元騎士(きし)団長と現騎士(きし)団長の騒動(そうどう)の数時間後──夕方の十六時。

 グレンデル城では──。

 私はデリック王子の現婚約者、ジェニファー・ベリバーク。

 元騎士(きし)団長ウォルターのことが気になって仕方なかった。

 婚約(こんやく)者のデリック王子はかっこいい男なんだけどね。

 でも、ウォルターはデリック王子とはちょっと違っていて……強くて誠実(せいじつ)で真面目な男だし……何よりアンナと密接(みっせつ)な関係だっていうじゃないの。

 何か腹立つ!

「ロザリー!」
 
 その時間、私は自室でケーキを頬張(ほおば)っていた。

 それを食べ終え、部屋の横で私の衣類の整理をしていた、侍女(じじょ)のロザリー・スレイダックを呼びつけた。

「何でございましょう、ジェニファー様」

 ロザリーは三十三歳のぽっちゃりした侍女(じじょ)

 私がアンナに(かく)れてデリック王子と付き合いだし、城にお忍びで通い出していたときからの知り合いだ。

 でもこの人、真面目だけど融通(ゆうずう)()かないのよね。

 私がデリック王子と浮気恋愛していたのを、侍女(じじょ)のロザリーだけは知っていた。

 そのことを、ロザリーは何回か(とが)めてきた。

「ジェニファー様、浮気はほどほどにしませんと」

 なんて言ってさ。

 今はもうデリック王子は私のものになってるけどね。

「ウォルターに会いたいんだけど」

 私が言うと、ロザリーは驚いた顔をした。

「はっ? 今、何と?」

 は? じゃないって。

 ロザリーはもう一度聞いてきた。

「先程庭園で問題を起こした、あの元騎士(きし)団長のウォルター・モートン……でございますか?」
「そうだけど? ちょっと会いたいんだけど」
「な、なぜでございましょう。彼は再び囚人(しゅうじん)になってしまったのですよ」
「気になるから会いたいのよね」

 私が言うと、ロザリーは顔をもっとしかめた。

 何? 囚人(しゅうじん)だろうが何だろうが、カッコ良い男に会いたいのは普通でしょ。

 別に王子と婚約(こんやく)していても、他の男に会いに行っちゃダメだという規則はないでしょうが。

 しかしロザリーはまた眉をひそめて言った。

「ジェニファー様、ウォルター・モートンは再び牢屋(ろうや)に入っております。そ、その囚人(しゅうじん)と会いたいとは、どういうつもりでございましょう?」
「気になるから会いたいって言ってんのよ!」
「しかしあなたは将来、デリック王子の妻になる女性なのですよ」
「いいじゃないのよ! 一目見るくらい!」

 私はイライラしてきて続けて叫んだ。

「私は王子の婚約(こんやく)者よ! 言うことを聞けないの?」
「は、はあ……分かりました。確か、ウォルター・モートンから中庭で体を動かしたいという要望(ようぼう)がありました。夕方の十六時半、中庭でならお目にかかれると思います」
「あら、ウォルターの待遇(たいぐう)は良くなったのね。以前は沐浴(もくよく)以外、牢屋(ろうや)から出られなかったんじゃないの?」
「さあ、囚人(しゅうじん)待遇(たいぐう)に関して私には分かりかねます。ジェニファー様、ウォルターはあくまで囚人(しゅうじん)ですので、それをお忘れなきよう」

 はあ、分かったわよ。まったく。

 ◇ ◇ ◇

 新しい牢屋(ろうや)番──つまりウォルターの担当男性兵士のマックス・ライクが私とロザリーを中庭に案内した。

「そういえばジム・ロークっていう前の牢屋(ろうや)番がいたでしょう? 彼はどうなったの?」

 私が一階廊下(ろうか)を歩きながらマックス・ライクに聞くと、彼は答えた。

「彼は反逆罪(はんぎゃくざい)でこの国から追放されましたよ。イザベラ女王様がそうお決めになりました」

 おお、怖い。

 イザベラ女王だけは怒らせちゃダメってことね。

「今、ウォルター・モートンはここにおります」

 マックスは中庭への扉を開けた。

 中庭は城の中央にある、城壁(じょうへき)に囲まれた空間だ。

 花壇(かだん)があり大きな広場がある。

「ていっ! はあっ!」

 ウォルターは中庭の中央で、白いシャツを着て木剣(ぼっけん)を持たずに素振りをしていた。

 囚人(しゅうじん)なんだから、武器を持たせないのは当然ね。

 彼にとっては、これでも訓練のつもりなのだろう。

「ごきげんよう、ウォルター。午前は大(さわ)ぎだったわね」

 私が話しかけても、ウォルターは私を無視して木剣(ぼっけん)無しの素振りを続けた。

 ロザリーやマックスは離れた場所で周囲をうかがっている。

 私が、「この中庭にイザベラ女王かデリック王子が来ないか見張っていろ」と命令したのだ。

「ねえ、ウォルター」

 私は彼の腕にさわった。

 なかなか引き()まっているわね。

 最近少し太ったデリック王子とは大違い。

 彼は素振りをやめた。

 私の美貌(びぼう)を見てしまったら、どんな男でも訓練どころじゃないわよね。

「ねえ、牢屋(ろうや)から出してあげてもいいわよ」

 私は右手を突き出した。

「私の手の甲にキスしなさい。そうしたらデリック王子に頼んであげてもいいわ」

 私は笑顔で言ったが、ウォルターは(だま)っている。

「……ねえ! 牢屋(ろうや)から出られるのよ! さっさとキスしなさいよ!」
「僕には大切な人がいるんだ」
「……な、何?」
「聖女アンナだ。彼女のことを裏切れない」
「聖女アンナぁ?」

 私は声を(あら)げた。

「あの平民のいかがわしい、まじない聖女のどこがいいのよっ! その点、私は大貴族よ。王子とは婚約(こんやく)してるけど、あなたと不倫(ふりん)くらいしたってかまわないわ!」
「申し訳ないが」

 ウォルターはきっぱり言った。

「聖女アンナは僕を牢屋(ろうや)から一度、出してくれたんだ。彼女は僕の希望の星だ。きっとまた会える──そんな気がする」
「会えるわけないでしょうが! あんた囚人(しゅうじん)なのよ! さあ、手の甲にキスをしろ!」
「聖女アンナの心は美しい。僕はその心を裏切ることはできない。さあ、帰ってくれ。僕はまた後で牢屋(ろうや)に戻る」
「あ、ぐ、ぐ」

 私は目を丸くしてウォルターを見た。

 彼は馬鹿みたいに(ふたた)び素振りをしだした。

 牢屋(ろうや)から出られるのを拒否するなんて──こんな男がいるの?

「ふふふ……」

 私はウォルターから離れ、ニヤリと笑った。

「逆に燃えてきたわね。絶対にあの男を──ウォルターを振り向かせてやる!」
「何が燃えたんです? 火事でも起こったんですか?」

 ロザリーは大ボケをかましたが、私の決意はゆるがなかった。