「左津さん葉湖さん、おふたりも食べてみてください」
「え、わしらもええんですか?」
料理人のふたりが目を丸くして驚く。
「はい。私にとっては本当に美味しいので、ぜひ食べてみて欲しいです」
雅玖が微笑むと、ふたりは「ああ……!」と感激した様に顔を覆う。
「まさか、まさか花嫁さまが手ずから作られたものをいただけるとは……! なぁ葉湖」
「ええ、ええ、ほんまに。料理人になって、ここの厨房を預かって、ほんまに良かったわねぇ、左津さん」
大げさと言えるその喜び様に、真琴こそ驚いてしまう。そこで、あやかしたちにとって、雅玖の花嫁がそれだけ大事なのだと思い知らされる。
真琴の胸がちくりと痛む。お嫁さんになる気は、雅玖と結婚する気は無いなんて言ったら、このあやかしたちはどれだけ落胆するのだろう。それを思うと断りづらくなってしまう。
しかし真琴にとって、結婚は人生の一大事である。そう簡単に決められるものでは無いのだ。きっと雅玖にはもっと良い女性がいる。雅玖を好きになってくれる女性がいる。何せこれだけの美丈夫なのだから。人当たりが良くて穏やかで、性格だって良さそうだ。
……おや、そう考えると、この雅玖、とても良い男性の様に思える。とはいえたかだか短時間触れ合っただけだ。今は巧く隠しているだけで、実は暴君だという可能性だってある。何せやんごとなき身分のあやかしなのだから。
ともあれ、どうにかこの場を乗り切って、家に帰るだけだ。決して油断は見せずに過ごさねば。真琴はあらためて気を引き締めた。
左津さんと葉湖さんはいそいそと棚から小皿とお箸を出し、お行儀よく「いただきます」と手を合わせると、少しばかり緊張の面持ちでお箸を伸ばした。そして炒め煮を口に入れ、「ん!」とふたり同時に声を上げた。
「美味しい! 雅玖さま、花嫁さま、めっちゃ美味しいです!」
「ほんまに! まぁまぁまぁ、花嫁さまがこないなお料理上手やなんて、これで雅玖さまのこれからも安心やわぁ。ねぇ、左津さん」
「そやなぁ。雅玖さまはこうして厨房にいてはることすら滅多にあらへんのですから」
「そりゃあみんなが、私が台所に立つなんてとんでも無いなんて言うから」
雅玖が苦笑すると左津さんが「そりゃあそうですよ」と言う。
「雅玖さまに台所仕事をさせるなんて。雅玖さまはいつでも奥でどんと構えていてくださらへんと」
なるほど、雅玖は相当な箱入り息子の様だ。その良し悪しはともかく、そうするとますます真琴との結婚はあり得ない。
真琴は結婚しても仕事を続けるつもりだ。例えば雅玖と結婚してお店を持てたとしても、家事まで押し付けられるのはたまったものでは無い。また断る理由ができてしまった。
「左津さん葉湖さん、正直に言ってください。真琴さんのお料理、これで人間さまの世界でお店を開けると思いますか?」
するとふたりは一瞬きょとんとした後、「あはは」「うふふ」と笑い声を上げた。
「愚問です、雅玖さま。人間さまの世界の飲食店はピンキリです。美味しいお店もあれば、そうや無いお店もある。せやから人間さまは星やランキングで優劣を付けとるんです。有り体に言えば、どんな腕でもお店を持つことは可能なんですよ。企画力と財力さえあれば」
その通りだ。開くだけなら、お金さえあれば誰でも可能なのである。問題はそれを続けることができるかどうかだ。そのためにまず必要なのがお料理の質である。そしてサービス。両方が高水準であることが大前提なのだ。
「そうですか……。では言い方を変えましょう。真琴さんの腕で、繁盛できるお店にできると思いますか?」
ふたりは顔を見合わせ、どちらからともなく頷いた。口を開いたのは左津さんだった。
「正直、分かりません。わしらもそう人間さまの飲食店に行けるわけや無いですから。ですが人間さまの真似事をして料理をしてきたわしらからしてみれば、花嫁さまの作られたこのお品はほんまに美味しいもんやと思います。それはほんまです」
「そうですね。私も真琴さんの作ったこちらを、本当に美味しいと心の底から思いました。ですからやはり、私は真琴さんの夢を叶えて差し上げたいと思います」
雅玖は優しい声色で言うと、真琴を見た。
「とは言え、やはりその条件は、私と結婚していただくことになります。交換条件の様で心苦しいですが、こちらにも譲れない事情があるのです。人間さまとの婚姻は、我々あやかしの悲願なのです。ですのでどうか、考えてくれませんか?」
言葉としては、半ば脅しの様である。だが雅玖の物腰が柔らかいので、嫌な思いはしない。とはいえ、やはりそう簡単に決められるものでは無い。それに条件と言うのなら、真琴にだってある。
「もし私が雅玖と結婚して、お店を作ってもらえるとします。私はそのお店の経営と、家事と雅玖のお世話、全てを担わんとあかんのですか?」
すると雅玖は心外だと言う様に、目を丸くした。
