俺はミランダさんの魔法で、エルサの過去──17年前の出来事を半透明の体で見ている。
モンスター討伐が終わった後、フェリシアを妻にしているゲルドンは、あろうことか、エルサに不倫関係になることを持ちかけた──。
ゲルドンとエルサ、そして新しいパーティーメンバーの銀髪の少年(名前不明)は、モンスターを討伐した。
その後、中央地区のギルドへ向かった。グランバーン王国最大のギルドだ。
「おい、バルーゼ、ワーウルフとビッグマウスを討伐したぜ」
ゲルドンはギルドに着くと、さっそくギルドマスターのバルーゼ氏に言った。ゲルドンの頬は、エルサにぶたれて赤くなっている。
「ほぉー! あの難敵、ワーウルフとビッグマウスをですか? さすがですね!」
ギルドのマスター、バルーゼはもみ手をしながら大げさに言った。ふん、大勇者のゲルドンに頭が上がらないってのか。
するとゲルドンはニヤニヤ笑いながら、後ろのエルサを指差し、バルーゼに言った。
「それでだな。このエルサが、一身上の都合で、ギルドをやめたいんだとよ」
「な、何?」
エルサは後ろから、驚いたように声を上げた。
「あたしがギルドをやめたい? ゲルドン、何を言ってるんだ? あたしはそんなことを希望した覚えはない!」
「──バルーゼ、命令だ。さっさとエルサのギルドの登録を抹消してくれ」
若きゲルドンはエルサの訴えを無視して、冷たくバルーゼに言った。バルーゼは困惑した表情で、ゲルドンとエルサを交互に見ている。
お、おい、ゲルドン。お前、何を言っているんだ? 意味分からんぞ。
一方、クスクス笑っているのは、銀髪少年だ。一体、こいつは誰なんだ?
「おい! 何を血迷ったことを言っているんだ、ゲルドン!」
エルサは声を上げた。
「ギルドの登録がなければ、あたしはどうやって生活すればいいんだ! 今まで剣士一本でやってきたんだぞ。バルーゼ、ゲルドンの言っていることは無視してくれ!」
すると、ゲルドンは何と暴力的なことか、エルサの胸ぐらをつかみ上げた。
「じゃあ、エルサ──。俺とのさっきの約束、受け入れてくれるよな。受け入れなきゃ、娼婦にでもなって、体で稼ぐんだな」
ドガッ
「うっ……」
エルサは床に放り投げられた。
そうか! ゲルドンは再び、エルサに自分と不倫関係になることを持ちかけている。それを受け入れろ、と暗に迫っているのだ。
周囲の人々は、驚いてゲルドンたちの方を見ている。
この世の人間は、皆、ギルドに加入している。そこから職業を手に入れるのだ。ギルドをやめるとなると、まともな仕事につくことは不可能だ。
つまり──ギルドから登録抹消されれば、この世でまともに生きていくことは不可能。
一度、登録抹消されれば、三年間は再登録できない。
「な、なんだ、何かトラブルか?」
「いやまて、ありゃ、勇者のゲルドンじゃねえのか?」
「お、本当だ。グランバーンの大スターじゃねえか。何のさわぎだ」
ギルドにいた人々は、噂をし始めた。
「ゲルドン様、もうそれくらいで」
謎のもう一人のパーティーメンバー、銀髪の少年は笑いながら言った。
「いや、しかしだな、セバスチャン」
ゲルドンは床に投げつけられたエルサを、にらみつけながら言った。セバスチャン? 誰だ?
「皆が見ていますから、ここのところはおさめて」
銀髪少年──セバスチャンは静かにアドバイスした。ゲルドンはハッとして、あわてて周囲の人たちに言った。
「お、おお! さわがしくして悪かったな。別に何でもねぇよ。ちょっとした、金のトラブルさ」
ゲルドンはエルサを見やりながら言った。金のトラブル? 大ウソだ。
ゲルドンは、しゃがみ込み、静かに言った。
「エルサ──。お前とフェリシアは親友だったな。だけど関係ねえよ。エルサ、お前が俺様を受け入れたら、今後、いい生活をさせてやるぜえ?」
ゲルドン……まるで悪魔のような顔だ。
パシイッ
エルサはまた、ゲルドンの右頬を平手で叩いた。
「断る! 幼なじみの──親友のフェリシアを裏切れない!」
「……強情な女だ」
ゲルドンは右頬をさすりながら舌打ちし、セバスチャンとともに、外に出ていった。
(後は……現実の世界で話す。戻ろう)
現在のエルサの声が、俺の耳元で響く。
俺は──冷や汗をかいていた。何でこんなことになっているんだ?
俺がハッと気づくと、そこはルーゼリック村の「ミランダ武闘家養成所」の一室だった。
ミランダさんの部屋の中だ。
エルサは車椅子にうつむいて座っている。一方、ミランダさんは水晶球の前で、物思いにふけっている。
そして俺は、エルサたちの前に立って──呆然としている。
俺は、ミランダさんの魔法から抜け出し、過去の世界から現在の世界に戻ってきたのだ。
「あたしは結局、ゲルドンとの不倫関係を受け入れてしまった」
俺はエルサの言葉を聞いて、息を飲んだ。
「お、おい、そうなのか? マジなのか……それ」
「ギルドもスキャンダルが広まるのを怖れて、あたしをギルドから登録抹消した。大勇者ゲルドンの命令、ということもあったらしいが」
「そ、それで?」
「ゲルドンとの関係は1年間で終わり。ヤツは他に愛人を作って、あたしは捨てられた。ギルドという生活の糧を失ってね。女剣士は引退して、今に至るって……わけさ」
ゲルドン……なんてクズ野郎なんだ?
その時!
「キエエエーッ!」
シュバッ
いきなりだ。俺の頭の上を、誰かの「上段蹴り」が通過していった。この気配は!
俺が振り向き、身構えると、そこには例のエルフ族の武闘家、ローフェンが笑って立っていた。
な、何で、ミランダさんの部屋の中にいるんだよ? こいつ!
「たああーっ!」
バッ
今度はローフェンの右ストレートパンチだ。俺は素早くそれを避け、ローフェンの手首をつかむ。
グググ……。俺は力を込めるが、ローフェンも力が結構強い!
「もっと続けてちょうだい」
ミランダさんは、興味深そうに、俺たちの闘いを見ている。
あ、あの~……止めてくださいよ!
