ウォルターは息をつき木剣(ぼっけん)を受け取ると、「彼」に向かって構えた。

 その悪魔兵士と呼ばれた男は──私を牢屋(ろうや)に案内してくれた、あの親切な男性兵士。

 グレンデル王国を追放されたはずのジムだった──。

「ウォルター先輩(せんぱい)、私はとても(うれ)しいです」

 鈍色(にびいろ)に光る(おの)を持ったジムは、笑顔で言った。

 彼は一見、普通の男性──兵士に見える。

 だが彼が体にまとう「(アーダ)」は、闇色(やみいろ)()悪道(あくどう)を行く者に見えた。

「グレンデル王国最強の騎士(きし)、あなた──ウォルター・モートンと戦えるのだから」
「ジム……君は悪魔に……女王に魂を売ったのか? 騎士道(きしどう)はどうした?」
「私はただ、強くなることが騎士道(きしどう)だと考えております」

 突然(とつぜん)ジムの体は(ふく)れ上がり、元の体の三倍は大きくなっていた。

 すでに体の色は血色(ちいろ)()まり、鬼の顔をした魔人(まじん)と化している。

 ……私はジムを見ていて(つら)かった。

 彼はすでに悪魔と契約(けいやく)を交わしてしまったのだ。

「ジム、それがお前の考える騎士道(きしどう)か」

 ウォルターは木剣(ぼっけん)を改めて構えた。

「では稽古(けいこ)を始めよう。今のお前が、騎士(きし)から最も遠い状態だと分からせるために」
(だま)れっ!」

 ジムは(おの)物凄(ものすご)い勢いで(たて)に振り下ろしてきた。

 ウォルターはそれをいとも簡単に見切り──後方に()け、一瞬のうちに木剣(ぼっけん)をジムの首に当てがっていた。

「なっ……なんだと」

 イザベラ女王は目を丸くして驚いていた。

「何をしている、ジム! お、お前は悪魔の力を得たのだぞ!」

 ジムは首に当てがわれた木剣(ぼっけん)から逃れるために、あわてて床に転げた。

「ジム、それではダメだ」

 ウォルターは木剣(ぼっけん)を地面に転んだジムに振り下ろす。

「う、うわあっ」

 ジムはそれをかわそうとして急いで右に横っ飛びして、それを()けた。

 ジムは巨体を起こしてすぐに立ち上がった。

 しかし、彼の顔から大量の冷や汗が出ている。

 いつの間にか、ジムの「みぞおち」にウォルターの木剣(ぼっけん)が突き立てられていたのだ。

 ──木剣(ぼっけん)ではジムは殺せない。

 しかし騎士道(きしどう)では、木剣(ぼっけん)でも急所をとらえられた者は「死」「敗北」を意味する。

「う、うぬぬぬっ! ウォルターめ、そんなおもちゃで何ができるというのか!」

 女王はいらだちを(かく)せない。

「ジム! ウォルターを(おの)で真っ二つにせよ!」

 ジムはあわてて(おの)を力(まか)せに横に振った。

 しかしウォルターは一歩前に()み出した。

 そしてジムの(ほお)を右手で(なぐ)りつけた。

 ジムの巨体は尻もちをつき、斧は吹っ飛んだ。

「斧を横に振る場合は遠心力を使う。そのため欠点は内側となる。……稽古(けいこ)のときにそう教えただろう、ジム」

 ウォルターは呆然(ぼうぜん)としているジムに言った。

「お前のその悪魔の力は見事なものだ。だが、人間らしい繊細(せんさい)な技術をなくしてしまった」
「ふふっ……」
 
 ジムは魔人(まじん)の顔を弱々しく(やわ)らげ、ゆっくりと立ち上がった。

「とても(かな)わない。ウォルター先輩(せんぱい)。ですが稽古(けいこ)を続けてください──。殺してさしあげましょう!」

 ジムは(ふところ)からナイフを取り出し、ウォルターに向かって突進した。

「馬鹿者めっ!」

 ウォルターは一喝(いっかつ)し、ジムのナイフを持った右腕を手刀(しゅとう)ではたいた。

 彼のナイフは祭壇(さいだん)骸骨(がいこつ)の中に吹っ飛んでしまった。

 ウォルターは再び声を上げた。

「こんな姑息(こそく)な武器で、騎士(きし)に勝てると思うのか!」
「う、うわああああっ!」

 ジムは叫んでウォルターの両手首を(つか)み、冷や汗を流しながらニヤリと笑った。

 ジムの体を取り巻く(やみ)(アーダ)(ふく)れあがった。

 その(アーダ)が彼の腕から、ウォルターの腕に流れ込もうとしている。

「よしジム、よくやったぞ! ウォルターよ、お前も悪魔となるのだっ」

 イザベラ女王が叫ぶ。

 ──しかしウォルターは表情を変えない。

 ジムの流し込む(やみ)(アーダ)が、ウォルターの腕に流れていかないのだ。

「う、うおおおおっ!」

 ジムが脂汗(あぶらあせ)を流して魔力を込めても、ウォルターはその魔力をはね返している。

 ウォルターの体の(アーダ)が、ジムの(やみ)(アーダ)をはね返しているのだ。

 聖なる(アーダ)は、悪魔の(アーダ)をはね返すと聞いたことがあるが──!

「はあっ、はあっ……」

 ジムは(つか)れきって地面に(ひざまず)いた。

「なぜだ! なぜ私の悪魔の(アーダ)がこの人に流れていかないのだ。彼が私よりずっと強いからなのか……!」
「それはな、ジム。僕が強いのではない。お前が悪魔に魂を売ってしまったからだ。誘惑(ゆうわく)に負け悪魔に魅入(みい)られたお前が、真の強さを追求する僕に勝てるわけがない」
「こ、こ、これが騎士道(きしどう)……」

 ジムは顔を上げ、ウォルターを見上げた。

「き、聞いてください。女王は国全体を悪魔に売ろうとしている。そして王は……グレンデル国王は殺される」
 
 えっ? どういう意味──?

 そのとき、私たちの頭上で何かが(はじ)けるような音がして──。

 部屋全体が()れた!

 ジムの体に雷撃(らいげき)が落ちたのだ。

 イザベラ女王は燃えるような恐ろしい目をして、右手を上げている。

 女王がジムに向かって(いかずち)呪術(じゅじゅつ)を放ったのだ!

「あ、ぐ……そ、そんな」

 ジムの巨体は黒焦(くろこ)げになり、地面に()いつくばった。

 ジムは──息絶えている……!

「まったく使えぬ男──ジムよ。見ているのも腹立たしい。(いかずち)呪術(じゅじゅつ)で命を()ってやったわ」

 イザベラ女王は振り返り、祭壇(さいだん)の横の扉からもう出て行こうとしていた。

「待って!」

 私は叫んだ。

「ジムの言った、『女王は国全体を悪魔に売ろうとしている』『グレンデル国王は殺される』──どういう意味ですか?」
「聖女の小娘(こむすめ)……! お前のようなゴミの質問に答える必要はない」

 イザベラ女王は笑って言った。

「お前たちはここで生き()めになるのだ!」

 部屋が(はげ)しい音を立てて()れだした。

「逃げろおおっ」
「この部屋、(くず)れるよ!」

 パメラとネストールが叫ぶ。

「アンナ! 一緒に逃げよう!」

 ウォルターは私に向かって声を上げ、私の手をとった。

 彼と私は一緒に出口まで逃げ出した──。