのではないかと、薄々は気付いているんだ。だが、我々の村には病院もないし、そもそも病院にかかる金の余裕もないからな……」
「毒のもとを断ち切りましょう。そうすれば村人たちの肉体も健康的になります」
「その毒がどこから出ているのか分かったか?」
「予想はついているのですが、憶測だけで判断するのは危険です」
そういえば、炭鉱近くにいる国王様はどうなさったのだろう。
私の治癒魔法を受けてからの健康状態を知りたいが……。
しかし今日は村に大事なものが配送、配給される日らしい。
「今日はパンが配給されるのでしたね」
「そうなんだ。この村は小麦類が栽培できない土地でな……。だが村人はやはりパンが欲しいということで一週間に一度、配給を受け入れているんだ」
この近隣諸国ではパンは人々の生活に欠かせない、大事な聖なる食べ物だ。
私もパンを食べないと力がでないと感じるほうだ。
「そろそろパンの配送者が来る時間だが……」
村長がそう言ったとき、「パンが来たぞ!」と外で声がした。
私はあわてて外に出た。
一週間に一度、この村に配給されるパンが怪しいのは分かっている。
だが、そのパンを実際に見てみないと何ともいえない。
村の入り口付近に馬車が二台停車しており、パンの配送人と思われる人物が村人を集めている。
「さあ美味いパンだ! これから配るぞ!」
ん?
聞き覚えのある声だが……。
「ええ?」
私は目を丸くした。
デ、デリック王子!
私の元婚約者がパンの配送人?
「ん?」
デリック王子は御者たちとともに、赤い馬車に積まれた山のようなパンのベルトを解こうとしていた。
その手を止めて、私の方を見た。
「な、な、なんでお前がこんなところにいるんだ?」
「あ、あなたこそ、どうして? デリック王子!」
「どういうことなんだ、アンナ。お前がいるとは……」
このパンはグレンデル城から配送されたパン!
私は馬車に積まれているパンの山を睨みつけた。
パンの山から緑色の毒素の気が、もうもうと立ち昇っている。
「あれが村人の毒の原因か……!」
私はつぶやくように言った。
そして素早くオールデン村長に聞いた。
「いつもデリック王子がパンを配送している……わけではありませんよね?」
私と付き合っていたころのデリック王子からは、パン配送の話など聞いたことがない。
村長は言った。
「いや、今まで週に一度来ていたのはブルートというグレンデル城の執事だ。……あ、あの男は王子なのか? 驚いたな」
「さ、さあ、パンをこれから配るぞ! 美味しいパンだ!」
デリック王子は作り笑いをして、村の子どもたちに言った。
「──おやめなさい! その毒入りパンを受け取ってはなりません!」
私は声を張り上げた。
「何だと?」
デリック王子は私をジロリと見やった。
「アンナ、お前、今何と言った? とんでもないことを言ったな」
「ええ、言いましたよ。『毒入りパンを受け取ってはならない』と!」
「証拠はあるのか? パンを切って断面を見てみろ。中は真っ白いはずだぞ。しっかりした美味しいパンだ」
「いえ、私には見えますよ、パンから立ち昇る緑色の毒素が! 毒素は恐ろしく微細な粉末で、注意深く生地に練り込まれているはずです。パンの断面を見ても、毒素の緑色が分からない状態になっていると思われます。そうでしょう?」
「あ、相変わらず口だけは達者な女だ。お、おい、何とかしてくれ」
デリック王子はちらりと横に立っている男を見た。
ん?
誰だろう? あの男性は……。
長身の美男子だ。
ニヤニヤ笑ってこっちを見ている。
「俺はラードルフという者だがね」
男は私に言った。
な、何?
人間……?
い、いや、一見、人間に見えるが……。
なんという禍々しい気をまとった男なのだろう?
「おお……。お前が聖女という人間の女なのか?」
ラードルフという男は、私をまじまじと見た。
「な、なんと高潔な……分かる、分かるぞ。お前は神に仕える人間なのだな」
「そ、それがどうしたのですか? わ、私を……そんなに見ないでください」
「欲しい。お前が──」
ラードルフが右手を私に向かって伸ばしたとき──。
そのラードルフの右手首を誰かが横から掴んだ。
「聖女にさわるんじゃない!」
ウォルターだ!
ラードルフはウォルターを睨んだ。
「……何だ? お前は」
「グレンデル城の元騎士団長、ウォルター・モートンだ」
「ほほう? この聖女とどんな関係だ」
「僕は彼女を全身全霊で守る立場だ。ここから立ち去れ、ラードルフとやら」
「フフフッ……。何と、人間の騎士団長とは。ということは剣術の使い手なのだな。そうだろう?」
ラードルフはウォルターの手を振り払い、馬車の荷台から何かを取り出した。
木剣だ!
いつの間にか外に出てきていたジャッカルが、ウォルターに言った。
「おい、あいつ……。魔物だぜ」
「ああ、雰囲気で分かる。相当手強い」
ウォルターがそう言ったとき、ラードルフは木剣を構えた。
「俺も剣術を心得ていてね。いつも木剣を持ち歩いている。人間族の剣術を見て見たいのだよ。お手合わせ願えるかね?」
ジャッカルが、「ウォルター!」と叫び、木剣をウォルターに投げて渡した。
「ラードルフとやら。僕がこの勝負に勝ったら、お前たちはこの不浄なるパンを持って帰り去れ!」
ウォルターが声を上げたとき、ラードルフはまた笑った。
「ふふん、面白い。では俺が勝ったら、その聖女アンナをいただくとしよう。そして君は、俺の目の前であのパンを食べてもらおうか」
「何だと!」
ウォルターは木剣を構えた。
も、もしウォルターが負けてしまったら、彼は毒入りのパンを食べなくてはならないというの?
私の目の前で、剣術の勝負が始まろうとしている。
一方のデリック王子はあわてたような表情で、その光景を見ているだけだった。