ローフェンは動こうとする。俺は彼が動くのを阻止する。力比べだ!
「チイッ!」
ローフェンは、バッと俺の手を引きはがした。
「お、お前……いつの間に入ってきたんだよ!」
俺があわててローフェンに聞くと、彼はのんきにぴゅーと口笛を吹いた。
「俺も、『ミランダ武闘家養成所』の選手だ。だから、この養成所には出入りしてるんだよ。ちなみに、ミランダ先生は俺の師匠だ!」
「お前……いきなり攻撃することないだろうが!」
「フフッ……お前を試したのさ。ミランダ先生、エルサ、こいつの実力はかなりのものだぜ」
ローフェンの言葉に、ミランダとエルサはうなずいた。
「そうね、ゼント君は素晴らしい実力を持っているようね……フフッ」
ミランダさんはアゴの下で手を組み、楽しそうに俺を見ている。何か嫌な予感が……。
そ、それに、このミランダさんって……。
なぜか、「この人には、絶対に逆らえない」って気持ちになるんだけど!
エルサは俺に言った。
「頼む、ゼント。ゲルドンと勝負してくれ」
「ええっ?」
「ゲルドンに勝って、自分がしたことの反省をさせるんだ。幼なじみとして──」
あ、あの大勇者ゲルドンと勝負? 確かに昔の仲間が、幼なじみが、こんなひどい目にあったんだ。何とかしてやりたい。
ゲルドンをこらしめてやりたい。だが、どうやって?
「今度、『ゲルドン杯格闘トーナメント』という大会が開かれる」
エルサは言った。
「それに出て優勝すれば、ゲルドンと闘う挑戦権が得られるはずだ」
「あ、あいつ、そんなトーナメントを開催しているのか? だがエルサ、お前、お、俺がそのトーナメントで優勝できるっていうのかよ?」
「できるさ」
エルサは断言した。
い、いや、なんで断言できるんだよ。
しかし、俺はハッとした。
──そうだ、俺は強くなっていたんだ。アシュリーの叔父を倒し、マール村の不良を、二人いっぺんに倒した。
(そうだろう?)
という風に、エルサはニコッと笑った。
そういえば、俺がゲルドンのパーティーを追放された時、エルサは言ってたっけ。
『ゼントはすごい武闘家としての才能があるって言ってんの。素手の闘いの才能があるはずだ。あたしはよく分かってるよ』
そんなことを言ってたっけな……。俺はエルサを見つめた。エルサは笑っている。
でも、俺は自分の実力が、自分でもよく分からない。未知数なのだ。
「ゲルドン杯格闘トーナメントには、俺も出るぜ!」
ローフェンが笑いながら言うと、ミランダさんもクスッと笑った。
「ゼント君、トーナメント前に、いい練習相手が見つかったわね」
おいおいおい、俺、本当にゲルドン主催のトーナメント大会に出ることになっちゃったのか?
ローフェンはニヤニヤ笑っている。
……だ、大丈夫かぁ?
ゼントがルーゼリック村で、エルフ族と生活し、武闘家修業を始めて1ヶ月が経った頃──。
その頃大勇者ゲルドンは──。毎晩毎晩、飲み歩いていた!
連れは、ゲルドンのパーティーメンバー、一番弟子ともいえる、武闘家のクオリファ・ダルゼムだ。
ゲルドンは妻──フェリシアがいるというのに、道で女性をナンパして歩いた。
ドガッ
その時、ゲルドンはいかつい男と、肩がぶつかった。
男はチンピラの類だろう。男はゲルドンにすごんだ。
「おい……肩がぶつかったぞ」
「は? 知らねえよ」
ゲルドンはニヤニヤ笑って、言った。
「てめえ! 謝らねえのか!」
いかつい男は逆上して、ゲルドンに襲い掛かった。
グワシッ
しかし、ゲルドンは男の額に、頭突きをくらわしていた。いかつい男は、クラリとよろける。
そこを──。
ガスウッ
ゲルドンの右ストレートパンチ。男の頬をとらえる。
そして、得意の前蹴りだ。いかつい男は、路上を二メートル吹っ飛んだ。
「ひ、ひい~!」
いかつい男は、フラフラと立ち上がり、逃げ去っていった。男はおそらく街のチンピラだろうが、格闘技の素人だ。数々の戦闘をこなしてきた、ゲルドンの敵ではない。
「さ~すがッスね!」
横にいた弟子のクオリファは、ゲルドンに向かって拍手した。
◇ ◇ ◇
女たちと遊び、彼女たちと別れたゲルドンは、行きつけの酒場に移動。座った席でゲラゲラ笑いながら、クオリファにこう言った。
「『ゲルドン杯格闘トーナメント』のことだけどよ。まあ、息子のゼボールが優勝するのは、決定なんだよ」
「え? そ、それ、八百長ってことッスか?」
「そうだよ、何がおかしい? これは興行だぞ。商売だ」
主催者のゲルドンは平然と言った。
「クオリファ、お前の第一試合はまあ、真剣勝負でやってみるか? でも、一番弱そうなヤツを当ててやるがな」
クオリファは驚いていた。この人、大勇者だろ? 八百長なんて、弟子の俺にやらせるのか? 国民にこれがバレたら……。
い、いや、何か深い考えがおありなのだ。な、なにしろ大勇者だしな……。
すると──。
「おー、ここだここだ」
ゲルドンの後ろで声がした。
「あれ? 人が座ってら。俺が予約した席だろうが」
ゲルドンが振り向くと、そこには小柄な男が一人、立っていた。小柄なホビット族だ。身長は153センチくらいか。
「おい、どいてくれ。そこ、俺が予約した席だからさ」
ホビット族の男は、ゲルドンに言った。
酔っ払ったゲルドンは、ホビット族の男をにらみつけた。
「何だ、お前?」
「俺か? 俺はホビット族の武闘家、リンゲル・ドルバース。はやくどいてくれ。俺はこの席を予約してたんだ。演奏を聴く一番良い席なんだよ」
ガシャン!
