♢記憶の病から彼女を救うために
彼女である美波は記憶が失くなる原因不明の病気にかかっている。この病は消したい記憶がある者がかかる割合が多いらしい。しかし、消したい記憶自体を忘れてしまうし、完治の手段がないため、本人すらも進行を止めることができないと噂されている。
彼氏である俺は、美波の失われた記憶の意味を探るべく動き出すことになった。美波の記憶が少しずつ失われ始めたのは小学6年生の時だったらしい。それから少しずつ病は進行している。現在中学2年生。2年もの歳月が経っている。この病を治すためには原因を突き止め、本人に認識させることしかない。このまま放置すると最期は死が待っているということだった。美波を助けたい。
俺は最近美波と付き合うことになったが、交際の事実を秘密にしている。
美波との交際のきっかけは、記憶が失くなる病にかかっているということを打ち明けられ、助けてほしいと相談されたことだった。そして、誰にも交際の事実は伝えないでほしいということも美波からの交際条件だった。高嶺の花である美波と付き合えることを自慢できないことは非常に残念だが、仕方がない。事実、美波と付き合っているという事実は本当なのだから。俺は有無を言わずに快諾した。
他人の記憶を補填することで記憶の病が治るという話もあるが、俺の記憶を渡す手段が見つからない。まだ完治の手段は解明されていない。
「6年生の時に小学校の校庭に埋めたタイムカプセルを掘り起こせば何か手掛かりがあるかもしれない。デートがてら、行ってみようか?」
美波が提案する。
「でも、あれは20歳の成人式の時に掘り起こそうっていう約束だったよな」
「そうだよね……」
でも、これはデートでもあり何か手掛かりがつかめるチャンスだ。
「大丈夫だって。美波の手紙だけ拝借しよう。読んだら元に戻せば大丈夫。たしか、埋めた場所は遊園地だったよな。でも、あの遊園地、廃業になったらしいな」
このご時世、レジャー施設である地方の小規模な遊園地は打撃を受け、不景気のあおりで倒産した。当時、遊園地に埋めたのは、同級生の親が経営していたといういきさつだったような気がする。校庭は工事をされたら、タイムカプセル計画はダメになってしまう。だから、遊園地の社長である同級生のお父さんに土地をほんの少し貸してほしいと頼んだ。タイムカプセルを埋めた場所は20歳になるまでにそのままにしておいてほしいと約束した。たしか、メリーゴーランドの近くに埋めた。あの時、美波は何を思っていたのだろう。手掛かりがつかめるかもしれない。
廃遊園地にこっそり入る。壊れたフェンスなどを知り尽くしている俺たち二人は、すんなり入ることに成功する。誰もいない廃遊園地には独特な雰囲気があった。遊園地の看板には願い屋とかいてある。こんな名前だった記憶はないが、古い記憶だ。自身の記憶に自信はないが、入口の看板はだいぶ錆びている。
かつては賑わっていたはずの場所が、しんと静まっている。こんなに誰もいない静かな場所になるなんて、かつての休日の賑わいを知る者には違和感すら感じる。
人がいない家は傷むのが早いと聞いたことがあるが、まさにそれだ。古びたメリーゴーランドに錆びたコーヒーカップ。色あせた建物にはヒビと蜘蛛の巣がいっぱいだ。不気味と表現したほうがいいかもしれない。騒音はなく今は静か。かつては光を浴びていたはずの場所は影となっていた。廃墟マニアにはウケがいいらしいけれど、原則立ち入り禁止だ。不思議な錯覚に陥る場所だ。まだ昼間だから怖くはないが、メリーゴーランドの馬の目が不気味にすら感じる。欠けた遊具、色。この世界は全てがどこかしら欠けている。哀愁だだよう世界は気温が少しばかり低く、風も冷たい。まるでお化け屋敷だ。この廃遊園地にもお化け屋敷があった。電動式の人形が動いたり、不気味な音が聞こえたり、風が吹いたり。普段明るいと怖くもなんともないことが、お化け屋敷の中ではとても怖い。
ほんの少しだけ、無断侵入する。バレても同級生のお父さんだから、たいした騒動になることもないだろう。用事が済んだらすぐに帰宅しよう。全ては美波のためだ。所有者に迷惑をかけるつもりはない。
