グランバーン王国の中央都市ライザーンには、3つの王立スタジアムの他に、もう1つ、巨大な建造物があった。それは奇妙なドーム状の建物だ。
その建造物こそが、ゲルドンの秘書、セバスチャンの経営する「G&Sトライアード」本社であった。
グランバーン王国に150支部ある、世界最大の武闘家養成所である。
──朝、「G&Sトライアード」本社、1階ロビーでは……。
「おいおいおい~! セバスチャン!」
大勇者ゲルドンが、横にしたビール樽のごとく、転がるようにビル内に飛び込んできた。
「どうなってんだあ!」
ゲルドンは南の島セパヤのバカンスから、帰ってきたところだった。
セバスチャンに向かって、泣きついた。
「ゼントがお前の弟子、シュライナーに勝ってしまったぞ!」
セバスチャンの弟子、シュライナーは負けたのだ。
あの、ゼント・ラージェントによって──。
「おっしゃる通りです。シュライナーは敗北いたしました」
セバスチャンが冷静に言うと、ゲルドンは、「ぬおお~!」と声を上げた。よほどショックだったのだろう。
「おい、何かの間違いだろうが! 準決勝で、ゼントの野郎が、息子のゼボールと闘うことになってしまった。くそ、何が起こったんだ、あの野郎に! タコ、コラ! タコ!」
ゴスッ ゴスッ ゴスッ
ゲルドンは大理石の壁を、靴裏で3回蹴っ飛ばした。
「あ、ありえないと思うが、準決勝でゼントの野郎が、息子のゼボールに勝ったとしよう。息子の……ゼボールの今後の人生に影響が出てしまうぞ!」
「それは仕方ない。とにかく、息子さんとゼントの勝負を見守るしかないでしょうね」
「ゼ、ゼントは、八百長に応じねぇかな?」
「ゼボール様は、ゼントに絡んで殴ったと聞いています。ゼントは八百長に応じないでしょう」
「おいおいおいおい~。それはヤバいじゃねーかよ」
ガスッ
ゲルドンは、自分がタコのような真っ赤な顔で、ロビーの高級机を蹴り飛ばした。
「ゲルドン杯格闘トーナメントは、息子を優勝させるための大会なんだぞ! おい、セバスチャン、息子がゼントに勝つ方法を考えてくれ。ゼントが強いなんて信じられん。──お、アイリーンちゃんが待ってる時間だ。また来る」
大勇者ゲルドンはさっさと、「G&Sトライアード」本社を出ていってしまった。アイリーンとはゲルドンの最近の愛人だ。
「クズが……息子を甘やかしすぎだ」
セバスチャンは、大勇者ゲルドンの後ろ姿を見ながらつぶやいた。
「金のためとはいえ、いい加減、あのクズ野郎に付き従うのはあきてきたな。しかし、私の目的を達成させるには、ゲルドンの名声がまだ必要だ……」
「セバスチャン様」
すると、セバスチャンの背後の空間から、突如、灰色のローブを羽織った奇妙な人物が、ニュッと現れた。白い仮面をかぶっている。
この人物の名はアレキダロス。大魔導士だ。
この大魔導士は、魔法を使い──空間移動をしてきたのだ。
実業家としてのセバスチャンの助言者である。
「そろそろ地下トレーニング施設の方に向かわれませんと。たくさんの若者が待っております」
仮面の大魔導士アレキダロスは、大人とも子どもともつかない不思議な、甲高い声をしていた。
「変声魔法」で、声を変えてあるのだ。
「うむ」
セバスチャンはうなずいた。
──セバスチャンとアレキダロスは地下への階段に向かった。
そこには……!
◇ ◇ ◇
セバスチャンとアレキダロスが地下に行くと、そこには大きな地下空間があった。たくさんの若者がいる。人数は五百人くらいか。
バシイッ
ドガッ
皆、格闘技のトレーニングをしている。すさまじい熱気だ。
彼らこそ、セバスチャンが育てている若き武闘家たちだ。
このトレーニング施設が、「G&Sトライアード」の中心である。
「聞け!」
セバスチャンは若者たちに向かって、声を上げた。
「みなしごのお前たちを救い、ここまで育てたのは、誰だ?」
「セバスチャン様です!」
若者たちはトレーニングをやめ、直立不動でセバスチャンを見て叫んだ。
どうやらこの若者たちはみなしご──。全員、両親がいないらしい。
「G&Sトライアード」の中でも、特に選ばれた若い武闘家たちである。
セバスチャンは再び叫ぶ。
「みなしごだった、お前たちの本当の故郷は、どこだ?」
「理想郷『ジパンダル』です!」
「そうだ、その通り!」
セバスチャンは満足そうにうなずいたが、すぐにジロリと横の武闘リングを見た。
二人の男子の武闘家が、練習試合を行っている。赤い武闘着の男子が、青い武闘着の男子を、ちょうど殴り倒した。
赤い武闘着の男子はランテス・ジョー。青い武闘着の男子は、エルソン・マックス。
どちらも16歳で、将来有望のセバスチャンの弟子だ。
「大丈夫か、エルソン」
赤い武闘着のランテスが、青い武闘着のエルソンを助け起こそうとした。
するとセバスチャンは、すぐにリング内に入り──。
バシン!
セバスチャンは、いきなりランテスを平手で叩いた。
バシン!
もう一発だ。
「なぜ、叩きのめさないのだ!」
セバスチャンはランテスをにらみつけた。
「はっ、エ、エルソンは、僕の友人でありますので……」
バキッ
セバスチャンはまたランテスを殴りつけた。今度は拳だ。
「叩きのめせ! 友人などお前たちには必要ない。ここは弱肉強食の世界だ。失神するまで殴りつけろ、いいな!」
「そ、それは……」
「何か、文句があるのか?」
「い、いえ! 僕が甘かったです! 次は叩きのめします!」
「よかろう」
セバスチャンは、「立てい!」とエルソンを叩き起こすと、彼にも平手打ちを一発くらわせた。
その光景を、一人の少女が、じっと見ていた。
セバスチャンの最も期待する女子武闘家、サユリだ。
サユリは一人で型のトレーニングを続けながら、セバスチャンを観察していた。
「セバスチャン様」
アレキダロスはセバスチャンに小声で声をかけた。
「熱くなりすぎです」
「うむ……しかし、育成が遅れている。このままでは『世界支配計画』が、3年も遅れてしまうぞ」
「あまり厳しくしすぎると、『洗脳』が解けてしまいます。慎重になさいませんと……」
「む……そうだったな」
セバスチャンがため息をついた時、アレキダロスは言った。
「ところで、グランバーン城から、あなた様に通達がきております。『ぜひ来城するように』と」
「何!」
セバスチャンの顔色がにわかによくなった。
「何と! まさか、グランバーン王に謁見できるのか!」
資金とグランバーン王の信頼を得るチャンスかもしれん……。「世界支配計画」……私の野望に近づくチャンスだ。
セバスチャンはこう考え、ニヤリと笑った。
すると、仮面の大魔導士アレキダロスは言いにくそうに言った。
「いえ、あなたを城に呼んだのは、国王直属親衛隊長のラーバンス様です」
(うっ……何だと?)
セバスチャンは眉をひそめた。セバスチャンにとって、ラーバンスという男は最も苦手な人物だった。
「父上か……」
一方、サユリはトレーニングを続けながらも、セバスチャンとアレキダロスを見ていた。
その表情は悩んでいるようだった。
大勇者ゲルドンの秘書であり、実業家でもあるセバスチャンは、グランバーン城に向かった。
国王直属親衛隊長に呼ばれたからである。
国王親衛隊は、グランバーン王直属の選び抜かれた戦闘部隊だ。
その隊長は大勇者ゲルドンと並び、国民の第2の勇者と謳われることがあった。
◇ ◇ ◇
「親衛隊長殿、お呼びでしょうか」
セバスチャンが、城内の豪華な親衛隊会議室に入った時……。
ブオン
もの凄く大きな塊が、顔に向かって飛んできた。
それは拳! 何者かのパンチだ!
部屋の中に何者か──大男がいる!
「くっ」
セバスチャンはその巨大な拳を両手で受け、咄嗟に男に向かって前蹴りを放った。
ドガッ
男の腹に、セバスチャンの前蹴りが当たった。しかし、セバスチャンが逆にはね飛ばされた。
セバスチャンは床を転がり、ノーダメージですぐに立ち上がり、身構えた。
相手は、腹筋だけの反発力で、蹴りをはね返したのだ……!