ゲルドンはムカッ腹をたてて、酒のコップを地面に叩きつけた。
「バカが! 『どいてくれ』だって? アホか? 俺を誰だと思ってるんだ?」
「知らねえな。いいから、席、かわってくれや」
「ああ? 俺に勝負で勝てたらな」
「俺とか? 俺は小柄だが、結構ケンカ強いよ。俺は去年の王立格闘トーナメントの五位。おととしは四位だぞ」
小柄なドルバースは、ゲルドンを見て言った。
バシャッ
するとゲルドンは、ドルバースに酔い覚ましの水をぶっかけた。
「……やる気だな? おい」
ドルバースはそう言いつつ、頭がびしょぬれになりながらも、一歩前に進み出ていた。
ドガッ
ドルバースはいきなり──座ったゲルドンのアゴに肘打ちをくらわせた。153センチの超小柄ながらも、見事なタイミングで入った肘打ちだった。
身長183センチ、体重83キロ前後あるゲルドンは、クラリと床に膝をついた。
「ぐぐ……この野郎」
そして、ドルバースを見上げてにらんだ。
闘い──ケンカが始まろうとしていた。
大勇者ゲルドンは酒場で、ホビット族のドルバースにケンカを売った。
そして──ホビット族のドルバースは、大勇者ゲルドンに肘打ちをくらわせた。
ゲルドンは、痛めたアゴをさすりながら立ち上がり──。
「ホビット……いい度胸だ。地上の果てまでぶっとばしてやる。チビ野郎」
とつぶやき、両手をギチリと構えた。戦闘態勢──素手の勝負だ。
超小柄なホビット族と大勇者ゲルドンのストリートファイト──。
見ものだ!
酒場の野次馬たちは息を飲んで、二人の対決を見守った。クオリファは心配そうだったが……。
ドルバースの頭の上で、ゲルドンの右拳──右フックは空を切る。
その瞬間、ドルバースは一歩前に出て、その小柄な体格を利用し、ゲルドンのふところに踏み込んだ。
ドガッ
「ぐへ」
ドルバースの左ボディパンチは、ゲルドンの腹に叩き込まれていた。
見事に急所をとらえており、ゲルドンの体は丸まって、前傾姿勢となった。
ここで!
グワシッ
ドルバースは素早く、またしても得意の肘打ちを、ゲルドンの頬に叩き込んだのだ。
前傾姿勢だったゲルドンに、見事な攻撃だった。
「うおおおっ!」
「す、すげえ、あのチビ!」
「ホビットの野郎、ケンカ慣れしてやがるぜ!」
ゲルドンは目を血走らせ、倒れず踏んばった。さすが大勇者。ドルバースの体重が軽かったということもあって、肘打ち攻撃に威力が少なかったという事実もあった。
「あ、ぐ、ち、ちくしょう」
ゲルドンはそんな声を上げる。
「冷静にやらねえと──」
ゲルドンの顔色が変わった。キュッと両手を構える。これはゲルドンが本気で、戦闘態勢に入ったことを示していた。
ガスッ
ゲルドンの左の軽いパンチ──左ジャブだ!
いきなりの素早い攻撃に、ドルバースは反応できなかった。ドルバースのアゴを軽くとらえた。またもう一発ジャブ、今度は頬。そして最後にゲルドンは──。
ガッ
ゲルドンの下段回し蹴り! ローキックだ!
ドルバースは腿を蹴られて、ひっくり返った。
「おお!」
「すげえ」
「さすが大勇者様だぜ!」
野次馬たちが声を上げる。
「くっ!」
ドルバースはひっくり返った時、背中を打った。しかし、すぐに横に転がり、立ち上がる。
「へへへ……」
ゲルドンはニタリと笑った。
「フフッ、冷静になれば、ざっとこんなもんさ」
「そうかな?」
立ち上がったドルバースはぴょんぴょん、とその場をジャンプしてみせる。
「効いてねえんだよ、大勇者さんよ! ジャブも下段蹴りも、すべて急所を外したぜ?」
ドルバースの言葉に、ゲルドンは冷や汗をかいた。そ、そんなバカな? 効いていないだと?
ドルバースは続ける。
「てめーの攻撃が遅ぇから、ポイントを外すことができるんだ。なんだお前、本当に大勇者のゲルドンなのか? ニセモノなんじゃねーの?」
しかしだ。ドルバースは実は、ゲルドンの攻撃は効いていた。ケンカ慣れしたドルバースは、このようなハッタリ発言もお得意だった。
しかし、今のゲルドンにはその演技を見抜く余裕はなかった──。
ゲルドンは顔を真っ赤にした。
俺は正真正銘の、本物の勇者だ!
「俺は、負けるわけには、いかねえんだ! てめーを潰す!」
ゲルドンは何と、横の席の鉄製ビールジョッキを手に、ドルバースに殴りかかった。
「う、うおっ……」
ドルバースはさすがにあわてた。しかし、ゲルドンも焦っており、動きが雑だ。ドルバースは無事、その凶器攻撃をかわすことができた。
ゲルドンは声を上げた。
「う、そ、だ、ろ」
「ふう──。危ねえな。うそだろ、じゃねえよ」
ドルバースはため息をついた。
「そのビールジョッキは重いぞ。そんな遅く鈍い攻撃が効くと思ったか? 武闘家にそんなチンケな反則攻撃が効くかよ、大勇者さん」
ゲルドンは再び冷や汗をかいていた。
野次馬はクスクス笑っている。何としても勝たないと……どうする?
ゲルドンはジロリとクオリファを見た。
「お前の出番だ」
ゲルドンはクオリファに言った。
「うっす……」
クオリファは静かに言った。クオリファも、自分の師匠、そして尊敬する大勇者をコケにされて、我慢がならなかった。
「っしゃあっ!」
ドガッ
クオリファはいきなり、ドルバースに向かって横蹴りを胸部に見舞った。
ドルバースは3メートルふっとび、酒場の壁に激突した。
ケンカはまだ続く──。
酒場での大喧嘩──。
ゲルドンのパーティーメンバーであり、一番弟子のクオリファは、ドルバースに向かって横蹴りを見舞った。
ドルバースは、酒場の壁に激突!
