「……志紅!何でもいい!頼む、教えてくれ」
「期待は禁物ですわ。ただのおとぎ話かもしれませんから」

 激しく降っていた雨が少しずつ和らぎ、辺りは霧雨になっていた。雨で全身びしょ濡れになっているが、全員は変わらず境内で会話を続ける。

「我々あやかし達は死ぬと骨も残らない。しかし、宝生家の家宝として大切に扱われているのがございます」
「……何をだ?」
「先祖の骨ですわ」
「「「!?」」」

 この場にいる全員が驚きを隠せなかった。あやかしは死ぬと骨も残らない、自然の摂理とも呼ばれる程当然の事であったのに、骨を残す事などあり得ない。

「宝生が苦境に立たされた時の為にと、祈りを捧げて亡くなった先祖がいるそうですわ。結果、ほんの僅かな骨を残して消えたそうです」
「……死んだあやかしの髪の毛一本ですら呪術として使用出来てしまう。なのに……骨を残すなど」


 神が決めた定め事なのか、異能を持つ持たないにも関わらず、あやかし達が死ぬとその身体は綺麗に消えていく。泉澄達のいる国ではあやかしにも人間と同じく火葬をされるが、その骨は何一つ残らない。

 その昔、ある者があやかしの亡骸の髪の毛を呪術に使用し、悪霊を呼び起こした実例がある。

「父さんが命をかけて祓った悪霊だな」
「……そうですわ。あやかしの遺髪を使って出したおぞましい悪霊。白鬼のお父上様でさえ命を奪われましたわね」

 以前何者かが禁止の祠を立ち入り、封印してある悪霊を開放させてしまった人間がいた。その悪霊はまさに、あやかしの遺髪で作り出された強力で恐ろしい化物であった。
 だからこそ、あやかしの亡骸は特に早く火葬をする風習がある。哀しみに嘆くよりも亡骸の一部を誰かに悪用される前にと。

「普通なら決してあり得ないことを何故……宝生様のご先祖様が骨を……」

 泰生が思わず疑問を投げ掛ける。この世界では掟破りの事だったからだ。

「……骨だけでは意志疎通も出来ない化物、いやそれよりも想像もつかない悍ましいモノが出るだけでしょうね。しかし宝生家に語り継がれるお話しでは、骨と匹敵する強い御神体があれば願いが叶うと言い伝えられております」

「!?」

「骨の持ち主は宝生の何代前の祖先かは存じ上げませんが、かなり強い異能を持ち、そして宝生の名を挙げようと凄まじい執念だったと聞かされております……淳様の知識ならもしかしたらご存知かもしれませんね」

 なんとなく淳の亡骸に視線を送る。雨に濡れ、ほんの少し前まで生きていた淳はまるで寝ているような姿だった。

「……志紅、何故……骨が残った」
「……宝生に危機が訪れた時に何かの役に立つようにと、その執念の強さから一欠片だけ消滅しなかったようですわ」

 泉澄はあやかしの骨と御神体で願いが叶うなど聞いたことが無かったが、自分の父親が五龍神田の神社の本殿に御神体を祀り、五龍神田以外の者が本殿に入る事を固く禁じていたのには、父親はこの話を知っていたかもしれない。

「……志紅」
「この骨を使うのは私の自由なので差し上げますわ。その代わり確証はございませんので」


 雨が上がり、西の空に大きな虹がかかっていた。

「……泰生、準備を」
「かしこまりました」


 泉澄が息をしていない淳の口に優しくキスをする。冷たい唇、開かない瞼。
 おとぎ話かもしれない。成功しないかもしれない。

 しかし、淳が目を開けるかもしれない。


「……はい宝生ですわ。え?元に戻った?ど、どういう……」

 志紅の携帯が鳴り、工場やビルが全滅したのを何人もの人々が目撃した筈だったのに、雨が上がると同時に何事も無かったかのように元に戻っていると連絡が入る。

「他者の命を奪うのは生憎、性に合わないのでね」

 本物の淳と出会えたことによって新しく授かった異能は狐も得意とする幻影。それも大規模な幻影だった。

「……叶いませんわ。本当に」


 泉澄は神殿に入る前に紋様入りの白の着物に白の袴を着装、頭には黒の冠をかぶる。この袴の袖を通した時は自然と背筋が伸び、神経を尖らせていたが今日はその何倍も力が入る。

