奇妙で不思議な世界

♢「し」のない世界 夏の幻

 汗ばむ陽気に懐かしい風の香りが鼻をかすめる。木漏れ日が癒しを与える夏の午後――体に馴染む懐かしい裏路地になぜか俺は今、立っている。

 近所にあった懐かしい何年も前に潰れたはずの駄菓子屋に商店。
 どこか違和感のある静かな世界。
 現在俺は中学生になり、この町は大規模都市開発で変化した。
 何年も前の風景が目の前に広がる。多分小学1年生の夏だ。たしかに肌で感じる。一昔前の素朴な香りの町が広がる。でも、なぜ中学生になった今、過去の世界にいるのだろう。夢なのだろうか――。

 この時代の懐かしさに少しばかり浸る。部活や塾やテストで忙しい今と比べると、小学校に入った頃は一日の時間がもっと長かったような気がする。歳と共に一日の長さ、一か月の長さ、一年の長さが変わるというのは本当なのかもしれない。少しばかり、無邪気に走り回っていた小学生時代を思い出す。小学校は午前授業が多く、放課後の時間は無限にあったような気がする。

 公園で遊び、喉が渇くと駄菓子屋のアイスやジュースを買って喉を潤していた夏。汗ばみながらもそんなこと気にせず一日中遊んでいたような気がする。近所にはたくさんの同級生がいて、いつも誰かと遊んでいた。現在中学1年生の夏休み。きっと、この世界も夏休みのような気がする。

 この世界も夏真っ盛りだ。蝉の声がうるさい。でも、心地いい。
 緑の隙間から溢れる木漏れ日のシャワーが心を癒す。
 懐かしい駄菓子屋へ行ってみる。懐かしき「しまだ駄菓子屋」は、今は店主だったおばあちゃんが亡くなってしまい閉店した。跡継ぎもいないし、少子化もあって駄菓子屋の需要は今後見込めないと思ったのかもしれない。あの古い店を改築して利益を求めるのは正直きついだろうと誰もが思ったのは否めない。でも、残念だと皆が口を揃えて言っていた。子供からの需要はたしかにあった。しかし、コンビニができ、年と共に駄菓子屋は必要のない存在となっていた。そして、忘れ去られていった。

 入道雲が広がる果てしない澄んだ青空の中、少し汗ばむ昼下がり。少し歩くと、小学校の近くに着く。今はもう建物も残っていないはずの「しまだ駄菓子屋」があった。でも、看板の文字に違和感があった。文字が一部空白となっている。

「○まだだが〇や」
 看板には「し」が空白で、「まだだがや」となっている。もしかして、古いから字が消えたのかもしれない。なぜ店をやっているのだろう。もう、今はないはずなのに――。

 「いらっ○ゃい」店主のおばあちゃんが出てくる。にこやかでしわくちゃの顔は愛嬌がにじむ。きっと夢だ。だって、しまだのおばあちゃんは死んだ。それは事実だ。きっと、夏の日の過去の記憶の夢の中にいるだけだ。

「大きくなったねぇ」
 にこやかに話しかけられる。ここの世界の俺は、中学生なのか。体は小学生じゃないんだ。まぁ、夢ならば何でもありだ。

 知っているはずなのに知らない町が存在する事実。懐かしいのに少しばかり怖い。不思議な感覚に襲われる。どこかの家の風鈴が鳴り、心地いい音と草の香りが風に運ばれてくる。テレビから聞こえるのは、高校野球の試合の声援だろうか。高校野球の中継は夏の音だ。夏の音が耳に心地いい。しまだのおばあちゃんはよくテレビを見ながら仕事をしていた。高校野球の声援は俺にとっての夏の触感。視覚聴覚味覚、全てを使って過去の夏を思い出す。

「相変わらず、〇なぞろえが豊富だな。○ばらくこの駄菓〇食べてないな。でも、今日はお金の持ち合わせがないから、また今度な」
 「し」という言葉が声に出ないことに違和感を感じる。この世界では使えない言葉なのだろうか。

「そうかい」
 しまだのおばあちゃんは元気そうだ。相変わらずたくさんの駄菓子が陳列されていて、ずっと口にしていない駄菓子の味を思い出す。人は味覚も体で覚えているものなのかもしれない。少し歩くと、ここの近隣住民が利用していた小さな商店があった。大手スーパーの進出により、客足が激減したのと、店主の高齢化により、閉店した。そして、最近店主は亡くなった。しかし、今日はここの商店も営業している。店主がちゃんと品出ししているのが確認できた。

 「や○だ〇ょう店」
 やしだ商店の看板だ。やはり、「し」という文字がない。この世界は「し」が存在しない世界なのか? 人もほとんどいない廃墟の町。寂しさと静けさが混じり合う。
 違和感は「し」という文字が基本ないことだ。先程見た駄菓子にも「し」という文字は空白になっていたし、死んだはずの人がいて、生きている人には会っていない。この世界は、「死」のない世界なのかもしれない。死んだ人が生きている。でも、生きている人は存在していない――だとしたら、俺は、生きていないのか? 死んでいる――? まさかな。

「じぇい君だ!!」
 そこには、小学一年生まで仲良くしていた同級生の女子が立っていた。彼女は小学一年生の時に行方不明のまま未解決事件に巻き込まれた当事者だ。未だ遺体は見つかっていない。生存報告も聞いていない。もしかして、生きているかもしれないと一抹の希望を持っている家族や友人たちを知っている。彼女の姿は中学生ではない。幼い笑顔の小学一年生の時のままだった。少しばかり気味が悪くなる。つまり彼女は死んでいるのだろうか。こんなに死んだ人間に夢とはいえ、出会ってしまうなんて――。夢ではなく、タイムリープなのか?

 行方不明になった彼女の名前は石戸野奈香《いしどのなか》……。彼女は一緒に同級生と遊んでいる時に行方不明になって今も未解決事件となっている。彼女は石戸野という名字だった。下の名前で同級生からはナカと呼ばれ親しまれていた。みんなから好かれるかわいい少女だった。いじめられている様子もなかったし、外見もきれいだったので、男子からも女子からも好印象を持たれていたと思う。俺も彼女とは仲良くしていたし、よく一緒に遊んでいた。

「ナカ、今はどこにいるんだ?」
 ずっと行方不明だ。親御さんも探し続けている。

「じぇい君は謎解きが得意でクラスでも勉強が良くできたよね。足も速かったね。かっこいいから女の子に人気あったよね。あなたなら、わた〇の居場〇ょを探〇てくれるんじゃないかと思って、この世界に呼んだの」

「俺を呼んだのか? これはただの夢だろ?」

「この世界はある法則で成り立っている。さて、どんな法則でしょうか? わた〇の居場〇ょを突き止めてみてよ」

「そうだな、まずこの世界ではある文字が存在していない。さっきから、その言葉を発言〇ようとしても声が出ない。さ行の2番目の文字がどこにもないんだ。〇まだだが〇や。や〇だ〇ょうてん」

「さすが、じぇい君!!」

「生きていない人が生きている世界。つまり、生の反対の〇がない世界ってことだろ」

「それは当たってる。わた〇がどこにいるか、さが〇てよね。あの日、かくれんぼを〇ていて、それから、本気で鬼ごっこになったんだよね。覚えてる?」

 ナカが行方不明になった日、クラスメイト10人程度でかくれんぼをしていたんだ。そんな時、怖いおじさんがおいかけてきて、俺たちは必死に逃げた。命がけのおにごっこだった。かくれんぼを辞めて自宅に帰った。

 みんな帰ったと思っていたけれど、ナカだけは帰宅していなかった。怖いおじさんというのは、近所で有名な30代くらいの男性で、竹刀を振り回して子供を追いかける要注意人物とされていた。通称竹刀おじさんと呼ばれており、警察は付近も竹刀おじさんのことも捜査をしていたようだが、有力な手掛かりが見つからなかった。失踪事件にしては年齢が低いし、誘拐か事故ではないかとずっと憶測されていた。

「ナカ、おまえは今どこにいる? みんなずっとさが〇ているんだ。今でもな」
「じぇい君のことが好きだったんだよ」
 こんな時に告白されても、正直複雑だ。

「俺だって、おまえのことを好きだったよ」
 人生に一度の初恋の相手に会える機会は今日が最後かもしれない。言える時に言うしかない。

「ようやく再会できたね。この世界からひとつの言葉をなく〇たのには理由があるの」
 生の世界を創るためか? いや、もっと何かあるだろう。
 石戸野奈香=いしどのなか
「し」のない状態にすると――いどのなか=井戸の中。

「君の名前から「○」をとると、井戸の中ってことか? あの時、かくれんぼを〇ていたば〇ょには古井戸があった。底が見えないくらい深い井戸だ。今は封鎖され、立ち入り禁〇になり、近々取り壊される」