「はっはっは」
セバスチャンが目の前を見上げると、親衛隊長が仁王立ちで立っていた。
隊長の年齢が50代半ば。しかし、体のサイズは一般人より2回りでかい。
身長190センチ、体重90キロ、といったところか。
「久しぶりだな。歓迎するぞ、息子よ」
隊長は──セバスチャンの父、ラーバンスだった。
ラーバンスがソファに座る。彼の体重でソファが、ギシリときしんだ。
「……父上、お久しぶりでございます。手荒い歓迎ですね」
セバスチャンは片膝をつき、父親に頭を下げる。
ラーバンス──とてつもない威圧感を持つ男だ。彼の太い腕には、魔物との戦闘でできた無数の傷があった。
「ふむ、格闘術の練習はおろそかにしていないようだな。会うのは2年前の、親族会議以来か」
ラーバンス隊長は言った。
相変わらず、鬼のように強い男だ──セバスチャンは父を見て思った。
「セバスチャン、お前に、ゆくゆくは国王親衛隊の副隊長を任せようと思う」
父がそう言うと、セバスチャンは驚いた声を出した。
「わ、私がですか?」
「そうだ、喜ばしいことだろう。というわけで、お前に機会を与える。来月から親衛隊に入隊し、兵士として1から修業せよ」
「は……?」
「親衛隊に入隊し、1から修業し、副隊長の座を奪ってみろ。お前なら3年で副隊長になれるだろう」
バカな……。セバスチャンは父親をにらみつけた。
確かに私の最終目標は、国王直属親衛隊長だ。この父親ラーバンスの座に座ることである。
だが、今や自分は、大企業「G&Sトライアード」の最高責任者だ。何で今さら、兵士となって1から修業し直さねばならんのだ? しかも来月から?
子ども扱いしやがって……私は仕事でいそがしい。
バカバカしい提案だ!
それに、副隊長になれば、親衛隊長の父親の監視下におかれることは間違いない。
──くだらん!
「お言葉ですが、私は実業家として成功しています。大勇者ゲルドンの秘書としても、仕事があり、いそがしいのです」
セバスチャンは笑顔を作って言った。顔はひきつっていたが。
「なぜ1から、親衛隊に入隊し、修業などをしなければならんのですか」
「……幻の国ジパンダル……お前の生徒たちは、皆、ジパンダルを故郷と思い込んでいるようだな」
父はつぶやくように、セバスチャンを試すように言った。
(ううっ……? なぜそれを?)
セバスチャンは父のつぶやきにゾッとした。
「『ジパンダルは理想郷』だ、などと吹聴していると聞いているが」
何と、父ラーバンスは、セバスチャンが秘密裏に行っていた、「G&Sトライアード」で行われる、若い武闘家たちへの「洗脳」のことを知っていたのだ。
「お前は、みなしごの青年たちを集めて、何やら企んでいるそうじゃないか。まさか、子どもじみた……『世界征服』でも企んでおるまいな?」
ギクリ
セバスチャンは冷や汗をかいた。
この世界征服こそ、「G&Sトライアード」の真の目的だからだ。
若い武闘家たちを育て、このグランバーン王国を力によって支配すること。
それがセバスチャンの目的だ。
「それに──ゴシップ雑誌に『G&Sトライアード』を脱退した武闘家の証言が載っていた。お前は指導と称しながら、暴力を行っていたそうじゃないか」
父の追及は止まらない。
雑誌だと……? アレキダロスにチェックさせておけばよかった。
セバスチャンはギリリと歯噛みした。
「我がラーバンス家に、くだらん問題を持ち込むな。先月の親族会議にはお前はいなかった。が、セバスチャン、お前のその『洗脳』行為が問題になった」
ラーバンスはため息をついた。
「まともになれ、セバスチャン」
父、ラーバンスは言った。
「他にも情報が入ってきておる。お前、裏で幻の国、『ジパンダル』を探しておるのだろう」
セバスチャンはまたしてもギクリとしたが、父は話を続けた。
「古いジパンダルの文献を調べ、若い武闘家にジパンダルの民族衣装を着させて闘わせていることもあるらしいな。まったく、くだらんことを。そんな地図上にもない、おとぎ話の国に入れ込んで何になる。くだらん、まったく、くだらんよ!」
セバスチャンは父のものの言い方に腹を立てたが、父親は続けた。
「そんなわけのわからぬ組織の中で、社長ごっこをしても、そのうち世間は冷たい目で、お前を見ることになる。親衛隊に入り、自分を鍛え直せ」
父の言うことは……正しい。しかし……。
「わ、私には」
「何だ?」
「私の望んだ世界がある! 私はもう子どもではない!」
セバスチャンの言葉を聞いたラーバンスは、首を横に振った。
「セバスチャン、いかん。では……力づくで止めるか……」
ラーバンスはミシリとソファを立ち上がった。両手で拳を握り、ポキポキと音を立てる。
(ううっ……)
セバスチャンはギチッと構えた。
巨漢のラーバンスが、セバスチャンの前に立ちはだかる。50代だというのに、すさまじく張りつめた筋肉だ。まともに闘ったら、ただじゃすまないだろう。
ラーバンスの闘気が、セバスチャンの方までビシビシと伝わってくる。
しかし!
「父上、私があなたを叩きのめしてごらんにいれましょう」
セバスチャンは改めて構えた。
「死にたいのか、セバスチャン」
ラーバンスが一歩前に出る。
ズチャッ……。重々しい足音が、室内に響く。
セバスチャンは、戦闘態勢に入りつつあった。
コツコツ……。
その時、扉の方から音がした。ノックだ。
城内の兵士が1名、部屋に入ってきた。
「王様から、ラーバンス様へ伝令がございます。──申し上げます」
「グランバーン王から? 何だ」
ラーバンスが兵士をジロリと見た。
「王様は、『次期国王親衛隊長の候補に、若いセバスチャン氏をあげなさい』とおっしゃっています。候補にあげる条件は、ゲルドン杯格闘トーナメントの優勝──とのことです」
う、うおおおっ……。
セバスチャンは目を丸くした。
何と! 何という幸運。
「何だと? 副隊長候補ではなく隊長候補?」
ラーバンスはギロリとセバスチャンをにらんだ。
「そうか。格闘トーナメント……。お前、出場しとるのか」
「はい、私は自分が優勝できると信じております」
セバスチャンはニヤリと笑った。ラーバンスの顔はひきつっている。
「となると、お前が……私を親衛隊長の座から引きずりおろすことになる」
「ハハッ、父上。王の言う通り、そろそろ隊長職のご辞退を考えられても良い年齢かと」
「生意気な!」
ラーバンスは舌打ちをして、ため息をついた。
「──だが一つ言っておくぞ。お前は高く飛び過ぎている。このままでは、必ず痛い目にあう。小石だと思っていた物につまづき、大怪我をするぞ」
「怪我? そんなバカな、私に限って。──さて時間です、私はこれで失礼いたします」
「愚か者め! 私はお前のためを思って……!」
父の言葉を背に受け、セバスチャンは親衛隊会議室を出ていった。
(これでこの世の支配の野望に、一歩近づいた……!)
セバスチャンは笑いが止まらなかった。
俺は自分の試合が終わり、セバスチャンと話した後、すぐに試合会場に戻った。そしてすぐに観客席についた。
サユリの試合を観るためだ。
隣にはミランダさんがいる。サユリはミランダさんの元教え子だ。
「サユリの第2試合目ですね」
「ええ」
これからサユリとギスタンの試合がある。
すでにサユリとギスタンは武闘リングの上に上がっていた。サユリは今日も袴という衣装を着ていた。
サユリの体格は、身長154センチ、体重48キロ。
ギスタンは身長177センチ、体重80キロ。まるでオーク族のような体格だ。
すさまじい体格差だ!
「ギスタンはセバスチャン・トレーニングジムから離れていったけど、真面目な武闘家よ」
「なぜ、離れていったんですか?」
「セバスチャンの教え方、指導の仕方に問題があったようね。それに反感を持った」
俺はセバスチャンの弟子である、さっきのシュライナーとの試合を思い出していた。シュライナーは要所要所で頭突きの反則技を繰り出した。
あれがセバスチャンの指導通りだとしたら……!
セバスチャンの弟子であるサユリは……?
カーン
試合開始のゴングが会場内に響いた。マスコミも心なしか多い。
さて、リング上のギスタンは、目の前のサユリに向かって口を開いた。
「女だからって容赦しないぜ。あんたの先生──セバスチャンの指導は、完全に間違っている。俺が正してやる」
ギスタンが言うと、サユリは無表情で言葉を返した。
「いえ、正しいのは私たち、セバスチャン先生の生徒です」
ギスタンはギリリ、と歯噛みした。
「いくぜえっ」
ギスタンは左ジャブを放っていった。
ガスッ
「ブフッ」
いきなりだ!
ギスタンが声を上げてのけぞる。あ、当たったのは……サユリの拳! い、いつの間にサユリはパンチを放ったんだ?
左ジャブと合わせるように、サユリの直突きが、ギスタンの鼻に当たっていた。直突きとは、腰をあまり回転させず、拳を縦方向に出す打撃法のことだ。
「こ、このおっ!」
ギスタンの左フック!
ベキッ
「グヘ」
またしても、ギスタンがのけぞる。
サユリの直突きが決まっていたのだ。
直突きの方が、モーション、動作が早いため、サユリのパンチが決まってしまう──。しかもカウンターで……!
すると──。ギスタンの突き上げるような左アッパー!