「ぐ、や、やるじゃねえか……」
ドルバースは、胸をおさえながら言った。頭は壁に打っていない。大丈夫だ。
クオリファは笑って、拳の骨をポキポキならしている。
「いやぁ、さっきからこのホビット、ムカついてたんスよね。俺の先生が本気出してないからって、色々してくれちゃってさ」
するとホビット族のドルバースはクスクスと笑った。
「この大勇者が、本気を出してないって? ケンカに負けちゃおしまいだろ?」
「……ああ。ケンカに負けちゃおしまいだよなあ。クオリファ、代わってくれや……と、その前に!」
ガッ
ゲルドンはいきなり、ドルバースに掴みかかった。
「おっ、お前! 弟子に代わるんじゃなかったのか」
ドルバースは油断していた。そして、床に倒され、馬乗りの状態になった。この状態は、ケンカでいえば、「超危険」を示す。
つまり、ゲルドンが有利の体勢なのだ。ここから上からのパンチの雨あられに移行できるからだ。
「くっ、汚ねえヤツらだ!」
ドルバースはあわてて逃げ出そうと、馬乗りの状態から、もがいて逃げようとした。
「くっ!」
ゲルドンはクオリファに目で合図する。するとクオリファは、何と──。
ドガッ
横から、ゲルドンに馬乗りされているドルバースの腕を蹴っ飛ばしたのだ!
「う、が!」
ガスッ
クオリファは、もう一発、腕を蹴る! ドルバースは、苦痛に顔をゆがめる。
なんだ、何が起こっているんだ? 野次馬たちは、この状況を呆然と見ていた。
2対1……! 大勇者ゲルドンとクオリファが、一方的にホビット族のドルバースを叩きのめそうとしている。2人がかりで、1人を……!
なんなんだ、これは?
「一方的な暴力じゃないか」
野次馬の誰かが言った。その通りだった。
野次馬たちは困惑していた。これは2対1の構図だ。これはケンカじゃない。一方的な暴力になりつつある。
そして、クオリファは隙あらば、上から蹴りを落とそうとしている。
一方、ゲルドンといえば、ドルバースの上からパンチをガシガシ当てにいった。ドルバースは肘や腕で、ゲルドンの馬乗りパンチを必死に防いでいる。しかし──。
ガスッ
ガスッ
ゲスッ
「う、うおおっ……」
「やべえ」
野次馬たちは声を上げる。
ドルバースは腕を使い、ゲルドンの強引な──力任せな馬乗りパンチを防いでいた。しかし、やがて頬や額にパンチが当たりだした。
ドルバースは防御するための腕を負傷したらしく、もう防戦一方だ。逃げるスタミナも、もう残ってなさそうだった。
ドルバースは小さく言った。
「う、ま、まい……っ」
「あ? 聞こえねーよ!」
「う、ま、まいった、ゆ、ゆるしてくれ」
ドルバースはあわてて、懇願した。
おおおおっ!
野次馬たちは声を上げる。しかし、何だかスッキリしないケンカだ。勝負というよりは、何か嫌なものを見せつけられたような──。
ゲルドンは弟子の力を借りた。2人で、あの小柄なホビットを叩きのめしたのだ……。
「負けを認めたな。それでいいんだよ、クソ野郎」
大勇者ゲルドンはニヤッと笑って、馬乗り体勢から立ち上がった。
そして、弟子のクオリファとハイタッチだ。
「俺ら、最強だな!」
「そうっスね!」
「ケンカは、勝たなきゃダメなんだよな!」
「その通りッス!」
ゲルドンとクオリファは満足顔だ。しかし、野次馬たちの目は冷たい。
ドルバースは、酒場の店員の手で、すぐに近くの診療所にかつぎこまれた。さっきのクオリファの蹴りで、腕が折れたらしい。
「きたねえよ……二人がかりで……」
「なんなんだ、あの大勇者とあの弟子は」
「大勇者ってあんなヤツなのか?」
野次馬たちは眉をひそめて、ゲルドンを見やった。それを聞いたゲルドンは、「うるせえんだよ!」と怒鳴った。
「ケンカは勝ちゃいいんだろうが! ハハハ! 記念に祝杯だ! クオリファ、ビールをもってこい!」
「わかりましたっ!」
野次馬たちは、悪びれず勝手に祝杯をあげているゲルドンたちを、冷ややかな目で見やっていた。
ルーゼリック村のある日の朝──。
俺、ゼント・ラージェントがこの村にやってきてから、2ヶ月が経った。
今日は、「ゲルドン杯格闘トーナメント」に出場するため、旅立つ日だ!
場所は、グランバーン王国の中央都市ライザーン!
この2ヶ月間、ルーゼリック村のエルフの武闘家たちと修業をした。
おかげで俺はかなり痩せた。16歳の時と同じ体重──だいたい55キロくらいになった。
俺は、村の広場で美しい村の風景を見ていた。
「隙ありだ! ゼント!」
ビュオッ
すさまじい勢いの蹴りが、横から飛んできた。
危ねえっ!
俺は素早くかわした。
俺の頭上で、空気を切り裂くような蹴りの音が聞こえた。
俺はすぐに構え、周囲を見回した。左の方にローフェンが笑って立っている。
こいつの奇襲攻撃は、もう慣れっこだ。大迷惑だがな。
「あらよっ」
オルファンの横蹴りの連続攻撃だ。俺は手でそれを下段払いし、素早く──。
シュッ
左ストレート! パンチだ!
ローフェンの鼻先で、止めてやった──つもりだった。しかし、ローフェンも手の平で、俺のパンチを受けていた。
ちぇっ、見事な防御だ!
「やるねえ~」
ニヤリ、とエルフ族の武闘家、ローフェンが笑った。
長身、イケメン。蹴り技が得意、女にモテる。
俺とは正反対の男だ。
俺は文句を言った。
「お前の奇襲攻撃、慣れてきたがな。あいからわらず、汚ねえぞ!」
ローフェンは汗をぬぐいながら、口笛を吹いた。
「ゲルドン杯格闘トーナメントは、スポーツじゃねえ。闘いだ。よそ見して蹴られてKOされても、言い訳にはならねえぞ」
「そ、そりゃそうだがな」
「だが、俺の顔をカウンターでとらえるとは、なかなかだ。まあ、俺の方がちょっとだけ反応が素早かったけどよ」
まったく……ローフェンのヤツは負けず嫌いだ。
「た、大変です!」
アシュリーが俺の方に駆け寄ってきた。
「ゲルドン杯格闘トーナメントのことなんですけど……。ゼントさん、参加条件を見てください!」
「ん?」
俺は一枚のチラシを、アシュリーに手渡された。
ゲルドン杯格闘トーナメントの、関係者用チラシだ。
アシュリーによれば、今日、「ミランダ武闘家養成所」に配送されてきたらしい。
『ゲルドン杯格闘トーナメント開催! 来たれ、武闘家! 強者どもよ!
