私はアンナ・リバールーン。

 婚約(こんやく)相手のデリック王子から、婚約(こんやく)破棄(はき)を言い渡された。

 そして彼はこう言った。

「まあ、浮気していたことは悪かったさ。まあ、その代わりと言っちゃなんだが、牢屋にいる囚人(しゅうじん)をお前にやろう。奴隷(どれい)()し使いとして、連れていけ」

 聖女の私に囚人(しゅうじん)を押し付けるなんて……!

「さっさと囚人(しゅうじん)を連れて城から出ていきなさいよ! アンナ!」

 私はジェニファーに靴先(くつさき)()られた。

 ◇ ◇ ◇

 私はジェニファーに()られたあばら骨に痛みを感じながら、牢屋(ろうや)番の若い男性兵士、ジム・ロークについて行った。

 私たちはグレンデル城の地下に降りた。

 廊下(ろうか)に取りつけられたランプの光が、燃えるように光っていた。

「王子がおっしゃる囚人(しゅうじん)はこちらです」

 ジムが歩きながら言うと、私は(しぶ)い表情で口を開いた。

「あの、私は囚人(しゅうじん)をもらい受けるなど……。ご遠慮(えんりょ)したいのですが」
「デリック王子の言いつけです。あなたに拒否(きょひ)されると私も困ります。とにかく囚人(しゅうじん)とお会いになってください」

 ジムはそう言ったが、私はすぐに聞いた。

「一体、その囚人(しゅうじん)は何者なのですか?」
「私が説明するより、会ったほうが早いでしょう。さあ、牢屋(ろうや)の中に『ウォルター・モートン』がいます」

 ジムと私は牢屋(ろうや)の前に立った。

 鉄格子(てつごうし)がはめられた、大きな牢屋(ろうや)が目の前にある。

 その鉄格子(てつごうし)の奥には、薄汚れたベッドと机があった。
 
 そしてそのベッドには、白いシャツを着た青年が座っていた。

 彼が囚人(しゅうじん)のウォルター・モートン……。

 おや? どこかで聞いた名前だな……。

「彼が牢屋(ろうや)から出られるのは、二日に一回の沐浴(もくよく)のときだけです。もちろん、城外(じょうがい)には出られません」

 私は牢屋(ろうや)の中の男を見た。

 うつむいて、ただ座っている。

 おや?

 服は清潔(せいけつ)だし(ひげ)も伸びていない。

「身なりは清潔(せいけつ)なのですね」
「はい。囚人(しゅうじん)といえども清潔(せいけつ)にしていないと王のお(きさき)──女王に、牢屋《ろうや》番の私が怒られますからね。彼は二日に一回、シャツを取り()(ひげ)()ります」

 ジムは説明してくれた。

 だが、城の外には出られない……と。

 私は何となく彼がかわいそうに思った。

「あの……」

 牢屋(ろうや)の中の囚人(しゅうじん)、ウォルターは顔をあげ、私をジロリと(にら)みつけた。

 私は怒鳴りつけられるのを覚悟で、挨拶(あいさつ)をした。

「こ、こんにちは。ご機嫌いかが、ウォルター・モートンさん」
「何だ、君は」
「聖女のアンナ・リバールーンです」
「聖女だって?」

 囚人(しゅうじん)ウォルターは舌打ちし、(するど)い目で私を再び(にら)んで叫んだ。

「聖女が僕に何のようだ? 見世物(みせもの)小屋《ごや》じゃない! ここから離れてくれ!」
「彼は二年間もこの牢屋に入っています」

 ジムは小声で説明してくれた。

「二年間も!」

 私が叫ぶと、囚人(しゅうじん)ウォルターは静かに言った。

「聖女、さっさとここから去ってくれ。あなたのような女性が来る場所じゃない」

 おや?

 彼の言葉の端々(はしばし)は、よく聞くと丁寧(ていねい)だ。 

 ……囚人(しゅうじん)特有の荒々(あらあら)しさを感じない。

 育ちの良さを感じさせる。

 不思議な囚人(しゅうじん)だわ……。

「いいえ、聖女だからここに来たとも言えます」

 私は聖女らしく言ってみたが、彼は眉をひそめて聞き返してきた。

「何だって?」
「神の(おぼ)し召《め》しです」
「ハハハ!」

 ウォルターは声を上げて笑った。

「神か! 神という者がいるのなら、なぜ僕はこんな薄暗(うすぐら)牢屋(ろうや)に入っているのかな?」
「……ウォルターさん、あなたは一体、何をなさってこんな牢屋(ろうや)に入っているのです」
「王子を()った。そういうわけさ。それ以上は言う必要ないだろう」

 お、王子を()った?

 それは殺害しようとした、という意味だろうか。

 ん?

 そういえば私は二年前、王子を治療(ちりょう)していたときに──とある噂話(うわさばなし)を聞いたことがあった。

「二年前、デリック王子が負傷(ふしょう)したのは、騎士(きし)団長との稽古(けいこ)最中(さいちゅう)だと聞きました」

 ウォルターは黙っている。

 私は続けて聞いた。

「もしかしてあなたは、グレンデル城直属の騎士(きし)団長様?」

 彼は(だま)っている。

「アンナ様、その通りですよ」

 ジムがそう言ったので、私は彼が騎士(きし)団長のウォルター・モートン氏だと確認できた。
 
 彼は有名人だ。

 新聞で、二十歳の剣術と馬術の天才騎士(きし)団員、ウォルター・モートンが騎士(きし)団長に就任、という記事を見た覚えがある。

 しかし三ヶ月後に別の内容の新聞記事で、彼は一躍(いちやく)有名になった。

「ウォルターさん、あなたのことを知っています。有名な騎士(きし)団長ではないですか。しかし、騎士(きし)団長に就任した三ヶ月後、デリック王子を負傷させ牢屋に入れられた……!」
「確かに僕は、その元騎士(きし)団長のウォルター・モートンだ」

 彼は無表情で言った。

「僕は王子を()りつけて重傷(じゅうしょう)を負わせた。騎士(きし)団長として失格だ。牢屋(ろうや)に入る義務がある」
「違うでしょう、ウォルター先輩(せんぱい)!」

 いきなり大声を出したのは、牢屋(ろうや)番のジムだった。

「私は知っている! 本当はデリック王子がウォルター・モートン──あなたを殺そうとした!」
「えっ?」

 私は唖然《あぜん》とした。

 な、何を言っているの? ジム!