ゴスッ
しかし、これもまたサユリの直突きが、ギスタンの鼻に当たっていた。
ギスタン……! 鼻血だ!
審判団が少しざわついたように見えた。
サユリは近づき、ギスタンのアキレス腱を、自分の足でひっかけ、転ばせた。
そして……。
ウオオオオッ……。
観客たちがざわめいたし、俺も驚いた。
サユリは──倒れたギスタンの腹の上に乗り、馬乗り状態になった!
「う、うわあっ! 馬乗りだぜ!」
「お、女の子が屈強な男に馬乗り? ありえねえ!」
「信じられないシーンだ!」
ベキッ
ガスッ
サユリは無表情で、ギスタンの鼻に馬乗りからのパンチを叩き込んでいく。
ギスタンは馬乗りから脱出しようとするが、サユリは絶妙なバランス感覚で、ギスタンを逃さない。
「サユリの体重移動よ」
ミランダさんは俺に説明した。
「サユリはギスタンの逃げようとする方向を、直感で先読みしている。馬乗りしながら、細かい体重移動をしているの。絶対に、ギスタンを逃さないつもりよ」
しかし、サユリの体重は48キロだぞ!
ギスタンは75キロある。
体重の軽い女の子が、男に馬乗りになってパンチを落としている。
こ、こんなことがありえるのか?
ガスッ
ゴスッ
ベキッ
サユリがパンチを落とすごとに、ギスタンの鼻血が飛ぶ。サユリとギスタンは血まみれ状態だ。サユリは馬乗りパンチでも、相手の急所を的確にとらえて打っている。
またしても、ギスタンは必死に、サユリの馬乗りから逃れようとする。
しかし、サユリはギスタンの逃亡を、まったく許さない。恐ろしいまでの正確な体重移動で、ギスタンの逃亡能力を殺してしまうのだ。
見ている方が信じられない。
ゴスウッ
サユリのパンチが、ギスタンのアゴに当たった! ギスタンもう、抵抗能力を失っている。……が、しかし。
サユリは無表情で、ギスタンの額に肘を落としていく。 ギスタンは額を切ったようだ。
ガスッ
ガスッ
そのたびに、サユリとギスタンは血まみれになる。
「や、やめ……やめて」
ギスタンは女の子のサユリに訴える。しかし、サユリは攻撃を続ける。まるで──。
サユリ──鬼だ!
「お、おい……」
「やべえ試合になった」
「あの女の子、やべえ……かわいいけど……」
その時だ。
カンカンカン!
とゴングの音が鳴ったと同時に、白魔法医師たちが、リング上に上がり込んできた。
「試合の決着はついた! サユリ、やめろ! 君の勝ちだ!」
『5分19秒、ドクターストップ勝ちで、サユリ・タナカの勝ち!』
放送がかかった。
ウオオオッ
「マジか」
「強ぇ~」
「サユリ、かわいくてやべえええ!」
観客たちが騒いでいる。
しかし、サユリは打撃をやめようとしない。お、おい、どうなってんだよ!
「サユリ、もうやめろ!」
白魔法医師が、サユリを引きはがそうとする。
そこでようやく、サユリは馬乗りパンチの手を止めた。サユリの体は血まみれだ。
馬乗りになって、六発目の馬乗りパンチで勝負はついていた。しかし、サユリはそれでもなお、肘を叩き落していた……。
俺はミランダさんに言った。
「こ、これが……サユリの真の姿ですか?」
「ええ」
ミランダさんは席を立つと、リングを下りたサユリを腕組みして待ち構えた。
「やり過ぎよ、サユリ!」
「……ミランダ先生」
サユリは悩んでいるような、苦しんでいるような顔で、ミランダさんを見た。
そうか、サユリはもともと、「ミランダ武闘家養成所」にいたんだっけな。
ミランダさんは、怒ったように、それでいて静かにサユリに言った。
「相手は戦意喪失していた。でもあなたは非情にも、攻撃を続けた。これがあなたが求める、武闘家の精神なの?」
「これがセバスチャン先生の方針だから」
サユリはそっぽを向いて言った。
「サユリッ!」
ミランダさんが怒鳴ると、サユリはビクッと肩をすくめた。ミランダさんは続けた。
「あなたは私の元教え子。だから言うわ。あなたは強い。だけど、心の使い方が間違っているようね!」
サユリはうつむいて、花道を通り、控え室に帰っていく。俺はサユリが気になり、サユリの後を追った。
廊下には、セバスチャンが待っていた。
「よくやった、サユリ」
セバスチャンはサユリの頭をなでた。
「しかし、あの程度かね? 君は」
「え、いえ……」
「もっと相手を叩きのめさないといけない。相手が私たちに、二度と歯向かう気持ちがなくなるまでだ!」
「え、ええ。で、でも、あれ以上やったら……ギスタンさんが……」
「ギスタンなど、破壊してしまえ! 対戦相手は、すべて破壊しろ!」
セバスチャンが厳しく言うと、サユリは肩をすくめ、「はい」とうなずいた。血まみれの顔が、少し泣いているように見えた。
するとセバスチャンは俺に気付き、声をかけてきた。
「ゼント君、これがセバスチャン流の格闘術だよ」
俺はだまっていた。
セバスチャン! 相手を無駄に叩きのめすのが、お前のやり方なのか?
セバスチャンから──サユリは間違った教えを受けている。
「さあ、次の試合は、私と君の友人、ローフェンの試合だ! どうなるのかな?」
……俺は拳をぎゅっと握りしめた。ローフェンなら、こんな野郎をぶっとばしてくれるに違いない……!
次の日──。
ついにローフェンと、謎のゲルドンの秘書、セバスチャンが闘うことになった。
2回戦第4試合。
ゲルドンの秘書の闘いぶりを観ようと、たくさんの客がスタジアムに入っている。
「ついに、セバスチャンをぶっとばす時がやってきましたよーっと」
ローフェンはすでに武闘リングに上がり、軽い柔軟体操をしている。
いつも通り、軽口を叩いているようだ。
「お、おいっ! 気を引き締めろ、ローフェン」
俺はローフェンのセコンドを申し出て、リング下からアドバイスするつもりだ。
俺の側には、ミランダさんもいる。彼女もセバスチャンの試合を近くで観たいらしい。
エルサも娘のアシュリーと一緒に、セバスチャンの試合を観ると言い出した。観客席に座っている。
「相手はどんな技術を持っているか、さっぱり情報がないんだ。気を付けろ」
俺はローフェンに注意した。
「情報? いらねーよ、そんなモン。俺が蹴り飛ばしてやるさ」
ローフェンは余裕の表情だ。
一方のセバスチャンの武闘リングに上がり、ローフェンをじっと見ている。
何をやってくるのか? それとも、たいしたことないヤツなのか?
セバスチャン──この試合で、彼の実力が明らかになる!
◇ ◇ ◇
カーン
試合開始のゴングが打ち鳴らされた。
「あーらよっ!」
ローフェンはいきなり走り込んで、上段回し蹴りだ! よ、よし、いきなり大技だが、いいぞ!
セバスチャンは薄く笑って、スウェーでそれを避ける。
ローフェンはそのまま後ろ回し蹴りに移行した。
スッ
ローフェンはすずしい顔で、後退。これも見事に避ける。
「だッ」
ローフェンのパンチ──左ジャブ!
セバスチャンは顔を傾けて、それを避けた。
「いいね。君、なかなか良い蹴りだよ。ローフェン君」
セバスチャンは笑って言った。
「君は我が武闘家養成所、『G&Sトライアード』では、中級クラスで学ぶといい」
「中級クラスだとおおおお? バカにすんだ!」
ローフェンの右ストレートパンチ、左ジャブ、そして右中段回し蹴り!
セバスチャンは二回のパンチを手で叩き落し、回し蹴りは左スネでカット。
「どらあっ!」
ローフェンの大振りのパンチ──左フック! 速い! これはもらったか?
シュパッ
「あっ……!」
「見ろ」
「何だ?」
観客たちは声を上げた。
セバスチャンは、そのローフェンのパンチ──拳をいとも簡単に、手で掴んでいた。
ゆるり
その時──そんな音がしたような気がした。セバスチャンはムダのない動きで、ローフェンの背後に回り込んだ!
そ、そして、ローフェンの鼻を──。
セバスチャンは自分の手で、ローフェンの鼻をふさいだ?
「お、う?」
ローフェンは後ろに回り込まれてあわてた。
するとセバスチャンは、ローフェンの膝裏を、右足で踏んだ!
すると、セバスチャンは、ゆっくりとリング上に座らされてしまったのだ。
まるであやつり人形のように……。
な、なんだ、この技術は?
「あれは軍隊格闘技の技術よ!」
ミランダさんが声を上げた。
ぐ、軍隊格闘技? 戦場で使う格闘術ってことか?
「相手の力を制圧する、超実戦的な格闘技よ」
セバスチャンはローフェンの首に、自分の右腕をかける。
やばい! 首絞め──チョークスリーパーだ!