「でも、わた○がいなくなった時、警察はあの井戸を〇らべていたよね」
「あの時点ではナカはいなかったけれど、誰かが、忘れたころに放置○たってことか」
「あの時、誘拐されて、〇ばらくしてから、放置されたんだ。みんなが忘れたころにね。ここは〇のない世界。つまり、犯人はこの世界の意味そのもののこと。あとはじぇい君に任せたよ。ちゃんと見つけてね」

 死のない世界。「し」のない世界。市内? 竹刀? もしかして――やはり竹刀おじさんということか。最近は、めっきり見かけなくなった。今もあの古い戸建てに住んでいるのかどうかもわからない。

「〇ないおじさん――?」
「あの日、かくれんぼをしていて、わた○とじぇい君は一緒にいたよね。でも、その時に、〇内を持って追いかけてきて、あ○の速いじぇい君は逃げ切れたけれど、わた○はダメだった」

 思い出した。ずっと封印していた記憶。みんなそれぞれ隠れ場所が違った。でも、最後までナカと一緒にいたのは俺だった。後悔と懺悔と恐怖と悲しみと罪悪感が入り混じり、小学1年生の俺は記憶を抹消した。当時子供の言う証言自体曖昧で、嘘を言っても目撃者がいるわけでもなく、放課後一緒に遊んだ一人としての立ち位置を保っていた。一緒に隠れていたこと。追いかけられて、見捨てたこと。保身に走ったことをずっと隠していた。きっとすぐ誰かがナカを見つけてくれると信じていた。きっとどこかで生きていると信じていた。信じることは、自分のための保身だったのかもしれない。

「あの日、誘拐されたのがじぇい君だったらよかったのに。なんでわた〇なんだろうね」
 無表情なほほ笑みの中に憎しみが入り混じる。きっと10年近く俺を怨んでいたんだ。

 鐘の音が響く。この町は子供が帰る時刻になると鐘が町中に響き渡る。

「この鐘の音が鳴りやんだら、ここから帰れなくなるよ」
 無表情のナカが言う。背筋が凍る。

「わた○を探して、ちゃんと〇内おじさんのことを警察にはな〇てほしい」

「わかった。本当にごめんな。ずっと心にひっかかっていたんだ。いつかナカに謝りたいって。〇《竹》刀おじさんは〇《市》内にいて、今でも生きているんだな」

 鐘の音がどんどん大きくなり耳が痛くなる。やばい。これは、帰れなくなる予感がする。

「あなたが〇ねばよかったのに。なんでわた〇なんだろう。わた○は〇のない世界で生きるよ。気持ちの整理はまだだがや。やだょう……」

 凍てつく瞳。彼女のまっすぐな瞳には怨念が入り混じる。しまだだがしやの「し」を抜いた言葉は、まだだがや。やしだしょうてんの「し」を抜いた言葉はやだょう。これは、メッセージだったんだ。気持ちの整理はまだであり、やだょう=やだよう。つまり、嫌だと思っているという意味だろう。

 この鐘が鳴りやんだら、もうきっとここから出ることはできない。俺が行方不明者になってしまう。そう思った俺は、そのままこの世界の古井戸に走った。どれだけ汗が流れたのだろう。今まで生きてきた中で一番全速力で走った。きっとこの先に「し」がある世界が待っている。この日はあの行方不明になった夏の日。でも、元の世界に戻るには――必死に考える。「し」を探せ。「し」のある世界に戻るには俺が所持している元の世界の「し」を探す。この世界には、元の世界のレシートの文字すらも消えている。親から聞いた俺の名付けの意味を思い出す。

 ポケットに入っている手鏡。そこにハンカチに刺繍されたJを映し出す。きっと「し」のある世界につながっているはず。つまり生死が存在する世界につながるはずだ。

「「○」のある世界に戻してください!!」

 鐘の音がどんどん大きくなる。耳が痛い。思わず耳をふさぐ。

 鐘の音が聞こえなくなった。目を開けると――そこには見慣れた令和の町が広がっていた。俺は近々取り壊し予定の古井戸の近くにいた。もちろん、大型ショッピングセンターもあるし、大きなマンションが立ち並ぶ現代の世界だ。駄菓子屋も商店もないけれど、相変わらず夏を感じる蝉の声と木漏れ日の優しさは何年経っても変わらない。草の香りも風と共に感じる。風鈴の音が耳をかする。

 その後、俺は警察に少年時代の記憶を思い出したと言い、古井戸を捜査してもらうように願った。案の定、取り壊し業者が井戸を発掘した際に人骨が発見されたということだった。そして、竹刀おじさんについても警察に話をした。竹刀おじさんは本名が石名という名字で、「いしな」を並べ替えると「しない」になることに気づいた。男の家を家宅捜索したところ、何人かの人骨が見つかり、本格的な捜査が始まったと聞いた。

 俺は、ずっと過去から逃げていた。初恋の人と両想いだったにもかかわらず見捨てた俺は、怨まれていた。こんなに後味の悪い初恋はそうそうあるわけじゃない。

 じぇいという名前にした由来を両親に聞いたことがあった。ある鑑定士に聞いたところ、死を連想させる「し」と逆なのがアルファベットのJだから幸運になるという理由だったらしい。きっとその言葉が救いになると――それをひらがなで名付けたとのことだ。これは偶然か必然か――。

「し」のない世界以外にも何か文字がない世界がきっと存在するのかもしれない。それが懐かしい町でも警戒はするべきだと思った夏の一日。こんな思いをするのは二度と御免だ。

 古井戸の人骨はDNA鑑定の結果でナカと確定した。
 その後、俺は当時の同級生と共に、墓参りに行った。彼女はきっと許してくれないだろう。

 あなたが死ねばよかったのに――辛辣な言葉が胸に突き刺さる。
 誰しもが自分でなく、別な誰かであってほしかったと願うのは当然だ。
 でも、事実は覆すことはできない。「し」のある世界で俺は今日も生きていく。

◇◇◇
「なぜ、しのない世界に彼を招き入れたの?」

「かわいそうな少女の気持ちを放っておけないよ。彼には過去から逃げてほしくないからね」

「あら、あなたはたくさんの過去から逃げてきたじゃない?」

 彼女は実に的をついた発言をする。
 目を逸らし、ねがいやは歩いていった。

♢絶対評価の世界で殺人犯に恋をした

 絶対評価でこの世界は成り立っている。世界の秩序を保つために導入された『人間評価カード』。これは、いかに人々の役に立てるかどうか。つまりは、世界に平和をもたらすことができるかを証明するカードだ。

 秩序が乱れれば、犯罪が多くなり、平和とは程遠い世界が作られる。しかし、平和な世界を創り、保ち続けるにはある程度の制裁、つまりリスクと義務が必要だと政府は判断した。そして、平等であることを保つには政府には多額の負債がありすぎた。そのために、平等ではなく、公平である国の政策方針を掲げた。平等というのは、収入の少ない人、体が不自由な人などにも最低限の生活を約束するものだ。しかし、平等と公平は少しばかり違う。公平というのは、同じようにチャンスを与えるが、何もしない者には点数を与えない。

 点数は換金できる。つまり、貢献する者や事業を成し遂げた者は大金持ちになれるチャンスも与えるが、働かない者には点数を与えず、犯罪者からは点数を引くというやり方だ。

 今までも点数制ではなかったものの、大きな事業を成し遂げ財産を得るという人はたくさんいた。大きな会社の社長や芸術や芸能分野はそのものだろう。しかし、個人の点数を可視化することによって、よりことは深刻さを増した。生まれたばかりの子供から高齢者や障がい者、持病のある者も含めて全員が一律に同じ点数が振り込まれる。それをうまく使い、節約しながら生活することも可能だ。うまくいけば、何年でも最低限の生活を営めるくらいの金額だった。障がいがある者や高齢者にはある意味ありがたい制度でもあった。

 最初に絶対評価制度に対して懐疑的な者も多かったが、タダで多額の金額を得られるということを喜ぶ者の方が多かったように思う。しかし、この制度は数年後に大きな差ができた。

 基本的に悪いことをしなければ、点数を引かれることはないけれど、大幅にプラスの点数になる者は少ない。しかし、子供でも学校の成績がいい者、ボランティア活動や芸術活動、スポーツ活動で功績を残したものにはかなりの金額になる点数が入っていた。
 しかし、未成年の学生の場合は、親の人間評価が大きく人生を左右していた。

