俺──ゼント・ラージェントが大勇者ゲルドンに勝った試合のすぐ後、リング下では──。

 エルサとセバスチャンが向かい合って立っていた。エルサの横には、エルサの娘のアシュリーもいる。

「パパ……。もうひどいことは、やめて」

 アシュリーは、セバスチャンにそう言った。聞き間違いではない。そう言った。

 パパ……と。

「ど、どういうことなんだ?」

 俺は驚いてエルサに聞いた。するとセバスチャンが、クスクス笑って代わりに答えた。

「聞いた通りだよ、ゼント君。アシュリーは私の娘だよ。……エルサと私のね」
「な、なにっ? ほ、本当かよ、エルサ?」

 俺はエルサを見た。エルサは黙っている。

 マ、マジなのか?

 確かに、昔、エルサとゲルドンのパーティーメンバーに、セバスチャンがいたことは確認している。ミランダさんの過去を見せる魔法で、それは見た。

 しかし……だからといって……まさか?

 セバスチャンは、「アシュリー、『ひどいこと』とは、どういう意味かな?」と聞いた。

 アシュリーは思い切ったように言った。

「あなたは、色々な人を傷つけています。武闘家(ぶとうか)さんたちを支配しようとしたり、洗脳しようとしたり……。そんなの、皆、知っているんだよ」

 セバスチャンは首を横に振って、笑っている。

「一体、何のことだね、アシュリー。君は私のことを誤解しているようだ。君にはパパとして『教育』が必要なようだね」
「てめぇ!」

 俺はアシュリーを守るために、アシュリーの前に出た。
 アシュリーは俺にすがるように、腕をつかんできた。

「おやおや、ゼント君。君、もしかして……」

 セバスチャンはニヤニヤ笑いながら言った。

「アシュリーの父親代わりにでも、なろうとしているのかな? 私の代わりに」
「くっ……」

 俺はよく分からなかった。俺はアシュリーの何になろうとしているんだ? そもそも──セバスチャンがアシュリーの父親だって? 本当の話なのか?

 だが、セバスチャンからアシュリーを守らなければならない……と感じた。

「ゼント君。そんなくだらんことを話している場合ではない。私は君との決勝戦が楽しみなんだ! ついに、私の本当の本気を出せる……覚悟するんだな」

 セバスチャンは高笑いして、花道を戻っていった。

 何にしても──俺とセバスチャンの決勝戦は、三週間後。
 俺は、本当に、ゲルドン杯格闘トーナメントの決勝戦まで来てしまったのだ。

 ◇ ◇ ◇

 俺は、「ミランダ武闘家(ぶとうか)養成所ライザーン本部」に戻り、喫茶室でエルサから話を聞くことにした。あまり人のいない大喫茶室には、俺とエルサとアシュリーがいる。

「16年前、ゲルドンのパーティーメンバーには、私とセバスチャンがいた。少年時代のセバスチャンだよ」

 エルサが静かに言った。

 俺はそれを知っている。ミランダさんの過去を見せる魔法で、それを見たからだ。ゲルドンのパーティーメンバーに、確かに少年時代のセバスチャンがいた。彼は、16歳くらいだっただろうか。

「そして、大勇者ゲルドンは、私に不倫関係を持ちかけた。しかし、結局私を捨てた」

 アシュリーはじっと聞いている。この話は、母親エルサから聞かされているんだろう……。

「その後、セバスチャンが私のところに来たんだ。セバスチャンはゲルドンの代わりに、私と恋愛関係になるよう、持ちかけてきた」
「ほ、本当かよ? その話は初めて聞く話だ」
「すまない。黙ってたよ」
「それはセバスチャンの意志か? ゲルドンの命令なのか?」

 俺がこの聞きたくない話を聞くと、エルサは、「ゲルドンの命令だ」と言った。

「セバスチャンはゲルドンの命令で、私と恋愛関係になるよう指示された、と言っていた。セバスチャンは100万ルピーを持って来て、私に差し出した。分厚い札束だよ」
「受け取ったのか?」
「受け取った。生活のためにね……。ゲルドンはあたしを捨てたことを気にしていて、セバスチャンを使って口封じしにきたんだよ。スキャンダルを怖れてね」
「それで、アシュリーが生まれた……。そうなんだな?」

 俺はアシュリーを見た。アシュリーはうなずいている。

「だけど……セバスチャンは父親になろうとしてくれなかった」

 エルサは静かに言った。

「セバスチャンは、仕事に躍起(やっき)になっていたようだった。アシュリーが生まれた時も、病院に来なかった。アシュリーは育っているのに、会いに来るのは年に1回程度。──結局、私はセバスチャンにも捨てられたのさ」
「マジかよ……」

 俺は悔しくて仕方なかった。エルサ……お前はゲルドンにも捨てられ、セバスチャンにも捨てらえたってことか?
 俺は20年も引きこもって、そんなことがあったことすら知らなかった。
 エルサは幼なじみだ。何で俺は、エルサを守ることができなかったんだろう?

 すると、今まで黙っていたアシュリーが口を開いた。

「私と血の繋がっているパパは、セバスチャンさんです」
「うん……」

 俺はうなずいた。アシュリーは15歳だが、もうすべてをエルサから聞いているのだ。

「でも、私はセバスチャンさんを、パパと認められません」

 アシュリーは意を決するように言った。その気持ちは分かる。あんな野郎……。

「だから……ゼントさんお願いです。前にも言いましたよね……」
「え?」
「私の……私のパパになってください。ママと私と一緒に、生活してください!」
「お、おいおいおい~」

 俺はあわてて言った。

「お、俺なんて引きこもりで、どうしようもないヤツだぞ」
「どうしようもなくなんか、ありません!」

 アシュリーは声を上げた。エルサは黙って笑っている。

「ゼントさんは、私を助けてくれたじゃないですか! ママもゼントさんの活躍を見て、元気をもらっています。ゼントさんは、私の大事な恩人なんです。私の本当のパパになってほしいんです! い、嫌ですか?」
「えーっと……」

 俺は戸惑っていた。エルサはアシュリーの肩にそっと手をかけた。

「ゼントを迷わせちゃダメよ。──ゼント、こんな話、気にしないでね」
「ママ! 何を言ってるの? ゼントさんのこと、気になってるくせに!」
「え? あ、ちょっ……」

 エルサは顔が真っ赤になった。

「ちょ、ちょっと黙りなさい、アシュリー……。あなたって子は本当にもう……」


 俺はアシュリーとエルサをじっと見ていた。

 俺は……俺は……人の父親になって欲しいと頼まれている。
 たまげた。
 もちろん、アシュリーとは血なんか繋がっていない。エルサとも恋人関係にもなっていない。それでも、アシュリーは言ったのだ。

「パパになって」

 引きこもりだった俺がか? 女性経験絶無(ぜつむ)の俺がか?

 36歳の俺……! 大人になれってことなのか?