「だらあっ!」
ローフェンは肘を振り回し、セバスチャンの頬に当て、あわてて立ち上がった。そしてチョークスリーパーから、逃れた……! あ、危ない、危ない……。
「ふふっ」
セバスチャンは肘が当たった頬を手でこすって、ローフェンと対峙した。
セバスチャンは深追いしない。
──二人はまたスタンディング──立ったままで、にらみあった。
「君、なかなかしぶといね」
セバスチャンはひょうひょうと言った。
「あいにく、優勝ねらってるんで──」
ローフェンは答えた。
「って、おい! てめー、さっきから上から目線でムカつくな」
ローフェンはそう言いつつ、またしても右ジャブを繰り出し、今度は接近して──左ボディーブロー! セバスチャンの腹を狙った。
し、しかしだ!
セバスチャンは右ジャブを避け、しかも左ボディーブローを避けたと思ったら──。
ローフェンの左腕を、自分の脇に挟んで、フック──固定した!
「なっ!」
ローフェンは驚く。
この超近距離のまま、セバスチャンはローフェンに、パンチで打撃を加えた。
ガスッ
ゴスッ
そんな音が聞こえる。セバスチャンは、ローフェンの顔、胸、腹に、器用にパンチで超接近の打撃を与えていく。ローフェンの左腕は、固定したままだ!
あ、あんな打撃技があるのか? そ、そうか。これも軍隊格闘技ってヤツの技術か!
「まるでタコね」
ミランダさんは腕組みをしながら言った。
俺もうなずいた。セバスチャン──まさしくタコのようにからみつくような戦術!
ああっ……! 超近距離のパンチをくらったローフェンから、鼻血が!
すると、セバスチャンはその接近状態を解き、ローフェンの首と腰に腕をかけて──。
「投げ──!」
俺は声を上げた。
セバスチャンは、ローフェンを後ろに投げ捨てたのだ!
ベキイッ
「グヘッ」
ローフェンは右あばらから落ちて、声を上げる。し、しかし声を上げる直前に、へ、変な音がしたぞ?
ウオオオオッ
観客がセバスチャンの投げに興奮している。
「今の音!」
俺はミランダさんを見た。
「ええ、私も聞いたわ。まずいわね。──セバスチャンの放った投げは、『裏投げ』よ」
ミランダさんは静かに言った。あ、あれが裏投げか! 噂には聞いたことがあったが……。
「軍隊格闘家が得意とする投げ技の一つね。そのまま寝技に移行できる! そして──ローフェン君はあばら骨を折ったわね……」
セバスチャンはニー・オン・ザ・ベリーの状態になった。
ローフェンが仰向けに寝ている状態だが、セバスチャンは片膝をローフェンの胸の上に乗っけている状態。これがニー・オン・ザ・ベリーだ。
一見不安定だが、この状況はある意味で馬乗りよりも危険だ!
するとセバスチャンは、何とローフェンが痛めているあばら骨を、もう片方の膝で蹴りだした。
ガスッ
バキッ
ドゴッ
くっ……エグい攻撃だ! ローフェンは……! 痛みで失神しかかっている!
俺は……俺は我慢できなかった。
「のやろおおおおっ!」
「ゼント君!」
ミランダさんが声を上げる!
俺はリングに上がった……! 上がってしまった。
そして、ローフェンの上で攻撃しているセバスチャンに向かって、突進し──。
ドガッ
セバスチャンに体当たりをかました。
セバスチャンは俺の体当たりで吹っ飛ぶ。彼はすぐに状態を起こし、ニヤリと俺を見た。
ウオオオオオッ
観客たちが声を上げる。
「うおおっ! 何だ?」
「あれ、ゼントってヤツじゃねえのか?」
「乱闘じゃん! セコンドが入ってきちゃダメだろうが~!」
何を言われてもいい! これ以上、ローフェンを攻撃させない!
「早くローフェンを治療してください! あばらが折れている!」
俺はリング外にいる白魔法医師たちに向かい、叫んだ。
白魔法医師たちは何やら審判員と相談していたが、あわててリングに上がってきた。すぐに、ローフェンを診察し始めた。
「ククク……」
セバスチャンは立ち上がって、リング上にいる俺に言った。
「ダメじゃないか、ゼント君。セコンドが試合中に上がってきちゃあ」
「うるさい! ローフェンのあばらは折れている! お前、折れているのが分かっていて、あばらに追撃しただろう!」
「フフフ……。相手の怪我をした箇所を狙うのも、戦術の1つではないか」
「バカ言うな! もう勝負は決まっていた! ローフェンの選手生命を奪う気か?」
その時、白魔法医師長はリング外に向かい、手でバツの字を作った。
カンカンカン
とゴングの音がした。試合終了か……。
『4分20秒、ドクターストップおよび、反則勝ちでセバスチャン選手の勝ち! なお、反則の原因となったゼント・ラージェントには、何らかのペナルティが課せられます!』
ペナルティ? そんなものどうだっていい。
ローフェンは? 俺は仰向けに寝ているローフェンに近寄った。
「ゼ、ゼントのバカヤローが」
ローフェンは真っ青な顔で、俺に言った。
「お前のせいで、反則負けだろーが……。これから俺が、ヤツをぶちのめすところだったのに……」
「後で色々、聞いてやる。あまりしゃべるな、ローフェン! あばらにひびくぞ」
俺は言った。
ローフェンは悔しそうな顔をしながら、白魔法医師たちが用意した、タンカに乗せられて武闘リング外に出された。
セバスチャンも、さっさとリング外に降りてしまっている。
俺も審判長に注意されて、リングを降りた。
すると──武闘リング下で見たものは、意外な光景だった。
サユリがセバスチャンの前に立っている。
「セバスチャン先生、準決勝は私と勝負しましょう」
「トーナメント上ではそうなるね。だが、君は棄権《きけん》したまえ」
セバスチャンは首を横に振りながら言った。
「教え子を傷つけたくはない」
「あなたが間違っていることに気付きました」
「……何?」
「傷ついた相手を叩きのめすのは、武闘家の精神に反すると思います。私がそれを身をもって示すために、私は、先生と──いえ、セバスチャン、あなたと闘います」
セバスチャンは眉をひそめて、サユリに、「お前」と言った。
「考え直せ。今からでも遅くない、棄権《きけん》しろ」
セバスチャンはそう言って、花道をさっさと歩いていった。
セバスチャンとローフェンの試合の後、サユリは自分の師、セバスチャンに言った。
「傷ついた相手を叩きのめすのは、武闘家の精神に反すると思います。私がそれを身をもって示すために、私は、先生と──いえ、セバスチャン、あなたと闘います」
それがサユリの決意だった。
◇ ◇ ◇
次の日、俺は、「ミランダ武闘家養成所・ライザーン本部」に戻った。
ローフェンのことは心配だが、グランバーン大学白魔法病院に入院しており、骨の検査に2日かかる。
今は見舞いにいけない。
「ゼントさん、覚悟してください」
俺の目の前──武闘リング上には、サユリがいる。
俺はサユリの練習相手をつとめることにした。
「はああっ!」
サユリのパンチ──左直突き! 右直突き! 左! 左! 右!
うおおっ……サユリは、こんなコンビネーション──連撃もできるのか!
俺は手を使って受ける。とにかく速い。正確だ。
「でやああっ! 受け身、とって下さいね!」
サユリは俺の腰に手を回し、俺の片足を取った。
ドタン!
まるで俺を転ばせるように、俺を後方に投げつけた。あ、あぶねえっ!
