「もうお前とは一緒にいられない! お前との婚約(こんやく)破棄(はき)する!」

 グレンデル城の誕生日パーティー会場の大ホールに、デリック・ボルデール王子の声が(ひび)いた。

 にぎやかな王族や貴族たちのお(しゃべ)りが、初夏(しょか)夕立(ゆうだち)のようにピタリと止まった。

 今日はデリック王子の誕生日パーティーだった。

「な、なぜでございましょう。私は王子を愛しておりますのに」

 私──アンナ・リバールーンはデリック王子にそう(うった)えた。

 涙が止まらなかった。

 私は二十一歳の聖女だ。

 一方のデリック王子は今日、二十三歳になった。

 彼は背が高く顔立ちは整っており、女性なら誰もがあこがれるような男性だ。

 私の背中には──パーティー会場にいる王族や貴族たちからの、氷の(’やいば)のような冷たい視線を感じる。

 残念ながら、私は平凡(へいぼん)な平民だった。

「私との婚約(こんやく)破棄(はき)するなんて……。理由を教えてください。なぜ?」

 私はすがるように王子の手を取った。

(だま)れ、アンナ!」

 しかし彼は私の手を振り(はら)ったのだ。

 私はそのはずみで床に転んだ。

 まるで道端(みちばた)に捨てられた子犬のように情けない姿だ。

「別に理由なんてないさ。お前に()きただけだ」

 王子はそう冷たく言って、ワイングラスを手に取るとワインの(にお)いをかぎつつ私を見下げた。

 私は本当に今、婚約破棄(こんやくはき)を告げられたのだ。

 彼の言葉が、耳の中で(うず)となっている。

 ああ……何てこと。

 デリック王子をあれほど愛し、()くしてきたのに。

「いい加減、すがりつくような目で俺を見るのはやめろ!」

 デリック王子は舌打ちをした。

 私は普段、このグレンデル王国の病人や怪我人を、魔法の力で(いや)す仕事をしている。

 これが聖女の仕事だった。

 ──二年前、デリック王子が剣術の稽古(けいこ)重傷(じゅうしょう)を負った。

 私は王子の執事(しつじ)に依頼され城に出向き、デリック王子の怪我を治癒(ちゆ)魔法で治した。

 そのときから、私とデリック王子との仲は急速に深まっていったのだが──。

「ねえ! いい加減こんな女、ほうっておきましょうよ」

 私の後ろから剣で()()すような女性の声がした。

 女性は王子の前に出て、彼にしなだれかかった。

 ジェニファーだ!

 王子にしなだれかかったのは、大貴族の娘、ジェニファー・ベリバーク。

 金色の輝くドレスを着て、美しく長い栗色(くりいろ)の髪の毛をなびかせている。

 ドレスには物を燃やし()くしてしまうような真っ赤なブローチをつけていた。

 学生時代、私はジェニファーと一緒のクラスだった。

「何? まだいるの、アンナ」

 ジェニファーは(まゆ)をひそめ、私を虫でも見るように見て言った。

「私とデリック王子は、三ヶ月前から付き合っているの。明日、婚約《こんやく》するのよ」
「ええっ……三ヶ月前から?」

 私は驚いて声を上げた。

 デリック王子は私の顔をまともに見ない。

 だんだん理解してきた。

 なぜ私が婚約破棄(こんやくはき)されたのかを。

 私は思い切って言葉にした。

「デ、デリック王子、まさか、ジェニファーと浮気を……」
「え? 浮気? あ、ああ。そ、そうとも言うかな」

 デリック王子は咳払(せきば)らいをして言った。

 王子の「浮気」という言葉に、周囲の野次馬がざわめく。

 彼は私と婚約(こんやく)していながら、三ヶ月前からジェニファーと浮気をしていた……。

 私は平民だ。

 結局は、身分の高い美しい女性にはかなわぬ運命なのだ……。

「もう分かったろう? 俺はジェニファーと婚約(こんやく)するつもりなんだ」

 彼はそう言って、悪びれもせず再び口を開いた。

「まあ、浮気していたことは悪かったさ。まあ、その代わりと言っちゃなんだが、牢屋にいる囚人(しゅうじん)をお前にやろう。奴隷(どれい)()し使いとして連れていけ」

 は?
 
 わ、私に囚人(しゅうじん)を?

 聖女の私に囚人(しゅうじん)を押し付けるなんて……!

「さっさと囚人(しゅうじん)を連れて城から出ていきなさいよ! アンナ!」

 ジェニファーは私に向かって怒鳴った。

「あんたには牢屋(ろうや)の中の囚人(しゅうじん)がお似合いよ! この平民が!」

 私はジェニファーに靴先(くつさき)()られた。

 この囚人(しゅうじん)が、私の人生を一変させてしまうとはこのとき思いもしなかった。

 ここから私の冒険(ぼうけん)が始まる──!