 これは格差社会を積極的に作ることにより、切磋琢磨しながら優良な人間を残そうとする国の策略だ。

 ため息が出るほど重い漆黒のもやに包まれた人間が存在する。深くて重くて息苦しい。何度か見たことはあるけれど、身近な人間にはいなかった。逆に言えば、それ以外の何かが見えるわけではない。それを見た瞬間、私は体が凍てつき凝視するが、刹那視線を逸らす。こんなに近くに漆黒人間がいたとは想定外だ。安堵とは逆の不安と恐怖に苛まれる。足のつかないプールから出られないような感じに似ている。自分の身の安全を確保できる術のない私は、漆黒のプールの中でもがき苦しむ。手を伸ばしても水面に指先すら届かない。もどかしくも焦る気持ちが沸き上がる。はじめて身近な人間に漆黒を感じた時に描いたイメージだ。

 私にだけ見える力――。漆黒の人間、薄黒の人間――。彼らは殺人者、または殺人者になるであろう人間だ。

 私には殺人に特化した未来予知能力がある。殺人を犯した過去がある人と殺人を犯すであろう人のオーラが見える。既に殺したことがある人は、漆黒のオーラが体中にまとわりつく。これからするであろう人の殺気は薄い黒色が体中に纏わりついている。

 その力に気づいたのは、幼少期に近所で殺人事件があった時だ。以前から薄い黒色だった人が殺人時間を起こした。そして、その人の姿が殺人を犯した後に漆黒色にに変化したのだ。しかし、テレビやネットで見る写真や映像の殺人犯の色は見えない。でも、実際に会えば人間に纏わりつく色でわかる。

 私の同級生に漆黒を纏った男子がいる。しかも薄黒い色味も帯びている。つまり、既に彼は人殺しであり、これから殺人を更に犯すつもりなのだろう。しかし、彼が前科者だという話を聞かないので、おそらく殺人犯として警察は認識しなかったのだろう。または、事件があっても明るみに出ていないか未解決事件なのかもしれない。

 漆黒の男の名は荒井狂《あらいきょう》。名前の通り、狂暴で野蛮な印象が強い。性格も粗暴で制服を着崩している。今時珍しい不良のような同級生だ。鋭い目つきにいつも傷やあざだらけ。本人曰くケンカ三昧らしく、ケンカでは負けないと豪語する。
 しかし、ある日事態は急変する。

「友達になってほしい」
 漆黒の男がまさか私に頼みごとをしてくるなんて――。ありえないと思っていた事実を目の前に私は立ち尽くしてしまった。鋭い目つきの男は、あざのある顔で丁寧に手書きした手紙を持っている。不良と手紙というアンバランスな状態に私の口は開きっぱなしだ。口調は思ったより優しいのが意外だった。

「これは……?」
「文字を通して愛情っていうのを知りたいんだ」
 こんなにケンカばっかりの人が愛情を知りたいのか。
 少しばかり意外だった。

「……」
 こんな怖そうな人の頼みを断ることなんて無理だ。

「よろしくな」
 少しばかり笑みが見えた。

 今時手紙は引くだろうと思うけれど、荒井狂の感覚が少しばかりズレているのかもしれない。恋愛には疎そうだ。

 放課後、中学の帰り道の公園に荒井狂がいる。
 ベンチに座っている荒井狂はそんなに怖い人には思えなかった。ごく普通の男子中学生だ。とても人を殺している人間とは思えない。公園で遊ぶ子供を見ながら微笑んでいる。
「にーちゃん、遊ぼうよ」
「このボールで遊んでろ、今大事な話してんだ」

 幼稚園くらいの子供から小学生まで5人の子供たちが公園で遊んでいる。

「何をしているの?」

 子供たちを見つめながら荒井狂は話を始めた。
「あの子たちは俺の兄弟なんだ」
「今時6人兄弟って珍しいね」
「貧乏なのに、子だくさんでさ。親代わりしてるんだ」

 ケンカばっかりの荒井狂がなんで子守りをしているのかも謎だ。でも、今まで実際ケンカをしている場面を見たことはない。ただの噂なのだろうか。ケガやあざが多いから、そんな噂が立つ。

「俺、中学卒業したら、就職だな。金ないし、本当の父親は死んだ。母親は働かないし、子どもを養育する気がないんだ。そればかりか新たな男を作っている。残り少ない学生生活に少しばかり青春っていうものをしてみたいなって。ガラにもない手紙なんて書いてしまった。ちょっと徹夜気味」

 クマが垣間見える。やっぱり複雑な事情を抱えているんだな。

「俺がもし、愛を知ることができたら、我が家は救われる」

 一抹の同情と疑問が沸いてしまう。横顔をみていると、せつなくて寂しい人間だということが伝わってきた。

 なぜだろう。既に殺人を犯しているにもかかわらず、更に殺気に満ちた漆黒の上に灰色を纏った男に同情してしまった。

 交換手紙は、少しでも彼の殺気が消えてくれればと思っていたのと、兄弟を見守る表情が悪人に見えなかったからかもしれない。善人であってほしいというクラスメイトとしての気持ちも沸いた。

 無下にここで断る返事をしてしまえば、殺気が満タンになる可能性も高い。少しでも、第二の殺人のストッパーになりたいと同級生として思ってしまったのかもしれない。そうそう近くに殺人者がいるわけじゃないので、殺人犯とは、はじめての関わりかもしれない。この能力はもしかしたら、事前に二度目の殺人を止めることができる力になるかもしれない。そんなことを思いながら、手紙のやりとりが始まろうとしていた。

 自宅に帰って手紙を読んでみる。今の時代に交換手紙なんて、ましてや殺人犯が書いた手紙を読む機会なんて滅多にない。汚い字で書きなぐっているが、本人としては丁寧に書いたらしい。

『これから、よろしくな。ⅡV 14106』
 何だろう? 変な記号が書いてある。二を縦にした記号と英語のV? そして、5桁の数字。意味不明だ。片隅にパセリの絵が描いてある。
  
 何これ。もう少し、長い甘い文章なのかと思ったのだが、思いのほか短い。記号が書いてある変な手紙だ。メモ用紙にただ書いただけの手紙だった。ただの茶封筒。味気ないにも程がある。

 仕方がない。短文でも何かしら返さないと。いつのまにかペンを握っていた。私がこんなことをすることは珍しい。傍観者でありたいのがモットーだ。でも、今回は殺人犯なのに普通に生きている男の傍観者なのかもしれないと思う。
 殺気が見える力はもしかしたら、今回役に立つかもしれない。それに、思ったよりも荒井狂は普通の人間のようだった。狂気や殺気は感じられない。雰囲気だけがそう見えるだけで、話してみると普通だ。

『狂という名前は珍しいですね。これからもよろしくおねがいします。暗号はどういう意味ですか?』

 無下に断ったら荒井狂は最後の良心を失うのではないかという心配があるのは本当だった。身近な同級生が既に殺人経験者であり、これからも殺人を犯すであろう殺気を感じ取れる故の同情なのかもしれない。そして、狂なんていう名前を子供につける親の心理も納得はできなかった。

 返信の内容は――
『狂という名前は推奨されていないけれど、一応名前としては使える漢字らしい。親の愛情を感じない名前だろう? 暗号の意味はⅡにVは地図記号で田と畑。つまりお前の名字だ。「1」は英語の「i」つまり「あい」として読むことができ、「4」はひらがなの「し」、「10」は英語の「ten」から「て」、「6」は英語表記のrokuの最初と最後の一文字を取って「る」。これをつなげると「愛してる」』

 頬が染まる。ストレートな愛情だ。私は今、とても辛い。正直に書く。
『辛いから、消えたい』

 手紙のやりとりは毎日続く。
『消えたいってどういうこと? それが田畑の本当の気持ちなのか?』
 白い花が描かれている。案外上手だ。

『親は会社をリストラされて、絶対評価の家族点数が激減したの。だから、うちも貧乏。私がいてもいなくても変わらない世界。むしろいないほうがいいのかもしれない。』
 心の中の想いを文字にする。

『田畑が本当に望むならば、俺が支える。333224*888』
 相変わらず文章以外の不思議な何かが手紙に書いてある。私には全然わからないけれど。紫の花の絵がかわいい。

「よう」
「今日も子守り?」

 放課後帰宅途中に荒井狂は公園でたいてい兄弟の面倒を見ていた。
 ブランコに座って会話する。
「受験、どうするの?」
「親っていうのは自分じゃ選べねーからな。絶対評価のせいで、実際損な人生を送っていると思う。でも、俺が働かねーとこの先、生きていけねーのは見えてるからな。進学予定はない」
 荒井狂はため息をつきながら前髪をくしゃりと握りしめる。少し髪が乱れると憂いを帯びた印象に変化した。

「でも、今時中卒じゃ就職先ないらしいよ」
「だったら働きながら定時制とか通信制とか公立のところを探すさ。でも、まずは今日食べていくための食費が必要だ」
「そんなに大変だったら、児童相談所とか、学校の先生に相談してみたら」