俺は素早く体勢を横にして、後頭部を打つのをまぬがれた。
「これは『朽木倒し』という投げです。『踵返し』という投げ技もあります」
「わ、わかったわかった。練習はこれくらいにしよう」
サユリの投げは速くてキツい。
ローフェンが入院してなかったら、ローフェンを投げてもらうんだがなあ……。
「うーん……まだやり足りない……」とサユリ。
「あのな~! もう2時間、君の相手をやってるんだけど!」
俺は冷や汗をかきながら言った。これ以上、投げられちゃたまらない。
「分かりました」
サユリは残念そうな顔だが、納得したようだ。
練習を終え、俺とサユリは、ミランダ先生と話すために会議室へ向かった。
◇ ◇ ◇
会議室には、ミランダさんとエルサが待っていた。
「はーい、ゼント、サユリさん、ご苦労様」
エルサが俺たちに冷たい、ポーション・ドリンクを渡してくれた。
ポーションは怪我の特効薬として有名だが、それを10倍薄めて飲みやすくしたものだ。
何と、エルサは屋内ではもう杖は使用していない。
杖の使用は、屋外に出るときだけだ。
どんどん、昔の元気なエルサに戻ってきている。
「準決勝の日程が決まったようね」
ミランダさんは言った。
「サユリとセバスチャンの対戦は、3週間後。ゼントとゲルドンの息子、ゼボールの対戦は4週間後」
そうか、サユリとセバスチャンの試合が先か。俺は、その試合の後、ゼボールと闘う。
俺をマール村の森で襲ってきた不良だ……。
くそ、嫌な気持ちがよみがえってきた。
「それにしても、あなた、本当にセバスチャンと闘う気?」
ミランダさんは椅子に座りながら、サユリを見ていった。サユリはうなずいた。
「はい……。最近、セバスチャン先生の考え方は、私の武闘家としての考え方と違うなと思えてきたんです」
「うーん……。具体的には?」
「セバスチャン先生の教えは、怪我をした相手でも、容赦なく叩きのめすこと。追撃を加え、二度と逆らえないようにすることです。これは、私がギスタンさんやドリューンさんにやってしまったことでした」
「冷静に試合を振り返ることができているわね」
「それに、あまり知られていませんが、『G&Sトライアード』では、日常的に指導者から選手への暴力が行われているのです」
「えっ、何それ?」
エルサは声を上げた。
「サユリさん、それ、どういうこと? 詳しく説明して」
「セバスチャン先生は、対戦練習でも、相手を失神するまで闘わせようとするのです。でも、それを練習生たちが躊躇すると、セバスチャン先生か指導者の拳がとんできます」
サユリは決心したように言った。エルサは目を丸くしてまた聞いた。
「一方的な暴力ってこと? あなたもやられたの?」
「私はセバスチャン先生からはやられてはいませんが、他の指導者からはたまに平手で」
「だ、だめだよ、そんなの許しちゃ!」
エルサは、サユリを抱きしめた。
「今まで、誰にも相談しなかったの?」
「はい……『G&Sトライアード』の練習生たちは、セバスチャン先生……いえ、セバスチャンが怖いんです。セバスチャンに逆らうと、武闘家の資格が剥奪されてしまうから。セバスチャンは、それくらい権力を持っています」
「なんで……ひどい」
エルサが泣いている?
あっ、そうか……。エルサもギルドの登録から抹消された経験があるんだったな。
サユリたちの気持ちが分かるのか。
「ちょっと冷静になりなさい」
ミランダさんがパン、と手をうった。
「サユリ、このままセバスチャンと対戦しても、何も残らないと思うけど。棄権した方がいいわよ」
「お気持ちはありがたいけど、私は闘います。だって私は武闘家だから。試合があれば、闘うのです。──ゼントさん、お願いがあります」
サユリは俺の方を見た。
「私とセバスチャンの試合から、セバスチャンの攻略法を見つけて欲しいのです。セバスチャンは、私の考えでは、グランバーン王国で最も強い武闘家の一人だと思います」
「サ、サユリでもそう思うのか?」
「はい、間違いないです。打撃、組み技、関節技、戦術、すべてレベルが高いと思います。ゼントさん……決勝で、どうかセバスチャンを倒してください」
「わ、分かった」
つまりだ、サユリはセバスチャンに勝つ気がないということ。
俺にセバスチャンを倒すことを、託しているのか。
俺はうなずいた。しかし、その前にゼボールに勝たなきゃいけない。
「では、私はこれで」
サユリが行こうとすると──。
「お待ちなさい」
ミランダさんが言った。
「あなたの今後の所属は『ミランダ武闘家養成所』。つまりここです。あなた、戻る場所がないんでしょう。だから、今日はここに泊まりなさい」
「そうだよ、サユリさん」
エルサが笑顔で言った。
「辛いことがあるなら、私、何時間でも話を聞くから。娘もいるし、遊んであげて」
「……皆さん親切なんですね」
サユリはさみしそうに言った。
「私、『G&Sトライアード』では、しゃべる人が一人もいなくって……」
「とにかく一緒に行こ?」
エルサはサユリの手を引っ張って、廊下に出ていった。
すると、ミランダさんは俺に言った。
「ゼント君、君はゲルドンの息子、ゼボールと闘うことになるけどね」
「はい」
「何か嫌な予感がするわ。これは私の占いの結果から言うけど」
嫌な予感? 一体それは──?
「私が気にしているのは、大勇者ゲルドンよ。何か、仕掛けてくるかもね」
ゲルドン? ゲルドンが何かしてくるのか?
ついにこの試合が始まってしまう。
最強の女子武闘家サユリと、謎の大勇者の秘書セバスチャン──。
この二人は弟子と師という関係だ。
サユリの体のサイズは、身長154センチ、体重48キロ。
一方のセバスチャンは、身長177センチ、体重73キロ。
体重差、体格差は言うまでもなく、ある。
『サユリ・タナカ選手は、セバスチャン選手の顔面攻撃を了承しました!』
ドオオオオッ
放送がかかると、観客席はヒートアップした。
女性選手と男性選手が試合をする場合は、普通は顔面攻撃は禁止になる。しかし、サユリは顔面攻撃──つまり顔へのパンチ攻撃を認めてしまったのだ。
ど、どんな試合になってしまうんだ?
俺は観客席で、二人の試合を見守ることにした。俺の左横には、少し心配そうな顔のミランダさんと、エレサ、アシュリーが座っている。
セバスチャンとサユリは、武闘リング上で向かい合った。
「残念だ、こんな形で、弟子の君に痛い思いをさせなければならないなんて」
セバスチャンはさも残念そうに、それでいてクスクス笑って、サユリに言った。
「私こそ残念です。私があなたの指導方針を、くつがえさなければならないなんて」
サユリは言い返したが、セバスチャンは冷静だ。
「それは無理だ。私が勝つからね」
「いえ、セバスチャン。私はあなたに教えてもあった技を全て出し切り、あなたに勝ちます」
「ほほう、生意気な……」
セバスチャンはサユリをにらみつけた。
◇ ◇ ◇
カーン
その時、試合開始のゴングが鳴った。
ヒュッ
いきなり、サユリがパンチ──左直突きを繰り出した!
いとも簡単にスウェーでかわす、セバスチャン。
右、左、右、右、とサユリが連続で直突きを放つ。
セバスチャンは全てかわしてしまった。手など一切使わない。じょ、上体だけでかわしてしまっている!
……その時、サユリが踏み込んだ!
左直突き!
パシイッ
何と、セバスチャンはその直突きの拳を、手で受け止め、離さない。
ま、まずいぞ。セバスチャンは軍隊格闘技の使い手だ。何をしてくるか分からない。
「ハアッ!」
しかし、サユリは気合一閃、その手を振りほどいた。
そして──次の瞬間、驚くべきことが起こった。
サユリが素早くセバスチャンの後ろに回り込み、セバスチャンの鼻を手でふさいだ。
何だ? これはセバスチャンの得意技じゃないか!
「うむっ?」
セバスチャンは声を上げた。
ガスッ
サユリは後ろからセバスチャンの右膝関節を蹴り、セバスチャンを倒してしまった。あの膝裏蹴りは、簡単に人を倒すことができる!
すぐにサユリが、後ろから首を絞めにいく──何と、チョークスリーパー……裸締めだ!
「あれ、軍隊格闘技じゃねえか!」
「セバスチャンの得意技だろ?」
「サユリがやっちまうとは!」
観客が声を上げる。
セバスチャンは後ろに回り込んだサユリに対し、投げを打とうとする。
背後に回ったサユリを、背負投げで投げようとしているのだ。
しかし──。
サユリは後ろから飛びつき、両手を両足でセバスチャンの右腕を固定した。すぐに、四つん這いになったセバスチャンの右腕を、膝で極めた!
何だ? この関節技は!
「腕ひしぎ膝固め!」
ミランダさんが声を上げた。
「滅多に見られない関節技ね……。私もあまり見たことがないわ」
サユリは精一杯力を込め、セバスチャンの右腕を伸ばす。
しかしセバスチャンは、涼しい顔で顔を起こした。そしてこう言った。
「なかなか面白い技だったよ、サユリ」
セバスチャンが立ち上がった!
ぐぐぐ……。
何と、関節技で腕を極めているサユリごと、持ち上げたのだ。
右腕だけで軽々と……!
い、いくらサユリの体重が軽いといっても、片手で持ち上げるなんて、信じられない。
サユリはセバスチャンに片腕で持ち上げられながら、目を丸くしている。
その時、セバスチャンの体全体に、闇色の蜃気楼のようなものがまとわりついて見えた。
何なんだ……?
「ぬううんっ!」
セバスチャンは、サユリとともに右腕を振り、サユリを投げ捨てた。サユリの体は、武闘リングに張りめぐらされたロープに当たった。
「い、一体、何が起こったっていうの?」
ミランダさんも驚いている。
「人を右腕だけで、軽々持ち上げるなんて……ちょっと尋常じゃないわね」
「うう……」
サユリはロープに頭を打ったようだが、すぐに立ち上がった。
二人はまた立った状態で、構える。サユリはまだ驚いている顔だ。
さっきのセバスチャンの怪物のような力のことを考えているのだろう。一体あれは……。
「サユリ、何を怯えている?」
セバスチャンは笑いながら言った。
「黙れっ!」
サユリはいつになく声を上げ、セバスチャンをまた右パンチで攻撃する。
しかし、今度はセバスチャンの番だった。
ビキイッ
そんな音がした。
セバスチャンは、サユリの右パンチを肘で防いでいた。
セバスチャンの肘は、サユリの右肘関節の内側部分に当たっている!
