異空間を抜けた先には一匹の憐れな天狗が転がっていた。しずれが執拗に絡まるように仕込んだ蜘蛛の糸に絡められて。

「貴様!?」
「そう言えば、いつの間にかいなくなっていた!」
「これはどういうことだ!」
天狗たちがそれを見て狼狽える。
そして天狗たちの迫力に思わずびくんとくるが、その瞬間、しずれが優しく抱き寄せてくれて、しずれの匂いに包まれホッとする。

「大丈夫だ。俺の方が強いし、伊吹も八つ裂きにするからな」

「その、や、八つ裂き……?それは、ちょっと」
「ん?まぁ、そうだよな。ふゆはは優しいからな。大丈夫。ふゆはが見ていないところで、やるから!」
いや……そう言うことでは……。

「ヌシさまよ」
その時、私たちの前にずらりと頭を垂れる天狗たちに気が付いた。

「天狗の長よ。これはどう言うことだ。我が花嫁と大蜘蛛の長の花嫁を不当に連れ去るとは」
先程までの嫁バカモードを終了して、霊山のヌシの覇気を纏い、ヌシさまが問う。
中心にいる天狗の翁は、どうやら天狗の長らしい。

「それは誤解でございます。我々にそのような意思はありませぬ。全てはそこの若い天狗がやらかしたこと。もちろん私の監督不行き届き。しっかりと罰しましょう。ですのでこの糸の監獄を解いてはくれまいか」
「糸の監獄、ねぇ。まぁ相応しい表現なのかもしれないな。……決して逃れられないようにねちねちとした執着を込めたから」
し……しずれったら……っ。

「許しを乞うのは私ではない。その糸を放った大蜘蛛の長にしろ。まぁ、私のもみを攫ったことも、許してはいないが」

「それはっ!申し訳ございません。そして大蜘蛛の長殿」

「何だ、天狗。因みにフユメもかんかんだぞ」

「うぐっ、フユメさまがっ」
天狗の長もちゃんとおじいちゃんのことも知っているか。

「ただで許すわけにはいかない。まずはそいつの言い分を聞くとしよう」
パチッと指を鳴らせば、私を拐った天狗を絡ませていた糸が一瞬にして消える。

「はぁっはぁっ」
息を粗くして横たわる天狗に、天狗の翁が駆け寄る。

「貴様ぁっ!何故このようなことをした!さらにはヌシさまの花嫁を攫うとは、何事か!」

「わ、私はヌシさまの花嫁だなんて知らなかった!勝手に付いてきたんだ!ちび蜘蛛の見分けなどつくか!」
天狗の若者が叫ぶ。

「ウチのもみが分からない?は?死ねば?」
ヌシさまの目は本気である。
「そ、その。もみちゃんは私が攫われそうになったから、付いて来てくれたんです!」
私が告げれば、もみちゃんがこくんと頷く。

「もみちゃんも立派な蜘蛛女ね!これぞ蜘蛛女の根性よ」
ユズリハお姐さんもうんうんと頷く。

「こんなに小さいのに、もう蜘蛛女根性を身に着けているとは。霊山は立派なかかあ天下になりそうだ」
しずれがぼそりと気になることを呟いた気がするのだが。

「それで?貴様の狙いは我が花嫁だったということか?」

「と、当然だ!」
若い天狗が叫ぶと、何故と失望する天狗の声がぽつりぽつりと響く。

「大蜘蛛なんかより、天狗の方がいいに決まっているだろう!」

「……は?花嫁攫いの上にヌシにケンカを売った天狗の方がいいと?バカじゃないのか」

「大蜘蛛のような化け物に嫁がされるふゆはが哀れだ!」
「大蜘蛛のような化け物、ねぇ。確かにそう言う不安はあった。けれどふゆははどこまでも優しく、俺を慕ってくれている。それに……貴様がふゆはの名を呼ぶな」

「何をっ!」

「ふゆはは渡さん。俺の花嫁だ」
「私も、です。私も、しずれの花嫁でいたい!」
力強い声で告げる。こんなにもはっきりと力強く主張できるなんて。実家にいた頃は考えられなかった。

「そんな、何故っ!天狗の方が優れているはずだ!」

「そうなのか?確かに神通力を操り妖力も強いが、それで山を栄えさせることはできまい?」
「そうそう。霊山も、多くの植物やそれを生かす生物たちがいなくてはただの禿山だ。天狗だけいても、ヌシだけいても成り立たない。それに此度の愚かなことをした貴様は、確実に優れていないぞ」
しずれの言葉に続き、ヌシさまも冷たく言い放つ。

「報いは受けてもらう」
「何がいい?」
にっこりと笑むヌシさま。

「え~と、何にしようか?」
おどけたように告げるしずれに、翁が頭を下げる。
「八つ裂きだけは、ご勘弁を!」

「これ、長の息子ね」
と、ヌシさまが若い天狗を指す。そうか。今は長としてではなく父親として慈悲が欲しいと……。だがしかし、それは天狗たちの同胞意識でもあるのだろう。