 荒井狂は遠くを見つめながら、ため息をつきながら話し始めた。
「親っていうのは絶対的な権限がある。事件が起きないと警察は手を出せないんだ。そして、グレーゾーンは児童相談所も手を出せねー。現実は甘くねーよ。気づいていて何もしない大人はたくさんいる。しかも、絶対評価の低い人間だと介入すらしようともしないんだ」

 荒井狂は、かわいそうな人なんだ。同情が沸く。でも、この人は確実に殺人を犯している。何度か殺人を犯した人間を見たことがある。それと同じ漆黒の色を纏っている。そして、更に殺人を犯すであろう薄黒い二重のオーラが見える。

 荒井狂はとても危険で狂暴な人間なはずなのに、ちゃんと自立しようとしている。彼氏だデートだと言っている学生よりも、やりたいことがないと言いながら学校に通う人よりも、一番まともな人間に見えた。それに、兄弟の面倒ばかり見ていて、ケンカなんて一度もしている様子はない。

 荒井狂の瞳はまっすぐで一点の曇りもなかった。手紙に返事を書く。
『ケガはケンカっていうのは嘘? もしかして、虐待? この前の暗号わからなかったよ』

 手紙の返信は――
『333224*888数字の通りにかな入力を打ち込むと「好きだよ」という言葉。生活態度も学校の成績も絶対評価の点数が全てだ。この世に生きるためには、逆転しないとな。128√e980。今でも、田畑は本当に消えたいの?』

 毎日の手紙のやりとりは、相変わらずシンプルで、スマホでのやりとりみたいだった。でも、数学みたいな記号がまた入っている。そして、睡蓮の花の絵。

 雨の音も優しく聞こえる。荒井狂との時間は私にとって特別な時間だった。でも、私は知っている。荒井狂が殺人を犯した人間であり、次も誰かを殺そうとしていることを。

『……死んでもいいな。荒井狂君とならば――。私も、親と成績の低下で評価底辺人間だし。やっぱり私には暗号解読は難しいよ』

『128√e980の上半分を隠すとアイラブユー。睡蓮の花は信頼を意味するんだ。今夜7時にここへ来て。今までやりとりした手紙を全部持参で』
 書いてあるのは音符のような形の上の部分がギザギザしている記号だ。

 この記号は最近社会の教科書で見た電波塔。
 胸を高鳴らせてこの町にひとつだけある薄暗い電波塔のもとへ行く。

「一緒に消えようか」

 私は告白されるとばかり思っていたが、そのままうなずいた。彼とならば――。

「これは、祝杯ドリンク。飲んで」
 ワイン色の飲み物はほんのり甘い。そして、強い睡魔――気が遠くなる。

 荒井狂がスマホで話し始めた。
「任務完了。俺に知恵を貸してくれたねがいや、あんたに感謝するよ」

「荒井狂。今までの手紙のやりとりの証拠と彼女の殺害で絶対評価点数が大幅にアップすることが決定となった。消えたい人間を消すことは大幅に得点が加算される。しかも、点数評価の低い人間を同意の上で消すことは1000万点、つまり1000万円があなたのカードに入金される。現金として利用可能だ。以前あなたが殺した父親の分も含めると、ざっと2000万点だ」

 荒井狂は私に向かって絵の説明をする。その瞳は鋭く険しい。

「花言葉でパセリは死の前兆。白い花はスノードロップ、あなたの死を望む。紫の花のシオンは君を忘れない。睡蓮は滅亡。未成年が虐待する親を正当防衛で殺した場合、絶対評価が上がる。俺は父親を殺している。そして、双方の合意のもとに低評価の人間を消すことも絶対評価が上がるんだよ。でも、双方の合意のもとに低評価の人間を消すことができるのは一度殺人を犯した未成年者限定の更生のための措置なんだ。この毒薬も俺のような一部の人間には合法で支給される。だから、死んでもいいという合意の証明が必要だったんだ。この手紙は大事な証拠品。俺は当分生活できそうだよ。愛している、忘れないよ」

 優しく囁く荒井狂。まどろみの中で、気づく。次に殺されるのは私だったのだと。彼を覆うオーラはさらに漆黒に変化した。

♢♢♢

「彼女は馬鹿ね。あんな男を好きになるなんて」

「俺ならそんなことしないのにな」
 ねがいやは微笑む。

「あなたは男でも女でもないじゃない?」

「今は性別を超えた存在だが、元男だ」

 じっと彼女を見つめるねがいや。

「一緒にならないか? 俺はこの仕事を辞めようと思ってる。この立場には自由はない」
♢謎解きアプリ ジョーカーは誰?

 謎解きアプリがインストールされた者は、謎を解けなければ、災いが訪れる。妙な文字がスマホに浮かび上がった。
 黒の背景に赤い文字で説明文が出てくる。

 このアプリはアンインストールすることができない。解約や破壊は意味がない。電源を切っても、捨てることも無意味だ。充電をしなくても、このアプリのみは、バッテリーが無くならないようになっている。
 つまり――絶対に逃れられない――とスマホに表示されたのは突然だった。
 あなたたちがすべきことはひとつ。スマホに現れる謎の子どもの質問に答えること。
 その後、スマホの画面全面に知らない少年が現れた。何も触れていないのに、勝手に起動する。NEGAIYAという文字が起動されたアプリの右下に小さく示された。

「こんにちは。僕には名前がない。みんなには、謎の子どもと呼ばれているよ。僕の質問に答えてね。答えないと、君たちの秘密を暴露するよ」

 抑揚のない声だ。スマホの音声だからだろうか。でも、スマホに入っているはずのない何者かが話しかけてきているということは恐怖以外の何者でもない。口調は子どもなのに怖さがある。この不気味さは当事者でなければ、わからないだろう。

 妙に機械的な説明は説得力と威圧感を感じる。まばたきをしない鋭い睨みつけるような瞳。謎の子どもの顔は子どもなのにとても不気味だ。この状況から逃れられない。本気感を肌で感じる。とにかく全てが不気味だ。

 謎の子どもは黒に覆われた悪魔のような風貌をしており、表情はなく、感情を表に出さない故に生気を感じない。男の子がまばたきをせずにじっとスマホの主を見つめているからかもしれない。男の子の心の内には、楽しいや悲しいといった感情を持っていないように見える。だから、怖いのだ。

 情報化社会の今も人間関係の闇や難しさは増幅している。決して逃れられない人間関係の中で、アプリがインストールされる可能性は充分にありうるのだ。

 私は中学3年生の美賂《みろ》。スマホに知らないアプリがインストールされていしまった。真っ黒なアプリの名前は「謎」。そんなアプリをインストールした覚えもないので、アンインストールを試みるが、どうやってもアンインストールできない。不気味な黒いアイコンの中に少年の顔が描かれている。不気味な悪魔のようであり、ピエロのようなアイコンだった。

 謎の子どもは話しかけてくる。

「謎解きスタートだよ。同じアプリを3人に入れたんだ。みんなで相談してね。同じクラスの君たち3人の中にジョーカーがいる。つまり裏切り者さ」
 裏切り者? 3人って誰だろう?

「オンライングループを作っておいたから3人で相談してクイズに答えてね」

 スマホに映し出されたのは、同じクラスの眼鏡の秀才男子の漸間《ざま》、チャラい男子の九条《くじょう》だ。そして、平凡な私は美賂《みろ》だ。みんな同じクラスの同級生であり中学3年生だ。

「赤と黒に分かれていて、時間帯と4つの季節を表しているものは何?」
 謎の子どもが質問する。

「トランプカードだろ。トランプゲームって女子との会話のネタのきっかけになるから、俺、詳しいんだよね。赤は昼を表し、黒は夜を表しているんだろ。♣が春、♦は夏、♥は秋、♠は冬だろ」
 チャラい九条が得意げに答える。勉強嫌いな九条だが、女子とのコミュニケーションのためには勉強をかかさないらしい。

 続けて謎の子どもが質問する。
「トランプカードには13枚のカードがあるのはなぜだ?」

 得意げな九条が答える。
「季節を表しているって聞いたよ。♣のエースは春の1週目。2は2週目、キングは13週目。トランプの1枚のカードは1週間を表しているんだ」

「じゃあ、1年間は何週間?」
 計算となると九条は途端に口を閉ざす。しかし、漸間が即時に的確に答える。
「さっきのトランプカードの話から、4つの季節を全てたすと13×4で、1年間は52週間」

「じゃあ、トランプの全ての数字を足していくと?」
 九条は指で計算するも、答えが出ない様子だが、漸間は冷静沈着に答えを出す。
「1から13の数字全てを足すと91だ。1つの季節が91日あり、季節は4つ。つまり、91×4=364日だ」

