「一緒に住む……とは」
淳は言われた言葉の意味が分からず思わず泉澄に聞き返す。
「一緒に住むと言ったら一緒に住む以外どう説明したらいいのだ?」
泉澄も困ったように今度は泰生に聞き返すが、泰生は冷静な態度で淳に答える。
「淳様の日常生活、そして身体のことを考えるとあまり良い生活環境とは言えません。なので、泉澄様の自宅で生活を共にするという意味でございます」
「……そんなこと」
出来ません……と、思わず口に出す瞬間に泉澄に言葉を被せられる。
「悪いが、いくら淳が反対した所で俺の気持ちは引き下がるつもりは無い。先ずはお前の身体の事を空狐のおばばと相談したい」
「……」
「お前と一日二日会えないだけでどれだけ俺の心が悲嘆したと思っている」
泉澄の眉目秀麗な顔立ちから出る恋い焦がれる台詞に男性でも惚れてしまいそうな表情。こんなに美しい姿を見たことが無い淳にとって、目眩がしそうな自分に向けられる甘い言葉に一瞬ドキっとしてしまうのは本音だ。
しかし、どうしても今までの事を思い出すと信じられない自分がいて、何より母親と離れるなんて考えたこともない。
「母を放っておけません」
「お前の母親の承諾は昨日から頂いてる」
「……っえ!?」
いつの間に淳の母親と泉澄がやり取りをしていたのか。そんな事よりも母親が承諾しているその言葉にショックを隠しきれない。
──私は捨てられたの?
今までの母親との思い出が急に頭を駆け巡るが、何れもこれも良い思い出とは言えないものばかり。だけどそれでも母だけが家族で、どんなに酷い言葉を投げ掛けられても嫌いになんてなれなかった。それに、母親の昨日の態度は何一つ変わっていない。言葉を交わした記憶すらない。
お母さんは……本気で私が居なくなっても良かったんだ……
「後で説明するが、母親も悪い意味で承諾した訳ではない。先ずは俺の家に帰ろう」
「……」
泉澄の言葉が耳に入らない淳の肩を抱きながら、停めていた車になすがまま乗り込む。
乗ったことの無い椅子の座り心地、車内に香る嗅いだことのない芳香の匂いも、今は実感する余裕が無い淳の心境。
発進した直ぐ目の前に自宅の古びたアパートを、せめて最後に目に焼き付こうとすると、そこには母親が腕を組ながら俯いて立っていた。
「……!?お、お母さん!!」
車の窓を開けて身を乗り出すように淳が叫んだので、危ないと泉澄が淳の身体を軽く支える。
「お母さん!お母さんっっ!!」
淳と同じく痩せ細り、淳の幼児期から着ている古びた服。母親が服を買った所等見たことが無かった。世間の差別に心を病み、お酒に溺れて虐待まがいの育児をしてきた母親だが、それでもそんな母親を愛していた淳が泣き叫ぶ。
「淳……ごめんね」
すれ違いざまに見えた、母親の小さく動いた口元からは謝罪の言葉。そして目に浮かべた涙はどんな意味が込められていたのか。
「お前の母親の心の病は此処に寄る前に泰生が治した。今は酒に溺れることは無いだろうが、自身が犯した罪に、何処まで耐えられるかはあの母親次第だ」
「お母さん……」
見えなくなる母親の姿。泉澄の後に続き、運転しながら泰生も話をする。
「我に返った所でしでかした罪は消えませんから。後悔という感情で、彼女がどう動くかによるでしょう」
泰生の異能の力で母親の心の病を消したというが、残るものは後悔。その後悔に堪えきれずに逃げるか受け止めるかは自分次第。二人は淳に厳しくも優しく声をかける。
捨てられたと思った淳にとって、最後に自分を見送ってくれた母親の姿を見ただけで、それだけで胸が熱く、そして満たされた気がした。