「まさか。今でこそ僕は何もさせてもらえません。それは僕の立場がそうさせてしまっているのです。ですが真琴さんがお店を持たれるのでしたら、私は身の回りのことはもちろん、家事だってします。人間さまの世界のご夫婦の在り方は私どもあやかしにはよく分かりませんが、あやかしの夫婦は助け合って労わり合うのです。ですので私は真琴さんの助けに、支えになりたいと思っています」
それは人間世界であっても、夫婦の理想形である。人間が昔からの慣習、悪習にああだこうだ言っている間に、あやかしはとうに思いやりを持っていたのだ。左津さんと葉湖さんもうんうんと頷いている。
「それに、真琴さんのお許しが無ければ、指1本触れないとお約束します。そりゃあ、状況によってはぶつかってしまったり当たってしまったり、叩かれたり蹴られたり鞭打たれたりするかも知れませんが」
鞭なんかあるかい。真琴は心中で突っ込む。やはり雅玖はマゾなのかも知れない。真琴は一瞬遠い目をしそうになるが、どうにか己を引き戻す。もしかしたら真琴が知らないだけで、あやかしの流儀の様なものがあるのかも知れない。
「大事なのは真琴さんのお気持ちですので。私はそれを肝に命じて、真琴さんのお側にいたいと思います。私は観音さまのお導きを信じると同時に、真琴さん、あなたに縁を感じているのです」
真剣にここまで言われると、さすがの真琴も揺れ動く。どうする。どうする?
そのとき、頭をかすめたのは母のことだった。結婚しろといつもうるさい母。雅玖と結婚してしまえば、もう言われることも無くなるのでは無いだろうか。
これは間違い無く打算である。悪く言えば、雅玖を利用することになる。しかしそれはお互い様の様な気もする。母の押し付けから逃れたい真琴と、人間との婚姻が必要な雅玖。
「……万が一があったとき、離婚は可能ですか?」
「悲しいですが、私が至らなかったということですので、善処します」
はっきりとした言質は取れないか。しかし。これは真琴にとって、渡りに船な状況になっている。母が熱望する結婚ができて、自分のお店が持てて、雅玖と助け合いながら生きることができる。
「主導権は真琴さん、あなたにあるのですよ」
そのせりふで、真琴の肚は決まった。真琴は小さく息を吐いて、口を開いた。
「分かりました。雅玖との結婚、お受けします」
「……ありがとうございます!!」
雅玖が歓喜の声を上げ、左津さんと葉湖さんも「ばんざーい!」と両手を上げた。
「え、わしらもええんですか?」
料理人のふたりが目を丸くして驚く。
「はい。私にとっては本当に美味しいので、ぜひ食べてみて欲しいです」
雅玖が微笑むと、ふたりは「ああ……!」と感激した様に顔を覆う。
「まさか、まさか花嫁さまが手ずから作られたものをいただけるとは……! なぁ葉湖」
「ええ、ええ、ほんまに。料理人になって、ここの厨房を預かって、ほんまに良かったわねぇ、左津さん」
大げさと言えるその喜び様に、真琴こそ驚いてしまう。そこで、あやかしたちにとって、雅玖の花嫁がそれだけ大事なのだと思い知らされる。
真琴の胸がちくりと痛む。お嫁さんになる気は、雅玖と結婚する気は無いなんて言ったら、このあやかしたちはどれだけ落胆するのだろう。それを思うと断りづらくなってしまう。
しかし真琴にとって、結婚は人生の一大事である。そう簡単に決められるものでは無いのだ。きっと雅玖にはもっと良い女性がいる。雅玖を好きになってくれる女性がいる。何せこれだけの美丈夫なのだから。人当たりが良くて穏やかで、性格だって良さそうだ。
……おや、そう考えると、この雅玖、とても良い男性の様に思える。とはいえたかだか短時間触れ合っただけだ。今は巧く隠しているだけで、実は暴君だという可能性だってある。何せやんごとなき身分のあやかしなのだから。
ともあれ、どうにかこの場を乗り切って、家に帰るだけだ。決して油断は見せずに過ごさねば。真琴はあらためて気を引き締めた。
左津さんと葉湖さんはいそいそと棚から小皿とお箸を出し、お行儀よく「いただきます」と手を合わせると、少しばかり緊張の面持ちでお箸を伸ばした。そして炒め煮を口に入れ、「ん!」とふたり同時に声を上げた。
「美味しい! 雅玖さま、花嫁さま、めっちゃ美味しいです!」
「ほんまに! まぁまぁまぁ、花嫁さまがこないなお料理上手やなんて、これで雅玖さまのこれからも安心やわぁ。ねぇ、左津さん」
「そやなぁ。雅玖さまはこうして厨房にいてはることすら滅多にあらへんのですから」
「そりゃあみんなが、私が台所に立つなんてとんでも無いなんて言うから」
雅玖が苦笑すると左津さんが「そりゃあそうですよ」と言う。
「雅玖さまに台所仕事をさせるなんて。雅玖さまはいつでも奥でどんと構えていてくださらへんと」
なるほど、雅玖は相当な箱入り息子の様だ。その良し悪しはともかく、そうするとますます真琴との結婚はあり得ない。
