その日の朝ごはんは、ハムエッグとレンジ調理したブロッコリ、お茶碗に盛り付けた炊き込みピラフと焼きたてのミニクロワッサンだった。
ピラフとクロワッサンで主食がふたつなのだが、授業や休み時間などで良く動く子どもたちは、やはりお米を食べないとお昼の給食までお腹が保たない、だがパンの美味しさも知って欲しいという思いがあるのだった。
クロワッサンはまとめてお皿に盛ってテーブルの真ん中に置いて、食べたい子が食べられる様にしてある。
焼きたてではあるのだが、真琴が生地を練ったわけでは無い。整形まで済んだ市販の冷凍パンだ。それを所定の時間オーブンで焼いた。焼きたてほかほかのパンをぜひ味わって欲しかった。
炊飯器ピラフは味のベースに顆粒コンソメを使い、みじん切りの玉ねぎ、角切りの人参、冷凍のグリンピースを炊き込んである。
朝なのでバターは使わずオリーブオイルだけでさっぱりめに。白ワインを使いたいところだが、子どもたちも食べるので念のために控えておく。代わりにお砂糖を少々入れた。仕上げにお塩と黒粒こしょうで、味のアクセントを付けている。
白米でも充分なのだろうが、少しでもお野菜を取って欲しいの工夫なのである。子どもたちは皆良い子なのだが、やはり子どもらしくお野菜が苦手な子もいる。
それでもこれまでの躾が良かったのか作った真琴を慮っているのか、はたまた両方か、出されたものは食べようと努力をし、壱斗などは柔らかめに火を通した甘いブロッコリに、マヨネーズをたっぷり掛けたりしていた。
ピラフや炊き込みご飯にするとお野菜も一緒にもりもり食べてくれるので、効率が良いのだった。
真琴は好き嫌いは少ない方が良いと思っている。小さなうちは味覚が鋭敏なため、ピーマンの苦味などを忌避しがちなので、苦手なものが多くても仕方が無いことだし、大人になっても食べられないのなら、それはもう一生苦手な可能性が高い。
だから無理はさせないまでも、努力ができるならして欲しいと思っている。真琴もそのためのお手伝いは惜しまない。それは家庭の中で食を管理する者の役目でもあるのだ。
真琴はあまり長い時間子どもたちに接することができない代わりに、こうして食事で愛情を与えられたらと思っていた。
夜もあるにはある。だがあの時間こそ、子どもたちを慕うあやかしたちのための時間である。四音と景五は毎夜厨房に入るので真琴とも距離が近いのだが、できる限りあやかしたちと触れ合う時間を取ってもらえる様に気を配っているつもりだ。
と言いつつ最近、真琴は厨房を四音と景五にお任せできるとき、ふらりとホールを練り歩くことにしていた。
「スーパー壱斗リサイタル」で、歌声に合わせて軽く身体を揺り動かすと、それに気付いた壱斗から可愛らしい投げキッスやウィンクが贈られたりする。ボルテージ爆上がりなのだろう。
弐那のイラストを見て「巧いなぁ」と声を掛けると、頬を染めて嬉しそうに「へへ」とはにかんでくれる。
三鶴の解読不可能な大学ノート、真琴の知識が及ばない内容を見て「凄いやん」と驚いたりすると、「ふふん」と得意げに胸を張る。
できるだけあやかしたちの邪魔をしない様に、でも少しでも子どもたちと関わりたくて、ほんの少しだけさりげなく時間をもらうことにしたのだった。
子どもたちが学校に行き、真琴は洗い物を済ませて、「まこ庵」の開店準備のために一旦自室に戻る。「まこ庵」では制服として作務衣を用意しているのだ。真琴はえんじ色、お運びの里李さんは紺色である。
下には4畳半ほどのスタッフ用控え室があって、そこは里李さん専用になっている。着替えたりランチ休憩などに使ってもらっている。
真琴は自室で着替えてから降りるのだ。お化粧も必要。今日もいつもの様にしようとして。
ドアの下に、何かが置いてあるのに気付いた。サイズやデザインが違う封筒がふたつ。大きな茶封筒の方には表に「ママさまへ」、紫色のお花が装飾がされている小さな方には「お母さまへ」と辿々しい字で書かれていた。
「弐那と、三鶴……?」
そう直感した途端、真琴はそのふたつを胸に抱き、リビングに舞い戻った。
「雅玖! 雅玖ー!」
思わず叫ぶ様に呼ぶと、雅玖が洗面所の方から慌てて飛んで来た。
「真琴さん、どうしました!?」