開催年月 デルガ歴202年11月2日
参加資格
・グランバーン王国武闘家協会に容認された、武闘家養成所に所属する者
・各武闘家養成所の責任者に推薦、出場を許可された者
・参加費用 一名200万ルピー』
(ううっ……!)
こ、この参加費用は!
「参加費用、一人200万ルピーだって! 高すぎます!」
アシュリーが心配そうな顔で、俺を見る。2、200万? 高額すぎる!
くそ、ゲルドンのヤツ、そんなに金が必要なのか?
「しかし……マジか」
えーっと、この間、古書を売ったっけな。あれって100万ルピーで売れて……。
で、旅費、この村の生活費で、半分以上は使ってしまった。
残り40万ルピー?
全然足りない!
「ダメだ。40万ルピーしかないぞ。参加は……ムリか?」
俺がつぶやくように言うと、アシュリーは泣きそうになりながら言った。
「そんな! ゼントさん、このルーゼリック村で、2ヶ月、練習を頑張ってきたのに……」
「うーん……俺は『ミランダ武闘家養成所』に所属している」
ローフェンが腕組みしつつ言った。
「俺の死んだ親父は商売人で、150万ルピーくらいは貯金があるはずだ。俺も貯金が50万はある。だから俺の場合は何とか200万くらい払えるけどよ」
「じ、自慢するなよ」
「そういやゼントはどこにも所属していないんだよな? どうすんだ?」
「どうするって……どうしようもねえぞ。200万ルピーなんて金もない……」
俺が腕組みしながら言うと、後ろから声がした。
「なーに、あきらめてんのっ」
後ろを振り向くと、杖をついた若い女性が立っていた。
エルサだ。
ミランダさんも横に立っている。
「ゼント君、何も心配しなくていいわよ。今日からあなたは『ミランダ武闘家養成所』所属の武闘家です」
「え?」
「そして私が、あなたの分──200万ルピーを払わせてもらいます」
「ま、まさか!」
俺は声を上げた。
「そんな、200万ルピーなんて大金、ミランダさんに払わせることはできませんよ。練習場所も、寝床も用意してくださっているのに、そこまで……」
「ゼント君、エルサをごらんなさい」
エルサは杖をついて立っている。2ヶ月前までは、車椅子だったはずだ。
俺が来てから、なぜか少しずつ、車椅子を使わなくなり、自分で立てるようになってしまった。
「あなたが来てから、エルサも負けじと、元気になるよう努力したのよ」
「ちょ、ちょっと! ……ミランダさん、恥ずかしいからやめてよ!」
エルサは顔を真っ赤にしつつ言った。
「まあ……でも、ミランダさんの言うことは本当だよ。ゼント、君が来てから、私は元気になった。だって、20年引きこもりだったヤツが、格闘トーナメントに出ようとしてるんだからさ。負けらんないじゃん……」
「それに、ゼントさんは、私のことも、叔父から助けてくれました」
アシュリーが笑顔で言うと、ミランダは大きくうなずいた。
「ゼント君、あなたは人助けをしたのよ。私の大切な人をこんなに助けている」
「お、俺は、人を助けようなんて、思ってなかったです……」
「結果的にそうなったのよ。200万ルピー? 私にとってはたいしたお金じゃないわ。大金だけど、君が何と言おうと、ゲルドン側に払うから」
「ミ、ミランダさん!」
「あなたは、『ミランダ武闘家養成所』所属──ゼント・ラージェント。これからは、私たちの仲間よ。いえ──家族よ!」
家族! 俺が……ミランダさんたちの家族!
俺は……俺は叔父、叔母が死んでから、ずっと家族というものがなかった。
でも、ミランダさんは、俺を家族だと言ってくれた。
俺は──胸に熱いものを感じた。涙が流れてしかたなかった。
「分かりました。お金の件はミランダさんに、すべておまかせします」
俺はうなずくと、ミランダさんは笑顔を返してくれた。
するとローフェンは、村に設置された大時計を見て言った。
「おっと、さあ、もう出発しねえとな。トーナメントの登録に間に合わねえぞ。馬車を用意してる。とっとと行こうぜ」
俺は、心の病に苦しんでいるエルサの仇をうつため、ゲルドン杯格闘トーナメントに出場するのだ。
優勝すれば、エルサを傷つけた大勇者ゲルドンと闘うことができるはずだ。
さあ、村の外の馬車に乗ろう。出場登録期限は、あと4日だ。
「あたしも、アシュリーも行くよ」
すると、エルサが言った。
俺は、エルサを見て目を丸くした。
「エ、エルサ。お前、外を歩いて大丈夫なのか?」
「ああ。大丈夫だ。あたしも、あんたたちに付いていく!」
エルサは胸を張って言った。
しかし、エルサは杖をついている。しかもまだ痩せている……。
うーん……。俺がまだ心配していると、アシュリーが言った。
「中央都市に着いたら、私が、ママを支えます! ゼントさんは試合に集中してくだされば良いんです」
「エルサも前向きになったってことさ」
ローフェンが俺の肩に手をかけて言った。
「さ、出発するぜ!」
ローフェンが御者をして、馬車は出発することになった。客車には、俺とミランダさん、アシュリー、そしてエルサが乗り込む。
これから、ゲルドン杯格闘トーナメントの会場がある、中央都市ライザーンに向かう!
俺──ゼント、ミランダさん、ローフェン、エルサ、アシュリーの五人は、馬車でグランバーン王国の中央都市ライザーンにやってきた。
ゲルドン杯格闘トーナメントが開催されるスタジアムがある。
俺とローフェンはすぐに、スタジアムの受付で出場登録を済ませた。
ミランダさんは、本当に参加費用の200万円を払ってくれたようだ。
「トーナメントは明日からか。間に合ったな」
俺はため息をついて、スタジアムの屋内ロビーに座った。ローフェンといえば、どうやら街にナンパしに行ったらしい。
すると、奥の廊下から、誰かがやってくる。
(あっ……!)