 五龍神田の神社の神殿の扉を開け、御神体を祀る神棚の奥にある厨子に近づく。神棚は金に装飾された立派なものだが、それはあえて厨子の存在を隠すように作られていた。

「……頼む。どうか」

 厨子を開け、手に取ったのは龍の形をした木彫り。本来御神体は神職すら触れてはいけない大切な品物だった。実物に触れるのは泉澄は初めてだったが覚悟を決めて御神体に触る。

 何が起こるか予測もつかなかったが触れた瞬間、泉澄の指先が御神体から溢れ出す強い力を感じた。
 両手で大事に持ち、神棚の前に御神体と志紅から譲り受けたあやかしの骨を並べ、ある呪文を唱える。

吐普加美依身多女(とおかみえみため)

 白鬼が持つ最大の霊気、先祖代々祀られてきた御神体、掟破りのあやかしの骨を並べ、全身全霊祈りを捧げる。


 ──なぁ、淳。俺がしていることは間違えているかもしれない。神職の俺が、亡くなった者を生き返らせたいなんて神への冒涜(ぼうとく)に近いと思う。

 だがここでお前が消えていくのは耐えられない。今までどれほど辛く悲しい過酷な環境を過ごして来たのかと思うと、胸が張り裂けそうになる。だけど……

 お前が話した夢の続きを俺が叶えさせてやるから

 俺はどうなっても構わない

 ──淳、愛してる



 月が出ていない夜になり、神社の本殿で泉澄を待つ泰生と淳の母親、そして志紅も事の結末を気になり一緒に待機していた。

「宝生様、お仕事の方は大丈夫なのですか?」
「一時間後には世界が滅亡しているかもしれませんのよ?仕事なんてしている場合じゃありませんわ」

 正直可能性は未知であった。あやかしの亡骸、髪の毛一本で力の頂点に立つ白鬼を殺める程の力が出るのだ。それがまして一欠片と言えども骨。何が召還されるか想像はつかず、明るい未来も暗い未来もどちらのビジョンも考えられる。

「……淳の為に動いた結果、世界が滅亡するならやっぱり止めた方が良かったのかな」

 白い木棺で淳を入れ、その隣で淳の頭を撫でる。心臓が止まり、必然的に血液の流れも止まるので血液は体の地面に近い部分へと溜まり、死斑が見えて青白くなる淳。

「まぁ、我々が何を言っても無駄でしょう。本物と出逢うと制御が出来ませんからね」
「おとぎ話を信じる程の愛って、時には残酷ですわね」

 三人の思いはそれぞれだった。

 娘の死で世界が滅ぶかもしれないと、不安を隠せない母親。
 泉澄を対してどんな結果でも慕える冷静な泰生。
 浅はかな可能性なんて、無駄だろうと現実を受け止める志紅。


 突然神社を囲う木々が揺れる。

「地震!?」

 凄まじく揺れる横揺れに、淳の母親は咄嗟に淳が入ってる木棺を庇い、泰生は志紅の身体を守る。

 長く続く横揺れに、突然爆発音が何処からか聞こえて来た。

「泉澄様!!」

 泰生が大きな声で叫ぶ。爆発音が聞こえたのは泉澄が入った神殿からだった。

 目視では正確に確認出来ないが、神殿が爆発音と共に崩れている様に見え、焦りを隠せない。
 神殿には入れない仕来りのせいで近づく事を躊躇してしまうが、泉澄の安否が気になる。

「あ!あれ!!」

 母親が指を差す方向を見ると、神殿の上に大きく浮かぶ虹色に光輝く何かが見える。

「実在……したのですわ」
「……あれは、虹の龍」