「でも、1年は365日だよね。足りないんじゃない?」
 さらに、謎の子どもは突っ込んでくる。でも、なんでそんなにトランプカードについて質問ばかりしてくるんだろう。そう思いながら、私はとっさに思いついて答える。
「ジョーカーでしょ!! ジョーカーは2枚あってエキストラジョーカーっていうのが白黒で入っていると聞いたことがある。それはうるう年にあてはまるとか?」

「正解。じゃあ、君たちは♣、♦、♥のどれに当てはまると思う? そして、トランプでいえば、キング、クイーン、ジャックのどれに位置していると思う? 君たちは♠に位置する人物を覚えているかい? この学校に来れなくなって、今もひきこもっている。君たちの誰かが、その人物の人生を破壊しただろ」

 もしかして、このアプリはいじめられたクラスメイトが関係しているのだろうか。
 たしかに2年ほど前、中学1年の時に関係があった時期がある。この3人はそれぞれなにかしら、その人と関係があったということなのかもしれない。
 私たちのクラスにいたその人物は2年ほど前から一度も学校に来ていない。今でも不登校だ。でも、なぜ謎の子どもはそんな話を今頃持ち掛けてくるのだろう。

 スマホの画面に映し出されたのは、図解され、表に整理されたトランプのマークと意味だった。まとめてあり、わかりやすい。季節、時間、意味、物、星座の順番だ。
♣️(クラブ)春、夜 、知識 、棍棒 、火の星座
♦️(ダイヤ)夏 、昼 、お金 、貨幣 、 地の星座
♥(ハート)秋、昼 、愛 、聖杯 、水の星座
♠️(スペード)冬 、夜 、死 、剣 、風の星座

「俺たちがなんでこんな質問に答えなければいけないんだ?」
 漸間が怒る。

「自分がどのマークに値するかちゃんと答えないと、みんなに君たちの知られたくない秘密の動画をアップするけどね」
 あの人をいじめていた時の画像が送られてきた。みんな顔が青ざめている。いつどこで動画を取られたんだろう? 怖い。

「じゃあ、俺から」
 チャラい九条が名乗り出る。
「俺は♣だな。つまり、春、夜 、知識 、棍棒 、火の星座 だな。春は青春。夜遊び好きでクラブ好きで女を口説くために知識を常に収集している。浮気したこともあるから、棍棒も当てはまる。火をつけたこともあったな」

「火をつけたなんて、九条君ひどすぎるんじゃない?」
「そうだ! やけどをさせたから不登校になった。お前のせいだ!」
 私と漸間は責めるが、九条は平然としていた。九条は、血も涙もない人だということを思い出す。以前、私と付き合おうと言いながら、結局別な女性へ平然と乗り換えた。顔はいいけれど、誠実なのはやはり漸間だと思った。

「……俺は、夏 、昼 、お金 、貨幣 、 地の星座の♦になるな。夏の昼休みにお金を彼から拝借していた。俺の家は貧乏で奨学金がなければ進学が難しい。だから貨幣は頼みの綱だった。 地面に土下座をさせたこともある」

「貧乏ならば何をしてもいいと思っている秀才って怖いね。みんなが知ったらどうなるんだろう。奨学金は絶望的だね」
 謎の子どもの言うことは否定できない。

「……私は秋、昼 、愛 、聖杯 、水の星座 の♥。秋に不登校になった彼と付き合ってと言われた。昼休みに愛しているならと聖杯と言う名の泥水を飲ませ 、彼の頭に水をかけた。でも、その時私は漸間君と付き合っていたから、断るタイミングがなくて……相手に身を引いてもらいたかったの」

「告白を断るために泥水を飲ませ、水をかけるなんて結構ひどいことしているね。これは大変ないじめだ」
 その言葉に反論はできなかった。

「じゃあ、この中でジョーカーは誰だろうね? キング、クイーンは誰かな?」
 謎の子どもは核心に迫ってくる。

 九条がいつもとは違う口調と表情で話し始めた。

「♠は冬 、夜 、死 、剣 、風の星座 という意味がある。いじめられた彼はまさに♠だ。冬の夜にナイフを持って死のうとしていた。中学1年生の後半の風の強い日だったな。その日、俺は夜遊びをした帰りに彼を偶然見つけた。冬の夜にナイフを持った不登校の同級生、これは何とかしないと、と思った。そこで、彼に火をつけた。といっても、彼の心の中に火をつけたんだ。彼も俺もパソコン関係に詳しいタイプだったから一緒に疑似アプリを作って二人を陥れようと提案したんだよ。♣は見た目が三つ葉のクローバーにそっくりだろ。花言葉は復讐だ」

「♣であり、ジョーカーは九条だったのか!!」
 漸間が驚き声を荒げる。

「ジョーカーって宮廷道化師をモチーフにしているんだ。宮廷道化師にのみ与えられた特権、それは誰も文句を言えない王様を相手に唯一意見を言うことができたって知ってる? 愉快な言動と悪ふざけで周りの人を楽しませる。ジョーカーは英語で「joker」。ジョークを言って楽しませる人、まさにクラスの中での俺だ。ほかの人が言えないことを口にする役目もあるからね。成績トップの王様に当たる漸間と男にモテると鼻高々なクィーンに当たる美賂を制裁しようと提案したんだ。1年以上かけて疑似アプリを作り、証拠をつかむために行動して、証拠動画を撮影した。♣と♠は夜とされている。つまり、仲間だ。夜な夜な打ち合わせするごとに、俺たちの間に友情が芽生えたんだよ。♦と♥は昼だ。漸間と美賂は付き合っているよな。浮気の証拠を取るために付き合っているのを知っていながら、少しばかり美賂に優しくした。美賂はすぐに俺に乗り換えようとした。漸間と美賂のいじめも♠の彼が当時ちゃんと証拠を撮っていたからね。それから、色々君たちのことは調べたよ。もっと極秘ネタは握っているよ。カンニングや万引きををした証拠なんかもね」

 九条は案外知性豊かで隙がない。今日はいつもとは違う瞳をしていた。

「浮気だと? 顔がいい九条になびいたのか?」
 漸間が怒る。

 九条が漸間と美賂を見つめる。
「ざまぁみろだな。あと、この様子は動画で現在ライブ配信中だから。俺の顔はモザイクで隠してあるけれど、君たちの顔はばっちり配信されてるよ」

 スマホで確認すると、動画視聴者のコメントが炎上しており、どんどん視聴者数が増えている。

「これで、♠の彼が立ち直れるきっかけになればと思って、俺はジョーカーになったんだよ。トランプで1週間、1年間の重みを計算させたんだ。中学生の1年は一生の中でもとても重要で貴重な期間だ。学校という場所を奪うなんて、許さない! だから、俺がジョーカーで♠の彼にはエキストラジョーカーになってもらったんだよ」

 九条はジョーカーとして、♣として、いじめられた同級生の素性を隠したままトランプの謎解きと疑似アプリによって復讐を成し遂げた。


♢♢♢

「九条くんやるじゃない」

「ねがいやの相手を陥れる方法ガイドを買っただけはあるな」

「小遣い稼ぎしてたのね。陥れるの得意分野だからね」

「俺の通販はたくさんの復讐に有意義に使われている。人助けだよ」

「とんだ神に近い存在ね」

「そろそろこの仕事の退職時期が近づいている。この先どうするか。おまえもついてこい」
♢記憶の病から彼女を救うために

 彼女である美波は記憶が失くなる原因不明の病気にかかっている。この病は消したい記憶がある者がかかる割合が多いらしい。しかし、消したい記憶自体を忘れてしまうし、完治の手段がないため、本人すらも進行を止めることができないと噂されている。

 彼氏である俺は、美波の失われた記憶の意味を探るべく動き出すことになった。美波の記憶が少しずつ失われ始めたのは小学6年生の時だったらしい。それから少しずつ病は進行している。現在中学2年生。2年もの歳月が経っている。この病を治すためには原因を突き止め、本人に認識させることしかない。このまま放置すると最期は死が待っているということだった。美波を助けたい。

 俺は最近美波と付き合うことになったが、交際の事実を秘密にしている。
 美波との交際のきっかけは、記憶が失くなる病にかかっているということを打ち明けられ、助けてほしいと相談されたことだった。そして、誰にも交際の事実は伝えないでほしいということも美波からの交際条件だった。高嶺の花である美波と付き合えることを自慢できないことは非常に残念だが、仕方がない。事実、美波と付き合っているという事実は本当なのだから。俺は有無を言わずに快諾した。