少しばかり大きなスコップを持って掘り起こす。太陽の光と力仕事で汗ばんでいたが、大事な目的のために自分の体力を奪われるくらいならば平気だ。6年2組の想い出が詰まった箱が出てくる。35人の想いが詰まった箱が出てくる。
美波の手紙を開封する。
『この小学校に引っ越して来る前に私のお母さんが再婚して、新しい家族ができました。楽しい家族になれたらいいな。ここでも新しい友達ができるといいな。未来の私は家族とずっと愛し合えていますか?』
「美波って再婚して転校してきたんだっけ。旧姓のことも家庭の事情も知らなかったな」
俺は初めて彼女の家庭の複雑な家庭の事情を知る。彼女はうなずく。
「もしかして、再婚が心の傷になってるのかもな。新しいお父さんって小学6年生にはきついよな。たしか、美波には兄弟がいたよな?」
「義理のおにいちゃんはいるよ。6年生の時に母親が再婚した時に兄弟になったの」
美波の表情が陰る。
「まずは美波の家族のことから記憶の扉を開けてみよう」
美波が忘れた記憶の経緯は俺には知らない世界だ。なぜ、記憶を失うまでになってしまったのか。
「このメリーゴーランド、よく乗っていたなぁ。年間パスポートを買ってね、家族みんなでよく来ていたの。お兄ちゃんなんて高校生なのに、家族で休日もよくいっしょに遊びに行っていたなぁ」
錆びたメリ―ゴーランドに手をかける。
「家族関係は良好だったんだ?」
「うん」
すると、廃遊園地だったはずなのに――急に光が灯る。まるで、2年前の賑わいの時同様の明るい音楽と共にメリーゴーランドが動き出した。先程まで、錆びて怖く思えた馬はきらきら輝き、新品同様だ。怖いなんてひとかけらもなく、優しい目をしていた。時間が戻った? いや、この場所だけ何かしらの特別な力が働いているのか?
「ようこそ、記憶の扉へ」
知らない男がメリーゴーランドの前に立っていた。
「君は誰だ?」
「俺は、記憶の番人。ねがいやと呼ばれている」
美しく、華麗な服装で、美しく優しい顔をしていた。まるでおとぎの国の王子様だ。
「美波ちゃんは、2年前に記憶の扉を叩いてしまった。そう、この遊園地が賑わっていた頃だったな。場所はちょうどここ。メリードーランド前」
美波に向かって少年は話しかける。
「覚えていない」
美波は全く身に覚えはなさそうだ。
「それはそうだろう。俺は、君と記憶の取り引きをしたのだから」
「そうなのか?」
俺は、その事実に驚きを隠せなかった。
「なぜ、君が記憶の取り引きをしたのかを覚えているかい?」
「覚えていない」
「美波ちゃんは、忘れてしまいたいことがあったんだ。そして、ある人を記憶の病から救いたかった」
美波は全く覚えていないようだった。
「そこにいる少年は、美波ちゃんを助けたいのかな?」
俺に向かって美しい顔が問いかける。
「そうだ。俺たちは付き合っているんだからな」
「付き合っていることは秘密っていったでしょ」
こんなわけのわからない奴に知られても構わないだろう。
「別に知られてもいいじゃないか。なんで、そこまで隠そうとするんだ?」
「……わからない」
美波は黙ってしまう。困った顔をしていた。
謎の男は電球が灯るメリーゴーランドに乗りながら、語り掛けてくる。
「記憶の病から、彼女を救いたいんだろ? ひとつだけ手がある」
何も糸口が見つからなかった俺にとってどんなにか救いの言葉だっただろう。
黄金色の輝きを放つ美しい男はきっと幸せを運んでくれるに違いない。
「助けたい!! 何でもします!!」
「じゃあ、君の大切な記憶をひとつだけちょうだい」
馬に手を掛けながら手を差し出す。
「大切な記憶って……」
「何でもいいよ。そうだな、たとえば――幼児の頃のあってもなくてもいい記憶とか、忘れたい黒歴史とかね」
「忘れたい記憶を記憶の番人にあげたら、美波の病は完治するのか?」
「完治はするけれど、番人に預けた記憶は美波ちゃんに返すことになっちゃうんだ。それでもいい?」
端正な顔立ちに優しい声はまるで音楽を奏でるかのようだった。今まで聞いたことのない音とでも表現したほうがいいだろうか。
「美波、俺は記憶の一部をあげてもかまわない。君は忘れたい記憶を思い出してしまうかもしれない。それでもいい?」
美波はこくりとうなずく。