「そうだな。蜘蛛の捕食方法を知っているか?」

「え、何よいきなり」
ユズリハお姐さんが首を傾げる。

「糸でがんじがらめにして……」
そしてユズリハお姐さんが呟けば。

「消化液を注入するだろ?そして……」

「とかしゅ!」
最後にもみちゃんが元気に声をあげる。

「そしてそのドロドロに溶けた中身を吸うんだ。消化液で殺菌消毒もしてある。これをやることで憎い相手でも不味くなく栄養源にできる。殻は食わないから、天狗どもにくれてやる」
そう告げれば天狗たちがさああぁぁぁっと青褪める。

「知らなかったのか?よく蜘蛛は糸でぐるぐるまきにして、バリバリ獲物を食うイメージを持たれるが、実際は優雅にいただくのだ」
しずれが満足げにそう告げる。

――――そして極めつけが。

「溶かしてやろう」

「ひぃっ!?」
若い天狗が恐れおののく。

「だが、ふゆはの前でもある。良かったな」

「え?」
若い天狗が意味が分からないと頭の上に「?」を浮かべる。

「その翼は、外殻に含まれないんだ。知っていたか?」
そしてしずれが若い天狗の翼に向けて手をかざせば。

どろぉっ

大量の消化液が若い天狗の上から落ちて来て、翼の羽毛を溶かしていく。ついでに髪も溶かした。

「おめでとう、手羽先つるっぱげ、ついでに頭も」

「ぎゃあああぁぁぁぁぁ――――――っっ!!!」
若い天狗の憐れな悲鳴が響いたが、それに同情する天狗はいなかった。

「今後あいつは、翼と頭が禿げた憐れな天狗として生き恥を晒していくのだろう!あっはっはっ!」
しずれの高笑いに、お姐さんもまた続ける。
「えぇ、これで全て解決。これぞ蜘蛛女根性よ!」
「消化液かけたの……俺だけどな――――」
息のあった姉弟が笑う中、ヌシさまも笑い出す。

「あっはっは!これはお見事!今後同じことをしたら……山の蜘蛛たちに頼んでつるっぱげ刑を執行しよう!」
ヌシさまが爆笑しながら告げれば、それだけはご勘弁をと天狗たちが泣き縋る。

いや、しなければいいのだ。これからは、しなければ。

「では、帰るか」

「うん、また会いに行くねぇ~」
泣きじゃくる若い天狗、重々しい空気の天狗たちを尻目に、ヌシさまはルンルン気分でもみちゃんを抱っこして去って行った。

※※※

帰りは隠れ帯を通り、屋敷に戻って来た。寝室ではさすがにお姐さんたちも気を使ってくれて、しずれとふたりきりだ。今夜はちび蜘蛛ちゃんたちもいない。お姐さんたちが気を回してくれたのだ。

「恐い思いをしただろう?」
「あの、少し。でも、もみちゃんも一緒だったし、しずれがたくさん守ってくれたから」

「そうか。そうだな。保険はたくさんつけておいたし」

「あの、しずれ」

「……ん?」
今こそ、ちゃんと告げたい。私は……。

「私、しずれと同じ時間を生きたい」
しずれの花嫁でいたいのだ。ほかの誰でもない。

「……っ!?それは、俺と寿命を同じにするということでいいのか」

「うん」

「それは、知っている人間たちが先に逝くということだ。友も、家族も」

「友だちは、異母妹がいたから。なかなかできなくて。私の悪い噂、流す子だったから。ヒメが悪い噂を流しても仲良くしてくれるひともいたけど、そんなひとたちでさえヒメは利用したの。時には金を使い、時には色仕掛けを使い……。だからそれに私の家族は、おじいちゃんとにゃーちゃん、ねこさん。そして、しずれたちだよ。だから私は、しずれたちとちゃんと家族になりたい」

「俺たちと……」

「桜菜さんも、イサザさんもそれを願って、選んだんだよね」

「あぁ、そうだ。あの2人も、伴侶の家族として共に生きることを選んだ」

「私も同じ時を生きたい。しずれが悲しくて、寂しい思いをするのは、嫌だから」

「俺が……」
しずれは暫し考え込んだあと、口を開く。

「俺と、生きてくれるのか」

「うん。私も、寂しくて悲しいのは知ってる。おじいちゃんたちが一緒にいてくれたけど。それでも、ここでの生活を知ってしまったら。一緒に生きたいと思ったから」

「そうか、嬉しい」
しずれが私を優しく抱き寄せ、唇にそっと口づける。

「……あの、特別な契りは」

「これが、そうだ。花嫁の意思を聞き、そして俺の妖力を流し、その魂に刻む。同意がなければ、拒否反応を起こす。それでも無理矢理やりそうな鬼を一匹知っているが……それはそれ、こっちはこっち。ふゆはが受け入れてくれたのなら」
しずれの言葉に、私も深く頷きを返す。
すると再び、しずれが私の唇に口づける。すると……。

「身体が、あつい」

「大丈夫、すぐに慣れる」

それは、一瞬のこと。妖怪の溺愛を示すかのような熱情。

でもその熱が冷めても、この愛が薄れることはない。

「一生放さないからな」

「しずれ」

「共に生きよう」
長い長い妖怪の、時を。

「うん」

そして更に祝福の口づけを交わすのだ。