身長180センチ以上、体重80キロ以上の堂々とした体格の男だった。そしてきらびやかなオーラ。周囲の人間は、彼にお辞儀をしている。
すべてが俺と大違いの男だった。
「ゲルドン……!」
俺はつぶやいた。彼こそ、20年ぶりに会う、大勇者ゲルドンだった。20年経っていても、そんなに顔は変わっていない。
俺に暴力をふるい、俺をパーティーから追放した男。エルサの人生をメチャクチャにした男……だ!
俺は立ち上がり、ゲルドンを見やった。
ゲルドンは廊下の奥の会議室に行くようだったが、ちらりと俺の方を見た。
「……ん?」
ゲルドンは、俺を不思議そうな顔で見た。足を止め、あごに手をあてて、まじまじと俺の顔を見た。
「……誰だ? お前? 俺に会ったことがあるのか?」
「……ある」
「はて? 何なんだ? お前は」
「ゼントだ」
「……は?」
「ゼント・ラージェントだ。お前が自分のパーティーから追放した、ゼント・ラージェントだ!」
「……おいおいおい、ウッソだろ、おい」
ゲルドンは半笑いで、俺の顔をしげしげと見た。
「お、お前、本当にゼントか? いや、確かに面影がある」
「あ、ああ、そうだ。本当にゼントだ。会うのは20年ぶりくらいだな」
「……あの時は俺もお前も16歳だったな。……ん? で、お前、このスタジアムに何の用だ?」
「お、お前と闘うために、ここに来たんだよ」
俺は、緊張を隠しながら、精一杯言った。
「……はあ?」
ゲルドンは額を指でこすって笑い、俺をまた見た。周囲の人間がさわがしくなった。
野次馬の人だかりができた。大勇者のゲルドンが、俺のような一般人と話しているから、珍しいんだろう。
すると、ゲルドンの弟子、クオリファが前に出ようとした。しかし、ゲルドンはそれを押しとどめた。
「クオリファ、待て」
ゲルドンは俺の方を見た。
「俺と、闘う? ゼント、何言ってるんだ? 20年経って、頭がおかしくなったのか?」
「お、お前のおかげで、俺の人生はメチャクチャになった」
俺は緊張しながらも、勇気を出して言った。
「……いや、俺の人生がメチャクチャになったのは、俺自身の責任だろう。だが、俺はお前を殴り倒さなければ気が済まなくなった」
「俺様を……この大勇者ゲルドンを、殴り倒す……」
「そうだ」
「ハハハ!」
ゲルドンは、両手でパシパシ叩いて、笑った。野次馬たちは、俺を見て眉をひそめている。皆、大勇者ゲルドンのファンだ。
「なんだ、あいつ。偉大なゲルドン相手に、どういった口を利いてんだ?」
「ゼント? 知らねえ名前だなあ」
「何、大勇者のゲルドンにケンカを売ってるの? 信じられないヤツだな」
野次馬たちはうわさしているが、ゲルドンは構わず言った。
「ガハハハ! 何だって? 俺様を殴り倒すって? ゼント、お前がか? あの弱っちかったお前が、俺を? 何の冗談だ?」
「冗談で言わないよ」
俺はまたしても勇気を振り絞って言った。
「本当に、俺はお前に挑戦する」
「おいおいおい~。てめーのような弱虫野郎が、二十年ぶりにあらわれて、俺に挑戦するってか? 冗談もほどほどにしろよ~」
すると……。
「ゲルドン様! どうなさったのですか?」
周囲に男の声が響いた。
すると、奥の廊下から、背の高い銀髪の、容姿端麗の男が歩いてきた。執事が着るようなスーツを着ている。
「セバスチャンよぉ、こいつ……ゼントが俺に挑戦するんだってよ」
ゲルドンは、銀髪の男に言った。ん? セバスチャン? どこかで聞いた名前だな。そうか! ミランダさんの魔法で過去の世界に行ったとき、パーティーメンバーにいた、謎の少年の名前が「セバスチャン」だ! そうか、今はゲルドンの秘書か、執事というわけか。
「ああ、君が報告にあった、ゼント・ラージェントか。初めまして、私が大勇者ゲルドンの秘書兼執事のオースティン・セバスチャンです」
セバスチャンという男は、クスクス笑っている。
「ゲルドン様、時間がありません。トーナメント開催のスポンサー様たちにご挨拶に行かなくては」
「あ、えーと、そうだったな」
ゲルドンはあわてて、廊下を歩いていってしまった。セバスチャンも後をついていこうとしたが、後ろを──俺の方を振り返った。
「フフッ……君が、ゼント・ラージェント君ね。わかります、わかりますよ。君がおそろしい相手だということが」
(ううっ?)
俺はゾクッとした。
あのセバスチャンの目! 何という鋭い目なんだ! このセバスチャンという男、すさまじい殺気だ。
セバスチャンは、すぐにゲルドンの後についていった。
どういうことなんだ? 大勇者ゲルドンより、秘書のセバスチャンって男の方が……!
強敵だ!
「ゲルドン杯格闘トーナメント」に出場するため、中央都市ライザーンのホテルに宿泊した俺たち。
次の日、ついに試合に出場することになった。1回戦だ!