「幼稚園の頃に好きだった子にフラれたという記憶をあげるよ。初恋が散った悲しい思い出だ」
「素敵な記憶玉をありがとう。これは、色で言うと、黒とピンクを混ぜた色あいだね。実にいい」
記憶の番人のところに水晶玉のようなものが俺の体から飛んで行った。にこりと片手で受け取る。
俺の記憶玉? 案外不思議な色合いだった。すると――最近記憶がなくなっていく美波の体に記憶玉が入る。ピンクと赤を混ぜたきれいで情熱的な色だった。
「美波ちゃんの記憶玉を戻してあげたよ」
「原因不明の記憶の病って言うのは記憶の番人、おまえのせいだったのか?」
それに反論する記憶の番人。
「俺は、正攻法で取引をしている。本人が了承した上での取引だ。この病は記憶がいらない者がそのまま放置した結果、死んでしまったとか、代わってくれる人間が見つからない場合、死んでしまったという例は割とある」
記憶が戻った美波の様子がおかしい。
「美波ちゃんのお兄ちゃんは2年前、記憶の病にかかっていたんだ。それを心配した美波ちゃんは記憶の扉を開いてしまった。記憶の扉というのは、どこにでも発生するんだ。美波ちゃんのお兄ちゃんと美波ちゃんがやってきて、取引したのはこのメリーゴーランドの前だったね。お兄ちゃんの記憶の病を完治させるために、美波ちゃんはある記憶を消したんだ」
記憶の番人が話をしているのを遮るように、美波は頬を赤らめ「言わないで」と言った。「どんな記憶を取引したの?」その質問には頑なに答えようとはしなかった。
「美波ちゃんは記憶の病が完治した。君が記憶の病を継承して病に侵されることになってしまったね」
「どういうことだよ? 俺は、記憶の一部しか渡していないだろ」
驚きと怒りで声が大きくなる。
「たしかに、記憶の一部しか取引はしていないけれど、人は無意識に忘れている記憶も体で覚えていたりする。つまり、記憶はつながっているんだ。だから、一部でも記憶が無くなってしまうと、記憶の病にかかってしまい、少しずつ少しずつ記憶がなくなってしまうんだ」
「じゃあ、美波は義理のお兄ちゃんの代わりに記憶の病にかかってしまったということか」
「そうなるね」
「俺自身が病にかかるなんて、聞いてないぞ」
断固抗議する。
「俺は記憶玉が欲しい。でも、一応本人の了承を得た上での取引をしている」
記憶の番人が正論を主張する。
「取引の中に、記憶の病の説明がないじゃないか」
「説明すると、記憶玉が集まらないじゃないか。ちゃんと事後に完治の説明はしているよ。完治をするには、自分のために記憶をなくしてもいいと言ってくれる人を探して記憶の扉を探すようにとね」
「それをわかっていて、美波は俺を連れてきたのか?」
「そうだと思うよ。だから、他の誰にも交際していることは秘密にしてほしいと言ったのかもしれない。そして、交際の事実を一番知られたくない人が美波ちゃんにはいるよね」
困った顔、顔が真っ赤な美波。こんなに情熱的な美波は初めてだ。
「どうぞ、お兄ちゃんとお幸せに」
微笑みながら、謎めいた記憶の番人は姿を消した。あんなに明るかった証明は一瞬にして消え、朗らかなBGMも消えた。急に不気味になる。
「もしかして、美波が消したかった記憶ってお兄ちゃんを好きだということだったりして……。交際を知られたくないのもお兄ちゃんだったりして?」
冗談半分本気半分で美波の反応を見る。
「同じ家に住んでいて、好きという感情を消す手段なんて難しいよ。それに、記憶の病が進行するお兄ちゃんを見ていて、心が痛んだから。何かしてあげたかったの。これからもこの気持ちはずっと心にしまっておく」
「俺が記憶の病にかかってもいいのかよ」
「これは、あなたの気持ち次第だと思ったの。だから、強制はしていない。私を助ける気がないならば、あなたは取引をしない。つまり、取引は自己責任よね。今後、誰かがあなたを心配して記憶の扉に立って継承くれるはずよ。交際は公にしないことも需要。あまりに進行してしまうと、自身の病の完治の方法すらも忘れてしまうから、気をつけてね」
そう言うと、美波は廃遊園地から去ってしまった。
俺は、お化け屋敷のような場所で日が傾くことを感じながら、絶対に交際を秘密にしてくれて、自分のために記憶を一部取引してもいいと言ってくれそうな女子を探すことを決意した。