「お母さんなら……大丈夫です。だって、私のお母さんだから……」
流す涙の理由は有りすぎるが、一番大きく感じたのは、自分が居なくなっても母親が少しでも強くなり、普通の生活に送れるならと安堵した。これでいつ死んでも心残りは無いと思うほどに。
「ありがとうございます、本当に。これでもう思い残すことはありません」
淳は両手で自分の泣き顔を隠しながら二人にお礼を言うが、泉澄はその言葉の意味を理解したのか、子供に話すような優しい口調で淳に声をかける。
「何を言っている。これから淳には経験したことが無い沢山楽しい事をしてもらうぞ。身体のこともあるだろうから、先ずは俺の家でおばばと相談しよう」
淳が住んでいる地区からあっという間にビルや娯楽施設が並ぶ市街地を抜け、高級住宅街と呼ばれた地区から更に丘の上にある、緑に囲まれた塀が続く和モダン風の屋敷が見えてくる。閉ざされた門の前に車を停めると、自動で開いた門からゆっくりと淳達を乗せた車を進め、屋敷の前に停まる。
「泉澄様、説明した通り、屋敷の者には淳様の正体を明かしておりません。何が起きても怒りは最小限にして下さいますようお願いします」
泰生が後部座席のドアを開け、先に降りた泉澄が淳の手をエスコートする。お洒落な屋敷の前には庭園の広さだけでも、淳が住んでいた地区丸ごと入るのでは無いかと思うほどの広大な面積。少し歩いた所に大きな池には鯉が泳ぎ、何だか映画のセットみたいな風景に圧倒されてしまう淳。
「坊っちゃん!!こんな時間にどうかなされましたか!?」
屋敷の門を勢い良く開けた和装の給仕服を着た年配女性が、焦りながら泉澄と淳の前に現れる。と、同時に淳の匂いを感じた女性が袖を使って咄嗟に鼻を押さえる。
「よ、夜蜘蛛ごときが!!何故こんな所にっ!!」
言わんことかと二人の後ろにいた泰生が、淳に向けて罵倒する年配女性の行動が想像通りでため息を吐く。
「トモヨ、先代からの奉仕ご苦労だった。明日から来なくて良い」
「なっ!?坊っちゃん!!?」
泉澄がトモヨという女性に向かって突然の解雇宣言。笑顔で話すが青筋は立っており、隠しきれない殺気が泉澄の体内から放っている。
「泉澄様、トモヨがこれなら多分屋敷の者全員解雇になりますよ。ここは淳様に結界を張ってせめて夜蜘蛛の匂いを封じ込めないと……」
「……チッ」
そう言われた泉澄は何かの呪文を淳に唱え、戸惑う淳の身体に清らかな光が包み込まれる。夜蜘蛛の独特な匂いが消失し、結界を張られた淳はあやかしの特性を封印され、普通の人間と変わらなくなる。
「五龍神田様……これ」
「すまない、潔白な淳に結界なんて張らせて。結界の力も持って一日だ、それまでに屋敷の者には伝えておく」
「だから言ったでしょ?」
「泰生、最後の言葉はあるか?あっても聞かぬが」
淳の怒りの矛先を泰生に変え、完全なる八つ当たりに基本的冷静な対応をする泰生でも、焦りながら待って待って!と思わずタメ口をきいている。
淳はこのやり取りを見ながら、この二人は仲良しなんだなと微笑ましく思い、思わず笑いがこみ上げる。
「淳、今少し笑ったか?その笑顔、俺が想像していた以上に愛愛しい。お前が笑うだけで心満たされる」
一つ笑顔を見せただけで泉澄の態度がコロッと豹変し、そしてその言葉の後には頬が紅色に染まる。
どうして私が笑うだけでこの人はこんなに優しい顔をしてくれるの?
もしかしたら私、本当に愛されてるのかな。
淳の今まで感じた事の無い感情がゆっくりと積み重なる様な気がした。