「こ、これっ、弐那と三鶴やと思うんやけど!」
真琴が勢いのままに言うと、雅玖は「ああ」と思わせ振りな表情になった。
「落ち着いてください。まずは座りましょう。どうか、中を見てあげてください」
雅玖がソファに掛けたので、真琴も腰を降ろす。深呼吸をして呼吸を整え、まずは、茶封筒の方を開けてみた。すると出て来たのは1枚の漫画原稿用紙。そこに描かれていたのは、ひとりの女性の胸元から上の、漫画調のモノクロイラストだった。
長めの艶やかな髪は頭の後ろでひとつにまとめられていて、着ている服は作務衣に見える。表情は柔らかな笑顔をたたえている。上部に「ママさまへ」と書かれていて、下部には「弐那より」、そして芸能人のサインの様なうねった形の何かがあった。
真琴は驚きで目を見開く。
「これ、まさか、もしかして、私……?」
だとしたら、かなり美化されていると思う。原稿用紙の女性の微笑みは輝いていた。真琴の手が震える。
「そうですよ。弐那が、真琴さんを描いたのです。弐那は真琴さんに贈り物をもらった時、絶対にそれを使って真琴さんの似顔絵を描いてプレゼントをするんだと言って、宿題の後に部屋で練習をしていたのです」
真琴は感激する。目頭が熱くなった。つんと来て、何かが込み上げようとしている。真琴はそれを留める様にずずっと小さく鼻をすすった。
「凄い……、嬉しい、こんな、こんなん、めっちゃ嬉しい……!」
言葉では言い表せない感動、嬉しさ。胸元でぎゅっと抱き締めたいが、そうするとイラストが痛んでしまう。真琴は堪えた。
「三鶴からのお手紙も、ぜひ読んであげてください」
真琴はイラストをそっとテーブルに置くと、三鶴からの封筒を手にして開ける。封はされていない。
封筒と揃いのデザインの便箋が2枚入っていた。そこには紫色のインクで、小学生らしく少し拙い、だが丁寧な字がしたためられていた。
お母さまへ。
いつも、美味しいご飯をありがとう。
いつも、私達を気に掛けてくれてありがとう。
いつも、私達の夢を応援してくれてありがとう。
お母さまが、私達のお母さまになってくれて、ほんまにほんまに嬉しい。
私達、お母さまの自慢の子供でいたいです。
これからも、見ていてね。
どうぞよろしくね。
三鶴
短い、便箋1枚に収まる内容だった。だがそこに込められた三鶴の、そして子どもたちの思いがひしひしと伝わる様で、真琴はとうとう感極まった。
さっき留めたものが雫となって現れ、つぅと頬を伝う。雅玖がティッシュの箱を差し出してくれたので、ありがたく1枚抜いて目元を押さえた。
「ふふ。三鶴、凄い。まだ学校で習ってへん様な漢字もめっちゃ知ってるんや」
「三鶴はお勉強が大好きですからね」
雅玖が真琴を労ってくれる様に微笑む。ふたりの心に真琴の胸中がこれまで味わったことの無い様な暖かさに満たされる。
「……ほんまに、ほんまに凄いなぁ。私、子どもたちのために何ができるやろ。もっと、もっとええお母さんになりたい」
「真琴さんは今のままでええんです。今でも子どもたちを大切にしてくれているから、それが子どもたちに伝わっているんです。小さな子は人の思いに敏感なのです。だから前にも少しお話しましたけど、真琴さんは自然体でいてくださいね。自然に滲み出る感情だからこそ、子どもたちも自然に受け入れることができるのです」
「うん……」
真琴はまた溢れ出した感動を、ティッシュでそっと拭った。
「はい、里李さん、小上がりのお客さま、抹茶シフォンと季節限定オレンジパフェ」
「……ふん」
里李さんは相変わらず、真琴に向ける表情は無愛想だ。無愛想というと景五もそうなのだが、景五の場合は感情を表に出すのが苦手でそうなっているだけで、里李さんは本当にそのままの心境なのである。
そしてお客の前ではころりと笑顔になる。真琴が雅玖と結婚している限り、里李さんはこの態度を崩さないのだろう。何とも面倒ではある。
だが、今の真琴は百人力である。里李さんの態度なんて気にならない。子どもたちの思いを受け取り、力が漲っていた。今なら何でもできそうな気がする。
ああ、弐那と三鶴を、子どもたちを抱き締めてあげたい。嫌がられるだろうか。でもこのとめどない感謝をどうしても伝えたかった。「まこ庵」の営業が終わり、子どもたちが降りて来たら挑戦してみよう。どうか子どもたちが受け入れてくれます様に。