1回戦は「予選」のようなもので、開会セレモニー前に行われる。
出場選手16名が8名にしぼられるのだ。
ひええ~……試合なんて学生時代以来だ。第1回戦は、まだスタジアムでは試合できない。小規模の体育館で試合をする。
「うわ~、緊張する! 怖ぇよ~」
試合1時間前──俺は、試合会場の控え室で真っ青になって、頭を抱えていた。緊張して仕方ない。
エルサが杖をつきながらも、控え室についてきてくれた。
俺の第1回戦の相手は──何と、あの大勇者ゲルドンの現在のパーティーメンバーだった。一番弟子の武闘家、クオリファだ。
しかもクオリファの所属は、「G&Sトライアード」。グランバーン王国最大の武闘家養成所だ。Gとはゲルドンのことで、ゲルドンが社長をしているらしい。
か、勝てるのか? 俺……。
「ゼント、武闘グローブをはめるよ」
エルサは杖を置き、俺の手に、武闘グローブをはめてくれた。武闘グローブとは、格闘技の試合の時に手にはめる、指が出ているグローブのことだ。
指が出ているので、相手をつかむことができる。
エルサはグローブをつけた俺の両手をにぎって、俺の目を見てこう言った。
「大丈夫だよ、ゼント。あたしがいるよ。神様が見てるよ。君の努力、悔しさ、悲しみ、全部、神様が見てくださっていたんだよ。きっと、それが報われるよ」
「え? ああ……」
「だから……自分を信じてね」
なんだ? 俺の心が、少し熱くなったように感じた。
ちなみに俺のコスチュームは、エルフ族特注の青い武闘着だった。エルサとアシュリーが、村で作ってくれた。
◇ ◇ ◇
リング上ではすでに、武闘家のクオリファが腕組みして待っていた。
ニヤニヤ笑っている。
俺は、緊張しながらリングに上がり、ロープをくぐった。ゲルドンはこの試合会場にはいないらしい。
「おめぇか? もともとゲルドンさんのパーティーメンバーだったっていう、ヘタレ野郎は」
クオリファはクスクス笑っている。赤い武闘着を着て、気合十分だ。
「何だか知らねーけどよ。ゲルドンさんに挑戦するんだって?」
ギャハハ! セコンドにいるクオリファの付き人たちもゲラゲラ笑っている。
「あのゼントってヤツ、バカじゃねーの」
「見るからに弱々しいあいつが?」
「身の程知らずにも、程があるってもんだぜ」
今の俺の体は、身長162センチ、体重55キロ。しかしクオリファの体は、身長188センチ、84キロらしい……。
ハハハ。こいつはひどい差だ。笑うしかない。
『私語はつつしめ!』
審判席の審判が、魔導拡声器──魔法の力で声を大きくする魔道具──で声を上げた。
「ゼント! 集中!」
セコンドの方から声が上がった。う、うわっ! エルサがセコンドについている!
「お、お前、そんな体調で、セコンドなんて大丈夫なのか?」
「大丈夫! あたしもセコンドとして、闘う!」
カーン!
リング外のエルサと会話をしている間に、試合は始まってしまった。
「さーてと……おーら? どうすんだ?」
シュッ
クオリファは半笑いで、軽い横蹴りを繰り出してきた。
一発、二発、三発……そして、華麗な回し蹴り!
観客がどよめく……が!
ここだ!
俺はすぐに、彼の懐に飛び込み、左ジャブを突き出した。
クオリファは、「おっ?」と声を出し、ふっと避ける。
「ん? ちょっとは早いじゃねえか」
クオリファが体勢を立て直し、一歩前に出て、余裕の下段蹴り──。
見えた! 俺は飛び込んだ!
ガスウッ
俺の素早い、右ストレートパンチ!
このパンチは、完全にクオリファの右頬をとらえていた。クオリファが前に出ると同時に放った、カウンター攻撃だ!
──彼の体が傾いた。
「なっ……」
クオリファが後退しかかった。
「お、お前……ゼント! い、いや、まぐれだ。そうに違いねえ」
クオリファはあわてたように、一歩前に進み出た。
もらった!
俺は下段蹴りで、クオリファの足を刈った!
ガッ
「なっ!」
クオリファはバランスを崩しながら、声を上げる!
ドタアッ
「うっ!」
俺はクオリファの足を刈って、クオリファを転倒させた! ヤツは見事にひっくり返って、背中を武闘リング上に打ち付けた。
「な、なんだと……!」
クオリファは驚きの声を上げる。
この技は、蹴り技ではない! 転倒させて背中から落とす、いわば足を使った刈り技だ! クオリファは蹴られたダメージよりも、転ばされて背中を打った、という精神的ダメージが大きいはずだ。
「て、てめえぇ~! 生意気だぁあああ!」
クオリファはあわてて立ち上がり、向かってきた。そう、この技をくらった者は、焦ってこうなる!
ビュッ
クオリファの左中段回し蹴り! 良い蹴りだが……俺は見切った!
ここっ!
俺は、クオリファの蹴り足を掴んだ! 彼の左足を、脇に抱えたのだ。これは蹴り技に対する防御技術だ!
「お、と、と」
当然、クオリファは片足で立っているので、バランスを崩さざるを得ない!
俺はクオリファの肩を思いきり押し、1メートル半突き放して──!
全速力で向かっていった。
「お、おい! や、やめ……!」
クオリファは目を丸くしている。──俺は飛んだ──。
ガッスウッ
右飛び膝蹴りだ! 俺の右膝が、クオリファのアゴに当たった! 完璧な手ごたえ!
「グフウウウッ」
クオリファは大きく吹っ飛び、尻もちをついた。
しかしクオリファは、あわてて立ち上がろうとした。舌打ちして、「へ、やるじゃねえかよ」とつぶやいている。
ムダだぜ、クオリファ。お前はアゴの急所にくらった! そうなると、どうなるか?
クオリファは立ち上がろうとして、膝に手をつく。
「え?」
しかし、クオリファはグラリと体を揺らし──。
ドタッ
彼は、右にまた転倒した。
ウ、ウオオオッ……。
「え? クオリファが……?」
「何だ? おい、何が起こっているんだ?」
「お、おい。ダウンか? ゲルドンの弟子がダウン?」
「何かの間違いじゃねーの?」
観客がざわざわと騒ぎ始める。何かが起こっている、と。
『クオリファのダウンです! 1……2……3……!』
ダウンカウントが審判席から数えられる。
ウオオオオオオオッ……。
「きたああああーっ!」
「クオリファのダウン!」
「ゼント、何者だ?」
少ない観客が声を上げる。
俺は、開始35秒で、ゲルドンの一番弟子をダウンさせた!
クオリファは、リングに片膝をつき、目を丸くして、俺を見上げていた。
「お、おい、何かの間違いだ……そうだろ? おい」
クオリファはブツブツ言いながらも、ギロリと俺をにらみつけて言った。
「ゼント、お前……。一体、何者だ? い、いや、そんなことはどうでもいい!」
クオリファは立ち上がろうとしながら、吼えた。
「分かっているだろうな! 俺に恥をかかせやがってぇ……!」
ゲルドン杯格闘トーナメント第一回戦。
俺はゲルドンのパーティーメンバーであり、弟子のクオリファからダウンを奪った。
決まり手は、右飛び膝蹴りだ!