真琴は結婚しても仕事を続けるつもりだ。例えば雅玖と結婚してお店を持てたとしても、家事まで押し付けられるのはたまったものでは無い。また断る理由ができてしまった。
「左津さん葉湖さん、正直に言ってください。真琴さんのお料理、これで人間さまの世界でお店を開けると思いますか?」
するとふたりは一瞬きょとんとした後、「あはは」「うふふ」と笑い声を上げた。
「愚問です、雅玖さま。人間さまの世界の飲食店はピンキリです。美味しいお店もあれば、そうや無いお店もある。せやから人間さまは星やランキングで優劣を付けとるんです。有り体に言えば、どんな腕でもお店を持つことは可能なんですよ。企画力と財力さえあれば」
その通りだ。開くだけなら、お金さえあれば誰でも可能なのである。問題はそれを続けることができるかどうかだ。そのためにまず必要なのがお料理の質である。そしてサービス。両方が高水準であることが大前提なのだ。
「そうですか……。では言い方を変えましょう。真琴さんの腕で、繁盛できるお店にできると思いますか?」
ふたりは顔を見合わせ、どちらからともなく頷いた。口を開いたのは左津さんだった。
「正直、分かりません。わしらもそう人間さまの飲食店に行けるわけや無いですから。ですが人間さまの真似事をして料理をしてきたわしらからしてみれば、花嫁さまの作られたこのお品はほんまに美味しいもんやと思います。それはほんまです」
「そうですね。私も真琴さんの作ったこちらを、本当に美味しいと心の底から思いました。ですからやはり、私は真琴さんの夢を叶えて差し上げたいと思います」
雅玖は優しい声色で言うと、真琴を見た。
「とは言え、やはりその条件は、私と結婚していただくことになります。交換条件の様で心苦しいですが、こちらにも譲れない事情があるのです。人間さまとの婚姻は、我々あやかしの悲願なのです。ですのでどうか、考えてくれませんか?」
言葉としては、半ば脅しの様である。だが雅玖の物腰が柔らかいので、嫌な思いはしない。とはいえ、やはりそう簡単に決められるものでは無い。それに条件と言うのなら、真琴にだってある。
「もし私が雅玖と結婚して、お店を作ってもらえるとします。私はそのお店の経営と、家事と雅玖のお世話、全てを担わんとあかんのですか?」
すると雅玖は心外だと言う様に、目を丸くした。
「まさか。今でこそ僕は何もさせてもらえません。それは僕の立場がそうさせてしまっているのです。ですが真琴さんがお店を持たれるのでしたら、私は身の回りのことはもちろん、家事だってします。人間さまの世界のご夫婦の在り方は私どもあやかしにはよく分かりませんが、あやかしの夫婦は助け合って労わり合うのです。ですので私は真琴さんの助けに、支えになりたいと思っています」
それは人間世界であっても、夫婦の理想形である。人間が昔からの慣習、悪習にああだこうだ言っている間に、あやかしはとうに思いやりを持っていたのだ。左津さんと葉湖さんもうんうんと頷いている。
「それに、真琴さんのお許しが無ければ、指1本触れないとお約束します。そりゃあ、状況によってはぶつかってしまったり当たってしまったり、叩かれたり蹴られたり鞭打たれたりするかも知れませんが」
鞭なんかあるかい。真琴は心中で突っ込む。やはり雅玖はマゾなのかも知れない。真琴は一瞬遠い目をしそうになるが、どうにか己を引き戻す。もしかしたら真琴が知らないだけで、あやかしの流儀の様なものがあるのかも知れない。
「大事なのは真琴さんのお気持ちですので。私はそれを肝に命じて、真琴さんのお側にいたいと思います。私は観音さまのお導きを信じると同時に、真琴さん、あなたに縁を感じているのです」
真剣にここまで言われると、さすがの真琴も揺れ動く。どうする。どうする?
そのとき、頭をかすめたのは母のことだった。結婚しろといつもうるさい母。雅玖と結婚してしまえば、もう言われることも無くなるのでは無いだろうか。
これは間違い無く打算である。悪く言えば、雅玖を利用することになる。しかしそれはお互い様の様な気もする。母の押し付けから逃れたい真琴と、人間との婚姻が必要な雅玖。
「……万が一があったとき、離婚は可能ですか?」
「悲しいですが、私が至らなかったということですので、善処します」
はっきりとした言質は取れないか。しかし。これは真琴にとって、渡りに船な状況になっている。母が熱望する結婚ができて、自分のお店が持てて、雅玖と助け合いながら生きることができる。
「主導権は真琴さん、あなたにあるのですよ」
そのせりふで、真琴の肚は決まった。真琴は小さく息を吐いて、口を開いた。
「分かりました。雅玖との結婚、お受けします」
「……ありがとうございます!!」
雅玖が歓喜の声を上げ、左津さんと葉湖さんも「ばんざーい!」と両手を上げた。