ピラフとクロワッサンで主食がふたつなのだが、授業や休み時間などで良く動く子どもたちは、やはりお米を食べないとお昼の給食までお腹が保たない、だがパンの美味しさも知って欲しいという思いがあるのだった。
クロワッサンはまとめてお皿に盛ってテーブルの真ん中に置いて、食べたい子が食べられる様にしてある。
焼きたてではあるのだが、真琴が生地を練ったわけでは無い。整形まで済んだ市販の冷凍パンだ。それを所定の時間オーブンで焼いた。焼きたてほかほかのパンをぜひ味わって欲しかった。
炊飯器ピラフは味のベースに顆粒コンソメを使い、みじん切りの玉ねぎ、角切りの人参、冷凍のグリンピースを炊き込んである。
朝なのでバターは使わずオリーブオイルだけでさっぱりめに。白ワインを使いたいところだが、子どもたちも食べるので念のために控えておく。代わりにお砂糖を少々入れた。仕上げにお塩と黒粒こしょうで、味のアクセントを付けている。
白米でも充分なのだろうが、少しでもお野菜を取って欲しいの工夫なのである。子どもたちは皆良い子なのだが、やはり子どもらしくお野菜が苦手な子もいる。
それでもこれまでの躾が良かったのか作った真琴を慮っているのか、はたまた両方か、出されたものは食べようと努力をし、壱斗などは柔らかめに火を通した甘いブロッコリに、マヨネーズをたっぷり掛けたりしていた。
ピラフや炊き込みご飯にするとお野菜も一緒にもりもり食べてくれるので、効率が良いのだった。
真琴は好き嫌いは少ない方が良いと思っている。小さなうちは味覚が鋭敏なため、ピーマンの苦味などを忌避しがちなので、苦手なものが多くても仕方が無いことだし、大人になっても食べられないのなら、それはもう一生苦手な可能性が高い。
だから無理はさせないまでも、努力ができるならして欲しいと思っている。真琴もそのためのお手伝いは惜しまない。それは家庭の中で食を管理する者の役目でもあるのだ。
真琴はあまり長い時間子どもたちに接することができない代わりに、こうして食事で愛情を与えられたらと思っていた。
夜もあるにはある。だがあの時間こそ、子どもたちを慕うあやかしたちのための時間である。四音と景五は毎夜厨房に入るので真琴とも距離が近いのだが、できる限りあやかしたちと触れ合う時間を取ってもらえる様に気を配っているつもりだ。
と言いつつ最近、真琴は厨房を四音と景五にお任せできるとき、ふらりとホールを練り歩くことにしていた。
「スーパー壱斗リサイタル」で、歌声に合わせて軽く身体を揺り動かすと、それに気付いた壱斗から可愛らしい投げキッスやウィンクが贈られたりする。ボルテージ爆上がりなのだろう。
弐那のイラストを見て「巧いなぁ」と声を掛けると、頬を染めて嬉しそうに「へへ」とはにかんでくれる。
三鶴の解読不可能な大学ノート、真琴の知識が及ばない内容を見て「凄いやん」と驚いたりすると、「ふふん」と得意げに胸を張る。
できるだけあやかしたちの邪魔をしない様に、でも少しでも子どもたちと関わりたくて、ほんの少しだけさりげなく時間をもらうことにしたのだった。
子どもたちが学校に行き、真琴は洗い物を済ませて、「まこ庵」の開店準備のために一旦自室に戻る。「まこ庵」では制服として作務衣を用意しているのだ。真琴はえんじ色、お運びの里李さんは紺色である。
下には4畳半ほどのスタッフ用控え室があって、そこは里李さん専用になっている。着替えたりランチ休憩などに使ってもらっている。
真琴は自室で着替えてから降りるのだ。お化粧も必要。今日もいつもの様にしようとして。
ドアの下に、何かが置いてあるのに気付いた。サイズやデザインが違う封筒がふたつ。大きな茶封筒の方には表に「ママさまへ」、紫色のお花が装飾がされている小さな方には「お母さまへ」と辿々しい字で書かれていた。
「弐那と、三鶴……?」
そう直感した途端、真琴はそのふたつを胸に抱き、リビングに舞い戻った。
「雅玖! 雅玖ー!」
思わず叫ぶ様に呼ぶと、雅玖が洗面所の方から慌てて飛んで来た。
「真琴さん、どうしました!?」
「こ、これっ、弐那と三鶴やと思うんやけど!」
真琴が勢いのままに言うと、雅玖は「ああ」と思わせ振りな表情になった。