「分かっているだろうな! 俺に恥をかかせやがってぇ……!」
クオリファは片膝をつき、脂汗をかいている。
「俺がダウンするなんて……俺は大勇者ゲルドンの弟子だぞ……! パーティーメンバーだぞ」
『4……5……6……!』
審判員のダウンカウントは止まらない。
「そのカウント、やめろってんだ!」
クオリファは両膝に手をつき、ぐっと立ち上がった。
「のやろおおおーっ!」
クオリファは俺に向かって走り出し、パンチをラッシュし始めた。
しかし、俺にはパンチが遅く見えていた。彼の右フックは手の甲で叩き落し、左ストレートは避け、右アッパーは、スウェー──つまり体を反らせることでかわすことができた。
「はあっ、はあっ、はあっ!」
クオリファは、俺をギラリとにらんだ。
「な、なんなんだ、オメーは……。何で全部、かわせるんだ?」
しかし、彼はそう言いながらも、俺から五歩ほど離れ、体勢を低くした。
「ゼント! あいつ、何か狙ってるよ! 気を付けて!」
セコンドのエルサが声を上げた。
「そうか、ゼント! あいつ突進してくる!」
観客は騒然となった。
「おい、クオリファの得意技が出るぞ!」
「あの技で、魔物のトロールを一体、気絶させたらしいぜ」
「ゼントとは体重差がありすぎる! ゼントは吹っ飛ばされるぞ!」
その瞬間、クオリファは俺に向かって突進してきた。この長い距離で、俺と同様に、飛び膝蹴り? 距離が遠すぎるが……いや、違う!
「きええええーっ!」
クオリファは甲高い声を上げる。
そして大きく飛び上がり、右片足を突き出す──。
クオリファの走り飛び横蹴り! 飛び上がり、足の裏か爪先で、相手の顔を狙う蹴り技だ!
よし、ここだ!
俺もクオリファに向かって、走り出した。無謀だ──。そう言われるかもしれない。
しかし、俺も大きくジャンプして、蹴りを繰り出していた。走り飛び横蹴り! クオリファと同じ技だ!
ドガアッ
音がした。
俺はクオリファより高く飛んでいた。俺のつま先は、クオリファの左頬に直撃していた。
「ゼ、ゼントの飛び横蹴りの方が当たった!」
「た、高ぇジャンプだな」
「すげえ……飛び横蹴りに、飛び横蹴りを合わせるなんて……!」
観客たちが声を上げる。
クオリファは、「クッ」という声を上げて、地面に滑り込むように倒れた。俺も、地面に勢い余って、倒れ込む。
クオリファはあわてたように、俺の方を見た。わかっている。こんなもんじゃ、クオリファは倒せない。
俺の真の狙いは、走り飛び横蹴りではなかった。
クオリファがヨロヨロ立ち上がった瞬間──。
俺は素早くクオリファに近づき、体幹を回転させ、拳を繰り出した。
ドゴオッ
俺の右フックが、クオリファの右こめかみをとらえていた。
しかし、クオリファもタフだった。倒れるのをこらえた。おっ……? クオリファの目が冷静だ。
持ち直したか!
彼の左ジャブ、右ストレート、右ボディパンチ!
クオリファは流れるような攻撃を仕掛けてきた。
俺は全部、手ではじき飛ばす。
だが、体重差があるだけに、ヤツの攻撃が重く、腕が痛い! しかし、ダメージは無しだ。
俺も牽制の左ジャブ! クオリファはそれを受け流す。
クオリファは突如、大砲のような右ストレート! 俺はガードしたが、1メートルは後退させられた。くっ、腕がしびれる。だけど、たいしたことはない!
なるほど、この冷静な状態が、彼の実力なのか。
「おい」
クオリファは笑っていた。
「久しぶりだぞ、こんなに手ごたえのあるヤツは」
そして続けて言った。
「そろそろ決めるぜ!」
クオリファは体に勢いをつけた。
ブンッ
凄まじい速さの中段蹴り! 俺のアバラを狙った!
……しかし、俺は肘でそれを防いでいた。
「なんだと! 肘で……!」
クオリファは目を丸くしている。俺はその肘を、そのまま彼のアゴに食らわせた。
ガッ
「ゲフ」
クオリファが声を上げた。そしてもう一発! ここだっ!
ゲキイッ
俺は彼の左頬に、左掌底を食らわせていた。──左手の平の下部の攻撃──掌打だ!
「ぐ、へ」
クオリファは、リングに両膝から倒れ込む。
「き、決まった……!」
「やりやがった!」
「あれは立てない」
観客たちが口々の声を上げる。
『ダウンカウント! 1……2……3……!』
審判席からダウンカウントの声が上がる。
「ぐっ!」
クオリファは、ハアハアと息をあげ、「ぐうおっ!」と気合一閃、立ち上がろうとした。
「み、見てろおっ!」
クオリファは、何とかファイティングポーズをとろうとした──。
ヨロッ
しかし、彼はよろけた。また、リング上に膝をついてしまった!
審判席の審判は、手でバツのマークを作った。
そしてすぐに、カンカンカン──とゴングの音がした。
『6分20秒! ゼント・ラージェント、KO勝ち!』
審判員があわてて、放送を告げる。
ウォオオオッ!
観客たちは声を上げた。
「す、すげえ……!」
「まじで? クオリファ、負けたの?」
「何なんだ、あのゼントって野郎は! すげえヤツだ!」
すると……。
「やったぁああーっ!」
エルサがリング上に飛び込んで、俺に抱きついた。
「すごいすごい、強くなったね、ゼント!」
エルサこそ、お前、そんなに動いて大丈夫なのか? 俺はちょっと心配した。
一方……。
「ち、ちきしょう……。ゲルドンさんに、何て言えばいいんだよ」
リング上に座り込んだまま、声を上げたのは、クオリファだ。
クオリファは俺をにらみつける。しかし……。
彼は俺を見て、やがてフッと笑った。
「あんた……すげえな。マジでいい試合ができたぜ。あんた、マジで何モンだ?」
「俺はゼント・ラージェントだよ。ハハ……」
俺は頭をかいて笑った。
するとクオリファはうなずきながら言った。
「ゼント、あんた、何かすげえことをやるかもしれねえな。ゲルドンさん、最近、ちょっとおかしいんだ。俺は弟子だから、それを見て見ぬふりをしていたが……。ま、あんたと闘えたことを、誇りに思うよ。ゼント・ラージェント」
俺とクオリファは握手をした。
次の試合は、エルフ族のローフェンの試合がある。
しかし、そのローフェンの試合後──。
俺はとある美少女と知り合うのだった。彼女の名はサユリ。
最強の美少女武闘家だった──。