気付けば定時制の学校に行く時間帯がとっくに過ぎている。しかし淳には通う理由が無くなってしまった。高校卒業の資格はいつかの就職に必要なもの、そして知識を身に付ける授業や教科書。いづれも全て、無意味になってしまった。ソファに座りながら携帯を使って退学の方法を調べるが、何だか今までの努力が虚しく感じて手を止める。

 必死だったあの頃。
 苛められ、嫌われて、だけど認められる為ならと必死で通った学校も無駄に終わる。

 過剰にアルコールを摂取した母親が大きな寝息をたてて寝ているのを確認し、辺りが暗くなってしまった夜の空気を吸いに外に出る。

 秋の気配が感じる涼しい夜風。

 鼻から息を吸い、口からフーッと長く吐き出す。
 息が出来るし、胸に手を置き、心臓もしっかりと動いているのもわかる。

「この心臓は、明日も動いているのかな」

 周辺に誰も居ないことを確認し、淳は思わず不安を口に出してしまう。星も月も見えない夜空を見上げ、死んだら魂は何処に行くのだろうと誰も答えが知らない疑問を、自身に投げかける。

 何処でもいいか……生きていても一人ぼっちだから、死んでもどうせ一人ぼっちだろうな。


 淳の哀傷を乗せた秋風は、木から落ちた枯れた葉っぱと何処まで飛ばされたのか。

 その想いはある男の所まで。




 市街地から外れ、緑が生い茂る先に果てしなく続く石の階段。長く続く石階段の先には虫一匹の侵入すら許さない、五龍神田の神紋が棟飾されたそれはとても大きな神社が建っていた。拝殿までの参道の横には並んだたいまつに火が灯され、そこから少し離れの広い神殿の真ん中で、紋様入りの白の着物に白の袴、特級と呼ばれる一番位の高い神職の色を身に纏った泉澄が淳の匂いを感じとる。


 「──っ?風に染み付いたこの匂い。……淳か?」


 扉を解放している本殿から、淳の居場所までは数十キロは離れているが、それでも淳の気配を感じたのは本物が結びつける運命の糸。

「この匂い……心が傷ついているのか?」

 ただでさえ頂点のあやかし。白鬼の鋭い五感と、巡り会えた本物がもたらす未知なる力が更に泉澄を過敏にさせる。

「淳、待っていろ。直ぐにお前を迎えに行くから」

 神殿に祀る、大きな神棚の奥に厨子があり、その中で眠っている御神体に全身全霊に祈りを捧げ、神々しい白袴姿で神殿を去る。

「泉澄様、身辺調査は明後日までには全て終わると報告がありました」
「遅い。明日までに終わらせろ」
「承知しました、伝えておきます」

 黒髪の黒いスーツ、昼間に泉澄から制裁をくらった付き人泰生がある報告を伝えるが、白袴から私服に着替えている泉澄が即座に指示を出し、その反応で泰生は直ぐに何処かに電話をかけ始める。

 今日の予定が全て終わり、私服となった泉澄は先ほど感じた淳の匂いに未だ興奮が冷めやらず、溢れ出る白鬼の霊気に、夜だというのに街中の鳥達が空で騒いでいる。
 異能の力が強いあやかし達は、白鬼のオーラを感じとるとその気配を警戒し、身分の低いあやかし達は理由が分からず体調がどんどん悪くなり、気を失う者もいた。

 異能の力が暴走したのでは無く、これが本物と巡り会えた序章にすぎない。
 そんなことも露知らず、淳はきっと明日も絶望している自分に涙を堪え、暫く夜風にあたりながら夜を過ごす。


 あれから二日が経過した。淳は薬を飲むことをしないせいか、何度も発作に襲われ、その度にこのまま死んでしまうと思いながらも元に戻る身体に、気力と体力はどんどん失われつつあった。
 顔はどんどんやつれはて、目の下には血行不良の隈が出来、元々小柄な体型は更に小さく痩せ細る。淳の瞳には明らかに覇気が抜けていたが、それでも母親は実の娘に対して何一つ看病をすることは無かった。

