桜菜さんやホウセンカお姐さんたちと話をしていれば。
たゆらちゃんが不意に私の腕をぽふぽふしてくれる。何事かとたゆらちゃんが指差す方向を見やれば。
「ふゆは」
しずれが手を振りながら、こちらに戻ってくる。私も手を振り返そうとするが、朽葉さんのほかに、見知らぬ鬼がいたことで躊躇してしまう。
夜闇のような髪に、切れ長の金色の瞳は瞳孔が縦長で、頭からは2本の黒い角が伸びている。
肌も陶器のように滑らかで、顔のパーツひとつひとつが美しい。
鬼であるがゆえに、それは人外の美しさである。それと同時に、気軽に振れてはならぬ何かを感じるのだ。
私の様子に気が付いたのか、不意にしずれが美しい鬼を見やる。
「おいコラ!うちのふゆはが脅えてるだろうが!不機嫌オーラ出すんじゃねぇっ!!」
するとしずれが……鬼の頭をぶっ叩いたのだ。
「ちょっと……っ」
さすがにまずいのでは!?
相手は並々ならぬ雰囲気の鬼なのだ。それにしずれは……長に挨拶に行くと言っていなかったか。いつの間にか、周囲の雑音も消え、静まり返っている。
その場にただならぬ雰囲気が蔓延する。こ……これは……。
しかしその時、ふと隣から笑いが漏れる。
「ふふっ」
桜菜さん?続いて……。
「あっはははははっ!ほんっとアンタは……いつ見ても飽きない弟だわ」
ホウセンカお姐さんの爆笑がシンとしたその場に高らかに響き渡る。
「鬼の長の頭を平手でぶっ叩けるなんて、アンタくらいだわ」
ホウセンカお姐さんが言った通り……やはりあの方が長……!しかし……その、爆笑するお姐さんと失笑する桜菜さん以外は、やはり笑いなど一滴もこぼれ落ちていない。
「アンタ何てことしてんですか」
しかしその時、朽葉さんがしずれの頭をぶっ叩いたのだ。
「すみません、うちのが」
そしてしずれの頭を掴み、無理矢理頭を下げさせる。
「やーめーいっ!朽葉!俺は断じて悪くない!」
そして朽葉さんの手から逃れたしずれが、颯爽と私の前に舞い降りる。
「待たせたな、ふゆは。寂しくなかったか」
そうふんわりと抱き締めてくれる温かさは相変わらず……なのだが。
「あの……長さんに謝った方がいいのでは?」
「本当だ。貴様……桜菜の手前だから許すが、私だって桜菜を我慢していたんだ」
長さんがいつの間にか桜菜さんを抱き寄せていた。
しかし……何だかこのふたりの会話……。
「うるせぇっ!お前が終始不機嫌モードなのが悪いっ!おめーが誘ったんだろーがっ!」
「私は桜菜のために、お前たちやホウセンカたちと少数で料亭にするつもりだったのに……ほかの長老たちがごり押したのが悪い」
「それは確かに長老どもが悪いな」
何か納得してるし。
――――しかし。
しずれがふと苦笑を漏らす。
「久々に楽しかった」
「私の頭をひっ叩いたのがか」
そう言いつつも長も苦笑を漏らす。
ふたりは何と言うか……喧嘩するほど仲がいい……と言うことなのだろうか。最強であるはずの鬼と、笑い合えるのは……桜菜さんの言う通り、しずれだけなのだろう。
しかし、ここを離れ、しずれと別れれば、長は再びひとりきりだ。だからこそ、伴侶の桜菜さんは長の近くにいることを選んだのだ。
桜菜さんも長と微笑み合い、周囲の緊張の糸も解れてきた……そう感じた時だった。
「お、長さまぁっ!!」
何だか聞き覚えのある不快な声が響いた。
こちらに向かって……いや、正確には長の後ろ姿目掛けて、ヒメが駆け寄ってきたのだ。
そんな……ヒメもここに……!?いや……実家は古来妖怪と関わりのある家。招待されていたとしても不思議ではないのだが。
「長さまぁっ!!」
「何だ、あれは」
ヒメは長の花嫁であることをひけらかしてきた。しかし当の長の反応は、まるで興味もないと言わんばかりである。
「お前は相変わらず、桜菜さんのこと以外興味がないな」
「当然だ」
長はそう真顔で告げるのだから、真実なのであろう。
「あれが月守ヒメ。あれが先日うちに押し掛け無礼を働いた小娘だ」
「あぁ……例のそれか」
長の答えも淡白なものだ。熱をあげていたのはヒメと、ヒメが鬼の長の花嫁であると勘違いしていた後妻だけ。
「月守は蛇のじいさんが去って、もう没落寸前だというのに……本当に会合に来たのか」
しずれがボソリと漏らす。没落寸前……おじいちゃんが去ってしまったから……。おじいちゃんが私と来ると言ったときの、当主の表情を思い出す。当主にはこの末路が分かっていたのだ。
「まだ霊力を高く維持している以上、こういった会合には辛うじて招かれるのでしょうね」
続いて朽葉さんが続ける。
「ホウセンカの旦那であるイサザさんとの縁もあ。鬼の一門はまだ、あの家門を出禁にはしていない」
長が告げる。
「しずれのところでやらかしたことについては、溜息を吐きたくなったが。支援もいつも通りの額。これ以上やらかせばそれを減らすと脅したらしく、それ以降は静かになったもんだと思ったのだが」
長の耳にも入っている……!しずれとこんなにもじゃれ合える仲ならば、当然と言えば当然だが。
「まさか再び現れるとは」
本当に、しずれと同感だ。