彼女である美波は記憶が失くなる原因不明の病気にかかっている。この病は消したい記憶がある者がかかる割合が多いらしい。しかし、消したい記憶自体を忘れてしまうし、完治の手段がないため、本人すらも進行を止めることができないと噂されている。
彼氏である俺は、美波の失われた記憶の意味を探るべく動き出すことになった。美波の記憶が少しずつ失われ始めたのは小学6年生の時だったらしい。それから少しずつ病は進行している。現在中学2年生。2年もの歳月が経っている。この病を治すためには原因を突き止め、本人に認識させることしかない。このまま放置すると最期は死が待っているということだった。美波を助けたい。
俺は最近美波と付き合うことになったが、交際の事実を秘密にしている。
美波との交際のきっかけは、記憶が失くなる病にかかっているということを打ち明けられ、助けてほしいと相談されたことだった。そして、誰にも交際の事実は伝えないでほしいということも美波からの交際条件だった。高嶺の花である美波と付き合えることを自慢できないことは非常に残念だが、仕方がない。事実、美波と付き合っているという事実は本当なのだから。俺は有無を言わずに快諾した。
他人の記憶を補填することで記憶の病が治るという話もあるが、俺の記憶を渡す手段が見つからない。まだ完治の手段は解明されていない。
「6年生の時に小学校の校庭に埋めたタイムカプセルを掘り起こせば何か手掛かりがあるかもしれない。デートがてら、行ってみようか?」
美波が提案する。
「でも、あれは20歳の成人式の時に掘り起こそうっていう約束だったよな」
「そうだよね……」
でも、これはデートでもあり何か手掛かりがつかめるチャンスだ。
「大丈夫だって。美波の手紙だけ拝借しよう。読んだら元に戻せば大丈夫。たしか、埋めた場所は遊園地だったよな。でも、あの遊園地、廃業になったらしいな」
このご時世、レジャー施設である地方の小規模な遊園地は打撃を受け、不景気のあおりで倒産した。当時、遊園地に埋めたのは、同級生の親が経営していたといういきさつだったような気がする。校庭は工事をされたら、タイムカプセル計画はダメになってしまう。だから、遊園地の社長である同級生のお父さんに土地をほんの少し貸してほしいと頼んだ。タイムカプセルを埋めた場所は20歳になるまでにそのままにしておいてほしいと約束した。たしか、メリーゴーランドの近くに埋めた。あの時、美波は何を思っていたのだろう。手掛かりがつかめるかもしれない。
廃遊園地にこっそり入る。壊れたフェンスなどを知り尽くしている俺たち二人は、すんなり入ることに成功する。誰もいない廃遊園地には独特な雰囲気があった。遊園地の看板には願い屋とかいてある。こんな名前だった記憶はないが、古い記憶だ。自身の記憶に自信はないが、入口の看板はだいぶ錆びている。
かつては賑わっていたはずの場所が、しんと静まっている。こんなに誰もいない静かな場所になるなんて、かつての休日の賑わいを知る者には違和感すら感じる。
人がいない家は傷むのが早いと聞いたことがあるが、まさにそれだ。古びたメリーゴーランドに錆びたコーヒーカップ。色あせた建物にはヒビと蜘蛛の巣がいっぱいだ。不気味と表現したほうがいいかもしれない。騒音はなく今は静か。かつては光を浴びていたはずの場所は影となっていた。廃墟マニアにはウケがいいらしいけれど、原則立ち入り禁止だ。不思議な錯覚に陥る場所だ。まだ昼間だから怖くはないが、メリーゴーランドの馬の目が不気味にすら感じる。欠けた遊具、色。この世界は全てがどこかしら欠けている。哀愁だだよう世界は気温が少しばかり低く、風も冷たい。まるでお化け屋敷だ。この廃遊園地にもお化け屋敷があった。電動式の人形が動いたり、不気味な音が聞こえたり、風が吹いたり。普段明るいと怖くもなんともないことが、お化け屋敷の中ではとても怖い。
ほんの少しだけ、無断侵入する。バレても同級生のお父さんだから、たいした騒動になることもないだろう。用事が済んだらすぐに帰宅しよう。全ては美波のためだ。所有者に迷惑をかけるつもりはない。