サユリの顔は苦痛にゆがむ。
「あれも軍隊格闘術よ……まさに攻防一体」
ミランダさんが言った。
「セバスチャンはサユリのパンチを自分の肘で防ぎつつ、サユリの肘関節を攻撃したのよ」
サユリがパンチをした時を見計らって、サユリの肘関節への攻撃か!
「サユリは、多分、肘を怪我したわ。もう右のパンチは出せないわね」
ミランダさんはつぶやいた。マジか……。
しかし、セバスチャンの攻撃は終わらなかった。
サユリの手を掴んだセバスチャンは、ぐいっと、自分の方にサユリを引っ張る。
そして──。
「あぐ!」
ピキイッ
またしても嫌な音が響き渡った。
サユリの膝を、足裏で横から蹴ったのだ。
サユリを前に引っぱった状態から蹴った。カウンターの蹴りの状態になったはずだ。
骨がズレたに違いない……!
サユリは倒れる!
「攻撃は必要最小限にした。レディーの対し、尊敬の念を込めて」
セバスチャンはそう言って、サユリを見下ろしている。
「あぐうう……」
サユリは膝を抱えて、しゃがみ込み、声を上げている。
ああ……これはダメだ。
「さて、どうかな、サユリ。肘と膝が痛くて泣き叫びたいだろう。負けを認めるかね?」
サユリの異変に気付いた、リング外の白魔法医師が、リング上に上がろうとしている。
しかし、何とサユリは……。
ガッ
セバスチャンの右足を四つん這いで、掴んだ!
「何だ、それは。サユリ」
セバスチャンは仁王立ちで言った。
「は、離さない」
サユリは声を上げる。
「見苦しい」
セバスチャンは首を横に振った。
「か、勝つまでやるんです。は、離しません」
「見苦しいぞぉっ! この小娘があっ!」
セバスチャンはしゃがみ込み、手で、サユリの頭をひきはがそうとした。
「くそっ!」
俺が立ち上がろうとすると、ミランダはそれを制した。
「ダメよ。サユリは女の子を捨て、最後まであがこうとしているわ」
サユリはまるで石のように、セバスチャンの片足から離れない。セバスチャンはサユリの顔から手を離し、黙ってサユリを見ている。
その時、白魔法医師が武闘リング上に入ってきた。サユリは引きはがされる。
「さあ、サユリ、腕と足を診せなさい。──ああ、これはダメだ。肘にヒビが入っているし、膝が骨折している」
白魔法医師はリング外の審判団に、「決着だ」と言った。
『4分12秒! ドクターストップ勝ちで、セバスチャン選手の勝ち!』
放送がかかった。観客席はシーンと静まり返っている。
サユリは白魔法医師に、痛み止めの治癒魔法をかけられているが、顔は苦痛にゆがんでいる。
「サユリ……お前は、まるで雨の中の、泥水にまみれた犬コロだな」
セバスチャンは舌打ちしながら、サユリに言った。
「君に、私の『G&Sトライアード』の広告搭になってもらおうと、思っていたのだがね。私も、私の企業も、イメージががたおちだよ。こんな試合は」
セバスチャンはリングからさっさと降りてしまった。
「……おい、お前、何と言った」
俺は立ち上がって、リング下に降りてきたセバスチャンに言った。
「何かね? ゼント君」
セバスチャンはニヤニヤしながら言った。俺は問いただした。
「サユリに何と言った?」
「泥水にまみれた犬コロと言ったんだ。四つん這いで、私の足を掴んできたからね」
「この野郎……!」
俺はセバスチャンの胸ぐらをつかんだ。
許せねえ……! サユリはお前に対して、精一杯闘ったんだぞ! 敬意のある一言をかけてもいいだろうが! それを……。
しかしセバスチャンは笑っている。
「やるのか、ゼント君。問題行動だぞ。君は次の準決勝に出られなくなるが」
「くそ!」
俺は仕方なく手をふりほどいた。
「楽しみだねえ……ゼント君。君、準決勝のゼボールをはやく倒してくれ」
セバスチャンは言った。
「最後は私と君の決勝戦だろうな。楽しむことができそうだ」
セバスチャンはそう言うと、花道を去っていった。
サユリはリング下におろされ、タンカで運ばれていく。
「大丈夫か」
俺がタンカに乗せられたサユリに話しかけると、サユリはニコッと笑った。
「精一杯やりました」
笑っているが、骨が痛いはずだ……。
俺は、あまり喋らせないように気を使いながら言った。
「ちゃんと試合、観てたぞ」
「良い試合だったでしょう……?」
サユリは疲れ切っていたし、痛みをこらえているようだった。
しかし、表情は晴れやかだった。
「ああ! 良い試合だった!」
俺はうなずきながら言った。サユリはそのままタンカで運ばれていく。
一週間後は──俺と大勇者ゲルドンの息子、ゼボールの準決勝がある!
サユリとセバスチャンの試合があった、次の日の午後──。
「どういうことだああっ! ゼントオオオッ!」
あ、あぶないっ!
俺に向かって、ローフェンの足蹴りが飛んできた。
俺はそれを避ける。しかし、ローフェンの追撃は止まない。
ローフェンの後ろ回し蹴り! 俺はそれを見切って、かわす。
「落ち着け!」
俺は叫んだ。
ここはライザーン中央にある、グランバーン白魔法大学病院の芝生広場──。
俺たちは、ローフェンの見舞いにきた。ローフェンは外に出られるくらい元気だった。
しかし……。
「あ、あいたたた~!」
ローフェンは蹴りを放った後、あばらを抑えて、転げ回った。ローフェンの服の下のアバラ部分には、包帯が何重にも巻かれてあるはずだ。
「アホだ……。まだ治りかけだろうが」
俺は腕組みをして、芝生広場で転げ回っているローフェンを見た。
エルサとアシュリーも、俺の後ろであきれてローフェンを見ている。
「どうしてサユリが、故郷に帰っちゃうんだよおおおお!」
ローフェンは泣きわめく。
「サユリはセバスチャンに負けたでしょ。武闘家として、自分を見つめ直したいんだって」
エルサはローフェンをなだめるように言った。
どうやら、ローフェンはサユリのことが好きだったらしい。
向こうは全然、ローフェンのことを何とも思ってない……と思うが。かわいそうだけど。
セバスチャンとの闘いで、骨を骨折したサユリは、ローフェンと同じく、ここ白魔法病院に入院した。
退院後は、祖父母のいるサンラインという街に住むそうだ。
さて、ローフェンの叫びは止まらない。
「ちっくしょおお~! サユリ~!」
「ローフェンさん!」
芝生広場に駆けこんできたのは、ローフェンの担当の女性看護師さんだ。看護師さんは鬼の形相だ。
「あなたは入院患者なんですよ。外で格闘技のマネごとをするとは何事ですか!」
「だって、看護師さ~ん……」
ローフェンはグスグス泣いている。ダメだこりゃ……。
ん? 誰かの視線を感じる。
病院の門の方で、人影が動いたような……? 何だ?
◇ ◇ ◇
ローフェンの見舞いの帰り──。
アシュリーとエルサの買い物に付き合わされた。
「ゼント、これ持って! お菓子の詰め合わせ。ルーゼリック村の皆にお土産!」
エルサは楽しそうに、店で娘と一緒にお菓子を買い込んでいる。
俺は当然、荷物持ち。エルサは杖をついているが、もうそんなのいらないんじゃないか、というくらい元気だ。
俺とエルサは、アシュリーを挟んで、ライザーン地区の静かな道を歩いた。
ふと、アシュリーは言った。
「ゼントさん、あのう……」
アシュリーは顔が真っ赤だ。俺は驚いて聞いた。
「ど、どうしたんだ?」
「えーっと……ママと私と、一緒に暮らしませんか」
「はああああああ?」
声を上げたのはエルサだ。おい、道端ででかい声を出すなよ。俺もびっくりしたけど。
「ななななな何を言ってるの、この子は! ゼントと一緒に暮らすなんて、それが一体、どういうことか──」
「ゼントさんが、私のパパみたいになるってこと!」
アシュリーはうれしそうに笑って言った。
パ、パパ……? 何? あ、そうか。俺は36歳だから、別に娘を持っても良い年齢か……。
でも俺……フェリシアって彼女はいたけど、結局、手すら握れなかったし、女性経験は絶無と言って良い。
「クスッ、アシュリーったら何を言うかと思ったらさあ、ゼントがパパだって~」
エルサは楽しそうに言った。
「似合わなーい!」
「わ、悪かったな」
俺は苦笑いするしかなかった。
◇ ◇ ◇
俺たち三人は、アモル川という川に来た。
都会のライザーン地区では、最も大きな川だ。川魚が結構釣れるらしい。
俺とエルサは、川の前のベンチに座った。アシュリーは、川辺で舟を見ている。
川の周囲には、俺たち以外、誰もいない。
「私さ……ぽっかり15年くらい……人生に大きな穴が空いてるんだよね。車椅子に乗る前は、寝たきりだったから」
エルサが言った。……俺だってそうだ。
「俺なんて20年引きこもってたんだから、20年空いてるよ。それで36歳になっちまってんだから」
「やり直して……良いんだよね」
エルサは……泣いている。
エルサ──エルフ族はいつまでも若い。
でも、もちろん寿命はある。エルフ族だって、人生の時間は限られている。
俺は言った。
「大変な人生になっちゃったけど、大丈夫だ……と思う。もしかしたら、俺にとって、20年の大穴は穴じゃなくて……大事な時間だったんじゃないか」
「そっか……。私も大丈夫なような気がしてきた。ゼントと一緒なら」
エルサはポツリと言った。
その時、川魚がぽしゃん、とはねた。アシュリーは歓声を上げた。
◇ ◇ ◇
アシュリーとエルサは、これからライザーン地区でスイーツを食べるそうだ。
俺はミランダさんと、ゼボール戦について研究する予定。
ゼボールは、1回戦はシードで無し。2回戦は開始30秒でKO勝ち。
ただ、ミランダさんによれば、2回戦はゼボールの相手の動きが、あきらかにおかしかったらしい。
アシュリーとエルサは行ってしまったし、俺も帰るか。
「そのまま帰れると思うか?」
俺の後ろの方で、男──少年の声がした。
俺がベンチから立ち上がり、後ろを振り返ると、木陰から男があらわれた。16歳くらいの少年?