しかもドレスを身に纏っているが、着古したかのような質で、そのサイズはいささか大きいような気がする。いや……少し痩せこけているからか。
「屋敷のあった土地を売り渡し、今は小さなアパート暮らしをしている。いや、せざるを得ない状況だ」
しずれの続けた言葉に、そんなことになっていたんだと驚く。しかし、同情の余地はこれっぽっちもない。
そんな状況でヒメは何故ここに来たのか。普通は招待状をもらっても恥ずかしくて来られないのではと思うが。
「毎年、高位妖怪の人外の美しさに狂い愚行を働くものがいる。あの小娘はそれ以前の問題だろうが」
むしろ働き続けて来たのだから。
「長さまぁっ!!あなたの、あなたの花嫁のヒメが参りました!!」
こうも堂々と気違いなことをしてくるとは。
「むしろ今までよく接触してこなかったな」
「あなたが周りの空気を凍らせて、取り巻きの鬼たちもドン引きしてガードが薄くなっているからでしょう」
朽葉さんの言う通りなのか、急いで長の周りをかため出す鬼たち。
確かにしずれと長の仲は、他者の踏み込めるものではないし、落ち着くまで遠くから眺めておくのが正解なのだろうが。
ヒメは家が没落寸前で、よほど焦っているのか。今までは長の花嫁を騙って自慢するだけだったが、私が嫁いで焦っていたのか。
「おい、お前の花嫁を騙っているぞ」
「あぁいうのは昔からいる。狩っても狩っても特定外来種のように湧いてくる。いちいち相手にしていては疲れる。私の花嫁は桜菜だけでいい」
長のたとえが特殊なのだが……。日本妖怪もまた、ここ最近の海外からの特定外来種は悩まされているのだろうか……?
だからこそ、ヒメも捨てて置かれたと言うことか。いや……むしろ長の花嫁を騙ることもまた、異様なのだが。
「あなたの花嫁の私が、そこの化け蜘蛛に苦しめられているんです!あぁ、どうかあの無礼な化け蜘蛛に制裁を!」
ヒメがしずれを指差す。ヒメが敵意を向けるしずれもこの場におり、長もいる。ヒメは打ってつけだと思ったのだろう。先程のふたりのやり取りを見ていれば、そんな冤罪を吹っ掛けても一蹴されるとすぐ分かるだろうに。ヒメは本当に、自分のことしか見えていない。
「無礼はどちらだ」
長の周りの空気が凍り付くように固まる。長の冷淡な眼差しとただならぬ雰囲気に、脅えて泣き出す人間すらいる。
「長さまぁっ!」
それでもなお、恐怖で涙が流れているというのにヒメが続ける。
「私は、長さまの花嫁ぇっ」
「私の花嫁は、桜菜だけだ」
「は?誰?さくなって、誰よおぉぉっっ!?長さまの唯一は、私でしょぉ!?長さまから、直々に婚約の手紙をもらったのにぃっ!」
「そんなものをやったつもりはないし、私の唯一は桜菜以外にいない。失せろ。不愉快だ」
「嫌よ嫌よ!私の旦那さまあああぁぁぁっっ!!」
ヒメがカッと目を見開き、長が抱き寄せている桜菜さんに狙いを定める。
「その女が、桜菜。その女が、私の長さまに近づく泥棒猫!私の長さまから離れてええぇぇぇっっ!!」
そしてな、桜菜さんに迫る……!
「失せろと言った」
次の瞬間長が冷たい目でヒメを睨み、手をかざせば……。
「っぐぁあぁっ!?」
小娘が物凄い衝撃で吹き飛ばされた。
「これでも長は抑えている方だ。桜菜さんの前だからな」
しずれが溜め息を漏らす。
「そんな、そんな女ァっ!?私の方が若くて、かわいくて、美人じゃない!そんなブス女よりも、私の方が長さまに相応しいっ!!」
「……っ、桜菜さんはとても素敵な方で、優しいのに……っ」
ヒメは桜菜さんにまで暴言を吐くのか。
「……私の花嫁に対し、何と言った」
長の目が、烈火のごとき怒りを放つ。
「う、漆っ!」
桜菜さんが止めようとしているが、長の睨みは止まない。
「貴様に桜菜の何が分かる!桜菜はこの私の唯一だ!」
長の怒りにぶるりと身を震わせれば、不意にたゆらちゃんがしずれの着物を摘まむ。
「ヌシよ、止めぬのか」
「まぁな。漆にとっての桜菜さんがどういう存在か……ずっと見てきているから分かる。でもこのままじゃ、俺が同胞たちに小言を食らってしまう。たゆらもこう言ってることだし……姐さん、頼めるか」
「当然よ。せっかく来てくれたお嫁さんたちを、恐がらせるわけにはいかないもの!」
ホウセンカお姐さんがそう告げると、ジョロウグモの糸がヒメに襲い掛かり、雁字搦めになる。
そうすれば、長が諦めたようにホウセンカお姐さんを見て、手をおろす。
「桜菜は私の唯一の妻だ。桜菜を貶める言動は許さない」
その視線は凍てつくほどに冷たい。
しかしヒメはジョロウグモの糸にからめられながら泣き叫ぶ。
「後始末はやっといて。糸も暫くしたら消えるから。俺は漆を何とか宥めてくる」
しずれが鬼たちに告げれば、鬼たちが即座に頷く。
「さて、ふゆはも行こうか」
何処へ……?と思ったのだが。
「美味しいものたくさん食べられるわよ!」
ホウセンカお姐さんが教えてくれる。レストラン……だろうか?
――――そう、思っていたのだが。
この格式高そうな日本家屋のお座敷は、俗に言う料亭……ではなかろうか。