 他人の記憶を補填することで記憶の病が治るという話もあるが、俺の記憶を渡す手段が見つからない。まだ完治の手段は解明されていない。

「6年生の時に小学校の校庭に埋めたタイムカプセルを掘り起こせば何か手掛かりがあるかもしれない。デートがてら、行ってみようか?」
 美波が提案する。

「でも、あれは20歳の成人式の時に掘り起こそうっていう約束だったよな」
「そうだよね……」
 でも、これはデートでもあり何か手掛かりがつかめるチャンスだ。

「大丈夫だって。美波の手紙だけ拝借しよう。読んだら元に戻せば大丈夫。たしか、埋めた場所は遊園地だったよな。でも、あの遊園地、廃業になったらしいな」

 このご時世、レジャー施設である地方の小規模な遊園地は打撃を受け、不景気のあおりで倒産した。当時、遊園地に埋めたのは、同級生の親が経営していたといういきさつだったような気がする。校庭は工事をされたら、タイムカプセル計画はダメになってしまう。だから、遊園地の社長である同級生のお父さんに土地をほんの少し貸してほしいと頼んだ。タイムカプセルを埋めた場所は20歳になるまでにそのままにしておいてほしいと約束した。たしか、メリーゴーランドの近くに埋めた。あの時、美波は何を思っていたのだろう。手掛かりがつかめるかもしれない。

 廃遊園地にこっそり入る。壊れたフェンスなどを知り尽くしている俺たち二人は、すんなり入ることに成功する。誰もいない廃遊園地には独特な雰囲気があった。遊園地の看板には願い屋とかいてある。こんな名前だった記憶はないが、古い記憶だ。自身の記憶に自信はないが、入口の看板はだいぶ錆びている。

 かつては賑わっていたはずの場所が、しんと静まっている。こんなに誰もいない静かな場所になるなんて、かつての休日の賑わいを知る者には違和感すら感じる。

 人がいない家は傷むのが早いと聞いたことがあるが、まさにそれだ。古びたメリーゴーランドに錆びたコーヒーカップ。色あせた建物にはヒビと蜘蛛の巣がいっぱいだ。不気味と表現したほうがいいかもしれない。騒音はなく今は静か。かつては光を浴びていたはずの場所は影となっていた。廃墟マニアにはウケがいいらしいけれど、原則立ち入り禁止だ。不思議な錯覚に陥る場所だ。まだ昼間だから怖くはないが、メリーゴーランドの馬の目が不気味にすら感じる。欠けた遊具、色。この世界は全てがどこかしら欠けている。哀愁だだよう世界は気温が少しばかり低く、風も冷たい。まるでお化け屋敷だ。この廃遊園地にもお化け屋敷があった。電動式の人形が動いたり、不気味な音が聞こえたり、風が吹いたり。普段明るいと怖くもなんともないことが、お化け屋敷の中ではとても怖い。

 ほんの少しだけ、無断侵入する。バレても同級生のお父さんだから、たいした騒動になることもないだろう。用事が済んだらすぐに帰宅しよう。全ては美波のためだ。所有者に迷惑をかけるつもりはない。

 少しばかり大きなスコップを持って掘り起こす。太陽の光と力仕事で汗ばんでいたが、大事な目的のために自分の体力を奪われるくらいならば平気だ。6年2組の想い出が詰まった箱が出てくる。35人の想いが詰まった箱が出てくる。

 美波の手紙を開封する。
『この小学校に引っ越して来る前に私のお母さんが再婚して、新しい家族ができました。楽しい家族になれたらいいな。ここでも新しい友達ができるといいな。未来の私は家族とずっと愛し合えていますか?』

「美波って再婚して転校してきたんだっけ。旧姓のことも家庭の事情も知らなかったな」
 俺は初めて彼女の家庭の複雑な家庭の事情を知る。彼女はうなずく。

「もしかして、再婚が心の傷になってるのかもな。新しいお父さんって小学6年生にはきついよな。たしか、美波には兄弟がいたよな?」

「義理のおにいちゃんはいるよ。6年生の時に母親が再婚した時に兄弟になったの」
 美波の表情が陰る。

「まずは美波の家族のことから記憶の扉を開けてみよう」

 美波が忘れた記憶の経緯は俺には知らない世界だ。なぜ、記憶を失うまでになってしまったのか。

「このメリーゴーランド、よく乗っていたなぁ。年間パスポートを買ってね、家族みんなでよく来ていたの。お兄ちゃんなんて高校生なのに、家族で休日もよくいっしょに遊びに行っていたなぁ」
 錆びたメリ―ゴーランドに手をかける。
 
「家族関係は良好だったんだ?」
「うん」

 すると、廃遊園地だったはずなのに――急に光が灯る。まるで、2年前の賑わいの時同様の明るい音楽と共にメリーゴーランドが動き出した。先程まで、錆びて怖く思えた馬はきらきら輝き、新品同様だ。怖いなんてひとかけらもなく、優しい目をしていた。時間が戻った? いや、この場所だけ何かしらの特別な力が働いているのか?

「ようこそ、記憶の扉へ」
 知らない男がメリーゴーランドの前に立っていた。

「君は誰だ?」
「俺は、記憶の番人。ねがいやと呼ばれている」
 美しく、華麗な服装で、美しく優しい顔をしていた。まるでおとぎの国の王子様だ。

「美波ちゃんは、2年前に記憶の扉を叩いてしまった。そう、この遊園地が賑わっていた頃だったな。場所はちょうどここ。メリードーランド前」
 美波に向かって少年は話しかける。

「覚えていない」
 美波は全く身に覚えはなさそうだ。

「それはそうだろう。俺は、君と記憶の取り引きをしたのだから」
「そうなのか?」
 俺は、その事実に驚きを隠せなかった。

「なぜ、君が記憶の取り引きをしたのかを覚えているかい?」
「覚えていない」
「美波ちゃんは、忘れてしまいたいことがあったんだ。そして、ある人を記憶の病から救いたかった」
 美波は全く覚えていないようだった。

「そこにいる少年は、美波ちゃんを助けたいのかな?」
 俺に向かって美しい顔が問いかける。

「そうだ。俺たちは付き合っているんだからな」
「付き合っていることは秘密っていったでしょ」
 こんなわけのわからない奴に知られても構わないだろう。
「別に知られてもいいじゃないか。なんで、そこまで隠そうとするんだ?」
「……わからない」
 美波は黙ってしまう。困った顔をしていた。

 謎の男は電球が灯るメリーゴーランドに乗りながら、語り掛けてくる。
「記憶の病から、彼女を救いたいんだろ? ひとつだけ手がある」
 何も糸口が見つからなかった俺にとってどんなにか救いの言葉だっただろう。
 黄金色の輝きを放つ美しい男はきっと幸せを運んでくれるに違いない。

「助けたい!! 何でもします!!」
「じゃあ、君の大切な記憶をひとつだけちょうだい」
 馬に手を掛けながら手を差し出す。

「大切な記憶って……」
「何でもいいよ。そうだな、たとえば――幼児の頃のあってもなくてもいい記憶とか、忘れたい黒歴史とかね」
「忘れたい記憶を記憶の番人にあげたら、美波の病は完治するのか?」
「完治はするけれど、番人に預けた記憶は美波ちゃんに返すことになっちゃうんだ。それでもいい?」

 端正な顔立ちに優しい声はまるで音楽を奏でるかのようだった。今まで聞いたことのない音とでも表現したほうがいいだろうか。

「美波、俺は記憶の一部をあげてもかまわない。君は忘れたい記憶を思い出してしまうかもしれない。それでもいい?」

 美波はこくりとうなずく。

「幼稚園の頃に好きだった子にフラれたという記憶をあげるよ。初恋が散った悲しい思い出だ」
「素敵な記憶玉をありがとう。これは、色で言うと、黒とピンクを混ぜた色あいだね。実にいい」
 記憶の番人のところに水晶玉のようなものが俺の体から飛んで行った。にこりと片手で受け取る。
 俺の記憶玉? 案外不思議な色合いだった。すると――最近記憶がなくなっていく美波の体に記憶玉が入る。ピンクと赤を混ぜたきれいで情熱的な色だった。

「美波ちゃんの記憶玉を戻してあげたよ」
「原因不明の記憶の病って言うのは記憶の番人、おまえのせいだったのか?」

 それに反論する記憶の番人。
「俺は、正攻法で取引をしている。本人が了承した上での取引だ。この病は記憶がいらない者がそのまま放置した結果、死んでしまったとか、代わってくれる人間が見つからない場合、死んでしまったという例は割とある」

 記憶が戻った美波の様子がおかしい。

「美波ちゃんのお兄ちゃんは2年前、記憶の病にかかっていたんだ。それを心配した美波ちゃんは記憶の扉を開いてしまった。記憶の扉というのは、どこにでも発生するんだ。美波ちゃんのお兄ちゃんと美波ちゃんがやってきて、取引したのはこのメリーゴーランドの前だったね。お兄ちゃんの記憶の病を完治させるために、美波ちゃんはある記憶を消したんだ」