少しばかり大きなスコップを持って掘り起こす。太陽の光と力仕事で汗ばんでいたが、大事な目的のために自分の体力を奪われるくらいならば平気だ。6年2組の想い出が詰まった箱が出てくる。35人の想いが詰まった箱が出てくる。
美波の手紙を開封する。
『この小学校に引っ越して来る前に私のお母さんが再婚して、新しい家族ができました。楽しい家族になれたらいいな。ここでも新しい友達ができるといいな。未来の私は家族とずっと愛し合えていますか?』
「美波って再婚して転校してきたんだっけ。旧姓のことも家庭の事情も知らなかったな」
俺は初めて彼女の家庭の複雑な家庭の事情を知る。彼女はうなずく。
「もしかして、再婚が心の傷になってるのかもな。新しいお父さんって小学6年生にはきついよな。たしか、美波には兄弟がいたよな?」
「義理のおにいちゃんはいるよ。6年生の時に母親が再婚した時に兄弟になったの」
美波の表情が陰る。
「まずは美波の家族のことから記憶の扉を開けてみよう」
美波が忘れた記憶の経緯は俺には知らない世界だ。なぜ、記憶を失うまでになってしまったのか。
「このメリーゴーランド、よく乗っていたなぁ。年間パスポートを買ってね、家族みんなでよく来ていたの。お兄ちゃんなんて高校生なのに、家族で休日もよくいっしょに遊びに行っていたなぁ」
錆びたメリ―ゴーランドに手をかける。
「家族関係は良好だったんだ?」
「うん」
すると、廃遊園地だったはずなのに――急に光が灯る。まるで、2年前の賑わいの時同様の明るい音楽と共にメリーゴーランドが動き出した。先程まで、錆びて怖く思えた馬はきらきら輝き、新品同様だ。怖いなんてひとかけらもなく、優しい目をしていた。時間が戻った? いや、この場所だけ何かしらの特別な力が働いているのか?
「ようこそ、記憶の扉へ」
知らない男がメリーゴーランドの前に立っていた。
「君は誰だ?」
「俺は、記憶の番人。ねがいやと呼ばれている」
美しく、華麗な服装で、美しく優しい顔をしていた。まるでおとぎの国の王子様だ。
「美波ちゃんは、2年前に記憶の扉を叩いてしまった。そう、この遊園地が賑わっていた頃だったな。場所はちょうどここ。メリードーランド前」
美波に向かって少年は話しかける。
「覚えていない」
美波は全く身に覚えはなさそうだ。
「それはそうだろう。俺は、君と記憶の取り引きをしたのだから」
「そうなのか?」
俺は、その事実に驚きを隠せなかった。
「なぜ、君が記憶の取り引きをしたのかを覚えているかい?」
「覚えていない」
「美波ちゃんは、忘れてしまいたいことがあったんだ。そして、ある人を記憶の病から救いたかった」
美波は全く覚えていないようだった。
「そこにいる少年は、美波ちゃんを助けたいのかな?」
俺に向かって美しい顔が問いかける。
「そうだ。俺たちは付き合っているんだからな」
「付き合っていることは秘密っていったでしょ」
こんなわけのわからない奴に知られても構わないだろう。
「別に知られてもいいじゃないか。なんで、そこまで隠そうとするんだ?」
「……わからない」
美波は黙ってしまう。困った顔をしていた。
謎の男は電球が灯るメリーゴーランドに乗りながら、語り掛けてくる。
「記憶の病から、彼女を救いたいんだろ? ひとつだけ手がある」
何も糸口が見つからなかった俺にとってどんなにか救いの言葉だっただろう。
黄金色の輝きを放つ美しい男はきっと幸せを運んでくれるに違いない。
「助けたい!! 何でもします!!」
「じゃあ、君の大切な記憶をひとつだけちょうだい」
馬に手を掛けながら手を差し出す。
「大切な記憶って……」
「何でもいいよ。そうだな、たとえば――幼児の頃のあってもなくてもいい記憶とか、忘れたい黒歴史とかね」
「忘れたい記憶を記憶の番人にあげたら、美波の病は完治するのか?」
「完治はするけれど、番人に預けた記憶は美波ちゃんに返すことになっちゃうんだ。それでもいい?」
端正な顔立ちに優しい声はまるで音楽を奏でるかのようだった。今まで聞いたことのない音とでも表現したほうがいいだろうか。
「美波、俺は記憶の一部をあげてもかまわない。君は忘れたい記憶を思い出してしまうかもしれない。それでもいい?」
美波はこくりとうなずく。
「幼稚園の頃に好きだった子にフラれたという記憶をあげるよ。初恋が散った悲しい思い出だ」