「落ち着いてください。まずは座りましょう。どうか、中を見てあげてください」
雅玖がソファに掛けたので、真琴も腰を降ろす。深呼吸をして呼吸を整え、まずは、茶封筒の方を開けてみた。すると出て来たのは1枚の漫画原稿用紙。そこに描かれていたのは、ひとりの女性の胸元から上の、漫画調のモノクロイラストだった。
長めの艶やかな髪は頭の後ろでひとつにまとめられていて、着ている服は作務衣に見える。表情は柔らかな笑顔をたたえている。上部に「ママさまへ」と書かれていて、下部には「弐那より」、そして芸能人のサインの様なうねった形の何かがあった。
真琴は驚きで目を見開く。
「これ、まさか、もしかして、私……?」
だとしたら、かなり美化されていると思う。原稿用紙の女性の微笑みは輝いていた。真琴の手が震える。
「そうですよ。弐那が、真琴さんを描いたのです。弐那は真琴さんに贈り物をもらった時、絶対にそれを使って真琴さんの似顔絵を描いてプレゼントをするんだと言って、宿題の後に部屋で練習をしていたのです」
真琴は感激する。目頭が熱くなった。つんと来て、何かが込み上げようとしている。真琴はそれを留める様にずずっと小さく鼻をすすった。
「凄い……、嬉しい、こんな、こんなん、めっちゃ嬉しい……!」
言葉では言い表せない感動、嬉しさ。胸元でぎゅっと抱き締めたいが、そうするとイラストが痛んでしまう。真琴は堪えた。
「三鶴からのお手紙も、ぜひ読んであげてください」
真琴はイラストをそっとテーブルに置くと、三鶴からの封筒を手にして開ける。封はされていない。
封筒と揃いのデザインの便箋が2枚入っていた。そこには紫色のインクで、小学生らしく少し拙い、だが丁寧な字がしたためられていた。
お母さまへ。
いつも、美味しいご飯をありがとう。
いつも、私達を気に掛けてくれてありがとう。
いつも、私達の夢を応援してくれてありがとう。
お母さまが、私達のお母さまになってくれて、ほんまにほんまに嬉しい。
私達、お母さまの自慢の子供でいたいです。
これからも、見ていてね。
どうぞよろしくね。
三鶴
短い、便箋1枚に収まる内容だった。だがそこに込められた三鶴の、そして子どもたちの思いがひしひしと伝わる様で、真琴はとうとう感極まった。
さっき留めたものが雫となって現れ、つぅと頬を伝う。雅玖がティッシュの箱を差し出してくれたので、ありがたく1枚抜いて目元を押さえた。
「ふふ。三鶴、凄い。まだ学校で習ってへん様な漢字もめっちゃ知ってるんや」
「三鶴はお勉強が大好きですからね」
雅玖が真琴を労ってくれる様に微笑む。ふたりの心に真琴の胸中がこれまで味わったことの無い様な暖かさに満たされる。
「……ほんまに、ほんまに凄いなぁ。私、子どもたちのために何ができるやろ。もっと、もっとええお母さんになりたい」
「真琴さんは今のままでええんです。今でも子どもたちを大切にしてくれているから、それが子どもたちに伝わっているんです。小さな子は人の思いに敏感なのです。だから前にも少しお話しましたけど、真琴さんは自然体でいてくださいね。自然に滲み出る感情だからこそ、子どもたちも自然に受け入れることができるのです」
「うん……」
真琴はまた溢れ出した感動を、ティッシュでそっと拭った。
「はい、里李さん、小上がりのお客さま、抹茶シフォンと季節限定オレンジパフェ」
「……ふん」
里李さんは相変わらず、真琴に向ける表情は無愛想だ。無愛想というと景五もそうなのだが、景五の場合は感情を表に出すのが苦手でそうなっているだけで、里李さんは本当にそのままの心境なのである。
そしてお客の前ではころりと笑顔になる。真琴が雅玖と結婚している限り、里李さんはこの態度を崩さないのだろう。何とも面倒ではある。
だが、今の真琴は百人力である。里李さんの態度なんて気にならない。子どもたちの思いを受け取り、力が漲っていた。今なら何でもできそうな気がする。
ああ、弐那と三鶴を、子どもたちを抱き締めてあげたい。嫌がられるだろうか。でもこのとめどない感謝をどうしても伝えたかった。「まこ庵」の営業が終わり、子どもたちが降りて来たら挑戦してみよう。どうか子どもたちが受け入れてくれます様に。