 記憶の番人が話をしているのを遮るように、美波は頬を赤らめ「言わないで」と言った。「どんな記憶を取引したの?」その質問には頑なに答えようとはしなかった。

「美波ちゃんは記憶の病が完治した。君が記憶の病を継承して病に侵されることになってしまったね」

「どういうことだよ? 俺は、記憶の一部しか渡していないだろ」
 驚きと怒りで声が大きくなる。

「たしかに、記憶の一部しか取引はしていないけれど、人は無意識に忘れている記憶も体で覚えていたりする。つまり、記憶はつながっているんだ。だから、一部でも記憶が無くなってしまうと、記憶の病にかかってしまい、少しずつ少しずつ記憶がなくなってしまうんだ」

「じゃあ、美波は義理のお兄ちゃんの代わりに記憶の病にかかってしまったということか」
「そうなるね」
「俺自身が病にかかるなんて、聞いてないぞ」
 断固抗議する。

「俺は記憶玉が欲しい。でも、一応本人の了承を得た上での取引をしている」
 記憶の番人が正論を主張する。

「取引の中に、記憶の病の説明がないじゃないか」
「説明すると、記憶玉が集まらないじゃないか。ちゃんと事後に完治の説明はしているよ。完治をするには、自分のために記憶をなくしてもいいと言ってくれる人を探して記憶の扉を探すようにとね」

「それをわかっていて、美波は俺を連れてきたのか?」
「そうだと思うよ。だから、他の誰にも交際していることは秘密にしてほしいと言ったのかもしれない。そして、交際の事実を一番知られたくない人が美波ちゃんにはいるよね」

 困った顔、顔が真っ赤な美波。こんなに情熱的な美波は初めてだ。

「どうぞ、お兄ちゃんとお幸せに」

 微笑みながら、謎めいた記憶の番人は姿を消した。あんなに明るかった証明は一瞬にして消え、朗らかなBGMも消えた。急に不気味になる。

「もしかして、美波が消したかった記憶ってお兄ちゃんを好きだということだったりして……。交際を知られたくないのもお兄ちゃんだったりして?」
 冗談半分本気半分で美波の反応を見る。

「同じ家に住んでいて、好きという感情を消す手段なんて難しいよ。それに、記憶の病が進行するお兄ちゃんを見ていて、心が痛んだから。何かしてあげたかったの。これからもこの気持ちはずっと心にしまっておく」

「俺が記憶の病にかかってもいいのかよ」

「これは、あなたの気持ち次第だと思ったの。だから、強制はしていない。私を助ける気がないならば、あなたは取引をしない。つまり、取引は自己責任よね。今後、誰かがあなたを心配して記憶の扉に立って継承くれるはずよ。交際は公にしないことも需要。あまりに進行してしまうと、自身の病の完治の方法すらも忘れてしまうから、気をつけてね」

 そう言うと、美波は廃遊園地から去ってしまった。
 俺は、お化け屋敷のような場所で日が傾くことを感じながら、絶対に交際を秘密にしてくれて、自分のために記憶を一部取引してもいいと言ってくれそうな女子を探すことを決意した。
♢殺し屋ジャックの憂鬱

 空が青い。こんなにのんびりとしていて馬鹿らしい日々が訪れるとは――。喧騒の中で殺し屋ジャックはため息をつく。正確に言うと、元殺し屋と言ったほうがいいのかもしれない――。

ここは、裏社会とは程遠い場所。小学校の校庭だ。しかも、任務のためにいるわけではない。純粋なるかくれんぼに参加している。とは言っても、みつかったら殺されるリアルかくれんぼじゃない。普通に見つかったら鬼になるあの遊びだ。俺様も落ちぶれたものだな。ため息しかでない。このまま、みんながいない場所に移動して午後の授業はさぼるとするか。俺は危険と隣り合わせの暗殺の仕事をしてきたのだが、今は小学生をしている。冗談ではない。本当の話だ。

「遠藤豆太くん」
 空を眺めていると、視線を感じる。あぁ、一体どんなセンスでこんな名前を付けたのだろう。名字と名前のバランスは考えるべきだ。もし、こんな名前ではなければ、俺は表社会で普通に会社員をやっていたかもしれない。あえて、俺は裏社会を選んだだけだ。
「はい」

 俺の名前は殺し屋ジャックだ。純日本人であり、本名は遠藤豆太だ。幼少期にジャックと豆の木という話にかけて、エンドウ豆から連想できるジャックと言うあだ名がつけられた。正確に言えば、15年くらい前の話だが、ここにきてまだ間もない俺は、あだ名すらもない。

 親兄弟とも縁を切って殺し屋をはじめとする裏取引や恐喝などの闇稼業を行っていたのだが、国の犯罪者更生プログラムとやらで、体を小さくされて小学生として生活することになってしまった。

 国は更生プログラムを使って一部の悪人を更生させるという取り組みを始めたらしい。悪人全員が対象ではなく、ほとんどの犯罪者は刑務所で生活するという流れは変わっていない。試験をして、更生が可能かもしれないと思われた何名かが極秘で人生をやり直しさせてもらっているらしい。肉体年齢が下がれば、結果的に長く生きることはできるし若返ることは悪くはない。しかし、小学1年生となると体力面では大人の状態に比べるとかなり劣ってしまうし、走る速さや腕力は大人に比べるとだいぶ劣る。

 小学校にいる時間以外は基本的に更生施設で生活させられている。表向きは児童福祉施設だが、そこには元大人が収容されている。俺の左腕には自力では取り外し不可能なリストバンドがある。GPSが埋め込まれているらしく、下手に逃亡すると電流が流れる。苦痛が続き、死に至る可能性もあるのでうかつな行動はできない。この俺様ともあろうものが、実に情けない。

 とは言っても、一般人に恐怖を与えないように、元殺し屋だということは伏せられ普通の小学生として生活させられている。もし、小さな体で犯罪を犯そうとすれば、興奮するときに脳に出る分泌物が反応し、俺の体に電流が走る仕組みになっている。左手のリストバンドは興奮したり、秘密を暴露しようとすると電流が発動するシステムになっているらしい。どうにも馬鹿げたシステムに巻き込まれてしまった。まるで令和の西遊記の孫悟空だ。

 幼少期の教育が足りていなかったから、もう一度教育し直して更生させるという理屈は当事者には迷惑なことだ。本当に幼少期の脳になるわけではない。大人の頭脳のまま記憶も消されないまま子供として生活することは、とんでもなく大変なことだ。

 精神年齢が違うものと共同で小学校生活を送るなんて実に馬鹿げている。低レベルなネタで本気で笑う小学生の男子共にはついていける気がしない。本当に小学1年生であれば、本気で笑うこともできたのかもしれない。そんなことも忘れるくらい歳を重ねたのかもしれない。

 ちなみに、もう一人元大人の女がこのクラスにいる。俺よりも少し前から小学生をやっているらしい。あいつはかつて、闇の組織で、詐欺師兼殺し屋として所属していた記憶がある。大人として会話ができるのは小学校ではひとりだけだ。

「ねぇ、豆太くん」
 顔は幼いが、大人だった時の表情が残っている。通称フラワー。
「ジャックと呼べ」
 俺は、本名はできれば避けて生きていきたい。なぜそんな名前を付けたのだ? 俺は親を昔から恨んでいた。

「あら、かつて殺し屋として名をとどろかせていた呼び名でいいの?」
「実際俺は幼稚園時代からジャックと呼ばれていたんだ」
 少し俺の瞳をじっと見つめたフラワーは馬鹿にした表情と笑いを同居させ、失礼な大笑いをする。
「ジャックの本名が遠藤豆太とはね。腸がよじれそうだわ。初めて知った事実だわ」
 小さな体でケラケラと大笑いをする。

「実際、何人もの腸を見て来たんだろ」
「昔の話よ」
「花……味わいのある名前じゃないか」
 フラワーの本名をつぶやいて大笑いすると花は激怒する。

「豆太は黙りなさい」
 睨んだ目が普通ではない怖さがある。普通の人間ならば背筋がぞくっと凍り付くだろう。

 これが、ランドセルを背負った小学1年生の会話だということは普通ではないけれど、元殺し屋だから仕方がない。フラワーも俺同様、名の知れた暗殺者だった。一度味わった殺し。一度嗅いだ血なまぐさいものを忘れることはできないものだ。

「運動会のダンスの練習をします」
 担任教師が楽しそうに説明を始める。本当ならば、煙草を吸って、酒を飲んでいたいものだが、それは許されないらしい。そして、更生プログラムのリストバンドは、未成年に許されていない行為は許さないらしい。酒を飲めばアルコール濃度の高まりでしばらく電流が激しく体内に流れる仕組みらしい。煙草も同様で、ニコチンに反応するらしく、激しい電流に逆らってまで摂取する気持ちにはなれない。