「素敵な記憶玉をありがとう。これは、色で言うと、黒とピンクを混ぜた色あいだね。実にいい」
記憶の番人のところに水晶玉のようなものが俺の体から飛んで行った。にこりと片手で受け取る。
俺の記憶玉? 案外不思議な色合いだった。すると――最近記憶がなくなっていく美波の体に記憶玉が入る。ピンクと赤を混ぜたきれいで情熱的な色だった。
「美波ちゃんの記憶玉を戻してあげたよ」
「原因不明の記憶の病って言うのは記憶の番人、おまえのせいだったのか?」
それに反論する記憶の番人。
「俺は、正攻法で取引をしている。本人が了承した上での取引だ。この病は記憶がいらない者がそのまま放置した結果、死んでしまったとか、代わってくれる人間が見つからない場合、死んでしまったという例は割とある」
記憶が戻った美波の様子がおかしい。
「美波ちゃんのお兄ちゃんは2年前、記憶の病にかかっていたんだ。それを心配した美波ちゃんは記憶の扉を開いてしまった。記憶の扉というのは、どこにでも発生するんだ。美波ちゃんのお兄ちゃんと美波ちゃんがやってきて、取引したのはこのメリーゴーランドの前だったね。お兄ちゃんの記憶の病を完治させるために、美波ちゃんはある記憶を消したんだ」
記憶の番人が話をしているのを遮るように、美波は頬を赤らめ「言わないで」と言った。「どんな記憶を取引したの?」その質問には頑なに答えようとはしなかった。
「美波ちゃんは記憶の病が完治した。君が記憶の病を継承して病に侵されることになってしまったね」
「どういうことだよ? 俺は、記憶の一部しか渡していないだろ」
驚きと怒りで声が大きくなる。
「たしかに、記憶の一部しか取引はしていないけれど、人は無意識に忘れている記憶も体で覚えていたりする。つまり、記憶はつながっているんだ。だから、一部でも記憶が無くなってしまうと、記憶の病にかかってしまい、少しずつ少しずつ記憶がなくなってしまうんだ」
「じゃあ、美波は義理のお兄ちゃんの代わりに記憶の病にかかってしまったということか」
「そうなるね」
「俺自身が病にかかるなんて、聞いてないぞ」
断固抗議する。
「俺は記憶玉が欲しい。でも、一応本人の了承を得た上での取引をしている」
記憶の番人が正論を主張する。
「取引の中に、記憶の病の説明がないじゃないか」
「説明すると、記憶玉が集まらないじゃないか。ちゃんと事後に完治の説明はしているよ。完治をするには、自分のために記憶をなくしてもいいと言ってくれる人を探して記憶の扉を探すようにとね」
「それをわかっていて、美波は俺を連れてきたのか?」
「そうだと思うよ。だから、他の誰にも交際していることは秘密にしてほしいと言ったのかもしれない。そして、交際の事実を一番知られたくない人が美波ちゃんにはいるよね」
困った顔、顔が真っ赤な美波。こんなに情熱的な美波は初めてだ。
「どうぞ、お兄ちゃんとお幸せに」
微笑みながら、謎めいた記憶の番人は姿を消した。あんなに明るかった証明は一瞬にして消え、朗らかなBGMも消えた。急に不気味になる。
「もしかして、美波が消したかった記憶ってお兄ちゃんを好きだということだったりして……。交際を知られたくないのもお兄ちゃんだったりして?」
冗談半分本気半分で美波の反応を見る。
「同じ家に住んでいて、好きという感情を消す手段なんて難しいよ。それに、記憶の病が進行するお兄ちゃんを見ていて、心が痛んだから。何かしてあげたかったの。これからもこの気持ちはずっと心にしまっておく」
「俺が記憶の病にかかってもいいのかよ」
「これは、あなたの気持ち次第だと思ったの。だから、強制はしていない。私を助ける気がないならば、あなたは取引をしない。つまり、取引は自己責任よね。今後、誰かがあなたを心配して記憶の扉に立って継承くれるはずよ。交際は公にしないことも需要。あまりに進行してしまうと、自身の病の完治の方法すらも忘れてしまうから、気をつけてね」
そう言うと、美波は廃遊園地から去ってしまった。
俺は、お化け屋敷のような場所で日が傾くことを感じながら、絶対に交際を秘密にしてくれて、自分のために記憶を一部取引してもいいと言ってくれそうな女子を探すことを決意した。