「あっ……お前!」
その少年は何と、大勇者ゲルドンの息子、不良少年のゼボールだった。
俺の準決勝の相手だ。
「な、何か用か?」
俺が言うと、ゼボールは俺をにらみつけて言った。
「今日は、お前を監視してたんだよ。病院にもいただろ、お前ら」
周囲にはいつの間にか、10人もの不良たちが集まっていた。
そうか、さっき病院の門で影が見えたが、こいつらだったのか。
「てめー、ゼント……。どんな卑怯なことしやがって強くなったんだ? ああ? マール村で見たクソ弱いお前はどこいったんだ? 今から確かめてやるよ。ケンカでな」
「ケ、ケンカだって? おい、お前との準決勝はどうなるんだ。バカ言ってんじゃ……」
闘うしかない……!
俺は直感的にそう思った。
川の前で、大勇者ゲルドンの息子──いや、俺の準決勝の相手、ゼボールは言った。
「もともとトーナメント試合なんて、めんどくせえと思ってたんだよな。親父の道楽だろ」
俺は気付いた。周囲にはいつの間にか、10人もの不良がいた。
やばいぞ。こんなところで問題を起こしたら、準決勝への出場は、どうなっちまうんだ?
しかし、ゼボールはもうケンカを仕掛ける気だ。
「ボローダ! 来い!」
ゼボールは声を上げた。10人の少年のうち、1人の少年が、俺の前に一歩踏み出した。
ぬうっ
そんな音がしそうだった。何だこいつ! 身長が2メートル以上あるぞ!
ブオッ
このボローダと呼ばれた背の高い少年──恐ろしく威力のあるパンチ──右フックを打ってきた! こいつ、背がものすごく高いのに、ちゃんとしたパンチを打ってくる。
俺はそれを避けたが……。
ガスウウウッ
今度は、何と、上段前蹴りを放ってきた!
だ、だが、俺はとっさに顔を防いでいた。防がなかったら、5メートルは吹っ飛んでいただろう。くそ、手がしびれたぜ……。何という破壊力だ!
だが、俺はこいつの弱点を見切っていた。
ミシイッ
俺は素早く右下段蹴りを、ボローダの足──左内腿に叩き込んでいた。
「ぎ、へ」
ボローダは苦痛に顔をゆがませながら、地面に転がった。背が高い──つまり足が長いから、足を狙いやすいってわけだ。
「次は?」
少年たちは、俺を見て驚いている。
「く、くそっ! 俺が行く」
ゼボールが声を上げた。ゼボールは……他の少年から、約1メートルの鉄棒を手渡された。
建設現場か何かから、広ってきたんだる。こいつ……武闘家なら素手で闘えよ!
それにしても鉄棒か……! 俺は対武器はあまり経験がなかった。
「砕け散れやああああっ!」
ゼボールは鉄棒を、俺の頭に振り下ろしてきた!
しかし! ここだ!
ガシイッ
「ううっ……!」
ゼボールは驚きの声を上げた。
俺は素早く、ゼボールが鉄棒を持った腕を掴んでいた。ゼボールは目を丸くしている。
ドスウッ
俺はすぐに、ゼボールの腹の急所へ、左ボディーブローを決めていた。
「ぐ、は……そんな……」
ゼボールはよろける。
ガラン
ゼボールは鉄棒を落とした。さあて、素手での闘いだ。
「くっ、この野郎!」
シャッ
ゼボールは気を取り直して、左ジャブを放ってきた!
次に右ストレート! 左フック!
なかなか速いパンチだが、俺はすべて、手で叩き落していた。
「ち、ちきしょう!」
すぐに俺は中段蹴りで、すばやくゼボールのあばらを蹴り……。彼がひるんだところへ!
グワシッ
俺はパンチ──左ストレートを放った。
ゼボールのアゴに当たった。しかし、ゼボールはさすがゲルドンの息子。まだ何とか立っている。
「ゼボール! たいした根性だ!」
俺は素早くゼボールに近づいた。接近して決めるぞ!
「ひい!」
ゼボールは声を上げた。
ガシイイッ
俺は、ゼボールの頬へ肘をかち上げていた。
決まった……!
ゼボールはヨロヨロと小鹿のようにふらつき、しまいには地面に座り込んだ。
あわてた手下たちが、俺に向かって来ようとしている。
マール村で闘った、デリックやレジラーの姿も見える。
「バカ野郎っ……やめやがれ……」
ゼボールは地面に座り込みながら、不良少年たちに向かって叫んだ。
「ゼントは……3人いっぺんに、俺らを倒してんだぞ……。やっぱ、ゼントは俺らとは違うんだよ……」
「お前だって、準決勝に上がってきたじゃないか?」
俺は座り込んでいるゼボールに言うと、ゼボールは痛めたアゴを気にしながら、静かに話しだした。
「……俺はシードだったから初戦は無し。つ、次の2回戦は、親父が相手に金を渡してる。八百長ってわけだ……」
ゼボールは続けた。
「俺の準決勝進出は、全部作られたものだ。だけどゼント……いや、ゼントさん。あんたはマジで勝ち上がってきたんだ」
「……ゼボール、お前、俺との準決勝、どうするつもりだ?」
俺は聞いたが、ゼボールは地面に座りながら舌打ちしている。
「俺は棄権する。代わりに……多分だけど、親父が出てくるぜ」
うっ……! 本当か? つ、つまり……!
「ゲルドンが準決勝に出るってのか?」
「間違いねえ。親父は優勝者と闘うことになっていたはずだが、そんな規則は簡単に変えられる。主催者だからな」
「おい、ゲルドンは本当に、準決勝に出て来るのか」
「息子の俺が棄権するんだから、親父は、絶対に『準決勝に出る』と言い出すはずだ。とくに、相手があんた──ゼントさんなら……間違いなく」
つ、ついに! ゲルドンと……俺が闘う……!
そうだ……ゲルドン杯格闘トーナメントに出た理由は、大勇者ゲルドンと闘うこと!
エルサの仇をうつこと!
まさか、こんなに早く、実現するなんて……!
◇ ◇ ◇
ゼント・ラージェントが、ゼボールとケンカを終えたその頃、ゲルドンは──。
ゲルドンとセバスチャンは、二人が創設した武闘家養成所「G&Sトライアード」本社にいた。
「何だと! 街の暴力団にケガさせられただと? 本当なのか、ゼボール!」
ゲルドンは魔導通信機で誰かと話をしていた。相手は息子のゼボールだ。
「準決勝はどうするんだ!」
『知らねーよ。俺は棄権する』
「……この大バカ野郎が!」
どうやら、息子のゼボールは怪我をしたらしい。本当はゼントと街でケンカをしたのだが。
全て息子のためのトーナメントだった。息子が準決勝に出場しないなんて、何のためのトーナメントなのか。
ゲルドンは頭を抱えた。
「ゲルドン様、決心なさってください」
セバスチャンが言うと、ゲルドンは「ああ」とうなずいた。
「俺が、ゼボールの代わりに、準決勝に出る」
ゲルドンは決心したように言った。
「俺は絶対にゼントに勝たなくちゃならねえ。どんな手を使っても、負けるなんて、そんな恥ずかしいことはできねえ……。俺がヤツをパーティーから追放したんだからな」
「ゼントに勝つ方法が、1つあります」
セバスチャンは手を叩いた。
すると、セバスチャンの後ろの空間から、ニュッと白仮面の大魔導士があらわれた。
アレキダロス──白い仮面を顔につけた大魔導士だ。
実業家としてのセバスチャンの助言者である。
「アレキダロス、『儀式』の準備を」
セバスチャンはアレキダロスに言った。
「ぎ、『儀式』って何だ?」
ゲルドンが聞くと、セバスチャンはニヤリと笑った。
「さあ、ゲルドン様、地下へ」
ゲルドンが案内された場所は、本社ビルの地下、薄暗い不気味な部屋だった。
魔物の像がたくさん並べられている。
「ゲルドン様、その魔法陣の中央にお立ち下さい」
アレキダロスは大人とも子どもともつかない、不思議な甲高い声で言った。彼は、「変声魔法」で声を変えてあるのだ。
「な、何なんだここは……?」
ゲルドンは言われるままに、地面に描かれている、奇妙な円形の図形の中央に立った。
これが、「魔法陣」というものか。
ゲルドンは眉をひそめた。
おや……頭上にはバカでかい透明のガラス球体がある。真っ赤だ……。
中に入っているのは、赤い液体……? 赤ペンキ?