「今日はうさぎさんぴょんぴょんのダンスをします」
 担任教師がとんでもない提案をしてきやがった。うさぎさんダンスとは……罰ゲームの極み、極刑じゃないか。恥ずかしい極みの刑を俺に課そうとしているに違いない。
 
「踊りの練習をします。頭に両手を持ってきてぴょんぴょん、とびとび。先生の真似をして踊ってください」

 なんともおかしなダンスだ。腰を振りながら手で耳の形を作るらしい。そして、ぴょんぴょん飛ぶだと? 俺を何様だと思っているんだ。殺し屋ジャック様だぞ。

 真剣な表情の担任教師と共にクラス全員が真剣なまなざしで真似をする。その滑稽さに笑いをこらえる。これは、拷問か。きっと俺のプライドをズタズタにしようというのだろう。だから、俺はそのまま真似をせずただ見ているだけという選択をした。リアルに幼児期はこんなダンスを踊っていたのかどうかも俺の記憶にはない。あったとしても事実を抹消たのしかもしれないが、そんなダンスを踊ったとしても踊らなかったとしても俺はきっと闇の組織に入ってしまっただろう。

 他クラスとの合同練習に関しては、ガキ大将のような中心的存在の1年生男子が俺を威圧する。体が華奢な俺は体格差では圧巻される。殺しの術は心得ている故、瞬殺は可能だ。しかし、殺す時に感じる脳の中のアドレナリンを抑えることはできない。殺人をするときの特別な高揚感をリストバンドは感じ取ってしまい、殺そうとした暁には気絶するまで電流が流れると説明された。

「ちゃんとやれよ」
 腕組みしたガキ大将の山下が見下ろす。この男は、背が高くガタイがいい。ぱっと見高学年くらいには見えるだろう。せめて俺もこれくらい背が高ければ、筋肉質の小学生だったのならば、少しは戦いに有利だったのだがな。あいにく俺は小学生の頃はひょろっとしていて背が低かった。そのまま過去の体型が再現されている。実に優秀な再現だ。

「どこから来たんだ?」
 転校生である俺に山下が問いかける。いかにも俺の島でなにをしているという風を吹かせている。こういう奴はどこの組織にもいるのだが、先輩風を吹かせる輩はだまらせてやりたい。しかし、ここは小学校。相手は小学生。かつての俺ならばこんな奴は瞬殺だったのだがな。

「何組の者だ?」
 あえて言えば、1年1組といったところか。
 うさぎさんぴょんぴょんの歌が鳴り響く。どんな暗殺よりも厄介で恥ずかしいダンスだ。そう思いながら、仕方がなくジャックは一時的に避難するのだった。

「保健室行ってきます」
「一人で行ける?」
 心配そうな教師。教師も俺の素性は知らない。知ってしまうと普通に接することができなくなるのであえて国は秘密にしている。よってただの子供だと思っているようだが、大人に戻った暁には見ていろよ。睨みを利かすが、教師は既にこちらを見ていなかった。

「フラワーはあのダンスを踊ったのか?」
 休み時間にさりげなく聞く。

「郷に入れば郷に従え。暗殺の常識でしょ。あなた、個人的に嫌だからってうさぎさんぴょんぴょんダンスを放棄するなんて」

「今は暗殺者じゃない。もう捕らえられた俺たちは手のひらの上で転がされているだけだろ。そもそもあのこっぱずかしいダンスを踊っても俺たちは元の体には戻れないし、無意味だ」

「そうね、このリストバンドがある限り逃げることは難しい。犯罪を犯すことは己の死を意味する。更生プログラムを受けている者は、犯罪を犯せば容赦なく殺されることもあるものね」
 ため息交じりにリストバンドをながめる。

「かつては俺たち殺し屋も普通に小学生生活を送っていたわけだしな。フラワーはなぜ、詐欺師になったんだ?」
「詐欺の才能があることに気づいたからかしらね」
「ジャックは?」
「仲間だと思っていた奴が組織に所属していてな。誘われたんだよ。その男は今は組織を抜けてどこで何をしているかもわからん」
「友達を失ったのね。私は詐欺師だったから、今は小学生を騙すことを楽しんでいるけどね」
「今は暗殺はできないからな。日々、校庭で鬼ごっこやドッジボールをしているがな」
「へぇ、そんな悪人面が追いかけてきたり、ボールをぶつけてきたら正直怖がるでしょうね、だったらその悪人面で学校の悪事を制裁してみたら?」
「悪事を制裁?」
「いじめをなくすとか、悪い教師を追い詰めるとか。暗殺するわけじゃないけれど、社会的に暗殺するってことよ」
「俺はそんなにボランティアなんぞ好きじゃないからな」
「鍵盤ハーモニカを持ちながらのジャック。どんなカッコいいセリフもカッコ悪く見えるわ」

 次は音楽だ。鍵盤ハーモニカを用意しておくことは、かつて殺し屋だった俺から言えば入念な事前準備はどんな想定外の事態が起きても対処しやすいってことだ。

「ジャックは血が恋しくない?」
「血の匂いはもう忘れた。俺と言う存在も忘れたんだ」
「ランドセル背負って言う台詞じゃないわ」
 フラワーは赤いランドセルを片手にため息をつく。
「漆黒のランドセル、俺のカラーにぴったりだろ」
「真紅のランドセル、かつての私のカラーだったわ」
 二人は無言でランドセルを背負い、下校の準備をする。共に己の色を纏う。

「私たちってたくさんのものを失ったわね。自由、大人としての尊厳、それに引き換え安全で平和な暮らしが手に入った。いい子にしていれば待遇は悪くない」

「でも、監視がついて知恵がついたまま体だけガキになってしまった。これは俺たちは望んでいなかった末路だ」

「でも、私たちは平凡な大人として普通に暮らしていたらどうなっていたのかしらね?」
「さあな。俺は前の生活は楽しかったけどな」

「おーい、校庭で遊んでいこうぜ」
 一瞬戸惑い逃げようとする俺を見てフラワーが声を発する。
「暗殺者の心得は? 郷に入れは郷に従えでしょ」

 そのまま俺は無言でランドセルを置いて、校庭に向かう。

「蜂が飛んできた。刺されたら大変だ」
 校庭ではガキどもが逃げ惑う。たかが虫一匹に大げさだな。
俺は落ちていたボールを拾い虫にむかって高速球を投げた。かつて培った動体視力がものを言う結果だ。あっという間に敵である一匹の蜂は俺の投げたボールと壁の間に挟まれ死んだようだ。摩擦で一瞬煙が見えた。

「すごいな、助けてくれてありがとう」
「豆太、かっこいいよ」

 小学生たちがこちらへかけて来る。まるで胴上げされそうな勢いだ。
 なんだなんだ? 殺すという行為に初めて感謝されたな。殺し屋時代も依頼者に感謝されることもあったが、ここまで爽快な感謝はなかった。後ろめたさがつきまとうお礼だった。なのに、今はどうだ? 虫一匹を殺しただけで英雄扱いだ。所変われば扱いが変わるというものだな。

 思わず笑みが浮かぶ。

 施設に帰ると快適な住環境と食生活が用意されている。刑務所よりはましか。
 ここには元犯罪者である大人たちがたくさんいるが、もめると電流が流れるので、ケンカになったりすることは滅多にない。穏やかな日々だ。仲間がいて、生活に困ることはない。刺激もかつてとは違った意味で存在する。俺は本当に大人に戻りたいのか少し悩む。大人であるべきだという概念だとかそういったものが俺を束縛するのかもしれない。こんな毎日も悪くない。

 ある時、得体のしれない美しい男がやってきた。

「殺し屋ジャック、君、なかなか面白いね。殺人鬼であったにもかかわらず、清い心を持つ者はそうそういない。是非、二代目ねがいやにならないか?」

「ねがいやとは何だ?」

「ねがいをかなえつつ他人を不幸に陥れる暗殺者でもあり、時には幸せに導く神ではない何者かだ。初代の私が引退をしたいと思っているため、二代目を探していてね」

「もし、断れば、俺はこのまま生活を続けるだけか」

「ねがいやとして殺し屋ジャックとして人生もう一度謳歌するか。二択だけどね。しばらくは、引継ぎがてら仕事を教えますよ。あと、相棒がいたほうが、円滑に仕事ができますから、彼女も解放してあげますよ」

「相棒?」

「フラワーにもねがいやとしてもう一度この世で仕事をしてみないかと打診はしており、了承を得ています。その、邪魔なリストバンドも外してあげます」

 ジャックを縛り付けていた機器は全て外された。

 ねがいやは永遠に続く――初代がどうなったのかその後のことは誰もわからない。

 きっと彼女と一緒にどこかにいるのかもしれない。

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