 看病しても無駄なこと

 母親も、そしてそれは淳にも分かっていることだ。

 一日だけ無断欠勤したバイト先から、携帯の留守電に怒号の音声が鳴り響く。

「細蟹!無断欠勤とかアンタいい度胸してんね!?夜蜘蛛のアンタを雇ってやった恩を忘れたわけ!!」

「あ、細蟹さん。もう二度と来ないでね。あ、今までの迷惑料として五十万払って貰える?払えないとか君にそんな選択肢あると思わないでね」

 一件目は佐々木主任、そして二件目は社長からだった。留守電の再生を聞いてもどうすることも出来ない淳。
 少し雲がかかった午前中、自宅の目の前にある錆びて使えない遊具が置いてあり、小さな公園の古びたベンチに座ってただただ虚無感を感じていた。

 事情を話した所で許される訳が無い。嘘つきだと罵倒され、過酷な労働をさせられるのが目に見えている。そもそもこんな身体で清掃の仕事の為に十階以上のビルの階段を昇り降りする自信も無い。

 唯一の心残り、学校は卒業してみたかった。自分の意思と努力で通っていたからだ。学校にだけは未だに退学の旨を伝えることが出来ずにいた淳。
 勿論今の現状では卒業処か、通学すらままならない。そもそも年内にはもう生きていない。

 もう顔を上げる気力すら残っていないせいか、下を向いてる目線は何年も履いてる自分の汚れた靴と、雑草達。

「もう……いいよ」

 淳の身体に蝕んでいる見える筈もない病魔に、いつでも心臓が止まっていいよと言う意味で声を出す。


 ──ピリッ


 足元を見ていた淳は、辺りを見渡さなくても感じる、ビリビリと空気が張り裂けそうな大きな何かが近付いて来たのを感じる。
 肌を刺すような、そして恐怖とも呼べるその圧倒的な存在。

「……淳」
「ご、五龍神田様……何故ここに」

 過疎地域の古びた公園の前に不釣り合いな、前にも見たことがある白の高級車。

 白のワイシャツにチャコールグレーのパンツ姿の泉澄が、またしても淳の前に現れたのだ。当然、泉澄の後ろには長身の泰生も前回同様黒のスーツ姿で変わらずいる。
 小綺麗な彼らと違い、薄汚れた七分丈の服に一枚しか持っていないデニム。

 恥ずかしいのと惨めな自分の姿に思わず逃げ出してしまいたくなったが、また自分の行いのせいで、泰生を怒らせてしまうのではないかと逃げ出したい衝動を何とか抑える。

「泰生、出来るか?」
「先ずはやってみましょう」

 ベンチに座ってこの状況に困惑する淳に泰生が淳の目の前に近付き、地面に膝をついて手を伸ばすと
泰生の手の平から暖かな光を淳は感じるが、だからといってこれといった変化は無い。

「……泉澄様、申し訳ございません。やはりここまで蠱毒虫に侵されると私には……」

 残念そうにする泰生と、唇を噛み締め、納得の出来ない表情をしている泉澄。
 そして、彼らに伝えたこと等無かった自分の病の名前を言われて戸惑う淳。

「こ、蠱毒虫って……何故それを」

 思わず自分の病名を口に出してしまった淳は、慌てて右手を口で隠すがどうやらその行為は目の前にいる彼らには意味が無い。

「調べたんだ、淳のこと。俺の本物がどんな女でどんな生活を送っていたのか。勝手に調査をしたのは申し訳ないが、それは許してくれ」



 それはきっと、言い訳一つも出来ないことだろう。願わくは自分が本物と思われ、そのまま命を尽きたかったが願いはどうやら叶わない。

 勘違いだった
 蠱毒虫のお前など不必要

 きっとそんな事を言われるのだろうと淳は身構えていた。