いや、あのドス黒い赤は……!
け、血液?
アレキダロスは叫んだ。
「このサーガ族の生き血薬を、ゲルドン・ウォーレンに注入せよ!」
ゲルドンの頭上から、不気味な赤い霧が降り注いだ。
ガラス球体から、赤い液体が魔法のように突き抜けて、霧状になって降り注いできているのだ。
「う、うおおおっ」
ゲルドンは声を上げた。
ゲルドンの全身に、赤い液体が──生き血薬が降り注ぐ。
自分が……自分の力が、何者かに乗っ取られてしまう。
ミシミシミシ……。
ゲルドンの骨がきしむ。
な、何という痛さだ?
「お、おいっ! やめろ! 何だこれは」
ゲルドンが声を上げても、セバスチャンは悪魔のように笑っている。
「ゲルドン様、ご安心を」
セバスチャンは静かに言った。
「サーガ族の亡霊たちが、ゲルドン様に取り憑いている最中です」
「サ、サーガ族って、な、何だ? や、やめろおおおーっ!」
ゲルドンは声を上げた。
カッ
ゲルドンの全身は、闇色の蜃気楼のようなもやが覆われていた。ゲルドンはやがて失神し、魔法陣の上に倒れ込んだ。
セバスチャンとアレキダロスは、薄気味悪く笑っていた。
ついにこの日が来てしまった。
ゲルドン杯格闘トーナメント準決勝──俺、ゼント・ラージェントと大勇者ゲルドンの試合がこれから始まる。
俺は、武闘リングの上から、王立スタジアムの観客席をながめた。超満員だ。ゲルドンもすでにリングに上がっており、セコンドのクオリファと話をしている。俺のセコンドはミランダさんだ。
大勇者ゲルドンが準決勝に出ると聞いた、王国の格闘技ファンは、チケットの争奪戦をしたらしい。
「おいゼント。2分でおめぇっをぶっ倒してやるからよ」
俺はゲルドンの言葉を無視した。この男には、いろんな思いが詰まり過ぎている──。
◇ ◇ ◇
カーン
試合開始のゴングが鳴った。鳴ってしまった。あっけなく、何事もなかったのように。
「てめーをぶっとばす!」
ゲルドンは走り込んで、パンチを打ってきた。
ブン
右フック! 俺はすぐに避けたが、もの凄い風圧だ。
ゲルドンの左ストレート!
ブアッ
耳もとでパンチがかすめる。これまたものすごい風圧だ。
まともにくらったら、吹っ飛ぶぞ……!
これ、人間の力なのか? それとも大勇者の実力なのか?
「おい、ゲルドン、悪魔と契約なんか、してないよな?」
俺は挑発するつもりで、言った。するとゲルドンはなぜかピクリと俺をにらんだが──。
「うるせええええーっ!」
ゲルドンは俺の胸のあたりに向かって、タックルに来た。
ガスゥッ
俺はそれを受け止める。
グググ……!
ゲルドンは俺に抱きつき、倒そうとしている。俺はそれをこらえる。
「てめえ……倒れろよ……!」
ゲルドンは声を上げた。
「倒れるのは、お前だ!」
俺は叫んだ。
ガスッ
俺はゲルドンのアゴに肘をくらわせた。そしてすかさず、ゲルドンの足を引っかけようとした。
しかし、ゲルドンもこらえる。
ゲルドンは重量級、俺は軽量級。かなりの体格差だ。
しかし、俺は何とかこらえている。
ガスッ
ゴスッ
ゲスッ
組つきながら、ゲルドンのボディーブロー。一方の俺は膝蹴りを返す。お互いに5、6発は組み合いながらの打撃を出し合っただろうか。
ゲルドンは両肘に青いサポーターをしている。怪我をしているのか? 肘を攻撃にうまく使うのか?
俺は組み合いながら考えていた。
じりじりとした、立ったままの組み合い、こらえ合いが続く。
「ゼントも体重差があるのに、こらえてるぜ」
「ゲルドンもさすが大勇者だけあって、一応根性あるな」
「おい、どうでもいいけど、さっさとどっちか、倒せよ!」
観客はざわつき始めている。
「だああっ!」
先に動いたのはゲルドンだった。
強引に俺を横に投げた。
俺はバランスを崩し、リングに膝をついた。
「もらったぜ!」
ゲルドンが俺に対して、馬乗り状態をしかけた──が──。
(ここだ! 3、2、1……)
くるり
勢いで一回転し、逆に俺が馬乗りの体勢になった!
ウウオオオオッ……。
観客が騒ぎ出す。
「な、なんだと」
ゲルドンが声を上げる。
俺は、ゲルドンが勢いをつけて、格闘技における最も有利な体勢──馬乗り状態を狙ってくると予想していた。
その勢いを利用して、逆に馬乗り状態にさせてもらった、というわけだ。
ガスウッ
俺はすぐに、ゲルドンを上から殴った。
「あぐ」
ゲルドンが声を上げる。
ゴスッ
もう一発!
「のやろおおおっ!」
ゲルドンは暴れ、馬乗り状態の俺から、逃げ出した。
悪いな、それも想定内だ!
俺は座って背中を向けているゲルドンの首に、右腕を巻きつけた。
チョークスリーパー! つまり腕による首絞め──頸動脈を締める技だ!
ぐぐぐぐぐ……。
これが決まれば……ゲルドンは「まいった」するはずだが……!
しかし、ゲルドンは力によって、俺の腕を外し、逃げ出した!
くっ! やはりゲルドンの力が強い……!
俺たちは立ったまま、またにらみ合った。
「う、うおおおっ……」
「ゼント、やるじゃねえか?」
「ゲルドンもさすが、大勇者だぜ」
観客たちのため息が聞こえる。
「てめぇ……なんでそんなに強くなったんだ……!」
ゲルドンはそう言いつつ、右アッパー! しかし、俺はそれをかわす。
ゲルドンはあわてている!
(ここだ!)
俺はグッと体重をかけ、ゲルドンの頬めがけ、左ジャブ!
そして、渾身の右ストレート!
「ガフッ」
そして、のけぞったゲルドンのアゴめがけて──。
手の平の下部を利用した、俺独自の打撃法である──右掌底!
グワシイッ
「ぐへ」
ゲルドンは見事に、俺の掌底を受け、片膝をついた。
ウオオオオオオオオーッ
観客席が騒然となる。
「大勇者のダウンだ! や、やりやがったああああーっ!」
「ゼント、すげええええーっ!」
「大勇者、やべえぞ! どうなる? どうなる?」
『ダウンカウント! 1…………2…………3……!』
ゲルドンはふらつきながらも体を起こし、リングに張りめぐらされたロープを利用して、立ち上がろうとした。
しかし、足元がおぼつかない。アゴへの打撃が効いているのだ。
『4…………5…………6…………7!』
し、しかし、何て遅いダウンカウントだ! 審判団め、ゲルドンの味方なのか?
「フフフッ、助かったぜ。カウントが遅いからよ」
ゲルドンはそう言って、中腰になって、両膝に手をつき──。勢いをつけて、立って構えた!
「立ったぞお! どうだ、立ったぞ!」
ゲルドンは叫んで、審判団にアピールした。審判団も納得して、カウントをやめた。俺は、嫌な予感がしていた。
審判団は……ゲルドンの味方だ!
「おおおおーっ! やっぱり立ったぜ」
「おい、何かダウンカウントが遅くなかったか?」
「ああ……変なカウントだったが、さすが大勇者」
観客たちはざわつきながらも、声を上げる。
「俺を怒らせちまったようだな」
大勇者ゲルドンはニヤリと笑った。
「うっ……?」
俺は目を丸くした。
何と、ゲルドンの体から、闇色のもやのようなものが発生している。
な、何だ? これは?
蜃気楼──? いや、これが「オーラ」「闘気」ってヤツなのか?
それにしては、何て禍々しいんだ! 不気味なんだ!
「こうなるとヤベえぞ」
ゲルドンはクスクス不気味に笑った。